学院の魔女の日常的非日常

只野誠

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日常と非日常の狭間の日々

日常と非日常の狭間の日々 その7

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 早めの昼食をとった後、ミアは言われた通りサリー教授の研究室を訪ね、とある物を受け取り、グランドン教授の研究室にやってきていた。
 ミアが頼んだわけではないがスティフィは荷物持ちとして同行してくれている。文句を言いながらもスティフィは、右手しか使えないのに荷物持ちとして同行してくれているのでミアからすれば感謝しかない。
 サリー教授からそれなりの大きさの物を受け取ったので、スティフィにこれなら片手で持てるだろうと、朽木様の苗木を渡そうとしたら逆に怒られた。
 そんな危険な物を人に持たせるな、と言われる始末だが全くもってその通りなのでミアは言い返せなかった。
 スティフィは右手だけで器用に、サリー教授から渡された大きな包みを抱え上げている。
 運動神経や体幹といった物が、常人とは違うのかもしれない。
 さらになぜかわからないが、騎士隊訓練生のエリックまで同行してきている。
 昼食を取っているとき、食堂でいつの間にかに合流していた。
 それなりの荷物を持ってきていたので、荷物持ちとして助かってはいるのだが。
 ついでに持ってもらっている物は一抱えほどある粘土だ。
 ミアは分厚い扉を叩き、その扉に向かって声をかける。
「ミアです。グランドン教授、入ってもよろしいでしょうか」
 返事は帰ってこなかったが、その分厚い扉は勝手に開いた。
 グランドン教授が開けてくれたのかと思ったが、開いた扉の先には誰もいなかった。
 ミアが少しの間頬けていると、
「どうしたんですか、はいりなさい」
 と、少し奥からグランドン教授の声がした。
「す、すみません、扉が勝手に開いたので、少し驚きました」
 と、返事をしてから部屋の中へ入る。
 そこは、異様な空間だった。すぐに思い浮かんだ言葉な混沌だった。
 まず一番目につくのが手を生やした黄金に輝く大蛇の像とそれが置かれている祭壇…… なのだが、割とぞんざいに扱われているのか荷物や書類などが乱雑に祭壇の上にも置かれている。
 さすがに大蛇の像に掛かるようには置かれていない。
 それだけに大蛇の像がかえって目につく。
 そして所狭しと色々な物が置かれている。宝石の原石か鉱石かわからないが、なんだかの結晶が所々に見える複数の石に、奇妙な植物の鉢植え、様々な形の壺が複数置かれていると思えば、いきなり土が部屋の中なのに盛ってあったり、その隣には青白い粉のような粉末が山盛りに置いてあったりしている。
 それらを見張るように複数の大小様々で、異様な姿をした使い魔達が所狭しと蠢いていた。
 人型の物が三体に、蜘蛛のようなもの、不定形の物、樽のような物、壁に張り付いているトカゲのような物。
 その数は七体だ。
 これだけの使い魔を同時に起動できる魔術師はそうはいない。これだけでもグランドン教授の力量が見て取れる。
 そのグランドン教授は一番奥の机で何かしらの本を読んでいるようだった。
 グランドン教授はミアとその他二名が部屋に入ってきたことを横目で確認する。
「その扉も私の使い魔の一つなのですよ。この研究室には、大事な、とても大事なものがたくさんありますのでねぇ。門番も兼ねているのですよ。あっ、キミたち、その辺の物は触らないでくれたまえ、命の保証はしかねるのでね」
 そう言って、グランドン教授は読んでいた本を閉じた。
 扉の使い魔も含めると同時に八体もの使い魔を起動していることになる。
 魔力は借りものなのでどうにでもなるが、使い魔の操作は全部自動とはいかず、その主の思考力を持っていかれる。七体や八体もの使い魔を同時期起動できる者などそう居るものではない。
 ついでに、部屋は乱雑なのだがグランドン教授の机の上だけは、綺麗に片付けられていて何も置かれていないし塵一つなく綺麗に掃除されていた。
 机と言っても作業台兼机といった感じではある。その分その机は普通の机よりもかなり大きく広い。
 どうもグランドン教授の後に控えている人型の使い魔が絶えずその机だけは清掃しているようだ。
 今も刷毛で丁寧に机の埃を取り除いている。
「は、はい」
 とミアが返事をする。スティフィとエリックはこの部屋の雰囲気にのまれたのか、茫然とこの部屋の入ってすぐのところで様子を伺ってか立ち尽くしている。
 部屋の乱雑さなら、エリックも負けてはいないが、この研究室からは異様な混沌さがにじみ出ている。また別の部屋の汚さ、いや、部屋が汚れているわけではない。
 ちゃんと整頓はされているし、区画のようなものもありちゃんと種類ごとに分けられてもいる。ただ物が圧倒的に多くその種類も多種多様なのだ。やはり混沌という言葉がぴったりくる。
 その混沌ともいえる研究室に圧倒されている三人の後ろで扉がゆっくりとひとりでに閉まっていった。
「おや、キミは確か、ええっと……」
 と、グランドン教授がスティフィの方を見た。
「スティフィです。スティフィ・マイヤーです。ミアの付き添いというか、荷物持ちできました」
 スティフィがそう言うと、グランドン教授の顔が明るくなった。
「ああ、キミが、あの。ふむ…… キミも歓迎しましょう。我は有能な人間は好きですぞ」
 ついでにだがエリックのことは一目見ただけで、一言も触れられはしなかった。エリックもそのことで特に気にした様子もない。
 そして各々が抱えている泥人形の材料一式を見回す。
「素材一式持ってきてくれたのですねぇ…… まずは粘土の具合を見ますとしましょうか。まだ修正がきく時期でしょうし。この机の上に置いてください。具合を確かめます」
 グランドン教授がそう言うと机を絶えず掃除していた人型の使い魔が、掃除を止め一歩下がりその動きを停止させた。
 その様子を見て、一番重い粘土を抱えていたエリックが乱雑に物を置かれた部屋を、これまた乱雑に歩き、そして雑に机の上に粘土を置いた。
 グランドン教授はその行為に眉をひそめたが、何も言わなかった。
 ただあからさまに不機嫌そうな表情を浮かべていたが、エリックは気にしている様子はない。いつも通りどこから来るのかわからない自信ありそうな、よく言えば不敵な表情を浮かべている。
 グランドン教授はエリックには全くふれず、粘土の包装紙を開き、中の粘土の様子を確かめた。
 二、三度、手で触りその固さや手触りを確かめ、ちぎったり丸めたり片手で練ってみたりしている、その後、何か棒状の物を粘土に突き刺し、その棒状の物に記されている目盛りを確認した。
「一応、毎日練ってはいるんですがどうですか?」
 ミアがそう声をかけると、
「粘土の具合は、まずます、と言った感じですねぇ。しいて言えば少々乾燥気味ですかねぇ。まあ、良く練れてはいます。三日に一度は魔力の水薬でも手に振りかけてそれで練りなさい。あなたが作っている奴ですよ、あれは非常にいい出来です。泥人形を粘土で作る場合は、とにかく粘土を一心不乱に練ることで、なぜかいい出来になる、と言われています」
 そう言いつつもグランドン教授は粘土の様子を、練ったり手に取ったりして確かめている。
 そうしつつも、グランドン教授は、ミアの返事を待つこともなく言葉を続ける。
「その理由は解明されていませんので、迷信程度の信頼度なんですが、実際に出来が良くなるのですよねぇ。後で我が調合したちょっとした触媒を渡しますので、それも一緒に練り込んでおいてください。使い魔としての質が上がりますし、保水効果もあがりますし」
「はい、わかりました。捏ね続けます」
 と、ミアが力ずよく応えた。
「うむ、いい返事です。で、核は朽木様の苗木なのは決まっているとして、支えは何を使うか決めていますか?」
 粘土を机の端に追いやり、グランドン教授は立っているミアを見上げながら言った。
「先ほど決まりました」
「先ほど?」
 と、グランドン教授が不思議そうな表情を見せた。
「はい、サリー教授がお詫びと言ってくれたものなんですが、説明を聞く限り貰ってもいいか迷うくらいのものでした。スティフィ、お願いします」
 いまだ部屋の入口で荷物を抱えて持っていたスティフィが部屋の中を歩きだす。
 結構大きめの荷物を右手だけで持っているにもかかわらず、その足取りは滑るように滑らかで、部屋の中の物に触れさえしない。
 その様子をグランドン教授が感心したように見ていた。
 スティフィは抱えていた荷物を机の上に音もなく丁寧に置いた。とても右手だけでしているようには思えないほど優雅だ。
 グランドン教授がスティフィが持ってきた荷物の包装を丁寧に解いて行く。
 荷物の中身は、言ってしまえば何本かの棒のようなものだ。形的には人の骨のようにも見えなくはないが、そうだとすると小人の物に思えるようなものだ。
 白く光沢がありとてもなめらかで、表面には幾何学的な紋様が凹凸で描かれている。
「これは…… ほぅ、素晴らしい。自己再生と強度の強化、それと防腐のまじないですかねぇ? それ以外にもいくつかかけられているように見えますねぇ。それらが施された…… 陶器なのですか? これは? 通常の陶器とはまた別ものにも思えますが。普通の物と少し違いますよね?」
 そう言いながらグランドン教授は机の上に置かれたそれを軽く指で弾いた。
 それ自体は軽いが深く重い音が返ってきた。
「なんか特別な技法で作られた陶器だそうです。元来の陶器なんかよりも数倍も頑丈らしいです。鉄製の金槌で叩かれてもそうそう割れないし、割れても魔力を使ってですが元通りに復元してくれるそうです。昔サリー教授が荒地の開墾用に使い魔を造ろうとして、支えだけ作って止めた物だそうです。なんでもこれにあう核がなかったんだとか」
 ミアがそう説明すると、グランドン教授が納得したように嬉しそうな笑顔を見せた。
「あの人も神恐怖症でなければ、中央でやっていける人ですからねぇ。確かにこれに見合う核などそうそうないでしょうが、朽木様の苗木ならば十二分でしょう。これはいいものを貰いましたねぇ。いや、素晴らしい。こんな物も作れるのですねぇ、いやはや、これは感心しました」
 グランドン教授はやたらとサリー教授からもらった支えを褒めている。
 そこまで良い物となると、ミアはますます貰っていい物か迷ってしまう。
「粘土の泥人形とも相性が良さそうですし、ここは流石、というべきでしょうか。この支えで泥人形を作らなくてはいけないところが大変残念なところではありますが、こればっかりはいたしかたないですねぇ。これに関しては申し分ないというか、泥人形の方が分不相応と言いますか…… まあ、支えも問題なしですねぇ。では、核の方を見せてもらってもいいですかな?」
 ミアが抱えている苗木を机の上に丁寧に置いた。
 しっかりとした苗木で葉も枝も若々しく力強い。
 素人が見ても生命力あふれる良い苗木とわかるほどだ。それとは別に、何とも言えない妙な雰囲気を発している。
 人によっては、不吉にも感じるような類の気配を強く発している。
「これが朽木様の苗ですか。うーん、実に素晴らしい。その力強い生命力も内包されている魔力も一級品ですねぇ。さすが朽木様の苗木とはいえ一部ですねぇ。しかし、はやり呪詛の類も内包しているのでしょうか、その点は注意が必要ですねぇ。素材の品質はどれも問題ない、というかなんというか、あきれるくらいどれも良品ですねぇ。少し身部分の粘土が見劣りしますが…… ふむ。これでは触媒だけでは不足で釣り合いませんな。あの霊薬とオディッシア湖の底の泥も渡しておきましょうか。それでも見劣りしますが…… いえ、ここはマグラシアムの呪詛沼の泥粘土を…… いえいえ、あの粘土は少々危険、それ以前に朽木様の苗木の呪詛と競合してしまうかもしれませんねぇ、相性が良くないでしょうし、そもそも邪道ですよねぇ。ここは王道に黄金粘土を…… いえ、しかし、それは少しやりすぎな気もしますし朽木様の苗木の良さを失ってしまいかねませんねぇ。そもそも、ミア君が今から練り直したとして馴染むのに時間がかかりすぎますねぇ…… 少量くらいなら混ぜるのもありでしょうけども、ふむ…… あれとあれは必須ですねぇ。ゲドミア火山の黒曜石を細かく砕いて…… 竜骨の在庫はどうでしたか……」
 グランドン教授はひとしきり独り言をブツブツと呟いた後、何かを深く考えだした。
 しばらくした後、
「少し考えましたが、ミア君が持参した粘土を基礎生地として使うとしましょう。我が提供する素材を半分程度混ぜてもらいますが、ここは相性を取るほうが結果良い物ができると思います。明日にはそこそこの量の素材を用意しておきますので…… そうですね、今日と同じこの三人で、またここに、んー、昼過ぎくらいですかねぇ、尋ねてきなさい。それまでには用意出来ていると思います。なに、材料費は学院持ちなので気にしないでください」
 と、言う言葉が出てきた。
 その後、人型の使い魔の一体が紙に何かを凄い勢いで書き始めた。
 ミアがチラっと見た感じでは、素材の名称とその量と加工方法が事細かに書き記されているようだった。
「はい、わかりました」
 と、ミアは力強く返事をする。ミアのやる気も十分のようだ。
 ミアにはよくわからない材料ばかりだが、自分の泥人形のために色々してくれているということは理解できているようだ。
 ついでに明日も荷物持ちをさせられる予定の後ろに突っ立っている二人の都合は聞いてもない。
 二人とも何とも言えない表情を浮かべているが、ミアからは見えない。
 ミアはそのまま話を続ける。
「で、あ、あの、それと髪の毛がまだ全然足りないのですが、丸刈りにでもしなければいけませんか?」
 ミアは少し不安そうに聞くが、
「そんなことをして、あなたの神を怒らせでもしたら我は嫌ですよ。どれくらいありますか?」
 と、グランドン教授は少し呆れながらそう返した。
 髪は魔術的に霊的な意味合いが強い。
 特に神の巫女の髪の毛ともなると、その意味合いも普通の髪の毛とは大分異なってくる。
 グランドン教授も冗談で言っているわけではない。
「まだ、これくらいしか」
 そう言って、ミアは鞄からだした布で包まれた髪の毛を見せた。
 抜け毛、という事であればそれなりの量、人が不快感をあらわにする量くらいはある。
 が、泥人形を作るには、その全身を巡らせるだけの量が必要となって来る。
 泥人形の大きさにもよるのだが、さすがにその量には全然足りるものではない。
「うーん、これだけあれば…… まあ、どうにかなりますかな。あくまで防衛機能と操作性の向上などが目的なので必須というわけではないし、後から付け加えることも可能ですからね…… ん? そうですね。よいことを思いつきました。マリユ教授に頼みましょう、あの人ならどうにかしてくれます。 うん、それが良いですな。今すぐにでも行きましょうぞ」
「マリユ教授! あの物凄い色香のある…… 大人な魅力の教授ですか!?」
 ミアの後で大人しくしていたエリックが急に大きな声を張り上げた。
 あまりに急だったのでミアとスティフィがビクッとする。
「キミは…… たしか、騎士隊科のエリック君でしたかな? あの、外道の部屋の?」
「はい!!」
 とエリックが大声と笑顔で答える。
 その様子を隣のスティフィが呆れた表情で見ていた。
「あなた…… 中々見どころがありますねぇ」
 グランドン教授はそう言ってはいるが、その顔は何か含みがあるように思える。
「よく言われます」
 と、即座にエリックが返す。
 こちらは何の含みもない清々しほどの万遍の笑みだった。
「そうですか。ふむ。貴方のことも、まあ、覚えておきましょう」
 そう言ってグランドン教授は、にやりと嫌な笑いを見せた。

 マリユ・ナバーナ。
 シュトゥルムルン魔術学院の魔術、特に呪術に関する専門家の教授で、無月の女神に仕えている。一言で言ってしまうと魔女と呼ばれる類の存在だ。
 世界的に見れば辺境といって差支えのないこの地方だからこそ、魔術学院の教授という立場に居られるような人間だ。
 年齢は不明だが、見た目だけならとても妖艶な二十代中ごろの女性に見える。
 が、少なくともマリユ教授はこのシュトゥルムルン魔術学院に少なくとも二十年以上は勤務しているため、見た目通りの年齢ではない事だけは確かだ。
 彼女の研究室は、呪術という事もあり、安全性のためシュトゥルムルン魔術学院の敷地内でも、外れの方に離隔された場所、そこに建てられた塔の中に作られている。
 いわばその塔そのものが彼女の研究室兼住居と言っても良い。
 それの塔は円柱状で灯台のような塔を基にして、中腹だけ膨れているような少し歪な塔だ。
 塔の中腹に研究室が作られているのは、地と天、その両方とも離隔されている、という魔術的な意味がある為だ。
 普通、呪術とはいえ、ここまで離隔するようなことはしない。
 彼女が扱う呪術がそれだけ危険だということだ。
 また学院のはずれに造られているこの塔はかなり大きい。
 その入り口にある扉も非常に大きい。両開きの扉なのだが、少なくとも人一人で開けられるような扉ではないように思える。
 グランドン教授が扉の前に立ち、なにを思ったのか、扉の把手に向かって話しかけた。
 その把手は、金属製で蝙蝠のような顔した意匠をしていて口にやはり金属製の環を咥えている。
「開けてください」
 そうすると意匠であるはずの蝙蝠が目を開いた。その目は綺麗に磨かれた赤い宝石がはめ込まれている。
「これはこれは、我を創りし創造主殿。しかしながら今、我の主は就寝中にて開けることは叶いません」
 その把手は流暢に人の言葉でそう答えた。
「え、取っ手がしゃべりました……」
 ミアが絶句する。スティフィとエリックはその存在を知っているようで、半笑いでミアを見ていた。
「いいから、お開けなさいな」
「主が就寝中の時は、特に創造主殿は通すな、と主に言われておりますので……」
 さすがに把手の蝙蝠に表情まではないし、口が動いているわけでもない。
 ただ創造主と今の主の間で、板挟みになって困っているという事だけは理解できる。
「むぅ、よくしつけられてますな。裏符号を使う手もありますが、今回は、まあ、不要でしょう。学院側からの要請でもありますし、お開けなさいな」
「むむっ、学院側ですか? それは本当ですかな?」
 やはり把手の蝙蝠に表情はないのだが、板挟み状態から解放されそうだという希望だけは感じ取れる。
「ええ、もちろんです。ほらごらんなさい。今学院で最優先事項であるミア君の泥人形作成のための助力を求めてきています」
「少々お待ちを…… 確認をとるであります。 ……取れました。確かに最優先事項として登録されております。そう言うことであれば、ここを開けますが、主にはちゃんと言っておいてください」
「無論ですよ、ハハハッ」
 グランドン教授はそう言って無表情で笑っていた。
 ミアとエリックには気づけなかったが、スティフィには、この教授が把手のことを擁護するつもりは一遍もない、という事に気づいていた。

 塔の内部は大きな螺旋階段となっていて、中央部は巨大な吹き抜けとなっている。ただ階段の幅もかなりあり一部屋分ぐらいの幅がある。
 螺旋階段の壁側には綺麗に棚が並べられていて、その棚に様々なものが綺麗に並べられている。
 それの大体は何かしらの植物、花や草が植えられた鉢植えであるが、どれも奇妙な植物で咲いている花も、可憐な花々とはいいがたい。
 また植物だけではなく、硝子瓶に様々な色の液体も保存されている。何かの薬品というよりは、その色も鮮やかでそう言う飾り物という感じすらする。
 全体的に見れば色鮮やかでおしゃれな棚が並んでいるように見える。
 グランドン教授の研究室のように、乱雑さやがなく綺麗に整頓され一見お洒落な雑貨屋にすら思える。
 が、よくよく見るとどれもおぞましい形をしていたり、色鮮やかな液体の中に目玉や小さな骸骨が入っていたりする。
「その辺の植物は大体毒草なので触らないでください。後、特に硝子瓶には触れないように。あの中身は大体呪詛か毒薬、あるいは劇薬ですので。中には我でも解毒不可能な物もあるので、死にたくなければ壁側には近寄らない事ですね」
 と、グランドン教授が注意を促す。
「はい、わかりました」
 とミアは素直に返事をする。
 スティフィとエリックは若干引いたように壁側の棚を見つめているだけで返事は返ってこなかったが、棚からは明らかに距離を取っていた。
 それを見たミアは、
「スティフィとエリックさんは別についてこなくても良いんですよ? 荷物は一旦置いて来たじゃないですか」
 と、二人に声をかけた。
「い、いや、別に荷物持ちでついてきているわけじゃないんだから。あとあの女教授は危険よ? 私もついて行かないと」
 と、スティフィは自らを鼓舞するように言った。
 それに強くエリックが同意し、
「俺もついて行くよ。だってマリユ教授は、なんかこう、良いし、良い匂いするし…… すんごく良いし」
 と、うなずきながら付け加えた。
 一瞬だけエリックに視線を向けたミアは、
「はあ、そうですか……」
 と返事をしただけだった。それをたしなめるように、グランドン教授がミアに話しかけた。
「ミア君、あまりお友達を邪険にしてはいけませんよぉ、それにスティフィ君はともかくエリック君は見所があります。きっと役に立ってくれます。すぐにでも」
 グランドン教授はにこやかな表情でそう言い切った。
「……」
 グランドン教授の表情とは反対に、エリックより見所がないと言われたスティフィは明らかに不満そうな、いや、少し殺気立った表情を見せた。
 当のグランドン教授はスティフィの表情に気が付いているのかいないのか、スティフィに向かって、なぜか朗らかに微笑みかけた。
 その笑みを見たスティフィは若干引いていた。
 そんなやり取りがあった後、広いというか、広すぎる螺旋階段を登りきるとちょっとした広間に出る。
 塔の中に、それなりに大きな家が一軒収まるような感じで作られている。
 階段は塔の中腹部で終わっており、目の前には大きな扉、というよりは門、しかも外門のようなものがあり、その門と格子の塀で区切られている。
 その中は庭、しかも庭園のようになっている。
 塔の中とは信じられないような光景だ。
 それと螺旋階段は中腹部で終わっており、階段の終わりには塔の上部の点検の為だろうか、上り梯子が壁に備え付けられている。
 塔のてっぺんまで、その梯子以外何もない吹き抜けが続いているだけだ。
 見上げると昼でも暗く月がない夜空を見上げているような感覚に陥る。
 塀内の庭園には、お洒落な茶屋のような場所すら用意されている。
 お茶が何時でも飲めるようにか、ちょっとした台所のようなものまである。
 その奥には大きめの家、館というには小さく、家というには少し大きい、そんな建物の玄関の扉が見えている。
 ここが塔内であることを忘れるような作りだ。
「ちょっとその辺で座って待っていてください、我がマリユ教授を呼びに……」
 と、グランドン教授が言って、茶屋のような場所を指さした。
 そして奥の扉へとグランドン教授が向かおうとすると、その扉がゆっくりと開かれて、薄着で、もう半裸と言っていい様なあられもない姿のマリユ教授が開かれた扉の奥から覗いていた。
「えっとぉ…… 随分と大所帯でこられましたね、グランドン教授」
 マリユ教授は若干怒ってるような目つきで恨みがましそうにそう言った。
「いきなりお邪魔して申し訳ない。ああ、マリユ教授、今日も峰麗しいお姿でいらっしゃいますなぁ…… で、ですな、その、ミア君の、泥人形の、件でそのご助力を頂きたいと、思いましてな。あと今晩一緒に食事でもどうですかな?」
 グランドン教授はそう言って髪を整え、右手をマリユ教授に向けて伸ばした。
「学院長からも協力するように言われているから、それは、まあ、問題ないですよぉ。それと…… 今日、食事のほうは先約がありましてねぇ、ごめんなさいねぇ」
 そう言ってマリユ教授はうすら笑いを浮かべた。
 だが目は笑っていない。
 もう昼の時間ではあるが、仕えている神によっては昼と夜が逆転するなんてことは良くある話だ。
 実際、彼女はものすごく眠そうにしているし、何なら今すぐ帰れと言うような不機嫌そうな気を垂れ流している。
「ほぅ、誰ですかな?」
 グランドン教授はそんなこと気にもせず、マリユ教授にゆっくりと歩み寄りながら話を進める。
「いつもの…… 四人ですよぉ」
 そう答えつつ、マリユ教授は扉を若干閉め、その隙間から顔を覗かせた。
「三人ではなく四人ですか。なるほど。となれば、邪魔しても悪いですし、また今度機会があるときにでも」
 グランドン教授はあっさり引き下がり、歩み寄るのもやめた。
 一応は引き際をわきまえてはいるようだ。
「ぜひぃ…… で、何をすればいいのですかぁ?」
 微妙な返事を返した後、気だるそうに質問を続けた。
「ああ、そうでした。そうでした。ミア君の抜け毛を伸ばして欲しいのですが」
 その返答で、マリユ教授は一瞬思い当たる表情を浮かべるが、すぐに薄笑いの表情に戻った。
「ああ、泥人形で使う……? でもそれくらいならグランドン教授もできますよねぇ?」
 そう問われたグランドン教授は怯むどころか、一歩前出た。
「はい、我に掛かれば問題なく。ですが、これから作る泥人形は失敗は許されず、その他の素材も素晴らしい物ばかりと来ています。恐らく、いえ、間違いなく世界最高峰の泥人形が誕生することとなるでしょう。それはもう泥人形選手権に出場すれば優勝間違いなしのような。ならば、ならばですよ? 妥協など許されるはずもなく、ここは専門家のお力を借りたいとばかりに、はせ参じたわけなのです」
 そう力説するグランドン教授を、マリユ教授はあからさまに邪険にした。
「あぁ~、はいはい。御託はいいですのでぇ…… まあ、協力しろとは言われてるからね、断りはしませんけど、良いんですか? 私なんかが、かかわってしまって」
 そう言って、マリユ教授は笑みを、笑みなのに、背筋がぞくぞくする程邪悪な笑みを浮かべた。
 それは人間というよりも、悪魔を思い浮かべるほどの邪悪な笑みだった。
 が、グランドン教授は特に怯みもしない、むしろその笑みを見たかったというように満足した表情を浮かべた。
「構いませんとも。ただ、今回は事が事なので、仕込みだけはご勘弁を」
 グランドン教授は表情を変えずそう言った。
 その言葉で、スティフィの視線だけが鋭くなる。
 殺気にも似た視線を受けつつもマリユ教授は平然と薄笑いを浮かべている。
「私にそれを言うんですかぁ?」
 まるで何か良からぬものを仕込んで当然とばかりにマリユ教授は返事を返すが、それを見越してか、グランドン教授は、
「そうそう、朽木様に泥人形を見せに行くときサリー教授も同行するそうですよ」
 と、言葉を投げかけた。
「む…… あなたのそう言うところ、嫌いだわ」
 その言葉を聞いた途端、マリユ教授は薄ら笑いを止め、グランドン教授を軽く睨んだ。
 下唇を軽くではあるが噛んでいる。
 グランドン教授はマリユ教授とサリー教授が仲がいいことを知っている。
 恐らく今晩の食事の相手はサリー教授とポラリス学院長、それと四人目はカリナであることをグランドン教授は推測できている。
 彼女たちは何かと仲がいい。恐らく今日は落ち込んでいるサリー教授を励ますための食事会なのだろう。
 それに、グランドン教授の策はそれだけではない。
「代わりと言ってはなんですが、彼を連れてきましたので、どうでしょうか?」
 そう言ってグランドン教授は優雅にエリックの方に手を向けた。
 エリックのほうに視線を向けたマリユ教授は、にんまりと再び薄ら笑いを浮かべた。
「あら、気がきくのね。あなたのそう言うところは好きよぉ」
 急に話題にあげられたエリックが訳もわからないまま前に出てくる。
「え? 俺ですか?」
 その様子を見て、グランドン教授も満面の笑みで、エリックに話しかけた。
「はい、エリック君、君はマリユ教授をどう思いますか?」
「はい! とても色っぽい素敵な女性と!」
 と、エリックが鼻を伸ばしながら答えた。
 その様子をマリユ教授が獲物を前にした蛇のような表情を一瞬浮かべる。
「あらあら、照れちゃうじゃない。私も気に入ったわ。中々顔もいいみたいだし、若くて美味しそう、ねぇ」
「気に入ってもらえて良かったな、エリック君。キミも大人の階段を登るときが来たのだよ。ああ、そうそう、マリユ教授。彼は騎士隊科ですので、絞りすぎには注意してください。騎士隊科のほうは早々に訓練を再開するようですし」
 と、グランドン教授が付け加えた。
「あら、そうなの。それは残念。ハベルさんは怖いですからねぇ、ほどほどにしておきますねぇ」
 そう言ってマリユ教授は舌なめずりをした。
「まあ、手土産の話はこれくらいにして…… なんですか、スティフィさん?」
「いえ、なんでもないです」
 若干ではあるが不貞腐れているスティフィをグランドン教授は見逃さなかった。
 そして、一瞬だけ思考を巡らせる。
「ひょっとして、エリック君とあなたは男女の仲なのですか?」
「違います」
「はい!」
 と背反する返事が即座に返ってくる。
 スティフィが本気でエリックを睨むと、エリックは自信にあふれた得意そうな顔を見せた。
「絶対に違います、付きまとわれているだけです」
 少し呆れたように力なくスティフィは答えた。
「ふむ、まあ乙女心というのはいつも複雑怪奇です。男の我には理解できない話ですから。で、最終的には問題はないでしょうか?」
「問題ないです」
 と、スティフィは即座に返事を返した。
 エリックがこっそりと拳を握り「許しが出た」と、呟いたのをスティフィには聞こえていたが、無視することにした。
 そもそもスティフィからすれば、なにも関係のない男の話だ。
「なんの話ですか?」
 と、一人だけ何も理解できてないミアが会話に入ってきた。
「ミアは気にしなくていい話よ」
 と、スティフィが言うと、ミアはすぐに納得し、
「なら、気にしません。どうせエリックさんの話でしょうし」
 と返した。
「ミアちゃんってやっぱり俺に冷たくないか?」
 と、エリックが突っ込むが、ミアは気にも留めていなかった。
 その様子を一通り見た後、マリユ教授は満足したような顔を見せた。
「とりあえず、着替えてくるので、そこで待っててください」
 そう言って、家の中へ引き返していった。

 家の中ではなく外、といってもここは塔の内部ではあるのだが、結局はその庭のような場所で作業を行うようだった。
 小さい円形の机に深紫で模様のある布が掛けられている。
 ミアとマリユ教授がそこに向かい合うようにして座り合っている。
 その他の人間はそれを少し離れた位置から見守っている。
 今はマリユ教授がミアから渡された抜け毛の付け根の辺りを見ている。
「んー、あんまり生きている毛根は…… さすがにないわねぇ…… 数本新しく抜いても構わないかしら?」
 マリユ教授がミアに向き直りそう聞くと、
「はい、数本程度なら」
 と、ミアが答えた。
 余りにもあっさり返答が来たので、逆にマリユ教授の方が警戒する、くらいにはあっさりと帰ってきた返事だ。
「あなたはいいでしょうけど、あなたの神様は怒らないかしら? あの祟りは私もご遠慮したいの」
 ミアの帽子を調査する際、その祟りを目の当たりにしているマリユ教授も、さすがにあの祟りは嫌だと感じている。
 しかもロロカカ神の神格がかなり高いという話もある。もし祟られてその祟りを解けなかった時は地獄の一週間が待っているのだ。
「え、ど、どうなんでしょうか…… 今まで気にしたこともなかったですけど……」
 今度はミアが狼狽えた。
 今まで気にしたことはなかったが、自分の髪の毛でロロカカ様の機嫌を損なうようなことがあってはならない。
 マリユ教授はミアの頭の上にある帽子をじっと見つめている。
「マリユ教授もロロカカ様の御使いとお話できるんですか?」
 ミアが視線に気づいてそう聞くと、
「そんなことできるの人外達だけよ、普通の人間の私には無理よ。でも、怒っているかどうかぐらいは…… わかるかしらね? 今回は渋々許しが出たって感じなのかしら? 不服そうな気配はするけど、あの時、帽子を他人が被った時のような警告を発する感じではない…… と思いたいのだけど、正直怖いわね、これは……」
 と、真剣な表情でマリユ教授は返してきた。
 マリユ教授ですら踏み止ませるほどの、何かをミアの帽子から感じ取っているようだ。
「ロロカカ様とその御使いを怒らすようなことであれば、したくないのですが?」
 ミアが不安そうにそう言うと、被っていた帽子ひとりでに落ちた。
 ミアが慌てて拾い上げると、数本の抜け毛が机の上に落ちていた。
「これを使えってことね……」
「みたいですね。ありがとうございます、御使い様」
 ミアは丁寧に帽子に向かって頭を下げてから帽子を被りなおした。
 机に落ちたミアの抜け毛を拾い上げ、マリユ教授は目を凝らして観察する。
「にしても、ほんとぉ、綺麗な黒髪ねぇ。抜け落ちたばかりの物を見ると、余計に黒く美しい髪……」
 マリユ教授が抜けたばかりのミアの髪の毛を、惚れ惚れと見ながらそう言った。
「良い触媒になりそうなんだけど…… これ、猫ばばしたら、私、祟られちゃうかしらね?」
 そう言って、ミアを、いや、ミアが被っている帽子を見た。
「え? ど、どうなんでしょうか?」
 とミアが少し困ったように返事をすると、
「マリユ教授、やめておいた方が良いと我は思いますぞ。先ほどから背筋がゾクゾクと…… これはあまり機嫌がいいとは言い難いのでは?」
 グランドン教授がミアの被っている帽子を見ながら言った。
 スティフィとエリックもなにかを感じ取っているらしく、真剣な表情で心配そうに見ていた。
「そうね、少し怒らせちゃったかも…… まじめにやりますから祟らないでくださいませ」
 そう言ってマリユ教授は軽く頭を下げた。その表情は真剣で薄ら笑いなど微塵もしていなかった。

 マリユ教授は薬箱、というよりは薬品箱を机に置き、その中から二本の硝子瓶を取り出し机に置いた。
 綺麗な深い青色の瓶と透明で少し輝いて見える瓶だ。
「袖をまくって、前腕部を見えるようにして机にだしてねぇ」
「こうですか?」
 ミアは袖をまくり、細くはあるがしなやかで生命力に満ちている腕を机に乗せた。
「ええ、そうんな感じ。ちょっと痛みと寒気がするかもだけど、我慢してね」
 そう言ってマリユ教授は、用意してあった青色の硝子瓶の蓋を開け、その中の青い液体を、ミアの前腕部に数滴ずつ等間隔で垂らしていった。
 垂らされたミアは身震いをした。何とも言えない寒気がする。
 数滴ほどの液体なのに驚くほど冷たい。まるで氷でも乗せられているような感覚だ。
 ミアがその冷たさに身震いしていると、
「あんまり動かないでね、霊薬が垂れちゃうから」
 と、咎められた。
「す、すいません」
 と平謝りして、ミアはマリユ教授がしていることをじっと見つめた。
 垂らした霊薬に、抜けたばかりの抜け毛の毛根部分を一本ずつ付けていく。
 それが、どういった効果があるのか、ミアには見当もつかなかった。
「ほう、さすがですな。無理やり伸ばすのではなく成長を促すのですな」
 と、グランドン教授がミアの気持ちを代弁した訳ではないが説明してくれた。
「これ以上怒らせるのもアレだし、朽木様にサリーちゃんも行くとなるとねぇ…… あの子も責任感じることはないのにねぇ」
 そう返事をしつつも、ミアの腕からは視線を外さない。
「かなり責任を感じているようですな。ミア君に特製の支えまで提供してくれていますぞ」
 グランドン教授がそう声をかけると、マリユ教授はグランドン教授の方へと視線を向けた。
「支え…… ああ、あれかしらね? 白い奴よね?」
「はい、陶器のようで陶器ではないような代物ですが、素晴らしい出来でした」
 グランドン教授がその品を思い出し、満足するように頷いた。
「まあ、場所を取るって言ってたし、もう作る気もなさそうだからいいんじゃないかしら? 凄い代物なのは確かですけど、本人は使う気ないみたいだし。でも、とてもいい物よ。なにせ、神与知識で作られた物だからね」
「なるほど。納得の品ですな」
 神代知識、神から与えられた知識。
 ミアが頂いたパンの作成方法も神代知識と呼ばれるもので特別な権利が生まれるものでもある。
 この始まってもいない世界では、同じ知識でも誰かが発明することよりも、例え後発であっても神から与えられた神代知識のほうが強い権利を与えられる。
 それ故に、この世界では発明家と呼ばれるような人間はほとんどいない。
「あの、少し寒気がしてきたのですが、これはいつまで?」
 ミアが身震いを我慢しながらマリユ教授に聞くと、マリユ教授は視線を腕につけられた髪の毛に向ける。
 その髪の毛は目に見えて伸び始めている。
「もう少し我慢してね。青い霊薬であなたの色々な要素を吸い上げて髪に流し込んでいるだけだから。終われば多少疲労感が残る程度よ。にしても、あなたの髪。ちょっと変わってるわね。神の巫女のせい? 心当たりはあるかしら?」
 マリユ教授にそう質問されてミア自身考える。
「え? と、特にはないですか……」
 考えたところでなにも浮かばない。
 確かに特に手入れもしていないのに、まっすぐでとてもなめらかな髪だとはミア自身も思ってはいる。
 が、これまでそれがロロカカ様と何か関係があるだなんてことは思いもよらなかったことだ。
「これはちょっとお目にかかれない……」
 とマリユ教授がミアの頭部のほうの髪に目を奪われていると、
「マ、マリユ教授!! 髪が…… 髪が!!!」
 スティフィが指をさして騒ぎ始めた。
「え? これは……」
 マリユ教授が気が付くと、青い霊薬につけていた髪が凄い勢いで伸びだしている。
 まるでミアの腕から養分を凄い勢いで吸収して食い尽くすかのような勢いで伸び始めている。
「えぇ? な、これ、大丈夫ですか?」
 ミアも若干引きながら、それでも机の上の腕を動かないように必死に耐えている。
「ま、待って、今、霊薬を……」
 マリユ教授は急いで、青い霊薬とは別の白く透明な瓶に入っている霊薬をミアの腕にかけた。
 それにより青い霊薬は洗い流され、髪の毛の成長はなんとか止まった。
 マリユ教授が目を見開き荒い呼吸を整えている。急に異様に伸びだした髪に心底驚いたようだ。
「あ、あなたの神様って、髪に何か関係があるの?」
 と、マリユ教授が珍しく少し慌てた表情で聞いてきた。
 少し信じられないものを見た様子だ。
「え? 、い、いえ、そんなことは…… 伝承でも特に髪に触れられるようなものはなかったかと……」
「ちょっと、これは伸びすぎね。今晩あたり凄い疲労感が来るでしょうけど…… 一過性のものだと思うから。今日は美味しい物でもたくさん食べて、早く寝なさい。あと、私を祟らないでね。その御使い様にも言っておいてくれる?」
 マリユ教授は後半少し早口でまくし立てるように言った後、一息ついた。
「わ、わかりました」
 と、ミアが返事を聞いた後、マリユ教授は数本の長く伸びた髪を丁寧に巻いて集め出した。
「にしても、何なのこの髪……」
 そう言ってマリユ教授は物欲しげにその髪を見つめている。
「何かしらの御力が宿っていたのでは?」
 と、グランドン教授が声をかけるが、マリユ教授の視線は異様に伸びた髪から離さずにいる。
 急激に伸びたにもかかわらずミアの髪は、まっすぐで黒くとてもなめらからだ。
「そうでしょうけども、こんなに急成長するのは私も初めて見たわ。本当は数本貰ってしまおうと思っていたのだけれども、これほどの物を盗むのは…… 逆にやめておいた方が良さそうね。本当に祟られかねないものだわ。ミアちゃん、あなた抜け毛の処理ちゃんとしなさい。ちゃんと調べたわけではないけれど、これ、単体で呪具とそう変わりないかもしれないものよ」
 ミアの髪から、ミアの目に視線を向け、真剣な表情でマリユ教授が忠告してくれた。
「えぇ、私の髪の毛、そんなものなんですか?」
 そう言われるが、リッケルト村に居たときは、自分で髪を切りそのまま普通にゴミとして捨てていた。
 恐らく普通にゴミとして焼却されるだけだろうが、それで何かが起きたようなことはなかった。
「その帽子から、御力でも流れ出て染み込んでいるのかしらね…… この髪の毛を何らかの触媒にしようものなら、術が暴走しかねない代物だわ。あなたの髪の毛は危険だから、抜け毛もこれからは燃やすようにしなさい」
「マリユ教授が感情的になるとは、珍しいですな」
 と、グランドン教授が珍しいものを見れたというような嬉しそうな顔を見せている。
「それほどの物ってことよ。しかも、多分厄介な方にね」
 逆にマリユ教授は肝を冷やした、という感じの余裕のなさそうな表情を浮かべている。
「そんなものを使い魔、泥人形の作成に使っていいんですか?」
 スティフィが思っていた疑問を口にする。
 もっともな疑問だ。
「これはちょっと考えものですねぇ。そもそも髪の毛はあると良い物ですが、必須というわけでもないのですよ。それでもあったほうがいいのはたしかですし、相性があるので今は何とも言えませんなぁ。最悪、ミア君の髪の毛は使うのを…… とはいえ、ミア君の神の御使いが態々提供してくれたものですよ? うーむ…… 朽木様の苗木と謎のロロカカ神の巫女の髪の毛ですか…… まあ、様子を見て決めねばなりませんなぁ、これは。ミア君が泥人形の術式陣を作っている間に、我が相性だけでも検証してみなければなりませんなぁ」
 グランドン教授はそう言ってため息をついた。
 ロロカカ神の祟りの話は教授たちの中でも有名で話を聞く限り祟られたくはないと誰もが思っている。
「ミアちゃん、あなた本当に厄介ごとばかり持ち込んでくるのねぇ。そこはマーカスちゃんを、なんとなく思い出すわねぇ」
 マリユ教授はそう言ってため息を漏らした。
「学院の問題児マーカスくんですか…… 彼もそう言えば、本当に厄介ごとを多く持ち込んでくる生徒でしなぁ」
 グランドン教授もなにかを懐かしむように言葉を漏らした。
 その言葉にエリックが反応する。
「ん?、俺の前の部屋の元の住人っていう人です?」
「ですな。シキノサキブレの件はご愁傷様です。その分、今日はマリユ教授にたっぷりと、いえ、そこそこ、癒してもらうといいでしょう」
 そう言って、グランドン教授は嫌な笑みを浮かべた。
 それを聞いてマリユ教授もやっとその表情に笑みを取り戻す。
「うふふ、夜は予定があるから、今から…… で、いいかしらね? いいよねぇ? エリックくん?」
 と、エリックを求めるように、マリユ教授は手を伸ばす。
「は、はい、俺は全然今から行けます!」
 鼻息を荒くしてエリックが答える。
 本人もやる気でありあふれているようだ。
「ふむぅ、では我々は一旦、我の居城に戻りますぞ。各素材の相性を確かめて見ませんとなぁ。それとミア君には我が独自に開発した秘伝の術式を伝授しますぞ」
「はい! ありがとうございます!」
 ミアは秘伝の術式という言葉に心躍っている。
 その様子を見てグランドン教授も満足そうにしている。
「では、エリック君。また…… 明日はこれたらで良いので、荷物持ちで来てくださいね。まあ、無理でしょうけど」
「え? はい!」
 よくわかっていないエリックが訳も分からず返事を返す。
「じゃあね、エリック。もう来なくていいからね」
 と、スティフィが笑顔でそう言うと、
「おぅ! じゃあ、また明日にな!」
 とエリックが返事をした。
 その後、エリックはマリユ教授に誘われ、彼女の部屋へと入っていった。



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