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幸せの黄色い……いいえ、運命の赤いトラロープ
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ーーまあ、俺と金輪際関わりたくないなら、俺が気づいてない時点でスルーするなり、適当な理由つけて担当外させて永遠にすっとぼけるなりすればいいわけで……
ーー朝いくら早くたって、自分でロープ切る手段も時間もあっただろうよ。そのまま出社するとか……社会的地位とか立場ってもんもあるだろうに、他の誰かに見つかったらどうする気だったんだよ。
「あの、ご主人様……」
「ご主人様じゃねえっ!ドサクサに紛れて好きに呼んでんじゃねえよ!」
「……すみません……」
ーーダメだ、考えれば考えるほどコイツのことがわからん。
「……何だよ?」
「あの、僕の部屋とかどうですか?」
外を歩き回って気分が変わったのかひと通り泣いて気が済んだのか、今度はあまりダメージを感じさせない明るい声で遠山が聞いてきた。
「はああっ?」
言ってしまってからしまった、という表情をした遠山を思い切り侮蔑の表情で睨みつけた。
どこぞの路地裏に連れ込んで、よほど本気で締めてやろうかと思ったが、丹田を意識して呼吸を整え、必死で6を数え続ける。
「違います違います、そういう意味で言ったんじゃありません。ここから近いし、人の目を気にしないで納得行くまで話せるし……」
慌てて訂正しながら遠山は、つぶらな瞳にまたもうっすらと涙を浮かべた。気持ちを落ち着けてみると、本当に小心者の大型犬みたいで少し可愛そうに思えてくる。
「そうしたらごしゅ……いえ、恒星さんも昨夜あったことをもう少し思い出せるかも……」
「わかった。他に適当な場所も思い浮かばないし、それでいいよ」
いつの間にかタメ口と敬語を使うべき人が入れ替わってないか?と薄っすら思いながらも、会社での悪夢やここまでのブッ飛んだ会話を思い出すと、とてもこいつにこれまでのような敬意を払う気にはなれなかった。
「よかった。嬉しい」
今度は仕事関係の連中が絶対見たことないだろうって確信できるくらい、無邪気そのものの笑顔を浮かべた。今泣いたカラスが……と思わず揶揄いたくなったが、さすがに大人気ないのでやめた。
代わりに俺は奴の腕を引っ張ると、
「説得しようなんて思うなよ。一回寝たからって、なし崩し的にセ○レとかそういうの無しだからな」
囁き声ではあるが、今度は本気に脅しにかかる。
「セ○レだなんてそんな……」
情けないくらい耳まで真っ赤になって、うつむく遠山を前に押し出した。
「そういうのいいから、案内しろよ」
ちょっと可哀想な気もするが、ここは念を押しておかないと。
ーーまあでもこの人、性癖はアレだけど根は善い人そうだし、びびってると思われるのも何かシャクだし……
正直、生まれてこの方清く美しく(?)由緒正しき庶民オブ庶民道な人生だっただけに、絵に描いたようなアッパークラスのヤングエグゼクティヴである玄英がどんなところで暮らしているのか……という、純粋に下世話な興味もある。
万一押し倒されたら体格的に不利かもしれないが、こっちにはヤンチャ時代に数々の修羅場を潜り抜けた一撃必殺パンチがある。あの文化財級の顔面に容赦なく浴びせるところを想像すると気は咎めるが、きっと逃げ切れる。
「こっちです」
「マドンナ」のある駅前通りの坂を、玄英はすたすたと上がっていく。母校の跡地に建った高級ホテル並みサービス付きのタワーマンションに玄英は住んでいるのだという。
ーー本当に……いいのか俺?
真実が人を幸せにするとは限らない。むしろ何も思い出せなかったとしても、合意の上で無かったことにできた方が幸せなような気さえする。
もしもこのパンドラの箱を開けてしまったら、底にはさらなる絶望しか残されていないかもしれないのだが……ええい、毒食わば皿までだ。
マンションまでの道沿いに工事現場がある。
やってるかやってないかわからない店が立ち並ぶ、昔と変わらない垢抜けない街並みが気に入ってたのに。あと何年かしたらこの辺りも再開発で激変してしまうんだろうか。
立ち入り禁止の区域に黄色と黒の警告色のトラロープが張ってあった。実家の仕事でもカバープランツや苔の養生に使う事がある。
自慢じゃないが物心ついてこの方「入ってはいけません」「やってはいけません」と言われると余計やらかしてみたくなる性質で、昭和の親父然とした祖父ちゃんからいくら拳骨をもらっても懲りないガキだった。
少し大きくなって家の仕事を手伝うようになると、祖父ちゃんや職人がいい仕事をするためにどれだけ手間と時間をかけているかわかってきて、それからはやらかさなくなった。
だが、根っこの部分はまだ相変わらずなところがある。我ながら幾つになっても本当にガキだ。
キープアウトの彼方と此方、多数派と少数派、健全と猥褻、平凡と倒錯、日常と禁忌……
この無機質な仕切りにさえ従っていれば、今日も明日も無事に過ぎ去ってゆくのだと頭ではわかっている。
後先考えず、不意に乗り越えるだけなら簡単だ。
ーー朝いくら早くたって、自分でロープ切る手段も時間もあっただろうよ。そのまま出社するとか……社会的地位とか立場ってもんもあるだろうに、他の誰かに見つかったらどうする気だったんだよ。
「あの、ご主人様……」
「ご主人様じゃねえっ!ドサクサに紛れて好きに呼んでんじゃねえよ!」
「……すみません……」
ーーダメだ、考えれば考えるほどコイツのことがわからん。
「……何だよ?」
「あの、僕の部屋とかどうですか?」
外を歩き回って気分が変わったのかひと通り泣いて気が済んだのか、今度はあまりダメージを感じさせない明るい声で遠山が聞いてきた。
「はああっ?」
言ってしまってからしまった、という表情をした遠山を思い切り侮蔑の表情で睨みつけた。
どこぞの路地裏に連れ込んで、よほど本気で締めてやろうかと思ったが、丹田を意識して呼吸を整え、必死で6を数え続ける。
「違います違います、そういう意味で言ったんじゃありません。ここから近いし、人の目を気にしないで納得行くまで話せるし……」
慌てて訂正しながら遠山は、つぶらな瞳にまたもうっすらと涙を浮かべた。気持ちを落ち着けてみると、本当に小心者の大型犬みたいで少し可愛そうに思えてくる。
「そうしたらごしゅ……いえ、恒星さんも昨夜あったことをもう少し思い出せるかも……」
「わかった。他に適当な場所も思い浮かばないし、それでいいよ」
いつの間にかタメ口と敬語を使うべき人が入れ替わってないか?と薄っすら思いながらも、会社での悪夢やここまでのブッ飛んだ会話を思い出すと、とてもこいつにこれまでのような敬意を払う気にはなれなかった。
「よかった。嬉しい」
今度は仕事関係の連中が絶対見たことないだろうって確信できるくらい、無邪気そのものの笑顔を浮かべた。今泣いたカラスが……と思わず揶揄いたくなったが、さすがに大人気ないのでやめた。
代わりに俺は奴の腕を引っ張ると、
「説得しようなんて思うなよ。一回寝たからって、なし崩し的にセ○レとかそういうの無しだからな」
囁き声ではあるが、今度は本気に脅しにかかる。
「セ○レだなんてそんな……」
情けないくらい耳まで真っ赤になって、うつむく遠山を前に押し出した。
「そういうのいいから、案内しろよ」
ちょっと可哀想な気もするが、ここは念を押しておかないと。
ーーまあでもこの人、性癖はアレだけど根は善い人そうだし、びびってると思われるのも何かシャクだし……
正直、生まれてこの方清く美しく(?)由緒正しき庶民オブ庶民道な人生だっただけに、絵に描いたようなアッパークラスのヤングエグゼクティヴである玄英がどんなところで暮らしているのか……という、純粋に下世話な興味もある。
万一押し倒されたら体格的に不利かもしれないが、こっちにはヤンチャ時代に数々の修羅場を潜り抜けた一撃必殺パンチがある。あの文化財級の顔面に容赦なく浴びせるところを想像すると気は咎めるが、きっと逃げ切れる。
「こっちです」
「マドンナ」のある駅前通りの坂を、玄英はすたすたと上がっていく。母校の跡地に建った高級ホテル並みサービス付きのタワーマンションに玄英は住んでいるのだという。
ーー本当に……いいのか俺?
真実が人を幸せにするとは限らない。むしろ何も思い出せなかったとしても、合意の上で無かったことにできた方が幸せなような気さえする。
もしもこのパンドラの箱を開けてしまったら、底にはさらなる絶望しか残されていないかもしれないのだが……ええい、毒食わば皿までだ。
マンションまでの道沿いに工事現場がある。
やってるかやってないかわからない店が立ち並ぶ、昔と変わらない垢抜けない街並みが気に入ってたのに。あと何年かしたらこの辺りも再開発で激変してしまうんだろうか。
立ち入り禁止の区域に黄色と黒の警告色のトラロープが張ってあった。実家の仕事でもカバープランツや苔の養生に使う事がある。
自慢じゃないが物心ついてこの方「入ってはいけません」「やってはいけません」と言われると余計やらかしてみたくなる性質で、昭和の親父然とした祖父ちゃんからいくら拳骨をもらっても懲りないガキだった。
少し大きくなって家の仕事を手伝うようになると、祖父ちゃんや職人がいい仕事をするためにどれだけ手間と時間をかけているかわかってきて、それからはやらかさなくなった。
だが、根っこの部分はまだ相変わらずなところがある。我ながら幾つになっても本当にガキだ。
キープアウトの彼方と此方、多数派と少数派、健全と猥褻、平凡と倒錯、日常と禁忌……
この無機質な仕切りにさえ従っていれば、今日も明日も無事に過ぎ去ってゆくのだと頭ではわかっている。
後先考えず、不意に乗り越えるだけなら簡単だ。
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