サクササー

勝瀬右近

文字の大きさ
上 下
45 / 49

第2章 第7話 諡号の儀式

しおりを挟む




◆創世歴3734年3月5日 夜 


 近衛隊長執務室に呼び出されたマリウス情報部長官は報告書をモルドに手渡しながら言いました。
「一応言っておきますが」
「なんだ」
「クダーフ元軍曹の調査をこれ以上非公式には出来ないことはおわかりですね?」
「もちろんだ」
 反国家的犯罪者を探し出すという王国評議会指令が下った今、国務院長の件から零れ出たクダーフの身辺調査書も例外なく反国家審問委員会への提出および王国評議会への報告義務があるため、渡されたクダーフの調査書の内容は遠からず公にされます。
 マリウス長官は暗に調査書をモルドに渡すことを内密にと釘を刺しているのです。
「それを聞いて安心しました。では最初に申し上げておきます。クダーフ君は行方不明でした」
「なんだと?・・・家族も行方を知らんのか?」
「それなんですが・・・、おかしなことにその母親も4か月前から行方不明なんです」
「4か月前から?母親だけか?父親は?」
「父親は5年ほど前に死別してます」
「死因は」
「病死です」
「病死・・・母子家庭か・・・」
「ええ。要は4か月前からクダーフ家は誰もいない状態が続いていて、退役したはずのクダーフ元軍曹も家に戻った様子はないと近隣の住人が言っていました」
「退役の事を言ったのか」
 モルドの顔が険しくなりましたがマリウスはそれを受け流すように答えます。
「にわか不動産屋が退役の事なんて知るわけないでしょう。言いませんよそんな事」
「ならいい」
 モルドは2秒思案した後言いました。
「母親は前触れもなく突然消えたのか?」
「いえ。4か月前は第八師団の派兵出発のちょっと前です。ご近所には息子の派兵前の準備を手伝ってくると言って出て行って、それきりだそうです」
「親戚の家に行っている可能性は?」
「そちらは現在調査中です。4か月ですから考えにくいですが・・・。うちの諜報員がクダーフの家屋内に入って中を確認したところ家具類や生活必需品、寝具に至るまでそのまま残されていると」
「近隣の住人は誰も母親の捜索願を出すなり、村や町の役場に届けたりしていないのか?」
「当地の役場に問い合わせましたが特になにも」
 モルドはやるせない感じで首を振ります。
「世知辛いとお思いでしょうが大佐。期間的に4か月は微妙な線ですよ。息子は派兵だから帰らないのは当たり前ですし、母親が帰らないのも一人では何かと不便だから親戚にでも世話になっていると考えている人がほとんどでした。
 ただ薄々にしてもなにかオカシイと思う人もいて、中には届け出をした方がいいと考えていた人もいましたよ」
「そうか・・・」
「で、どうします?引き続き内密にクダーフ君の行方を捜索しますか?」
「いや、クダーフについては担当の審問委員会に任せる」
 含みを持たせた物言いにマリウスは眉を片方だけ上げます。
「情報部には母親の行方を少し探ってみてほしい」
「母親ですか・・・。母親は陰謀とは関係ないでしょうから単純な人探しって事になると、4か月も前からいない人の行方探しですか・・・・時間がかかりそうですねぇ」
「出来る限り頼む」
「人知れず事故に遭ったか・・・ま、親子が一緒にいる可能性もあるでしょうしね」
 マリウスはそう言いつつも最悪の結果も考えていました。
「推測は後にしろ。今欲しいのは確固たる事実だ」
 モルドは確認するように机上の報告書を指先でトントンとしながらマリウスに言います。
「いまのところわかっている事はこの調査結果とクダーフ元軍曹の所持していた魔噐の出どころがマルマディオ商会であることだけか・・・」
 情けないほど事実が少ないとマリウスはモルドには見えないタイミングで苦笑いします。
「情報取集には根気も必要です。あとは我々専門職にお任せを」
「済まんが頼む」
 マリウスはニコリとして頷きました。
「明日はいよいよ諡号の儀式ですねぇ・・・」
「貴様にも協力してもらうぞ」
「高くつきますよ?」
「貴様の冗談は笑えんな。クダーフの件の罪滅ぼしと思え」
”やれやれ・・・”
 マリウスは罪も何も既定の職務を遂行しただけなのにと肩を落としました。






◆創世歴3734年3月6日 早朝



 諡号(しごう)の間。
 王城内の北側にあるこの広間は特別な場所です。
 入口は諡号の儀式が執り行われない限り、重厚かつ堅固な扉で固く閉ざされていました。
 ディオモレス=ドルシェが扉に手を当てると静かに魔法力を注ぎ込みました。
 ゴ、ゴ、ゴ、と重々しい音を響かせながらゆっくりと開かれた扉の隙間からひんやりとした空気がひゅうっと流れ出してきます。
 扉の向こうには諡号の間本殿へと続く長い廊下のような部屋があり、窓は一切ありません。幅は数メートル、長さは裕に50メートルはありそうです。
 その長い部屋を数メートル進むと門のような飾りの施してある区切りがありました。床、天井、左右の壁をぐるりと輪のように囲んでいます。
 そこまで来たところでディオモレスが振り返りました。
「ここより先は国王陛下の許した者のみが進むことができる」
 その言葉にまず三賢者が三人とも門をくぐり抜け、その次に国王であるアレス、そして。
「エデリカも一緒に」
 アレスが凛とした表情でディオモレスを見上げ「御意にございます陛下」彼が慇懃に頭を下げるのを見てからエデリカに振り返りました。
「エデリカ、大佐も」
 黒い喪服を着たエデリカは促されてアレスの横に立ちました。
 そのあと、モルドが最後尾につき、振り返った先にいるカレラやノーディに目配せをすると正面に向き直りました。
 諡号の儀式に望むのは、六人ということになります。
 長い廊下状の部屋を六人が静かに進み、正面のさらに大きな扉に到着すると、ディオモレスは扉の中央へ付き、そして。
「アー、ツェーデル」
 カーヌに手で扉の右側を、ツェーデルには左側をそれぞれ指し示し、すべての賢者が配置に着くと目を閉じました。
「古より伝えられし詞(ことば)によりて、開扉(かいひ)せしむる証を此処(ここ)に」
 予(かね)てからディオモレスに指示されていたようにカーヌとツェーデルは、扉の各々が立っているところにある両手で包み込める程の大きさの球体に手を当てて魔法力を注ぎ込みました。
 暫くして球体がボウっと光を発すると、今まで見えなかった物が見え始めました。
 それは扉の表面を縦横に走るカンヌキのように見えます。
「触れてはいけない」
 ディオモレスが念を押すようにそう言うと、そのカンヌキが徐々に両脇の壁に吸い込まれていきました。
 ゴウンという低い音と共に扉が開き始め、それと同時に第一の扉が開かれた時よりもさらにヒヤリとした空気が六人の頬を撫でるように吹き出します。
 ディオモレスとカーヌ以外のアレスとエデリカ、そしてモルドとツェーデルの4人は初めて見る中の様子に目を見張りそして息を呑みました。



 諡号の間の建築様式は葬祭殿という趣です。
 球を内側から見たような天蓋が遥か上方にあり、窓がひとつも無い円筒形の内壁にはこれまでノスユナイア王国を治めてきた歴代の王の名前、すなわち諡号が刻まれた石版がズラリと嵌め込まれていました。
 ノスユナイア王国建国より734年にわたる統治者たちの名簿とも言える列石の壮麗さは、例えようもない圧迫感があり、その場にいた者たちを圧倒しました。
 ここに来た次代国王は例外なくこの雰囲気にまずは呑まれ、そして己の国王としての血筋を実感して厳粛な気持ちにさせられるのです。
 歴代国王の中には王になった事をただ喜んでいた事を戒められた気持ちになったり、漠然とした不安を諡号の間で払拭したり、決意を新たにするなど様々でしたが、それはアレスも全く同じでした。

 生前とは違う死の世界に赴くための名前、それを指して諡号といいます。
 諡号は生前の国王が後継者にだけ託し、決して口外されないものでした。これは後継者が自分のあとを継ぐ前に死んでしまえば王国は滅びるという国王の覚悟の証のような慣わしです。
 アレスは過日、亡き父の諡号をエバキィルの塔の前で伝えられたのでした。

 諡号の儀式には三賢者と王の身の安全を確保するための近衛が一人、そして国王が望んだ者がその時々で違いますが数名の血縁者などが同席します。
 しかし今回、アレスの母は既にこの世を去っていて、兄弟もなかったので同席者はエデリカだけでした。
 通常は血縁者が列席するところにエデリカがいるというのは前例のないことでしたが、それはそのままアレスの意志を表してもいました。これはエデリカをごく近い将来、自分の妻にするという意志表示。
 ここに居る三賢者を含む4人はこれを公認していたのです。


 全員が中に入るとディオモレスは諡号の間の中央にある儀式台に歩み寄り、持ってきた諡号のまだ彫り記されていないまっさらな石版をその上に置くとカーヌが持っている小さな箱を開けます。そこには首飾りのように鎖が通してある円牌が収められていました。
 大人の掌大(てのひらだい)の円牌は金属製でその輝きから神稀鉄鋼(アスミュウム)である事がわかります。表にはノスユナイア王国の紋章が、そして裏面にはあの失われた種族の遺した塔の一つである、エバキィルの塔が彫り込まれていました。
 ディオモレスは恭(うやうや)しくそれを捧げ持つと先ほど儀式台の上に置いた石版の上にコトリと置き、カーヌ=アーを促してアレスたちが待っている場所まで戻りました。
「陛下。準備は全て整いました。あとはお分かりですね?」
 エバキィルの塔で父から言われた儀式の作法を思い出したアレスはそれを何度か頭の中で繰り返してから頷きました。
「よろしゅうございます。では」
 手のひらで儀式台を示されたアレスは一度エデリカと目を合わせ、エデリカがホンの僅か口元に微笑みを浮かべるのを見て頷き、今度は儀式台に向かって歩き始めます。
 静まり返った諡号の間にアレスの足音だけが響き渡り、彼の様子をエデリカもほかの四人も片時も目を離さず見守っていました。
 儀式台にたどり着いたアレスはひと呼吸の間を置いてから石版の上に置かれた円牌のついた首飾りに手をかざしました。
 魔法力を注ぎ込むと円牌が光りを放って輝き始め、それを確認したアレスはその首飾りを頭からかぶる格好で身につけます。
 そして今度は石版には触れない状態で両手を肩幅に開いて口の中で亡き父の諡号をつぶやきながら魔法力の放出を始めました。
 すると。
 首飾りから放たれた一筋の光が無地の石版に亡き父の諡号を刻み付け始めました。
 アレスは光の筋が驚く程正確に、まるで筆で描くがごとくに文字が彫り進められてゆく不思議な光景に見とれています。
 時折石がはじけるような音がしましたが諡号の彫刻はあっという間に完了し、広間がシンと静まり返りました。
 そこでディモレスがエデリカの背中に手を置いて囁くように言います。
「さ、ここからはそなただけが許される。陛下の元へ行き、陛下の言葉を聞いたら戻ってきなさい。そして戻ってきたらそれを決して口外してはいけない。いいね?」
「はい」
 エデリカは言われた通りにアレスの立つ場所へ行って、一歩下がったところで目を閉じるとアレスの声に耳を傾けました。
 その声は彼女の心に染み込んで、記憶の一番深いところに刻みつけられたのです。
 エデリカがアレスの背中を離れがたい思いを振り切るように踵を返し、元いた場所へと戻りました。
 あと少しで終わる。
 ディオモレスは密やかに吐息して、儀式の終了を待ちました。
 その時でした。
 それに気がついたのはツェーデルが最初で、直ぐにカーヌとディオモレスもビクッと体を固くしたのです。
 その直後。
 突然アレスの居る儀式台を囲むように現れたのは赤い光を放つ魔法陣でした。
「な?!」
「陛下!」
 異変に気がついたアレスは振り向きざまに赤い光に包まれ、崩れるように倒れてしまいました。ビクビクと体を痙攣させています。
「アレス!!!!」
 走り出そうとするエデリカをさえぎったのはディオモレスでした。
「近づいてはならん!これは呪詛魔方陣だ!近づけばそなたも呪いを被るぞ!」
 ツェーデルは部屋の一角にある異様な気配に気づきました。
「公爵。お許しを」
 そう言って突然その気配に向かって魔法攻撃をしたのです。しかしその攻撃は何かに吸い込まれるように消えてしまいました。
「魔法力を吸収?!」
 ツェーデルは咄嗟に攻撃魔法を切り替えました。
「ハ!」
 気合のこもった声と共に複数の魔法陣が現れて散り、同じ場所に向けて集中攻撃を始めると、ついに気配の主が姿を現したのです。
 全ての光を吸い込んでしまうような黒色の揺らめきが、うねるように人影を浮かび立たせました。

「貴様!何者だ!」
 モルドが叫びます。
 長衣に頭巾という出で立ちのその人物は被っていた頭巾を両手でするりと背後に退けるとすっと顔を上げました。不気味に微笑んでいるのは見た目の年齢ならばまだ20代という若い女。そして肌は薄い紫色。額に刻まれた星の刻印。その風貌からまず言葉を漏らしたのはカーヌです。
「・・・あれは・・・まさか」
 そしてディオモレスは戦慄の表情で言いました。
「シャ・・・シャイア族だ」
 目の前にいる者は滅びたとされていたシャイア族だったのです。
 しかもそれだけではなく、さらに驚くべきことをそのシャイア族の女は言い放ったのです。
「ククク・・・マルデリワの系譜滅びるべし!・・・。我が名はゾム=ゾーナ!悲願ここに成就せり!マシュラの王どもよ!わが恨みと苦しみを思い知れ!キィヤハハハハハハ!」
「ゾム=ゾーナだと!?」
「まさか!」
 そこにいた全員が驚く中、ゾム=ゾーナと名乗った女はふわりと浮き上がると空で印を切ってあっと言う間に姿を消してしまったのです。

”ゾム=ゾーナ?!馬鹿な・・・ディエル様が嘘をつくはずがない。死んだはずだ”
 思考が混乱するカーヌを我に返させたのはツェーデルの声でした。
「公爵様!一帯に結界を!あのシャイア族を逃してはいけません!!」
 ツェーデルはそう叫び、出口の扉に向かいかけました。が。
「いや!・・・それは後だ、ツェーデル!」
 ディオモレスはツェーデルに視線を移さず眉間に皺を寄せ呪詛魔方陣の中央に倒れているアレスを見つめていました。
「アレス!アレス!!」
 エデリカの呼びかけに答えることはありません。
「ツェーデル!陛下の体をあの場所から動かしてはならん!陛下の周りにすぐに結界をはってくれ!カーヌ、そなたは魔法力譲与を私に!」
「公爵様!まさか!」
 カーヌはディオモレスが何を考えているのかを瞬時に理解すると驚愕の表情を浮かべます。ツェーデルもまた同様でした。
「無茶です!この呪詛魔法は黒魔法使いが行ったもの!何の準備もなく呪詛開放を執り行うことは危険すぎます!」
「わかっている!だが迷っている暇は無い!あれを見なさい!」
 呪詛の苛(さいな)みに苦しむアレスの体が赤く明滅しています。目や口から邪悪な光が漏れ、その度に小さな体が叫び声と共に大きく痙攣します。
「あと数分で手遅れになってしまう!呪詛開放は今やらなければならん!今すぐにだ!」
 確かにあのゾム=ゾーナと称した魔法使いを捕らえることは重要でしたが、眼前のアレスの様子にもはや選択肢が無いことをそこにいた全員に悟らせたのです。
「エデリカ!下がっていろ!」
「大佐!アレスは・・・アレスは・・・」
「公爵様を信じるんだ!きっと陛下を救ってくださる!」
 モルドはエデリカの肩に手を置きながら、自分の無力さと情けなさを呪いました。
”なにが近衛だ・・・私は大馬鹿者だ・・・近衛失格だ!”


 呪詛開放魔法術。
 それは呪いの力と言う抽象的存在に魔力を与えることで呪詛そのものを実体化し、実体を持たされた呪力を聖なる力で中和し滅すると言う究極の白魔法です。しかしこの呪詛開放は通常入念に魔方陣を描いて二重三重に安全策をとった上で執り行われるのが常識でした。それほどこの魔法施行には危険が伴うのです。
 ディオモレスはアレスにかけられた呪詛が大変強力なもので、少しでも時間を置けばアレスの絶命は避けられないと考えていました。もしもここで諦めればそれは王国の滅亡を意味するのです。

 アレスはエデリカたちから数メートル離れたところで苦しみにもがき苦しんでいました。そして彼らの目の前で驚いたことにアレス自身の体に変化が現れはじめたのです。
 アレスの体の四肢は組成を強制変換され、赤と黒のまだら模様の触手に変化。しかもその触手が縦に裂けて数を増やし、今いる場所から逃れようと四方に延び結界に触れるたびに暴れまわります。
 ツェーデルは結界を保持し、アレスが一定の場所にとどまるように詠唱をし続けます。結界の力は呪詛に触れると形を崩されますが、それを絶えず修復してゆきます。
「なんて兇悪な呪詛の力・・・陛下・・・どうか・・・」
「はじめるぞ!」
 ディオモレスはそう叫ぶと呪詛開放の詠唱をはじめました。カーヌはディオモレスに魔法防御と、それと同時に自分の持てる魔法力を注ぎ込み始めます。
 ディオモレスの体から光の粒が放たれ始め、それは彼の周りに自分を包む球体となる立体魔方陣を形成しはじめます。
 そして立体魔方陣の外側にいくつもの実態魔方陣が光の粒で形成されてゆきました。これらは通常聖なる炭という祝福された炭で描かれるものでしたが、今回は光で描かれています。「光の守護神よ・・・オーンリニエークルよ我らに加護を・・・」
 光の粒によって描かれた魔方陣、そして立体魔方陣が完成し、その神々しい光の中からどんどんとアレスの、醜い怪物と化してしまったアレスの体に砂塵のような光の粒が吸い込まれてゆきます。
 そしてその光の粒を食った呪詛の抽象的エネルギー体が徐々に赤黒い禍々しい光を伴って浮かび上がり始めました。
 実体さえ現れれば後は聖なる力をぶつけることで呪詛の力を無害な元素へと中和、変換させることができます。
 ディオモレスの額には玉の汗がにじみ、その汗は一滴また一滴と顎のほうへと流れてゆきました。
「お父さん、アレスを、アレスを守って・・・」
 エデリカは血が滲むほどに手をあわせて祈り続けました。

”これ以上はやめて。私から何も奪わないで”

 やがてウネウネとアレスの体にまとわりつくように蠢(うごめ)いていた実体化させられた呪詛の赤い邪悪な光に白い光が攻撃を始めます。
 白い光から逃れようとする赤い光、または赤い光が白い光に攻撃すると白い光がより強い光となって渦を巻き、赤と白の光がぶつかるたびに弾け、空間へと消失してゆきました。
 ツェーデルが油断せず呪詛を結界で押さえ込みながら、上手くいきそうだと感じ、改めて古(いにしえ)のセノン族ディオモレスの力にを心強さと畏怖の念を抱いた・・・その時。
「なにっ!?」
 ディオモレスの表情が苦痛にゆがむように険しくなりました。
 白い光に浄化されつつあった呪詛の実体がいきなり大きく膨れ上がったのです。
「馬鹿な!!」
 次の瞬間。
 ネバっとした赤い光が白い光に喰いつき、その邪悪な光を触手のように伸ばして聖なる光の基点となっているディオモレスに襲い掛かったのです。
そしてそれはたちまち立体魔方陣を侵食し、赤い光でディオモレスの体は見えなくなってしまいました。
「公爵様!!」
 それはあまりにも凄惨な光景でした。
 立体魔方陣が赤い光に握りつぶされるように収縮すると同時に、間違いなくディオモレスのものであろう夥(おびただ)しい赤い鮮血が絞った布から水が吹き出るように四方へ飛び散ったのです。
「公爵様ぁぁぁああああ!!!」
 白い光はもがくように赤い光の浸食に対して抵抗しているかのようにも見えましたが、あっという間に赤い光に喰い尽くされ、最後には赤い光が、まるで獲物を狙っているかのように脈動していました。
 カーヌは咄嗟にこう考えました。実体があるのならば、魔法膜で封じ込められるはずだ、と。そしてその考え通りに魔法膜によってアレスごと封じ込める事に成功したのです。しかし安心することはできませんでした。
 まるで檻に入れられた猛獣が暴れだすように突然呪詛の力で魔法膜が膨らみ始めたのです。
 呪詛開放でディオモレスに魔法力を譲与していたカーヌの魔法力が尽きかけていました。
 このままでは破られる。カーヌは叫びました。
「皆さん!私が食い止めているあいだに逃げてください!」
 ツェーデルが出口へ向かい、そしてモルドがエデリカの腕をつかもうとしたとき、エデリカは半狂乱になってアレスに向かってしまったのです。
「アレスを置いてなんて嫌あああ!!!」
「エデリカよせ!!」
 その時でした。モルドが後ろからエデリカに組み付いたその瞬間、魔法膜が裂けてしまったのです。
 モルドは咄嗟にエデリカを庇って赤い光の前に腕を広げて立ちふさがりますが、赤い光の奔流に呑み込まれて吹き飛ばされ、カーヌもツェーデルも凶悪な呪詛の光に晒され倒れてしまいました。
 もはやこれまでかと思ったカーヌの視界の端にモルドの倒れた姿が映ります。両腕がもぎ取られるようになくなっていて、ピクリとも動かず、ツェーデルも倒れたまま動きません。
 エデリカは。
 カーヌはかすむ目を動かし、エデリカの姿を探しました。
 彼女はモルドが庇ったおかげか、遠くに弾き飛ばされていたのものの意識は失っていませんでした。ふらつきながら立ち上がろうとしています。
「エデリカ・・・逃げて・・・」
 声を搾り出すカーヌの視界に呪詛の赤い光が入ってきましたが、赤い光は襲い掛かることをやめ突然引き返すと元々の呪詛の宿主であった変貌したアレスへと吸い込まれていったのです。
「アレス・・・アレスー!!」
「いけない・・・。エデリカ!逃げ・・・」
 ツェーデルの結界縛から開放されたアレスは人間の姿を殆どとどめていませんでした。
 体からは十数本の触手が伸び、もともとアレスの胴体であったところに気味の悪い大きな眼球がボコッという音と共に現れました。
 そして触手をウネウネとくねらせながらゆっくりと身を起こすと、惨状を眺めるように巨大な眼球を動かし、最後にエデリカに視線を合わせました。
「アレス?・・・」
 恐ろしさとアレスを想う気持ちが渾然となった気持ちで、体を震わせるエデリカはそれでも逃げ出すことをしませんでした。
「逃げるんです・・・エデリカ・・・ぐあ・・っ」
 なんとかしてエデリカを助けようと体を起こしたカーヌでしたが、アレスだった怪物がエデリカに襲いかかるのを食い止める事は出来ませんでした。
「アレス!私よ!やめてぇ!!」
 アレスだった怪物は彼女の抵抗をまるで意に介さず、エデリカを長い触手で絡め取って諡号の間の入り口から出ると長い廊下を突き進みました。
「何だあれは!!」
 警備にあたっていた近衛の何人かが吹き飛ばされて死に、そしてアレスだった怪物は城の外へと逃げ出したのです。
「いやあああああああぁぁぁぁぁぁあぁ!!!・・・・・・・・・」
 彼女の悲鳴が遠ざかります。
「エデ・・・リカ・・・く・・ぅぅ・・・」
 呪詛に身を焼かれたカーヌはやっとの思いで上体を起こしました。残り少ない魔法力で自身に治癒を施しましたが呪いで受けた傷というのは通常の治癒魔法が効き難いのです。
 カーヌがなんとか壁に寄りかかりながら立ち上がった時に諡号の間に飛び込んできたのはカレラでした。
「アー様!!?・・・大佐!!・・・・・・・そんな・・・」
 その惨状に彼女の手足は震え、顔面は蒼白になりました。
「カレラさん・・・・・急いで、できるだけ多くの治癒術者を・・・・集めて・・・・くぁっ・・・」
「アー様!!」
 近寄るカレラを手で制してカーヌは続けます。
「わ、私の事はいい・・・、は、早く。・・・間に合わなくなってしまう」
 カーヌに言われた通りにカレラは部下たちに命令し、近衛兵たちは手分けしてヒーラーなどの治癒術者を連れてきました。
 治癒術者たちは魔方陣をその場に描き、ツェーデルを寝かせ呪詛による傷の治療に取り掛かっていました。
 暫くするとツェーデルの呻き声が聞こえてきます。それを見たカーヌは「死なないで・・・ツェーデルさん・・・」そういうと儀式の間の隅に運ばれた両腕の無いモルドのほうへとゆらゆらと歩き出しました。
「アー様!なにを?!」
 カーヌは傷ついた体を引きずりながらモルドの周りに魔方陣を描き始めます。一歩踏み出すごとに体中を激痛が走り抜けました。
「アー様、大佐はもう・・・」
「ハァハァハァ・・・彼はまだ・・・生きています。・・・大佐を死なせるわけには・・・いかない・・・ぅうっ」
「しかしあなたも傷ついているのです!無理をすればあなたも・・・」
「そんなことより、あなた方はツェーデルさんの治療を!」
 歩みを止めようとしたカレラをいつもは穏やかなカーヌ=アーがにらみつけ、思わずその気迫に後ずさりします。
「そこをどきなさい!・・・」
 何千本もの針に体を突き刺されているような痛みに耐えながら、カレラたちの制止を振り切ってカーヌは信じられない速さで魔方陣を描ききりました。
 そして。
「皆さん・・・・は・・・・離れて・・・・・決して近づかないで・・・・・ぅぐっ・・・」
 カーヌは肩で息をしながら、それでもゆっくりと正確に魔法詠唱をし始めます。
 その様子を見ながらカレラに近衛の一人が嗚咽交じりに言いました。
「・・・あの様子じゃもう無理です・・・・・。いくら大佐だって・・・くそっ、くそぅ・・・」
「大佐・・・」
 変わり果てた姿にカレラは口元を震わせています。

 軍服が燃えてしまったモルドの全身はまるで火傷のように爛れ、無くなってしまった腕の傷口は無残にも炭化していました。そして白目を剥いて叫んだような口は微動だにしていません。誰が見ても手遅れだと言うでしょう。
 カレラたち近衛がその光景に慄きながらカーヌを見ていると、魔方陣の前にいる彼の周りに異様な空気の流れがあるのに気がつきました。
 徐々にカレラの目が大きく見開かれていきます。
「これは・・・」
「まさかそんな」
 そしてその次の瞬間に誰もがそれがそうであることがわかるその状態に、そこにいたすべての人々が息を呑んで驚き、目には恐怖を湛え、戦慄に背筋を凍らせたのです。
 黒い渦を見つめながらカーヌは深い罪過の念に駆られていました。

”陛下、約束を破る私を・・・許してください”




第2章 完


第3章へ続く
しおりを挟む

処理中です...