23 / 41
2 天空への旅
6.一瞬の陶酔
しおりを挟む人ごみに紛れ母の姿が見えなくなると、俺は大きな門柱の陰に座り込んだ。
少し先に、屋台が見える。店先にたくさんのリンゴ飴が、これ見よがしに突き刺してあった。
じりじり照り付ける太陽の光が痛いほどの日だった。たくさんいた人々の数も次第に減り、船着き場は閑散としてきた。リンゴ飴の屋台も、店を畳むのだろうか。
心細くなって両膝を抱え、母が早く帰ってきてくれることを望んだ。怖い人ではあるが、その分頼りがいもあった。俺はまだ幼な過ぎて戦う術を身につけていない。だから一層、母を頼ってしまうのだ。
青い水面を、遠くから船がやって来るのが見えた。地味な拵えの帆掛け船が、風に押されて素晴らしいスピードで河を遡って来る。きっと首都から来たのだと思った。この辺りの船はいつもゆっくりと走るから。あんな風にスピードを上げることができない。
船着き場に着いた船からは、一群の人々が下船した。
真っ先に下りて来たのは、抜けるような白い肌の若い男だった。水色のカシュクールを腰の辺りできつく締め、裾がふわりと広がっている。驚く程細い腰だった。
先に立って歩こうとする護衛を有無を言わさず後ろに押し戻し、彼は、自らが先頭に立って歩き始めた。堂々とした物腰だ。さらりとした赤い髪が背中に流れ、暑い日にもかかわらず、とても涼し気だ。
一行が門柱の前を通り過ぎた時、横顔がちらりと見えた。切れ長の目がまっすぐに前を見据えている。すっと通った鼻筋に、口角のつり上がった口元、胸が痛くなるほど凛々しく端正な面立ちだ。
この世離れした美しい人だと思った。
うっとりと見つめていたが、彼がこちらに近づいてくることに気づき、はっと我に返った。慌てて顔を両足の間に挟み込む。顔を見られたくないと思ったのだ。
目の前を通り過ぎて行った革の編み上げ靴がぴたりと止まった。黒い影が、照り付ける日射しを遮る。
「ここで何をしている。一人か? 家族はどうした?」
想像していた通りの涼やかな声が降って来る。胸が高鳴った。
「か、母さんを待ってます」
掠れた声しか出ない。
「母親は何をしている」
「母さんは巫女で……」
しどろもどろ答える。
小さな舌打ちが聞こえた。一行はまた歩き始める。影が静かに通り過ぎて行った。
ほっと吐息をついた俺の前に、にょきっと赤い丸い物が差し出された。
リンゴ飴だ。向こうで屋台の親父が揉み手をしている。
「くれてやる」
ぶっきらぼうにその人は言った。
「え? でも……」
知らない人から物を貰ったことを知ったら、母は激怒するのではないか。物乞い同然の暮らしをしていたが、彼女は、強烈な自尊心をなくしていない。
「いいから。欲しいんだろう? さっき見てた」
漂うべっ甲飴の甘い匂いとリンゴの酸味に、口の奥に唾が湧いた。そういえば今日は、朝から何も食べていない。
「子どもが遠慮するもんじゃない」
次の瞬間、彼の手からリンゴ飴をひったくるようにしてかぶりついた。
硬い。そして、飴がべとつく。
「馬鹿だなあ。いきなり噛みつく奴があるか」
青年が笑った。屈託のない楽しそうな声だ。
「ゆっくり嘗めてから齧るもんだ。リンゴ飴は初めてか?」
「いいえ」
「口を開けてみろ」
腰を屈め、俺の顔を覗き込んでいる。
こんな美しい人の前で、口の中を見せるのはいやだった。どうしてか、恥ずかしくてたまらない。
「顔中真っ赤だ。口の中もさぞかし……」
言いながら彼はいきなり両手で俺の頬を挟んだ。長い華奢な指先でこめかみの辺りを締め付ける。
「むぐぐ」
「素直に口を開けないと痛いぞ」
細い体に似合わぬ強力のような力で、口をこじ開けられてしまった。すかさず花のような顔が斜めに傾ぎ、あろうことか俺の口の中を覗き込んでいる。
「やっぱりな。真っ赤だ。はは、ははは……」
本当に楽しそうに笑う。俺はぽかんと口を開けたまま、美しい人が笑い転げるのを眺めていた。
「それを食うと、口の中が赤くになるんだ。そんなことも知らないで、前にも食べたことがあるなんて嘘だろ?」
「嘘じゃない……」
食べたことだけは覚えている。味も、誰と食べたのかも忘れてしまったのだけれど。
「そうか」
いかにもわざとらしく青年は眉を顰めた。
「誰が買ってくれたのか知らないけど、だから子どもに物を買ってあげても無駄だっていうんだ。どうせすぐに忘れちまうんだからな」
ぽんと、頭を叩かれた。
「いいか。リンゴまで食っちまったら、棒を咥えたまま走るんじゃないぞ。もし転んだら、棒が頬を突き破っちまうからな」
自分の頬を棒が突き破る感触を想像し、ぎょっとして飴から口を話す。見ると、口を捻り、青年は人の悪そうな顔をしている。そんな顔をしていても、彼は驚く程きれいだった。
もう一度俺の頭を撫でてから、青年は立ち去っていった。日光を遮っていたお付きの者達も後に続き、辺りにはまた、誰もいなくなった。
猛暑の中の一迅の風のように涼やかひと時だった。
白昼夢を見ていたような気がする。あの青年の美しさそのものが、明るい昼間にもかかわらず、魔に魅入られたような陶酔を感じさせたのだと思う。
奇妙な人だった。そこにいることが奇跡のようだった。失った人が墓から蘇って会いに来てくれたのなら、あんな風に感じるのだろうか。見慣れた現実の中に点描として現れた不可思議。たとえそれが妖魔であっても、俺は彼に従うだろう。それも、ただ一目見ただけで彼を信じ、来いと言われたらついていくに違いない。
あの人はいったい、誰だろう。
なんだかとても懐かしい……。
10
あなたにおすすめの小説
【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /チャッピー
AI比較企画作品
希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう
水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」
辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。
ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。
「お前のその特異な力を、帝国のために使え」
強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
【完結】悪役令息の従者に転職しました
* ゆるゆ
BL
暗殺者なのに無様な失敗で死にそうになった俺をたすけてくれたのは、BLゲームで、どのルートでも殺されて悲惨な最期を迎える悪役令息でした。
依頼人には死んだことにして、悪役令息の従者に転職しました。
皆でしあわせになるために、あるじと一緒にがんばるよ!
透夜×ロロァのお話です。
本編完結、『もふもふ獣人転生』に遊びにゆく舞踏会編、完結しました!
時々おまけを更新するかもです。
『悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?』のカイの師匠も
『悪役令息の伴侶(予定)に転生しました』のトマの師匠も、このお話の主人公、透夜です!(笑)
大陸中に、かっこいー激つよ従僕たちを輸出して、悪役令息たちをたすける透夜(笑)
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
王太子殿下は悪役令息のいいなり
一寸光陰
BL
「王太子殿下は公爵令息に誑かされている」
そんな噂が立ち出したのはいつからだろう。
しかし、当の王太子は噂など気にせず公爵令息を溺愛していて…!?
スパダリ王太子とまったり令息が周囲の勘違いを自然と解いていきながら、甘々な日々を送る話です。
ハッピーエンドが大好きな私が気ままに書きます。最後まで応援していただけると嬉しいです。
書き終わっているので完結保証です。
【だいたい完結】悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?
* ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。
悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう!
せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー?
完結してほしいというお声がたくさんあったので!
だいたい完結しました(笑)
『あなたが、だいすき編』(主人公ユィリが最愛から愛されるお話。本編?)1話から108話の『おっき』まで完結済
『めざせ、つよつよ編』(ユィリがぴんちに!? 編)109話から141話『こくはくじゃないよ!』まで完結済
『カイのひみつ編』(ユィリはもっちもっち編)142話から167話『いっぽ』で完結しました!
完結ご希望の方より、たくさんの方が、のんびり連載を望んでくださったので、タイトルの【だいたい完結】は1月7日くらいに外れて連載になります。
ユィリと皆の動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵も動画もあがります。ほぼ毎日更新!
Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。動画を作ったときに更新!
プロフのWebサイトから、両方に飛べるので、もしよかったら!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる