世界最後の1日に。

こいづみ

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 ジリリリリリ、ジリリリリリ


 マンションの一室、その一部屋。

 窓際に置かれたベッドの脇でけたたましい音が鳴り響く。

 部屋にはベッドの他に勉強机とクローゼット、本棚と生活や趣味に必要な最低限の家具しかなく床には散乱している物もない良く言えばきちんと整頓されている、悪く言えば散乱するほどの物もないつまらない部屋であった。


 ジリリリリリ、ジリリカチッ


 しばらく音は鳴り響いていたが、やがてもぞもぞとベッドから伸ばされた手によってあっけなく沈黙した。

(・・・眠い)

 その手の主は音を止めたはいいもののベッドから這い出すこともせず寝返りを打ちそのまま瞼を閉じる。

 しかし気持ちよく二度寝を決め込んだ矢先、部屋の外からこちらに近づいてくる足音が聞こえた。

「こら!ヒロ君、二度寝しない!もう朝ご飯出来るから早く顔洗ってきなさい」

 扉の前まで足音が近づき間を置かずに扉が開かれ、エプロン姿にお玉をもった男性が飛び込んできた。

 彼は部屋に入るなり慣れた様子で窓際のベッドに向かいカーテンを開ける。差し込んでくる日の光が当たったまぶしさに顔をしかめ、思わず毛布で顔を覆った。

「ん~」

「ほらっ早く起きて」

「ふぁい」

 しばらくもぞもぞと動いていたがやがて眠気と寒さに耐えながらなんとか身体を起こしてくる。

「よろしい、さっ顔洗ってきちゃいなね」

 それだけ言うと彼は扉を閉めずに戻っていった。

 開け放しの扉からは朝ご飯の良い香りが漂ってきていて嗅いでいるだけで目が覚めてくる。

「・・・顔洗ってこよ」

 一人呟き、ベッドから降りた彼、望月弘樹は洗面所へと向かっていった。


「おはよう宗一さん」

「おはようヒロ君」

 顔を洗って居間に入るとすでにテーブルには2人分の食事が用意されていた。

 先ほど弘樹を部屋まで起こしに来たのは吉田宗一、弘樹の姉の香里と結婚した義兄である宗一は働いている香里に代わり専業主夫として家事全般をこなしている。

「「いただきます」」

 席に着き二人は朝食を食べ始めた。朝食は主食に白米、おかずは鮭に味噌汁にサラダと朝食としては一般的な物である。

「最近勉強はどう?捗ってる?」

「ん~まぁぼちぼちかな、あ、夜食ありがとうすごく助かってます」

「どういたしまして、でもあまり根詰めすぎて身体壊さないようにね」

「ありがとうございます」

 弘樹は高等学校の三学年で来年には大学受験を控えている。

 最近は学校が終わり家に帰り、寝る準備が出来た後はほぼ毎日夜遅くまで勉強をしていた。

 志望している大学は弘樹にとってそこまで難関というわけでもないがもはや習慣として根付いてしまっている。

「そういえば姉さんは?」

「それが朝方帰ってきたと思ったらまたすぐ出て行っちゃったんだよねなんだかここ最近忙しいみたいで」

「そうみたいだね、最近朝も夜も全然家に居ないみたいだし何かあったんですかね?」

「わからないけど、まだ続くみたいだよ」

 そう言って宗一は心配そうに少し目を伏せた。

 香里は一企業の代表取締役として多忙な日々を送っているが今回のようにほとんど顔も合わせられないほど慌ただしい日は珍しく、年に1度あるかないかである。

 そこからは他愛のない話をしながら朝食を食べ終え、宗一は食器を片付け弘樹は出掛ける準備を済ませた。

「行ってきます」

「行ってらっしゃい・・・そうだ」

 学校へ向かうために玄関を出たところで宗一に呼び止められた。

「どうしたの?」

「悪いんだけど今日は寄り道しないで早めに帰ってきてね」

「わかったけど、何かあるの?」

「朝方香里さんから今日の夕方6時頃にテレビを二人で見るようにって言われてて詳しくは僕も聞いてないけど、なんだか深刻な感じだったよ」

 香里は仕事柄なのか変な人脈をもっており時折妙な情報を持ち帰ってくることがある。

 そのほとんどは興味も持てないくだらない事が多いのだが今回は少し違うみたいだ。

「そうなんだ・・・やっぱり何かあったみたいだね」

「う~ん、香里さん無理してなきゃいいけど」

「とりあえず、今日は学校が終わったらすぐ帰るよ」

「うん、それじゃあ気をつけて行ってらっしゃい」

「行ってきます」

 宗一との会話が終わり改めて学校へと出発する。外は冬の寒さが顔をのぞかせていて息を吐けば白く色がつきそのまま虚空へと消えていった。

 マンションの二階から辺りを見渡してみると道行く人はコートやマフラーを身に付けていて、より一層冬の始まりを感じさせる。

 自宅から弘樹の通う学校までは電車を使い片道1時間ほどかかる。

 今日はいつもより登校する時間が遅かった為電車内はだいぶ混雑していて、寝不足気味のだるい身体には少し堪えた。


 学校に着き教室の扉を開けるとすでに大半のクラスメイトは教室に集まっていた。

 中では充分に暖房が効いていて必要のなくなったコートを手に掛けながら自分の席に向かう。

 弘樹の席は窓際の最後尾にある、その位置から弘樹がいないときには誰かしらがその席を談笑の場として使っている。

「お~うヒロー、はよー」

「おはよう弘樹、なんだか眠たそうだね」

 今日も弘樹とその一つ前の席に座り話していた男女二人が弘樹の姿を見つけ声をかけてくる。

 彼らは櫻井勇人と五十嵐小春、二人とも小学校、中学校と弘樹と同じ学校に通っていた幼馴染みである。

「勇人、小春おはよう、昨日結構遅くまで集中してて寝るの遅くなったから」

「なんだよエロサイト巡りでもしてたか?」

「そんなっ!弘樹がそんな子に育ってしまったなんて・・・」

「違うよ勉強だよ」

「冷静だな、もう少しちゃんと突っ込めよ」

「そうよ、私たちがバカみたいじゃない」

「眠いんだよ、お前らが朝から元気なだけだろ」

 そう言いながら弘樹は後ろの壁にコートをかけ、荷物を下ろし勇人と入れ替わるようにして自分の席に腰を下ろした。

 普段は幼なじみ二人の冗談交じりの問いかけにもある程度合わせて会話をするのだが昨夜遅くまで起きていた弘樹にそんな元気はなかった。

「ていうかそこまで毎日勉強しなくてもお前なら志望大学余裕だろ」

 勇人が弘樹の隣の席から椅子を引きずりながら呆れ混じりに言う。

「勉強するに越したことはないだろ」

「まじめね~」

「お前らが不真面目すぎるの」

 そんなことを言っている二人だがもう専門学校に合格している小春はともかく勇人も弘樹と同じで大学への受験を控えている。

 それなのに日々遊び回っている勇人を横目で見ながら弘樹は深いため息をついた。

 そうして話しているうちに朝のホームルームの時間になり担任の教師が教室に入ってきて勇人と小春は自分の席に戻っていった。


 今日もいつも通りの一日が始まり


 そして過ぎ去っていく。


「ヒロ今日この後空いてるか?」

 最後のホームルームが終わり、荷物をまとめている弘樹におもむろに勇人が尋ねてきた。

「なんで?」

「これから勇人とカラオケに行くのよ」

 弘樹の問いに荷物をまとめ終わった小春が答える。まだ教室の中だというのにすでにコートを着込んでいる。

「お前だって毎日勉強ばっかしてないでたまには肩の力を抜くのも大事だぞ」

「そうよ、たまには羽目を外しとかないと身体持たないわよ」 

 奇しくも今朝宗一から心配されたことを二人にも言われてしまった。

 弘樹からしたら無理はせず自分に出来る範囲の事だけしているつもりなのだが周りから見たら少し無理をしているように見えているらしい。

「別にそんなに気を使わなくても・・・」

「そう言うとは思ったけどそんなものはただの口実だ!」

 弘樹の鼻先に人差し指を突き立てながらなぜか得意げな顔で勇人が捲し立てた。

「口実?」

「最近学校が終わればやれ勉強だ、やれ家の手伝いだでお前と遊ぶ時間がなかったからな」

 そういえばここ数か月勇人や小春の誘いを断り家と学校の往復をする毎日であった。

 というのも香里には普段の生活から学費まで出してもらっているため弘樹はこれ以上負担をかけないためにも卒業後働くつもりだったのだが、香里や宗一との話し合いの末大学進学をすることに決めた。そのため弘樹は二人にはこれ以上迷惑はかけまいとプライベートの時間はすべて勉強や家事手伝いにいそしんできた。

「いつも通り勇人と二人でもいいんだけどたまには弘樹とも遊びたいじゃない」

 勇人に続いて小春にもそんなことを言われてしまう。今までずっと二人の誘いを断り続けてきたのにこんな事を言われてしまっては、弘樹としても二人との時間を大切にしたいのだが。

「ごめん、今日は本当にダメなんだ」

「なんだよまた勉強か?大丈夫だって一日くらい休んだって、それよりも今後の効率のために少しは頭を休めてだな」

 今日はどうしても連れていくつもりなのだろう、このまま放っておけば首を縦に振るまでよく分からない理屈を押し付けられてしまう。

「ちょっと待って今日は本当に違うんだって」

 力強く語り続けようとする勇人を声をあげて押し止めた。

「違うって何が?」

 無理矢理に講釈を遮られ、少し不満げな表情の勇人に代わり小春が聞き返す。

「今日は姉さんに早く帰ってくるように言われてるから」

「香里さんに?」

「そりゃまた、何て言ってたんだ?」

 二人とも幼い頃から一緒に遊んだりしていたので当然香里についても知っている。

 最近では会うこともなくなっていたが普段の弘樹とのやり取りの中で香里の近況の話も出ているので話が出ること自体には疑問は示さない。

「なんか、夕方にテレビ見ろって」

「・・・え、それだけ?」

「俺もそれしか聞いてないから」

「また香里さんのくだらない情報とかじゃないの?」

「なんか深刻そうだって宗一さんも言ってたから」

 何とも歯切れが悪いとは自分でも思うが、しかし直接聞いたわけではないので弘樹もあまり自信をもって回答ができない。

「ふーん、じゃあ仕様がねえか」

「そうね、それじゃあ仕方ないわね」

 それでも二人はすんなりと受け入れてくれた。

 なんだかんだ言っても弘樹や香里の事をよく知っている二人なのだ、いつもの弘樹個人の裁量で変えられる予定でないことを察してくれている。

「じゃあいつも通り小春と二人で行ってくるわ」

「残念だけどそうするわ」

「ごめんな」

 少しの間沈黙が流れた。

 話していて時間がたったのか外では運動部の掛け声が響いている。教室に残っている人も自分たちと同じように知り合い同士で喋っている人たちが数人だけとなっていた。

「あ~、だからさ」

 やがて沈黙を嫌った弘樹が遠慮がちに口を開いた。

「今日は無理だけど明日とか明後日とか、近いうちに遊びに行こうか」

 こうまで気にかけてくれる二人に対してただ断るだけでは申し訳なく、また弘樹も最近学校でしか話せていない二人と久しぶりに遊ぶのが楽しみになっていた。

「おう、いつでもいいぜ」

「あたしもいつでも大丈夫」

 弘樹の提案に二人は笑顔で返事をした。

 遊びには誘ってみたものの自分の意見ばかりで二人の予定を考えていなかったことに気付き内心焦っていたが、快く了承してくれたので思わず顔がほころんだ。

「じゃあ予定が決まったら連絡するから、今日はもう帰ろうか小春もそろそろ外に出たいだろうし」

 コートを着ていた小春はその姿のまま暖房の効いた教室で話し込んでいたため頬が少し桃色に染まっている。

「そろそろ限界だわ」

 弘樹に言われ小春はわざとらしく呼吸を荒くさせた。

「ちょっと待ってまだなにも用意してないから」

 勇人が慌てて自分の席に戻っていく。

 弘樹も先程の会話の中で自身の荷物をまとめ終えていた。そのまま後ろの壁にかけてあるコートを手に取り小春と共に教室の扉まで向かっていく。

「じゃあな勇人」

「バイバイ勇人」

 小春が顔の横で小さく手を降り二人は教室を後にした。

 残された勇人が大声で悪態をつきながら急いで荷物をまとめている。

 二人は昇降口から外に出て校門まで向かって行った。校門で小春を一人残して弘樹は近くの自動販売機で缶のココアを三人分購入し、戻って小春にそれを1本手渡す。

 待っている間に冷えてしまったのか小春はそれを顔に宛てがい暖を取る。

 そのまま二人で会話をしながらココアを飲み始めたところで勇人が不貞腐れた様子で合流した。

「お前ら準備できるまで待っててくれてもよかっただろ」

「準備できてないのが悪いのよ」

「仕方ねえだろ、弘樹のやつ早く声掛けねえとさっさと帰っちまうんだから」

「悪かったよ、ほら」

 余ったココアを勇人に投げ渡す。

「お、サンキュ」

 ココアを渡したところで三人は駅に向かって歩き出す。

 勇人と小春は電車を使っていないので家とは違う方向なのだが二人が毎回利用しているカラオケ店が駅周辺にあるので必然的に三人で同じ方向に進むことになる。

 学校から駅までは数分なのですぐに到着した。

「じゃあ弘樹、連絡待ってるからな」

「ちゃんと連絡くれないと怒るからね」

「わかってるよ」

 二人の剣幕に弘樹は思わず苦笑を浮かべながら答えた。


「それじゃあ、また明日」


「おう、また明日な」


「じゃあね弘樹、また明日」


 別れの挨拶を済ませ、弘樹は改札を通り抜ける。行きと同じく電車に揺られて家路についた。

 自宅最寄り駅に着いたころには日もほとんど傾いていて建物の隙間からオレンジ色の夕焼けが覗いている。

 駅から家に帰る途中なんだかいつもよりも冷えるような気がして少し早足に帰宅を目指す。

「ただいま」

 マンションに着いた頃にはすっかり日も落ちていた。

 二階にある自宅玄関を開けた途端に中から良い香りが漂ってくる。

「おかえり」

 宗一が今朝と同じエプロン姿で弘樹を迎え入れた。

「今夕ご飯作り始めたばかりだから先にお風呂入ってきちゃって」

「わかりました」

 軽く返事をして自分の部屋に戻り入浴の準備を済ませる。

 いつもなら1日の疲れを取るかのようにのんびり湯船に浸かるのだが、今朝宗一に言われたことを思いだし早めに切り上げて居間に戻る。

 そこでは丁度宗一がテーブルに出来立ての料理を並べているところだった。

「お風呂上がりました」

「はーいもう準備終わるから座ってて」

 言われた通りに椅子に座り、宗一が準備を終えて共に食事を始める。

 こうして特に予定がなければ家にいる全員で食事をするのが弘樹たち家族の日課となっている。

「宗一さん」

 食事中会話が途切れたところで弘樹が呼び掛ける。

「なに?」

 宗一がサラダを自分の取り皿に盛り付けながら答えた。

「明日か明後日なんだけど友達と遊びにいくから帰り遅くなります」

 それを聞き宗一は嬉しそうに目を細めた。その様子から弘樹が最近すぐに家に帰ってきては勉強や家事の手伝いばかりしていて自分のために時間を使ってこなかった事を本当に心配していたのが見てとれた。

「うんいってらっしゃい、でも遅くなるときは連絡頂戴ね」


 他愛のない会話


 いつも通りの日常


 いつまでも続いていくような


 そんな気がした。


「そういえば今朝姉さんが言ってたテレビってどれを見ればいいの?」

 ついているテレビを気にしながら宗一に訪ねる。

 もうあと数分で香里の言っていた6時になる。直前になって思い出し、疑問をそのまま口にした。

「そういえば言ってなかったな」

 宗一が顎に手を宛て俯きながら思案する。

 しかし思い当たる記憶がなく絞り出すように返事をした。

「なにも言ってないってことはどこでもいいってことかな?」

「でもどこも同じことやるってあるのかな?」

 二人で考えながらもとりあえずテレビはつけておく。

 テレビではコメンテーターが特集されたニュースに饒舌に持論を述べていた。

 やがて今やっていた特集が終わり、キャスターがこちらに向かって喋り始める。

『続きまして、えーここで突然ですが速報が入りました。この後18時から内閣総理大臣が緊急会見を開きます。番組ではこの後の番組内容を変更して会見の様子を生中継したいと思います』

 ベテランであろうキャスターが流暢に読み上げた。

 それを見ていた弘樹と宗一はお互いに顔を見合わせた。

「・・・姉さんが言ってたのってこの事かな?」

 もしそうだとしたら香里の人脈はいったいどうなっているのか、得体の知れない寒気に二人は身震いをした。

 だが今はそんなことはどうでもいい、香里が二人に見るように半ば警告のように言い残していったのだ。それでなくても内閣総理大臣の緊急会見だ二人は固唾を飲んでテレビを見守った。

 会見が始まりテレビの中では途中何度も言葉をつかえさせながら世界中の研究機関と協力したとか、何万回とシミュレーションを繰り返したとか、だらだらと話が続き、弘樹が話に飽きてきた頃その言葉が紡がれた。

『今から42日後の午前4時半から7時の間に少なくとも直径200kmはある小惑星が地球に衝突します。その影響によりこの地球上に存在する人類の生存率は、限りなく0となるでしょう』

 その瞬間二人は時間が止まったかのように動けなくなった。食べ物を口に運ぶのも、手に持っている箸を置くのも、そして息をするのも忘れてテレビから目が離せなくなった。


 こうしていつも通りの日常は突然終わりを告げていった。

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