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第68話一撃

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 北條がランスイルを倒し、決意を固めている最中でも状況は動き出そうとしていた。
 地獄壺の最上階。5層で牢に鎖で繋がれていた石上は4層が崩れると共に落ちてきた。腕が鎖で繋がれたままの状態で——。
 当然ながら、その状態で逃げられるはずがない。
 万全の状態だとしても灼熱に体力を奪われ続けた状態で満足に動けたかどうか怪しいものだが、それに加えて今は飛縁魔とのゲームによって左腕、右足、左目を欠損している状態だ。逃げられるはずがなかった。

 4層へと落ちてきた際に牢屋は破壊された。衝撃波の影響で運よく瓦礫に埋もれることはなかった。だが、鎖まで破壊されていない。石上が少ない体力を駆使して思いっきり引っ張っても、大きな瓦礫の下敷きになっているのか動く気配はない。

「クソッ」

 憎々し気に言葉を漏らす。
 周囲に音はない。誰かが動いている気配はしない。つまり、石上は1人だ。何が起こったかは理解していない。朝霧とペナンガランの戦いを見守り、隙あれば手を貸そうとしていた所、突然床が崩壊した。

「(時間からしてそれほど、落ちた訳じゃない。多分……1階層分落ちた。下にいる奴等がやったのか? それとも吸血鬼共の仕業か? いや、違うか)」

 吸血鬼による破壊行為という考えを即座に否定する。
 吸血鬼が1階層を丸々破壊する程の戦いをするとは思えなかったのだ。それをする程の相手はレジスタンスで異能持ち以外に考えられない。
 だが、朝霧がに乗り込んできた以上、下の階層に異能持ちがいるとは思えなかった。

「アイツも苦労してんなぁ」

 たった1人で上級吸血鬼と戦わされる意味。それを知っている石上は朝霧に同情の念を送る。
 体力の少ない今の状況では誰に殺されても不思議ではない。そんな状態で他人の心配をしているのは、もう自分は助からないと思い切っているからだ。
 予想外の事態が重なり、最早音すら聞こえなくなった。
 こうなった以上、どうなるか分からない。
 レジスタンスのメンバーは生きているのか。外の連中はどう動くのか。下にいる下級吸血鬼をは外に勝手に出て行かないか。
 そこまで考えた時、瓦礫の崩れる音が石上の耳に入って来た。

「————」

 瓦礫が崩れる音。投げてどかす音。
 ドンドンと近づいているのが分かった。
 ——来たか。と北條は目を瞑る。死ぬことはこの体になった時点で覚悟していた。ならばもう覚悟する必要はない。死を受け入れるだけだった。
 だが、それが訪れることはなかった。その代わり、懐かしい少女の声が石上の耳に届く。

「——恭也さん!!」

 目を瞑っていることで死んでいるとでも思ったのか、結城は今にも泣きそうな表情で石上の顔を覗き込んでいた。

「えり……なんでお前ここに——」

 予想もしなかった人物が目の前にいたことで石上も呆気に取られる。
 結城えり。ある研究者の実験場から助け出し、レジスタンスに入るまで世話を焼いていた少女。
 出会った頃は吸血鬼の血に取り込まれた怪物になりかけていたが、石上の異能によってそれを克服し、石上に憧れてレジスタンスに入った少女。
 目を涙で溢れさせて結城は石上に抱き着く。

「よ、良かったッ。もしかしたら、もう手遅れなんじゃないかって思ってッ」
「お、おう……」

 何故ここに、とは口にしなかった。
 不安、心配、恐怖、安堵。感情の入り混じった少女の顔に石上は何も言えなくなってしまったのだ。
 石上の服を握り締め、震える少女の背中をポンポンと優しく叩く。結城が泣き止むまでそれはずっと続けられた。
 暫くして自分の現状を思い出し、弾かれたように結城が石上から離れる。

「ッ——ご、御免なさい!! 恭也さんも怪我してるのにッ」
「そうだな」
「あ、えっと……臭くなかったですか?」
「一番最初に聞くことがそれか……」

 時刻だけを見るならばもう夜と言ってもいい時刻だ。朝から晩まで走りまくり、命のやり取りを続けた結城の体には血と汗に塗れている。それを気にした結城が恥じらって問いかけるが、石上は冷めた態度で思わず突っ込んでしまう。
 結城が一瞬硬直する。ここがどんな場所なのかを思い出したのだ。だが、彼女を責めてはいけない。彼女も好いた相手の前では乙女になる年頃の女の子なのだ。

 そんな乙女心を理解しない石上恭也——愛の天使がこの場にいたのならば怒り狂って弓を投げ出し、グーで殴りつけていただろう。
 だが、残念ながらここに石上を殴りつける天使は降臨してこなかった。

 特に表情を変えずに鎖で繋がれた右腕、左足を掲げる。
 意味を理解した結城は直ぐに行動した。
 念力で鎖を引き千切り、傷の具合を確認する。左腕、右足、片眼がないことに痛ましい表情をするが、石上が気にすることではないと口にしたため、それ以上は何もしない。

「そう言えばお前。どうやって俺を見つけたんだ?」
「鎖が動く音を偶然耳にして、それでここに誰かがいるのでは、と」
「そうか。人の気配はしなかったんだが」
「隠れていましたので」
「気配の殺し方が上手くなったんだな」

 石上に褒められて結城は頬を朱く染める。

「なら、部隊の連中も近くにいるのか?」

 しかし、次の瞬間結城の表情は固まった。
 部隊などない。結城は本来この任務に呼ばれてもいないのだ。ここにいるのは明確な命令違反によるもの。
 石上の生存を知り安心を得ていた結城は思いっきりそのことを忘れていた。

「え、えっと……その——」

 咄嗟に誤魔化そうとするが、石上への好意がそれを引き留める。
 そんなことを言って嫌われないのか。軽蔑されないか。ならば素直に答えるべきか。いや、それはダメだ。としどろもどろになりながら考える。

「それは私も聞きたいな」

 必死で頭を回転させていた結城を追い込むかのようにその場に1人の人物が現れる。結城は咄嗟に後ろを振り向き、石上を守る立ち位置を取る。対して石上は近づいていたことが分かっていたため、その人物の登場に驚きはしなかった。

「あ、朝霧さん……」

 そこにいたのは朝霧だ。
 不味い人物に遭った。と表情は変えずに結城は内心で焦る。

「結城。お前にも私から待機命令を出したはずだが?」
「…………」

 気まずそうに結城は視線を逸らし、朝霧の視線は鋭くなる。
 あわや説教でも始まるのかと思いきや——溜息をつくと朝霧は結城の横を通り過ぎ、石上の所へと向かった。

「結城。ここに来たのはお前1人か」
「……はい」

 思わず結城は北條を庇う。悪戯を叱る親から弟でも守るように——。
 だが、結城が一瞬躊躇したのを朝霧は見逃さなかった。更に鋭くなった視線を結城に投げ、声を低くして問いかける。

「嘘はつくなよ? 後が大変なんだ」

 鋭い視線に貫かれ、結城は震える。
 何が大変なのかは考えるまでもない。朝霧はもう撤退するつもりだ。ここにいる3人だけで、他の者は放っておくつもりなのだ。
 つまり、これは最終警告。ここで嘘を付くのならば、人がいても助けには来ないぞという警告。

「…………北條と来ました。後、加賀は潜入してないけど手を借りました」
「チッ——アイツ等」

 その言葉に朝霧が舌を打つ。
 今ここで説教をしたい所だが、残念ながらそうすることは出来なかった。

「今から帰れ、は無理か。石上、立てる?」
「1人では無理だな。放っておいても良いが——」
「馬鹿を言うな。お前1人を助けるために何人が死んだと思ってる。結城、今は何も言わない。だが、ここに来た以上は役に立て」
「は、はい!!」

 後方に視線を移す朝霧に返事を返す。
 一体何を見ているのかと結城が同じ方向に視線を移すが、そこには何もない。だが、確実に何かがあるのだろうと想像する。
 朝霧だけではなく、石上も同じ方向を見て警戒をしていることが結城にそう思わせた。
 石上が結城に体を預けつつ立ち上がる。

「最初は100、ぐらいだな」
「そうか」

 短いやり取りは何を指し示しているのか結城には分からない。ただ、邪魔をしてはいけないと素直に感じた。
 朝霧の纏う空気が周囲のもの全てを押し潰さんとするほど、重くなっているのを感じたのだ。

「来るぞ」

 結城は石上に肩を貸し、朝霧の後方へと下がる。
 朝霧は腕を捲り、構えた。
 朝霧の目の前——だけでなく結城と石上の周囲の瓦礫の下から巨大な蛇が出現する。四方を囲み、逃げることなど許さないと獲物に睨みを利かせる大蛇達。
 その蛇がジャララカスの異能によって強化されたものだと結城は瞬時に判断する。

「本体は?」
「お前の正面」

 警戒を強める結城に対して朝霧の方は冷静だった。冷静に問いかけ、答えを聞くと腕を振るった。
 腕を振るう。ただそれだけだった。
 空気を殴って衝撃波で敵を倒す。そんなことが出来たらカッコいいと加賀が言っていたことを結城は思い出した。目の前の朝霧がやったことは正しくそれだ。
 荒々しく、衝撃波処か嵐が通ったのではと思う程の一撃。
 その一撃は地面に潜んでいたジャララカスを捉え、瓦礫と共に吹き飛びながら壁に突き刺さった。
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