サクササー

勝瀬右近

文字の大きさ
上 下
46 / 49

第3章 第1話 勃発

しおりを挟む


創世歴3734年3月5日

「ン?・・・なんだ?」
 あと少しで春を迎えようというのに広がる青空の向こうから陽が昇っても寒々とした空気は三月がまだ冬であることを実感させました。
 そんな日にエーヴェイ川を挟んだレアン共和国側で国境警備にあたっていたのはノスユナイア王国軍派兵第八師団です。
 硬い岩盤を気の遠くなるような年月をかけて浸食していった川の水は現代では遥か数十メートル下方にその流れを見ることが出来ました。
 ふたつの、厳密には三つの国の国境を断崖絶壁で阻むエーヴェイの両岸には、バーガンティストーンという赤い色をした岩で組み上げられた特火点(トーチカ)がズラリと並んで睨み合っているという緊張感のある光景です。
 大山岳地帯方面から川の流れに沿って降りてくる空気が兵士たちの鼻腔に湿り気を感じさせ、また退屈な国境警備の1日が始まる事を報(しら)せていた・・・そんな時でした。
「おい」
 入り口に「第一特火点」と書かれた特火点の上部の穴から頭だけを出していた兵士が下にいる同僚に向かって、それでも顔はエーヴェイ川の対岸に向けたまま言いました。
「聞こえるか?」
「え?なに?対岸に可愛い女の子でもいるってか?お前目がいいからなマーチェス」
 同僚の兵士がそう言ってニヤリとします。
「そんなじゃないって。上がって来いよ」
 マーチェスは手で上って来いと合図します。
「どれどれ・・・マーチェス=バッハーマンのお眼鏡にかなった彼女はどんなやら・・・」
 ふざけながら梯子を上ってきた同僚にマーチェスはスペースを開けます。
「うお!さむっ!」
 顔を出した途端にひゅうッと流れる空気が頬を刺激します。
「ほら耳を澄ませてみろ」
「ええ?」
 マーチェスの硬い表情を見た兵士は寒そうなそして怪訝そうな顔をして鼻をすすり上げてから耳を澄ませました。
「・・・喊声みたいだ」
「雄叫びか?勝鬨の練習でもしてるんじゃないのか?ははは」
「こんな朝からか?どう考えても十人二十人じゃない・・・・何千いや、何万・・・」
「寒いから降りるよ・・・・」
 そう言って梯子を降りようとした兵士が左右の特火点をちらっと見ると、どの特火点からも見張りの兵士が天井に開いた穴から対岸を凝視しているのを見たのです。
「・・・一応報告しにいってくるわ」
「まて、俺が行く」
「え?」
「俺は昨日たまたま当番で見張り役が回ってきた重装甲歩兵だからな。魔法兵のお前がここに残った方がいい」
「あ、ああ・・・」
 マーチェスが下に降りると下で覗き穴から対岸を見張っていた二人の兵士に言いました。
「小隊長殿」
「おう」
「対岸から妙な喊声が聞こえてきまして・・・」
「喊声?」
「一応報告した方がよろしいかと」
「わかった。おれはここを離れられん。すまんが」
「わかってます。バッハーマン離れます」
「頼む。今日はそのまま上がっていいぞ。夜番ご苦労だった」
「わかりました。失礼します」
 敬礼したマーチェスは防寒着を羽織ると特火点から出て百メートルほど離れたエーヴェイ城塞の方へと向かいました。
「マーチェス」
 声をかけてきたのは他の特火点から出てきた二人の兵士たちでした。
「先輩」
「報告か?俺もさ。変な喊声が聞こえてたが・・・」
「自分もです」
「ああいうの鯨波って言うんだよな」
 もう一人が肩をすくめて言いました。
「クジラねえ。俺は喊声なら負けねぇぞって、こっちも全員で喊声あげましょうって大隊長にお願いしに行くところなんだ」
「こんな朝にたたき起こされたら喊声どころかブー垂れ声が上がりそうだけどな」
「1万人ブーだと凄そうだな」
 3人がはははと笑います。

 エーヴェイ城塞は城壁が数メートルほどしかない城塞で高さより横に広い建物でした。幅が300メートル、奥行きも同じぐらいあるほぼ真四角の建物で、建材となっている赤いバーガンティストーンによって全面が魔法防御に優れた作りとなっています。この城壁の中に兵舎もありました。
 約200年前に起こったデヴォール帝国による連合紛争の時に迫りくる帝国軍の首都進攻を阻む為に急遽建てられた城塞だったので、縦に高くする時間が無く、その代わりと言ったように横に広く建てられたようです。
 背の高い建物に改築しようと何度か共和国評議会に稟議書が提出された事もありましたが、どういうわけかナウル川の方に背の高い城塞が建てられ始めると忘れ去られてしまい、しばらくたった頃今度は当時まだなかったレアン共和国の首都を囲む外縁にあたる半円形城壁の建築が急務として取り上げられ、着工したのが150年ほど前。そうこうしているうちに平和な時代が続くとエーヴェイ川の城塞改築の話もされなくなってしまったのでした。

 そんな城塞の一室が報告先です。ノックすると入れと言う声が聞こえました。
 3人が部屋に入るとそこには直属の上官である第一大隊隊長のほかにビット―ル=イサーニ第三旅団長がいたのです。3人は慌てて敬礼し、揃って挨拶しました。
「おはようございます旅団長」
 イサーニは穏やかにそれでも緊張を解かず応えます。
「おはよう」
 年寄りは朝が早い、と心の中で先輩兵士が呟きましたが、イサーニはまだ五十代半ばです。
「報告か?」
 四十代半ば過ぎと思われる大隊長がそう訊くとマーチェスが進み出て姿勢を正しく報告したのでした。
「喊声?・・・まだ聞こえるのか?」
「わかりません。我々がここへ着く数分前までは・・・まるで勝鬨の練習のようだとも・・・いえ私の同僚がそう言ってまして・・・」
 大隊長はイサーニと視線を合わせます。
「何でしょうな?」
「ううむ・・・とりあえず警戒を怠らんようにしよう。まだ寝ている者もいるだろうが、念のため君の第一大隊を全員招集して警戒にあたらせてくれるか」
「了解しました。ではバッハーマン、お前は兵舎まで行って同僚どもを叩き起こして来い」
 マーチェスは第三旅団の第一大隊所属の兵士です。
「ハ!」
「君たちは持ち場に戻ってくれ」
 残りの二人を返すとイサーニは大隊長に「私はガーラリエル閣下にお知らせしてくる」と傍らの剣を手に取りました。
「まだ寝ていらっしゃるのでは?」
「どうかな。では寝姿でも拝みに行ってくるよ」
「旅団長殿」
「冗談さ」と笑います。
「いえ、一瞬同行したいと思ったもので」
「大隊長」
「冗談です」

 部屋から外廊下へと出たイサーニは別段急ぐでもなく歩いてロマの部屋の方へと向かいました。大隊長のところへ来たのは彼の日課である朝の散歩がてらです。早起きは3リムの得という諺(ことわざ)をイサーニは愚直に信じていました。
 やがてロマの部屋の前まで来たイサーニは少しためらいがちにドアをノックしました。
 ロマの部屋は3階建ての城塞の最上階にあって川の方に見晴らしがよく、対岸が良く見えました。左方向から朝日がさし込み始めていて体に温かさを感じます。
 寝ているかもと思っていたイサーニを裏切って意外な事に兵装に身を固めたロマが出迎えたのです。
「閣下・・・・」
「イサーニ大佐。どうされたのです?」
 お互いが少し驚いた感じという半ば滑稽な状況でイサーニは笑顔で破顔して言いました。
「おはようございます閣下、や、まさか軍装でおいでとは」
 ロマは口を閉じて微笑むと上目遣いに言いました。
「寝間着で迎えた方が?」そういって部屋へ招き入れました。
「あいや、ははは。実は見張りの兵士から報告を受けましてな」
「報告?」
「ええ、もし閣下が寝ていたら言わずに去ろうとしていたのですが・・・」
 イサーニがそう言った時、突然ロマの表情が変わりました。口と目を大きく開けてイサーニの胸ぐらを左手でつかむと「むお!?」彼を振り回すようにしてそのまま自分の部屋の中に放り込んだのです。
 油断していたイサーニはそのままロマの背後に転がるようにして入室し、五十男のつまらない冗談が癇に障ったのかと慌てて振り返るとロマはドアに向かって右手をかざして霊牙力の防御膜を展開していたのです。五十男は何事か理解できませんでした。
 その直後でした。
 ドオオオオオン!
 大きな破壊音と共にドアが粉々に吹き飛び霊牙防御に弾かれました。ガラスが音を立てて割れ跳びます。
「イサーニ大佐!ご無事か!」
「大丈夫!閣下!危険です下がって!」
「大佐!全軍第一級戦闘配備!私は特火点へ行きます!」
「閣下!?」
 いきなり破壊された扉を抜けると弾かれた様に走って外廊下を行くロマの後をイサーニは慌てて追いかけようとしました。
 走るロマを狙うかのように川の対岸側から光の玉が飛んできます。
「閣下ぁ!」
 建物のバーガンティストーンの壁は対魔法防御に優れているので崩れる事はありませんでしたが嵌め込まれているガラス窓などは粉々です。
 それらを振り返りもせず階下に降りてしまったロマを、床に伏せた状態で見送ったイサーニ。急いで立ち上がるとひとつ下の階へ降り、急いで第一級戦闘配備の命令を履行し始めたのです。
 各階に取り付けられた警鐘装置に取りつくと蓋を開けてそこにあった発熱クリスタルに霊牙力を注ぎ蓋を閉めます。容器の中ではクリスタルが下の水が入った金属製の容器に落ち、水はクリスタルの熱で一瞬で湯が沸いて蒸気が噴き出し内部を超高圧にします。それを見たイサーニは小さなレバーを何度も引き下ろしては戻しを繰り返しました。すると屋上の各所にある汽笛が緊急を報せる高低取り混ぜた大きな警鐘笛音を出したのです。
 何事かと外に出てきた兵士たちにイサーニは第一級戦闘配備を兵舎を回って全員に報せるよう命令。城塞内はまるで蜂の巣をつついたような大騒ぎになりました。
「イサーニ大佐ぁ!」
 そこへやってきたのはデルマツィアでした。今もって続く対岸からの魔法攻撃を警戒しながらイサーニに近づいてきます。
「参謀!」
「閣下は、ガーラリエル閣下はどうされたのです?!」
「閣下は特火点へ行くと仰っていた!止める間もなく行ってしまわれたのだ!」
 デルマツィアは心配とイラつきを混在させたような顔で一瞬だけ思案しイサーニに言いました。
「イサーニ大佐!私はガーラリエル閣下のところへ向かいます!あなたには兵士の指揮をお願いします。重装甲歩兵、および重装歩兵を全員軍装させて戦闘準備を!」
「心得た!閣下を頼む!」
 頷いたデルはイサーニを伴って階下へ行きそれぞれの方向へ別れました。






■少し前の事(マーチェス=バッハーマンの聞いた喚声の正体)

「越えれば栄誉。越えなければ人生の地獄!どちらが欲しい?!決まっている!諸君らには栄誉を手に入れてもらいたい!川の向こうにいるのはたった1万の兵力に過ぎない!しかも司令官は女だ!1万の獣人を葬った?それがなんだというのだ。我々は10万の精鋭である!いくらガーラリエルが勇猛とて10倍以上の兵力差を退けられようか?!」ほんの一瞬あいた間に誰も言葉を発しません。マッサレイ将軍の眼前にいた驚くほど大勢の兵士たちは身じろぎもしませんでした。
「答えは否!否である!絶対に勝てはしない!現実は我々の味方である!皇帝陛下への忠誠を今こそ思い出せ!家族に胸を張り凱旋する様を想い起こせ!その栄光ある姿は現実のものとなる!そしてそれは僅かな距離の向こうにある!わずか20km行けば諸君らの働きは未来永劫、帝国の歴史の輝かしくも赫々(かっかく)たる功績として全世界で語り継がれるであろう!そして報償は思うままだ!欲しいものを言え!私がそれに応えよう!したいことを言え!私がそれを与えよう!帝国軍の精鋭たちよ!富と栄光に向かって突き進めぇ!」
 マッサレイの演説を聞いた兵士たちは鬨(とき)の声を上げて剣を振り上げました。









 特火点(トーチカ)からは既に絶対防御膜が張られていて半透明の乳白色の壁が各特火点を中心に半径20m程で展開されていました。そこに飛び込んだロマは兵士に叫ぶようにして聞きました。
「対岸からだな!」
「は!魔法攻撃!閃熱魔法です!」
 ロマは特火点の覗き窓からエーヴェイ川の対岸を見ました。キラキラっとした閃光とともに光の束が迫り爆音を轟かせると特火点が魔法防御の光を飛び散らせます。
「絶対防御はそのまま!私の命令があるまで攻撃はするな!他の特火点の兵にも伝えておけ!!」
「は!」
 ロマがそう叫ぶと兵士が川沿いの各特火点にロマの命令を伝達します。乳白色の絶対防御の膜に閃熱魔法が弾けて元素へと昇華する光景が繰り返えされました。
 ロマは相手の真意を探るべく、絶対防御膜の後ろに仁王立ちになりました。するとそれを認めたのか絶対防御されているにもかかわらず、複数の個所からロマに向かって凄まじい攻撃が降りかかったのです。集中攻撃です。
「やはり私を狙っている・・・」
 目の前で始める閃熱魔法の元素の粒に、ロマの目は瞬きもしません。
 絶対防御によって魔法攻撃がロマに届くことはありませんでしたが、これによって最初の一撃から明らかに司令官である自分に向けて敵意を抱いて攻撃している事がハッキリしたのです。
「帝国には目のいい兵士がいるのだな・・・」
 ニヤリとするロマの背後から聞きなれた声が届きます。
「閣下!何をなさっているんです!そこから降りてください!」
 そう叫んだのはデルマツィアでした。彼の背後には配下の士官が何人かいます。
「来たかデル!全軍を第1級戦闘配備だ!伝えろ!これは訓練ではない!」
「それはすでにイサーニ大佐が!それよりとにかくそこから降りてください!危険です!」
 対岸の数か所から放たれる魔法攻撃は今のところやむ気配がありません。
「たいした威力はない!まだ攻撃しないよう徹底しろ!絶対防御を絶やすな!まずはすぐに城塞内の一般人をナウル城塞へ退避させろ!合わせてレアン共和国および王国軍第七師団へ援軍要請!それから例の作戦の演習をしているナバに伝令を!」
 ロマの命令がさらに続きます。
「内容は、演習中止。敵の攻撃があれば反撃を許可!ただし攻撃の成否にかかわらず、エーヴェイ城塞に戻らずナウル城塞へ向かうことを優先せよ!」
「了解です!」
 デルマツィアの背後の兵士が命令を伝える為に全員が方々(ほうぼう)へ散っていきました。
 エーヴェイ城塞のフスラン側とは反対側に身を隠したロマとデルマツィアはようやく声の大きさを少しだけ抑えて話すことが出来るようになりました。
「偵察兵を放て。対岸の状況を探らせろ。だが無理はさせるな」
「はい」
 残っていた士官がその場を立ち去ると入れ替わりにやって来たのは、「閣下!ご無事ですか?!」カルロ=ゼンとイサーニでした。
「参謀、こちらは準備に手間取っている。あと20分ほどかかってしまうかもしれん」
「わかりました」デルは振り返ると「閣下。重装甲歩兵と重装歩兵を準備させています」
 ロマが頷きます。
「魔法部隊を要塞の屋上へ集合させろ。反撃を開始する」
 指揮官たちが命令を受けて走り去ります。

 エーヴェイ川の要塞はその建物自体が魔法防御に優れた材質で建築されている為、ガラス窓が割れたり所々で小さく崩れていましたが今のところ持ちこたえています。
 屋上の敵の魔法攻撃が届かない場所に魔法部隊が集結し始めていました。そこから少し離れた城壁の隙間からロマとデルマツィアは対岸を見ています。
「どうやらこちらへ進軍するつもりのようですね。氷の橋を作ってます。あの勢いだと2時間・・・いやもっと早いかもしれません」
 デルマツィアがそう言って双眼鏡をロマに渡します。
 双眼鏡を覗くと橋を架ける手順がすぐにわかりました。まずはプランテを使って橋の骨組みともいえる橋脚を作るとそれを氷で固めて橋桁とし、さらにその橋桁と対岸を再度プランテで結んで橋桁と同様に凍らせて完成となり、これを何度も繰り返しているのです。
 そして対岸には完全武装の兵士が橋の完成を今かと待ち構えており、その数は驚くほど膨大でした。いつの間にか現れた兵隊の群れは視界の幅以上で遠く街はずれまでぎっしりと並び、それが一気になだれ込めば、まずもってノスユナイア軍に勝機はない事は明らかです。ロマは眉間にしわを寄せました。

 エーヴェイ川の両岸はレアン共和国の国境整備によって10㎞ほど上流まで切り立った崖となっていますが川幅が100メートルほどしかありません。デルマツィアの言う通り敵兵が氷の橋を渡ってこちらに攻めてくるまで2時間足らずという事を悟りました。
「それにしても正面切って橋をかけて来るとはな。数を頼んだ愚策だが・・・。上流域で同じ動きは?」
「レアン共和国駐屯兵からの報告によれば今のところは異変はいないとのことです」
「閣下!軍装を持ってきました!」
 ロマはタニアとクオーラが持ってきた装備を身につけながら硬い表情でいいました。
「これは帝国軍のレアン侵攻だな。デル」
「是非もありません。反撃のご命令を」
 装備を装着し終えたロマは傍にいたタニアに命令します。
「各特火点の魔法兵には遠距離魔法攻撃を許可する。だが無駄に魔力を消費するなと伝えろ」
「は、はい!」
 魔法使いは手のひらを上に向けて光る玉を放出しました。それは上空で赤と緑の光を発します。これは殺傷力の無い閃光魔法で、命令を指揮官たちに伝える信号でした。
「敵の攻撃開始から20分と言うところか・・・。デル、ドリエステル閣下に援軍要請は」
「既に伝光塔で」
 エーヴェイ城塞から第七師団のいるレアン共和国城塞都市まで100km。伝光塔通信なら20分ほどで現況を伝えるでしょう。
「よし」
「ここから20km後方のナウル川城塞の駐屯兵は約1万の傭兵です。今頃は準備をしているかと思われますがこちらに到着するのにはいま暫くかかるかと」
 平時の軌道サーリングでは20km後方のナウル川城塞からエーヴェイ川城塞まで30分ほどですが、緊急時の混乱なども合わせて考えると軍隊の移動にはその倍以上の時間が予想されました。
「レアン首都までは100km、軌道を使っても第七師団の第一陣が到着するのは・・・」
「7~8時間後と言うところだな」
「そうです。とても間に合いません。私はナウル城塞への即時後退を進言します」
 冷静な口調でデルマツィアが言うと。
「いや・・・」
「閣下。この城塞は籠城には向きません。仮に籠城したとしても援軍が到着する頃には敵軍に包囲され、友軍の為す術は何もなくなっています。それにこの城壁の高さでは侵入は瞬(またた)く間に・・・」
「デル。確かにお前の言う事はいちいちもっともだ。しかし、もしも今すぐ撤退すればナバはどうなる?」
 デルマツィアは返答に窮しました。出来る事ならすぐにでも戦略的撤退を行い、援軍と合流できるナウル川城塞に居を移したいと考えていました。
 目の前では橋を架け、上流域からは渡河進軍の部隊を展開するだろうことは明白でした。攻撃許可を持たせた伝令を派遣していますが、既に戦闘状態に入っている可能性もあります。
 そうなのです。もしも第八師団の本体がエーヴェイ城塞を捨てて後退すれば、それを見た帝国軍は川のこちら側に上陸後、すぐにナバの率いる別動隊に対して攻撃を開始し、挟撃された別動隊は為す術なく全滅してしまうでしょう。伝令が別動隊の状況を知らせる為に戻ってくるまで時間を稼ぐ必要がありました。
「せめて伝令がナバの元に到着するまでの2時間・・・できれば3時間・・・」
「しかし・・・」
「とにかくまずはこちらから一度反撃を実施する。やられっぱなしではない所を見せておかなければな。微々たるものだが時間稼ぎにもなるだろう。魔法兵を絶対防御の後ろで待機させろ」
「ハ!」
 魔法兵は現時点で50名ほどが本体に残り、残りの魔法兵30名はナバの別動隊に同行していました。ロマは少し口惜しそうに言いました。
「訓練のつもりもあったが・・・魔法使い30名は同行させすぎたか」
「そうはいってもこの事態は予想外です」
「そうだな。・・・よし全員配置についたな!まずは3斉射だ!攻撃開始!」
 魔法部隊は絶対防御手と攻撃手で一組になります。攻撃手が前方に両手をかざすようにして呪文を詠唱し狙撃魔法を撃つのです。
「レッカ!」
 レッカは大気属性の狙撃魔法で圧縮された空気の玉を打ち出します。魔力消費が少ないという利点があり、これが体にあたると間違いなく骨折、当たり所が悪ければ死に至ります。ただし、命中率がやや低いというデメリットがありました。
 敵は魔法使いが氷の橋を架ける役で、その前、つまりノスユナイア軍側には防御役の兵士が盾を構えて立っていたり、絶対防御をしていたりとまばらです。どうやら帝国軍は氷の橋の完成に全力を傾ける計画のようで水属性魔法の使い手すべてを橋づくりに従事させているため防御役の魔法使いが足りず、その足りない部分を盾を持たせた兵士で補っているようでした。
 こうなってくると狙いは当然盾持ちの兵士です。盾に施される魔法印は衝撃相殺なので集中攻撃を浴びせれば撃破できる可能性が高くなります。
 レッカの声で絶対防御が瞬間的に解かれるとレッカの魔法が放たれ、そしてまた絶対防御の幕が現れるという繰り返しになります。
 一組の兵士が集中攻撃を浴びて吹き飛んだのが見て取れました。喚声が上がります。しかし何人かの兵士を斃してもさすがに兵数の多さで簡単にカバーされてしまいます。さらに攻撃元となる火点への反撃もあります。
 しかし構えていた盾に一発当たると後ろに控えていた別の兵士が交代という防御策を取られると次第に成果は上がらなくなり、氷の橋は着実に伸びてきているのがわかりました。
「攻撃の効果が上がらなくなってきました・・・あと一時間もすれば完成してしまいそうです」
「・・・」
 攻撃を始めて30分もたっていません。撤退の決断が迫っている事を悟りました。
 すると。
「ガーラリエル殿!司令官はおられるか?!」
 そう叫ぶ声でロマとデルマツィアが振り返ると二人のジェミン族の男が近づいてきました。
「遅くなってすまん!お初にお目にかかる!八傑のワウルだ。開発ギルドのジーチェ=ワウル!」
「同じくズカ=ゼフレンスト。お見知りおきをなあ!」
 ジェミン族の殆どはずんぐり体型ですが、やってきた二人は少し痩せていて身長は180cmほどでスッとしてました。しかし顔には深いひげが蓄えられていて、耳たぶが長いというジェミン族の特徴は見て取れます。肩や胸を防御する簡易な鎧をまとって頭には革製の兜といった出(い)で立ちでした。ワウルと名乗った男は50cmほどの長さの鉄の棒を持っています。
「ワウル殿はギルドマスターです。ゼフレンスト殿はおそらくサブマスターでしょう」
 デルマツィアは素早くロマに囁きました。
 レアン共和国には8つのギルドがありギルドマスターはそのギルドのトップ、すなわちジーチェ=ワウルはレアン共和国の屋台骨を支える鋼の門八傑衆のひとりなのです。
「私は第八師団司令官ガーラリエル。彼は参謀のデルマツィアです。どうされましたか」
「帝国軍どもは?!」
「残念ながらあと1時間ほどで渡河されてしまいそうです」
 ワウルが状況を見ると言いました。
「司令官殿はご存じないのか!?」
「なんの話ですか?」
 ワウルは何度か頷くと。
「ズカ!下へ行って準備してくれ。完了したら合図じゃ!」
「了解ぃ!」
 ゼフレンストが小走りに立ち去ります。
「ワウルど・・・」
「いや申し訳ない、ガーラリエル司令官。まさか侵攻されるとは夢にも思わず説明がなかったようですな」
「いったい何を?」
「対侵攻防御装置じゃよ」
「防御装置?」
「まあごろうじろ。うまくいけば数時間は稼げる」
 数時間あればナバの安全を確保し、援軍が間に合うかもしれない。だが果たして本当に効果があるのかとロマとデルマツィアは不安と期待が半々の気持ちで成り行きを見守りました。
 ワウルは屋上の一角にある鉄の箱のふたの鍵を開けて取り払うと持ってきた鉄の棒を差し込みました。
「引き手?」
 それから1分もせずカランカランという鐘の音が響き渡り、それに応えるようにワウルがレバーを力強く引きました。すると石がズレるようなゴゴンという低い音が足元で響きました。その時、城塞都市の城壁にある石が横にずれて穴が10数か所現れていたのです。
 そしてそこから何かが飛び出し始めたのです。それも一つや二つではなく連続です。その数は100では足りません。そして発射されたなにかはちょうど氷の橋が作られているあたりに落ちるとボワッと赤く光り輝き始めました。
「あれは・・・」
 ロマが見つめていると次々と発射され追加されたそれは赤い光が強まり景色が揺らめき始めました。そして射出されている物が何かを知るとロマが言いました。
「発熱クリスタル?!」
「ご明察じゃ!ハッハッハ!」
 まるで炉の中のように赤い光が強くなると、それを消そうとした魔法ですら歯が立たないほどに高温となったのです。
「まるで太陽だ・・・」
 氷が解け始め、湯気が上がり始めると氷の橋を作っていた魔法兵士たちが異変を感じて慌てて対岸方面へ逃げ出し始めたのです。
「川とはいってもこの時期のエーヴェイは水量が少ないからな。効果は抜群じゃ」
「すごい!氷が溶けているのがここからでもわかる!」
 そればかりかプランテで現れた骨組みの木の枝も燃え上がり、氷の溶解に手を貸している状況となり、さらにはクリスタルが落ちたところにある岩までもが赤々と色を発し始たのです。
「ものすごい高温だ・・・」
「驚いたかね?あれは貴国から輸入した発熱クリスタルの不良品じゃよ。ハッハッハァ!」
「不良品?」
 発熱クリスタルの中には魔法力を籠めると暴走して高熱を発し温度が上がり続けてしまうものがありました。その温度は二千度をゆうに超えます。しかも個体差があって発熱が途切れたり短時間だったりする為、安定した温度の持続が不可欠である鍛冶仕事には役立ちません。ジェミン族はこういった不良品の発熱クリスタルを大量に集めていたのですが、ある発見によってそれを防御装置に使うようになったのです。

「もしも攻めて来るなら氷の橋は必ずかけてくる。それを見越して、な」
「理屈はわかりますが、どうやって魔力を・・・」
 ワウルは少し言いにくそうでした。
「世界にある失われた種族の遺した装置の中に魔力を生成するものがあってな。いや、正確には魔力に似た力じゃな。そいつにクリスタルを通すと驚いたことに魔力を吹き込んだ時と同じ働きをすることを発見しのじゃ。
 我々ジェミン族には魔法使いがほとんどいないからこれは重宝しておるよ。首都では信号機にも使われている。
 これを改造してクリスタル発射装置を作った。発射するとちょうど落下地点で発熱が始まるというワケさ」

 失われた種族とは世界にある七つの塔を遺して滅びてしまった者たちの事です。しかし彼らが残したのは塔だけではありませんでした。各地に遺跡として発見される場所には失われた種族が使っていたと思われる様々な機械類が埋もれていたのです。
 現在マシュラ族は危険だという理由で失われた種族の遺物の発掘、調査研究を禁じています。禁じている国でこれが発覚すれば懲罰の対象となり、捕縛され監獄送りです。
 しかしジェミン族は禁ずることなく、それどころか種族を上げて失われた種族の遺した機械や装置を発見し、それを本国へ持ち帰ると様々な方法で解析するという事を数百年以上昔から行ってきました。
 もちろんこの行為は違法行為となるので、遺跡を見つけたものが国に報告してしまえば報告を受けた政府が遺跡の破壊処分を決定しますが、ここで暗躍するのが発掘屋でした。
 政府に報告しても表彰される程度の事でしたが、ジェミン族に売れば出たモノによっては大金になるのです。やがて発掘屋同士で競争すら始まり、ジェミン族は労せずして失われた種族の遺物を手に入れる事が出来るようになりました。
 しかし失われた種族の遺物の発掘、調査研究を禁じていながら、解明された技術を取り入れている場合もあるため、レアン共和国を断罪する国家はありませんでした。(一番端的な例は兵士が背中に装着する刀剣の固定金具)
 失われた種族の遺物によって成果を上げる事もあれば事故を起こすこともあったようですが、セノン族の不妊の原因とされているあの毒の森と言われている地域を外界と遮断している大掛かりな装置も成功例のひとつでした。
「ゼン!」
「ハ!」
「ここで氷の橋を架けるのは困難になったが上流に橋を作ろうとするかもしれん。簡単に行かせるわけには行かない。ナバの別動隊で兵数が少ないところをすまないがいってくれ。第一旅団は上流地域の警戒と防御だ」
「了解です」
「まったまった。ゼン・・・中佐殿」
 ワウルが襟の階級章を見ながらゼンに言いました。
「外に移動式のクリスタル射出装置を用意した。2台しかないがお使いなされよ。使い方はわしの部下が同行するから何なりと聞いておくれな」
「ありがとうございます。」
 ゼンは敬礼すると部下を引き連れてその場を去ります。
「イサーニ大佐、重装甲歩兵は最後方で軌道準備を」
「軌道を?」
「撤退準備です。デルの言う通り、援軍が間に合ったとしてもここでの戦いは不利です。ナウル城塞で迎え撃つのが上策でしょう」
「了解した」
 イサーニが立ち去ります。
「デル。各方面への偵察は?」
「既に」
「何か報せは」
「もうじき一陣の誰かが戻ってくるでしょう」
「絶えざる情報が欲しい。派遣を絶やすな」
「了解です」
「デルマツィア殿」
「何でしょうワウル殿」
「予備の軌道車両がいくつかある。それを準備させよう」
「それは助かります」
「ゼフレンスト、デルマツィア殿を車庫へ」
「心得た!さあ参りましょう」
 ゼフレンストとデルマツィアは屋上から立ち去ります。
「さて・・・今のところ発熱クリスタルは問題なさそうじゃな。順調に溶かしておる」
「助かります」
「いやいや。説明不足はこちらの手落ち、済まん事をした。申し訳ない」
 ワウルは額に手を当てて謝罪しました。
「ナウル城塞にいたんじゃが、様子見にこっちへ向かっていてよかったわい」
「ナウルには援軍要請を出しましたが・・・先ほど言った通りここでの戦いは無駄死にを増やしてしまうでしょう」
「ううむ・・・わしは軍部ではないので何とも言えんが・・・現在の傭兵隊長だと、ガーラリエル殿が心配するまでもなく来んかもしれんな」
 ロマは批判的な表情になりました。
「どういうことです。あなたの国が侵略されようとしているのに」
「そうなんじゃが、傭兵はあくまでも金で雇っている兵隊だからな。実戦ともなればさらに金を要求してくる。その折り合いがつかなければ戦わんのが傭兵というものなのじゃ」
 ロマは視線をわきに落として落胆しました。
「もしも傭兵があてにできなければ貴国の評議会はどうするつもりでしょうか」
「なぁに、心配せんでも仲間が来るさ。もともと傭兵に全幅の信頼を置くほど我々もバカじゃない」
 本当にそうだろうか。ロマは今回の突然の侵攻にも素早いとは言えない対応に訝し気な気持ちを胸に秘めました。
「仲間が来るとおっしゃいますが・・・レアン共和国に正規軍はいないのでは?」
「はっはっは、正規軍はいない。だが我らは全員が屯田兵みたいなものじゃからな。国家の危機ともなれば武器を取って戦う国民は大勢いる。特に鍛冶ギルドや採掘ギルド建設ギルドは戦闘集団じゃないかと思うほど好戦的な猛者ぞろいじゃよ。今頃は仕事を放り出してこっちへ向かっているかもしれん」
 戦う鍛冶屋に戦う炭鉱夫、確かに自国の危機なら国民が立ち上がるのは当然としても軍隊ではない戦闘員を果たして取りまとめる事など出来るのだろうか。烏合の衆はかえって危機を齎す。父親譲りの軍事センスとモルド仕込みの軍隊的思考力、そして獣人相手の実戦による経験がレアン共和国の戦力にはあまり期待できないと思わせたのです。
 いずれにしても現段階では情報が入ってきていないので、せめて撤退の時期を見誤らないようにしなければと考えていました。

「ところでワウル殿。エーヴェイ城塞ではこれ以外に防御対策はしているのでしょうか?」
「いや。もしもの際はこの発熱クリスタル作戦で時間稼ぎをして、20km後方のナウルからの援軍を待つかナウル城塞での籠城に備えるかじゃ。その間に上の者が敵と交渉する」
「交渉?」
「現時点では敵の侵攻の真意がわからない。それを探り出して両国の落としどころを探し出すのじゃよ」
「待ってください」
 ロマはあまりの事に信じられないという顔をして言いました。
「敵の真意など一目瞭然ではないですが。・・・侵略です。交渉の余地などありはしません」
「ガーラリエル殿。そうは言うが遥かな昔から我らはこの方法で切り抜けてきたのじゃ、今更変えろと言われても無理な話じゃよ」
 伝統と言えばそうなのでしょう。
 しかしそれも作戦の判断材料にしなければならないとなると少し厄介になることをロマは覚悟せねばなりませんでした。そして”そんな考えだから200年前に・・・”という言葉を飲み込んだのです。
「最初の攻撃から既に1時間ほどが過ぎているから伝光塔での情報はもう首都に届いておるじゃろう。首都の八傑と元首評議会はもう動き出しとるはずじゃ。おぬしらの軍隊もな」
 いったいどんな話し合いが行われ、どんな結論を出すのか。
 ロマは敵の侵略からレアン国境を守るために来ている事を始めて実感したような気持になっていたのです。ナウルで第七師団と合流すれば指揮系統はひとつにまとめられる為ドリエステル元帥が総司令官になります。そうなれば自分も一旅団長として敵と剣を交える事になる。そう考えると心がざわつきました。
「ナバの事を突撃狂などと言えないな・・・」
「なんと申された?」
 ワウルがロマのつぶやきに気が付きましたがロマはほほ笑んで首を振りました。
「いえ。ただのひとりごとです」






 20km離れた場所にあるナウル城塞に詰めていた傭兵隊長は、伝令より受け取った国境の状況の報せを聞いて出撃を拒んでいました。
「帝国軍が少なくとも10万以上だと?・・・あの勇猛果敢と言われているガーラリエル将軍と言えども1/10の兵力ではどうにもならんだろう。ここはエーヴェイより防御力の高いナウル城塞に立て籠って元首評議会の政治的解決に期待する方が得策だ」
 ナウル城塞は籠城を前提とした設計と備えになっていました。この隊長の判断は傭兵たちに受け入れられ、誰一人異論を唱える者はいませんでした。自分たち1万の傭兵が援軍としてエーヴェイ城塞に行き、敵対兵力が10倍から5倍になったとしても事態が好転するとはとても思えなかったのです。
「俺たちは金で雇われているが、明らかに危険だとわかっている状況に飛び込むバカはいない」
「追加報酬でもあれば考えんでも・・・・いやそれはないな」
 当然雇い主のジェミン族はこの言葉に不快感や怒りを露にしますが、彼らを解雇しても他に雇う傭兵がいるわけではない為、事後策に走らねばならなくなります。逆に解雇したら帝国側に寝返る可能性があったので、事実上解雇できない状況だったのです。

「えええい!傭兵どもめ、この一大事に追加報酬まで要求しおって!」
 元首評議会の会議を終えた元首ゴスターナ=マンドルがロベリア筆頭元首補佐官に苦言を零(こぼ)していました。
「しかしマンドル閣下。我々の得ている情報ではフスラン国境に駐屯している帝国軍は12万です。傭兵だとて無駄死にさせるわけには行きませんよ」
「むぐぐぐ。わかっておるわい!ふむうぅぅぅぅ。ロベリア。帝国に・・・ゲーゼルめに接触する手はずは?」
「勿論手配しております。まだ道筋は立っていませんがね」
「それにしてもなんだってマッサレイは侵攻を決断したかね」
「それも探っていますが、なにか嫌な気配があります」
 どういうことかマンドルが訪ねると。
「今日中には調査が完了します。しばらくお待ちを」
「マッサレイめに鼻薬でも嗅がせて足止めしたらどうじゃ。数千万もあれば・・・」
「それも含めて動いておりますよ閣下。とにかくお待ちを」
「そんなに待ってられんぞ。ところでドリエステル元帥閣下の師団は出撃準備しているんだろうな」
「確認させております。それよりすぐに怒りを言葉に表すのをおやめください。あなたは元首なのです。穏やかに懐深くお構えを」
「んなこと言ったって、傭兵のやつら腹立つんだもん・・・」
 ロベリアはため息をついてマンドルを見ます。
「傭兵の我儘勝手に腹が立つなどいつもの事ではありませんか。それでも最後に利益を手にするのはいつでも我等であったことをお忘れなく。・・・それより私は少し出かけてきます」
「こんな時に?」
「こんな時だからです」
「わかったわい。早く戻れよ」
「夜には戻ります。午後の評議会召集をお忘れなく。八傑たちが全面戦争だと騒いでも同調せずご自重くださいよ?」
「わかったわかった。まったく忌々しい傭兵どもめ・・・どうしてくれようかぶつぶつ・・・」







 ナスカット=ロベリア。レアン共和国元首評議会議長、すなわち元首の筆頭補佐官である彼はフッと一息吐き出すと足早に廊下を歩き始めました。
 彼の向かうのはドリエステル元帥のいる派兵軍用の兵舎でした。慣れた道筋で軌道を使い最短距離で。
 兵舎に到着したのは元首のマンドルと別れてから10分ほどでした。
 ロベリアは驚きました。第七師団の出撃準備が殆ど始まっていなかったからです。
 焦りと憤慨を抑えて司令官室に向かうと入り口に立っていたのはドリエステルの副官のクノレス=ガスピス大佐でした。彼は背が高い馬面の一見ぼうっとしているような顔つきで目の底が暗い男でした。
「ガスピス殿これはいったい」
 ロベリアの言葉を遮るようにガスピス大佐は慌てる様子もなくさらりと言いました。
「ドリエステル閣下はご病気なのです。突然倒れられました」
「なんと。どうして仰ってくれなかったのです。すぐに医者の手配を」
「お願いします。ですが今は国境の事が第一です」
「お分かりのようで安心しました」
 ロベリアは言葉に嫌味が乗らないように注意深くしゃべりました。内心ではガスピスと言う男が頼りにならないというより、腹にイチモツという感じでとっつきにくさを感じていたのです。
「ドリエステル閣下はどのような指令を?」
 いくら病気とは言え、指令位は出しているだろうとロベリアは思いました。すると暗い目を一層暗くした感じでガスピスは答えます。
「ドリエステル閣下は仰いました。エーヴェイ川城塞でもナウル城塞でも12万の大軍を押しとどめる事は難しいだろう。丈高い城壁を持つ首都防衛を第一として敵に対しては遊撃を主体とした攻撃で抗するべきだ、と」
 何を悠長なことをと言う言葉を飲み込んでロベリアは言いました。
「わかりました。それが閣下のお考えならこちらもそれに合わせて準備いたしましょう。しかしこの火急な事態に出撃準備が始まってもいないのはどういうことなのです」
 その時司令官室のドアがガチャリと音を立てて開き、その向こうから憔悴しきったドリエステルが姿を現したのです。
「ロベリア殿・・・ゴホゴホゴホッ!申し訳ない・・・こんな時に病に祟られるとは情けない。・・・」
 仮病ではなさそうだとロベリアは一息入れて落ち着きを取り戻し、言いました。
「閣下。ご病気は仕方ありません。医者をすぐに手配いたします。お辛いでしょうが、どなたか代理を立ててせめて戦闘準備だけでも・・・」
「うむ。ガスピス」
「ハ」
「各大隊長を招集し早急に戦闘準備をさせるよう伝えておけ」
 ガスピスは敬礼してその場を立ち去りました。それを見送ったロベリアは。
「閣下。首都防衛をお考えとのことですが・・・」
「その通りです補佐官殿。おそらく帝国軍の侵攻兵力は10万を軽く超える。もしも正面切って戦えば我らノスユナイア軍2万ではたちどころに全滅してしまうだろう。エーヴェイの城塞はもとより籠城に適するナウルの城塞であっても持ちこたえられるとはとても思えんのだ。マッサレイは会戦を申し込んでくるだろうがこの状況ではそれも現実的では・・・・!」
 突然咳き込むドリエステル。
「閣下。お考えはわかりました。今は部屋でお休みになってください。さあおつかまりを・・・」
 ロベリアはドリエステルに肩を貸して司令官室の中のベッドへ送り届けるとすぐに兵舎の会議室へ向かいました。さすがに戦闘準備が始まったようで兵舎内は俄(にわか)に走り回る指揮官や兵士で騒がしくなっていました。
 会議室では各大隊の指揮官が集まって神妙な顔つきでロベリアを迎えました。
「ロベリア補佐官殿。共和国側はどのような対策を?」
「まずは相手の侵攻の真意を探っています。既に対岸(帝国領)に潜んでいる仲間が動いています。帝国本国の諜報員には秘密裡にゲーゼルとの接触をさせる手はずになっていますが・・・、今のところは何も情報がありません」
 ガスピスはのんびりとした感じで応えました。
「そうですか。我々もドリエステル閣下からの命令で戦闘準備をして待機する事になっていますが、念のため情報収集の兵をガーラリエル閣下の元に送り出したところです」
「結構です。とにかく今は情報が欲しい。何かあれば元首評議会にご連絡を。こちらも出来る限り情報共有させていただきます」
 ロベリアはそう言うと急いで兵舎を出てドリエステルの為に医者を手配すると、元首の元へは行かず首都の第3城壁の外縁にある軌道駅舎へ向かっていました。ロベリアはロマ=ガーラリエルがバカでなければエーヴェイ城塞は放棄するだろうと考えていました。しかし万が一バカだった場合は傭兵を動かすことになります。部下を行かせても良かったのですが、ロベリアは何か予感めいた胸騒ぎを覚え、自らが行こうと決めたのです。

<<だからナウル城塞の改築を進言していたのに、八傑たちめ・・・とにかくまずは現存する戦力を確認せねば・・・傭兵ども。どうあろうが動いてもらうぞ。金に糸目は付けていられん。>>
 
 南中する太陽が春に向かってだんだん角度を増していく、そんな冬の一日の始まりでした。



>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>第3章 第2話へつづく
しおりを挟む

処理中です...