黒地蔵

紫音

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18:存在意義

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 山への帰り道は、思ったよりもずいぶんと短く感じられた。
 昨夜ゆうべはミドリさんがわざと遠回りしたせいもあるだろう。
 今回は体感で一時間もしない内に、ミドリさんの体がある辺りまでたどり着く。

 と、その途中。
 一際大きな木のそばを通りがかったとき、その足元に何やら不思議な形をした石を見つけた。

 よくよく見てみると、それは人の形をしているようだった。
 かなり古いもののようで、表面がひどく削れてわかりにくいけれど、どうやらそれは高さ三十センチくらいの小さな地蔵のようだった。

「ミドリさん、ここにもお地蔵さまが」

 もしかしたら彼女の知り合いかもしれない。
 そんな期待とともに声をかけてみると、

「ああ、それな。そこにはもう誰もおらへんで」

「え?」

 予想外の返事に、私は目をしばたたく。

「もう死んでるってことや。地蔵かて、いつかは死ぬんやで」

「死……」

 思いもよらなかった事実に、私は動揺した。

「この辺はもう人が通らんからな。人から忘れ去られた地蔵は、そこにおる意味もなくなって、いつのまにかいなくなってまう。もともと地蔵っちゅうのは、人間のために造られたもんやからな」

 ま、ウチは人間のことなんてどうでもええけどな、と、冗談なのか本気なのかわからない調子で彼女は笑う。

「じゃあ、ミドリさんも、クロも……もし人間に忘れられちゃったら、死んじゃうってこと?」

「んー。厳密げんみつに言うと、ちょっとちゃうな。忘れられたから死ぬんやなくて、自分の存在意義がなくなったなーって思うようになったら、魂もいつのまにか消えてしまうんや」

 存在意義、という言葉は、私にとっては少し難しかった。
 ミドリさんは私にもわかるように説明してくれたけれど、言葉の意味自体はわかっても、その感覚はあまりピンと来なかった。

 自分がこの世に存在する理由。
 そして、それによって生み出される価値。

 そんなものは、今まで生きてきた中で一度も考えたことはなかった。

「ま、ウチはそうそう死なんけどな。人間に忘れ去られたところで、周りの動物たちとは仲良くやってるわけやし。物理的に体が破壊されでもせん限りは死なんわ」

 それはそうかも、と思う。
 『殺しても死なない』という言葉は、まさに彼女のためにあるんじゃないだろうか。

「でも、クロはわからんな。下手したら近いうちに、ぽっくり逝ってまうかもしれん」

「えっ、それってどういう……」

 と、そこでミドリさんの足が止まって、私も同じように歩くのをやめた。

「噂をすれば何とやら、やな」

 彼女の視線の先には、彼女の本体である苔だらけの地蔵が、川のそばにぽつんと立っている。

 そして、その隣に腰を下ろしていた黒い着物姿の少年——クロは、のっそりと緩慢な動作でその場に立ち上がったところだった。

「おかえり」

 と、彼は相変わらずの無表情のまま、まるで感情の伴っていない声で言った。

「残念やけど、シロは元に戻せんかったわ。でも病院までは案内したったからな。約束通り、明日は一緒に『グリコ』してもらうで」

 彼女はクロにそれだけ伝えると、眠そうにあくびをしながら自分の体の方へと歩み寄る。

「ほな、あとは頼むわ。ウチはもう寝る」

 言い終えるが早いか、彼女の魂は体の中へ吸い込まれるようにして消えてしまった。

 私もいずれ自分の体に戻れる時が来たら、こんな風になるのだろうか。

「シロ」

 クロに名前を呼ばれて、私は改めて彼を見る。

 ボロボロの着物に身を包んだ、色白で線の細い少年。
 
 ——下手したら近いうちに、ぽっくり逝ってまうかもしれん。

 まるで病人のようにも見える彼の姿は、それこそ一瞬でも目を離した隙に、ひっそりと消えてしまいそうなはかなさをまとっていた。

「お前は、オレの所で休むといい。まだ歩けるか?」

 そう言って、彼はこちらへ右手を伸ばす。

「うん……。歩ける。ありがとう、クロ」

 私も同じように左手を伸ばして、彼の手を握る。

 一日ぶりに感じた、あたたかな手のひらの感触。

 彼はそのまま私の手を引いて、月明かりの差す山道を進んでいった。
 
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