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しおりを挟む「初めまして、営業の結城です」
「……総務の猪塚です……」
突然央樹が連れてきた暁翔に、猪塚は困惑したように挨拶を返した。
「申し訳ない。さっき、結城と会って、昼を一緒にって言うから……」
央樹が話すと猪塚は、そうですか、と微笑んだ。
「柏葉主任がそう言うなら、私は構いません。食事はたくさんでした方がきっと美味しいですしね」
「そう言っていただけると助かります」
暁翔が満面の笑みで猪塚を見やる。そんな顔を向けたりしたら、猪塚が暁翔を好きになってしまうのではないか――そんなことを考えてしまってから、好きになるのは自由だし、そもそも自分は暁翔の告白を断ったのだ。何か言える立場ではない。
「主任、これ、作って来たお弁当です。お口に合えばいいんですが」
「ありがとう。本当にここまでしてくれなくて良かったのに」
「いえ、私が食べて欲しかっただけですから」
差し出された弁当箱の蓋を開けると、彩りのいいおかずが詰まっていた。それなりに時間が掛かったに違いない。
「有難くいただくよ」
央樹は、いただきます、と手を合わせてから箸を取った。小松菜と厚揚げの炒め物を掴み、口に運ぶ。それを見ている猪塚に央樹は、美味しいよ、と声を掛けた。猪塚が胸を押さえ、息を吐く。
「良かったです」
そう言ってから、同じ内容の自分用の弁当に箸をつける。そこからふと暁翔に視線を向けると、その表情はひどく真剣だった。
「結城? どうした?」
休憩中にするような表情ではなくて、驚いた央樹が声を掛けると、その顔は一瞬で柔和な笑みに戻る。
「いや、手作り弁当なんて羨ましいなと思って」
「結城なら、そんなこと言ったらいくつでも集まるだろう?」
「そうですよ。総務課でも、今日の結城さんはこうだった、なんて話、毎日ですよ?」
央樹の言葉に続き、猪塚が言いながら暁翔に微笑む。そんな二人を見ていると、やはり暁翔には可愛らしい女性が似合うと改めて思った。
やはりどんなに想ってくれても、自分がその隣に立つべきではないのだ。
「まさか。それは多分悪口ですよ。おれ、すぐ領収書ため込むし、事務用品貰いに行くのも終業間際だし」
「そんなこと言ったら、もっとため込む人もいますよ。ホント、みんな柏葉主任を見習ってほしいです。全部完璧で、とても助かってるんですよ」
猪塚が笑顔でこちらを見上げる。央樹は、それならよかった、と微笑む。その顔を見た猪塚が急に顔を伏せた。心なしか首元が火照っている。
「あの、主任……また、こうしてお弁当を作ってきてもいいですか?」
猪塚が自分の手元を見つめ、央樹に聞く。確かに有難い気持ちはあるが、お互いに変な誤解されるのは本意ではないだろう。
「いや……確かに弁当はとても美味しいんだが……営業は昼にきちんと社に戻れる保証がなくて、誰かと昼食を摂るのは難しいんだ。弁当を無駄にさせるのは忍びないから、これで十分だ」
気持ちだけ頂くよ、と央樹が優しく言うと、猪塚は小さく、分かりました、と頷いた。
「また、私に出来ることがあったら言ってくださいね」
「ありがとう」
央樹が答えると、テーブルに置いていた猪塚のスマホが着信を告げた。それを拾い上げた猪塚が、忘れてた、と急に慌て始めた。
「あ、私今日、お昼の後半電話当番なんだった! すみません、私戻りますね」
猪塚がバタバタと弁当を片付け立ち上がる。失礼します、と一礼して立ち去った猪塚を見送ってから、央樹は隣の暁翔に視線を向けた。
猪塚を見送るその視線が鋭くて央樹が驚く。
「……結城? 大丈夫か?」
「え……あ、はい。おれたちも早く食わないとですね。主任は午後からも外ですか?」
央樹の声に反応した暁翔はいつもの柔和な笑みで聞き返した。央樹がそれに頷く。
「一件だけ片づけて、後はデスクワークだ」
「あ、だったら早く上がれますね。今日、主任の家に行ってもいいですか?」
「え、ああ……構わないが……」
央樹は答えながら、ちらりとあたりを見やった。数人と目が合い、注目されていることが分かる。そりゃそうだろう。同じ課とはいえ、珍しい組み合わせだ。
「じゃあ、おれは今日直帰してそのまま向かいますね」
暁翔は言いながら席を立つ。腕時計に視線を向けて、そろそろ出なきゃ、と眉を下げた。
「分かった。気を付けて」
「はい、行ってきます」
暁翔が満面の笑みを作る。それに戸惑うが、それでもやっぱりこの笑顔が自分に向けられるのは嬉しいと思う央樹だった。
それから暁翔とは週に二度ほど、仕事の帰りに会うようになった。もちろん目的はプレイなのだが、それに付随して、一緒に食事をしたり、買い物をしたりということも増えた。
央樹自身は、そういったことを同僚とすることもあったし、友人とも当然のようにするので気に留めていなかったのだが、暁翔と自分では周りには異様に映ったらしい。
「柏葉は、最近結城とよく居るよな」
そんな言葉で呼び止められた央樹は、首を傾げながら振り返った。
そこに居たのは同じ営業部の同期である榎波だった。央樹が主任になるまでは割とよく飲みに行ったりしていたのだが、役職が付いてからは滅多に話しかけられることもなくなった。他の同期からは『やっかみだから気にするな』と言われたが、真意は分からない。
そんな関係だったから、この時央樹はとても驚いた。
「……久しぶりだな、榎波」
「……毎月営業会議で会ってるつもりなんだけどな、『柏葉主任』」
今もその営業会議で、二人は会議室から出てきたところだった。営業会議は規模を分けて何種類かあるのだが、主任以上になるといくつかの会議に参加することになる。重役を含めた営業報告会議、営業部長以下役職付きまでの営業対策会議、そして今行われていたチームリーダーを含めた全体会議だ。榎波はリーダーなのでこの会議には参加している。
「ああ……そうか。声掛けてくれたらいいのに」
「そこは上から掛けるものだろ? 直接でなくても、柏葉は上司なんだから」
嫌味だと分かっている。でも、前はもっと爽やかで懐の広い男だったと知っているだけに、央樹はその言葉にまるで気づかないように、そうだな、と頷いた。
「元気か、榎波」
「まあね。柏葉は?」
「見た通りだよ」
「ふーん……まあ、あのイケメンといつもいちゃついてれば、幸せって奴か」
榎波の言葉に央樹は眉根を寄せた。そんなふうに言われるのは心外だし、何より誤解はされたくない。
「いちゃつくとか……誰の事だ?」
「部下に居るだろ? 結城、だったか」
「……結城は優秀な部下だよ。彼の希望もあって、少し仕事を振っているだけだ。それで親密に見えるんだろう」
「……お互いの家にまで行ってするような仕事ってなんだろうな」
「……誰が、そんなこと……」
確かに互いの家でプレイをすることが多いが、会社から直接行ったことはない。暁翔も央樹もどこで誰が見ているか分からないということくらい弁えているので、あえてどこかへ寄ったり、会社を別に出て待ち合せたりしている。
「俺は噂を聞いただけだ」
榎波はそう言って央樹に近づいた。肩に手を置かれ怪訝に見上げると、今度は声を抑えて告げた。
「Domの結城があんなに構うんだから、お前はSubなんじゃないかって」
央樹は驚いて榎波から少し後退った。その様子を見て榎波が微笑む。
「ちなみに俺もDomだ。もし『そう』なら、いつでも相手してやるよ、柏葉」
「ぼ、僕は……ノーマルだ。変な勘繰りは止めてもらいたい」
少し取り乱したが、冷静に反応した央樹に榎波は、ふーん、と興味もなさそうに返す。きっと、央樹が嘘を吐いていると思っているのだろう。
「まあ、今度同期で飲もうか。しばらく行ってないだろ?」
「……都合がついたらな」
央樹はそう答えると、そのままきびすを返し、その場を離れた。
榎波との会話はあまり気分のいいものではなかったが、有益ではあった。
思い返してみれば、確かに暁翔との関係は、自分がSubだと知られた日から随分と変わっている。以前は職場ですら話すことのない日が多かったのに、今では毎日会話をしているし、時には昼食も一緒に摂っている。その上、外で会っているところを社内の誰かに見られたのなら不思議がられても仕方ない。
これはちゃんと暁翔と話さなくてはいけない――央樹がそう思った時だった。スーツのポケットに入れていたスマホが震える。メッセージの着信だ。央樹はその画面を見て、やっぱり、と呟いた。メッセージは暁翔からのものだった。
『主任とのことが噂になってると聞きました。今日、話せませんか?』
央樹はそれに『僕も伝えようと思っていた』と返した。
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