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しおりを挟む月曜の朝はダイナミクスなど関係なく、だるくて重い。央樹もそんな気分で出社したのに、追い打ちをかけるように、仕事は山積みになっていた。金曜日に全て片付けて帰ったはずなのに、これはおかしいと思う。
「至急至急って……本当にこれ至急なのか……?」
そう書けば早く処理して貰えると思っているのではないか、そんなことを思いながら、央樹は自席でメールを開き、仕事の種類ごとに仕分ける。部下からの確認依頼は本当に至急のことが多いので、早速目を通す。
見積もり書類を見ながら手元の電卓を引き寄せ、計算し直していると、おはようございます、と声が掛かり、央樹は顔を上げた。そこに居たのは笑顔の暁翔だった。
「おはよう」
以前はこんなふうに朝から話しかけられることはなかったから、央樹も少し動揺していたが、周りの方が驚いているようだ。
「朝から書類確認ですか? コーヒー、持ってきましょうか?」
「あ、いや……自分でするから大丈夫だ」
「大丈夫です、ちゃんと砂糖も持ってきますから」
暁翔が微笑んで、すぐ持ってきますね、とその場を離れた。どうして自分がブラックコーヒーを飲まないと知っているのだろう、と考えてから、そういえば最初のプレイの前にコーヒーに砂糖を頼んだことを思い出した。暁翔はそれを覚えていたのだろう。そんな細かいことまで覚えてくれていると思うと、央樹の胸はきゅっと苦しくなる。罪悪感にも似たそれを、まだ認めたくはなくて、央樹は一度大きく深呼吸をしてからパソコン画面を見つめ直す。すると今度は課長が出勤してきたようで、オフィスがざわついた。そんなことは無視して仕事を続けていると、柏葉、と声が掛かる。
「今部長に会って、これを朝イチで書類にして欲しいそうだ。頼めるな?」
目の前に差し出されたのは、手書きの原稿とどこかのサイトの画面をコピーしたものだった。
「これは……?」
「社内報の記事にするらしい。上手くまとめておいてくれ。出来たら部長に紙原稿を、データを広報に」
頼んだよ、と課長が自分の席へと向かう。それを見送りながら、央樹はため息を吐いた。
「どうして僕が……」
本来なら広報にこのまま廻るはずの仕事のはずだが、課長がいい顔をして引き受けたものだろうに、どうして自分に廻ってくるのか。便利な部下と思われているのが腹立たしい。
「主任、金曜の夜に提出した見積もりなんですが、今日使うので、すぐに確認お願いしてもいいですか?」
課長が去ったと思えば、今度は部下がこちらに近づいてくる。央樹はパソコン画面に出しているこれだろうと分かっていたが、何も答えずに画面と電卓を見やった。
「主任……」
「今やっている。が、月曜の朝使うのなら、木曜に提出するのが妥当ではないか? 金曜の、しかも僕が帰った後に出されてもこうなることは目に見えているだろう? それとも僕は君のために休日も出勤するべきなのか?」
嫌味だと分かっている。けれど、こうも続いて自分都合で動く人たちに自分のペースを乱されては、少し言いたくもなる。
「いえ、そんなことは……」
当然のように慌てた声が返る。ここまで露骨に言ったのは央樹も初めてだった。あたりが、少し緊張した空気になってしまったことに気づいたが、言ってしまった言葉は戻すことができない。
「主任、お待たせしました。熱いので気を付けて下さいね」
そんな冷たい空気に割って入ったのは、暁翔だった。
「あ、ああ……ありがとう」
「ちゃんと砂糖入ってますよ。今度、下のコンビニのラテ買ってきますね。主任好きそう」
ふふ、と笑う暁翔を見ていると、央樹も段々とイライラしていたことがどうでもよくなってきた。そうだな、と央樹が口元を緩める。
「……見積もり、確認した。メールで返送している」
「……あ、はい。ありがとうございます」
「当たって悪かった。気を付けて行ってこい」
央樹が言うと、部下は驚きながらも幾分表情を緩めて、行ってきます、と頭を下げて、その場を離れた。
そのやり取りを見ていた暁翔が、いいな、とぽつりと呟く。
「おれも、主任にいってらっしゃいって言われたいです」
「何を突然……いや、結城が言って欲しいなら、言うが……」
央樹が小さく答えると暁翔が、ホントですか、と嬉しそうにこちらを見つめる。央樹がそれに引き気味に頷いた。
「じゃあ、今ぜひ! あ、でも……」
暁翔はそこまで言うと、さらに央樹に近づいた。息のかかる距離でもう一度口を開く。
「ホントは家を出る時に聞きたいです」
にこり、と微笑んで離れる暁翔を見て、央樹が赤くなる。家を出る時に聞きたいということは、朝同じ場所にいたいということだ。央樹でなくとも大人なら、その意味が分かる。
「そ、それは……」
「いずれ、ということで。じゃあ、おれは外回り行ってきますね」
暁翔が期待に満ちた顔でこちらを見やる。央樹は一瞬迷ってから、それでも暁翔の顔を見つめ、口を開いた。
「いってらっしゃい、結城。気を付けて」
「はい! 行ってきます!」
暁翔が満面の笑みで央樹の傍を離れる。央樹はそれを見送ってから、浅く息を吐いた。それから視線を感じてふと、辺りを見回す。何人かと目が合い、それでもすぐにそれは逸らされる。そんなにうるさくしていただろうか、と思いながらも、特別気にすることもなく、央樹は仕事の続きに戻っていった。
翌日の昼、外回りから戻って来た央樹は、柏葉主任、と声を掛けられ立ち止った。振り返ると、廊下の奥から猪塚が駆け寄ってくる。
「ちょうど今、行こうと思っていたんです」
笑顔でこちらに向かう猪塚の言葉に央樹は一瞬首を傾げてから、先週のことを思い出した。そういえば今日、一緒に昼食を摂る約束をしていた。
「あ、ああ……それは、ちょうどよかった」
本当は今の今まで忘れていたのだが、それを隠し答えると、猪塚が嬉しそうに微笑む。
「休憩スペースにしますか?」
「そうだな。僕が飲み物を用意しよう。何がいい?」
「じゃあお茶でお願いします」
猪塚に、先に行っていてくれ、と言ってから央樹は休憩スペース前の自販機に向かった。お茶を二本買い、歩き出すと、向かいから暁翔が歩いてくる姿が見えた。暁翔もこちらに気付き、手を振る。
「主任、お疲れ様です」
「お疲れ様。昼に戻ってるなんて珍しいな」
暁翔は基本外回りの仕事だ。昼は外で済ませ、そのまま午後の仕事に入ることが多い。
「たまたま近くまで来たので……主任、昼一緒にどうですか?」
暁翔の笑みに、央樹が表情を曇らせる。
「悪い。先約があるんだ」
「先約?」
「総務部の猪塚さん……倒れた時に助けてくれた社員なんだが、彼女が弁当を作って来たと言って……」
央樹が事情を話すと暁翔は、弁当、とぽつりと呟く。それからすぐに顔を上げた。
「おれ、すぐコンビニで弁当買ってくるので、おれも混ざっていいですか?」
「僕は別に構わないが……」
「じゃあ、待っててください。すぐ戻ってくるので!」
暁翔は言うが早いか、すぐに廊下を走って行った。その後ろ姿を見送りながら、央樹は首を傾げ、それでも猪塚と二人きりにならずに済むと、どこかほっとしていた。
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