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2 天空への旅

7.手合わせ

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 神事が終わると、ご神体を納めた二つの箱を残し、人々は頓宮から出て行った。
 フィランの女神おんなかみとテンドールの男神おとこがみ。年に一度の逢瀬の邪魔をしないようにという配慮だ。

 誰もいなくなった堂に、猫のように忍び込んできた人影がある。白の小袖に朱の袴を身につけた巫女だ。
 辺りを見回し、人がいないのを確かめると、巫女はすり足で祭壇に近づいた。足音を忍ばせ階段を上ると、二柱の神体がみそなわす台に手を伸ばす。日に焼けた手が、フィラン神の神体が治められた箱に触れた。

「そこまでだ」

 冷徹な声が響き渡った。後ろに張られた神棚幕を割って、水色の装束に身を包んだ赤い髪の青年が姿を現した。

「久しぶりだな、タビサ。来ると思った」
「元気そうでなによりね、サハル」

 巫女が答える。
 二人の間で目に見えない火花が飛んだ。

「せっかく来てくれたのに生憎だが、ダレイオの脚はここにはないぜ。両脚ともな」
「なんですって! まさか貴方、私をおびき寄せたとでも?」
「その通り」

 ダレイオの弟サハルは、にたりと笑った。

「俺がタバシン河に流してやったダレイオの腕を、君が拾い上げたのは知っている。素直に俺が遣わした部下たちに返してくれたらよかったのに」
「あなたの兵士たちは皆殺しにしてやったわ」
「それはそれは。いずれ死人しびととして使役しよう。死んだ体は、時として、生きている頃より役に立つものだ」
「この、人非人が!」
「その言葉はそっくり君にお返しするよ」
「兄王殺しの弟に言われたくはないわ!」

 まっすぐに宙に飛び上がった巫女は、そのまま体を前に傾け、サハル王めがけて突っ込んできた。両手で剣の柄をしっかり握っている。

「両手で持ってるそれは、かつての王妃には全くもってふさわしくない代物だな」

 言いながらサハルはひょいと身を躱した。彼の背後にあった太鼓に突っ込んだタビサは、歯噛みしながら剣を引き抜いた。

「知りたいようだから教えてあげよう。ダレイオの両脚は、確かにここにあった。つまり、フィランとテンドールの両神殿に一本ずつ」
「陣を張って隠していたのね。だから、彼の生命力は外に漏れず、死人たちが蘇ることもなかった。祭礼の準備が始まるまでは」

 再び剣を横に構え、タビサが決めつける。
 うっすらとサハルが笑った。

「半分正しく半分間違っている」
 タビサは歯噛みした。
「何よ。どこが間違ってるというの?」
「俺がやつの両手両足を切りとり、タバシン河に流したのは事実だ。両手は君が拾ったのだよな? だが、脚の方は河の上流と下流で違う河岸に流れ着き、それぞれフィラン神殿とテンドール神殿に安置された。脚の周囲には結界が張られ、が外へ漏れるのを防いだ。その陣が、祭礼の準備で破られたのは間違いではない。それにより生贄の乙女たちが蘇り、悪さをしたのもその通りだ」

「何が半分よ。全部私の考えた通りじゃないの」
タビサが迫ると、サハルは口角を吊り上げた。笑ったのだ。

「君は根本的なところで誤りを犯している。王家の妃としてあるまじき誤りだ。陣を張り、ダレイオの脚を隠していたのは俺ではない」
「私を侮辱する気? 何をもったいぶっているのよ! 両手両足を斬り落とすなんて、貴方の他に誰がそんな残虐なことをするというのよ!?」

ふん、とサハルは鼻を鳴らした。

「むしろ、俺から隠していたのだろうな、あの方々は」
「あの方々?」
「フィランの女神とテンドールの男神だよ。知らなかったのか。夫婦神である彼らは、王家の祖と言われている」

 呆れたようにタビサが目を見張る。

「貴方だって王族じゃないの」
「俺はまあ、鬼子というか、忌み子だからな。優秀な兄がいれば、大抵の弟はそうなる。二柱の始祖たちは、大事な長男を弟の魔の手から守りたかったんだろうよ」
「つまり神々は未だにこの国の王は、ダレイオだといっているわけね。貴方の即位は始祖の神々からは認められていないと……」
「俺の即位は俺が認めた。兄の王を斬り倒した時に。この国ののりは変わった。前の王を殺した者が、次の王となる。肌の色は関係ない」
切れ長の目が赤く輝いた。

「なんてことを……」
タビサは絶句した。
 エルドラードでは、王が決めたことは絶対なのだ。

「どうだ? 最大の平等を実現させたんだぜ? 王を殺しさえすれば、誰だって王になれる。たとえ奴隷であってもな」

 まるで悪魔のように高らかに、サハルは笑う。
 震える声でタビサが言った。

「せめて……せめて、ダレイオの体を返して」
「さあな。見つけることができたならな」

兄の体に関して、サハルは、全く興味なさそうだ。タビサは諦めなかった。

「あの人の脚はここにはなかった。貴方が持ち去ったのね。彼の脚はどこにあるの? いいえ。脚だけじゃない、胴体は? 頭部は今、どこにあるの?」
「知らない……と言いたいところだが、実は知っている。安心しろ。脚は二本とも胴体のある場所に転送した。今頃は元の体にくっついて、ダレイオもほっと一安心しているんじゃないか? ……腕がまだだけど」

 愉快そうにタビサを見やる。
 腕は、もちろん、タビサが所持している。小さく縮め、彼女の息子ホライヨンが首からぶら下げている。

「やっぱり胴体と頭部は貴方が持っているのね? タバシン河に流したのは、あの人の手と脚だけなのね?」
「まあ、そういうことになるな」
「一度流しておきながら、なぜ今頃になって、取り返そうとなんて思ったの?」
「さあ、なぜだろうね。それから誤解があるようだから言っておくが、俺は兄のを手元に置くような悪趣味はしない。やつの死骸は、とあるところに安置してある」
「とあるところですって?」
「探してみるがいいさ、タビサ王太妃殿」

 からかうような呼びかけに、タビサはぎりぎりと歯ぎしりをした。

「王太妃ですって? 私から身分を奪ったのは誰よ?」
「誰も奪ったりはしない。今でも君の地位はそのままにしてある。そうだな。大分窶れはしたが、君は今でも充分美しい。王宮に帰ってきたらどうだ? 湯あみをしてきれいな衣に着替えて、俺の妻になるがいい」

 義弟の挑発に、タビサの髪は逆立った。

「この人でなし! 夫を奪った義弟のいる宮殿に、誰が戻ったりなぞするものですか!」
「おやおや。偉大なる王の求婚を断るとは。兄もさぞかし残念に思っていることだろう」
「貴方のような男には、エルナがお似合いだわ。裏切り者の妹がね!」
「エルナの名を出すな!」

 「エルナ」の効果は激烈だった。塗り固めたような義弟サハルの余裕がひび割れた。顎が尖ったような気さえする。
 相手のコンプレックスのど真ん中を突いたタビサがほくそ笑む。

「ルーワンはどうしたの? エルナは貴方の所に連れて行くと言ってたけど」
「知るか」
「おや、あの子は貴方の子でしょ? なのに肌の色が緑に変わったのは不思議よね」
「うるさい! 黙れ!」

 激昂に我を忘れた瞬間を、タビサは見逃さなかった。
 ほの暗い堂の中を、白い閃光が過った。
 長い太刀筋を正確に受け止め、サハルが飛び退る。

「やる気? 手加減はしないわよ」
「威勢のいいことだ。だが、俺は女人を傷つけたりは……」

言いかけた言葉は、剣と剣がぶつかり合う鋭い音にかき消される。

「言ったろ。女を襲うのは趣味じゃない」
懐に飛び込んできたタビサと剣で受け止め、歯列の間からサハルが声を出す。
「うるさいわね。女女言うんじゃないよ。どっちが優れているか見せてやる」
「もちろん俺だろ」

 交えた剣がこすれ合い、火花が飛び散る。僅かに体重の軽いタビサの体が後ろへ吹っ飛んだ。

「このっ!」
倒れた体を素早く起こし、タビサが唇を噛む。そんな彼女を見下ろし、サハルが嘲った。
「あのな、タビサ。いかに俺が戦いの達人でも、往々にして事故が起きることがある」
「本気出しなさいよ」
「やられといてまだ言うか。もう諦めろよ、義姉さん。それとも俺の妻になるか?」
「誰がお前なんかの……」
「気の強い女は好きだ」
水色の装束がふわりと宙を舞った。天井付近をふわりふわりと飛びながら、嘲るように笑う。
「頑張ってダレイオの体を見つけてやるといい。恋女房に見つけて貰えたら、やつも喜ぶだろう」
「あ、待ちなさい!」

 悲鳴のようなタビサの呼び止める声は、堂の屋根が吹き飛ぶ轟音にかき消された。
 雨あられと降り注いだ瓦礫が納まると、真っ青な空が覗いた。その空に溶け込むように水色の装束の青年が、赤い髪をなびかせて消えて行った。







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※体調を崩し、二日ほど更新をお休みしてしまい、申し訳ありませんでした

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