上 下
44 / 77
竜太と神楽のはなし。

しおりを挟む

   考えもしなかった。
    アキが…自分以外の誰かを愛することなんて…。
    呟きの後、フォローされるように付け加えられた親慶の言葉はまるで手のひらから砂が溢れるようにさらさらと落ち、竜太の耳には届かなかった。
「…」
    盲目的にただアキを見つめていたから気付けなかったのかもしれんし、近くにいすぎてアキの本当の気持ちが見えなくなってたのかもしれへん…。
    降って湧いた問題は意外にも竜太の心臓深くに入り込み小さな種を蒔いた。

    本当は見ようとしてなかったからやないか…?

   くっ、と下唇を噛んで立ち上がると後ろから神楽の細い体を抱き締め右手でその視界を塞いだ。
「なんだよ、竜太」
    突然、視界を奪われた世界で不審に神楽が声をあげるが竜太の手は緩むことなく抱き締め、光を奪う。
 その眼差しを自分以外の誰かに向けられるくらいなら自分さえも見えなくたっていい。
「…竜太?」
「……そないにキラキラした目で俺以外の奴見んといて?嫉妬に狂って頭おかしなりそうや…」
 ざわつく胸に不安を掻き立てられ項にキスをすると無意識に痕を残しそうになるがそこは自重して神楽を振り向かせる。
「なんだよそれ。俺ってそんなに信用ないか?」
「アキを信用してへん訳やないよ?ただ綺麗過ぎる恋人をもつと気苦労が絶えへんって話」
「俺があんた以外の人間を選ぶって?」
「保証はないやろ?」
「…」
 竜太以外の相手…。
 そう考えた瞬間、神楽の脳裏に嶺華の存在がよぎった。
    困惑と不安が入り混じったなんともいえない表情を隠そうと逸らした顔は竜太に隠しきれず、その行動と相まって黒い疑念は竜太の胸に強くしっかりと根をはってしまった。
 …まるで心当たりがあるって顔するんやね…。
「…ど、うかな?俺、あんた以外と恋愛した事ないから考えられねぇな」
 神楽の言葉を額面どおりに受け取りたかった竜太だったが先程の神楽の表情がそれを許してくれない。
「知らんくてええやろ?今までもこれからも、俺以外…」
 独占欲丸出しで抱き締める力を強くすれば神楽は呆れたように目を細めた。
「それに、俺はアキの事が本気で心配やわ…」
「なにがだよ…」
「俺みたいな体格の奴にならともかくひょろいイケメンごときに押さえ込まれて」
「ぐっ…あ、あいつだって鍛えてんだからそんなにひょろくねぇだろ。それに身長差があるから上から押さえられたら俺だって…」
「この前は蘭獅にもええようにされとったし…ほんま心配や…」
「あいつは訳わかんねぇ薬を使ってくるから…普通の状態だったら力では負けねぇよ!」
「どうかな…?その内あのちびっこにも組み敷かれる未来が見えるわ」
「義経には…さすがに大丈夫だろ…」
 そう答えながら首を傾げる神楽だが万が一の可能性を想像し徐々に不安の色を濃くしていく。
「…とにかくアキもあとでお仕置きやから──ぶっ‼︎」
「職場ではそういうのなしな?」
 顎を捕らえキスをしようと近付く竜太の顔を手探りで探り当てたバインダーで容赦なく殴りつけた神楽は悪戯っぽく微笑んで弧を描くふっくらとした唇から小さく舌も出してみせる。
    痛みを訴える赤くなった鼻をさすりながら「悔しいけどほんまに美人や」と竜太は恨みがましく睨みつけた。
「お話し終わりました?」
 明るい声に合わせてひょこっと入口から顔を出した一弥に神楽は一部始終見られていたことに気恥ずかしさを覚えた。
「…随分良いタイミングだな、一弥」
「空気はちゃんと読みましたよ?部屋に入るタイミングを毎回毎回気ぃ張らんといけんこっちの身ぃにもなって下さいね」
 にっこりとしている微笑みは「人目もちゃんと気にして下さいね」と脅しを込めて強烈に訴えかけてきて神楽は言い返すこともできず口篭ってしまった。
「なんか用か?」
「用がなければお二人の邪魔してまで声かけたりせぇへんよ」
 二人の横を通り過ぎた一弥は遠慮なく椅子に座ると竜太に隣に座るように促し持ってきた資料を渡した。それから二人はなにやら真剣な話を始めたので神楽は並んで座り話が終わるまでもう冷めてしまった缶コーヒーを喉に流し込んだ。
『もしかしてかぐっちゃんもそんなことがあったりした?』
 突然、思い出した親慶の言葉に神楽は反射的に舌打ちをすると二人が驚いたように神楽を見つめるが手で「なんでもない」と合図をすると二人はまた資料に視線を戻した。
    竜太こいつとこんな関係になったのは今のあいつらと同じくらいの歳だったか…。
    ぼんやりと竜太との出会いを思い出した神楽は伏せていた目を閉じて記憶の海に沈んだ。


しおりを挟む

処理中です...