学院の魔女の日常的非日常

只野誠

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日常的非日常のはじまり

春の訪れと貧困の日常 その3

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「なんですかぁ、なんですかぁ!! 世の中、金、金、金ですか!!」
 周りのことなど気にも留めず食堂でミアが涙ながらに嘆いていた。
 少し距離を取りたい、というか関りになりたくないスティフィだったが、彼女はこの嘆いている少女の友人にならなければならない。そう言う使命を帯びている。
 深いため息をついた後、声をかけた。
「精霊のほう? それとも使い魔のほう?」
「両方です!!」
 と、恨みがましい視線と共に大声で返事が返ってきた。
 かなりの大声だったが周りの人はミアの方を見ない。皆、この祟り神の巫女と関わり合いになりたくはないのだろう。
 スティフィも午前の講義を受けるまではそうだったのだが、今は事情が違う。
 鶏肉の入った牛乳粥のサァーナをスティフィは口へ運んだ。
 鶏の旨味と濃く味つけられた塩味がサァーナにもよくあっている。
 そして、それをゆっくり味わった後、再びため息をつき、声をかけた。
「精霊のほうは下位精霊を交換だか、借りるだかするんだっけ?」
 スティフィにとってあまり興味がなかった講義だ。内容もそれほど覚えはいない。ただミアに付き合わされて一緒に講義を受けただけだ。
 先ほど口にした部分の内容はミアが絶望した表情を浮かべていたのでスティフィも記憶に残っている。あのミアの表情を見れただけでも受けたくもない講義を受けたかいはあったのかもしれない。
 なぜミアが絶望したような表情を浮かべたかというと、上位精霊の精霊王から下位精霊の貸出に主に銀貨が必要という話だ。
「そうです、ですけど、銀貨ですよ、しかも複数枚求められる事もあるとか……」
 そう言ってミアは歯ぎしりをしている。
 よほど腹に据えかねたのかもしれない。
「正確には、王様の刻印のある銀貨な。それに別に銀貨じゃなくても神族の所縁のある物なら交換してもらえるって話じゃん。巫女ならいくらでも用意できるんじゃないのか?」
 精霊王は人間との取引でよく求められるのが、王の顔が刻印されている銀貨だ。
 精霊との取引で最も手ごろで、入手もしやすい物の一つだ。
 精霊は銀という鉱物を好むことが多い、さらに精霊には理解できないが人間が硬貨を大事そうに集めているのも理由の一つだ。
 王の顔の刻印が求められる理由は、人間の代表である王の顔があるので信用につながると精霊達が考えているから、との話だった。それらが合わさり精霊に要求されることが多いらしい。
 その銀貨一枚から三枚程度で、精霊王の配下の下位精霊を貸し与えてもらえる、と言う話だ。
 ミアにとってはどうだかわからないが、下位精霊の価値と利便性を考えると、とても安い買い物とは言える。
 この地方では王の顔が刻印されている硬貨は少しだけ珍しい物ではある。とはいえ学院の購買部で両替してもらえば、硬貨十枚に一枚は王の顔が刻印してある硬貨だ。手に入らないという事もない。
 何はともあれ精霊魔術は、この下位精霊を借りるところから全ての話が始まる。
 精霊はこの世界に無数に存在していて、世界の自然現象を担っている存在と考えられている。
 雨が降るのも、風が吹くのも、日が昇ることすら精霊のおかげなのだと。
 無数にいる下位精霊は、どれも潜在的な能力に大差はない。
 されど下位精霊には個体別に趣向とも言うべきものがあり、下位精霊は一つのことに興味を持つ。
 例えば、火を起こすこと、水を流すこと、風を吹かすこと、などだ。その興味あること一つを永遠と繰り返して精霊は世界を回している。
 火の精霊と下位精霊を呼ぶのは適切ではないのだが、一般的に火の精霊と呼ばれるような下位精霊は、火を起こすことにしか興味がなくそれ以外のことをしようとしない。
 できないのではなくしない。
 それが精霊と言うものだ。
 精霊魔術とは、下位精霊に魔力を与えることで働かせ意図的に自然現象を起こす魔術だ。
 基本的に貸し与えられた精霊は一つのことしかしてくれないので、魔術として得た効果の制御も比較的簡単であるし、一度下位精霊を貸し与えられたならば、命令し魔力を与えるだけで効果を生み出してくれる。そのため儀式などの手順を踏まずして魔術という効果を発動してくれる手軽さもある。
 貸し与えられた下位精霊の維持もそれほど大変な制約もなく、朝に水と食料を少量供えるだけでいい。できればその精霊専用の社などを簡易的な物であっても作ればなお良い。
 魔術の中では群を抜いて扱いやすく便利な魔術の一つでもあり、一度下位精霊を貸し与えて貰えればだが、魔力の水薬などを使って魔力を元々借りれない魔術師以外でも扱うことができることも魅力だ。
 それだけに初心者用の魔術と思われていたり、精霊を軽んじる人間もいる。
 特にミアが精霊を軽んじているわけではないが、ミアにとって神とはロロカカ神のことを指す言葉であり、それとそれ以外でしかない。
「精霊ごときとロロカカ様に所縁ある物を交換とかふざけていますよ!!」
 と、ミアが発言してしまうことは仕方がないことだ。ミアにとってロロカカ神はこの世界全てよりも重要なのだ。
 しかし、その言葉で今まで無関心を貫いていた人たちが数人ではあるが視線をミアに向けた。
 そのことにミアは気が付いてすらいない。
 精霊魔術が扱いやすいことから精霊信仰をしている人間は多い。
 ミアは悪い人間ではないのだが、ロロカカ神のことが関わると途端に人が変わりがちになる。
 そんなミアと友人にならなければならないスティフィからしたら、わかりやすくはあるが怖くも面倒くさくもあるの話だ。
 だが、スティフィも欲望の忠実な僕であるデミアス教徒だ。ミアの発言自体を咎める気もない。
 が、友人として警告だけはしておかなくてはならない。
「精霊は怒らせたら怖いらしいじゃん? 精霊は人の言葉を理解するっていうし気を付けなよ?」
 と、ミアに警告した。
 他人事のように言ってはいるが、スティフィの実体験に基づいた忠告だ。ただスティフィはそれを表には出さない。
 精霊信仰の人間が多いというのもあるが、それ以上に下位精霊を怒らすと厄介である。
 まず精霊は、特に下位精霊は基本的に不死で不滅である。
 ミアやスティフィには今日の講義だけではうまく理解はできなかったが、下位精霊は限りなく無我に近いゆえに限りなく不死に近い存在だという話だった。
 精霊王ともなると人以上の自我をもっているので、その分不死からは遠くなるとは言う話だったが、どういう原理でどういった仕組みなのかまでは理解できなかった。
 ただし精霊王ともなれば、その力は自然そのもので神にも匹敵するようになり、少なくとも人の手でどうにかできる存在ではない。
 そんな精霊達を一度でも怒らすと厄介極まりない。
 しかも、基本的に下位精霊は一つのことにしか興味がない。なので、一度怒るとずっと怒ったまま執念深くその対象に付きまとうという。
 ただ無我に限りなく近い精霊がそんな簡単に怒るかと言われれば、まず人相手に怒ることなどない。特に精霊王の配下の精霊ならば、それらは自然と何ら変わりないといっていい。自我などないのだから怒りもしない。
 しかし、この世界には精霊王の支配下にいない、はぐれ精霊と言うものがいる。
 本来、精霊王から借りた精霊は役目が終われば精霊王の元に返すのが礼儀である。
 が、貸し与えられた契約者が不慮の事故で死んだり、返し忘れてたり、そもそも返す気がなかったり、下位精霊の維持ができなく逃げだした、等の場合、下位精霊は精霊王の元に戻れずはぐれ精霊となる。
 精霊王の元を外れた下位精霊は長い年月を経て、やがていびつな自我を持つようになる。
 うまく成長すれば新たな精霊王となるが、それは大変稀な事で奇跡に近い。大概の場合ははぐれ精霊として歪に成長し続ける。
 それらのはぐれ精霊は、不死に限りなく近い上にぼんやりとした自我を持っていて、はぐれ精霊になる経緯次第では人間に恨みを持っているものもいる。
 そんな存在を怒らせでもしたら人では抗う術はない。精霊王や神と言った上位存在に掛け合って助けてもらうしかない。
「確かに失言だったかもしれません。すいませんでした、気が立ってました」
 ミアは素直に謝り、自分をたしなめてくれたスティフィに感謝した。
 ただスティフィにとってはミアが精霊を怒らせてしまったら、自分も必然的に巻き込まれるのが嫌なだけだっただけの話だ。
 とはいえ、さすがにこの食堂内にはぐれ精霊がいるとは思えない。
 はぐれ精霊達は人工的な物を嫌い、人里の近くにはあまり寄り付かないからだ。
 ただこの辺り、特に裏山あたりの水場にはそれなりの数が居たりする。そのような場所で怒らすようなことや馬鹿にするようなことを大声で言うのであれば厄介所の話では済まされない。
 特にミアは毎朝裏山に入っていることもある。気を付けなければならないはずだ。
 あと少なくとも、今のミアの発言でこの場にいた精霊信仰の者達はミアからそっと視線を外していった。
 そのことに気が付いていたスティフィは安堵のため息をついた。人の目を気にするというよりは、厄介ごとに巻き込まれたくないというだけだが。
 とりあえずは、ここで精霊の話はもうしないほうが良さそうだ、とスティフィは判断し、別の話題をふることにした。
「んで、使い魔の方は…… えーと、どれを使い魔にしたいんだっけ?」
「泥人形です」
 泥人形と聞いて、スティフィは何の気なしに使い魔の教本を開きぱらぱらと教本をめくる。
 使魔魔術の講義はスティフィも少し興味があったが、実際に講義を受けてみて理想と現実は違うとはっきりと理解できた。
 スティフィは、自分には使い魔を造ることができたとしても、それを維持することは不可能だと今日の講義を受けただけで悟った。
 使い魔の維持は何かと面倒だったりする。スティフィには精霊の毎朝、水と食料を供える、ということすら難しく思えてならないほどだ。
 それはスティフィがデミアス教徒で何かに縛られるのを嫌うといったこともあるのだが、本人の性格的にも合うものでもなかった。
 使い魔の種類にもよるが、その維持は精霊のそれとは比べ物にならないほど面倒なものばかりだ。
「えーと、泥人形泥人形っと…… 最低位の使い魔だから、まだ安いじゃん。登録料は銀貨三枚らしいよ? こっちは普通の銀貨でも構わないし」
「そんなお金ありません……」
 と絶望した表情で、ミアが睨んできた。
 スティフィはそんなミアを心底めんどくさい、と思いつつも、ダーウィック大神官から受けた使命を思い出し、ため息を漏らす。
「服が欲しんだっけ? それ諦めれば?」
 と、少し呆れたように返事を適当に返す。
「あの…… 私…… 服は、この巫女服しか持ってないんです……」
 ミアは深刻な表情で少し言いづらそうに、そして恥ずかしそうにそう言った。
「えっ……」
 と、スティフィは絶句しつつも、そういえばミアはいつも同じ格好をしていたと思い出す。
「な、なんですか?」
 と、ミアが不審そうな視線をスティフィに送る。
 スティフィは、汚いな、と言う言葉を、友達にならなければならないというダーウィック大神官からの使命で飲み込んで、別の言葉を口にした。
「いや、えーと、それ巫女服なのか…… 外套か何かだと思ってたよ」
 スティフィは上手く誤魔化せたと自分で自分をほめる。巫女服と言うことは、ミアの大好きなロロカカ神の話だ。
 そんな巫女服を外套と言ってしまったことを失言とも気が付いてないが、そのことをミアも特に気にしなかった。
 ただロロカカ様の巫女服の話だ、乗ってくるのは間違いがない。
「山に入って祭事をすることも多かったので、外套的な意味合いもあったのかもしれません。これはフーベルト教授の受け売りですが」
 スティフィの予想通り、一旦別の話にそれた。
 さっきまでの絶望した表情は消え、目を輝かせ巫女服とやらをスティフィに見せつけてくる。
 が、正直汚い、汚れている、やっぱり臭い、少なくとも洗濯はしているようには思えない、と色々浮かんでくるがまとめて飲み込んだ。
 つもりだった。
「それ一着か。通りで臭う……」
 と、つい本音が漏れてしまっても仕方がないことだ。
 デミアス教徒であるスティフィは基本的に我慢することが苦手なのだ。
「こっ、これはほとんどラダナ草の匂いですよ。あの草煮込むと臭いもでるので……」
 と、ミアが顔を真っ赤にし、その上涙目で反論してはいるが、自分でも自覚があるのか、言葉尻は小さく消えていった。
 そんな様子を見たらスティフィの本来の性格が出てしまう。
「ラダナ草の強烈な臭いで消臭とは恐れ入った」
 スティフィはそう言ってミアを鼻で笑った。
 相手が気に入っている相手であれ気に入らない相手であれ、人をからかうのがスティフィは好きなのだ。
「ち、違います、ちゃんと毎日大浴場で湯浴みさせてもらっています!!」
 更に顔を真っ赤にして涙目で反論するミアを見て、これ以上からかったら本当に怒らせるかもしれないと、とスティフィは冷静に判断する。
 スティフィの使命はミアと友人になることであり、その上でミアをデミアス教に入信させることだ。
 ミアをからかって怒らすことではない。
「いや、まあ、それはどうでもいいよ。私も体験したことないけど、ここの夏は物凄く蒸し暑いらしいし、確かにその…… 巫女服じゃ、辛そうだな」
 からかいたいのと失笑したいのをなんとか我慢してスティフィは話を戻して進める。
「この巫女服は便利ですけど、通気性はほぼないので夏に着ると凄い蒸れるし、暑さで眩暈がするんですよ」
 そう言われれば確かにかなり着ぶくれしたような感じで膨れて見える。
 教本やら羽筆やらもその服から取り出していたことをスティフィは思い出す。
 そんな複雑な構造の服なら簡単に洗濯もできないし、その服しかないのなら、そもそも洗濯自体が難しいというのもわかる。
 なにせ、もうすぐ暑くなるという話だが、実際はまだかなり冷え込む。雪が降ってもおかしくはないくらいの気候だ。
 スティフィも本当にもうすぐ暑くなるのか疑わしく思うところまである。
「そもそも、なんで巫女服しか持ってないのさ……」
 そう聞くと、ミアから表情が消えた。そして、
「ここに来る途中で置き引きにあって手荷物、全部盗まれました」
 無表情でそう答えた。
 さすがに善人とは言えないスティフィでもミアのことが哀れに思えた。
 デミアス教徒は世間一般では邪教扱いされてはいるが、悪人が集うわけでない。ただ自分の欲望に素直に従うと言う教義があるだけだ。
「あー、なんていうか、ご愁傷様。ああ、うん、口止めされてはいたけど、いいこと教えてやるからさ、そろそろ私を友達と認めなよ? な? パシリじゃなくてな?」
 流石に少し可哀そうになったし、好感度稼ぎにも良いと思いスティフィは、恩着せがましく自分の知っていることを教えることにした。
 スティフィが知っているというか、ミアが知らないだけで大概の人は知っている話なのだが。
「内容にもよります、あとその美味しそうなサァーナ一口くれませんか?」
 予想外の話がついてきた。
 ミアの前を見ると空になった皿だけが既に置いてあった。
「素のサァーナだけを食べてるやつは初めて見たけどさぁ…… こう見えて潔癖症なんだよね、残りだったらくれてやってもいいぞ」
 と返す。潔癖症と言うのは嘘ではない。
 誰かに一口与えるくらいなら、そのままその食べ物をくれてやった方がスティフィ的には楽なだけだ。
 取り分けて与えてやっても良かったが、ミアに主導権を握られぱなしのスティフィには、素直に分け与えることに少し抵抗もあった。 
「うぅ、はい……」
 ミアは自尊心と戦いつつも頷いた。
 そんなミアを見てスティフィはまだ自尊心残ってたのか、と若干ではあるが驚いた。
「えっとな、まず儀式室と瓶の代金の代わりに治めてるやつな。あれ、交渉次第でかなり安くなるぞ。今は二十本くらい作って半分取られてるんだっけ? たぶんそれを三本か四本くらいまでになると思うよ」
「え? ええぇ? な、なんでですか?」
 ミアが目を丸くして驚いている。それどころか手を無意味に突き出してフルフルと震えさせてさえいる。
「魔術学院ってのは、そもそも職業魔術師の訓練校なんだよ。なので、卒業後一人でやっていけるようになるための練習の制度があるんだよ」
「い、意味が分からないのですが?」
 そう聞いてくるミアは興味津々という感じだ。
 根は真面目なミアだ。交渉が成功すればだが、感謝してくれることは確かだろうと、スティフィはほくそ笑んだ。
 こうやって自分の重要性をミアの中で高め、いずれは自分に依存させ決定的な主導権を握るつもりなのだ。
 スティフィにとって友人とは対等な立場ではない。どちらかが上でどちらかが下か、だ。そうでなければデミアス教徒としてやっていけはしない。
 現状ではミアに主導権を握られがちだがそれを奪い取り、ミアをデミアス教へと引きずり込むつもりだ。
「まあ、ミアは卒業後に、今もだろうけど、巫女なことは決まってるんだから関係はないかもしれないが、神職につかないほとんどの魔術師は基本職業魔術師になるんだよ」
「職業魔術師?」
 聞き覚えがない言葉のようにミアは聞き返してきた。
「まあ、言ってみれば、街の何でも屋だな。ちょっとした薬から術具や呪具の販売、祈祷の類から、怪しげなまじない、失せ物探しとかもね、ミアの故郷にもいたんじゃないか? 魔術店やらまじない屋って感じでさ」
「あー、トンプソンさんがまじない屋をやっていました。あの人、魔術師だったんですね……」
「知らなかったのか……」
 あんなに素晴らしい陣を書く巫女がそんなことも知らないのかとスティフィは思ったが、そういう環境で育ったのだろうと勝手に納得した。
 スティフィ自身も褒められた環境で育った人間でもない。
 特殊な環境下で育った人間は一般的な常識も知らなかったりするものだ。
「はい、なんか怪しいもの売って生計を立ててる人って認識でした」
「まあ、まじない屋なんてやってる魔術師は、その認識でも間違いはないんだけどな」
「で、それでなんで使用料が安くなるんですか?」
 ミアは早く理由が聞きたくて仕方がないという感じだ。
 ミアを篭絡するには金銭的支援をして自分に依存させてしまうのが良いのではと思ったが、そうなってしまうと恐らくミアは遠慮しない。半日しか付き合いがない今でも結構ミアは遠慮をしていない。
 遠慮なく金をせがんでくるのが簡単に想像できてしまう。
 さすがにそんな余裕はスティフィにもない。スティフィ自身も遠くから学びに来ているのだ。それでもミアとは違いかなり資金面では余裕はあるが、それは一人での話だ。誰かを養うとなると話が違う。
「それも訓練の一環だよ。一年くらい値下げ交渉をしなければ、購買部担当の、あの教授名前なんだっけ?」
「サンドラ教授です」
「そうそう、そんな名前だったっけ…… 確か商売の神か何かに仕えている神官だったっけかな。んま、しばらく値下げ交渉をしなければ向こうから教えてくれるはずだぜ。商人からすれば当たり前の話だけど、魔術師は結局は学者だからな、頭でっかちが多くて商人からすればカモにしやすいのさ。そういうことを身をもって教えてくれるってわけさ」
「そ、そうなんですね…… でも、それなら、なんでさっき納品するとき教えてくれなかったんですか?」
 ミアは不思議そうに首をかしげながら聞いてきた。
 なんで教えてくれなかったのと怒っている様子ではなく、ただ単に疑問を持っているだけのような口ぶりだ。
「んー、さっきはミアにわからないようにあの教授にこっそりと仕草で口止めされてたから」
 実際に仕草で口止めされていた。
 それでも教えることはできたが、一人の教授、それも購買部を管理している教授の反感まで買ってやることではない。
 何なら今のようにサンドラ教授のいないところで教えてやればいいだけの話だ。
「ぐっ、友達と言うなら、その場で教えてくれたっていいじゃないですか」
 そうは言いつつも、ミアは怒っている様子はない。
 ただ愚痴を漏らしているようなものだ。ミアは表情が豊かなので非常にわかりやすい。
「嫌だよ、あの場で教えたら、俺の…… いや、私の購入時に交渉で割引してもらえなくなるじゃないか」
「俺?」
 と、スティフィにとって少し痛いところを突っ込まれるが、これで話の流れを変えれるならこのことについて話してやるのも良いかと考えた。
「あー、直している最中なんだよ。まだたまに出るんだよ」
「デミアス教の人がそんなこと気にするんですか?」
 ミアはそう言ってきた。きっと人に言われて直そうとしてると思われたのかもしれない。
「自分で直したいと思ってるんだよ、私も女だからな。俺っていうより、私って言ってた方が女らしく思えるだろ?」
 そう言って右手だけで少し扇情的な仕草をしてみる。
 それに対してミアは少し引いた顔を見せただけだった。
「そういうものなんですか?」
「色恋沙汰には興味ないって感じか?」
「んー、考えたこともなかったですね」
 スティフィは、まあ、そうだろうな。と考える。
 神に気に入られる巫女は、どう言う訳か処女が好まれる。
 そこに魔術的な関連性があるのかと言われると、現状は不明で学会でも稀に議論されている内容ではあるが、今も不明のままである。
 ただこれだけは事実のようで善神悪神に関わらず神は処女、と童貞もだが、が好まれる傾向にある。この世界で巫女をやっているような人物はほぼ間違いなく処女であるとも言える。
 魔術学院で男女別で科が分けられている理由の一つでもある。
 更に巫女科と魔女科で分けられているのは、また別の理由もあったりする。
「んま、興味ないなら興味ないでいいんじゃないか。特にミアは巫女なんだし」
「デミアス教の人は、なんていうか素直なんですね」
 ミアが珍しくデミアス教のことを褒めた。初めてのことかもしれない。
 世間一般ではデミアス教は邪教の類だが、田舎から来たミアならその悪評も今は知らないのだけなのかもしれないが。
 ならその悪評を知る前に、一気に取り入ってしまった方がいいかもしれない。
「そうさ、だから気楽だよ。どう? ちょっとは気になったりするんじゃない? 見学だけででも来ないか?」
 スティフィがここぞとばかりに進めるが、
「そんな余裕はないですよ。精霊を得るのに、最低でも銀貨一枚、使い魔登録料で銀貨三枚、合わせて最低でも銀貨四枚を用意しなくちゃいけないんですよ」
 と、文句を言って、その後小声でグチグチ貧乏を嘆き始めた。
「って、言っても、今日の魔力の水薬の売り上げ銅貨五枚だったろ? すぐじゃないのか」
 市場が安定しているときならば、銅貨十枚で銀貨一枚と交換できる。
 そう考えれば、銀貨四枚程度生活費を考えても一週間と少しで目標額に届くし、交渉で費用を軽減できれば数日で達する額ではある。
「いえ、一本はロロカカ様に捧げて、もう一本は自分で使うので、残り三本を卸して銅貨三枚です。そこから日々の生活費を引いたら一日銅貨一枚貯めるのがやっとですよ。交渉を成功させれれば、もう少しはマシになりますが……」
 スティフィは少し呆れたが、まだ言わないでおこうと思った。
 さっきの話から気づけないのかと。
 魔力の水薬の買い取り単価も交渉次第で上げることができるのだが、ミアはそのことにはまるで気が付かないようだ。いや、根が真面目なだけに気づかないのかもしれない。
 また日を改めて教えてやれば、さらにミアからの評価は上がるだろうとスティフィは考える。
 ついでに、ここの食堂でも交渉をすればちゃんと割引をしてくれたりもする。ミアが払っている穴あき銅貨一枚でもおかずを一品サァーナの上に乗せるくらいはできたりもするはずだ。
 しばらくは売り手側からミアに教えてくることはないだろうし、ミアによりつく人間など自分くらいなこともスティフィにはわかっている。
 これも教えてやった時にはミアに感謝されるはずだと内心ほくそ笑む。
 それとは別に不思議に思っていることがあるので、今はそれを口にした。
「神様から借りた、いや、頂いた魔力を込めた水薬を、その神に供えるのってなんか意味あるのか?」
 わざわざ神から与えられた魔力を、水に込めて返す。
 神かがすればただの魔力の無駄な浪費だ。それをする意味がわからないし、受け取る神も神だと思う。
「それはサンドラ教授にも言われましたが…… 私の気持ちの問題です。感謝の気持ちを少しでも伝えたいんです。とりあえず価値がありそうなものが今はそれしかないので……」
 ミアは目を瞑り祈るように答えた。
 そう言われて、神様もわざわざ受け取りに呼び出されるの大変じゃないか、と思ったが、毎日受け取りに来るという事は神にとっても何か意味があるのだろう。
 神の御心は人にはわからない。
 スティフィはダーウィック大神官から神へ対する姿勢をミアから学べと言われたことを思い出す。
「なるほど、そう言うことか…… 神への感謝か。今の学会の連中は神を利用してやろうっていう考えが多いらしいからな。そうか、大神官様はそう言うところも、ミアから学べと言っているのか」
 今の学会の神との接し方はとても合理的な考え方になりつつある。
 これだけの捧げ物をすれば、借り与えられる魔力もこれだけになる。そういう考え方に移りつつある。
 ある意味間違ってはいないが、神を敬う気持ちなどは少し薄れてきているとも言える。
「それはそうと、一口くれるっていう話じゃなかったでしたっけ?」
 不意にミアにそんなことを言われ、自分の皿に目をやるといつの間にかに空になっていた。
 話の合間につまんでいたら、すべて食べてしまったようだ。
「あ、ごめん、気が付いてたら全部食べてたわ。鶏肉の味が染み出てて美味しんだよね、これ」
 そう笑みを浮かべながら言うと、
「ふぅ!! ふぅ!!!」
 鼻息を荒くしてミアがこちらを睨んでいた。が、スティフィは気にはしない。
 すでにわかっている。ミアが本気で怒るのはロロカカ神関連のことだけで、それ以外のことは意外とすぐに水に流してくれる。
 からかいすぎれば普通に怒りはするが、謝ればすぐに許してくれている。
 一日にも満たない付き合いだが、スティフィにはそれがすでに理解できていた。
 もちろん、スティフィにはむやみやたらと怒らすつもりもない、が、どうしてもからかいたくなってしまう、スティフィはそういう性分なのだ。
「でも、これは元々私の物だからね? ミアが怒るのは筋違いじゃない?」
「そうです。その通りです。でも、もう小麦の味だけで暮らしていくには限界があるんですよ。いいんですか? あなたの友達になろうとしている人が小麦人間になっても!?」
 小麦人間と言うものを見てみたい気がするが、それを言ったらさらに怒らすだけだろう。
 本気で怒っているわけではないだろうが、ミアを怒らすのはスティフィの本意ではない。
 ただもう少しからかいたい欲望はある。そして、デミアス教徒は欲望に忠実なのだ。
「いや、悪かった悪かったって。まあ、私は別に小麦人間だろうがなんだろうが構わないけどね。今日だけで割とパシリにされてるし」
 ついでに文句も言ってやる。精霊魔術の講義でだけでなく使魔魔術の講義まで席を取らされたのだ。これくらい言っても良いだろう。
「それはスティフィがロロカカ様のことを祟り神だなんていうからですよ」
「でも、それは、まあ…… いや、いいや、言うとたぶん怒るから」
 言いかけてやめた。場合によってはミアが激怒する内容だ。
「なんです? 言ってください! 気になります」
 言いかけてしまったことを後悔しつつスティフィは口を開く。
「いや、この学院自体がさ…… そう発表してるんだから、と思ってさ」
 そう、シュトゥルムルン魔術学院はミアのことを祟り神と思しき神の巫女として公表している。
 それは祟り神の祟りを恐れての話で、安全上仕方のない話だ。
 それだけこの世界での祟り神は厄介な存在なのだ。
 しかもミアの場合、何がきっかけで祟られるかすらも不明のままである。
 なのでミアは今日まで友人もできず、このシュトゥルムルン魔術学院でほぼ独りで過ごしてきた。
 目上の人間に言われたとはいえ、そんな自分と友人になろうとしてくれるスティフィのことをミアは少なからず感謝している。
 感謝はしているのだが、ミアにとって、ほぼ人生で初めてできた友人と言う存在にどう付き合うべくか戸惑った挙句、とりあえず友達なので遠慮しない、と言う選択肢をミアは選んでしまっただけだ。
 ただそれだけの話と言えばそれだけの話である。
「それに関しては三日に一度は抗議しに事務所に足を運んでいます」
 と、ミアは毅然として淡々と言い放った。ただし、その目には確かな怒りと狂気が燃え上がっていた。
「あ、うん、そうなのか……」
 と、曖昧な返事をしつつ、この話、やっぱり神関連の話はどうも雲行きが怪しくなるので、別の話題をスティフィは考える。
 ミアが食いつきそうな話となると……
「ああ、そうだ。そんなにお金がないんだったら依頼板でも見てみたらどうだ? 大体はお小遣い程度しか稼げないけど、稀にすごい報酬の依頼があったりする、らしいよ。詳しくは知らないけど」
「依頼板…… って、なんですか?」
「そこからか。既に巫女のミアには関係ない話だもんな。職業魔術師のための、訓練制度みたいなものかな。ほら、職業魔術師は何でも屋みたいなものって言ったろ? それの練習みたいな感じでさ。何か困ったことが合ったら報酬付きで、張り出される掲示板があるんだよ」
「なっ、そんなものあったんですか!!」
 と、ミアは目を輝かせて反応した。
 既にロロカカ神が祟り神と言われていることについて、三日に一度は抗議に行っていると言う話は流れた様に思える。
 そもそもミアもそのことでスティフィを攻める気など毛頭ないのだが、その話を続ければ藪蛇にしかならない。
 話を変えたことは正解と言っていいはずだ。
「まあ、ほとんどお小遣い程度の報酬だけどな」
 そう付け加えるが、ミアの眼は輝いたままだ、もしくは目が硬貨のように思えるほどだ。
「その掲示板、どこにあるんですか!?」
「時計塔の下だよ。というか、学院のお知らせ関連は全部時計塔の下に張り出されてるからな。毎日とはいわないけども三日に一度は確認しとけよ」
 少し呆れながら言ったが、もしかしたらちゃんとミアに伝わっていないのかもしれない。
 この学院の教授はともかく事務員は精霊信仰の者が多い。精霊信仰者から見れば祟り神など厄災とそう変わりない。
 その巫女ともなれば、たとえ魔術学院の事務員でも、なるべく関わりたくないのもわかる話だ。
 神を信仰している者ならば、ミアに対する対応も多少は違っては来るが、それでも好き好んで関わり合いになりたいと思うものはいない。
「むぅ…… 私の知らない事ばかりですね」
 ミアはそう言ってお茶をすする。
 今朝と同じ何かの豆茶だが、もう相当薄くなっていてほとんど白湯と変わりない。
 何度か新しいものに変えられてはいるのだろうが、今は食堂も混んでいて利用者も多い。
 茶が薄くなってしまうのは仕方がないことだし、それに対して文句を言う者もいない。そういうものだと皆理解している。
 ほぼ白湯とかした豆茶を堪能したのでミアは立ち上がった。
「では浴場に行ってから見に行きましょう」
 と、ミアはそう言ってお盆の上を持ちやすいように整理しはじめた。
「え? 逆で良いだろう?」
 と、嫌な表情を浮かべ、スティフィが反応するが、
「ダメです。夜の七時を過ぎたら有料になってしまいます」
 と、返事が即座に返ってきた。
「あー、うん…… 風呂に入った後、寒い中時計塔の下まで行かなくちゃいけないのか……」
 スティフィは諦めた。
 なぜ自分がと、思ったが使命の為だとすぐに自分の中で答えが返ってきた。なるべく行動を共にしておいた方がいいだろうし、ミアもそれを望んでいるように思える。
 口には出さないものの、ミアも友人という存在が生まれて初めてできて浮かれているのかもしれない。
 が、スティフィからしてみれば、馬は合うと思いはしたがミアと友人でいるのは大変のように思えてきた。祟り神とか関係なく。
「あっ、もう七時まで二十分もないですよ、急ぎましょう、走りますよ! 一度寮まで戻らないといけませんし」
「えぇ…… 先に行っててくれよ、私はもう少し余韻に浸ってから行くからさ」
 浴場が有料になると言っても穴あき銅貨一枚分だ。スティフィにとっては大した出費ではない。というか、ミア以外の大概の人にとっては大した出費ではない。
「私は余韻に浸っても小麦の味しかしないんですよ!」
 そう真顔で言われてスティフィも折れるしかなかった。
「いや、それは知らないよ。ああ、もう行くよ、行けばいんだろう。私はミアの子分になったつもりはないんだけど……」
 ため息を吐き、スティフィはゆっくりとだが片付けを始めた。
 もしミアの勧誘に成功し、ミアがデミアス教に入りでもしたら、まず間違いなく自分より上の位につくだろう。
 それはダーウィック大神官も、ミアなら大神官を目指せると言っていたので間違いはない。
 大神官より与えられた使命を全うしてしまうと、恐らく一生ミアの下で生きていくことになるかもしれない。
 それを考えてしまうと、スティフィは特大のため息を吐き出さずにはいられなかった。

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