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21 過去が語られる夕べ 後
しおりを挟むフィンが虚を衝かれたような顔をすると、オディーナはどこか懐かしそうに目を細めた。
「ほんと、時々グロートみたいにかわい――」
微かにフィンの瞳の奥が険しく光ったことに気づいたオディーナは、途中で口をつぐむ。
「あ……フィン様は、アイリがなぜ〝漆黒のハヤブサ〟と呼ばれているのか、ご存じですか?」
「……詳しくは知りませんが、騎士に叙任されたばかりのころに、見事な剣さばきで賊を倒して国境沿いの小さな村を救った、と聞いてます」
騎士の間で語り継がれている通りにフィンが言うと、オディーナは笑顔で頷いた。
「そうです。数ある英雄譚の中には、尾ひれをつけて膨らまされたものも少なくないようですが、あの子がエルトウィンの西北端にあるディロイムという小村を救った、という表現は決して大げさではないでしょう。……実はそのとき、わたくしもあの村におりましたの」
フィンは驚きの目でオディーナを見た。
「フィン様も同様だったかと思いますが、修行を了えて正式な騎士となったわたくしたちは、配属先に向かう前に準備期間をいただきました。アイリやキールトと一緒に、わたくしもエルトウィン騎士団の第一中隊で職務に当たる予定でしたのよ」
フィンは身を乗り出す。
「夫人も、騎士の叙任まで受けておられたんですか?」
「ええ。王宮での叙任式は、わたくしにとってもいい思い出です。晴れがましさと希望に満ち溢れた、忘れがたいひとときでした」
時が戻ったかのように、オディーナは誇らしげな笑みを浮かべた。
「キールトはルーディカさんにひと目会って叙任の報告をしたいとのことで、フォルザに向かったのですが、わたくしは国境にあるという湖が見てみたくて、アイリを誘ってあの小さな村まで旅したんです。宿屋もないようなところでしたが、商人の父の伝を頼って村長さんのお宅に泊めてもらえることになりました」
しかし到着して間もなく、季節外れの大雪の日が続いたのだという。
「外出が難しいほどの天候で、わたくしたちは来る日も来る日も、お家の中で村長さんの小さなお孫さんたちの遊び相手になりました。子供たちが一番喜んだ遊びは目隠し鬼で、鬼役を引き受けることが多かったアイリは、『もうこのお屋敷の中なら、目をつぶっててもどこにもぶつからずに歩けるよ!』なんて冗談めかして言っていました」
ようやく雪が止んだ日の深夜、凍った湖を越えて隣国から夜盗団が村に侵入してきた。
「賊は見張りやぐらの足元の柱を破壊すると、下調べがついていたのか、まっすぐに村長宅に襲来しました。あまり豊かではない村でしたが、長の家になら金目のものがあると踏んだのでしょう」
扉が壊される音と、荒々しい複数の足音、小間使いたちの悲鳴や男たちの怒鳴り声から、侵入者があったことはすぐに分かった。
「わたくしたちは二階の奥の部屋でお孫さんたちと一緒に寝んでいたのですが、アイリは暗がりのなか枕元に置いていた自分の剣を手に取ると、何の迷いもなく『様子を見てくる』と言いました。動転したわたくしは引き止めようとしましたが、アイリは小さい子たちとわたくしを物入れの中に誘導すると、『安心させてあげてね』とわたくしに言い残し、寝衣のまま素早く部屋を出て行きました」
オディーナが子供たちを抱きしめながら震えているうちに、全てが終わった。
「物入れの中にまで激しい物音や断末魔のような叫びが何度も響いてきて、生きた心地がしませんでした。程なく朝が来て……アイリは英雄になっていました」
夜盗団の総数は二十人に満たなかったが、村長宅に侵入してきた十余人はアイリーネが倒した。
「アイリは後になって、『お屋敷の中でずっと目隠し鬼ばかりしてたから、真っ暗闇の中でも有利に戦えただけ』なんて謙遜していました」
空が白み始め、建物や人々の輪郭が浮き上がり始めたころ、外でアイリーネが村長や自警団を前に状況を報告していると、隠れていた残党が、村長に刃を向けて斬りかかってきた。
「集まっていた村人たちの目の前で、返り血が乾いて黒ずんだ寝衣をまとったアイリは、長い黒髪を翻し実に鮮やかに最後の賊を仕留めたんだそうです。――それからアイリは、〝漆黒のハヤブサ〟と称えられるようになりました」
オディーナは静かに微笑んだ。
「その日のうちに、わたくしは騎士になることを諦めましたの」
フィンは痛ましげにオディーナを見る。
「わたくしが隊務に就いたとしても、誰も護ることはできないと悟ったんです」
「……恐れを抱くのは当然のことです」
フィンは視線を落とし、呟くように言った。
「きちんと恐れて、危険なことだと認識していないと、自身の命も守りながら任務を完遂することはできません。あいつは、自分の身を顧みなさすぎるとこがあるから……」
「アイリはまず身体が動いてしまうらしいですね。でも、怖くないわけじゃないみたいですよ」
オディーナは困ったような顔で笑う。
「その瞬間は無我夢中なんですけど、後から『もう一度やれって言われても、できる気がしない』って震え上がるんですって。夜盗団と戦ってからしばらくは就寝中にひどくうなされていましたし、火傷を負ったときには、わたくしへの手紙に書いてきました。『隊務に戻るのが少し怖い』って」
黙ったまま、フィンは膝の上に乗せていた拳を握りしめた。
「でも、あの子は、自分には騎士団しかないと思い込んでるから……」
「……どういうことです?」
「知りたいですか?」
オディーナは挑むような瞳でフィンをまっすぐに見た。
「あなたがアイリのことを愛しているとおっしゃるのならお話ししますわ。――でも、ただの好奇心ならお断りです」
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