キラー&アヴェンジャー

悠遊

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蘇りし復讐者

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 一方、ラムセルは遺跡からかなり離れた森林の中で逃げ込んだビクトラムの気配を探っていた。
 遅れを取ってしまったうえに飛行速度の差もあって中々距離が縮まらず、ようやく感知した気配を頼りにこの場所まで辿り着く。
 しかし鬱蒼と茂る木々と葉が光を遮り、薄暗く見通しもあまり良くない。鳥の囀りさえない静寂の中、全神経を研ぎ澄ませて深淵の景色を見回す。
「…………ん?」
 一本の大木の根元で、何かが動いた。
 すかさずラムセルは駆け出し、一気に詰め寄る。
 ……あと一歩。そこでラムセルは盛り上がった根に立ち止まり、影に身を隠していたビクトラムを見下ろした。
「よぅ。追いついたぜ?」
 ビクトラムは顔を上げた。彼の姿は今や、人のそれとは更にかけ離れており、口元からは長い牙を数本覗かせ、眼は爬虫類のように瞳孔が細い。おまけに全身の肌も赤紫に変色している。
「ギ、ギギ…ッ……バカな…あの距離から追いつけるとは…! キサマ、タダの人間ではないな!?」
「だったら何だってんだ?」
 と、冷酷な眼差しでビクトラムを見下す。
「そうだな…あえて言うなら、テメェら魔族に復讐を誓い、滅ぼす事を生き甲斐としてる男、だな……今度は逃がさねぇ、ぞっ!!」
 おもむろに近づいたラムセルは、右足でビクトラムの胸部を踏み付ける。容赦無い一撃に、ビクトラムは咳き込みながら呻き声を上げた。
「グェ、ェアア…」
「答えろ。何を企んでやがる」
「グゥ…フ、フフ、ハーハッハッー!!」
「…何が可笑しいんだ」
「キサマが、ワタシの術中にぃ、まんまとカカッてくれた事が嬉しくてナァァァッ!!!」
 ビクトラムの叫んだことにラムセルがしかめっ面で訝しんだ。
 その時──彼の背中を突如、先端が鋭く尖った突起物が貫いた。
「ガフッ!?」
 貫かれた体から血が止めどなく流れ、地面に滴り落ちる。ラムセルは自身を貫いたモノを見ると、突起物には関節部分があり、形がまるで蜘蛛の脚を思わせた。それはラムセルをそのままゆっくりと持ち上げると、宙吊りにする状態で動きを止める。
 ラムセルは激痛と闘いながら何とかして脱出しようと試みるが、今度は虚空から同形の突起物が現れ、彼の左右の腕を突き刺す。
 まるで十字架のように吊るされたラムセルに濃い苦悶の表情が浮かぶ。
「カカカ、イイ眺めじゃないかァ…どれ」
 ビクトラムが右手を上げた。
 するとラムセルを中心に、幾本もの突起物が虚空より先端を覗かせる。身動きを封じられ、全身に力も入らず、今や抗う術の無いラムセルはもはやどうする事も出来ない。
 そして──ビクトラムの手が振り下ろされると同時に、一斉に凶器が姿を伸び現し、ラムセル目掛けて襲い掛かった。
 胴体、脚、首筋──あらゆる方向から串刺しにされ、身体中から鮮血が噴き出る。
「…、……ッ!! ぐふァっ!!」
 ラムセルの口から、おびただしい量の血が吐き出され、身体中の至る箇所から流れ出る血は小さな滝となって真下に血溜まりを作り、とうとうラムセルは頭を項垂れたまま動かなくなってしまった。 
 った。そう確信したビクトラムは声高らかに哄笑を森中に撒き散らす。
「ヒャーハッハッハッハァー!! 散々手こずらせおっテ!! 我が魔術で串刺しにされた気分はドウだッ!! あぁ、もう死んでるよなぁ…」
 ビクトラムは指をパチンッと鳴らし、ラムセルを貫いていた凶器達が一瞬で消える。彼は真っ逆さまに落ち、自らの血溜まりの上で無惨に横たわった。
 一般の人間からすれば、これは残酷で無惨な光景だ。
 しかし魔族である彼の眼には、有名画でも見ているかのように見惚れ、美しいとさえ思っていた。
「クケェケケケッ!! 何と他愛のナイ。さぁて、何処から喰らおうか。手か、頭か? …いや、腹を裂いて心臓ダ」 
 舌なめずりをしながらビクトラムはラムセルに近づいた。
 そして彼を仰向けにすると、右手指の全てに鋭利な鉤爪を生やす。口元を狂気と歓喜で歪ませながら、ラムセルの腹部へと鉤爪をゆっくり近づける。
「カァカカカ……思いっきり引き裂いてぇぇ、はらわたを撒き散らしてヤるッ!!」

 爪の先端が触れた。その時──

 ラムセルの左手が勢いよくビクトラムの首を鷲掴んだ。
「グゲッ?!?!」
 突然の出来事におもわず見開いたビクトラムの双眸の先には、ラムセルの不敵な笑みが映った。
「…ったく、かなり痛かったぜ。ただの人間なら即死もんだ」
 と、ビクトラムを掴んだままラムセルは立ち上がり、手に力を込めてさらに締め上げる。ビクトラムは振り解こうにも、かなりの苦しさにもがくだけで精一杯だった。
「ア、ガ、ガァッ…バ、バグァなぁ、ァァッ…!! ナ、ナァ…ゼェェ、ッ?!」
 ラムセルが獰猛な笑みを浮かべると瞼を閉じ、すぐに見開いた。
 その双眼は紅に、そして瞳は金色に染まっている。同時に、纏う気配と力が膨れ上がる様子にビクトラムは戦慄を覚えた。
「何で生きているか冥土の土産に教えてやる。俺もテメェらと同じ…魔族の力が流れてるからだよ! 《血濡れし朱槍ブラッドランス》!!」
 ラムセルの右手に自らの血溜まりが反応し、触手のように高速で纏わりつくと、それは一本の槍として形成された。穂先に返しはなく、ただ単純に針を大きくしただけのような飾り気のない槍だ。
 それをビクトラムの胸部に向かって突き上げると、鎧をいとも簡単に貫く。
「縛ッ!!」
 掛け声に応じ、朱槍が淡く紅い燐光を明滅させて呼応する。
 すると何も無かった穂先からは幾つもの返しが現れ、それが勢いよく伸びると追い打ちの如くビクトラムの背後から次々に突き刺さり、硬化していく。
「グアッ、アァァ……!!」
 いくら魔族とはいえ、ダメージが積み重なったビクトラムはもはや抵抗すら無く、痙攣するだけとなって口をだらしなく開き、そこから血が噴きこぼれる。
「無様に苦しんでくたばれ」
「…………グ、フッフフ…」
「気持ち悪ぃ。何がおかしい」
「か…勝った、気ニなるナ。今頃…じゅ、蹂躙されて…イル」
「蹂躙?」
「シャルマットは…オイカノスに、逆らッタ罪……魔獣ドモによって、皆殺しダァァァ…ッ!!」
「何だと!?」
「ヒッヒヒ……オイカノス、役目を…は──」
「とっとと死ね」
 ラムセルは左手を離し、すぐに掌から自分の血液で形成した短剣を逆手に握る。
 そして短剣をビクトラムの首に目掛けて横一閃。勢いよく刎ね飛ばされた頭部は嘲笑った表情を残して宙から地面に転がり落ち、亡骸となった身体と共に消滅していく。
 ラムセルは手にしていた武器を消して一度瞬くと、その双眸は人間と変わらない普段の状態に戻っていた。
「チッ、マズイな。急いで戻ら……あーしまった! 魔符はミャムに渡しちまったんだ」
 ラムセルは思いも寄らない事態に舌打ちをし、とりあえず現在地を確かめようと手前にある木に素早く登り始めた。
 持ち前の身体能力で木々を移りながら跳び、中でも比較的高く伸びている大木の天辺を目指す。
 程なくして難無く天辺まで到着すると、ラムセルは木に掴まりながら周辺全体を見渡した。
 すると、一方の空に映る細い黒線を見つけ、目を凝らす。
「煙、か? えーっと……ザム遺跡があそこにあるってことは……おいおい、ヤベェぞ!」
 焦燥感がラムセルを煽る。
 しかし、駆けつけようにも今いる場所からはかなり遠く、自力では手遅れになってしまうだろう距離だった。加えて今はクラスラーもいない。
 と、ラムセルの脳裏に“ある方法”がよぎる。しかしそれは同時に、彼自身でもあった。
「……………手段選んでる場合じゃねぇな、今はそれしかねぇ!」
 葛藤を押し切ってラムセルは自身の両頬を強く叩いた。
「ふぅぅ…………」
 深呼吸──そして肩甲骨に意識を集中。
 やがて全身の血液が沸騰したかのよう滾り、凄まじい熱量が体内を駆け巡る。
「グ、ガ、ガァァァァァァ、アァァァーーー!!!」
 まるで灼熱の業火に焼かれているかのような苦しみにラムセルは吼え続けた。
 するとラムセルの肩甲骨が徐々に盛り上がり、一際大きい雄叫びを上げると、が勢いよく上着と皮膚を突き破って姿を現し、大きく広がる。
「ハァ、ハァ……何度やってもシンドイぜぇ。さて急がなきゃな…!」
 ようやく熱も治り、ゆっくり呼吸を整えて脳裏に羽ばたくイメージを浮かべる。翼がぎこちなく動き始め、徐々に早く、そして力強く動かして空へ羽ばたく。
 高度は充分。ラムセルは進路を、煙の昇っている方角へ向けて飛び立つ。
 クラスラーの浮遊魔術よりも速いが、それでも遠くまで来てしまった分、距離はそう簡単に縮まらない。
「──まだだ…まだ、イケる!!」
 さらなる増幅に、全神経を翼に集中させ、再び双眼の色を変化させた。湧き上がる力によって羽ばたきは勢いを増し、今までに感じたことの無い重力が全身に圧しかかりながらも、風圧を掻き分けて一直線に駆け抜けていく。
 そのおかげで、先程より黒煙がはっきり見えてきた。
「間に合え、まだ間に合ってくれよ!!」
 
 
   †
 

「お父さーん!! ソフィー!!」
 親愛なる人の名を叫びながら、ミャムはシャルマットの燃え盛る町中を必死に駆けていた。

 熱風──肉の焼ける臭い──その中に混じって漂う血臭──道端に様々な死体も転がっている。

 地獄絵図。
 
 すでに陽も暮れていることもあって、まさにそう呼ぶに等しい光景だった。
 二人がシャルマットに到着した時には、町はすでに凄惨な光景と化しており、人々の悲鳴や叫び声、時折おぞましい獣の咆哮も所かしこから聞こえる。
 その様子に堪らずミャムは駆け出し、クラスラーはその後を追いかけていた。
「お待ちください!! ミャム様危険ですぞッ!!」
 そう呼び掛ける続けるクラスラーの訴えは、今のミャムに届かない。
「──っ、お父さぁーーーんッ!! ソフィー!!」
「ッ!! ミャム様危ないッ!!」
 ふとミャムは自分の上に影が差し、立ち止まって見上げた。
 
 そこには、見たこともない黒く大きな獣が鋭い牙の生えた口をいっぱいに広げ、両前足の爪を振り上げている。

 その奇怪な生物に、ミャムは目を大きく見開きながら動けずにいた。
「《風砲弾ブラストボール》!!」
 クラスラーが瞬間的に集めた空気の砲弾を獣に向けて放った。
 彼女に牙と爪が襲い掛かる瞬間、横から飛んできたクラスラーの魔術が見事に当たり、その巨体は少しだけ奥へ吹き飛ばされていく。
「ミャム様、お怪我はッ!?」
「あ、あたしなら大丈夫。それより何あれッ?!」
「あれは、魔獣でございます。急いで逃げましょう!!」
 クラスラーが再びミャムの足に浮遊魔術を施す。
 魔獣と呼ばれた獣はすぐに立ち上がり、咆哮を上げる。一気に緊張が高まり、二人はすぐさま脱兎の如く別の道へ逃げ走った。もちろん、そんな二人を魔獣が見逃すはずも無い。
「グオォ、グオォォォォォォッ!!」
「ウソ! 速い!?」
「ミャム様振り向いてはなりません! 急いで下さい!!」
 人間以上の巨体にも関わらず、そのスピードは魔術の恩恵を受けているミャム達とほぼ同じ速度で追跡する程だった。
 壁を越えればその壁を破壊し、家屋の屋根に上れば壁等に爪を引っ掛けて飛び上がる。
 執拗に迫る魔獣に対して、一瞬たりとも気の抜けない逃走劇を繰り広げ、二人は無我夢中で町中を駆け回っていた。
 と、そんな時だ。
 曲がり角の先に、傷付いた身体に片膝をついて肩で大きく息をしているギャバンの姿をミャムは見つけた。
「!! お父さぁぁぁぁんッ!!」
 ミャムは真っ先に駆け寄って行く。
 反応が遅れたクラスラーも慌てて正し、後から追い掛ける。
 ギャバンは驚いた表情でミャムを見つけ、急いで首を横に振り続けた。
「ミャム!? 来るなぁぁぁッ!!!」
「え?」
 ミャムは左後ろから不意に気配を感じ、反射的に振り向く。
 視界に入ったのは覆い被さるように飛びかかる魔獣。そして彼女の前に素早く立ちはだかって両手を前にかざし、雲の壁を広範囲に形成しているクラスラーの背中が映った。
 振り下ろした魔獣の前脚が、雲の壁に衝突すると、雲の壁は破裂音と共に弾けて霧散。魔獣の膂力が上回っていたのだ。
 その衝撃はクラスラーとミャムを巻き込み、ギャバンのいる場所の近くまで転がっていった。
 衝撃の影響でミャムの足に掛かっていた浮遊魔術も解ける。
「く、おぉぉ……」
「イタタ…クラスラー、大丈夫!?」
「ミャム、すぐに町から離れ…ぐぉあッ!」
 突如手の甲に激痛が走り、ギャバンの表情が苦痛に歪む。彼の左手には、剣が突き立てられていた。
 そして父親に剣を突き立てたその人物を見て、ミャムは驚愕した。
 ビクトラムだ。
 しかも、ラムセルと闘った時の怪我も無く、着ている鎧にも傷一つ無い。
「!? アンタは!!」
「全くしぶとい…しかし、娘がやって来たのは幸い。贄を探す手間が省けたというものだ」
「どうして?! アンタ、遺跡でラムセルさんに追い掛けられて──まさかっ!?」
「追い掛けられる? あやつ……私の代わりも務まらんとはな。実に嘆かわしい」
「代わり?」
「お前が見たのは私の影武者だ。もっとも、すでに反応は消えているから長くは保たなかったようだ。全く使えぬ駒よ」
「アンタ……そのニセモノでもそうだったけど、サイテーなのは一緒ね!」
「強がりを言える状況か?」
 その言葉の通り、後ろで重い足音が響く。
 振り返れば、二体の魔獣が低く唸りながらいつでも襲えるよう牙を剥き出しに身構えていた。
 さらにはいつの間にかオイカノスの兵達も集まり、ミャム達を包囲する。
「っ!!」
「ミ、ミャム…ボサッとすんな、さっさと逃げろ…!!」
「黙れ」
 無表情のまま冷淡に言い捨て、ビクトラムは突き立てている剣を左右に何度も動かした。その度に、ギャバンの手の甲から堪え難い激痛が襲う。
「ぐぁ、ああぁぁぁ!! アァァァァァァァァーーッ!!!」
「やめてぇーーー!!」
 ミャムの叫びを聞き、ビクトラムが急に手を止めた。
 そしてゆっくりとミャムの方へ向き直ると、黙ったまま凝視する。
 死んだ魚のような眼で見つめられているミャムは全身に怖気が走り、顔が引き攣った。
「ふむ……あぁ、いいだろう。ただし小娘、キサマが我々の元へ来ればの話だがな」
「ぬかせぇ…グォオッ!!」
「キサマは黙れ。よく見れば小娘よ、中々上質なモノを持っているな。その素材の良さに免じて、私の言う事を素直に聞いてさえもらえば、すぐに退こう。さぁ、こちらに来い」
「ミャム様、これは罠です。約束を守るとは到底思えません」
「……、……わかったわ。アンタに着いて行く」
「なりません!! 早まっ──」
 ミャムがクラスラーの口元を手で押さえた。
「でもまずはさっさとその剣を抜いて!! それと、この周りにいる奴らは先に返して! もちろん魔獣もよ!」
「……よかろう」
 ビクトラムは言われた通りに剣を引き抜き、帰還の合図に右腕を軽く上げて手を振った。
 その合図を見た兵達は次々と去って行き、魔獣達も時折ミャム達を見返しながら、兵士達の後を追うように歩いて行く。
 兵達の掲げている松明の灯りが遠ざかる様子をミャムは険しく見つめ、納得いくまで見張った。
 残ったビクトラムの横に、荷馬車が一台立ち止まる。
「それは?」
 ミャムの問いに、ビクトラムは無言で荷台の幕を上げた。
 そこには、数人の若い女性が身を縮こませながら震えている様子が見える。
「意味は分かるな?」
「それに乗れって事でしょ。いいわよ」
 そう言って一歩踏み出すと、ミャムの目の前をクラスラーが両腕を横に広げて素早く割り込んだ。
「おやめください」
 普段通りの落ち着いた口調だが、その眼差しには、強い抑止の意志が込もっている。
 しかしミャムは首を振らず、見つめながら彼の頬を撫で、優しく微笑んだ。
「ごめんね」
「これ以上は、進ませません!!」
「…これ以上、誰か傷付くのは見たくないの」
「しかし! だからと言って……」
「クラスラーの言う通りだって分かってる。でも、でも……これしか思いつかないの」
「…ご主人様が戻るまで──」
「早くしろ」
 クラスラーの背中越しから、苛立ち混じりの冷ややかな声が掛けられる。二人が視線を送ると、ビクトラムの表情は変わっていないが、殺気にも似た気配が漂っている様子が感じ取れた。
 猶予は無い。
 どちらもそう思ったのだろう。
 ミャムは目を閉じて覚悟を決め、クラスラーはそんな現状に悔しさを抱きながらも、手立てが浮かばず、広げていた手が下がる。
 ミャムがギャバンを見た。
 父親は黙ったまま。しかしその身体は震え、傷が酷いにも関わらず強く両拳を握り締め、項垂れて顔は見えないが小刻みに身体が震えている。そんな父の姿に、彼女は少し俯いて目を細めた。
「クラスラー。お父さんの傷、治せる?」
「ハイ……お任せ下さいませ」
「それじゃ、お願いね。お父さん、こんなバカ娘で、ごめんね……じゃあね!!」
 そう言い残し、ミャムはクラスラーの脇を駆け足で通り過ぎた。
「ッ!! ミャムゥゥゥぅぅぅぅぅぅぅぅッッ!!!!」
 ギャバンの悲痛な雄叫びが空に響き渡った。
 娘を追いかけようと脚を踏ん張るが、全身に負った傷が妨げとなり、思うように力が入らず、もつれてその場で倒れる。
 急いで上半身を起こし、這って追いかけようとするも、その時はすでにミャムは荷台の前に辿り着き、自ら幕を上げていた。
「おい」
「なに──ッ!?」
 ミャムがビクトラムに振り向いた瞬間、ビクトラムの右手が彼女の頭に添えられ、そこから一瞬にして強力な電撃が彼女の身体中を突き抜けた。ミャムは糸が切れたように崩れ落ち、すかさず彼女を肩に担いだビクトラムが乱暴に荷台へ放り込み、自身も荷台の淵に手足を掛けて跳び乗った。
「て、テメェェェェェェェッ!!」
「行け」
 憤るギャバンの姿など見向きもせず合図を出し、荷馬車を動かすよう指示。最初から全速力で疾っていく荷馬車は、あっという間に二人との距離を離していく。
 ふとビクトラムが後ろを確認すると、遠くで這いつくばったままだが未だ追い掛ける事を諦めていないギャバンの姿が小さく見える。 
 滑稽だ。そんな事を思いながら、その光景をビクトラムは一瞥する。
「…ふん、くだらん……どれ」
 空いている手を前にかざし、呪文を唱える。
 すると魔法陣が彼の前に現れ、そこから去って行ったはずの魔獣二体が勢いよく吠えながら飛び出してくると、そのまま真っ直ぐシャルマットへ駆けて行く。
「娘はあとで返してやる。先にあの世で待っているがいい」
 そう言い捨て、歓喜と冷酷を含めて微笑んだ。


   †


 追いつけないことは、とうに分かっている。
 しかし、ギャバンはあきらめ切れなかった。
 必死に両腕を動かして重い身体を引きずる。だが無情にも遠ざかる荷馬車に、ギャバンの身体から徐々に体力だけが失われ、とうとう限界に陥った。その場で倒れ伏せ、大きく肩から息を切らす。
 内側から湧き上がる怒りが、涙となって溢れ出た。ギャバンは歯を食いしばりながら、血だらけの両拳を何度も地面に叩きつける。喉が裂けるほど悔しさを叫び、大気を轟かせた。
 そんなギャバンの側にクラスラーは近づき、背中の傷口に両手を添えると呪文を唱え始め、淡い緑光が彼の全身を包み、傷を癒す。
「お、おめぇ……」
「お辛いでしょうが、今は動かないで下さい。治せる傷も治りにくくなります」
「すまねぇ……頼む」
「お任せ下さい」
 少しずつだが、確実に身体が軽くなっていく。ギャバンは呼吸を落ち着かせ、憤る感情を抑える事に専念した。
「なぁ…ラムセルはどうした?」
「ご主人様は……遺跡で会った魔族を追い掛けました」
「おめぇ達を置いてか?」
「……ハイ」
 ギャバンは背中に何が落ちてくる様子を感じ、頭だけで振り向いた。
 クラスラーの目から涙がぼろぼろと零れ落ち、その小さな身体を震わせている。
「どうした?」
「……あの時、多少強引でもミャム様を止めればよかったと、後悔しております。荒っぽい手ですが、ワタクシにもいくつか攻撃手段はございます。それで突破口を作れたかもしれないのではなかったのかと──」
「よせ。アイツが決めた事だ」
「ですが…!」
「おめぇの言うように、他に手段はあったのかもしれねぇ。たぶんミャムも何か考えていただろうよ。だが、それでもあのヤロウに従って着いて行くことを決めた…オレ達を守る為にだ。自分を犠牲にしてまでよ……ったく、親として情けねぇことこのうえ──あん?」
 と、その時。遠くで重い足音が二人の耳に入った。
 足音が徐々に近づいていることが分かると、二人は道の先を見つめ、そして驚愕する。
 四足歩行で駆け迫る二体の黒い巨獣──だった。
「ナントッ!?」
「クソが、やっぱりな! 早く逃げろッ!!」
「お断りしますッ!! ハァァッ!!」
 回復の手を止め、素早くギャバンの前に立ちはだかったクラスラーは、両手から小型の魔力弾を連射し、魔獣達を牽制する。
 絶え間無く発射される緑光の魔力弾丸。しかし魔獣は見合わぬ俊敏さで弾丸の雨を跳びかわし、幾つかはかすめるものの直撃までには至らず、確実に迫っている。
「《防壁の群雲ウォール・クラウズ》!!」
 効果が薄いと察したクラスラーは攻撃の手を止め、両手を前にかざす。
 呪文と共に現れた厚い雲は壁となり、クラスラー達を護る。
 先に進んでいた一体の魔獣が体当たりで激突。しかし雲は破れず、壁の前に立ち止まった。
 が、それも束の間。続けて後ろにいたもう一体が体当たりを繰り出すと、雲の壁は霧散し、あっという間に崩壊してしまった。
 とうとう間近に迫ったおぞましい魔獣達の前に、二人は絶望を味わい、観念したように両目を瞑って身を強張らせる。
 そんな獲物達に魔獣は風切り音と共に鋭い爪が振り下ろした。

 ……………、…………、………。

 クラスラーとギャバンの耳に、魔獣達の唸り声だけが耳に入る。自身の身体が引き裂かれた感覚も痛みも無い。
 その様子を怪訝に思ったクラスラーが、恐る恐る目を開くと、魔獣達が何故かその場で身を捩らせながら暴れている。
 後ろで“何か”に引っ張られ、それに抗っているようにも見えた。
「こ、今度は何だってやがんだ、あぁ?!」
 魔獣達の間から垣間見た人影に、クラスラーはようやく理解した。
 魔獣達の背後に、紅の双眸と蝙蝠の翼を生やしたラムセルが、魔獣達の尻尾を片手ずつ掴み、脚を大きく開いてふんばっている。
「ご、ご主人様…その両眼と翼……まさか!?」
「クラスラー、話しは後回しだ……! 今は、コイツら、を、何とかしよう、ゼェぇぇっ!!」
 ラムセルが全身に力を入れ、魔獣達の巨体をじわじわと退かせる。
 クラスラーは気持ちを瞬時に切り替え、再び両手に魔力を集めると、手を下にして構えた。
「ご主人様、いきますぞ!」
「あぁ……ぃやれぇッ!!」
 それが合図となり、クラスラーは宙返りをしながら腕を思いっきり振り上げた。
 魔力は緑光の帯となって無数に地面から旋風を巻き起こして吹き上がり、ラムセルと魔獣達だけを巻き込んだ。
 突然宙高く吹き飛ばされた二体はバランスを失い、手足を暴れさせながら体勢を直している。
 その隙が、勝機となった。
「《紅き双爪スレイヤーズ・レダー》!」
 ラムセルの両指先から、長剣の刀身程ある紅く細長い鉤爪を生成し、二体の間に割り込むと舞うように斬り刻む。
 二体の魔獣は血飛沫を散らしながら全身を細切れにされ、悲鳴を上げる間も無く肉片となり、それらが落下の途中で一瞬燃え上がると、塵と化して空に舞い散る。
 しかし同時に、突然ラムセルの翼も黒い灰となって散り、制御を失って真っ逆さまに落ちていってしまう。
「こんな時に魔力切れのかよ!?」
 思いがけもしなかった出来事にラムセルは焦った。
 だがその様子を見ていたクラスラーは、すぐさま口から大きく息を吐き、落下地点と思しき場所に雲の絨毯を作り広げる。幸いも間に合い、ラムセルはその上に落ちて短く軽やかに弾んだ。
「ふぅーっ…助かったぜ、ありがとな。怪我は…って、おやっさん大丈夫か!?」
「オメェ…よくもノコノコと姿見せたもんだなぁ」
「は?」
 ギャバンがそう言い捨てると、まだ傷付いている身体を奮わせ、膝を支えに立ち上がろうとした。
 彼の言った意味が分からず、呆けてしまっていたラムセルだったが、その様子をさすがに見過ごせず、早足でギャバンの元へ駆け寄る。
「ばっか! そんな傷だらけで無茶すんなよ」
「馬鹿は……テメェの方だあぁッ!!」
 凄まじい怒気と共に繰り出されたギャバンの拳は、吸い込まれるようにラムセルの左頬に入った。
 突然どうして殴られた事も理解出来ず、ラムセルは憤りを隠せなかった。
「ッ!! いきなり何しやがる!!」
「テメェ…ミャムをどうして置いて行きやがったッ!」
「置いてなんかい……? クラスラー、ミャムはどうした?」
「申し訳ございません…オイカノスの手の者に、攫われれました」
「何だと、いったい何があった?」
「戻るの途中、町から煙が上がっているのが見えたのです」
「オイカノスのクソ野郎共が攻めてきやがったんだ。最初はデッケェ化けモンが突然やって来て暴れ回ってたんだが、後になったらオイカノスの兵隊どもも混じって大騒ぎだ……皆慌てて逃げることで手一杯でよ。そんな奴らにでさえ、アイツらは容赦無しに襲った! 一方的な虐殺だ! ヤツら、人を何とも思っちゃいねぇ、悪魔だ!!」
「ワタクシ達がここに到着した時は、酷い有様でした…」
 クラスラーは、今も離れた所で燃え続けている家屋を見つめながら目を細めた。
「途中魔獣に見つかってミャム様と逃げ続けていた途中、ギャバン様をお見かけして、それで……ご主人様! ギャバン様! 誠に、申し訳ございません!! お役目も果たせず、召霊として恥ずべき事でございますっ!!」
 クラスラーは地面に降り、頭をそこに叩き付け、二人に向かって力強く土下座をした。
「よせ。お前は精一杯頑張った」
「ふ、ざけるなぁッ!!」
 ギャバンがラムセルに近寄って彼の胸ぐらを掴み上げると、鬼のような形相で睨みつけた。それに対し、ラムセルは何の抵抗も無く、ただ彼を見つめ返すだけだ。
「ギャバン様おやめ下さい!」
「うるせぇッ!! オレぁ今、コイツに腹を立ててるんだッ……何が精一杯頑張っただ。途中でコイツらを置き去りにしたテメェに、そんな上から言える資格はねぇ!! 言ったよな、必ず一緒に帰ってこいって! どうしてだ…黙ってねぇで答えろ、クソ野郎ッ!!!」
 鬼の剣幕でまくしたてるギャバンだが、その目元には、うっすらと涙が浮かんでいる。
 間近にいるラムセルはその様子に気付いたのだろう、僅かに目を開いた。
 しかしすぐに瞼を閉じ、黙ったまま少し俯く。
「……遺跡でオイカノスの奴らと鉢合わせた。その中に、魔族がいた。そいつと戦ってかなりの深手を負わせたんだが、途中でミャムに邪魔されて逃げられちまった。俺はその魔族を追い掛けるのに、ミャムは足手まといだったんだ。だから彼女のことはクラスラーに任せて、そこで別れた。手負いの敵をみすみす逃す気なんか無かったからな」
「それが、それが理由だってのか…? そんなんが、約束を破った理由なのか?!」
 信じられない。そういった素振りでギャバンは首を横に振り続けた。
 何かの冗談であってほしい。ギャバンはそう願った。しかし──
「そうだ。俺は、自分の目的を優先した。俺の旅の目的は、世界中に蔓延っている魔族を全て狩る事だ。それに対して、足手まといは単に邪魔なだけなんだよ」
 冷たく言い放たれた言葉によって、非情にもその思いは裏切られた。
 横風が静かに吹き通る。
 やがてギャバンは、掴んでいた手を力無く下ろし、背を向けて重い足を引きずってラムセルから離れて行く。
「ギャバン様……」
「たしか、クラスラーだよな? ありがとうよ、おかげで何とか歩けるようになったぜ。オメェ小っせぇ図体だけどよ、ミャムを止めるためや、俺を守るために身体張って頑張ってくれてよ…とても立派だ、嬉しかったぜ。それに比べ……いや、もう何も言いたくねぇや。さっさと消え失せろ」
「言われなくてもな」
 そう言ってラムセルも背を向け、町の外へ歩き出す。
「……二度と、その面見せるんじゃねぇ」
 その台詞をラムセルは背中で受け取り、振り返ることも止まることもせず離れて行く。
 クラスラーは晴れない様子で別々の方向へ歩く二人を交互に見合いながら、しばらくして急いでラムセルの元へ向かい、隣に並んで主人の顔を覗き込む。
 彼は、口元を強く噛み締めていた。
「ご主人様、差し出がましい事かと思いますが……これで、良かったのですか?」
「……いいんだよ。オイカノスの奴らに魔族が関わってた以上、こうなる事は何となく予想してたさ。まぁ…アイツにゃ悪りぃことしちまったがな。最期に言ってた遺言を伝えてやれなかったからよ」
 そう言ってラムセルは自身の胸に手を当てる。
「……ワタクシは、悲し過ぎます。その肉体の知人がキッカケだったとはいえ、大変思い遣りのある良い方でしたから。もしかしたら、ご友人に──」
「それ以上言うな。俺はだ。死に損ないで中途半端な存在だがよ、どうあっても魔族と人間は相容れない。友人? バカ言うな。そんなのありえねーよ」
「しかし、ご主人様は例外な存在。そこまで頑なにならずとも」
「いいかクラスラー。俺はを果たすのと同時に、俺自身の復讐で魔族を狩り続けている。そんな奴に、他人との馴れ合いや親しみは余計だ。情が入ると、いざって時に判断が鈍る」
「それは、そこに居られる方もお望みなんですか? 確かにその方の願いはそうです。ですが、だからといって──」
「クラスラー、この無駄話しはここまでだ。それより、ミャムは魔符を持ったままだな?」
「……」
「クラスラー!!」
「…はい。今も反応はございます」
「急ぐぞ。もし奴等に勘付かれたら追跡出来なくなる。案内しろ」
 と、ラムセルは走り出し、クラスラーはラムセルの両足に雲を纏わせた。
 二人は預けた魔符の反応を頼りに、森へ駆けて行った。
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