うちの鬼上司が僕だけに甘い理由(わけ)

藤吉めぐみ

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 仕事をしている厳しい目が好きだ。現場に向かう颯爽とした背中も、自信に溢れた横顔も全部好き。それを自分のせいで奪われたくはない。
 今克彦を守れるのは自分しかいないのなら、答えは一つだ。
 匠は決意したように大きく呼吸をしてから口を開いた。
「……体は貸す。でも、心は全部克彦のものだから」
 匠が言うと、東屋は待ってましたという顔で微笑んだ。それからゆっくりと匠の頬から指を滑らせ、シャツのボタンを開けていく。
「そんな固くならないで。浮気のひとつくらい許されるよ」
 着ていた白シャツとカーディガンのボタンが外され、肌が露になる。嫌悪と不安で吐きそうになるのを抑えながら、匠は顔の上で腕を重ねた。克彦と出会う以前は性欲処理の道具みたいに適当に扱われていた体だ、こんなことなんでもないことのはずなのに、克彦に大事にされすぎたせいだろう――涙が溢れて止まらなかった。
「……許すとかじゃない……したくないんだよ……」
 悲しいことを知っているから。以前の恋人にも浮気をさんざんされてきたが、克彦にされた時が一番悲しかった。同じ思いは、克彦にはして欲しくない。
 肌に唇の感触がして、匠は奥歯を強く噛み締めた。なんでもない、大丈夫……そんなことを呪文のように頭の中で繰り返した、その時だった。

 バタン、と乱暴にドアが開く音がして、匠は目を開ける。ゆっくりと腕を下ろすと、潤んだ視界の中で、東屋が投げ飛ばされているのが見えた。次の瞬間、力強い腕に抱き起こされ、そのまま抱きしめられてしまった。
 この体温は知っている。
「克彦……」
「心配した。怪我はないか?」
 いつもの優しい声に頷いて目を閉じると、涙の粒が転がって落ちた。匠の涙が克彦の上着の上で弾け、それを見た克彦がゆっくりと体を離す。ようやく見れた克彦の顔はこれまで見たことがないほど情けない顔をしていた。思わず匠が小さく笑ってしまう。
 その顔を見て、克彦が少し安堵した表情を見せた。
「無事だな」
 克彦が匠の頭を撫でる。匠はそれに頷いた。
「怪我したのは、こっちなんですけど」
 そう答えたのは部屋の奥に投げ飛ばされていた東屋だった。腰に手を当てふらふらと立ち上がる。匠は近づくその様子が怖くて克彦の上着を握り締めた。克彦もそれに気づいたのか、匠の肩を抱いて立ち上がる。
「すまない。こちらも恋人を助けるため手段を選ぶ暇がなかった」
 克彦は東屋に頭を下げた。謝るところが克彦らしいが、東屋はそれでは収まりがつかないようだった。
「恋人って認めるんですね、市原さんも」
 スーツについた埃を払いながら、東屋が言う。ここで確定されてしまっては拙いと、匠が口を出そうとするが、克彦にそれを静かに片手で制されてしまった。目が合った克彦が優しく頷く。
「当然だ。私は匠を愛してる」
 克彦はそう言うと、匠に向き直りシャツのボタンを丁寧に掛けてくれる。
「克彦……今、愛してるって……」
「愛してるよ。私には匠だけだ」
 驚く匠に、克彦が微笑む。その背後で東屋が、ふーん、と楽しそうに笑って頷いた。
「僕、口が軽いんですよね。その怪我どうしたの、なんて聞かれたら言っちゃうかもな」
 その言葉に露骨に慌てたのは匠だけで、克彦は何も言わない。
「そ、そんなことしたら……克彦の仕事が」
「なくなっちゃうかもね。カオで仕事取ってるところもあるんだし」
 匠の言葉尻を繋いで、東屋が笑う。それを聞いていた克彦は、好きにするといい、と静かに答えた。驚いた東屋が黙り込み、静寂が訪れる。そこに静かな克彦の声が響いた。
「誰に言っても構わない。この仕事は好きだが、そんなことで出来なくなるなら執着はない。それよりも、匠を失うことの方が怖いよ」
「克彦……」
 克彦の言葉に驚いて匠が克彦を見つめると、その顔は少し鋭くなって匠を見返した。
「だからやめろと言ったんだ。私が来なかったらどうなってたと思う」
「克彦、そういう意味で言ってたの?    盗作みたいなことするって思ってたわけじゃなく?」
「匠がそんなことするとは思ってない。そんなに現場が見たいなら私が連れて行く、と言うつもりだった」
 そういうことだったのか、と匠は深く息を吐いた。自分のことを心配してくれて、こんな夜にこんな場所へ他の男と出かけるなと言いたいだけだったのだ。なんて不器用な人なのだろうと思うと、匠はおかしくて笑い出した。
「――帰ろう、匠」
 笑顔のままの匠に克彦が左手を差し出す。匠はそれに頷いて差し出されたそれに右手を絡ませた。    
「東屋くん、私たちのことは誰に言ってくれても構わない。けれど、それと同時に自社の物件内でうちの社員に暴行しようとしたことも周知されると理解しておきなさい」
 あとは自由にするといい、と言って克彦は東屋を置いて部屋を後にした。
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