学院の魔女の日常的非日常

只野誠

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金と欲望と私

金と欲望と私 その7

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 ミア、スティフィ、そして、途中からなぜか合流したエリックはロロカカ神への貢物のために裏山に狩りに来ていた。
 もちろんミアの使い魔である荷物持ち君一号も同行している。
 既に二匹の獲物を仕留めて、ロロカカ神に二度捧げた後だ。
 ロロカカ神は捧げられたものを拒否することなく受け取っている。そのことからミアも既に落ち着きを取り戻しつつある。
 ただ仕留めた獲物がまだ子供の小鹿とウリボウから抜け切れていないような猪なので、ミア的には不満だ。
 今は次の獲物を探してあたりをうろついている。
 当てがないないわけではない。近くに獲物がいれば、ミアの泥人形、荷物持ち君一号がその居場所を教えてくれる。
 それと騎士隊訓練生のエリックから借りた弩はかなり性能の良い物らしく、それを扱うスティフィも今のところ狙いを外していない。
 まだ大物には出会えていないものの狩りの効率はかなり良い。
「いやー、良かった良かった。偶然俺と出会わなければ、弩なんてそうそう手に入らなかっただろ? ん? その弩さ、うちの新作なんだそうだよ、どうよ、スティフィちゃん?」
 エリックがご機嫌でにこやかだ。どうも徹夜明けとのことらしいがその疲れはまるで見えない。
「いや、まあ、片手でも扱いやすくていいものだと思うけど…… なんでこんなものを?」
 そう言って、スティフィは貸し与えられた弩。正確には矢の装填を自動でしてくれる連弩を見た。
 それなりに重くはあるが、スティフィならなんなく片手で扱えるし、矢の装填を自動で行ってくれる優れものだ。
 命中精度も良くスティフィが狙いを定めた場所に的確に飛んで行ってくれる。
 難点を上げるとすれば、弩にしては矢の射程がそれほどなく威力もあまり高くはないところか。自動装填との兼ね合いなのかもしれない。
 それと専用の弾倉を使用しており、矢を射出すると次の矢が自動で装填される仕組みになっていてそれ自体は非常に便利だが、その弾倉自体の取り換えには少し手間がかかる。
 少なくとも左手の使えないスティフィには弾倉の交換は無理だった。
 扱いやすさと命中精度を主眼に置かれて開発された物とのことなので、それを考えれば十分な性能にはなる。
 盾を構えながら片手で扱うことを想定された物で、想定通りの性能なことは確かだ。
 少なくとも個人で持つような品ではないことだけは確かだ。
「うち、商家なんだけど、武器の開発とかもしてんのよ。それはその試作品の一つだよ。騎士隊に卸すことでも考えてんのか、わざわざ試作品を何点か送りつけてきたんだよ。それもその中の一つだよ」
 エリックはそう言ってスティフィに向けて髪をかきあげ得意そうな表情を見せる。
 スティフィはそのしぐさを無視し、
「商家?」
 とだけ聞き返す。
「ラムネイル商会ってところ。地元じゃそこそこ有名だったんだけどさ、知ってる?」
 少し得意げになってそう言ってくるエリックにスティフィは癪だがその名に心当たりがあった。
「知ってる…… あんたも北の出だったのね……」
 スティフィの知識では、デミアス教の息がかかった商会ではない。それほど大きくない商会だが、堅実な品を扱っている商会として記憶されている。
 商品開発も独自に行っており、この弩もその一つなのだろう。武器だけでなく様々な商品も扱っていて長距離を旅する大行商隊を有し、直接商品を売って回るという少し変わった商会だ。
 その商家、しかも商会長の息子となるとそれなりのお坊ちゃんとなるはずだ。下手な貧乏貴族よりは金回りはいいかもしれない。
 自分に好意を持ち、それなりの商会のお坊ちゃんという事であれば、邪険にすることもない。利用できるだけ利用してやればいい。と、スティフィはエリックの評価を改める。
「え? マジ? あんたもってことは、スティフィちゃんも北から来たんだ? ん? これはさ、もう運命って奴じゃない?」
 エリックにそう言われ、今までなら無視するところだが、スティフィは返事をちゃんと返す。
「というか、相当遠いわよね? なんでこっちの魔術学院に?」
 スティフィ自身はダーウィック教授が目当てでこの地に来ている。
 何かしら特別な理由がなければ態々こんな遠くまではこないはずだ。
 中央と呼ばれる王都からでも直接的な距離もだが、ここと中央の間には巨大な山脈があり人の侵入を阻んでいる。
 こちら側までくるにはかなり西側を迂回してこなければならないため、北側どころか中央からでもこの地方は僻地扱いだ。
 何か理由がなければ態々こんなところまでは来ることはない。
 ただ長距離を旅する行商隊が身内にいるのであれば、そこまで難しい話ではないのかもしれないが。
「俺さぁ、竜に憧れてんだよね」
 エリックは遠い目をして空を見上げながらそう言った。
「あー、ハベル教官目当てだったのね。私と似たようなものね」
 ハベル・ハーネル。この魔術学院に騎士隊から出向してきている教官の一人で英雄と言って良い人物だ。
 竜に認められなければ使用することができない、竜の魔術である竜魔術を扱える数少ない人物の一人だ。
 元々は騎士隊の隊長の一人であったが、脚の怪我から第一線を引退し後輩の指導のためこの地で教官をしている。
 本来ならこのような僻地の魔術学院ではなく中央の魔術学院で教官をするような人物なのだが、この魔術学院も色々と曰くがあり彼が元部下と共に赴任してきている。
 実際のところは、教官としてではなくお目付け役としての意味合いのほうが強いのかもしれない。
「そそ、あの人も実は北側の出身の人でさぁ、少し地域は違うんだけど、俺の地元でも大英雄なんだよ。まあ、憧れってヤツ?」
 その気持ちはわからなくないスティフィは更に良い方にエリックの評価を改める。
「竜に認められる人なんてそうそういないしね。まあ、そんな話は良いんだけど、なんで狩りにまでついてきてんの?」
 正直なところ利用価値がありそうなのもありスティフィもそこまで邪険にしたくはないが、エリックの声は無駄に大きい。
 エリックがしゃべり出せば野生動物などすぐに気づいて逃げ出してしまうにもかかわらず所かまわず話したがる。
 狩りを行う上では邪魔でしかたがない
「そりゃ、スティフィちゃんがいるからだよ。あと一応は弩の性能も見ておきたいし」
 北の地は腕の良い職人が多い。この弩もその職人の手によって造られた物の一つだろう。
 どういう仕組みになってるかわからないが、スティフィからみても弾倉を変えずに十二本の矢を発射できるのはかなり画期的に感じる。また左手を使えばだが連射も可能な仕組みとなっている。
 連射するにはどうしても左手も使わないといけないためスティフィには無理なのだが、ただ普通に狩りをするだけであれば、自動装填もあるため特に不要な機能でもある。
 間違いなく騎士隊でも採用されるような性能の品だが、これほど手の込んだ作りの物を、騎士隊に配備できるほどの量を用意できるともスティフィには思えない。
 もしかしたら英雄ハベル御用達、と言った売り文句でも欲しいだけなのかもしれない。
 何はともあれ、この弩の性能はかなり良い事だけは確かだ。
「はあ、まあ、貸してもらってる手前、私からは何とも言えないけど、ミアがなんて言うかな? ねえ、ミア?」
 と言ってスティフィは話をミアに振る。
 スティフィは利用するためにもう少し親しくしても良いと判断したのだが、やはり生理的にはエリックと合わないようで、どうしても不快感の方が勝ってしまう。
 エリックをあまり快く思ってなさそうなミアなら、なんとなく辛辣な言葉を言ってくれそうな気がして話を振っただけだ。それ以外に他意はない。
「エリックさんはなんで早朝から放浪してたんですか?」
 と、あまりちゃんと寝れていないせいかミアは、何も考えず頭に浮かんだことだけで返事を返した。
 とりあえず弓、もとい弩を求めて購買部を無理やり開けさせようとまだ早朝のうちに外に出た二人が、朝帰りのエリックに偶然出くわしたのだ。
 その後、二人にエリックが絡みだして、事情を聴きちょうど手頃な弩が送られてきていたので、そのままエリックが無理やり同行している、というのが現状だ。
 そのエリックは何をする気かはわからないが、なにやら大量の荷物を背負い山に持ち込んでいる。
「えへへ、いやぁー、マリユ教授に気に入られちゃってさぁ…… 度々呼び出されるようになっちゃって、ね?」
 と、鼻の下を伸ばしてエリックは照れながらそう言った。
 それを聞いたスティフィは利用価値無し、と考えを瞬時に改める。
 男を誑し込む才能であの魔女に勝てる気がスティフィにはないからだ。スティフィも良い体つきで器量もかなり良い方だが、マリユ教授相手では分が悪い。
 その経験の差もかなりある。言うならば相手は男を誑し込む専門家のようなものだ。
 何よりスティフィにはあの魔女と張り合うほどの価値をエリックには見いだせなかった。
「あっ、そーなんだ。じゃあ、もう私に付きまとう必要ないじゃない? マリユ教授と仲良くしてればいいじゃない?」
 スティフィにとってエリックは元々生理的に嫌悪感が強い。思い返せば第一印象からそうだった。
 尚且つ利用しにくいのであれば、あまり相手にしないほうが双方の為だ。
 元より相手に気を持たせるようなことは何一つしてないのだが、エリックにはそれが伝わることはない。
「いや、いやいや、マリユ教授とは需要と供給のある爛れた関係があるだけで、やましいことは何もないんだよ? っていうかさ、スティフィちゃん焼いてくれてるの?」
「いや、まったく?」
 スティフィは否定だけして後はすべて無視した。
 この男が絡むと厄介なことになる気がしてならない。
 が、その会話にミアが反応してしまう。
「爛れた関係って…… なんですか?」
 そのよくわからない言葉に、あまり会話に入りたくなかったミアがつい聞き返してしまう。
 需要と供給のある爛れた関係、というのが今朝までうなされ続けたミアの脳みそにはどうしても理解できない言葉だった。
「ミアはまだ知らなくていいことよ」
 と、スティフィはミアの質問を切って捨てる。
「ただ提供してるだけだよ」
 だが、エリックは少し照れ臭そうに頭を掻きながらそう言った。
「何をです?」
 と、ミアが好奇心で聞き返す。
「ミアは聞かなくていいのよ!」
 それをスティフィが制する。しかし、それでエリックが止まるわけもない。
「童貞の精子は呪術的な意味で重要らしくてさ、結構な量がいるんだとかで、えへへ」
 と、何とも言えない顔をしてエリックは嫌な笑みを浮かべた。
「せっ…… えぇ……」
 ミアがとても残念そうな顔を見せる。
 それからミアはなんとなく閉口して黙り込んだ。
「だから、ミアは聞かなくていいって…… って、童貞?」
 今度はスティフィが気になりそう聞き返す。
「そそ。童貞が重要だそうで。爛れた関係なんだけど、男女の関係ではないんだよ。だからさ、スティフィちゃんが焼くことはないんだよ、な?」
 と、エリックはキメ顔でそう言うが、今度はスティフィが何とも言えない表情をする。
「いや、はじめっから焼いてないというか、そもそも興味がないので」
 そう言いつつも、こいつは利用できるのかできないのか、スティフィも判断に困っていた。
「またまたぁ……」
 と、なぜか頭を掻きながらエリックは照れていた。
 そんな他愛もない話をしていると、泥人形の荷物持ち君がミアを見上げ、何かを訴えてきている。
「ん? 荷物持ち君、次の獲物を見つけてくれたんですか?」
 と、ミアが聴くと、荷物持ち君がゆっくりと頷き、その太い手でその方角を教えてくれる。
「スティフィ、次の獲物を見つけてくれたみたいです!」
「まだ狩るの? 次で三匹目になるでしょう?」
 とスティフィが嫌そうな顔を浮かべる。
 狩り自体はそれほどいやではない。この弩が面白いように狙った場所へと飛んでいくので気分がよいのだ。
 が、精霊にあまり好かれていないスティフィは精霊の多い山の中などの自然が多い場所には長居したくはない。
 それに加えて、ロロカカ神への捧げ物の儀式だ。
 昨日、場合によっては自分が生贄にさせられる立場だったとしては、あの半透明の青白い手に底知れぬ恐怖を感じている。
 元々あの手を見れば誰でもロロカカ神は祟り神の類に違いない、そう判断するような不吉な代物だ。
 スティフィ自身もあの手を何度も見たいものではない。あの手は底冷えするような潜在的な恐怖か狂気を秘めている。
「猪も鹿も、まだ子供でしたので! 次が大物であることを願いましょう」
「すげぇな、その泥人形。獲物の方向がわかるだなんて」
 そう言ってエリックが泥人形を覗き込むと、心なしか荷物持ち君が、表情などないはずなのだが、嫌そうな表情を浮かべた。

 次の獲物はミアの願いが通じたのか、かなりの大物の牡鹿だった。
 茂みの中で寝ていたか、休んでいたところを簡単に仕留めることができた。
 荷物持ち君がいなければ、その茂みの前を通っても気づくことはないほど巧妙に隠れていたのだが、荷物持ち君の索敵能力からは逃れられなかったようだ。
 荷物持ち君の探索能力とスティフィの弩の腕があれば、狩りで生計が立てられるほどだ。
 しかも、大きな獲物も荷物持ち君で苦も無く運べてしまう。
 ミアにとってはこれは素晴らしい環境だった。獲物を多くロロカカ様に捧げられ、捧げた獲物は心臓がない事をのぞけば完璧に血抜きされた良質の獲物だ。
 今仕留めた鹿などかなり立派な角を持つ牡鹿で売ればそれなりの金額にもなるだろうし、その肉にだってありつける。
 若い鹿を肉として消費して、牡鹿と猪を売ってそれを三等分してもそれなりの金額になるはずだ。恐らく一人頭銀貨一枚と銅貨数枚にはなる。
 しかも時間もそれほどかかっていない。今から急いで帰れば午前の講義に余裕で間に合うほどの時間だ。
 ほんの数時間でこれだけの獲物が獲れるのはかなりのものだ。
 時間単価で言うならば、水薬作成など比べ物にならないほど効率がいい。
 ミアは上機嫌でロロカカ神の簡易召喚陣の描かれた防水布を取り出す。
 刺繍でロロカカ神の召喚陣がある程度まで描かれた不完全な陣、それが描かれた大きく丈夫な布、それを蜜蝋で防水加工した物だ。
 それを地面に広げて、荷物持ち君に頼み仕留めた牡鹿をその上に置かせる。
 あふれ出ている牡鹿の血を指につけ、それで召喚陣の足りない部分を書き足し陣を完成させる。
 その後ミアが拝借呪文を唱え、それを陣へと流し込む。
「ロロカカ様、ロロカカ様。今度は大物の牡鹿となります。どうぞお受け取りください」
 ほどなくして、青白い半透明の手がやってきて牡鹿の心臓とその血のみを受け取り去っていった。
 スティフィはそれを身震いしながら見ていた。一度覚えてしまった畏怖はそう拭えるものではない。
 ミアはそれを知ってか知らずか、召喚陣の血で描かれた部分を綺麗にふき取る。
 これで陣は再び意味を失う。最初はなんとなく使っていなかったが、ミアも一度使ってからは便利なもので手放せなくなっている。
 血と心臓を抜かれた牡鹿を荷物持ち君に背負わせ、簡易召喚陣の防水布についた血を拭ってから鞄に仕舞い込んだところで、ミアはよろめきその場に跪いた。
「あ、あれ……」
 ミアの視界が急に回りだす。方向感覚がおかしく思うように体が動かない。
 すぐにスティフィが駆け付けミアの様子を見る。魔力を全部使ったはずなのにミアからはうっすらと魔力を感じることができる。
「魔力酔いね。体調が万全じゃない中、あんな強力な魔力を短時間で三度も身にまとえば魔力酔いも起こすわよ」
「た、確かに…… これは魔力酔いですね…… でも、魔力酔いだなんて久しぶりで気にしてませんでした……」
 そう言いつつもミアは視界がぐわんぐわんと揺れるので瞼を閉じた。
 そうすることでいくぶんか楽になる。
 最近魔力の水薬を作っていなかったので在庫を切らしていたのもあるし、ロロカカ神を召喚する陣は魔力の水薬に蓄えられている魔力量では実は心もとない。
 その一部とはいえ神の招来をしているのだ。実はかなりの魔力が必要となる。
 そのようなことから今日は短時間でロロカカ神の召喚のために三度も魔力を拝借してしまっていた。
 万全の体制ではないミアにはこたえたのかもしれない。
「今日の狩りはこれで終わりね。今の症状なら休めばすぐに回復するだろうし、午前の授業にはギリギリ間に合うからしら?」
 それはスティフィの希望的観測だ。
 今からスティフィだけが急いで戻れば間に合う時間だが、ミアが魔力酔いで動けないでいる以上スティフィもこの場を離れることはできない。
「で、でも……」
 まだ捧げ足りない。
 ミアはそう感じているが、実際もう一度拝借呪文を使い魔力を借りでもしたらミアの症状が悪化する事だけは確かだ。
 そうなっては狩りを行えないどころか明日以降にも響きかねない。
 今はまだ魔力酔いの初期症状で大したことはない。少し休めばすぐに回復できる。そのまま強い魔力に関わらなければ明日には全快しているだろう。
「最後にこんな立派な牡鹿を捧げたんだから、ミアの神様も機嫌治ってるわよ」
 スティフィにそう言われ、ミアもそのように思えてくる。
 確かにさっき捧げた牡鹿はかなりの大物だ。荷物持ち君がいなければ運ぶのも大変なほどだ。
「そうでしょうか?」
 それでもミアには不安だ。今まで捧げ物を断られたことはなかった。
 それに加えて否定的な御言葉を残されていったのだ。
 少し不機嫌になっただけとのことだったが、ミアを不安にさせるには十分なことだった。
 その上、不機嫌にさせた理由も未だにわからないのだから。
「ん? 狩り自体はもう終わりな感じか? じゃあ、肉でも焼くか? これだけあるならどれか一匹くらい肉にしてもいいだろう?」
 そう言ってエリックが待ってましたとばかりに腕まくりをした。
 狩りの終わりと聞いて、スティフィも笑顔になる。
「いや、今なら午前の、ダーウィック大神官様の講義を受けれるかも! ミア! 早く帰りましょう?」
 だが、そのミアは目を閉じ地べたに寝そべっている。とてもじゃないが講義を受けれる状態ではない。
 そして、スティフィはミアの傍らから離れることはできない。
 既に講義に出れないことは決まっているようなものだ。
「ばらすなら若い鹿を…… 猪はこの間たらふく食べたので…… それで立派な牡鹿は売りましょう、三等分でもそれなりの金額になるんじゃないでしょうか」
 ミアは地べたに寝そべりながら、そう提案した。
 それにロロカカ様に捧げた後の獲物はミアにとって縁起物だ。
 気分がすぐれなくとも一口くらいは口にしたい。
「じゃあ、料理しやすい沢のほうまで行くかー。騎士隊の訓練で野営のやり方も何度か改めて学んでるし任せてくれよ、こういうの元々得意なんだよぉ」
 そう言ってエリックはいいところが見せられると張り切りだした。
「ちょ、ちょっと…… ああ、もう……」
 誰も自分の話を聞いてくれないことにスティフィが絶望しつつも、スティフィ自身にはそもそも選択肢がない。

 エリックの手際はかなり良かった。
 荷物持ち君が小鹿を吊るすように持ち、エリックが小鹿の解体作業をしていく。
 小鹿の皮を綺麗に剥いでから肉へと手際よく解体していく。どう見ても手馴れている者の手つきだ。
 その間ミアは木陰で休み、休息を取っている。魔力酔いに特効薬はなく安静にしているのが一番だ。
 スティフィもミアの近くに腰を下ろした。
 この辺りは自然も多く水辺の近くだからだろうか、スティフィは若干ではあるが落ち着かない。
 はぐれ精霊の類がいるのかもしれないからだ。
 ただ苗木とはいえ古老樹がいるのでちょっかいなどは出してこないだろうが、精霊に嫌われがちなスティフィからするとどうしても落ちつかないのだ。
 ただ、それを表に出すことはない。
「ミア、大丈夫? 魔力酔いは辛いわよね。そんな状態でお肉だなんて食べれるの?」
 少なくとも食欲があるようには見えない。
 こんな状態で肉など口にしても吐くだけだろう。
「じきに良くなります。朝ごはんもまだですし。それにロロカカ様に捧げた物は縁起物です。食べなければ…… 魔力酔いになんかなったのは収穫祭の時以来ですが、あの時も無理やり食べました」
 そう言われてスティフィも納得せざる得ない。
 ロロカカ神の縁起物という事であれば、ミアは無理にでも口にするはずだ。スティフィが止めるだけ無駄だ。
 ただ自分が捧げ物になりかけた手前、その恐れからかロロカカ神の話をするのはスティフィは避けたかった。
 なのでスティフィは収穫祭の話を振った。
「ミアの村のお祭り?」
 スティフィがそう聞くと、ミアは具合が悪いのにもかかわらず、嬉しそうに、いや、嬉しくて仕方がない、と言ったばかりに答えた。
「はい、秋口にやるロロカカ様に感謝を伝えるお祭りです!! あの時も捧げ物の儀式を連続でして倒れました。今はあの時はよりは大分ましですが……」
 張りすぎ過ぎて倒れるミアの姿が簡単に想像できる。
 ロロカカ神の事となればミアも自分の体のことなどお構いなしなのだろう。
 ミアはロロカカ神のこと自分の村のことを話せて、具合は悪そうだがとてもうれしそうだ。
 不意にスティフィは今こうしてミアと話していることが少し不自然に感じてきてしまう。
 今親し気に話し心配している相手は、同意があったとはいえ自分を生贄に捧げようとした張本人なのだ。
「ふーん、ねえ、ミア。私を生贄にしていたら今こうして話していることもなかったのよ?」
 そう言ってみるが、スティフィも本気で言っているわけではなくからかっていってるだけだ。
 それを聞いたミアは地面に横たわりながら、目元を手で隠していたが、少し困った表情を浮かべているのがすぐに分かった。
「スティフィはロロカカ様の元に行くのが嫌だったんですか?」
 そして、その困り顔の原因を素直に言葉にする。
「まあ、命令だったからね。選択肢はなかったのよ。本音はね、もちろん、まだ死にたくはなかったわよ」
 と、やっぱり冗談のように、それでいてスティフィは本音をそのまま言った。
 まだダーウィック大神官様の元にいたいし、将来デミアス教の大神官になったミアを見てみたいし、その傍に仕えていたい、今はそう思っている。
 そこまでは言葉に出さなかったが、昨日命を失うのはもちろん嫌だった、というのが本音だ。
 ただ昨日は実際に生贄にされる覚悟ができていたことも本当だ。
「じゃあ、そう言ってください。そしたら、捧げ物にはしませんでした。私は…… スティフィがロロカカ様の元へ行くことで、その魂はずっと一緒にいられると考えていました」
 ミアは少し悲しそうにそう言った。
 恐らく本気でそう思っている、とスティフィには確信できる。
 ただミアの言っている言葉は、スティフィの常識や知っている知識とはまた違っている。
 が、実のところどちらが正しいかなんてスティフィにはわからない。スティフィが知っている知識も人に教えられただけに過ぎない。
「まあ、うん、いや、どっちが本当かなんてわからないか。でも、こうして話していられることはなかったのよ?」
 と、もう一度言う。
「嫌なら嫌と言ってくれないと、私にはわかりません」
 と、ミアは悲しそうに言った。
 なんで悲しそうなのかまではスティフィにはわからない。
「それは、まあ、嫌と言えるような、というか、私にとってもダーウィック大神官様の言葉は私の命より重いのよ。そうね、この件でミアを責めるのは間違ってるのかしらね」
 そうスティフィが答えると、
「責めていたんですか?」
 ミアは少し驚いたように答えた。その驚きようは心外だったと言わんばかりだ。
「いや、私はミアにとってその程度の存在かな、って思っちゃっただけよ。なんだかんだで尽くしてきたと思ってるのよ?」
 沢の片隅でせっせと甲斐甲斐しく働いているエリックを見ながら、スティフィは本音を吐き出していく。
 ミアのためになんだかんだで動いている。
 もちろん命令されたからでもあるし、自分の為でもある。それでもミアのことを本当の友人だと思ってしまった以上はもう少し報われていたい、という気持ちも芽生え始めてしまっている。
「スティフィは…… 確かに良くしてくれてます。それに甘えている自分も自覚してはいるんですが、スティフィは私にとって初めての友達なのでどう接していいか時々わからなくなります」
 ミアは悲しそうにそう答えた。
 そして、スティフィ自身もそれに共感できる。
「そういえば、私もミアが、本当の意味での友達はミアが初めてなのかもね。仕事仲間やデミアス教での伝手や知り合いはたくさんいるんだけど」
「そうなんですか? スティフィは友達がいっぱいいそうですが」
 スティフィはミアから自分はどう見えているのだろうか、不思議だった。
 自分もダーウィック大神官を求めて遠くから単身やってきているのだ。その境遇はミアとそう変わりないはずのものだが。
「上辺だけの友達なら多いわよ。ただほとんど偽名での付き合いになるけどね。それにこの離れた地の、学院での、友達なんかもちろんいないわよ」
 スティフィはその優れた容姿からかよく潜入任務を行っていた。魔術学院に潜入したこともあったし、他の教団にも入り込んだこともあった。
 もちろんその時は偽名だし、その過程でできた友人達も利用できるから友人のふりをしていただけに過ぎない。
「スティフィというのも偽名なのですか?」
「んー、一応本名? どうなんだろう? デミアス教に登録されている私の名前ではあるわね。私もともと孤児だったらしくてさ。デミアス教で引き取られて育てられたらしいのよね、その辺はよくわからないわ」
 少し自虐的にそう言うと、
「私も似たようなものかもしれません」
 とミアが返してきた。スティフィもミアの経歴は既に知っている。
 それを考えるとミアの言葉を否定できる要素はない。
「たしか、母親が旅人で流れ着いた村で流行り病で母親が死んだって話だっけ?」
「あれ? 話しましたっけ?」
「デミアス教の情報網を舐めないでよね」
「ああ、そう言えば…… まあ、そんな感じらしいです。でもスティフィ、スティフィは今も命令で私の友達をしてくれているんですよね?」
 ミアはやはり寂しそうにそう言った。
 スティフィにはそれが少し嬉しい。
「それはそうだけど、ミアのこと嫌いじゃないし、今は本当に友達だと思ってるわよ。なにせ親友になれって命令されたんだから。本気で行かなくちゃ」
「そうですか。なんだかうれしいですね」
 ミアは目元を手で覆いながら、嬉しそうにそう言った。
 それを見れただけでスティフィは昨日生贄なんかにならなくてよかったと思った。
「だったら、もう少し私の事も大切に思ってよね。振り回すだけではなくて」
「はい……」
「って、きな臭いわね」
 そう思って沢の方に再び目をやると、既に簡易的な竈が造られ上に鍋まで置かれている。そしてエリックが火打ち石を使って火を起こそうとしていた。その臭いが伝わってきている。
 いつの間に薪まで集めたのか随分と準備が良い。ついさっきまでは小鹿の解体をしていたはずなのにだ。
 スティフィの視線にでも気づいたのかエリックが反応する。
「んっ! 狩りに行くって聞いてたから色々持って来てるんだよ。お茶の準備もしてるから、もう少し休んでていいぞ」
 そう言って木製の食器まで並べ始めている。
 この準備の様子からエリックははじめっから遊ぶつもりで着いてきているようだ。
 そうでなければ流石に食器まで持ってはこない。
 色々と突っ込みたくはあったがスティフィは素直に感謝の言葉を述べる。
「あら、気が利くのね。少しだけ見直したわ」
 まあ、利用したいだけだけど。と、心の中でスティフィは付け加えて、利用価値があるのであれば、もう少し態度を軟化させるべきかとも考える。
 スティフィは貯えがありお金に困ってはいないが、収入があるわけではない。
 俗に言うところの、金蔓はいた方がいい。

 エリックが沢の水を沸かせ、それで淹れたお茶を木の器に入れて持ってきてくれた。
「ほら、ミアちゃん飲みなよ。薬草茶で魔力酔いに多少効果もあるらしいぞ」
「ありがとうございます」
 そう言って差し出された器を、ミアとスティフィがそれぞれ受け取る。
 さすがに湯飲み用の器ではないが、それを求めるのは流石に贅沢だ。
「ほんと準備が良いわね」
 スティフィも感心せざる得ない。
 エリックの薬草茶とやらが魔力酔いに本当に効果があるかどうかわからないが、魔力は水に宿りやすい。
 水を飲むだけでも軽減することは軽減するし、排出すれば効果もある。
 そういう意味では効果があるのも本当だ。
 それに少しツンとする澄んだ香のお茶は頭をすっきりとさせてくれそうだ。
「いやー、野営することになるかもって、話だったんでな。色々持ってきたんだよ」
 確かに色々荷物を持ち込んでいるな、とは思っていたがまさか野営の道具だとはスティフィも思っていなかった。
 貸してもらっている弩の付属品や予備の弾倉なのだろうと思っていたのだが。
「あんたは遊びに来たのね」
 と、少し意地悪そうにスティフィが言うと、エリックはいい笑顔を返す。
「でも、その恩恵に預かれているだろ?」
「まあ、そうだけど」
 改めて沢の方を見ると、エリックが造った竈はただ肉を焼くだけではなく鍋を火にかけるほうが主な作りになっている。
 どうも長時間楽しむ気満点のようだ。
「ミアちゃんの回復まで少し時間かかるだろうし、少し手の込んだ料理を作ろうか。騎士隊特製の香辛料鍋、グラン鍋でもどうだい? あれは癖になるほど旨いぞ」
「す、すいません……」
 と言いつつもミアは片方の手を上げるだけで精いっぱいのようだ。
 エリックが持って来た薬草茶もまだ身を起こせないせいか手を付けていない。
「ああ、はいはい、もう講義には間に合わないから好きにして良いわよ」
 半ばはじめっから諦めていたが、既に間に合わない時刻になっている。この方が諦めもつくものだ。
 ミアの護衛の任をまだ解かれたわけでもないし、この状態のミアを運ぶのは骨が折れる。
 何より魔力酔いの初期症状なので半時も休めばすぐによくなる。無理に揺らしながら運んで悪化させでもしたら元もこもない。
 ならば、ここで野営を少しくらい楽しんでも良いのかもしれない、とスティフィは思った。もう自分は懲罰部隊の一員ではないのだからと。
「じゃ、俺は食べれる山菜でも探してくっから! ここで休んどきなよ」

「エリックさん、妙に場慣れしてますね……」
 未だに目がまだ回るのかミアは目を瞑りその上に手をのせている。
「遊びなれてるんでしょうね。ラムネイル商会がある地方も山が多いところだし。そんなことよりも具合はどう?」
「だいぶ楽になりました。けどまさか三度の儀式だけで魔力酔いを起こすとは……」
 ミアはそう言って寝転がっているので逆に首を上げて項垂れた。
 目を手で覆ってはいるがその表情は、情けない、と自ら叱咤しているようにも思える。
「体調、というより精神的にまいってたせいでしょうね。少し眠りなさい。昨日もずっとうなされてたしまともに寝れてないんでしょう?」
 昨晩ミアは気を失い酷くうなされていた。まともには寝れていないし、一昨晩は襲撃のせいでほとんど寝てもいない。
 その上で精神が不安定な状態で強力な魔力を短時間で何度も身にまとったのだ。
 いくらミアの魔術師としての素質が高くとも、無理をすれば簡単にこのようになる。
 ミアが借りている魔力は神の御力なのだ。そもそも人が扱えるようなものではない。
「スティフィもそうだったんじゃ?」
 と、珍しくミアがスティフィのことを心配する。
 いや、ロロカカ神に無事に生贄を捧げることができて、ミアも一旦落ち着き周りが見えてきたのかもしれない。
「私は慣れっこよ」
 確かに慣れている。狩り手、デミアス教の懲罰部隊にいたときは数日完全に寝ないことなどざらにあった話だ。
 それでも疲れてはいる事は確かだが。
「荷物持ち君もいますし、少しスティフィも休んでください」
「そうね、そうさせてもらうわ。もうミアを狙う奴なんていないだろうし、ここは山の中で、今日は後をつけている連中もいないしね」
 そう言ってスティフィは軽い転寝のつもりで目を閉じる。
 ミアの使い魔の索敵能力は非常に高い。少しくらいなら任してもいいし、ミアを狙っている者はもう大体片が付いている。
 少しくらい転寝してももう問題ないはずだ。
 スティフィがそう思った瞬間には、スティフィの意識は眠りに落ちていく。
 荷物持ち君を作っているときからスティフィもまともに寝ていない、それに加えミアを護衛する日々が続き、昨晩もうなされ続けるミアの看病をしていたのだ。
 それは無理のない話だ。



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【第一部】異世界を先に生きる ~先輩転移者先生との異世界生活記!~

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:106

竜傭兵ドラグナージーク

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:342pt お気に入り:1

間違い転生!!〜神様の加護をたくさん貰っても それでものんびり自由に生きたい〜

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:4,103pt お気に入り:3,830

スキル「糸」を手に入れた転生者。糸をバカにする奴は全員ぶっ飛ばす

Gai
ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:7,428pt お気に入り:5,991

白の皇国物語

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:291pt お気に入り:2,902

異世界転生したけどチートもないし、マイペースに生きていこうと思います。

児童書・童話 / 連載中 24h.ポイント:10,309pt お気に入り:1,102

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