魔王と! 私と! ※!

白雛

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第五章『魔王(仮)』

十三

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 誕生日の晩に、路地から父の革靴の音が聴こえてくるのを今か今かと心待ちにする幼児のように、耳に手を当て、そわそわとそばだてていたレイスァータだったが、火球の繰り出す轟音が鳴りやみ、突然空に瞬いた光の彼方に完全に沈黙したのを確認すると……何度も目を瞬かせて。
 しまいに唖然と言った。
「……どういうことだ?」
 代わりに目の前に臨む高き城壁の向こうから聴こえてくるのは、プレゼントを持った父の足音もとい人々の悲鳴や断末魔、崩壊の音などではなく、割れんばかりの歓声である。
 中にはきっと悲鳴も混じっているのに違いはないが、レイスァータの望んでいたものとはまるでニュアンスが違うものだろう。
「さ、さぁ……なんか喝采が聴こえますねぇ……」
 傍らに佇むゴブリン中隊長も額に汗滲ませ、歯切れ悪く答えた。
 どういうわけだか、第一波は失敗に終わったらしいようだった! が、しかしレイスァータはその程度では動じない。そうとも、この十年の苦汁に比べれば……!
 がくりと首を下げたところから、すぐにぐっと気持ちを持ち直し、腰に手をつき虚勢に胸を張ると、高笑いして言った。
「ダーーーッハッハッハッ! 一発凌いだくらいで安心するとはなんたる愚かな! まだまだいけるぞ、俺は! もう一発、すぐにぶちかませっ!」
 レイスァータの檄を伝えて、再び充填を始めるゴブリンとタコツボの足元で、それら掛け声の間を突き抜けるように小さく、可憐な二つの声がした。
「……バルタザール。スクールゾーンのど真ん中に気味の悪い物体があるわ……」
「あー、カスパール。どうせまた工事でしょ、工事。ほんと、人の迷惑とか考えないんだから、大人ってのは……」
 気がつけば配下のゴブリンたちに混じって、革のカバンを背負った幼気な少女が二人。
 一方は伸ばしっぱなしのセミロングの先をリボンで結いて、丁寧に揃えられた前髪。閉じているのかと思われるほど眠たそうな目つきが特徴。
 もう一方は頭の後ろに結いた二本の触手のようなツインテールにおでこを晒し、みるからに生意気そうな仏頂面を浮かべていた。
 どちらもまだ幾許もない。少年のような身体つきに魔族特有の青白い肌、そしてロキやメルキオールにも似た黄金の麗しい髪質をしていた。
 それが、ちょこちょこと足場の下に通りがかっていた。
 そして、
「邪魔っ!」
 一言。
 ツインテールの女の子が一言告げて、足場を蹴り飛ばすと——なんと! 上に載っている砲台ごと空の彼方まで軽く吹き飛ばしてしまうのだった!
 小さな足先にはしかし、愛らしい見た目にそぐわない甚大無比な魔力が込められていた。黄金に輝くそれが、彼女の爪先に途方もない破壊力を乗せているのだ。
「な……なにが。——何が起きた?!」
 レイスァータは足元の平原に降り立ち、茫然とそれら空の彼方に消え去る砲台と部下たちを見守っていた。急転直下のあまり、驚きに開いた口がふさがらない。
「一瞬恐ろしいほどの魔力の高まりが……いったい何者が……!」
 間一髪であった。
 得体の知れない魔力の胎動を感じたレイスァータは瞬間的に足場を飛び降り、事なきを得ていたのだ。だが、まったく事態が呑み込めないで右往左往と視線を泳がしていた。
 そのうち、視界の中に街道の向こうからやってくる二人の少女の姿を捉えて、
「あ、ああ……」
 今度は信じられないというように表情を固め、その目元にじんわりと涙を浮かべ、手のひらで顔を拭い、しまいには歓喜に震えだした。
「うそだろ……ま、まさか……」
 二人ともとことこと歩き続け、やがてレイスァータの目の前にまでやってくる。
 少女二人揃って、彼の前で立ち止まり、彼の顔を見上げた。
 宝珠のようにくりくりとしながら、どちらの子も切れ長にこちらを見据えている。豊穣のごとき母性と冷酷さも兼ね備えた味わい深い眼差しにすらっと曲線美を見せる整った鼻筋。ふくらんだ頬は見るからにふわふわとして、ぷるんと艶めく唇は目が離せないほどに蠱惑的な形、紅をさしているわけでもないのに尊いミルキーブルー色を湛えている。
 それから、青白い魔族の肌に、飴細工のように甘そうでなめらかに流れるトウヘッド。
 見間違えるはずもない……!
 どちらも妻フレイアの生き写しのようであった!
 レイスァータはとたんにそのうちの一人、半分しか目の開いていない眠そうな子の肩をつかむと、涙ぐんで訴えた。
「わ、私がわかるかい……?」
「……?」
 眠そうな少女が首を傾げる。レイスァータは隣の不機嫌そうな子のほうも見ながら、その場に膝をついて続けた。
「む、無理もないな……君たちはまだ産まれる前だったから。カスパール。そして、バルタザール! 私が……私がお父さんだよ?」
「…………」
 カスパールと呼ばれた少女は、ぼんやりとレイスァータの顔を眺めると、
 ——ぶち。
 速やかに防犯鈴の紐を引き抜いた。
 たちまち魔力の込められた鈴が辺り一面けたたましくじりじりと鳴り響いて、亜空から見るも恐ろしげな地獄の巨人の腕が伸びてくる。
「な……なんだ! こ、これは召喚……?!」
 レイスァータはたじろぎ、後退った。
 カスパールはレイスァータを指差して言った。
「この人、不審者です……」
 カスパールの指示を受けると、巨人の腕はその拳の一撃で大地を割り、レイスァータをその場であっさりと押し潰した。
 巨人の腕が亜空間に帰っていくのを見送ると、二人は目の前にできたばかりの血の池を避けて街道を進み、
「臭かった……あの人……」
「あーマジでだるーい。なんで季節ごとに帰んなきゃいけないのかしら。お姉ちゃんに会えるのは嬉しいけど」
 カスパールは手や服の匂いを確かめながら、バルタザールは口々に不平を漏らしながら、それぞれ並んで城門に向かうのだった。





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