学院の魔女の日常的非日常

只野誠

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金と欲望と私

金と欲望と私 その3

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 暗く黒い。すべてが闇で塗りつぶされたような一室。
 シュトゥルムルン魔術学院に建てられたデミアス教の教会の一室。
 大柄で筋肉質。闇を纏ったような体に張り付いている法衣。
 ダーウィック大神官が闇の中で形作られた邪神像を見上げている。それはダーウィック大神官が知覚している神の御姿とはまるで違うが、芸術品としてみればかなりの出来の石像だろう。
 だがダーウィック大神官は知っている。神の御姿など意味がないことを。それらはすべて化身であり神の本質はまた別にあることを。
 そう言った意味ではこの神像もまた正しい姿なのだ。
 ダーウィック大神官はただ神像を見上げる。そこに感慨深い感情など微塵もない。
 ただ神像を見上げるように立っているだけと言えばそれまでだ。
 そのすぐそばにスティフィが跪いている。
 そのスティフィから報告を受けたダーウィック大神官が応える。
「なるほどわかりました。昨日はご苦労様でした。引き続き警護の方も続けなさい。で、雇い主の見当はついていますか?」
 ダーウィック大神官は跪いているスティフィに目線も合わせずに、独り言でも呟くように聞いてきた。
「はい、支部から頂いた情報と照らし合わせて、ケレント商会でまず間違いないかと。念のため、今は裏を取っているところです」
 都のデミアス教の支部から貰った情報と照らし合わせた結果、確証はある。更に間違いがないか裏を取って確認中であるがそちらは少し時間はかかる。
 ダーウィック大神官にいい加減な報告などスティフィにはできない。
 念には念を入れて正確な情報を報告したかったが今回はまだ裏まで確認が取れていない。時間の方を優先しただけの話だ。
「ケレント商会。たしか、食材を多く扱っている商会でしたか」
「はい、最近では食堂などの経営などもし始めて料理なども扱うようになってきています。ですが今回はパンそのものというよりは、バターという物の知識が目当てだったものと報告を受けています」
 スティフィは目線を下げられ、ただひたすらにダーウィック大神官の足元のみを見つめながら、そう答えた。
「そうですか」
 と、ダーウィック大神官は興味なさそうに答えた。
 スティフィは自分が意見していいかどうか、迷いはしたが自分の欲望を優先した、デミアス教であれば咎められることはない。
「見せしめにやりますか?」
 と、狩り手だった時を思い出し、その基準で聞き返した。
 もし、ダーウィック大神官ではなく、スティフィの師にあたるクラウディオ大神官なら、ミアの後にはデミアス教がついているという噂が適度に広がった後に、ケレント商会の関係者を数人殺して見せしめにしているはずだ。
「クラウディオ大神官ならそうするでしょうが、まあ、今回は捨て置きなさい」
 その返答はスティフィもある程度予想していた返答だ。
 決してダーウィック大神官があまいわけではない。
 ここにはここのやり方というものがあるだけだ。
「はい」
 と、素直にスティフィは了承するし、もちろん不満などあるはずがない。
「ですが、情報元の確認だけはしておくように」
「はい、そのように」
 なぜミアが神与知識の所有者だと知っていたのか。その情報元だけは調べないといけない。
 いくらデミアス教の威光があろうとも、金のために馬鹿なことを考える輩は後を絶たない。
 スティフィにはそれほど理解できないが、金には人を惑わす魅力がある。
 ケレント商会の連中がどこからこの情報を仕入れたのか、それを調べなくてはならない。
 とはいえ、それを実行するのは自分ではない。
 今はこの方の命を他の者に伝えるだけでいい。今の自分の役割はミアの護衛だとスティフィは理解できている。
 その証拠というわけではないが、ダーウィック大神官もミアのことを気にかけている。
「報告を聴く限りでは、ミア君との関係も良好と。そのままゆっくりで構わないので、ミア君の心に入り込み続けなさい。それは、あなたの成長も、きっと、促してくれることでしょう」
 珍しくダーウィック大神官がスティフィの方を、見下しながらではあるが、向いてそう語りかけた。
「はい、仰せのままに」
 視線を向けられたことで、スティフィは頬を高揚させ、されど、目線は足元を見つめるまま返事をした。
 そして再認識する。自分はこの方の道具なのだと。それこそが自分の望みで、その近くで道具であり続けることこそが自分の欲望なのだと。

「話はわかった。その帽子に通じている御使いと契約したいというわけだな?」
 無愛想な表情を珍しく変え、少し困った表情を浮かべながらカーレン教授は答えた。
 近くで見るその表情は案外表情豊かに思えるが、顔の左半分の大きな怪我のせいか、遠目から見るとやはり不愛想に見える。
「はい、カーレン教授。できますでしょうか?」
 ミアが純粋な眼差しでカーレン教授を見つめる。
 その様子を、少し冷ややかな視線でスティフィが見つめる。カーレン教授がどう出るかスティフィ的にも少し興味もある。
 魔術学院の教授にいきなり抜擢されるような男の実力かいかほどの物かと。
「難問だな。名前もわからぬ。以前に契約した者もいるかどうかわからぬ。そもそもほぼ未知の神の御使いと来ている」
 カーレン教授ははっきりとそう言った。
 それをスティフィは鼻で笑った。名も分からぬ御使いと契約するなどできようもないことだ。
 スティフィはそれを知っててミアには伝えてない。
 カーレン教授がどういう反応をするか見たかったからだ。
 ただ、御使いのその名も分からないのでは、どうしょうもないのはわかり切っていたことだ。
「無理…… なのでしょうか?」
 ミアが少し不安そうに聞き返す。
「無理とは言わぬが、難問であることは確かだ。まず最初にその御使いの名を知らない限り契約を結ぶことはかなわぬのだが…… いや、そう言えば…… カリナ殿なら何か知っているかも知れぬな。答えてくれるかどうかはわからぬがな」
 カリナの名を聞いてスティフィは嫌な表情を浮かべた。
 あの規格外の巨女は自分の天敵なのだ。
「カリナ…… 確かあの大きな女の人ですよね?」
 スティフィはミアがカリナの名を知っているどころか、会ったことがあるような発言に少し驚いた。
 カリナという特殊な存在のことは隠されているわけではないが、その存在を知っている人間は少ないはずだ。特に生徒の間ではその存在を知る者も少ない。
 それ故、シュトゥルムルン魔術学院には巨人がいる、という怪談じみた話が度々持ち上がるほどだ。
 それに少なくとも自分の知っている限りでは、ミアとカリナの接点はなかったはずだ。
 あるとすれば、破壊神にあった後、ミアが教授たちに呼ばれた時か。
「ああ、そうだ。今日はとりあえず講義を聞くだけにして、もしその御使いの名を知ることができたならば、続けて次の講義を受けると良い。その時は黒魔術と呼ばれる魔術の作法を教えよう」
「はい、わかりました。ありがとうございます」
 ミアは希望が見えたとばかりに、その顔は輝いている。
 カーレン教授が今度はスティフィに視線を向け語り掛けた。
「では次」
 スティフィは口角を少しだけ上げ得意そうに、
「私は既に契約済みです」
 と、そう答えた。
「だろうな。良い状態とは言えぬが」
 すぐに返事が返ってきた。
 スティフィの今の状態を話した覚えはなかったが、見抜かれていたようだ。
 さすがは魔術学院の教授と言ったところか、スティフィも苦い表情を見せる。
「全て承知の上です」
 自分の今の状態を見抜かれていた事が少し面白くなかったが、言った言葉が嘘というわけでもない。
 スティフィ自身が狩り手を辞めることができて安心しているところもある。
 何よりその結果、ダーウィック大神官の下に着くことができたのだ。彼女の欲望が叶ったと言っても良い。
「ならばよい。新しく講義を受けるものはこの二人だけか。では、講義を始める。使徒魔術で一番重要なものは触媒だ。通常は杖。少し変わったところでは本などを用いる。また宝石や水晶玉などを使う者もいるな。一部では…… 自身の体を触媒としているような邪法もあるが、これは危険なので絶対にやらないように」
 カーレン教授がスティフィを見つめながらそう言った。
 スティフィはばつの悪そうな顔を見せるだけだったが、それでミアもなんとなく理解できた。
 スティフィは左手を、いや、自身の体そのものを、その触媒にしていたのだろうと。

 使徒魔術。
 人類に最初に伝わった魔術でもある。
 火曜種と呼ばれる御使い達の力を用いた魔術で、実は多彩で万能な魔術と言って良い。素早く発動できるという特性があるため特に戦闘などで多く用いられることが多い魔術である。
 また実際に戦闘でもちいられるような魔術が多いのも事実だ。
 これは火曜種である御使いが戦いのために作られた種族であることも大きな理由だ。使徒魔術は万能な魔術ではあるが、その本質はやはり戦いに特化した戦闘魔術だ。
 他の魔術と絶対的に違うことは、その儀式と魔力の先払いができることだ。
 そのおかげで魔術を使いたいときに素早く行使することができる。
 先に儀式をし一定量の魔力を支払って置くことができ、術者の任意の時に術を発動させる。と、その仕組みは簡単だ。
 魔術を発動させるきっかけは呪文を唱えるだけであったり、印を刻むだけであったりと様々だが、簡単に言ってしまうと一つの動作のみで魔術を発動できてしまうという事だ。
 似たようなところで、契約済みの精霊や使い魔に命令を下す、といった物がある。
 それと同じ感覚で魔術そのものを発動できる。
 ただ精霊や使い魔に命令を下すのと決定的に違うのは、物理法則をも無視し、魔術的結果をもたらせることができる点だ。
 例をだすと、完全な水中で火を起こすことは通常はありえない。
 これは火を起こすことに長けた精霊に、そう命じても無理な話だ。
 だが、使徒魔術でなら、この世界の法則を無視して水の中でも火を起こすことができる。もちろん水に押されすぐに消えはするのだが、魔術を発動し続ければ火を水中で維持し続けることさえも可能なのだ。
 燃えるものや空気のないところでさえ、物理法則を無視し火を起こすことさえ可能なのだ。
 それがどれだけ特異で有用なことか、少し考えればわかることだ。
 続いて魔術触媒と呼ばれる特殊な道具を用いる。
 術具と言えば術具の一種だが、これは御使いと交わした契約書のようなものだ。
 一般的には杖が用いられる。
 なぜ杖かと言われると、契約破棄の際、契約書である触媒は破壊される。
 その破壊は時と場合によりその周囲にも及ぶ。
 杖のようなものの先端に触媒を置くことで、その破壊から術者を守るためだ。
 またスティフィのように自身の身を触媒にしておくことも可能だ。それにより一見して触媒を持っていないと思わせることもできる。
 しかし、契約破棄の際、それがどうなるか、それは簡単に想像できることだ。
 契約破棄により破壊された身体を魔術などで癒すこと自体は可能だ。
 ただそれは見た目だけの話だ。
 魔術で再生したその身体は、もはや自身の肉体として機能しない。
 血が通っているだけで義手とそう変わりないものだ。
 やはりその行為は邪道と言って良いものだろう。

 法の神の神殿。実はシュトゥルムルン魔術学院の敷地内には三つもの法の神の神殿が立てられている。
 一つは学院の最北端。
 もう一つは西側。そして南東に一つ。
 法の神の神殿を立てることで他の神の影響を少しでも少なくするためだ。
 今はそのうちの一つ、最北端にある神殿に着ている。
 広大な土地を所有するシュトゥルムルン魔術学院の北側は手つかずのままだ。
 一言で言ってしまえば手つかずの森そのもので、あまり人も寄り付かない。
 そんな森を抜けた先に神殿がある。
 冬山の王という人類にとって友好的でない精霊王を牽制するためだけに建てられた神殿と言って良い。
 それ故か、なおのこと人が寄り付くことは少ない。
 そんな神殿にミアは、カーレン教授の講義の後すぐに訪れていた。
 カーレン教授の話によれば、おそらくここにカリナはいるとのことだ。
 スティフィもここまで同行してはいるが、「あの人は苦手だから」と、神殿の入口で待っているようだ。
 神殿は酷く簡易的な物で、何本かの石柱が規則正しく並んでいるというだけもの物だ。
 後は質素な祭壇があるだけで神像のようなものもない。
 その祭壇の前に大きな岩山のようなものが座り込んでいる。
「あの…… す、すいません」
 ミアがその岩山、のようなカリナに声をかけた。
 ゆっくりと岩山が振り向き返事を返す。
「ん? なんだい?」
 その声はとても高く美しい。また顔だけを見るのであれば、かなりの美人である。
 ただそれ以外の肉体は筋肉でできた岩山にしか見えない。
 そんな女性がそこにいた。
「こ、この帽子と通じてロロカカ様の御使い様とお話をされたとお聞きしました」
 ミアがそう言うと、カリナは複雑な表情を浮かべた。
 言ってしまうと表情が曇り、非常にばつが悪そうで、そしてなにより迷惑そうだ。
 白い法衣を着てはいる。服を着るというよりは、体が大きすぎて布を纏っていると言った方がいいのかもしれない。
 また黄金でできた円に五芒星の首掛けをしている。
 これは法の神の神官という事を意味している装飾品だ。
 その首飾りを見たミアは少しだけ安心する。得体が知れないこの巨大な女性も、法の神カストゥロールの信者という事がミアを少しばかり安心させたのだ。
「ん…… まあ、な」
 カリナと呼ばれている巨女は、迷惑そうなのを隠さずに答えた。
 迷惑だと分かっていても、ミアにはこのカリナに頼るしかない。
「その御使い様の名を知っていますか?」
 ミアが真剣な眼差しでそう聞くと、その表情は少しだけ明るくなった。
「ああ、なんだ使徒魔術か…… んー、まあ、それなら聞けなくはないが…… ちょっとまて、許しを得られるかどうかが、まずは問題だ」
 カリナは少し気が晴れた様にそう言った。
 恐らくはロロカカ神のことを聞きに来たと思われていたのかもしれない。
「許し…… ですか? 学院長のですか?」
 とミアが聴くと、カリナはにっこりと笑った。
「違うよ。その辺は言えないから聞くな」
「はい」
 素直に返事をした。そして気にはなりはしたが詮索するのは失礼かと思い考えるのを止め、そう言うものだと自分に言い聞かせた。
 とうのカリナは難しい表情を浮かべ、目を閉じている。
 祈りをしているようにも見えなくはないが、どちらかというとなにかを考えているようにしか見えない。
「んー、おっ、お許しがでた。その帽子を貸しな。ただその御使いから断られる可能性はある、その場合はあきらめることだ」
「はい!! それはもちろんです! ありがとうございます」
 
 そうして、ミアはロロカカ神の御使いの名を知る。

 ミアは礼だけ言ってその場をすぐに離れた。
 カリナ自身が迷惑そうなのを隠していなかったせいもある。
 今はとりあえず寮へ向かうか、食堂へ行って夕食をとるか、考えながら適当な道で帰路についているところだ。
「で、触媒は何にするの? やっぱり杖がおすすめなんだけど?」
 暇だったのか、沈黙に耐えきれなかったのかスティフィはミアに話しかけた。
「色々と私なりにも調べた限りではそれが良さそうですね。ただ契約破棄をしない前提での話ですが、本もありなのかと思っています」
 ミアは既に意志は決まっているというように言った。
 杖が良さそうだとはミア自身わかってはいるが、どうも本を触媒とすることのほうが気に入っている様子なのだ。
 確かに使徒魔術の触媒として機能する魔導書というものは存在する。
 ただそれは、破棄されにくい魔術を集めた物に過ぎない。
 一言で言うと、破棄もされないような簡単な魔術のみを集めた物でしかない。
 本の頁ごとに魔術の契約をしていけるので複数の契約を一冊にまとめられるのは便利ではあるが、どれか一頁でも破棄されたら、その余波で他の頁まで破壊されかねない。
 そういう意味では素人向きの物ではない。どちらかというとめんどくさがり屋の熟練者が使うような代物だ。
「契約破棄してくるのは大体御使いの方だから、ミアの意志は関係ないのよ? でも、確かにこの世には使徒魔術を集めた触媒の魔術書なんてものもあることはあるのよね。ミアは神様に好かれているから、いずれはそれでもいいのかもしれないけど」
 スティフィはそう考える。
 ミアがミアの神から好かれていることはまず間違いがない。
 なら、その御使いもまた同じだろう。
 そうであるのならば、ミアが魔術の契約破棄されることなどよほどのことがない限りないに違いない。
 それにミアの性格だ。無理な契約どころか、ミア側が不利な契約を結ぶことも容易く想像できる。それだけに分の悪い契約は契約破棄されにくいという利点もある。
 そう言う魔術ばかりなら本の方が確かに扱いやすいのかもしれない。ただしそれは将来的にはの話だ。
「私が神に、ロロカカ様に特に好かれているとは思いません。そうであったならばとても嬉しいですけど。私が本にしたい理由は、ロロカカ様の御使い様との契約を破棄されるようなへまをおこさないようにという、自分への戒めも込めての話です」
 ミアがそう意を決したように語った。
 ミアが言うことももっともだ。
 本来、神も御使いも人から見れば、上位の存在で対等な立場にはいない。
 それでも、神も御使いも人に友好的なのは、この世界を創った神がそう決めたからだという。
 だから、この世界に住まうものは人に基本的には友好的なのだという。
 人は、人類はそれに甘えてしまっているところがある。
 また信仰が魔術という学問に置き換わりつつあるこの世界で、魔術という本来慈悲で力を貸していただいている物を、機械的に学問や現象としてとらえる人間が多く出てきているし、それが主流になりつつまである。
 それもある種間違いではないのだが、ミアにとってはそう思うことはできない。
 神も御使いも、自分の支配者であり絶対の存在だと思い込んでいる。
 そんなミアが自分の不手際で魔術の契約破棄をされるだなんて失礼に当たるようなことをするわけには行かないと思うことは、もっともなことなのだ。
 契約破棄をされないようにする。そうミアが意気込むことも正しいことで本来あるべき姿なのだ。
 スティフィ自身も理由と経緯はどうあれ似たようなものもある。
 契約破棄されるようなへまはしない。そのつもりで自分の肉体を触媒としたのだから。
 とはいえ、それは訓練に訓練を重ねた後の話で、最初から自分の肉体を触媒としていたわけではない。
 長い年月をかけ何度も訓練を重ね、先に支払った魔力量と使用した魔術で消費した魔力量。その感覚を経験で覚えていかねばならない。
 それは使徒魔術を初めて使う人間がわかるようなものではない。
 先に渡しておいた魔力を上回った魔術を使えば、どんな御使いであれ契約破棄されることだけは確かなのだから。
「ああ、でも、うん。最初は練習がてら杖がいいよ。私も最初はそうだったし。使徒魔術は扱いが難しい部類ではあるから…… 練習しないとどうしても破棄されちゃうもんだし」
 杖は使徒魔術を扱う魔術師にとって練習用であり、生涯を通して扱う相棒にもなりうる。
 いつ破壊を振りまくかわからない触媒を、自分の体から少しでも遠くに置くことで、物理的にも精神的にも術者にとって安心できるものだ。
 杖で始まり杖に終わる。そういう言葉ができるほどには一般的な触媒となっている。
「でも、ロロカカ様の御使い様を怒らすよなことはしたくないですよ。ここは気合を入れ、自身を戒めるためにも……」
 ミアのその言葉で、スティフィは気が付く。
 契約破棄は相手を怒らせることで起きると勘違いをしていると。
 それもある話だが、基本的に神と戦うために生まれた火曜種は、人に対して友好的であり、また無関心だ。
 敬意をもって接していれば天使であろうと悪魔であろうと、人に対して怒りの感情を向けられることはない。
 と、言ってもこれは契約の儀式に持ち込めたならの話ではあるが。
 野山で偶然出会った悪魔が人を喰らうなどという話は往々にしてある話だが、それはまた別の話だ。
「契約破棄はなんも怒らせたからされるわけでもないのよ?」
 契約破棄される原因の一番の理由は、先払いした魔力が尽きたのに魔術を行使しようとしたから、というのが間違いなく一番の理由だ。
 それ以外にも契約した内容の成就があれば、やはり契約破棄、この場合は契約の完遂と言うべきだろうが、その結果は契約破棄と同じ現象が起き、契約書たる触媒は破壊される。
 もちろん御使いを怒らせて契約破棄される場合もないこともない。
「え? そうなんですか?」
「例えば…… そうねぇ。倒したい相手がいたとして、そのために御使いと契約を結ぶ。で、その相手を倒したら、契約は完了という事で契約破棄される。まあ、破棄というよりは契約の完了、ってことだけどね、そういうこともあるの」
「な、なるほど……?」
 なるほど、と言っているミアの表情からは本当に理解しているかは不明だ。
 どちらかというと契約がどういったものなのかを理解できていないように思える。
「まあ、それも契約内容次第だけどね。ただそれこそ、こちらに有利すぎる契約内容次第、というか、御使いを舐めたような契約内容をだせば御使いを怒らせはするんだけどね」
「な、なるほど……」
 これは理解できているらしい。ミアはそんな表情を浮かべている。
 今日のカーレン教授の講義では本当に使徒魔術のさわりだけの話だったので、ミアはまだ使徒魔術をほとんど理解していない。
 スティフィが思うに、カーレン教授の神髄が見れるのは、悪魔と契約後の講義になるはずだ、もしくは契約するときと考えている。
「まあ、その辺も含めて経験を積んで行くしかないのよ。経験というか、何度も使用して感覚を掴まないといけないところもあるし。特に、あなたの契約したい御使いは前例がないようだし、どこまで踏み込んだ契約を結べるかわからないんだしさ」
 使徒魔術が難しい理由の一つで、契約する天使なり悪魔なりでその扱い方がまるで違ってくることだ。
 とはいえ、自由意志がない天使の場合は一括でその神と契約できるという利点があるので、また別の話になってくる。
 悪魔の場合は、その悪魔、個人と契約を結ぶため、悪魔の性格の影響をとても受けやすい。
 悪魔の性格により、契約の難易度も破棄されやすさも、まるで変わってくる。
「でも、それでも、なるべく失礼がないようにしたいんですよ」
「まあ、その気持ちはわからなくはないけども。相手は人じゃなくて、御使いなの。人間の常識は通用しないのよ? そんなこと気にするだけ無駄よ。相手にとって何が不敬にあたるかもわからないのよ? 気を付けようがないじゃない?」
「うっ、た、確かにそうですね……」
 御使いは火曜種で燃え盛る炎より創られた種族。人は土と塵から作られたのだ。その精神構造も文化もまるで違う。
 さらに、御使いを創った神によって、その性格も常識もまるで違ってくるし、悪魔であればさらにそこから個人差まで出てくる。
 それでも前例があれば対策は見えてくるが、ミアが契約を結ぼうとしているのは全く前例がないだけでなく、その主たる神すら知られていなかった神なのだ。
 どんな契約になるか、まるで検討がつかない。のではあるが、スティフィはそれほど危惧してはいない。
 ミアは神に好かれているしその信仰心もとても強い。そうであるならば、その御使いもミアにとってそう難しい契約を結ぼうとはしてこないはずだ。
「私が見るからには、その御使いはミアには非常に友好的だから、かなり踏み込んだ契約を結べるはずよ。それにね、ミア」
 しっかりとスティフィはミアの目を見る。
「はい」
「御使いの力は、その主たる神の威光を示すためにも振るわれるものなのよ? 御使いの力が強ければ、その主たる神の力も強いとされる。世間一般ではそう思われるの」
 これは言おうかどうか、これは迷っていた話だ。
 狂信者と言っても過言ではないミアの信仰心が暴走しかねない話だ。
 それでも、触媒を本にされて、ミアが怪我するようなことよりはましだ。
 それにかけにはなるのは確かだが、ミアが暴走すれば、それだけ付け込む隙は多くなるというものだ。
「なっ、ロロカカ様の威光を示す…… ってことになるんですか?」
「そう言う考え方もあるという話、ね?」
 一応軽く釘を打っておくが、あまり意味なさそうだ。
 ミアの表情はやる気に満ち溢れている。
 なら逆に少し煽ってやれば、ミアの信仰心は暴走してくれるはずだ。
 その後立ち回るのは難しくなるが、立ち回り次第ではミアの信頼をさらに勝ち取れる。
 これはスティフィ自身気づいてない話だが、ダーウィック大神官から言葉をかけて頂いたことにより、スティフィも舞い上がっていたのだ。
 より功績を、ミアと親密になることに、少々躍起になっていたのかもしれない。
「特にあなたの場合は、ロロカカ神の御使いと契約を結ぶってことを周りに知られているわけだから、ね?」
 スティフィはそうってミアに微笑みかけた。
 だが、その微笑はミアに向けられたものではなく、スティフィ自身に向けられたものだったかもしれない。
「た、確かにそれは一理あります。ロロカカ様の御使い様の御力が、私のせいで、たいしたことないとか思われるのは心外です!! なら、やはりスティフィの言う通りはじめは試し試しでやっていくしかないってことでしょうか?」
 ミアはやる気に満ち溢れている。
 が、スティフィが思っていたほど暴走はしてないようだ。
 ミアの性格上、人に、いや、他人に迷惑をかけるのが嫌なのかもしれない。
 ついでに、スティフィは既にミアにとって他人ではない、と自覚している。
 だから平気でミアはスティフィに厄介ごとを押し付けてくれる。もちろんそれに対して感謝もしてくれる。
 なら、スティフィにとって、ミアの他人ではない人間は、少ない方がいいのではないか。
 そこまで考えて、スティフィは気づく。
 少し焦りすぎているのではないかと。
「ま、初めて契約する御使いなら、そうしていくのがいいのかもね。そんなわけで、一番安い杖を数本買って試していきましょう」
 正気に戻ったスティフィは冷静になる。
「うぅ、お金がもっとあれば、安い杖なんて失礼な物使わないで済むのに……」
 そう言ってへこむミアを見ながら、スティフィも自制を取り戻す。ゆっくりでいい。あの方もそう言っているのだ。
 今はこの環境を、自分も楽しめばいい、と。
「あなたが全部献上しちゃうからでしょう?」
 そう言ってスティフィはミアをからかう、が。
「それはそうなんですが…… 水薬作りもそろそろ別の物に挑戦する時期なのかもしれませんね……」
 そのミアの言葉に、スティフィはめんどくさそうななにかを感じずにはいられない。
 恐らく受ける講義がまた一つ増えることだけは確かだ。
「水薬の中で一番売れ行きがいいのは魔力の水薬で間違いないわよ? やっぱり日常的に使うしね」
 念のためそう言っては見るものの無駄にしか思えない。
「でも、サリー教授の講義を受けて作れるものを増やしましょう! 他のは利益率がいいって聞いています」
 既にミアの中では既に決定事項であったようだ。
 ミアは神の命によりこの学院に魔術を習いに来ている。
 水薬や軟膏作成も立派な魔術の一環だ。いずれ学びだすとは思ってはいたが。
「まあ、それはそれでいいけれども」
 魔力の水薬は、水薬作成の中では最も一般的で最も楽な水薬だ。
 なにせ基本的にはだが、草木を水で煮込むだけで完成する。
 込める魔力との親和性や魔力の維持時間を考え出すとまた別の話になっては来るが、基本は煮込んで魔力を宿らせるだけだ。
 非常に簡単なものである。また水薬ではあるが、基本的に飲む物でないため、その飲食物としての品質もあまり気にされないため、何かとその品質審査も楽なのだ。
「治癒の水薬とか、それなりに売れそうじゃないですか?」
 が、治癒の水薬ともなると話は変わってくる。
 術具であるとともに、薬や飲料としての基準もでてくる。
「まあ、確かにそれなら売れそうだけれども…… 治癒ねぇ…… まずは疲労回復のとかにしとけば? 治癒とか結構難しかったと思うけど」
 治癒の水薬は、飲むことや傷口に直接かけることでその効果を発揮する。
 偏に治癒の水薬と言っても、その種類は多岐にわたる。
 スティフィ自身そこまで調べきれてないが、魔力の水薬とは違い色々と厄介な法の壁が出てくるのだ。
 まだ疲労回復の水薬のほうがその壁は低い。
「疲労回復とか今とそう変わりないじゃないですか!」
「そうは言うけど疲労回復は飲み薬になるのよ? その辺の品質検査は、魔力の水薬なんかより全然厳しいんだからね? 傷口に直接掛けたり飲んだりもする治癒の水薬なんて品質検査大変なんだからね?」
 スティフィは強くいってミアに言い聞かせる。
 これらは実際に事実なので、スティフィの心はなにも痛まない。そう、痛まない。
「うう、た、確かにそれはそうです…… ね…… でも、スティフィは、水薬なんて作らないのに随分と詳しんですね」
 ミアは不思議そうにスティフィの顔を覗き込んできた。
「そうよ、ミア。あなたのために、あなたが苦手そうなところを私が先んじて勉強していっているおかげなのよ?」
 わざと大げさな動きを付けてそう言った。
 あまりに大げさな仕草だったのでミアも気が付いたようだ。
「ま、またそうやって恩を売ろうとする!!」
 そうやって怒るミアにスティフィは笑顔を向ける。
「だって、そのために私は日々頑張っているんだもの」
 スティフィもそう言って笑顔をミアに向けた。


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