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そんな克彦に手を引かれたままだった匠は、いいの? と小さく克彦に聞く。
エレベーターに乗り込んだ克彦は、壁にもたれてから、うーん、と低く唸った。
「多分、会社的にはダメなんだろうけれど、私個人としては間違っていないよ。私は、匠と二人で生活していけるなら、どんな仕事だってできると思っているからね」
克彦が匠を見つめ微笑む。けれどその言葉は少し辛かった。自分のせいで克彦が好きな仕事をできなくなるのは辛い。
「そんな……」
匠が不安に克彦を見上げると、額にキスが落ちてきて、大丈夫、と克彦が笑った。
「確かに顔や名前で仕事をもらったこともあるのだと思う。けれど報酬に繋がっているとは思っていないよ。私はそんなものに頼って仕事をしているわけじゃない」
そういうことか、と匠は納得して頷いた。克彦は、有名な建築デザイナーの一人ではある。けれど、そうなるにはそれなりのキャリアを積んできているのだ。容姿だけで仕事ができるほど甘い業界じゃないのは、匠もよく知っている。だから、同性の恋人がいるなんていう噂など克彦の『これまで』を揺るがすものになりえないのだ。きっと周りの反応なんて東屋が思っているほど大したものでもないのだろう。
「……いつも考えなしでごめん」
自分は克彦のことを分かっていなかったし、対等になりたいという焦りから、分かろうともしていなかった。ちゃんと耳を傾けていれば、克彦の考えていることを理解しようとしていれば、こんな迷惑もかけなかったのだ。
反省する匠に、克彦は笑い出した。ちょうどエレベーターのドアが開き、克彦はそのまま外へ出る。
「それは、匠のいいところだ。謝るところではないよ」
「何それ! 俺だって克彦が思ってる以上には考えてるんだよ」
「思考が先行して結局動けなくなる私にとって、匠のその行動力はとても眩しいものなんだよ」
「……克彦が、俺をそんなふうに思うことなんてあるの?」
仕事も完璧、容姿も申し分なし、家事もこなすスーパーマンみたいな克彦が自分をそんなふうに思うことがあるなんて意外すぎて匠は目を丸くした。その様子に、大げさだな、と克彦が笑う。
「今だ、というタイミングで動くのが難しい。今日だってこの場所だということは調べていたが、他人に背中を押されなきゃ部屋までは行かなかったかもしれない。けれど、匠はなんでも簡単に行動に移せてしまうだろ? 仕事に関してもそう。プライベートなんかじゃ、私は匠に振り回されっぱなしだ……でも、それがすごく幸せなんだ。他でもない、匠に振り回されてるんだから」
マンションのエントランスを出て、すぐの角を曲がりながら克彦は匠の手を強く握り、穏やかに話した。
「克彦は俺に甘すぎるよ……」
「愛してるからな。匠が可愛くて仕方ないんだ」
許して欲しい、と笑う克彦の向こう側、歩道の脇には、克彦の車が止まっている。
すると突然、その車のドアが開いた。そしてすぐに誰かが降りてくる。匠は思わず、あ、と叫んでしまった。その顔は見覚えがある。というよりも、忘れられない。
「克彦の浮気相手!」
匠がそう言うと、克彦は勿論、その相手も驚いて、全く同じように、え、と匠に視線を集めた。
「た、匠? どうしてそうなった?」
「それはこっちの台詞! 克彦、この人と前に車でデートしてるだろ。昨日もこの人のところに居たんだよね?」
匠は思い切り克彦を睨みあげてそう言った。克彦は困ったように眉を下げ、デート? と聞き返す。
「私は、こいつとデートなんてしたことは……昨日、こいつのところに居たことは認めるが、至ってやましい関係では……」
「克彦は一晩あれば誰でも落せるくらいカッコいいから、克彦がそう思ってなくてもこの人はそう思ってるかもしれない」
匠が目を眇め克彦を見つめる。相当弱ったのか、克彦の目が、車の傍に立っていた男に泳いで行った。
エレベーターに乗り込んだ克彦は、壁にもたれてから、うーん、と低く唸った。
「多分、会社的にはダメなんだろうけれど、私個人としては間違っていないよ。私は、匠と二人で生活していけるなら、どんな仕事だってできると思っているからね」
克彦が匠を見つめ微笑む。けれどその言葉は少し辛かった。自分のせいで克彦が好きな仕事をできなくなるのは辛い。
「そんな……」
匠が不安に克彦を見上げると、額にキスが落ちてきて、大丈夫、と克彦が笑った。
「確かに顔や名前で仕事をもらったこともあるのだと思う。けれど報酬に繋がっているとは思っていないよ。私はそんなものに頼って仕事をしているわけじゃない」
そういうことか、と匠は納得して頷いた。克彦は、有名な建築デザイナーの一人ではある。けれど、そうなるにはそれなりのキャリアを積んできているのだ。容姿だけで仕事ができるほど甘い業界じゃないのは、匠もよく知っている。だから、同性の恋人がいるなんていう噂など克彦の『これまで』を揺るがすものになりえないのだ。きっと周りの反応なんて東屋が思っているほど大したものでもないのだろう。
「……いつも考えなしでごめん」
自分は克彦のことを分かっていなかったし、対等になりたいという焦りから、分かろうともしていなかった。ちゃんと耳を傾けていれば、克彦の考えていることを理解しようとしていれば、こんな迷惑もかけなかったのだ。
反省する匠に、克彦は笑い出した。ちょうどエレベーターのドアが開き、克彦はそのまま外へ出る。
「それは、匠のいいところだ。謝るところではないよ」
「何それ! 俺だって克彦が思ってる以上には考えてるんだよ」
「思考が先行して結局動けなくなる私にとって、匠のその行動力はとても眩しいものなんだよ」
「……克彦が、俺をそんなふうに思うことなんてあるの?」
仕事も完璧、容姿も申し分なし、家事もこなすスーパーマンみたいな克彦が自分をそんなふうに思うことがあるなんて意外すぎて匠は目を丸くした。その様子に、大げさだな、と克彦が笑う。
「今だ、というタイミングで動くのが難しい。今日だってこの場所だということは調べていたが、他人に背中を押されなきゃ部屋までは行かなかったかもしれない。けれど、匠はなんでも簡単に行動に移せてしまうだろ? 仕事に関してもそう。プライベートなんかじゃ、私は匠に振り回されっぱなしだ……でも、それがすごく幸せなんだ。他でもない、匠に振り回されてるんだから」
マンションのエントランスを出て、すぐの角を曲がりながら克彦は匠の手を強く握り、穏やかに話した。
「克彦は俺に甘すぎるよ……」
「愛してるからな。匠が可愛くて仕方ないんだ」
許して欲しい、と笑う克彦の向こう側、歩道の脇には、克彦の車が止まっている。
すると突然、その車のドアが開いた。そしてすぐに誰かが降りてくる。匠は思わず、あ、と叫んでしまった。その顔は見覚えがある。というよりも、忘れられない。
「克彦の浮気相手!」
匠がそう言うと、克彦は勿論、その相手も驚いて、全く同じように、え、と匠に視線を集めた。
「た、匠? どうしてそうなった?」
「それはこっちの台詞! 克彦、この人と前に車でデートしてるだろ。昨日もこの人のところに居たんだよね?」
匠は思い切り克彦を睨みあげてそう言った。克彦は困ったように眉を下げ、デート? と聞き返す。
「私は、こいつとデートなんてしたことは……昨日、こいつのところに居たことは認めるが、至ってやましい関係では……」
「克彦は一晩あれば誰でも落せるくらいカッコいいから、克彦がそう思ってなくてもこの人はそう思ってるかもしれない」
匠が目を眇め克彦を見つめる。相当弱ったのか、克彦の目が、車の傍に立っていた男に泳いで行った。
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