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そんな話になるのではないかと思ってはいたが、彩乃から良と直接やりとりをしたいと言われ、それを聞いた良が期待のこもった顔をしたので、裕司は異を唱える余地もなく二人の間を取り次ぐことになった。
牧といい彩乃といい、良を気に入ってくれることは嬉しいし有り難いと思うが、良のコミュニティの広がり方はこんなことでいいのだろうかと思う。裕司のところに来てから、良に同世代の友人知人ができたという話はとんと聞かないし、そんな気配も一切なかった。実際関わる機会がないのだろうから仕方のないこととはいえ、良はこんなに年の離れた大人にばかり囲まれていて平気なのだろうかとつい考えてしまう。
地元の友人とSNSでやり取りをしたという話は以前ちらりと聞いたが、最近は話題にのぼることもなかった。
しかしそれは裕司がどうにかしてやれることではなく、良は毎日家事をして勉強をしてバイトに行って忙しそうで、そこに不足を問うのは野暮に思えた。家事にはあまり時間と体力を割かなくていいんだぞと声を掛けはするが、良にとっては自分が住んでいる家なのに何もしないのはかえって具合が悪いと感じるらしかった。親に何もかも任せきりで料理はおろか洗濯機の使い方も知らない同級生などいくらもいただろうに、彼の特殊な家庭環境は彼を鍛えすぎたように思われた。
職場での良の様子について、何度か牧とやりとりをしたが、牧から見ても良は年齢にそぐわぬ部分があるようだった。右も左も分からぬのは確かで、教えることは多いし、時には叱らねばならぬこともあるが、とにかく嫌だと言うことがないという。あまりにも素直で、かえって対応に戸惑うこともあると言われた。
その現場を見たわけではないけれども、彼はどこに行っても彼なのだという感想を抱いて、裕司は嬉しいような切ないような気持ちになった。彼は肯定されるよりも否定されることに慣れていて、理不尽を呑むすべを心得ていた。牧が良に無理や無茶を言っているとは思えないから、良にしてみれば嫌がる理由など何もないのだろう。
あの年頃なら、もっとつまらないプライドや意地に振り回されてもいいはずなのに、良はそれらをどこかに捨ててきてしまったように見えることがあった。
──どんな大人になるんだろうなぁ。
良を見ていると、裕司はときどきそんなことを考える。彼の欠けた部分やいびつな部分は、年月によって埋められ正されるものなのか、それともたわみひずみがいずれ表出するものなのか、裕司には知るべくもないし、良本人はなおさら知る由もないだろう。
どんなふうになっても彼を愛せるという根拠のない自信だけはあったが、その愛を彼が必要としなくなる日が来るのではないかという、漠然とした予感は拭いきれなかった。
そうこうしている間に夏の盛りは過ぎようとしていて、海に行こうと話していたのにもう泳げる時期ではなくなったことを裕司が詫びると、参考書を広げていた良はあっさりと言った。
「いいよ、俺も何にも考えないでシフト入れちゃってたし。でもあんたと海行くの、俺ずっと楽しみにしてるから」
良は穏やかに微笑んでみせて、また参考書に目を戻した。彼が今開いているのは、高卒認定試験のテキストではなく、大学受験対策の参考書だ。進学校に通っていただけあると言うべきか、彼にはよほど使い勝手がよいらしく、ここ半月ばかりで裕司の家には学習参考書の類が増えた。
裕司の時代とは違って、インターネット上の無料講義なども充実しているせいか、良は独学でも勉強に行き詰まる様子はなかった。そんな姿を見ていると、裕司はますます彼が進学しないことが惜しいと感じてしまう。彼は今やりたいこととできることに注力しているのだとわかっているつもりでも、その考えは度々頭をもたげた。
「……最近あんまり出かけてないな」
彼のために何かしてやりたい、という気持ちは、そんな言葉になって口から出たが、良はすぐにこう返してきた。
「こないだ渋谷行ったじゃん。楽しかったよ」
「楽しそうだったな」
誰が何を思ってやったものか知らないが、ハチ公像に冷却タオルが巻かれていて、それが何のツボに入ったものか、良はしばらくしゃがみこんで笑っていた。ひとしきり笑ってから、俺初めてハチ公見たのに、と言ってまた笑い出したので、裕司は良の腕を引いてハチ公前を離れたのだ。
「今度は上野がいいなって言ったけど、動物園は寒くなってからの方がいいんだって。動物が冬毛になるからもこもこですごい可愛いって」
「へえ。そういや真夏の狸は細っこくて犬みたいだよな」
裕司が言うと、良は自分から言い出したくせに、目を丸くして裕司を見つめてきた。
「狸? 動物園で見たの?」
「動物園でも見たけど地元でも見たぞ」
裕司が高校を卒業するまで過ごした土地は、どちらを向いても山と川と田んぼと畑に囲まれていた。都会育ちの良には、当時の思い出の何を語っても共感してもらえない。
良は何とも言えない未知に触れた顔をして、また黙って手元に視線を戻した。
「こんの都会っ子が」
そう言って小突いてやると、良は、もぉー邪魔ぁーと声を上げて、裕司の足を蹴ってきた。
牧といい彩乃といい、良を気に入ってくれることは嬉しいし有り難いと思うが、良のコミュニティの広がり方はこんなことでいいのだろうかと思う。裕司のところに来てから、良に同世代の友人知人ができたという話はとんと聞かないし、そんな気配も一切なかった。実際関わる機会がないのだろうから仕方のないこととはいえ、良はこんなに年の離れた大人にばかり囲まれていて平気なのだろうかとつい考えてしまう。
地元の友人とSNSでやり取りをしたという話は以前ちらりと聞いたが、最近は話題にのぼることもなかった。
しかしそれは裕司がどうにかしてやれることではなく、良は毎日家事をして勉強をしてバイトに行って忙しそうで、そこに不足を問うのは野暮に思えた。家事にはあまり時間と体力を割かなくていいんだぞと声を掛けはするが、良にとっては自分が住んでいる家なのに何もしないのはかえって具合が悪いと感じるらしかった。親に何もかも任せきりで料理はおろか洗濯機の使い方も知らない同級生などいくらもいただろうに、彼の特殊な家庭環境は彼を鍛えすぎたように思われた。
職場での良の様子について、何度か牧とやりとりをしたが、牧から見ても良は年齢にそぐわぬ部分があるようだった。右も左も分からぬのは確かで、教えることは多いし、時には叱らねばならぬこともあるが、とにかく嫌だと言うことがないという。あまりにも素直で、かえって対応に戸惑うこともあると言われた。
その現場を見たわけではないけれども、彼はどこに行っても彼なのだという感想を抱いて、裕司は嬉しいような切ないような気持ちになった。彼は肯定されるよりも否定されることに慣れていて、理不尽を呑むすべを心得ていた。牧が良に無理や無茶を言っているとは思えないから、良にしてみれば嫌がる理由など何もないのだろう。
あの年頃なら、もっとつまらないプライドや意地に振り回されてもいいはずなのに、良はそれらをどこかに捨ててきてしまったように見えることがあった。
──どんな大人になるんだろうなぁ。
良を見ていると、裕司はときどきそんなことを考える。彼の欠けた部分やいびつな部分は、年月によって埋められ正されるものなのか、それともたわみひずみがいずれ表出するものなのか、裕司には知るべくもないし、良本人はなおさら知る由もないだろう。
どんなふうになっても彼を愛せるという根拠のない自信だけはあったが、その愛を彼が必要としなくなる日が来るのではないかという、漠然とした予感は拭いきれなかった。
そうこうしている間に夏の盛りは過ぎようとしていて、海に行こうと話していたのにもう泳げる時期ではなくなったことを裕司が詫びると、参考書を広げていた良はあっさりと言った。
「いいよ、俺も何にも考えないでシフト入れちゃってたし。でもあんたと海行くの、俺ずっと楽しみにしてるから」
良は穏やかに微笑んでみせて、また参考書に目を戻した。彼が今開いているのは、高卒認定試験のテキストではなく、大学受験対策の参考書だ。進学校に通っていただけあると言うべきか、彼にはよほど使い勝手がよいらしく、ここ半月ばかりで裕司の家には学習参考書の類が増えた。
裕司の時代とは違って、インターネット上の無料講義なども充実しているせいか、良は独学でも勉強に行き詰まる様子はなかった。そんな姿を見ていると、裕司はますます彼が進学しないことが惜しいと感じてしまう。彼は今やりたいこととできることに注力しているのだとわかっているつもりでも、その考えは度々頭をもたげた。
「……最近あんまり出かけてないな」
彼のために何かしてやりたい、という気持ちは、そんな言葉になって口から出たが、良はすぐにこう返してきた。
「こないだ渋谷行ったじゃん。楽しかったよ」
「楽しそうだったな」
誰が何を思ってやったものか知らないが、ハチ公像に冷却タオルが巻かれていて、それが何のツボに入ったものか、良はしばらくしゃがみこんで笑っていた。ひとしきり笑ってから、俺初めてハチ公見たのに、と言ってまた笑い出したので、裕司は良の腕を引いてハチ公前を離れたのだ。
「今度は上野がいいなって言ったけど、動物園は寒くなってからの方がいいんだって。動物が冬毛になるからもこもこですごい可愛いって」
「へえ。そういや真夏の狸は細っこくて犬みたいだよな」
裕司が言うと、良は自分から言い出したくせに、目を丸くして裕司を見つめてきた。
「狸? 動物園で見たの?」
「動物園でも見たけど地元でも見たぞ」
裕司が高校を卒業するまで過ごした土地は、どちらを向いても山と川と田んぼと畑に囲まれていた。都会育ちの良には、当時の思い出の何を語っても共感してもらえない。
良は何とも言えない未知に触れた顔をして、また黙って手元に視線を戻した。
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