贖罪の救世主

水野アヤト

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第二十九話 アーレンツ攻防戦

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 中立国アーレンツ国には、国家保安情報局と呼ばれている諜報組織が存在する。大陸中から情報を収集し、他国との取引材料を用意するこの組織こそ、アーレンツの実質的な支配権を握っていると言っても過言ではない。この組織なくして、アーレンツは国家を維持できないのだ。故に、アーレンツの今後の方針を決めるのもまた、国家保安情報局となる。
 アーレンツ国内にある、国家保安情報局本部では現在、上層部の主だった者達を集めた、特別緊急会議が行なわれていた。会議の内容は、アーレンツの外に展開している、ヴァスティナ帝国軍迎撃に関してである。
 情報局本部内の会議室に集まった幹部達は、対ヴァスティナ帝国戦の迎撃態勢について話し合っている。帝国軍の接近を察知はしていたが、彼らが予想した以上に、帝国軍の侵攻は早かった。既に帝国軍は、アーレンツから少し離れた地点に展開しており、攻撃準備をほぼ終えている。これに対し上層部は、直ぐに軍と連携を取り、防衛線の構築準備を開始した。
 
「それで、帝国軍の戦力は?」
「はい。兵力に関しては、帝国軍約六千と、エステラン国軍約四千の、総兵力約一万の戦力であります」
「思ったより少ないな。エステランの戦力が少ないようだが」
「エステラン国軍の主戦力は、南ローミリアの防衛線強化にまわされております。帝国軍は自国の守りをエステランに任せ、この地に主戦力を結集したようです」

 会議室内での話し合いの最中、幹部の一人の問いかけに対して、説明役の局員が答える。彼の言う通り、帝国軍は総力を結集して、この地に陣を構えた。そのため、南ローミリアの防備は手薄になってしまう。帝国軍はその状況を良しとせず、エステラン国軍の戦力を国防にまわしたのだ。
 今の帝国軍は、帝国参謀長をアーレンツに奪われた状態であり、国防の危機的状態に陥っている。一刻も早く参謀長を奪還しなければ、この機に乗じて、帝国へ侵攻を行なう国家がいるかもしれない。それに対する備えとして、帝国軍は同盟関係にあるエステラン国の戦力を、自国の防備にまわしたのである。
 帝国軍は今回の侵攻作戦のために、約一万の兵力を集めた。これは、帝国軍が今まで結集した事のない大部隊であり、本気の構えと言っても過言ではない。だがアーレンツ側からすれば、敵戦力は予想以上に少ないと言える。何故ならアーレンツは、帝国軍以上の軍事力を保有しており、兵力だけで言っても、圧倒的優位に立っているのだ。
 上層部は、帝国軍がエステラン国軍の主力も集め、最低でも二万以上の大軍を用意すると予想していた。ところが、この地に結集した敵戦力は約一万人であり、帝国軍がアーレンツを攻略するには、あまりにも少ない兵力数であった。

「主戦力を集めたと言っても、たかが一万の兵力だ。我が国の鉄壁の防御を破る事など不可能だろう」
「その通り。我が国自慢の鋼鉄防護壁を破りたければ、十万を超える兵力が必要だからな」

 アーレンツは自国の領土内に、砦などの防衛陣地をほとんど構築してはいない。その理由は、自国を防衛するために造り上げられた、「鋼鉄防護壁」と呼ばれている壁が、自国の周囲を完全に囲んでいるためである。
 この壁は高さ五十メートル以上あり、石材などで造られた壁を、分厚い鉄板で覆っている。単純な造りだが、これによりこの壁は、通常の攻城兵器では破壊が非常に困難であり、アーレンツそのものを鉄壁の要塞と変えているのだ。
 鋼鉄防護壁がある限り、アーレンツの守りは非常に硬い。この壁はどんな攻城兵器も、どんな魔法攻撃を受けても、破壊される事はないのである。この壁を越えようと、梯子や縄などを使って登ろうとしても、壁自体が高すぎて、防護壁の上に辿り着く事も難しい。もしも順調に登る事ができたとしても、登る途中で防衛部隊の攻撃を受け、何の抵抗もできぬまま死ぬだけだ。絶対に破られないこの壁が存在するため、アーレンツは自国の領土内に、防衛用の砦を構築する必要がないのである。
 
「敵軍に対しての、こちらの迎撃戦力は?」
「緊急展開致しました国防軍約一万の兵力が、正面防護壁にて迎撃態勢を整えております。先日の混乱が軍内部にも影響を与えてしまい、指揮命令系統の整理が未だ終了いないために、部隊召集が遅れておりますが、さらに五千の戦力を正面に配備する予定です」
「穏健派に組していた軍内部の者達も逮捕したからな。これはやむを得ないか」
「正面に一万五千人を配置し、残りの部隊は防護壁の周囲に展開させます。別動隊が存在する可能性がありますので、これはその備えとなります」

 鉄壁の防護壁と、敵軍を上回る兵力数。これだけで、アーレンツの勝利は目に見えている。
 この場に集まった上層部の者達は、帝国軍が目前に迫った危機的状況下でありながら、とても落ち着いている。その理由は、圧倒的優位に立つ精神的余裕と、勝利を確信しているが故であった。
 だが、アーレンツ軍兵士の練度は、帝国軍に比べれば遥かに低い。何故ならアーレンツ軍は、中立国であったがために、今まで実戦を経験した事がほとんどなかったのである。しかしアーレンツには、諜報活動だけでなく、実戦経験も豊富な戦力を保有する、国家保安情報局が存在している。情報局の精鋭部隊が出動すれば、軍の練度不足も補強できるのだ。彼らが勝利を確信しているのは、情報局の戦力の存在が大きい。

「情報局の精鋭二個小隊も迎撃にまわす。これだけで十分だろう」
「いや、特別処理実行部隊も投入しよう。奴らを甘く見るのは危険だ」
「では、国防軍の精鋭にも出動を要請しよう。彼女の率いる騎士団ならば、必ずや帝国の精鋭を撃破できる」
「そう言えば、グリュンタール大佐が例の試作品を実戦に投入すると言っていたな。大佐は今どこに?」
「試作品の最終調整のために研究施設にいるそうだ。大佐殿自慢の玩具もあれば、備えは十分過ぎるだろう」

 幹部達から様々な意見が上がり、帝国軍迎撃態勢は着々と進められていく。今回彼らの祖国を脅かす敵は、南ローミリアの盟主であり、これまで数々の大国を打ち破って来た、強国ヴァスティナ帝国なのである。小国と油断すれば、彼の国に敗北していった大国と、同じ末路を辿る事になってしまう。その過ちだけは避けるべく、彼らはこうして万全の備えを用意しているのだ。

「帝国の目的はファルケンバインが拉致してきたあの男だ。人質として利用する手もあるが、帝国軍が現れてしまった後ではな・・・・・」
「人質として使えば、あの男を拉致したせいで帝国が現れたと、国民に知られてしまうでしょうな。そうなれば、我々の今後に悪影響を及ぼしてしまう」

 アーレンツに帝国軍が現れたきっかけは、情報局が拉致した帝国参謀長の存在である。帝国軍の目的は参謀長の奪還であり、参謀長の存在がこの国にある限り、この地は戦場と化すのだ。その参謀長を利用すれば、帝国軍との戦闘を有利に運ぶ事も可能だろう。しかし情報局は、帝国参謀長を人質とした作戦を実行できない理由がある。
 第一に、今回の帝国軍侵攻は、情報局幹部の独断が原因で発生した、祖国を脅かす非常事態である。参謀長を人質に利用し、帝国軍を上手く退けた場合、国民や軍部に、情報局の失態が露見してしまうのだ。そうなれば、情報局は国内においての信用を大きく失う事となり、今後の情報局の方針に大きな影響を及ぼしてしまう。それを阻止するためには、表向きは「勢力拡大を目的として侵攻を開始したヴァスティナ帝国軍を、情報局と国防軍が連携を取り、祖国防衛のために迎撃した」という事にして、失態が露見しないよう処理しなければならないのである。
 第二に、この先アーレンツは中立を捨て、大陸全土を支配するべく、武力を行使していかなければならない。だがアーレンツは、軍事力こそ充実してはいるものの、国防軍として組織された自国の軍隊は、実戦経験が非常に少ない。そのため情報局上層部は、現在の危機的状況を逆に利用しようと考えた。
 南ローミリア最強の軍隊であるヴァスティナ帝国軍に、アーレンツ国防軍が勝利を収める事ができれば、国防軍に対する国民の信頼を勝ち取る事ができるのである。世論を完全に大陸全土支配に向けるためにも、この状況を利用しない手はない。国民から信頼を得るためにも、人質を使った戦術ではなく、正面から敵を迎え撃ち、見事撃破して見せる事が求められるのだ。
 
「人質など使わずとも、あの程度の兵力で我が国の防護壁を突破する事など不可能だ。国防軍を活躍させるには絶好の機会だろう」
「帝国自慢の例の兵器も、鋼鉄防護壁の前では無力だ。国防軍も大佐の玩具も、試すには丁度いい」
「想定よりも早い帝国軍の到着には驚いたが、所詮は一万の軍勢。こちらから平野での戦闘を仕掛けるならば話は別だが、防護壁で迎え撃つ限り、我が国の勝利は揺るがない」

 アーレンツの迎撃態勢を考えれば、圧倒的に帝国軍が不利である。攻撃側でありながら、総兵力数で既に負けており、侵攻しようにも、鉄壁の防護壁が立ちはだかる。その事を理解していない帝国軍ではないはずだが、彼らは正面から攻撃を開始しようとしている。
 情報局も国防軍も、帝国軍の勝利はあり得ないと考えていた。これは慢心ではない。彼我の戦力を分析して出した、揺るがぬ事実なのである。
 まもなく幕が上がる、アーレンツを舞台とした決戦。この国の未来を決める戦いは、アーレンツが圧倒的有利な状況下で、始まりを迎えようとしていた。
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