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三章 勇者と偽勇者と恩人勇者。
35
しおりを挟む途切れることなく発され、縋るように近づくどこか濁った声。
闇夜にどこまでも響き渡る遠吠えは、泣いているように聞こえた。
泣きながら……誰かを恋しがって一人で消えてしまいそうな、耳に残る哀しい呼び声。
俺の体が大きく震える。
「魔物か……? シャル、ロープを切っておいてやるからもし危なくなったら逃げろ。お前、魔法も使えねェし武器も持ってねェんだろッ?」
獲物を探す魔物だと判断したリューオが、襲われても逃走できるように俺の腕のロープを切った。
獣から身を守るために火のそばにいろと声をかけられるが、俺はジリ、と後ずさって声のするほうとは逆に下がる。
「だめ、だめだ。今すぐ、今すぐここから逃げないと……」
「あぁッ?」
「都合のいい期待が、俺を殺す前に」
そう言って走り出そうとした瞬間。
リューオの背後に広がる深い闇が、不自然に揺らめくのが見えた。
「オイッ!?」
『見つけた』
「ッ、な……」
──音も気配もなく、絵の具が水に溶け出すように現れた巨大な黒い狼。
リューオは認知した瞬間素早く身を反転させ剣を盾に身構える。狼が動いた瞬間に切りかかれるだろう。戦闘慣れした彼は流石に切り替えが早い。
だが狼はリューオの剣が見えないかのように、身構える事なく迂闊に一歩前に出た。
彼がそれを許すはずなく、ヒュンッと空気を裂く剣撃。
「待て、リューオ!」
「はあッ!? 死ぬぞテメェッ、ふざけてんのか!?」
咄嗟に出た俺の制止の声に怒声を返すリューオは、一時的に剣撃を止める代わりに、一歩飛び退く。
だが既に奮われた正確な一撃は、夜闇の狼の毛皮をいくらか裂いた。勇者にしか扱えない聖なる剣の一撃は、常時防御のかかった毛皮すら切り裂く。
傷口から赤い血がパッと飛び散る。
俺は息を呑んで、駆け寄ってしまいそうな衝動を無理矢理に抑え込んだ。
それでも狼はまるで自身の傷に気付いていないかのように、更に一歩踏み出す。サク、サク、と踏み出すたびに枯れ草が砕ける。
飛び散った血は重力を忘れふわりと浮かび上がり傷口に集まると、肉が割れた傷口は時間を巻き戻すかのように、じわりと塞がっていった。
そして傷が塞がるにつれて、黒い魔力を発しながら狼の姿が変わっていく。
──ああ……会いたくなかった。
終わらせに来たのか、それとも。
そういう期待が恐ろしくて、俺は逃げ出したかったのに。
「アゼル……」
リューオが目を見開く気配があった。
眉間にシワを寄せて佇むアゼルの頬が、薪の炎で光っている。泣いていたのか。……違う、泣いているんだ。
俺が泣かせた。
手を伸ばしても届かないくらいの距離。
お互いが手を伸ばせば、届く距離。
アゼルの泣き顔を見たのは、三回目だ。
コイツは俺と真逆に、本当に痛そうに泣くんだ。
その痛みが伝染する。
死にそうだった俺の心臓が、安心を求めてより激しく鼓動する。
「ッ」
耐え切れなくて、耳を塞いだ。
どうして泣いているんだ。偽物の俺をどうして追いかけてきたんだ。
脳裏に疑問が湧き上がっては態々一番残酷な答えを選び、そんなことを聞くぐらいなら忘れてくれとさえ思った。
恐怖に支配される頭は、愛しい彼が恐ろしくて仕方がない。
あぁ嫌だ、怖い、こわい、こわい……ッ!
潰してくれッ!
誰か今すぐ、俺の感覚器官を全てッ!
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