聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?

渡邊 香梨

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第二部 宰相閣下の謹慎事情

536 思考回路はショートしました

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「宰相。起きた事象をマトヴェイ一人に説明させるのは酷と言うものだろう。テオドル大公は、おまえの言う通りに、夫人のところでしばし羽根を伸ばして貰い、姉君にもひと息ついてもらうとして、だ。おまえはマトヴェイとコンティオラ公の所へ行って来い。帰るなら、それからだ」

「――――」

 返事の代わりに、エドヴァルドの目がすっと細められた。

 ……多分のエドヴァルドより、テオドル大公や私が説明した方が良い気がする。

 多分同じコトを思ったであろうテオドル大公も、フィルバートに声をかけようと手を上げかけていたけど、フィルバートは笑みを絶やさないまま、大公と私に向かってひらひらと、帰れと見える態度ゼスチャーで片手を振った。

「大体の経緯はこれまでの報告書やら話やらで理解した。大公と姉君で、裏付けにもなった。だがそれと、外交文書を仕立て上げるのとでは、話が違う。それは外交部と宰相との給料仕事だ」

 仕立て上げ、って……と思ったけど、フィルバートの言も、確かに間違ってはいない。

「私も鬼ではない、宰相。姉君を公爵邸に送り届けるくらいは許可してやる。明日明後日と出て来ないつもりなら、外交部に文書の道筋くらいはつけておいてやれ」

「……承知しました、陛下」

 むしろマトヴェイ外交部長の方が、気疲れが増すばかりだから「手伝わなくて良い」と、切実に願っている風に見えるけど、部長の立場では、この場で何を言える筈もなかった。

 コンティオラ公爵サマの分と併せて、胃に優しい何か、一度進呈した方が良いのかも知れない。

「帰ろうか、レイナ。私はすぐに引き返す事になるだろうが、貴女はゆっくり休むと良い」

「…………はい」

 そして私も、エドヴァルドの手を取る以外に、今この場で出来る事は何もなかった。

*        *         *

 各領の財務定例報告の期間は過ぎているものの、一連のゴタゴタもあって、宰相室とイデオン公爵邸との小型の〝転移扉〟は、再度臨時に繋がれているらしかった。

 エドヴァルドの謹慎の話が決着するまでは、ひょっとしたらこのままになるのかも知れない。

 宰相室の中にいた副官シモンが、エドヴァルドの姿を目にして自身の執務机から立ち上がろうとしたところ、エドヴァルドの方は「彼女レイナを送ったらすぐに戻る」と、シモンを片手で遮り、そのまま奥の〝転移扉〟のある部屋に移動した。

 もちろん私は、ずっと手を引かれたままだ。

 最近、シモンの視線が色々と諦めた感じになっている気がして、ちょっといたたまれない。

 そして部屋を移動したタイミングで、言葉の代わりに繋がれていた手にギュッと力が入って、まるでそれが合図だとでも言う様に、景色の歪んだ先は――イデオン公爵邸の、執務室だった。

「レイナ」
「は――」

 はい、と確かに返事をしようとしたんだけれど、繋いでいた手を強く引き寄せられ、気が付けばいつの間にか、エドヴァルドの胸の中に倒れこんでいた。

「ああぁっ、あの……っ⁉」
「多分今日は遅くなる」
「……えっと」
「夕食は先に食べて、夜も先に休んでいてくれ」
「…………はい」

 それ、この姿勢で言う必要があるのかと思ったものの――話には、続きがあった。

「明日の夜〝アンブローシュ〟に行くから」
「……っ」

 いいな?

 そんなコトを耳元で囁かれれば、高速で首を縦に振る事しか出来ない。
 一瞬だけ、くすりと微笑わらう声が聞こえたけれど、すぐに「それから……」と、まだエドヴァルドの話は続いた。 

「昼の間は、私と行って欲しいところがある」
「外出……ですか?」
「ああ。少し郊外になるが、そこまで遠くはないから大丈夫だ。夕食に影響はない」

 どこ、とはエドヴァルドは言わなかった。
 どうやら許可のいる場所らしく、朝一番で連絡をとってから、改めて行先は言う――と言う事らしい。

「さて、気は進まないが戻らなくてはな」

 ため息まじりに、本気で嫌そうにそう吐き出したエドヴァルドは、片手を伸ばして呼び紐を引いた。

「旦那様」
「ああ」

 部屋の扉がノックされて、セルヴァンが中へと入ってきたものの、一緒にいる私を見て、その場で硬直していた。

 それはそうだと思う。
 いくらセルヴァンでも。

「レイナ様も……お戻りになられたんですね?一時的なご帰宅で、また邸宅おやしきを離れる――とかではございませんね?」

「あ……えーっと……」

 エドヴァルドが力を緩めてくれないので、首を入口に向けるだけでも一苦労だ。

「た……ただいま」
「――おかえりなさいませ。無事のお戻り、何よりでございます」

 もう、この体勢に対しては何をつっこむ気にもならないんだろう。

 おかえりなさいませ、と告げた声も、笑顔も、ただただ、柔らかかった。

「セルヴァン。私はまだ王宮で後始末が残っている。戻りは遅くなるだろうから、レイナの夕食は先に。夜も早めに休ませてやってくれ」

「かしこまりました」

「それと〝アンブローシュ〟は明日に。追加事項として、仮で良いから明日、予備で明後日。エウシェンへの訪問許可を取っておいてくれ。レイナと二人で訪れようと思う」

「……は……」

 どうやらエウシェンとは、明日の行先らしい。

 それが場所の名前なのか人の名前なのか、私には分からない。

 だけどセルヴァンはそれが何を指すのか分かっているみたいで、僅かな動揺を見せていた。
 その後で改めて「かしこまりました」と、頭を下げていた。

 エドヴァルドは無理そうだけれど、セルヴァンは、聞けば教えてくれるだろうか。
 とは言え、エドヴァルドが今言わないものを無理に聞き出すのも、筋が違う気がする。

 私は我慢して、疑問を呑み込むしかなさそうだった。

「……まったく、貴女のそう言うところが……」
「エドヴァルド様?」

 エドヴァルドが、何かを言いかけて途中で止めたために、私は必然的に顔を上げる事になったのだけれど、言葉の代わりに降ってきたのは、エドヴァルドの唇だった。

「⁉」

 とは言っても、王宮に戻らなくてはならないと言ったのは、エドヴァルド本人だ。
 キスは本当に、唇をかすめた程度の軽いものだった。

 それで動揺をしないかと言われれば、それはそれで話は別なんだけど。

「――行ってくる」
「あ……はい……その、行ってらっしゃいませ……」

 最後、思考回路が焼き切れてしまって、それしか言う事が出来なかった。

 半ば茫然と、一人〝転移扉〟の向こうへと姿を消すエドヴァルドを見送る事になった。
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