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20 過去が語られる夕べ 前
しおりを挟むその日の夕刻、オディーナは広々とした応接室のあちこちに椅子を配置し、壁際に置いた大きな台には様々な軽食や飲み物を並べ、各々が好きなように過ごせる場をしつらえた。
夏の間は暇を与えられた暖炉のそばの長椅子にはルーディカとキールトが並んで腰を下ろし、オディーナとクロナンは小さな丸机を挟んで盤上で駒を進めて奪い合うゲームを始めると、少し距離を置いて座っているとはいえ、何もしていないアイリーネとフィンの間には気まずい空気が漂い始めた。
アイリーネは手持ち無沙汰を紛らわせようと、その辺りにフィンがいないときを見計らって軽食が置かれた台へ何度も足を運んでみたが、満腹になるといよいよやることがなくなってしまった。
仕方がないので、飲み物が入った水差しがいくつも並べられている前で、どれにしようか迷っている風を装っていると、ふいに背後からフィンの声がした。
「リーネ」
内心では飛び上がるほど驚いたが、必死に平静を装ってアイリーネは振り返った。
一瞬だけ合った視線は、すぐにどちらからともなく逸らされる。
「……何?」
フィンは懐から一枚の紙片を取り出した。
「新しい暗号表。俺はもう頭に入れたから、暗記したら破棄してくれ」
「あ、うん……」
紙を受け取ったアイリーネは、皆から少し離れた窓際に並べられた椅子のひとつに腰掛け、いかにも「集中しています」といった様子で表を睨んだ。
こっそり視線を動かすと、フィンは飲み物を手に持ってオディーナとクロナンの盤上の戦いを観戦し始めたようだった。
なんとか雑念を払い、アイリーネが暗号を記憶し終えたころ、クロナンの悔しそうな叫び声が響いてきた。
盤を挟んで彼の向かいに座るオディーナは小気味よさそうな笑みを浮かべていて、どちらが勝者となったのかは一目瞭然だった。
「さすが男爵夫人……。いちいち嫌らしいところを突いてくる戦い方でしたね」
「ほほほ、なんとでもおっしゃって」
クロナンは歯噛みしながら、傍らに立っていた弟に目を向ける。
「フィン、おまえもこのゲームできるだろ」
「俺?」
「モードラッド伯爵家の威信をかけて、兄の雪辱を果たしてくれ」
「ふふ、フィン様どうぞ。返り討ちにして差し上げますわ」
オディーナに促されたフィンがクロナンと交代して席に着くと、クロナンは飲み物を取りに行き、そのまま杯を二つ持って窓際のアイリーネのところへやってきた。
「アイリーネ嬢、暗号を暗記中だとフィンから聞きましたが……もうお済みのようですね」
クロナンはアイリーネの膝の上に裏返しに置かれた紙を見て言った。
「は、はい、どうにか」
「お疲れさまでした。新しいお飲み物をどうぞ」
赤い果実酒が注がれた杯が差し出される。
「あ……ありがとうございます」
クロナンはそのまま、アイリーネの隣に置かれていた椅子に腰を下ろした。
「――楽しい夕べだ」
それぞれが思い思いに過ごす室内を、クロナンは見渡す。
「まるで子供のころに戻ったような。……と言っても、私はかなりのひねくれ者で、家族の和やかな団欒を壊してばかりだったように思います」
「そ、そうなんですか」
クロナンは遠い目をした。
「フィンが生意気で乱暴な口をきくようになったのも、私のせいでしょうからね。あいつも最初のころは、見た目もそうでしたが言葉遣いだってなかなか可愛らしかったんですよ。『ぼく、おうまさんにのりたいの!』とか言っちゃってね」
「最初のころ」という言葉に不思議そうな顔をしたアイリーネに、クロナンは言った。
「ご存じではないですか? あいつは父の後妻の連れ子なんです。五歳のときに伯爵家に来ましてね」
口をつけようとしていた杯を、アイリーネはゆっくりと下ろす。
「父はもちろんのこと、上の兄たちも歳が離れているせいかあいつのことを可愛がったんですが……まあ、男ばかりなもので、少々手荒い可愛がり方だったかも知れません。比較的歳が近い私だけは、あいつの何もかもが気に入らなくて。――嫉妬ですよね」
クロナンは唇の端に自嘲をにじませた。
「あいつは顔もいいし、何をやらせても器用だし、武術も勉強も良くできた。継母は子爵家の出ですが、結婚には至らず独り身のままフィンを産んでいました。それで、私はしょっちゅうあいつのことを〝婚外子〟呼ばわりして、喧嘩をふっかけるようなまねをしました」
当時の心境や行状を包み隠さず淡々と語るクロナンの横顔を、戸惑いながらアイリーネは見つめる。
「そんな私にも継母は常に優しかったんですよ。兄弟みんなの母親になろうとしてくれました。清楚で美しくて華奢で、どことなくルーディカちゃんのような雰囲気の女性でした。……私は彼女に心を開いた態度を見せないまま逝かせてしまいました。フィンが十歳になったころでした」
後悔ばかりですよ、とクロナンは静かに杯を傾けた。
「かつては私も騎士を目指してましてね。少年時代はフィンと同じところで修行していたんです。そこでも私は出来のいいフィンを妬む同僚たちに吹き込んで、あいつを婚外子呼ばわりするように仕向けました。あいつは全然負けていませんでしたけどね。どんなときでも決して涙を見せず、向こうっ気が強くて言葉遣いの悪い、ふてぶてしい小僧が出来上がりました」
クロナンはアイリーネに視線を向けた。
「ずいぶん驚かれているようだ。フィンはあなたに話しませんでしたか?」
「わ……私には何も……。あの、どうして私にこんなお話を……?」
クロナンは眉根を寄せて笑う。
「どうしてですかね。せっかくアイリーネ嬢がおひとりでいらっしゃるのですから、口説きにかかるには絶好の機会なんですが」
杯を持つ手元に目を落とし、クロナンは独り言のように呟いた。
「弟の良き理解者となり得るあなたに知ってもらうことで、ほんの少しだけ罪滅ぼしをしているつもりなんですかね」
◇ ◇ ◇
「――気になります?」
フィンはハッとして、向かいの席に座る巻き毛の男爵夫人を見た。
「クロナン様なんかに、アイリはなびかないと思いますけど」
オディーナは窓際のアイリーネとクロナンをちらっと見ると、フィンに視線を戻して微笑んだ。
「ずいぶんと落ち着かないご様子ですわ」
「い、いや……。どう攻めようかと考えを巡らせてただけです」
集中していることを示すかのように、フィンは盤上に並んでいる駒をじっと見つめる。
「アイリとは喧嘩中なんですか? ぎくしゃくしているようですけど」
オディーナの質問に、フィンはぎこちない笑顔を浮かべた。
「まあ、もともと温かく微笑み合うような雰囲気でもなかったんで……」
「そうなんですのね。――でも、恋人同士なんでしょう?」
駒に伸ばしかけていたフィンの手が止まる。
「……おかしな揺さぶりをかけないでください」
「あら、違うんですか?」
フィンは手を引き、少し俯いて答えた。
「……違います」
オディーナは目を細め、「存分に長考なさって」と優しく声を掛けた。
「フィン様の次の一手が決まるまで、昔話でもしましょうか。どうぞ、背景音楽だとでも思ってお聞きくださいませ」
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