うちの鬼上司が僕だけに甘い理由(わけ)

藤吉めぐみ

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 翌日、匠は別の仕事で忙しく、克彦も打ち合わせが詰まっていて、朝から会話はおろか、姿も見なかった。どんな顔をして会えばいいのか分からなかった匠としてはちょうどよかったのだが、社員としてはそうではなかったらしい。
「辻本くんのせい? 市原さんのまわりの空気に棘増えたのって」
 打ち合わせから戻ってきた水谷が唇を尖らせて匠に言う。そんな水谷を怪訝そうに見上げた匠が言葉を返す。
「俺何もしてないですよ」
「何もしてないわけないでしょ? 昨日、辻本くん帰ってから市原さん荒れて酷かったんだから――なんかあったの?」
「別に……俺はただ、仕事のためになるならと思ったことを否定されて……」
 匠は仕事の手を止めずに答えた。それを見て水谷がため息を吐く。
「まあ……市原さんも珍しく感情的に怒ってたし、辻本くんの気持ちも分かんないでもないけど、さっさと仲直りしてよね」
「仲直りって……後で謝ります」
 匠はそう言うと立ち上がり、真田さんに資料届けてきます、とその場を離れた。
 付き合っているなんて、ばれたら元も子もない。昨日はつい感情を出しすぎてしまったし、克彦も職場で自分を匠と呼んだ。今日は反省して、克彦が自分を許してくれるのなら彼のために何でもしよう――匠はそう決めていた。

 その日の午後8時、匠は駅前で東屋を待っていた。例のリノベーションのマンションに向かうためだ。結局今日は一日克彦に会うことはなかった。いつもならこんなことはないのに、もしかしたら克彦の方で避けているのではないかと思うと、少し落ち込みもしたが、帰る場所は同じなのだ。いくらなんでも二日も無断で外泊はしないだろう。夜には会えるだろうから、その時じっくり話せばいい。その時はそう思っていた。
「お待たせ、匠くん」
 車のクラクションとそんな声で思考を止めた匠の目の前に、笑顔の東屋がいた。自分の車らしい、黒の軽自動車の助手席のドアを内側から開けた東屋は、どうぞ、と微笑む。
「住宅街で駅からちょっと距離あるマンションだから、車の方が便利かと思って」
「あ……ありがとう」
 匠は礼を言いながら助手席に乗り込んだ。
    本当は乗りたくなかった。自分は確か克彦の車の助手席に知らない誰かが乗っている場面を見て、克彦の浮気に気づいたんじゃなかったか。だったらこの場面も誤解されないか――すごく不安だし、怖かった。
    それでも厚意で車を出してくれているのだから、降りることも出来ず、匠はシートベルトを掛けた。
「久しぶりだね、こうやって会うの」
「そうだっけ?」
「そうだよ。最近匠くん随分忙しそうで、声掛けられなかったし」
 確かに克彦を取り戻そうと決めてから、なんでも全力でやっている。克彦との時間を大事にしたくて帰宅も早かったはずだ。テラスハウスのデザインを貰ってからは、今度はそれにつきっきりになっていた。
「ごめん、なんかこっちの都合押し付けてるみたいで」
「いや、そういう意味で言ったわけじゃなくて、ただ久しぶりで嬉しいなって」
 ずっとちゃんと会いたかったからね、と言われ、匠は曖昧に、そうなんだ、なんて返して車窓に視線を逸らす。以前は感じなかった居心地の悪さと罪悪感に匠は会話を続けられなくなっていた。
「もうすぐ着くよ」
 黙りこんだ匠を見て東屋が、そう一言だけ言って話をやめた。
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