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図中的長夜之飲(絵の中の宴)
002:愛月撤灯(二)
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先ほどまで素っ裸で山の中に突っ立ってはいたものの、落ち着いてみると存外に寒い。外の様子を窺い見れば、ちらちらと雪が舞っている。――思えば煬鳳が凰黎と共に暮らすようになって、初めての冬だった。
とはいっても暮らし始めたのは落ち葉が積もり始めた頃だったから、まだ三月ほどしか経ってはいないことになる。
それでも自分でも驚くほど今の生活に馴染んでいて、凰黎のいない毎日なんて考えられなかった。
「なあ、凰黎?」
凰黎の背に腕を回し、触れ合う肌の温かさを感じながら、煬鳳は凰黎を見上げる。
「なんです?」
煬鳳の頭上から、凰黎の声が投げかけられた。その先には、先ほどと同じ柔らかい視線が煬鳳のことを見つめている。
煬鳳は先ほどふと思いついたことを口にしてみた。
「凰黎はさ、一体いつから俺のことが好きだったんだ?」
凰黎が以前から煬鳳を好きだったという話は、弟子である夜真からも懇々と聞かされたが、そこから想像するに『凰黎と煬鳳が剣を交えるようになった頃』には既に凰黎は煬鳳を好きだったということだ。
――なら、その前は?
一体何を切っ掛けに凰黎は煬鳳のことを気にするようになったのだろうか。
煬鳳自身は、つい最近まで凰黎のことを『面倒な奴』だと思っていて、玄烏門を巻き込んだ壮大な『やらせ』の一件まで、凰黎に向き合ったことは無かった。しかも凰黎に『愛している』と言われ、初めて凰黎のことを意識した始末。
意識し始めると坂道を転がり落ちるがごとく、あれよという間に凰黎のことをいつの間にか好きになっていたことに気づかされた。
チョロいと思われるかもしれないが、実際のところチョロいかもしれない。
しかし紆余曲折あったにせよ、はっきりと自覚した気持ちは『凰黎が好き』だったし、こうして二人で身を寄せ合って穏やかに暮らすことにこの上ない幸せを感じているのも事実だ。
――ずっと、このままでいたい。
だからこそ、凰黎が一体自分のことをいつ、何故好きになったのか気になり始めるたらなんだか落ち着か無くなってしまったのだ。
しかし凰黎は微笑みを崩すことは無く、答えることもなく、何故か悠然と煬鳳のことを見つめている。
答える気はないのかと思えば、
「ふふ。いつからだと思いますか?」
などと答えにならない言葉ではぐらかされてしまう。煬鳳は少し考えたあとで、考えを口にした。
「いつって……門派対抗でやった比武のとき、とか?」
それでも凰黎の表情は変わらず、先ほどのように微笑んでいる。
どうやらこれも違うらしい。
……『一番初めに剣を交えた時』とまで訊ねるのは、いくらなんでも自惚れが過ぎやしないだろうか。
(逆に、もっと後……とかかな)
結局悶々としたまま答えは出なかった。
「なあ、答えはどうなんだよ、教えてくれよ」
最終的にはそう懇願したのだが、凰黎はやっぱり笑うだけ。
「……そうですね。ずっと好きでしたよ」
「ずっと、っていつ?」
「ずっとはずっとです」
「なんだ、教えてくれないのか」
凰黎は割とずるい。
大概のことは笑顔で答えてくれるのだが、言い辛いことは笑顔ではぐらかす。……丁度、今のように。
煬鳳にできるのは頬を膨らませるか口を尖らせるか、あるいは両方の手段をつかって抗議することくらいなもの。子供っぽいと言われるだろうが、他に手段が思いつかないから仕方ない。
「そんな顔をしないで、愛しい人」
そして大概においてその抗議は、凰黎の言葉によって瓦解する。耳元で囁かれた甘い言葉、耳元にかかる凰黎の息。それによってふにゃふにゃと表情を崩した煬鳳は、気恥ずかしくて思わず顔を背けてしまった。
「……!」
恥ずかしくて言葉も出ない。
同じ家に住み、寝食を共にしているにもかかわらず、いまだに照れてしまうのは持って生まれた性格ゆえだろうか。
最終的には何も言えなくなって頭から被褥*をかぶると、
「もう、寝る!」
と凰黎の胸の中に顔を埋めてしまった。
「そう拗ねないで、煬鳳。代わりにちょっと面白い話を聞かせましょう」
宥めるような凰黎の声が聞こえる。煬鳳は元々単純な性格のため、ほんの少し前まで拗ねていたことも忘れて『面白い話』に興味が湧いてきた。
「……面白い話?」
聞き返す煬鳳に「そう」と頷くと、凰黎は煬鳳を膝の上に座らせる。疲れないのかと思わなくもないが、凰黎は抱きしめることの次にこれがお気に入りらしい。
「私が初めて妖邪を退治した時の話です。……興味ありませんか?」
「……すごくある!」
煬鳳の知る凰黎は、その存在を認識した時から非の打ちどころのない完璧な青年だった。剣の腕前も術の腕前も、社交性も責任感も何から何まで完璧だった。剣と術の腕なら煬鳳も負けてはいないと思っているが、社交性と責任感については皆無だったし、全てを兼ね備えてなお誰にも引けを取ることがない凰黎の存在は異質なものだった。
そんな凰黎が初めて妖邪を退治した時の話なんて、気にならないわけがないじゃないか!
心の中でそう叫ぶと、煬鳳は凰黎が語りだすのを大人しく膝の上で待った。
「あれは――私が九つの頃でした」
「待って」
思わず煬鳳は突っ込んでしまった。
「九つってどういうことだ!? どこからどう見たって子供だろ!?」
「そうですね、子供でした。背丈も貴方の半分くらいかもう少し小さかったと思いますよ」
「……」
煬鳳も腕に自信はあるほうだが、凰黎は別格の天才だ。薄々気づいてはいたが、たった今それを思い知ってしまった。
それはさておき、九つで妖邪退治に出させるやつもどうかとは思う。
「話の腰を折らないで下さい。続けますよ」
気を悪くするでもなく、にこやかに凰黎はそう言うと、煬鳳を抱き寄せる。
真冬の上に粗末な小屋では寒さなど凌げるはずもないのだが、不思議と寒いとは感じない。夏や秋なら虫の声でも聞こえただろうが、生憎と聞こえるのは風の音と木の葉が擦れ合う微かな音、それに――二人の息遣い。
凰黎が小さく息を吐き出すと、白い煙が夜闇のなかにふわりと浮かびあがった。
* * *
凰黎が九つになったある日のこと。
蓬静嶺の嶺主である静泰還に呼ばれ、凰黎は彼の元へ赴いた。凰黎が静泰還の居室にやってきたとき、彼は書き物をしている最中だったが、凰黎が来たことに気づくと顔を上げその手を止めた。
「嶺主様、お呼びでございましょうか」
はっきりとした口調で彼に言い、凰黎は丁寧に拝礼する。幼さは隠せないが、傍から見れば九つという年齢に比べ、かなり大人びた少年だ。しかしながら、当時の凰黎はまだ嶺主代理ではなかったし、優秀であるとは言われてもまだまだ子供、というのが世間一般の評判だった。
少々気難しそうな顔と物静かな性格も相まってどこか怖い印象を与えがちだが、彼の性格は穏やかで激高などしたことはなく、誰一人彼に叱責されたことはない。当時は分からなかったが、蓬静嶺は徨州の中でも随一の規模を誇る門派の一つ。それゆえ嶺主としての責務の重さが、どことなく気難しそうな彼の表情を作っているのだろうと、大人になった今ではそのように思っている。
「阿黎」
静泰還は穏やかな声で彼の名を呼ぶ。
門弟の一人ではあるが凰黎は彼の息子同然の存在であり、周りもそのように扱っている。凰黎もまたそうあるべく、日々努力を怠らなかった。
「そなたはまだ十に満たないが、既に年上の門弟たちでもお前に適うものはいないそうだな」
「とんでもございません。私など、まだまだ諸先輩方には及びません」
子供らしからぬ返答に静泰還は驚いた顔をしたが、あまりに子供らしからぬ返答が逆に可笑しかったのか、すぐに頬を緩めた。彼は小さく咳ばらいをすると、居住まいを正す。
「実はな、そなたに任せてみたいことがある」
蓬静嶺より少し下ったところに酔香鎮という街がある。その街では最近奇妙な噂がまことしやかに語られているという。
『壁に描かれた絵から声が聞こえる』
初めに言い出したのは酔っ払いたちだったため、「おおかた飲み過ぎて幻でも見たのだろう」と皆は笑い飛ばした。しかし、それからほどなくしてまた「絵から声が聞こえる」という話がぽつぽつと聞こえるようになったのだ。彼らは楽しそうに絵の中で酒を飲み『一緒にどうか』と誘ってくる。
それでも役人たちは彼らの話を本気にはしていなかったのだが、転機が訪れた。
ある日、夜の見回りを終え交代した役人たちは、まだ空いている店でも探して一杯やろうと歩いていた折に件の壁の前を通りかかったのだ。彼らはそれが例の絵だとは気づかず、そのまま通り過ぎようとしていた。
『遅い時間までご苦労さん。こっちで一杯、いっしょにやらないか?』
こちらに呼びかけてきた声。そして数人がざわざわと語り合う声が聞こえてくる。おおかた外で飲んでいるのだろうと、役人たちはその声に振り返ろうとした。
「そっちも盛り上がってるようだね。悪いが我々は――」
振り返った先には、彼らを除いて誰一人いない。それなのに、どうしてか騒がしくも賑やかな声だけは絶え間なく聞こえてくるのだ。
――いま、呼び掛けてきたの者達は一体どこにいるんだ!?
何度見回してもそれらしい人々は見当たらない。
『こっちだよこっち。入っといでよ。丁度良い酒が入ったところなんだ』
しかし続けて聞こえてくるこの声。
一体どこの、誰が?
そう思って視線を巡らした先にある物を見て、彼らは戦慄した。
壁だ。
壁に描いた絵が、こちらに向かって手を振っている。
それからはもう、驚くやら恐ろしくなるやらで、彼らは一目散に逃げかえってしまったそうだ。
噂は本当だった。これは妖邪の類に違いない。
そこで妖邪を退治するならば一番近くて規模の大きな門派――蓬静嶺に何とかして欲しいという相談が舞い込んだという。
とはいっても暮らし始めたのは落ち葉が積もり始めた頃だったから、まだ三月ほどしか経ってはいないことになる。
それでも自分でも驚くほど今の生活に馴染んでいて、凰黎のいない毎日なんて考えられなかった。
「なあ、凰黎?」
凰黎の背に腕を回し、触れ合う肌の温かさを感じながら、煬鳳は凰黎を見上げる。
「なんです?」
煬鳳の頭上から、凰黎の声が投げかけられた。その先には、先ほどと同じ柔らかい視線が煬鳳のことを見つめている。
煬鳳は先ほどふと思いついたことを口にしてみた。
「凰黎はさ、一体いつから俺のことが好きだったんだ?」
凰黎が以前から煬鳳を好きだったという話は、弟子である夜真からも懇々と聞かされたが、そこから想像するに『凰黎と煬鳳が剣を交えるようになった頃』には既に凰黎は煬鳳を好きだったということだ。
――なら、その前は?
一体何を切っ掛けに凰黎は煬鳳のことを気にするようになったのだろうか。
煬鳳自身は、つい最近まで凰黎のことを『面倒な奴』だと思っていて、玄烏門を巻き込んだ壮大な『やらせ』の一件まで、凰黎に向き合ったことは無かった。しかも凰黎に『愛している』と言われ、初めて凰黎のことを意識した始末。
意識し始めると坂道を転がり落ちるがごとく、あれよという間に凰黎のことをいつの間にか好きになっていたことに気づかされた。
チョロいと思われるかもしれないが、実際のところチョロいかもしれない。
しかし紆余曲折あったにせよ、はっきりと自覚した気持ちは『凰黎が好き』だったし、こうして二人で身を寄せ合って穏やかに暮らすことにこの上ない幸せを感じているのも事実だ。
――ずっと、このままでいたい。
だからこそ、凰黎が一体自分のことをいつ、何故好きになったのか気になり始めるたらなんだか落ち着か無くなってしまったのだ。
しかし凰黎は微笑みを崩すことは無く、答えることもなく、何故か悠然と煬鳳のことを見つめている。
答える気はないのかと思えば、
「ふふ。いつからだと思いますか?」
などと答えにならない言葉ではぐらかされてしまう。煬鳳は少し考えたあとで、考えを口にした。
「いつって……門派対抗でやった比武のとき、とか?」
それでも凰黎の表情は変わらず、先ほどのように微笑んでいる。
どうやらこれも違うらしい。
……『一番初めに剣を交えた時』とまで訊ねるのは、いくらなんでも自惚れが過ぎやしないだろうか。
(逆に、もっと後……とかかな)
結局悶々としたまま答えは出なかった。
「なあ、答えはどうなんだよ、教えてくれよ」
最終的にはそう懇願したのだが、凰黎はやっぱり笑うだけ。
「……そうですね。ずっと好きでしたよ」
「ずっと、っていつ?」
「ずっとはずっとです」
「なんだ、教えてくれないのか」
凰黎は割とずるい。
大概のことは笑顔で答えてくれるのだが、言い辛いことは笑顔ではぐらかす。……丁度、今のように。
煬鳳にできるのは頬を膨らませるか口を尖らせるか、あるいは両方の手段をつかって抗議することくらいなもの。子供っぽいと言われるだろうが、他に手段が思いつかないから仕方ない。
「そんな顔をしないで、愛しい人」
そして大概においてその抗議は、凰黎の言葉によって瓦解する。耳元で囁かれた甘い言葉、耳元にかかる凰黎の息。それによってふにゃふにゃと表情を崩した煬鳳は、気恥ずかしくて思わず顔を背けてしまった。
「……!」
恥ずかしくて言葉も出ない。
同じ家に住み、寝食を共にしているにもかかわらず、いまだに照れてしまうのは持って生まれた性格ゆえだろうか。
最終的には何も言えなくなって頭から被褥*をかぶると、
「もう、寝る!」
と凰黎の胸の中に顔を埋めてしまった。
「そう拗ねないで、煬鳳。代わりにちょっと面白い話を聞かせましょう」
宥めるような凰黎の声が聞こえる。煬鳳は元々単純な性格のため、ほんの少し前まで拗ねていたことも忘れて『面白い話』に興味が湧いてきた。
「……面白い話?」
聞き返す煬鳳に「そう」と頷くと、凰黎は煬鳳を膝の上に座らせる。疲れないのかと思わなくもないが、凰黎は抱きしめることの次にこれがお気に入りらしい。
「私が初めて妖邪を退治した時の話です。……興味ありませんか?」
「……すごくある!」
煬鳳の知る凰黎は、その存在を認識した時から非の打ちどころのない完璧な青年だった。剣の腕前も術の腕前も、社交性も責任感も何から何まで完璧だった。剣と術の腕なら煬鳳も負けてはいないと思っているが、社交性と責任感については皆無だったし、全てを兼ね備えてなお誰にも引けを取ることがない凰黎の存在は異質なものだった。
そんな凰黎が初めて妖邪を退治した時の話なんて、気にならないわけがないじゃないか!
心の中でそう叫ぶと、煬鳳は凰黎が語りだすのを大人しく膝の上で待った。
「あれは――私が九つの頃でした」
「待って」
思わず煬鳳は突っ込んでしまった。
「九つってどういうことだ!? どこからどう見たって子供だろ!?」
「そうですね、子供でした。背丈も貴方の半分くらいかもう少し小さかったと思いますよ」
「……」
煬鳳も腕に自信はあるほうだが、凰黎は別格の天才だ。薄々気づいてはいたが、たった今それを思い知ってしまった。
それはさておき、九つで妖邪退治に出させるやつもどうかとは思う。
「話の腰を折らないで下さい。続けますよ」
気を悪くするでもなく、にこやかに凰黎はそう言うと、煬鳳を抱き寄せる。
真冬の上に粗末な小屋では寒さなど凌げるはずもないのだが、不思議と寒いとは感じない。夏や秋なら虫の声でも聞こえただろうが、生憎と聞こえるのは風の音と木の葉が擦れ合う微かな音、それに――二人の息遣い。
凰黎が小さく息を吐き出すと、白い煙が夜闇のなかにふわりと浮かびあがった。
* * *
凰黎が九つになったある日のこと。
蓬静嶺の嶺主である静泰還に呼ばれ、凰黎は彼の元へ赴いた。凰黎が静泰還の居室にやってきたとき、彼は書き物をしている最中だったが、凰黎が来たことに気づくと顔を上げその手を止めた。
「嶺主様、お呼びでございましょうか」
はっきりとした口調で彼に言い、凰黎は丁寧に拝礼する。幼さは隠せないが、傍から見れば九つという年齢に比べ、かなり大人びた少年だ。しかしながら、当時の凰黎はまだ嶺主代理ではなかったし、優秀であるとは言われてもまだまだ子供、というのが世間一般の評判だった。
少々気難しそうな顔と物静かな性格も相まってどこか怖い印象を与えがちだが、彼の性格は穏やかで激高などしたことはなく、誰一人彼に叱責されたことはない。当時は分からなかったが、蓬静嶺は徨州の中でも随一の規模を誇る門派の一つ。それゆえ嶺主としての責務の重さが、どことなく気難しそうな彼の表情を作っているのだろうと、大人になった今ではそのように思っている。
「阿黎」
静泰還は穏やかな声で彼の名を呼ぶ。
門弟の一人ではあるが凰黎は彼の息子同然の存在であり、周りもそのように扱っている。凰黎もまたそうあるべく、日々努力を怠らなかった。
「そなたはまだ十に満たないが、既に年上の門弟たちでもお前に適うものはいないそうだな」
「とんでもございません。私など、まだまだ諸先輩方には及びません」
子供らしからぬ返答に静泰還は驚いた顔をしたが、あまりに子供らしからぬ返答が逆に可笑しかったのか、すぐに頬を緩めた。彼は小さく咳ばらいをすると、居住まいを正す。
「実はな、そなたに任せてみたいことがある」
蓬静嶺より少し下ったところに酔香鎮という街がある。その街では最近奇妙な噂がまことしやかに語られているという。
『壁に描かれた絵から声が聞こえる』
初めに言い出したのは酔っ払いたちだったため、「おおかた飲み過ぎて幻でも見たのだろう」と皆は笑い飛ばした。しかし、それからほどなくしてまた「絵から声が聞こえる」という話がぽつぽつと聞こえるようになったのだ。彼らは楽しそうに絵の中で酒を飲み『一緒にどうか』と誘ってくる。
それでも役人たちは彼らの話を本気にはしていなかったのだが、転機が訪れた。
ある日、夜の見回りを終え交代した役人たちは、まだ空いている店でも探して一杯やろうと歩いていた折に件の壁の前を通りかかったのだ。彼らはそれが例の絵だとは気づかず、そのまま通り過ぎようとしていた。
『遅い時間までご苦労さん。こっちで一杯、いっしょにやらないか?』
こちらに呼びかけてきた声。そして数人がざわざわと語り合う声が聞こえてくる。おおかた外で飲んでいるのだろうと、役人たちはその声に振り返ろうとした。
「そっちも盛り上がってるようだね。悪いが我々は――」
振り返った先には、彼らを除いて誰一人いない。それなのに、どうしてか騒がしくも賑やかな声だけは絶え間なく聞こえてくるのだ。
――いま、呼び掛けてきたの者達は一体どこにいるんだ!?
何度見回してもそれらしい人々は見当たらない。
『こっちだよこっち。入っといでよ。丁度良い酒が入ったところなんだ』
しかし続けて聞こえてくるこの声。
一体どこの、誰が?
そう思って視線を巡らした先にある物を見て、彼らは戦慄した。
壁だ。
壁に描いた絵が、こちらに向かって手を振っている。
それからはもう、驚くやら恐ろしくなるやらで、彼らは一目散に逃げかえってしまったそうだ。
噂は本当だった。これは妖邪の類に違いない。
そこで妖邪を退治するならば一番近くて規模の大きな門派――蓬静嶺に何とかして欲しいという相談が舞い込んだという。
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