ホラー短編集

倉木元貴

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キャリーケースの女 1話

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 これは僕が高校を仮卒業した2月のことだ。
 僕、高浜亮磨は、高校3年間サッカー一筋で、大学もスポーツ推薦で受かった。大学でも活躍できるように、期待に応えられるように、2月の仮卒業の休み期間に入ってから毎朝ランニングをするようにしていた。幸いにも実家近くに割と広く舗装整備された山を登れる道があり、大雨でも降らない限りは毎日のように通った。この時はまだ、あんなことが起こるなんて、想像もしてなかった。
 ことの始まりは、2022年2月4日だ。いつものように舗装された山道を登っていると、途中の道が少し広がったところで突っ立っている女性がいた。年齢は20代後半から30代前半までの僕から見ればお姉さんのような人だった。
 ここの道は山肌を削って作っているようだったから、時々綺麗な景色を見ることができた。だから、いつもなら何も気にせず放っておいたけど、この女性がいたのは目の前を木々で覆われている森しか見えない場所だった。よく見ていると、どうやら崖の下をのぞいているようだった。まさか自殺をするためにここに来たのか。もし自殺だったら後味が悪い。そう思い、僕は声をかけてしまった。
 
「あの……大丈夫ですか?」
 
 女性は僕の方を見て、困った顔でこう言った。
 
「あの、すみません。実はキャリーケースを落としてしまって、どうにか取ることはできないですか?」
 
 どうやら崖の下を見ていたのは落とし物をしていたからだったようだ。女性が指差す先。崖の下をのぞいてみると、本当に真っ赤なキャリーケースが無惨にも落ちていた。自殺ではなかったから良かったけど、ここは本当に崖だから階段でもあれば降りて引き上げることは可能だけど、あの荷物を取ることは不可能だな。
 
「すみません……流石にこの高さじゃ取るのは難しいと思います」
 
「そうですよね……」
 
「あの……この先にここいら一体を管理している事務所があるので、そこに行けば多分取ってもらえますよ」
 
「そうなのですね。ありがとうございます。一度行ってみます」
 
 そう言ってその時はその場を離れた。
 話を聞いている時は特に違和感を感じなかったが、なぜこの時期この時間にキャリーケースを山道で引っ張っていたのか。不思議だった。
 確かに山頂から少し歩いたところには、リゾートホテルがあり夏は花火がよく見えると人気だが、冬はそのホテルでさえもイベントなんてほとんどしてなくて、泊まりに来ている人もそう多くはないと感じていた。
 まあ、大人の事情は僕にはわからないから何でもいいけど。この山道をキャリーケースを引っ張って登りたいとは思わないな。
 あの時思えば、僕がこの後事務所の近くまで行くのだから事務所に一声掛ければ良かったと後悔をした。
 
 次の日。
 いつもと同じように山道を走っていると、昨日と同じ場所に昨日と同じ女性が同じ服を着て突っ立っていた。
 昨日僕はちゃんと助言したし、これ以上僕にできることはないと、その女性を無視して走り去ろうとすると、今日は女性の方から話しかけられた。
 
「あの、すみません。実はキャリーケースを落としてしまって、どうにか取ることはできないですか?」
 
 僕はファンタジーの世界のように昨日をもう一度経験してしまっているのか、と思ったが、今日はちゃんと2022年2月5日になっていた。それに昨日は空が曇って風も強かったが、今日は穏やかな晴れが続いて風もない。この女性以外は特に変わった様子の人にも会ってなかったから、ファンタジーの世界に巻き込まれていないことだけはよくわかった。現実でそんなことが起こるわけないと。
 
「あの、この先に事務所があるのでそこの人に言ってみてください」
 
「そうですよね……」
 
「じゃ、じゃあ僕は行くのでこれで……」
 
 僕は怖くなって逃げ出した。
 
「そうなのですね。ありがとうございます。一度行ってみます」
 
 この女性、昨日と全く同じことしか言っていない。
 仮に記憶を失ったのだとしても、昨日と、全く同じことしか言わないのは変だろ。昨日話しかけた人間だったと気づかなくても、もっと事務所の詳細な場所を聞いたり、他に言うことがもっとあったはずだ。なのにそれを一切言ってこなかった。あの人は絶対に何かおかしい。
 
 次の日も同じくらいの時間同じ場所にその女性は突っ立っていた。またも同じ服を着てだ。僕は昨日のことが恐怖でしかなく、視認できたところから折り返して山を下った。時々後ろを振り返っては、あの女性がこちらを見ていないのか、確認しながら山を下りた。
 その日の夜のことだった。
 僕は悪夢にうなされて夜中の2時頃に起きた。こんなことは久しぶりだった。全身に汗をかいてしまっていたから、着替えてまた布団に入るが、見た夢が眠ろうとするのを邪魔する。だって、僕が見た夢というのは、あのキャリーケースの女にまた話しかけられて、今度は腕も掴まれていて、逃げることはできずに「あの、すみません。実はキャリーケースを落としてしまって、どうにか取ることはできないですか?」「そうですよね……」「そうなのですね。ありがとうございます。一度行ってみます」と言うのを何度も聞かされるものだった。思い出すだけで怖いのに、少しだけ現実味を帯びているところが尚のこと怖かった。
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