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秘密篇
第十三話 満月《みつるつき》(二)
しおりを挟む案内された部屋はやっぱりこじんまりとしていて、可愛くて、ベッドカバーのキルトも飾られた花もあったかくて気の休まる感じがする。
管理人夫人に手伝ってもらって、ドレスを脱いで、簡素な部屋着を着たら、もういつものあたしだ。
夫人が運び込まれた荷物の中から取り出したのは、緋色グラデーションのワンピース。胸下で絞ってストンと落ちるデザイン。スカート部分は何重かのフリルになっていて歩くとヒラヒラ足首に纏わりつくのがなんとも言えず乙女心をくすぐる。
シューズもヒールのない柔らかい素材で出来ていて、まるで裸足のように感じられる。
「お可愛らしいですわ、殿下もお喜びになるでしょう」
複雑に編み込まれて重かった髪をほどき、丁寧にとかしつけながら夫人が微笑む。
なんであたしが可愛いと王子がオヨロコビなんだろうと首を傾げる。けど、あたしが軍服姿のカッコイイ王子を眼福だわと見とれるようなものかしらと思い、ニコリとお礼の笑みを浮かべるにとどめた。
横の髪を少しとって、軽く捻ってうなじの辺りでまとめた髪型は、変に子どもっぽくもなくて気に入った。
っていうか、さっきからあたしどうも浮かれてる感じなのよね。
なんでかしら、自然の気が濃いから? 新しい服のせい?
それとも―――、
「カノンどの。天気もいいし、外で昼食にしませんか」
同じように軍服を脱いで、ラフな格好になった王子が扉から顔を出す。あたしはピョコンと立ち上がって彼のところへ行った。
ただ白いシャツを羽織っただけでもカッコイイって得だなぁ、と美人な旦那さまを見上げると、彼はまじまじあたしを見下ろしてて。
なんか付いてる? なんて頬に手を当てた。
「良かった。よくお似合いです」
上機嫌な笑みと共にキスが降ってくる。
にゃああああっ! 人前っ、まだ夫人がそこにいるのにっ!
微笑ましそうに見られてますがー。
しかし、“お似合い”はいいとして何故に“良かった”?
疑問に思ってからハッとした。馬車から運び込まれた荷物。てっきり家で用意して貰ったものだと思ってたけど。
このワンピースみたいに、新しいものだとしたら?
「王子、この服……」
「私が見立てたんですよ。お気に召しました? あとで他のものも着て見せてくださいね」
まさかもしやと思ったけれど。他のってナニ、いつの間に用意したのーーー!?
あたしのサイズにピッタリだけど、子供服っぽくないってことは、フルオーダー? ものすっごい着心地いい軽い素材、いくらしたのっ?!
「カノンどのは装飾品はあまりお好きでないと聞きましたので。普段にも着れる、こういうものなら喜んで頂けるでしょう?」
もったいないなんて野暮なことを言いかけたあたしの思考を先回りして、拒否をさせない辺り王妃様の血だ。
しかも、「妻を美しくするのは夫の役目ですよ」なんてサラリと言われちゃったら、受けとるしかないじゃない。
服が素敵なだけに。
アリガトウゴザイマス、って言うだけでそんなに幸せそうにするんだもん。いくらだって着せ替えしてあげるよって気になっちゃう。
木陰に敷物を引いて。
大きなバスケットに入ったパンや野菜、ミートローフやハム。
王子は器用にそれらをちょうど良いサイズにカットして、サンドイッチを作ってくれる。
ちょっとしたピクニック気分だ。
簡易コンロに火を起こして手際よくお茶まで淹れて、それがまた美味しくてあたしがいちいち驚いたり感心したりする様子に彼は苦笑した。
「戦に出れば野営するときもあるんですから。一通りのことは出来ますよ」
だって王子様なのに。
「戦場では、そんなことを言ってられませんしね」
戦場って。
数年前までは確かに周辺国は落ち着かない体制だったし飛び火することもあったけど。
親世代が頑張ってくれたお蔭で、徐々に平穏が浸透してきてるのに。
「――わたしの初陣はアシス国境の戦でした」
聞き覚えのある地名にあたしは瞬く。
西の国境。ドラウード公国との間にアシス平原を挟んだその場所で、四年前、戦があった――正しくは、戦になりかけたことがあった。
公国に属する一人の魔術士が外道を行い、個人の目的のために国を巻き込んでブランシェリウムに攻め入ろうとした、あの出来事。
その場所にいた?
「前線の指揮を任されていました」
その意味するところは。
「ぅぇえぇ――――ッ!??」
仰天のあまりハシタナイ叫び声を上げたあたしを楽しそうに王子は見る。
いたのか! あの場に!!
いっぺんにあのときのことが脳裏に蘇り、筆舌に尽くしがたい羞恥にあたしは悶える。
あああ! 穴があったら入りたい――!!
前線にいたってことはまさにあのあれを目撃されたワケで! ああそれで以前からあたしを知っているようなこと、
頭を抱えて恥ずかしさに耐えるあたしをぎゅっと腕に閉じ込めて、「どうしたんですか?」なんて言う。
どうしたじゃないし!
若気の至りっていうか考えなしの暴走を知られてるなんてーーー!
「一目惚れだったんですよ」
・・・ひ?
困惑したまま王子を振り返ると、逃げ出したくなるような、愛しいって眼差しで言ってるような瞳が、あたしを見つめていた。
―― 一目惚れだったんですよ ――
そんなことをとろけるような笑顔で王子に言われて、冷静でいられる女がいるだろうか、いや無理無理、大・混・乱・ですッ!!
「ひ、一目惚れされるような要素どこにもなかったと思うんですけどっ」
あわあわしつつも年上としての余裕を見せなきゃ! なんて無駄な見栄を張り、言う。
「――そうですか? 両軍がぶつかろうとするあの場に、たった一人で現れた貴女は、見惚れるくらい凛と美しくていらっしゃいましたよ」
クスクスと、照れるを通り越して煮えそう、否、煮詰まりそうになってるあたしの膝に置いた手を取って、旦那さまは指先にくちづけを落とす。
まなざしがひたすら、甘い。
全開…ッ、全開だ、王子ッッ!
赤いどころか黒くなってるんじゃないだろうか、あたしの顔色。
王子の眼に映る全ての部分が、燃えそうに熱い。
「同じ国のすぐ傍で―――」
握っていた王子の指先がするりと手首の内側を撫でる。
「貴女が存在していたことを、それまで知らず、気付かずに、生きていた自分が、とても間抜けに感じました」
トクトクと血潮が流れるその辺りを大きな手のひらが包み込み、鼓動を重ねるようにしばらく王子は言葉を切る。
「こんな小さな身体で」
捧げるように持ち上げられて、皮膚の薄いところに唇が押し当てられる。ぞくぞくと小さな火花が背筋を走った。
「だけど、貴女はあの場にいた誰よりも高潔で偉大な存在でした」
――惚れない男がいますか。
いやいやその理屈でいくと、あっこにいた野郎共みんなあたしにまいっちゃうことになるから。「見る目がないですね?」じゃなくて王子の目が変なんだよ。
「――礼を。まだ貴女に言っておりませんでしたね」
秀でた美しさを見せる額にあたしの手を押し当てて。
「貴女のお蔭で我が民が傷付くことなく戦が終わりました。感謝を、緋の魔女永和」
そんなこと。
そんな感謝をされる事をしたわけじゃないのを自覚しているだけに、いたたまれない。
「……ほんとは、しちゃいけないことだったんだよ」
ポツリこぼした弱い声に、王子の眼が瞬く。
―――あたしがあの日戦場に飛び込んだのは、完全に先走った行為だった。
まだ確証もなく、一族の決議も得られていないのに、我慢が出来ずに飛び出して、ハッタリをかましたんだ。
あたしには見えていた、闇の色。
あの男が、邪道を行い、魂を穢し、世界の理を枉げようとしていたことを。
あたしは分かってしまったから。
長たちは秩序を守るが故に、目に見える確証がなければ動けず。だけど。
一族が動くことが出来る条件が揃う、ほんのわずかな時間、ほんの少しの逡巡、その所為で。
どれほどの血が流れ、命が奪われるのか、見えてしまったから―――、
懲罰を覚悟の上で、あたしは飛んだんだ。
『 両軍、退け! この争いは我らが預かる!! 』
平原に降り立ったときは、もうヤケクソで。
たぶん、ブランシェリウムの陣営の奥にいる親父が今頃眼を剥いているだろうなぁ、なんて内心半笑いで。
このさいだからと思い切りチカラを振るったんだ。
王子はあたしが平然としてたように思ってたみたいだけど、実際は口から心臓が飛び出そうなくらい焦っていた。
それまでも、緊迫した場に自分を置いたことがないわけではなかった。
緋の魔女として仕事を任され、見知らぬ国の支配者と対等に振る舞うこともしてきた。
でもそれは後ろに仲間がいてのことで。
あんな風に一人きりじゃなかった。
自分一人に数刻後の世界の行く末が委ねられたあの重圧。
ひとつ間違えれば、あたし自身が災いになりかねなかったあの状況。
今思い出しても喉が詰まるような恐ろしさがある。
――結果を見れば、あたしの行動は更なる悲劇を防ぐのにこれ以上はないというタイミングだったのだ。
あの魔術師が、陣営関係なく全ての兵を贄にして行おうとしていた外法。
その術式が完成しようとしていた寸前に、あたしがそれをぶっ壊した。
結果オーライということで、たいしたお咎めはなかったんだけど。
「あたしは緋の魔女なんだから、あんなふうに感情に任せて動くべきじゃなかったの」
自国だからって、特にブランシェリウムの肩を持つつもりはなかったけれど、後でそのことを取り沙汰されて内々で揉めたことは、言わない。
自分の国に被害がありそうだったから、掟を無視して動いたんじゃないか、と。
なのに何の咎めもないというのは問題があるのではないか、と。
緋の魔女も一枚岩ではない。
特にあたしは一族でありながら里に属さず、特例としてブランシェリウム貴族としての戸籍を持っているから、それを不満に思う者たちからの非難があって。
――長の血筋の癖に。
――身贔屓が過ぎるのではないか。
――力が強いからといってあの行動は傲慢ではないか。
――そもそも何故あの娘だけが外界で生きることを許されているのか。
あたしが生まれたときから時折浮上するその問題。
カノン・ラシェレットが――緋の魔女永和が特例も特例な生き方を許されてる理由。
それは親父が母様と出会った頃に、一族と世界に対して貸しを作った出来事によるものなんだけど。
あのことで母様にも迷惑かけちゃったしなあ。
あたしとしては、もっと上手く動けなかったかな、と反省する。
世界の秩序を守るとか、外法が許せなかったからとか、そんなご立派な理由じゃなくて。
止められるチカラを持っているのに動かずにいることが我慢できなかった。
傲慢と言われればそうかもしれない。
自分なら、止められるという確信があったんだから。
「……それでも、あの時貴女がそうしなければ、我が国の民だけでなく、たくさんの命が無意味に奪われていたんです」
俯きながら言い訳をするあたしの顔を長い指が上げさせて、ヒタと真摯な紫色が見据える。
「緋の魔女としては良くない行動だったかもしれませんが――国を統べる立場にいる者として、貴女の行為を尊重し感謝いたします」
どうして。
貴方はいつもあたしが楽になる言葉を探し出してくれるんだろう。
あの行動が、正しいものだったなんて、胸を張って言えないけれど、でも、後悔はしてないの。
たくさんの命を救った、なんて自慢をするつもりもない。
でも、こうして労われるだけで、ほどけていくものがある。
間違ってなかったよね?
誰に非難されても、一人だけでも、こうしてあたしを肯定してくれるなら。
あのときの無謀なあたしを誉めてあげることが出来る。
「カノンどの」
ほろほろ涙を落とし出したあたしを、強い腕が抱きしめた。
――ああ、あたし、もう一人で頑張らなくてもいいんだ。
緋の魔女として。
伯爵家を継ぐものとして。
両方を両立するために、いろいろ堪えて頑張ってきた、その弱音を、彼の前では隠さなくていいんだ。
貴方と結婚するって、そういうことだよね―――?
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