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竜太と神楽のはなし。
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◆ ◆ ◆
俺が竜太と出会ったのは今の義経と同じくらいの時だった──。
二歳からフィギュアスケートを始め物心つく頃にはすでに頭角を現し賞レースを総なめにしてきた神楽はそれでも天狗になることはなく、自分より幼い親慶や義経の手本になるよう演技も練習もインタビューの受け答えにも気を遣っていた。
その態度や見目の良さも相まって神楽は幼い頃からメディアの注目の的だった。そのため神楽は歳の割にどこか達観していて冷めた子供だった。しかしそこはスケートで培った表現力や演技力で人当たりの良い真面目で素直な神楽愛灯を演じて続けていた。
神楽自身はスケート以外にはほとんど興味もなく、来る日も来る日もスケートと本気で向き合うことが楽しみであり生きがいだった。
それが少しだけ苦しくなった時期があった。注目と一緒に妬みや僻みも一身に受けスケートを滑ることが苦しくなっていたのだ。
そんな神楽の前に竜太は突然現れた。
「初めまして」
練習が終わり帰ろうと荷物をまとめていた神楽は声をかけられ顔を上げた。
体格は今とあまり変わらないが黒い短髪がどこか幼く、堅い印象を受けた。
「…はじめまして…。おじさん、誰?」
「おじ…!俺はまだ二十三や、お兄さんと呼べ」
「そう。それで?誰?」
「…お前…大分イメージちゃうな…」
「初対面で名乗りもしないおじさんに礼儀って必要?」
「…」
「正論やね。これはボンの方が悪いわ。僕は尾花一弥。よろしく!」
「…どうも」
突然、竜太の後ろから現れにこにこと笑顔で自己紹介をする一弥に小さく会釈をした後、神楽は竜太を見つめた。それに倣って一弥も竜太を見つめると竜太は一度咳払いをして右手を差し出した。
「…東儀竜太。よろしく」
「神楽愛灯です。よろしくお願いします」
気恥ずかしそうに竜太が自己紹介をすれば神楽は貼り付けた笑顔で握手に答えた。
「……」
「…意外と小さいんやね。手も…」
まじまじと握り返された手を見つめると神楽はすぐに手を引っ込めてしまい竜太は目を丸くした。
「失礼な人だねおじさん…」
「ボン最低やわ…。僕らまだ成長期真っ只中なんやから!ごめんな、神楽君」
「いえ…」
ベシッと竜太の肩を叩いた一弥は両手を合わせて神楽に向かって頭を下げると神楽は小さく首を横に振った。
「…」
「…」
それから短い沈黙の中、一弥はなにか言いたそうに竜太を見上げるが当の本人は俯き口を固く閉じたままなにも話そうとしない。
しばらくそのまま時間が経過したが変化のないこの状況に先に口を開いたのは神楽だった。
「あの…なんの用もないなら俺はもう帰りたいんだけど…」
「そうよねぇ…神楽君疲れとるもんねぇ…」
どうしようかと思案しながら答える一弥の視線は相変わらず竜太に注がれていて神楽もその視線を辿るが竜太は変わらずだんまりを決め込んでいる。
神楽がもう一度一弥に視線を向けると一弥は肩を竦めた後、重く溜め息を吐いた。
「ごめんな?今日はこれで──」
「お前の…」
これ以上は神楽に迷惑はかけられないと話を終わらせるために前に進み出た一弥の肩を押し退けると一言だけ零した後、竜太はようやく俯いていた顔を上げた。
「お前の振付師にさせて…くれへんか?」
「俺の…?」
予期せぬ提案に神楽は首を傾げた。フィギュアスケートに関する人物で『東儀竜太』という名前を聞いたことがなかったからだ。
自分を利用しようとする大人も多い。だけどこの人はそういう嫌な大人とは違うと、神楽は直感的にそう感じていた。
それならばなぜこの人は自分の振付師になりたいなどと言うのだろうか…。
「…俺ね、世界と戦ってるから実績のないおじさんになんて興味ないよ?」
わざと棘のある言い方をした。
品行方正を演じている『神楽愛灯』に憧れを抱いているのであれば素の自分を見せつければ幻滅して離れていくと思ったのだ。
「せやから少し時間をくれ。必ず実績を積んでお前のところに戻ってくるから…」
再び思いもしない提案に神楽は数回瞬きを繰り返した。目の前の大きな男は体を小さく丸めそのやや後ろに立つ人懐っこい男、一弥はその男を応援するように両手を握り締めている。
なんなんだ、この人達…。
不思議な光景に神楽はそれでも悪い気はせずニヤリと悪戯っぽく笑った。
「俺はこれからまだまだ背も伸びてジャンプもステップもどんどんレベルを上げて世界一を目指してるの。もし貴方の実力がその時の俺に釣り合ってるって思ったらその時は一緒に組んであげる。でも、貴方の力不足を感じたら俺は見向きもしないよ?」
自分が思いつく限りの嫌味で生意気なガキを演じた神楽に二人は目を丸くした後、おもむろに竜太がふっと笑った瞬間、神楽は息を止めた。
「ほんまにおもろいガキやな」
「…」
先程まで死んだ魚のような目をしていたのに…。
目の前の男はどこか影を背負っていた。精気も覇気もなく、握り締めた手は驚くほどに冷たく病的に細かった。
そんな男が一瞬にしてその目に光を宿したのだ。
あんな生意気な態度を取った自分に対して息を吹き返したように力強く笑った。
その様子に神楽の頭は混乱するが、その笑顔は酷く魅力的で胸が高鳴るのが分かった。
「…変な人…」
思わず溢れた言葉に笑ったのは一弥の方で、竜太は片方の眉だけ跳ねさせ微妙な表情をしていた。
俺が竜太と出会ったのは今の義経と同じくらいの時だった──。
二歳からフィギュアスケートを始め物心つく頃にはすでに頭角を現し賞レースを総なめにしてきた神楽はそれでも天狗になることはなく、自分より幼い親慶や義経の手本になるよう演技も練習もインタビューの受け答えにも気を遣っていた。
その態度や見目の良さも相まって神楽は幼い頃からメディアの注目の的だった。そのため神楽は歳の割にどこか達観していて冷めた子供だった。しかしそこはスケートで培った表現力や演技力で人当たりの良い真面目で素直な神楽愛灯を演じて続けていた。
神楽自身はスケート以外にはほとんど興味もなく、来る日も来る日もスケートと本気で向き合うことが楽しみであり生きがいだった。
それが少しだけ苦しくなった時期があった。注目と一緒に妬みや僻みも一身に受けスケートを滑ることが苦しくなっていたのだ。
そんな神楽の前に竜太は突然現れた。
「初めまして」
練習が終わり帰ろうと荷物をまとめていた神楽は声をかけられ顔を上げた。
体格は今とあまり変わらないが黒い短髪がどこか幼く、堅い印象を受けた。
「…はじめまして…。おじさん、誰?」
「おじ…!俺はまだ二十三や、お兄さんと呼べ」
「そう。それで?誰?」
「…お前…大分イメージちゃうな…」
「初対面で名乗りもしないおじさんに礼儀って必要?」
「…」
「正論やね。これはボンの方が悪いわ。僕は尾花一弥。よろしく!」
「…どうも」
突然、竜太の後ろから現れにこにこと笑顔で自己紹介をする一弥に小さく会釈をした後、神楽は竜太を見つめた。それに倣って一弥も竜太を見つめると竜太は一度咳払いをして右手を差し出した。
「…東儀竜太。よろしく」
「神楽愛灯です。よろしくお願いします」
気恥ずかしそうに竜太が自己紹介をすれば神楽は貼り付けた笑顔で握手に答えた。
「……」
「…意外と小さいんやね。手も…」
まじまじと握り返された手を見つめると神楽はすぐに手を引っ込めてしまい竜太は目を丸くした。
「失礼な人だねおじさん…」
「ボン最低やわ…。僕らまだ成長期真っ只中なんやから!ごめんな、神楽君」
「いえ…」
ベシッと竜太の肩を叩いた一弥は両手を合わせて神楽に向かって頭を下げると神楽は小さく首を横に振った。
「…」
「…」
それから短い沈黙の中、一弥はなにか言いたそうに竜太を見上げるが当の本人は俯き口を固く閉じたままなにも話そうとしない。
しばらくそのまま時間が経過したが変化のないこの状況に先に口を開いたのは神楽だった。
「あの…なんの用もないなら俺はもう帰りたいんだけど…」
「そうよねぇ…神楽君疲れとるもんねぇ…」
どうしようかと思案しながら答える一弥の視線は相変わらず竜太に注がれていて神楽もその視線を辿るが竜太は変わらずだんまりを決め込んでいる。
神楽がもう一度一弥に視線を向けると一弥は肩を竦めた後、重く溜め息を吐いた。
「ごめんな?今日はこれで──」
「お前の…」
これ以上は神楽に迷惑はかけられないと話を終わらせるために前に進み出た一弥の肩を押し退けると一言だけ零した後、竜太はようやく俯いていた顔を上げた。
「お前の振付師にさせて…くれへんか?」
「俺の…?」
予期せぬ提案に神楽は首を傾げた。フィギュアスケートに関する人物で『東儀竜太』という名前を聞いたことがなかったからだ。
自分を利用しようとする大人も多い。だけどこの人はそういう嫌な大人とは違うと、神楽は直感的にそう感じていた。
それならばなぜこの人は自分の振付師になりたいなどと言うのだろうか…。
「…俺ね、世界と戦ってるから実績のないおじさんになんて興味ないよ?」
わざと棘のある言い方をした。
品行方正を演じている『神楽愛灯』に憧れを抱いているのであれば素の自分を見せつければ幻滅して離れていくと思ったのだ。
「せやから少し時間をくれ。必ず実績を積んでお前のところに戻ってくるから…」
再び思いもしない提案に神楽は数回瞬きを繰り返した。目の前の大きな男は体を小さく丸めそのやや後ろに立つ人懐っこい男、一弥はその男を応援するように両手を握り締めている。
なんなんだ、この人達…。
不思議な光景に神楽はそれでも悪い気はせずニヤリと悪戯っぽく笑った。
「俺はこれからまだまだ背も伸びてジャンプもステップもどんどんレベルを上げて世界一を目指してるの。もし貴方の実力がその時の俺に釣り合ってるって思ったらその時は一緒に組んであげる。でも、貴方の力不足を感じたら俺は見向きもしないよ?」
自分が思いつく限りの嫌味で生意気なガキを演じた神楽に二人は目を丸くした後、おもむろに竜太がふっと笑った瞬間、神楽は息を止めた。
「ほんまにおもろいガキやな」
「…」
先程まで死んだ魚のような目をしていたのに…。
目の前の男はどこか影を背負っていた。精気も覇気もなく、握り締めた手は驚くほどに冷たく病的に細かった。
そんな男が一瞬にしてその目に光を宿したのだ。
あんな生意気な態度を取った自分に対して息を吹き返したように力強く笑った。
その様子に神楽の頭は混乱するが、その笑顔は酷く魅力的で胸が高鳴るのが分かった。
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