サンコイチ

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葛藤

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 部屋の中に響くのは、淫らな水音と、荒い息。
 そして二つの喘ぎ声と……チャリチャリと鳴る鎖の音。

「はっ……あんっ、なおっ、そこっこわいっ、こわいいっ…はああんっ…!」
「だいぶ、んっ、緩んでる…ね、奏、今日はもっと奥チャレンジしようね?」
「おぐっ、ああっそごっ、んあっ…こわいようぅ、なおっんむっ…」
「ん…ほら、ちゅうしよ?そしたら怖くない…」

 ぐち、ぐちっと粘ついた音が聞こえる。
 ああもう何回出されたっけ。
 あかりを奴隷にしてからは、3回戦までの約束が守られることは殆どなくて…きっと今日も抱き潰されるのだと、ほぼ白くなった頭でぼんやり考える。

 遠くから聞こえる啜り泣きに、時折上がる叫び声に「堪らねえ」と滾りながらも、奏はまだ高みへと押し上げられていく。

「あ」
「……ぁ……?」

 その時、ぐぼっ、と音がした気がして。
 世界が一瞬止まって。

「ーーーーーー!!!ーー!!っぁーー!!!」
「あは……入った…うわ、吸いつかれるっ!これすごい…ね、尚が美味しそうに僕をしゃぶってるよ…?」

 気持ちいいのかすらわからない、ただ、勝手に身体が弓形に反って、口から意味をなさない言葉だけが溢れてくる。

 ぐじゅっ、ぐぽっ、ぬちっ、ぐぽっ…

 入っちゃいけないところを押し広げ、引き抜き、また押し込む、その音が身体中に響いてくる。

(あ、だめ、これ大きいのきて、おりられなく……)

「んっ、尚出るよっ…!!」
「かはっ………!!」

 奥の奥に、熱い迸りを感じた瞬間、世界が真っ白になった。



「はぁ……あかりちゃんの言ってた結腸抜き、やばすぎ……こんなのすぐ出ちゃうよ…」

 既に意識をほぼ失い、幸尚に揺さぶられるだけになっている奏に口付けを落としながら「あかりちゃん、やっとできたよ結腸抜き」と幸尚はベットの向こうに微笑みかける。
 もちろんその腰が止まることはない。

「はひっ、んああっ、つらいぃ…ほしいのぉっ、ほしいのにぃ……!!」
「ふふ、あかりちゃんは今日も頑張り屋さんだね。んんっ…ふう、後一回で終わるから、我慢、できるよね?」
「ぁ、あぁ……もう、一回…ひぐっ、ひぐっ……頑張りますぅ…ぅあああ…っ、たりないのぉ、頭おかしくなるのぉ……!!」
「うん、いい子だね。…奏、ごめんねこれで最後にするから」
「ぁ……おま………んぁ…っ…」

 幸尚の視線の向こうには、泣き叫び続けて声も枯れ果てたあかりがいた。
 その手首と足首にはステンレス製の枷が取り付けられ短い鎖で固定され、さらに内側から足を握らされた手ともどもサランラップでぐるぐる巻きにされている。

 そうして大きなビーズクッションにもたれさせられ、起き上がる自由を奪われる。
 首には手足の枷と同じくステンレスの首輪が光っていて、そこから伸びる鎖は膝の拘束具へと繋がっていた。

 無様に股を開いたまま、興奮してほんのり色づいた秘部を、あまりの興奮に遠目でもわかるほどぷっくりと立ち上がった女芯を、そして何の刺激も与えられない辛さに白濁した蜜をダラダラと垂れ流す蜜壺を惜しげもなく二人に晒し続ける。

『いつも寸止めばかりだと辛いだろ?今日は触れないようにしてやるからな。ああ、でもそれだと寂しいか…』

 そう言って胸に取り付けられたお椀型の装置は、あかりの乳首を休みなく柔らかいシリコンブラシで刺激し続け、けれど下半身には全く与えられない刺激にさっきからへこへこと腰の動きが止まらない。

「つらいよおぉぉ……なおくんっ、おまんこつらいのぉ…ちょっとでいいから、触らせてくださいっ…!!」
「うん、辛いね。でもあかりちゃんはそうやって管理されて泣くのが好きなんだよね」
「ううっ……はい…」
「ね?本音は?ちゃんと教えて欲しいな」
「っ……限界まで…ずっとこのままで……頑張りたいぃ……」
「いい子だね、あかりちゃんは。じゃあ、奏が起きるまで頑張ろうね。今日初めて結腸抜いちゃったから、いつもより起きるの遅くなると思うよ」
「ひぎいぃぃぃっ!!!」

(そんな、尚くんさっきもう一回って…そこから後片付けして、奏ちゃんが起きるの待って……壊れる、私っ壊れちゃう…!!)

(ああ、けれど私、壊れるまで責められるのが嬉しいって思ってる……)

(あは…たまん、ない……)

 頭が焼き切れそうな発情に泣き続けながら、あかりは仄暗い悦楽に浸り続けるのだった。


 ………


「…お腹、いてぇ……」
「う、ごめん……やりすぎ、だよね?」
「当たり前だこの底なしが」

 後始末を終え、目を覚ました奏が顔を顰めながら起き上がる。
「まだ寝てた方が」と奏を気遣う幸尚に「いや、あかりをちゃんと見ねぇと」と視線を向けた先では、もはや叫ぶ気力も無くなったあかりが「さわりたい……もうだめ…」と虚な瞳からはらはらと涙をこぼしつつ呻いていた。

「よいしょっと…うわぁ近づくとすっげえメスの匂いだな…ぐっちゃぐちゃじゃん、いつもいじってるときより愛液多くね?」
「ぁ……そう、ちゃん……も、だめ……さわりたい……」
「ん、よく頑張ったな。今日もちゃんと命令守れてえらいぞ、あかり」

 頭を撫でると、あかりはかすかにふにゃりとした顔を見せる。
 だがその笑顔は一瞬にして消え失せた。

「でも自慰はなし。大丈夫、ちゃんと寝てる間に勝手に触らないようにするから」
「ぁ、ぇ、そんなっ……!!」
「ん?命令してもらったらどうするんだっけ?……どうしてもだめなら、ちゃんとセーフワードを使う、そうじゃないなら…」
「ひぃっ、反抗してごめんなさいっ!!ひぐっ、あかりがっ、一人で勝手にクリトリスいじいじしないようにっしてくれて、ありがとうございますぅっ!!」
「うん、えらいな、ちゃんとお礼が言えるあかりはいい子だ」

 いつだったか、一度セーフワードを使うでもなく命令に不満をあげたあかりに「命令に逆らう奴隷にはお仕置きがいるな」と身動きを取れない状態で電マを固定し部屋に一人連続絶頂で気絶するまで放置して(もちろん見守り用のモニターは使っていたが)以来、あかりは決して命令に逆らうことはない。
 あかり曰く「連続絶頂も辛かったけど、二人がいない状態で放置されるのがこのまま助けに来てくれないかもって思って…すごく怖かった」らしい。
 ちなみにその裏で「いくらなんでもあかりちゃんが可哀想だ!」「ちゃんと飴と鞭を使い分けて躾けるのも主人の役目、あかりのためだ!」と取っ組み合いの喧嘩になった末幸尚が折れたのをあかりは知らない。

 胸の装置を取り外し「ちょっと腫れちゃったな」と暖かいタオルで全身を拭き清めてジェルを塗る。
 ヒリヒリする乳首にひんやりした感触が気持ちいい。

 そうして拘束具を解き、ネグリジェタイプのパジャマを着せて両手の拳を握らせ鍵付きのミトンを履かせる。
「痛みや痺れはない?」と幸尚が足を動かして確認し、皮膚の状態もチェックした後、手首の枷を短い鎖で首に繋いだ。

 股間は簡易シャワーで洗われ、分厚いオムツを穿かされる。
 中にはさらに尿取りパッドも重ねられていて、腰を床に擦り付けても刺激が伝わらないように工夫してあった。
 その上から防水性のオムツカバーを履かされたら、もうあかりに股間を慰める術はない。

「これなら寝返りは打てるだろ。肘を精一杯伸ばしてみて…ん、どんなに頑張っても股間まで手は届かないな」
「っ、んふぅっ……はぁっ、んぁっ……」
「朝になったら外してやるから。あ、足枷は外すぞ。傷になったらいけない」
「はい…ありがとう、ございます…うぅっ……」

 残酷な仕打ちに、あかりの瞳から大粒の涙が溢れる。
 だがその絶望を湛えた瞳の奥に、被虐の悦びが見え隠れすることに奏と幸尚は気づいていた。


 ………


「ふぅ、ありゃ相当きつそうだな、あかり寝られるかな……」
「流石に無理じゃない?どうするの、そろそろリセットする?」
「いや、日曜の夕方にリセット。月曜が期末試験2週間前になるだろ?ここでリセットして、次は試験が終わってからまたやろう」

「そのまま歩くのは危ないから」と幸尚がお姫様抱っこであかりを部屋に運び、ベッドに寝かせる。
 見守りモニターからかすかに聞こえる色を含んだ泣き声を耳にしつつ、二人はいつもの反省会である。

「ここのところずっと強制自慰と寸止めだったからちょっと趣向を変えてみたけど、どうだった?俺は正直堪らねえ」
「あかりちゃん、寸止めよりこっちの方がキツそうな感じがしたよ。寸止めの方が体力は使うけど…触れないのは相当メンタルに来るみたい。あと乳首責めは組み合わせて正解だと思う」
「なるほどな、やるにしても週に2回くらいまで?」
「2回は鬼畜だよ奏、週1で。あとその時は尚の結腸を抜きたい。すごく気持ちよかったんだけど、かなり後が辛そうだから」
「ゔっ……ま、まあ、確かに週2回は俺も死ぬな…ただでさえ毎日抱き潰されてるのに…それと尚、そろそろ3回戦までの約束を守れ。マジでペナルティ考えるぞ、俺を殺す気かこの絶倫ゴリラめ」
「うっ、ごめん……奏が可愛くてつい…」

 やること自体は3人の合意だが、その頻度や強度の調整は2人に任されている。
 どうしてもだめな時は躊躇せずセーフワードを使うことだけは念押ししながらだが。

 また、この関係にかまけた結果親にバレたり3人で遊ぶのを禁止されないために、何よりも優先するルールがある。
 それは「この関係になる前の状態から決して成績を落とさないこと」である。

 一応進学校の選抜クラスにいる3人だが、流石に勉強は真面目にしないと成績は落ちてしまうだろう。
 特にあかりはこの関係になる前の順位が自己ベストの学年3位だ。いくらあかりが頭がいいとはいえここから落とさないとなると、流石に試験前はこんなことをやっている場合じゃない。

 だから、あかりも試験前には気の済むまま自慰と絶頂を許可して一旦リセットすることになっているし、試験期間中は一切禁止事項を設けない。
 幸尚と奏も、流石にセックスを…しないわけではないがちょっと控えめにはする、ちょっとだが。

「にしても、こんなに色々買ってお金大丈夫なの…?」
「心配すんな、全部バイト代でなんとかなってるし、おじさんから分けてもらえるし」
「悪いおじさん……」
「いやマジで親戚だから!!まあ、怪しいお仕事のおじさんではあるけど」
「やっぱり悪いおじさんじゃん」
「親公認だからいーの!」

 部活も精力的にしながら、さらに週3日はバイトもして、さらにこの関係をほぼ毎日。
 奏はタフだよねぇと幸尚は素直に感心している。

「でさ、今度の試験が終わったらそろそろやろうと思うんだ。明日あかりにも相談するけど」
「うん、何を?」

 幸尚が聞き返すと、奏はニヤリと笑って

(あ、これは悪いこと考えてる時の顔だ)

「あかりにピアス、付けさせる」

 そう嬉しそうに宣言した。


 ………


 最寄駅から電車で4駅、そこから徒歩10分。
 雑居ビルの地下2階にその店はあった。

「あかりはさ、奴隷モードに入ると敬語に変わるよな」
「あ、うん。…なんか自然とそうなるんだよねえ……」
「なんなら俺たちの呼び方も変えるか?日常ときっちり分ける意味でも、いいと思うんだよな」
「その日常はこれからピアスと貞操帯で侵食するんじゃ…」
「だから余計にだよ。あ、貞操帯はもうちょっと待ってなあかり、今良さげなのを調べているから」
「意外と女性用の貞操帯って情報が少ないよねえ…男性用はいっぱいでてきて見てるこっちまで痛くなるってのに」

 夏休み直前の日曜日、3人は奏に連れられて怪しげな店の前に来ていた。
 なんでも奏のおじさんの知り合いであり、母の後輩でもある人が営む店らしい。

 いつもの軽い奏とは違う、ちょっと大人な雰囲気は多分、緊張のせいだろう。
 それは幸尚も、あかりも同じだった。

「…ここ、予約制の店だから」

 ブザーを鳴らしながら奏が前を向いたまま話す。

「今日は俺たち以外に客はいない、だから、安心していいってさ」

 ガチャ、とロックが外れる音がする。
 重い扉を開いて3人が入ったその中は、思ったより広い空間が広がっていた。

「うわ…行きつけのアダルトショップとは全然違う…!」
「SMグッズの専門店だからな。あと行きつけってどれだけ通ってるんだよ」
「えへへ…その、グッズを見ていると妄想が捗って……」
「全く、補導されたらやべえんだからな!」
「いやここの方がやばくないの?」
「身内の知り合いの店なら問題ねえって」

 可愛らしい拘束具から本格的な鞭や大型什器まで、ずらりと揃ったグッズに奏とあかりはテンションがあがり、幸尚は「えええ、こんなものまで…」とちょっと涙目になっている。

「ここさ、店内で買ったピアスはその場でつけてくれるんだよ。オーナーがまさかの医師免許持ち」
「だれがまさかの、だ。いつもながらお前は一言多い」
「あ、オーナー」

 ぺしん、と奏の頭を叩いたのは、切れ長の瞳が美しい綺麗なロングヘアの女性だった。
 歳の頃は40代だろうか、なんとも言えない凄みがある。

「芽衣子先輩は元気にしてるか?」
「おう、昨日はおしっこが出ないって近所のじいちゃんがこの世の終わりみたいな叫び声あげながらやってきて大騒ぎだった」
「先輩の患者さんはテンション高い人が多いよなあ…あ、初めましてお二人さん、塚野です」
「塚野さんは俺のお袋の後輩なんだ。で、なんだっけ整形外科医みたいな名前のやつ」
「いい加減覚えろ、形成外科医だ。と言っても今はフリーのバイト医者だけどね。本業はこっちだし」

 そう言って渡された名刺には「Jail Jewels owner Mistress CHIKA」と書かれていた。

「……ミスト、レス?」
「そ、女王様って言った方がわかる?」
「!!」
「塚野さんは俺のおじさんがやってるSMバーの女王様なんだよ。で、このSMグッズショップのオーナーでもある」
「情報が多すぎる」
「ははっ、一応本職はここのオーナーだよ。医者は食い扶持稼ぎ、女王様は趣味」
「趣味なんだ」
「女王様って趣味でできるものなの…?」

「まあ一息付きな」と奥の部屋に案内される。
 ソファに3人並んで座り、紅茶とクッキーを頂いていると、分厚いファイルと書類を持った塚野が帰ってきた。

「…先に言っておくけど、本来は親御さんの同意がいるんだよ?今回は奏の頼みだし、私の責任でやるからそのつもりで。ま、こんなとこにピアス開けにくるやつは、大抵同意なんてもらえない場所にしか開けないけど」と念押しした上で塚野はペンを手に取る。

「奏から聞いていると思うけど、今日は説明だけ。お客さんなら即日開けちゃうんだけどね、流石に知り合いの身内だし…なにより理由が理由だから。で、奏の奴隷はどっち?」
「っ、はい、私です…」
「ふうん、幼馴染って言ってたっけ。同い年よね?」
「はい」
「しっかしまあ…その年で思い切りが良すぎるわあんたら…なに、表向きは恋人?」
「や、俺の恋人はこっち」
「ど、どうも……」

 ぺこりと頭を下げる幸尚に塚野はぽかんとし、次の瞬間「……爛れてるわね」と呟いた。

「恋人とは別に奴隷を持つの?あんたの性癖が拗れているのは知っていたけど、まさか一夫多妻願望持ちとはねえ…」
「なんでそうなるんだよ!たまたまこうなっただけだっての」

 奏はここに至るまでの話をかいつまんで説明する。
 こういう話は弁舌爽やかな奏に任せるのが一番だが、ことこの状況だと少々胡散臭さが漂うな、と必死で説明する奏を幸尚とあかりはクッキーを頬張りながら眺めていた。

「……とまあ、そういう事情でさ…」
「はぁ……つまり、奏と幸尚君のカップルがあかりちゃんを奴隷にする、と」
「はい。僕はまだ、この世界のことはよく分かってないんですけど…」
「あんたも気の毒ねえ。こんな世界、知らない方が幸せに生きていけるわよ」

 ため息をつきながらも、まずは説明してからがいいと判断したのだろう。塚野はテーブルに置いたファイルを開いた。

「ノーマルの子もいるなら、まずはどんな感じか掴めた方がいいでしょ?これ、全部うちの症例だから。ニップルはここ、クリトリスはこの辺からね」
「…うわ、ぁ……!!」

 それは、施術後の写真だった。
 ピアスを開けたばかりの写真が、部位ごとにファイリングされている。

「ファーストピアスだから地味だけど、なんとなく開けた後の感じはわかるでしょ」
「は、はい…なんか、太い……」
「あまり細いとね、乳首やクリトリスは裂けちゃうから」
「ひっ」

 ごくりと唾を呑みながら、幸尚はページを捲る。
 こうやって見るといろんな胸があるんだなとどこか冷静に囁く自分がいる。
 いや、そうでもしないと頭がついていかない。

 あかりも真剣な眼差しで写真を眺めている。
 きっとこれが自分につけられた姿を想像しているのだろう、少し頬が赤い。

「基本は乳首の根元に通すわ。乳首の脱落を恐れて乳輪に開ける人もいるけど、女性ならよほど乳首が小さくなければ大丈夫。乳輪だとバーベルが皮膚に当たって潰瘍ができちゃうこともあるから私はあまり好まないわ」
「脱落…乳首が取れちゃうことがあるんですか!?」
「単に穴開けりゃいいってもんじゃねーんだな」
「人間の身体はデリケートなのよ、こんな小さなもので皮膚を圧しているだけでも傷になるの」

 さりげなく恐ろしいことを言われているのに、あかりも奏も気にしていない。
 二人とも肝が座ってるなぁ、と心の中でぼやきながらめくったペースで、幸尚は凍りついた。

「っ、こ、これ……!」
「ああ、これがクリトリスのピアスね。女性器は見慣れては…ないわよねえ、無修正の動画でもなきゃ見る機会はなさそうだし。結構いろんな形があるでしょ?あんまりクリトリスが小さいと、本体には開けられなくてフードに開ける形になるわ。本体に開けるなら横、フードなら縦をお勧めしてるの」
「…あかりのはこのくらいだったかな」
「そ、そうなの?」
「あら、自分のを見たことはないの?鏡を使って見てみなさいよ、自分の性器なんだから」

 開ける前に大きさはちゃんとチェックするわよ、と和やかに話す3人の言葉が遠い。

(そんな……ピアスくらいならとは言ったけど、こんな…あかりちゃんに、こんなのを付ける…?)

 小さな、けれどあかりを縛ることになるであろう重い楔。
 こんなものをあかりにつけたら、あかりが自分の知るあかりじゃなくなってしまいそうで。

(どうしよう、いいって言っちゃったけど…でも、僕は、こんなの……)

 青い顔をして黙り込んでいる幸尚に気づいた奏が「…尚、大丈夫か?」と声をかける。

「気分が悪くなった?少し横になりなさいな、こういうのが苦手な子には刺激が強すぎるわよねぇ」
「……いやだ…」
「幸尚?」

 顔を上げた幸尚の目から、大粒の涙が溢れる。

「…僕、やっぱり嫌だ……こんなの、あかりちゃんに着けさせたくない…!」
「尚くん」
「ぐすっ……だめだよあかりちゃん、これは…ピアスなんかつけたら、あかりちゃんが普通に戻れなくなっちゃう…!」
「……っ!」

 あかりの表情が僅かに固くなる。
 けれどそれに気づいたのは、奏だけだった。

(いけない、その言葉はあかりに使っちゃダメだ)

 幸尚を止めなければ。
 そう思って口をついた言葉は、自分でも驚くほど怒りがこもっていた。

「…尚、普通ってなんだよ」
「奏……?」
「尚があかりにピアスをつけたくないってのは分かった。けどさ、その言い方は無いんじゃね?」
「奏ちゃん、それは」
「あかりは黙ってろ。尚、なんでピアスをつけたら普通じゃなくなるんだ?ピアスをつけようがどれだけ調教しようが、あかりはあかりだ、何も変わらねえ!」
「変わるじゃないか!!こんな、こんなのをつけてしまったら…あかりちゃんがこれから先、好きな人ができたって奏から離れられない…見せられないだろう、乳首やクリトリスにこんなのをつけてる姿なんて!僕は…あかりちゃんの未来の可能性を潰したく無い…っ!!」
「……取り消せ、尚。それはお前が言っていいことじゃねえ、あかりが決めることだ!」
「嫌だ!!実際そうじゃ無いか、あかりちゃんから普通の恋愛を取り上げてしまうよ、こんなの……無理だよ、僕には…そんなの、耐えられない!」
「っ、尚ー」
「はいはいそこまで」
「「いでっ!!」」

 ヒートアップする二人に拳骨が飛んでくる。
 全くもう、と塚野は頭を抱える二人にため息をついてあかりを振り返った。

「…喧嘩するのはいいけどさ、あかりちゃんの前でやり合うことじゃないわね」
「……っ」
「あ、ううん、大丈夫…その、私のことだし……」
「…あかりちゃん、それは……まあいいわ。で?奏、どうするの?」

 馬鹿力め…と恨めしげな眼差しで塚野を睨みつつ「…今日は解散する」と奏は答える。

「あら、素直に引くのね。もっと強引に話を進めるかと思ったのに」
「…できねえよ。だって俺ら決めたんだ、3人の合意がないことはしねえって。俺はあかりにピアスをつけたい、あかりもそれを望んでるのは知ってる。けど、尚の意思を無視してやることじゃねえから。……だから、ちゃんと頭冷やして話し合ってくる」
「それがいいわね。性癖を満たせる相手ができて舞い上がってるかと思ったけど、見直したわ。あんたもちょっとは大人になったじゃない」

 泣きじゃくる幸尚にタオルを渡し「幸尚君はしばらく動けなさそうねえ」と塚野は奏とあかりに今日は帰るよう促した。

「幸尚君、落ち着くまでここにいなさい。その顔じゃ外に出られないでしょ?お茶入れるから待ってなさい」
「ひぐっ、ぐすっ…すみません……」
「ありがと、オーナー。…尚、また連絡する」
「…うん……」

 重い足取りで店を後にする。
 いつもなら饒舌な奏も、流石に無言のままだ。

(尚にキレてしまった)

 ずっとつるんでいるから、喧嘩をすることだってそれなりにあった。
 でも、ここまでキレたのは初めてかもしれない。

(でも、許せなかったんだ)

 遠くて蝉の声が聞こえる。
 ああ、こんなに腹を立てたのはいつぶりだろうか。

 無言で歩く奏が心配になったのだろうあかりが、おずおずと声をかける。

「…奏ちゃん、大丈夫……?」
「ん?ああ、俺は大丈夫…でも、ちょっと頭冷やしたい」
「うん。私も……尚くんに悪いことしちゃったね…私や奏ちゃんにとっては当たり前でも、尚くんは違うんだよね…」
「あかり……」
「ううん、忘れて!また連絡する!」

(勝手にあかりの『普通』を決めちゃダメなんだ、俺たちだけでもそれはやっちゃいけない)

(けど……尚に…ずっと『普通』の側にいた、今だってそちら側にいる尚に、どうやって伝えればいい…?)

 無理やり笑顔を作り家に帰っていくあかりの後ろ姿を、奏は複雑な思いでしばらく立ちつくし眺めていた。


 ………


「…気が入ってないわね、自分でもわかるでしょ?」
「はい……」

 夕食後、道場に向かう。
 あかりの母は居合道場の師範をしていて、あかりたち3人も5歳の頃から稽古をつけてもらっていた。
 中学に上がると部活で忙しい奏や幸尚が来る機会は減ったが、あかりは今も用事がない限り毎日の稽古は欠かさない。

 今日は大人向けのクラスだから、道場もいつもより落ち着いた雰囲気だ。

「何があったのか知らないけど、浮ついた心で刀を振れば怪我するわよ。…今日はここまで、ちょっと頭冷やしてきなさい」
「っ、はい。ありがとうございました!」

 ああ、剣筋まで乱れるほど動揺しているだなんていつぶりだろうとあかりはため息をつく。
「姉ちゃんも落ち込むんだね」と弟にまで気を遣われる始末だ。

「普通、かあ……」

 自室のベッドに転がり、昼間の出来事を反芻する。

 幸尚の涙を見た時、ざっと身体が冷える気がした。
 あかりや奏が時々暴発してとんでもないことをやらかす時、ストッパーになるのはいつも幸尚だ。
 即断即決とりあえず動こうが信条の二人にとって、慎重派の幸尚の存在はある意味命綱であり、時には越えなければならない壁でもある。

 何年も性癖を拗らせ募らせてきたあかりたちと違って、幸尚はつい2ヶ月前にこの世界を知ったばかりだ。
 気が優しくてあかりと奏が傷つくことを自分のことのように悲しむ彼にとって、この世界は受け入れがたいものであることは分かっていたはずなのに。

「尚くんを置いてけぼりにして突っ走りすぎちゃったなぁ…」

『理解はできない気がする、でも僕は二人が嬉しいと思うならそれを止めたくないから、せめて知る努力はする』との宣言通り、幸尚はあれからこの世界のことを調べては自分に何ができるのか考えているようだった。

 そう、もっとゆっくりと、焦らずライトなところから進めていかなければならなかったのだ。
 いや、そもそもあかりと奏の基準はすでに『普通』からかけ離れているのだと思い知る。
 性器にピアスを開けるのは、普通の人からすればありえないことだとすら気づけないほどに、自分たちは歪み…舞い上がっていた。

 幸尚の言葉が、重くのしかかる。

『ピアスなんかつけたら、あかりちゃんが普通に戻れなくなっちゃう』

「…やっぱり、普通じゃなきゃいけないのかな」

 あかりの父はデイトレーダーだ。
 日がな一日たくさんのモニターの前で数値とグラフを眺めては何か作業をしている。

 昔気質な母方の祖父は、母が父と結婚すると報告した時それはそれは激怒したそうだ。
 そんな胡散臭い職業のやつに娘を嫁がせる気はない、普通の仕事をしている人にしろ、と。

 その反対を押し切り駆け落ち同然で結婚した母は、収入の安定しない父に何かと苦労したらしい。
 今も母方の親族とは疎遠なまま、見知らぬ土地で町道場を開き生計の足しにしつつ2人の子供を育てるのはやはり大変だったのだろう。

 だからなのか、母は「普通が一番よ」が口癖だった。

「普通から外れて生きるのは大変なのよ。どんな道を選ぶかはあかりの自由だけど、世間的に普通と言われる範囲にはしておいた方がいいわ」と、一見寛容なようでしっかり線引きされた価値観で育てられたあかりは、母の願いに沿うような子供だった。

 天才肌で時々突拍子もないこともやらかすけど、いわゆる普通の子の枠からは決してはみ出ない。母にとっては思い描いた通りの自慢の娘。
 あかりもそれが当たり前だと、そうすれば母が喜んでくれるからと期待に応えて生きてきた。

 なのに。
 あの日心の底に植え付けられた被虐の種は、どう考えても『普通』じゃなくて。
 けれどもその想いはとても押し殺せず、むしろ募るばかりだった。

 決して知られてはいけない。
 大切に育ててきた娘がこんな性癖を持っているだなんて知られたら…母を悲しませてしまう。

「…やっぱり、言わなきゃ良かったのかな」

 奏に問われた日のことを思い出す。
 奏のカミングアウトにつられて秘密を話してしまって、けれど二人はそれを受け入れてくれた。
 少なくともその時は、ありのままのあかりを認めてくれたのだと思っている。

 けれど、あかりの欲望は幸尚にとってはあまりにも深くて……優しい彼を傷つけてしまった。

 それでも、あかりの性癖そのものを否定されたわけじゃない。
 3人の関係が壊れたわけじゃない、はずだ。

 なら、これ以上を望むのは贅沢が過ぎる。

「…うん、ピアスは、諦めよう……尚くんを泣かせたくないしね…」

 ちくりと胸が痛む。
 やっと表に出せた本当の欲望をまた押し込めなければいけない悲しさだろうか。

「…全部否定されたんじゃない。私は奏ちゃんと、尚くんと一緒にいたいから…大丈夫、大丈夫……」

 何度も心に言い聞かせる。
 大丈夫、尚くんが許せるようなプレイで満足しなきゃ。
 だって私は二人の奴隷になったんだから、我慢しなきゃ…

 その頬に伝う涙の意味は、気にしないことにした。


 ………


『暫く会いたくないんだ、一人で考えさせて』
『奏の事は嫌いになってないから、大好きだから。でも今は一人にして欲しい』

 あれから数日。
 あかりは塾の夏期講習に、奏は部活に精を出していた。

 幸尚に『ごめん、言いすぎた』とメッセージで謝れば『僕もごめん』と返ってきたものの、未だ会う事は叶わない。
 恋人としての関係が壊れていないことには安堵するものの、奏はなんともモヤモヤした日々を送っていた。

「幸尚君、ここ数日ご飯食べにこないけど大丈夫なの?」
「あー、うん、ちょっとな。ま、大丈夫だと思うけど」
「なにそれ、奏ケンカしてんの?」
「…ケンカ、ってわけじゃねーけど…一人にしてくれって」
「ふーん、またあんたとあかりちゃんが振り回したのね」
「ぐっ、なんで分かるんだよ、姉貴…」

 図星を突かれて奏が机に突っ伏す。
 そりゃ伊達にあんたの姉ちゃんしてないわよ!と姉は奏の背中をバンバン叩いてきた。

「ほっといてくれよ…これでも俺落ち込んでるんだからさぁ……」
「はいはい。ま、いつもの調子なら1週間もすれば仲直りするでしょ!あんたたちなんだし」
「なんだよその謎の信頼感」

 姉の言う通りなだけに、反論もできない。
 3人の喧嘩は、大抵奏とあかりが散々幸尚を振り回した挙句幸尚が我慢の限界に達するパターンで、最後は幸尚が泣いて暫く口を聞かなくなるか、どこかの親が…大抵はあかりの母が雷を落とし、道場で3人仲良く正座させられるかだ。

(まあ、何日かしたら尚のことだ、連絡くれるだろ)

 そうは思うものの、どうも心配になるのは恋人になったせいなのか、それともあかりのことがあるからなのか。

(……ちゃんと説明するべきだった)

 きっと幸尚は、奏がノリでピアスをつけさせようと提案したと思っている。
 いや、多少はその場のノリもあったが、それだけじゃない。あかりに、いやあかりだからこそピアスが必要なのだと考えたのだ。

 説明すれば幸尚は分かってくれたかもしれない。
 体を傷つける行為は好まないとは言え、それであかりの心が救えるならと、譲歩してくれたかもしれないのに。
 ここまで拗れては、説得するにしても時間がかかりそうだなと奏は嘆息する。

(必要なんだ。あかりが『普通』の呪縛から解き放たれるためには)

 ずっと一緒だから、互いのことはよく分かっている。同じ目線な分、親よりも分かっているかもしれない。

 奏は、あかりがずっと『普通』を演じていることに気づいていた。
 いつからそうなったのかはわからない、けれども少なくとも中学に上がるよりずっと前からだと思う。

 あかりは破天荒だ。
 自分には思いつかないようなことをポンポンと出してきては、やってみようと有無をいわせず二人を巻き込んでくる。
 そう、本来奏は振り回される側なのだ。

 それがいつからだろう。
 あかりはその破天荒さを押し込めるようになっていた。
 本人は無意識に我慢しているのだろう、全くそんなそぶりは見せないが、奏も幸尚もふとした時に見せるあかりのどこか思い詰めたような顔に気づいていた。

 細かいことはわからない。
 ただ、あかりが辛そうだな、元気にしたいなとは思っていた。

 だから、奏はあかりを焚き付ける側に回った。
 幸尚は泣かされながらも、あかりのわがままには全力で付き合った。
 子供たちにできることはそれくらいだったのだ。
 そしてそれは根本的な解決にはならない。

 けれど、あの頃とは違う。
 奏はあかりのあの表情の意味を知っている。
 母だけでない、周りの期待に添い、周りが思う、こうであって欲しいと勝手に決めつける『普通』のあかりを演じ続けている苦しさなのだと。

 だから奏は、せめて3人でいる時だけでも本来のあかりでいて欲しいと願っている。
 そしてそのきっかけに、この歪んだ性癖すら役に立つと確信している。

(ピアスは、その一歩なんだ。あかりが本当のあかりでいられる、どれだけ周りに合わせて普通を演じていても本当の…淫乱で変態なあかりを忘れないための、枷でありお守りになる)

 普通じゃなくていい。
 奏と、幸尚の前だけでいいから、あかりが楽になれればいい。

 もちろん、主人としての欲望だってある。
 ピアスをつければ所有欲を満たせるし、敏感な場所を穿てば感度だって上がる。今以上に淫乱で可愛い奴隷になるはずだ。

(……全部を満たせるんだ、この関係は)

 ただひとつ、幸尚のことを除けば。

「…尚だってあかりを大切にしたい気持ちは一緒だから……分かってくれると思うけどな…」

 でも、今のままじゃだめだ。
 きっと幸尚を説得することはできるだろう。けれどもこのまま事を進めれば、優しい幸尚はあかりのピアスを見るたびに複雑な思いを抱いてしまう。

 …あかりを解放したいのに、幸尚に無理をさせるのは本意じゃない。
 大切な恋人の悲しい顔なんて、見たくない。

「はぁ……先は長え…」

 窓の外を眺める。
 今日は月が綺麗に見えて、外は月明かりのおかげかほんのりと明るさを感じさせる。

 遠くに虫の音が聞こえる、静かな夏の夜。
 あの月を幸尚も眺めているのだろうか。

(会いたい)

 幸尚に会いたい。会って抱きしめて、そうして……

(ああ、ほんと尚の事言えねぇ。俺、尚にもうベタ惚れじゃんか)

 幸尚の事を思うだけで反応した身体に「正直過ぎるだろ俺」と苦笑しながら、奏はベッドに潜り込むのだった。


 ………


『今からうちに来れる?』
『行く』
『大丈夫!晩ご飯持って行くね!』

 それから1週間後の夕方。
 さあご飯にしようかと言っているところに待ちに待った幸尚からのメッセージが入る。

「お袋、尚んち行ってくる」
「はいはい、やっと仲直りね。ほらおかず持っていきなさい!あ、おにぎりも作るから」
「いーよ、ご飯タッパーに詰めりゃ」

「お母さん、尚くんち行ってくるから晩ご飯持っていっていい?」
「今から行くの?幸尚君うちでご飯食べればいいのに……きっと奏君もおかず持参で来るんでしょ?張り切って持っていきすぎないのよ」
「はーい」

 連絡をもらって10分後には、奏とあかりは幸尚の家にやって来ていた。
 台所からいい匂いが漂って来ていて、あ、尚もご飯作っていたなと確信する。

「…久しぶり」
「おう」
「……あの、その…」
「話は後。とりあえず飯食おうぜ。あかりもおかず持参だし」
「う、うん」

「これ美味いな」といつもと変わらぬ様子で食べる奏とあかりとは対照的に、幸尚は無言でどこか思い詰めた様子だ。
 気にはなるが、まずは腹ごしらえだと思い直す。

「それで」

 3人で後片付けをして、いつものように幸尚の部屋に行く。
 別に家族はいないのだからリビングで話したっていいのだが、もはや癖になっているのだ。

「…とりあえず、尚の話を聞く。それから考える、あかりもそれでいいか?」
「わかった」
「うん……ありがとう」

 何か躊躇う様子を見せたもののすぐに覚悟を決めた顔になった幸尚が「これ、見て欲しいんだ」と徐にシャツを捲り上げる。

「何を見るんだ……って……え……!?」
「なお、くん……それ…」

 奏とあかりが同時に固まる。
 あまりにも信じられない光景に、頭がついていかない。

 シャツの下、均整の取れた体躯の中心。
 その縦長の臍に、小さな、銀色に光る金具がある。

「……これ、尚っ…!?」
「どうして…?」

 やっとのことで絞り出すように出された二人の問いかけに、幸尚はグッと唇を結んで答えた。

「…自分で、確かめたかった。だから、ピアス開けてもらったんだ」


 ………


 3人が喧嘩別れしたあの日から1週間後、幸尚は一人で『Jail Jewels 』を訪れていた。
 そこにはあの時と同じく客は一人もいない。

「ありがとうございます、塚野さん」
「いいわよ、真面目な子は嫌いじゃないの。……で、どこにする?」
「…お臍に。ここなら誰にもバレないかなって……」
「体育の授業の時に捲れないようにだけ気をつけりゃ大丈夫よ。ファーストピアスはこちらで用意するわ、とりあえず見せて」
「はい」

 ごくりと唾を飲み込み、処置台…にしては随分厳しい雰囲気の台に腰掛ける。

「…うん、厚みも十分ある。臍の上側に縦に開けるナベルってやつにするからね。ピアスはバナナバーベル…こんな感じ」
「分かりました、お願いします」
「じゃ、前回話した通り…『あかりちゃんに開ける時のやり方で』やるわよ」
「っ、はい」



 事は数日前に遡る。
 あの時借りたタオルを返しに店にやって来た幸尚は、塚野に「ピアスを開けたいんです」と開口一番告げた。

 まさか幸尚の口からそんな言葉が出るとは思っていなかったのだろう、塚野は面食らいながらも、奥の部屋で事実を尋ねる。

「あれから…色々考えたんです。あかりちゃんが望むなら叶えたい気持ちと、でもあかりちゃんがどこか遠くに行ってしまいそうな怖さと…それがぐちゃぐちゃになって…」
「うん」
「…ただ、僕が…あかりちゃんが普通じゃなくなるのが怖いって理由だけであかりちゃんを止めるのはダメだって思って。なら、自分で開けてみたら…なんでこんなに怖いのか、本当に普通じゃなくなるのかが分かるかなって思ったんです」


 あの日、奏に怒鳴られた言葉が、今でも耳に残っている。


『尚、普通ってなんだよ』


 普通は普通だ、そうとしかあの時は言えなかった。
 けれど何日も考えて、だんだん分からなくなって来たのだ。

 僕の普通は、本当に絶対的な『普通』なのだろうか?

 ピアスを開けるだけで、本当に普通じゃなくなるのか?

 想像で判断しただけで、実際にやってみなきゃ、普通でなくなるかなんて分からないんじゃないのか……?

 ぽつぽつと話す幸尚に「…君はとても真面目だね」と塚野は微笑む。

「分からないなりに一生懸命考えて、それでも分からなければ試してみようと勇気を出せる。……本当にあかりちゃんが大切なんだね」
「…はい。あかりちゃんは僕の大切な幼馴染で…恋人ではないけど、なんだろう、大好きなんです」
「ほんと、奏もだけど君たちは3人で一つなんだねえ」

 いいよ、そういう事なら引き受けよう。ただし覚悟はしておいてと言われて、今日幸尚はここにいる。

「まずは開けてみて…しっかり体感しなさい。じゃあ、全裸になって」
「え」
「…あかりちゃんにやるように、でしょ?事前に奏から希望は聞いているの。でもあらかじめ説明したら面白くないじゃない」
「ひぇ…」
「ほら、さっさと脱ぐ!」
「はっ、はひっ!!…あの、まさかとは思うんですが」
「当然よ、全部見ていてあげるわ」
「うぅ……」


 30分後、そこには「僕…もうお婿に行けない…」とさめざめ泣く幸尚がいた。

「いいじゃないの、あんたにはもう奏がいるんだし。ほら、鏡で見てみなさい」
「…もう全部忘れてください…」
「ごめん無理。流石にへそピレベルで恐怖で漏らすのは想定外だし」
「うう…」

 チラリと眺めた鏡には、まっすぐへそを貫く銀色のピアスが光っている。
 それは思ったような恐怖もなく…いや、ピアッシングは2度とごめんだが…自分の身体とは思えない、とても不思議な感じだった。

 思わず「…変わらないや」と呟いた幸尚に「当たり前よ」と塚野は頷く。

「たかが金属をつけただけ。もちろんあかりちゃんにとっては意味のある金属だけど、そんなもので人間簡単に変わりはしないわよ」
「そう、ですね……そっか、怖がるほどじゃない…」
「ただ、別の意味であかりちゃんは変わるだろうけどね」
「えっ」

 心配そうに見上げる幸尚に塚野は、あかりにとってのピアスの意味を…奏から聞いた理由を話す。
「あいつも恋人なんだからもうちょっと横着せずに話せっての…自分の恋人がSMど初心者だって自覚がなさすぎよ」とため息をつきながら。

「あかりちゃんが縛られている『普通』を壊す…」
「そ。日常は無理でも、せめて二人の奴隷としている時だけでも彼女を自由にしたいってね」
「…そっか、あかりちゃんが時々苦しそうだったのは…そのせいだったんだ…」
「もちろん奏が欲望を満たすためでもあるし、二人の所有物である意識をあかりちゃんに持たせる意味もあるけどね。奏の中で一番大きな理由はそれよ」

 そもそも論だけど、こういうのは早いうちに知っておいた方がいいから教えてあげると服を着る事を促すと、どうやら自分が全裸だった事を忘れていたのだろう幸尚は「あわわわわ」と真っ赤になって急いでパンツを手に取った。

「知らない人からすれば当然の勘違いなんだけどさ、SMってのは変態性癖の発露ではあるけど…究極のコミニュケーションなのよ。だって考えてみなさい?セックスで裸を晒すどころじゃない、自分の奥底にある誰にも知られたくない欲望を相手に見せるんだから」
「…コミニュケーション」
「ピアスにしたってそうだけど、一般的なコミニュケーション…おしゃべりや遊びに行くことなんかに比べて、心身に負担のかかる行為が多いでしょ?むしろそういうものが大半。そんな行為に身を預ける、預けてもらうってね、よほどの信頼関係がなければできないと思うの」
「…あかりちゃんは、僕たちを信頼しているから、自分の性癖を明かしてくれた」
「そうね。あんたたちが奴隷として飼ってくれるかはともかく、少なくとも世間一般の『普通』から外れた自分でも受け入れてもらえると確信していたのよ」

 ああ、そうだ。
 あかりちゃんは『普通』じゃない側面を…本当のあかりちゃんにとっての『普通』を曝け出してくれた。

 なのにあの時、自分はそれを否定してしまったのだ。

 あかりがピアスを開けて、自分の中の『普通のあかりちゃん』が崩れるのが怖かった。
 ……だから反対した、あかりのためだと言いながら自分のために。

 あの時とった自分の行動に、そして奏に投げかけられた言葉にやっと納得がいく。
 それは幸尚を愕然とさせるものだったけれども、これからあかりと共に過ごすなら知らなければならなかったこと。

 何が普通かは、あかりが決める。自分じゃない。

「僕…あかりちゃんに謝らなきゃ。あかりちゃんが信じてくれていたのに…裏切っちゃった…」
「大丈夫よ。あんたらはまだ若い。いや、若くなくたって気づいたらそこからまた始めりゃいいの」

 いっぱい3人で悩んで、ぶつかって、超えていきなさいな。
 どうしようもなくなった時のために私達のような大人はいるんだから、精一杯無茶やればいいのよ。

 そうにっこりする塚野に幸尚は深々と頭を下げて「ありがとうございます」と感謝を告げた。


 ………


「という事で…こうなったんだ」
「尚らしいというか何というか…しかも俺のリクエスト通りって事は…」
「うん、奏は鬼畜だと思った」
「ひっ、あ、あの、いったい何を…?」
「ごめん、それは言っちゃダメって塚野さんに止められてる」
「あわわわ……」

 しみじみと幸尚のへそを眺める二人に「本当に、ごめん」と幸尚は頭を下げた。

「あかりちゃんが僕らを信じて曝け出してくれたのに、僕は…勝手な僕の願望であかりちゃんを傷つけてしまった」
「尚くん」
「あかりちゃんの普通は、あかりちゃんが決める事だから…もう、大丈夫。僕はあかりちゃんがどんなぶっ飛んだ性癖を出して来ても、それを普通じゃないなんて言わないから」

 もちろん不安はある。
 ピアスだって危険がない訳じゃない。幸尚が開けたへそならまだしも、あかりが開けようとしている場所はデリケートなのだ。

 あの後、塚野から詳しく話を聞いた。
 乳首やクリトリスのピアスは、最悪そこがピアスで裂けたり血流が悪くなって壊死する可能性がある事。クリトリスは場所柄雑菌が入りやすいが粘膜なので傷の治りも安定も比較的早い一方、乳首のピアスは安定までに半年はかかる事。
 とくに乳首のピアスは外した後、授乳時にその穴からおっぱいが溢れる可能性がある事…

「やっぱり自然ではない事をするからね。ああ、この場合自然ってのはそのまま、身体にメスを入れないってことね。どうしたってリスクはある。だけどそれを上回るだけのものがあるから人はこんなところにピアスを開けるし、今回私も承諾したんだよ」

 話を聞いた上でもやはり不安はあるけれど、今回は自分が口出しすることではない、それが幸尚の結論だった。

 これから先、本当に危ないと思えば二人を止めるだろう。それは性癖に流されない自分だからできる事。
 そしてその時は、二人は自分の話を聞いてくれる。今回だって明らかに自分が暴走したのに、二人は決してその意見を蔑ろにせず、一旦思いとどまって考える時間をくれたんだから。

 だから、幸尚はあかりの目を見て

「…あかりちゃん、ピアス、開けよう」

 そうはっきりと告げた。

「尚くん」
「…大丈夫。僕は後悔しない。…その、頑張ってね」
「ありがとう尚くん…でもその、最後の頑張ってがすごく気になるんだけど……あの、尚くん?何で目を逸らすの!?ねえ、一体尚くん何されてきたの!!?」
「諦めろあかり。ま、楽しみにしておけ、悪いようにはしないから」
「奏ちゃんのそれは全然当てにならないから!!私、どうなっちゃうのぉ…」

(うん、やっぱり俺らは3人がいい)

 久しぶりの賑やかさに奏の頬が緩む。

 そして、それは幸尚も同じようで。

「…それで、奏」
「ん?」
「先に洗浄してくる?それともあかりちゃんが先にお風呂入って、奏が洗浄してる間に拘束しておこうか」
「うおぉぉおい!?おま、仲直りした途端にそれかよ!!って元気すぎだろ幸尚の息子さん、もう臨戦体制入ってるし!!」
「…あは……久しぶりの、拘束ぅ……」
「はいはいあかりちゃんが先にお風呂だね。今日は久しぶりだからいっぱい焦らしてあげる」
「あひぃ…ありがとうございますぅ……」
「ちょ、俺の意思は無視かよおぉぉ!」

 今日も3人は、仲良しである。


 ………


「奏も実は色々あったんだね」
「俺?」
「うん、塚野さんから聞いた。僕全然気づかなかったよ、奏がそんなに悩んでいたなんて」
「げ、オーナー喋りやがって…まあ尚だし、いいけどさ……」

 いくら知り合いの子供とはいえ、何でピアッシングを引き受けたんですか?とあの日幸尚が尋ねると「これはあかりちゃんだけじゃない、奏のためでもあるから」と塚野は思いがけないことを幸尚に話したのだ。
「話したことを知ったら奏に怒られそうだけど、幸尚君は恋人だからいいでしょ」と前置きしつつ。

「奏のため?」
「…奏は、恋愛を諦めていたからね」

 塚野は何年か前からこっそりSMバーに通ってくる奏を知っていた。
 正確には奏がまだ赤子の頃に会っていたが、彼が先輩の息子だと気づいたのはしばらく経ってからだったという。

 バーのオーナーの甥っ子である彼は、この歳にして嗜虐嗜好に目覚め、法事でたまたま叔父の職業を知って以来時々相談にやってくるようになったのだ。

 少しクセのある茶色がかった髪に、日本人離れしたくっきりした二重。
 大人に対しても物おじせず、よく笑い素直な少年は学校でもたいそうモテるようで、バレンタインともなれば持ち帰り用のカバンを用意しなければならないほどだ。
 その容姿と性格に、スポーツ万能、成績もそこそこ良いとくれば、そりゃ女子は放っておかないだろう。

 けれども、どんなにモテても、告白されても、奏はその全てを断りかわし続けていた。

「だってさ。俺、恋人になっちゃったら絶対女の子を束縛して管理しちゃうし、泣かせて喜んじゃうもん。それってただのヤバい奴じゃん?」
「まあそうだな、合意もなしにやれば犯罪だし、合意があってもヤバい奴かもしれん。しかし奏、付き合う前からそんなに心配せずに、まずは試してみたらどうだね」
「やだよ。俺、ここに来る人たちみたいにちゃんと自覚してる変態ならともかく、ふつーの子を巻き込みたくねえ」
「自覚している変態とはまた随分な言いざまだな」
「事実じゃん。だからさ、俺大人になって堂々とこういうところに行けるようになるまで、恋人はいらない」

 そんな事を堂々と宣言していたから、幸尚が恋人だと紹介された時は目を疑ったし、なんなら恋人でもない幼馴染を奴隷として飼うだなんて槍でも降るかと思ったよと塚野は初めての日のことを思い返すのだ。

「幼くして性癖に目覚めたせいで青春真っ只中で恋愛を諦めるだなんて、あまりに不憫でね。私だってこっちに目覚めたのは大学に入ってからだったから…だからまあ、応援したくなったんだよ」
「そうだったんだ…」
「大したもんだよあんたも。男同士だろ?よく受け入れたね。そもそもどっちが挿れるか揉めなかったの?」
「え、ええと…僕から告白して、押し通しました……」
「ああなるほど、あんたから迫ったのか。で、奏がネコなのね。だから性癖が暴走しなかったんだな」
「…奏にとって僕はずっと守らなきゃいけない存在で、とてもそんな気にはならなかったって言ってました」
「ふうん、長年の付き合いは偉大だったと。何にしてもあいつが性癖に縛られない恋愛をしてるって聞けて良かったよ。…仲良くするんだよ」
「はい」

 3人がこの関係になった最初の頃は、奏の性癖を満たしてあげられないことに負い目を感じていた。
 でも今は違う。自分は恋人として、奏と関係を持てばそれでいい。性癖はあかりが奏と互いに満たしあってくれる。
 3人で一つの形で丸く収まるなら、僕たちは何の問題もない。

「奏、愛してる…僕、このままずっと一緒にいたい…」
「おう、尚が離れたくなっても離れねーぞ?」
「大丈夫、僕の方が愛は重いから」
「違いねぇ!」

 今日も外は月明かりが美しい。
「クーラー着けてても流石にあっちいな」と言いながらも二人抱き合って眠る幸せに浸りながら、二人は夢の中へと誘われていった。
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