サクササー

勝瀬右近

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第2章 第2話 カーヌ・アーの涙

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◆◇◆◇◆ 医者の矜持 ◆◇◆◇◆



「もしもご自分の嫌疑を晴らしたい・・・、つまり身の潔白を証明したいとお思いならば、私に同行なさったほうが良いと思いますよ。エノレイル殿」
 いったいどういうことなのか。ローデンがそう訪ねるより先にライジェンが立ち上がりました。
「待ちたまえカフラー委員長。反国家審問委員会とは反国家的思想の疑いありとされる活動や組織の結成の抑止、早期発見、壊滅が目的であるはず。あなたのしようとしている事は王国評議会の領分ではないのか?」
 カフラーはライジェンを静かに見据えると事も無げに返答しました。
「さすがはライジェン元老院議員。いや今は議員を辞職しておりましたな。ライジェン侯爵。よくご存じですな」
 カフラーにその意図があったのかは定かではありませんでしたが、ライジェンにはそう聞こえたのかもしれません。目つきをギラリとさせます。
「私を愚弄なさるか?」
「とんでもない。だがあなたの仰るように我々がエノレイル殿に対して持っている嫌疑が反国家的犯罪たりうるなら、被疑者を拘束し尋問、調査、査問を行い事実を突き止める為の権限を国王陛下より頂いているのです」
「そなたは勘違いをしておられるな」
 カフラーの目つきが変わります。
「・・・とおっしゃいますと?」
 ライジェンは呆れたような顔でため息をつきました。
「国王陛下が反国家審問委員会に与えた権限は無制限ではない。突然やってきて嫌疑の口上を告げただけで拘束するなどできようはずがない。それにエノレイル殿は王妃殿下より正式に任命された国王陛下の後見人なのだ。まずは嫌疑をかけるだけの根拠とその調査結果、証拠物件の提示の上でまずは司法機関でもある王国評議会に報告する義務があろう。それが出来ない限りエノレイル殿を連行する事はこの私が許さん」
「おやおや。あなたはいったい何の権限があって仰るのでしょうな?」
「権限だと?」
 ライジェンは声を少し大きくします。
「ではここで証拠物件、調査書類、告発の詳細を書面でしたものを出しなされ。それが出来なければ権限云々以前の問題だ。いいかね?司法機関でもある王国評議会になにも提出せずに後見人を捕縛するなど独裁者の所業。そなたのしていることは単なる職権の濫用だよ。出直してくるがよかろう」
 カフラーは間をとるようにふうっと息を吐きだしてから表情を変えずに応えました。
「残念ですな。わかっておられないのはあなたの方ですよ侯爵。・・・私の持つ権限は被疑対象の個人や団体が次の手を打つ前にその芽となる行動を摘み取る果断速攻の為にあるのです。
 反国家審問委員会は、調査結果や証拠物件のの提出後にいつ届くかわからない許可を待って、その間に事が起こってしまうのを防ぐのを目的として設立されたのです。ですから侯爵閣下、あなたの許しを得る必要はまったくないのです」
 ライジェンは立ち上がってカフラーに2歩3歩近づきました。その顔は険しさを増しています。
「では越権行為ではないと?」
「その通りです」
 カフラーの表情は険しい表情のライジェンと対照的で、口調も酷く事務的でした。自分の仕事を与えられた権限に則(のっと)って行使して職務を遂行していることを少しも疑っていない、そういう顔をしています。
 しかしローデンはあまりにもばかばかしい事に真剣になっているカフラーに哀れみさえ覚え、笑いの混じった声で言ったのです。
「あなたたちの権限については良くわかりました。だが私が王妃様を手にかけて何の得があると思うのです?」
「あなたが後見人任命直後の王妃様を殺害したと考えれば、動機としては充分です」
「動機?動機とは?」
 カフラーは即座に言いました。
「主権者、即ち王妃殿下が傍にいないというのは、王権を自由に行使できる後見人にとって都合が良いということです」
 ローデンはあきれてものが言えませんでした。あまりのばかばかしさに思わず顔を笑わせ、首を振ります。後見人になることを自分がどれだけ拒否したいか、話して聞かせてやろうと考えましたが、それよりも王妃を救えなかった事に苦悩する自分の事を全く分かっていない事に腹が立ったのです。
「委員長。失礼を承知で申し上げますが、それはあなたの価値観でしょう?私は・・・」
「後見人殿。この男の口車に乗ってはいかん。カフラー殿。出直したまえ。近衛兵!委員長がお帰りだ!」
 カフラーに近衛兵が近寄りますが、カフラーの一言で動きを止めてしまいます。
「私の躰に指一本でも触れた場合、反国家的犯罪の取り締まりを妨害したとみなす。・・・侯爵閣下。国家の危機に際して与えられた権限を行使するのを邪魔すればあなたも例外ではありませんよ?」
 ライジェンはそれを聞いて怒りを爆発させました。
「国家の危機だと?!裁判も受けられんとはどういうことだ!貴様!独裁者にでもなったつもりか!どこに危機があるというのだ?!そんなものどこにもありはせん!!」
 しかしカフラーの態度、口調はまったく変わりません。
「もちろん裁判はいたします。だから言ったではないですか。身の潔白を証明したいとお思いならば同行なさったほうが良いと。我々も罪を捏造するような卑劣な真似は致しません。それにまだ容疑の段階ですが王族殺害の容疑者が後見人になっていることは国家の危機と言って差支(さしつか)えがある・・と、私は思いません」
「うぬぅぅ・・・・・・・・・」
 激しい怒りの唸り声を上げるライジェン。
 暫く黙っていたローデンは勢い良くハッと息を吐き出すと姿勢を正しました。
「わかりました。同行しましょう」
 ライジェンは目を丸くして愕然としました。
「エノレイル殿!?・・・いかん!自分が何を言っているのかわかっているのか?!」
「ライジェン侯爵。私は潔白です。なにひとつ後ろめたいことはありません。しかし私自身、陛下も王妃様も救えなかった侍医としての口惜しさや後ろめたさならあります。これがきっかけとなって真実がはっきりとするのなら医者として本望。恐れるものなんてありませんよ」
「あなたは医者の前に後見人なんですぞ?!評議会はどうするのだ!」
「後見人殿は今まで政治に直接関与する事はなかった。彼がいなくとも評議会運営に問題はないことは評議員である私が保証しますよ侯爵閣下。ご心配なく」
 カフラーはまるでわざとそうしているかのように不快感をあおるような口調で言い「なにを貴様・・・・」怒れる表情のライジェンを無視してローデンを促します。
「賢明な判断ですな。では参りましょうか、エノレイル殿」
「ライジェン様。エデリカにはすぐ帰るから心配するなと伝えてください」
「エノレイル殿!」
 カフラーについていくローデンを見送ることしか出来ない自分に苛立つようにライジェンは拳を机に叩きつけると眉間に皺を寄せて口惜しそうに顔を歪ませました。
「カフラーめ・・・。こんなバカなことがあってたまるものか!おいお前!そこの近衛兵!」
 あまりのことに呆然としてしている近衛兵を怒鳴りつけます。
「何をぼさっと突っ立っておるのだ!早くこの事をモルド大佐に知らせてこんかああああ!」
「は・・・はいぃ!」
 弾かれた様に近衛兵が部屋を飛び出し、カフラーとローデンを追い抜いていきました。


=創世歴3734年3月1日 後見人ローデン=エノレイル反国家審問委員会に捕縛される=

この報が城下都市に広まるには2日を要しませんでした。








◆◇◆◇◆ 女のワルダクミ ◆◇◆◇◆



 彼らがそこに到着したのはローデンが捕縛された翌日でした。
「誰かいたか?」
「いいえ、大丈夫そうね」
 静まり返った長い廊下。部屋のドアが誰もいないのにスッと開きます。そして部屋の中の空気が揺らめくとボワンという感じで二人の男女が姿を現しました。
「ふううっ。やっと着いたな」
「良かったわね。兵舎に誰もいなくて」
 ここはノスユナイア城下都市内の第八師団兵舎。姿を現したのはナバの部下のレン=スール曹長とロデル=メイラード曹長でした。
「何日かに一度掃除に来てるだけってことだから、注意はしなきゃならんけどとりあえずは着替えようか」
「着替える?駄目よ。まずはお風呂でしょ」
 レンはそれもそうだと思い、顔を擦りながら言いなおします。
「そうだな。そうしよう」
「大浴場は無理だから上級士官専用の個人風呂使ってもいいわよね?ご褒美ご褒美」
 湯船に水を張ってそこに発熱クリスタルを放り込みます。数分もするといい湯加減になります。
「先に入れよ。見張ってる」
「ありがと」
 ロデルが意味ありげにレンを見ます。
「何だよ」
「よかったわね。国がなくなってなくて」
「ああ、・・・どうせ心配性だよ」
「それと」
「ああ?」
「覗かないでよ」
 レンは目玉をゆっくり←↑→と動かしてから言いました。
「ああ、覗けって事か?」
「冷水ぶっかけるわよ?」
 この寒空にそんなことをされたら、でもロデルならやりかねんなと慄きながらレンは応えました。
「ごゆっくり。湯船で寝るなよ」
「寝てたら起こして」
「どうやって」
「任せるわ」
 女はわからん。レンは返事もできずにロデルの後ろ姿を見送りながら肩を落としてから天井を見上げ、山越えをしていた時にしたロデルとの会話を思い出していました。



 ナバに帰国を命令されてから10日ほど、レノア山脈は吹雪が吹き荒れていました。ようやく出発して5日ほど経ち、行程も半分ほどをこなしたときにまたしても吹雪き始めて足止めを余儀なくされた時の事でした。
「ええ?王国が無くなってたらって・・・・あっはっはっは!バッカじゃない!あっはっは!」
 雪の降る山間部で薄桃色の薄い膜が丸く膨らんでいます。膜に雪が落ちるとすぐに溶けて蒸発します。これは防御膜魔法です。その中に動く人影が見えました。
「笑うことないだろ」
「だぁって!なくなる理由が謀反だって・・・くっくっく」
 笑いをこらえているのはロデル=メイラード。不服そうな顔をしているのはレン=ルールです。
「俺だって国が無くなるなんて思いたくないさ。でも国王様のご逝去はともかく、王妃様は40代だぜ、しかも亡くなり方から見ても不自然だよ。何者かが・・・」
「・・・謀反?ないない」
「なんで言い切れるんだよ」
 ロデルは本当に心配そうにしているレンに向かって憐れみを籠めた顔を向けました。
「あんた心配性っていうか・・・おかしいよ」
「そうかなあ・・・」
「あのね。もしも王陛下や王妃様がほとんど間を置かずに亡くなられたのが誰かによる謀殺だったと考えてみて」
「うん」
 頷くレン。
「陛下が12月19日にご逝去。王妃様が1月10日。で、今日は何日?」
「ええと・・・2月」
「そう。2月も下旬、と言うことは王妃様が亡くなられて1か月以上経ってるわよね。それがどういうことかわかる?」
 わかると言われてもレンは頭をかしげるしかありません。
「あのねレン。ワルダクミって少人数で、しかも考えてから実行するまでが早ければ早いほど上手くいくって知ってる?」
「え?な、なんだよそれ」
 ロデルは訳知り顔で大きくうなずきます。
「まあ計画自体の成功率もあるから一概には言えないけど、・・・あたしさ、学生の頃」
 突然極まりが悪そうなというより恥ずかしそうな感じで話始めるロデルを見てレンは何を言い出すのかと怪訝な表情を浮かべます。
「嫌いな先生がいたんだけど、その先生の教えてる科目で友達が言われたの『こんな簡単な魔法書式がわからないのなら初等科からやり直せ』って嫌味言われてさ、あったまきたから仕返ししようって事になったんだけど」
「あ~、ロルストイ先生か?あの人結構辛らつだからなあ」
「そ、そいつ」
「そいつって・・・」
 一応先生だぞという顔のレン。
「俺の友達でも怒ってる奴いたな。そういえば」
「でしょ?でさ、被害にあってる仲間集めて女の武器を使った仕返しを考えたわけよ」
「武器って・・・」
 使い方。
「何したんだよ」
「まー細かい事は省くけど、作戦はこうだったわ。ロルストイ先生の行動パターンを綿密に調べて、先生が奥さんと揃って出かける日を突き止める」
 頷くレン。
「で、みんなミノーが使えたから周囲の誰かに見つかる事もなく先生の家に忍び込む」
「カギはどうするんだよ?」
「魔法圧錠?そんなの先生の自宅まえでミノー使って待ち伏せして実際に見て解読よ」
「でも気配までは消せなかっただろ」
「まあ、見つかったって何とでも言い訳できるわよ。まあ聞いて」
 言葉を濁すロデルを不思議に思いましたが話を進めるためにレンは追及はしませんでした。
「はいはい」
「それで仲間内で歳のわりに色気むんむんナンバーワンのマミーシャに」
「ああ、あの・・・」
 レンは胸のでかいマミーシャの事を思い出します。
「そ、マミに厚化粧で化けさせ、露出度満点の服装でベッドに寝そべらせて先生の帰宅を待つ」
 なるほど。レンはだいたい分かったようです。
「帰宅した奥さんは着替える為に寝室へ行って寝たふりしてるマミを見て驚く!そうすると先生がやってくるでしょ?」
「先生の名前を叫んで『今日は奥さんいないって言ったじゃない!』ってか?」
「よくわかったわね」
 わからいでか。レンはそういう顔をします。
「そして泣いてるふりをしながら先生の家から逃走。残された夫婦は言い争いを始める。ザマーミロよ」
「大成功じゃないか」
 ロデルはため息をついて首を振りました。
「言ったでしょ。作戦はこうだったって」
「あ」
 つまり作戦は立てたが、うまくいかなかったという事です。
「どこで失敗したんだよ」
「バカ女どもが知り合いにベラベラしゃべっちゃったのよ。ロルストイに泣かされてる私が知らない生徒が友達っていう仲間もいて・・・」
「敵討ちしてやるって?」
「そう。皆がこう思ってた。『私の友達に話すぐらいなら平気だろう』って。首謀者4人中何人がそう考えてたって思う?」
 レンはほんの少しだけ考えて言いました。
「お前を除いた3人?」
「ブブー!・・・・4人よ」
 一瞬の間が開いた後、レンはゲラゲラと笑い出しました。全員。
「笑ってなさいよ。あー自分に腹が立つ!」
 笑い声のままレンが言います。
「自爆かよっ」
「おかしいと思ったのよね。魔法圧錠を覗くためにかなり接近してミノーしてたのに見つからなかったのは・・・そう言う事かって後で気が付いたわ・・・」
「あははは。で?どの段階でバレたんだよ」
「最悪よ。皆が先生の家に忍び込んで、準備万端整えてマミだけ残して外へ出ようって時」
「現行犯で一網打尽だな」
 悲しそうに頷きますが、そのすぐ後にロデルは少しまじめな顔をして言いました。
「でもね。失敗したのはみんながしゃべっちゃったことじゃないと思うわ」
「ええ?言い訳か?」
「そうじゃない!」
「だってそれが原因じゃないか」
「直接の原因はたしかにそれよ。でも本当の原因は、先生の行動パターンを掴むのに時間がかかりすぎたって事」
「え?」
「さっき言ったでしょ?ワルダクミは計画から実行までの時間が短いほど成功率が上がるって」
 レンは笑うのをやめて体勢を元に戻します。
「先生の行動パターンを突き止めるのに”平等に”交代でやろうって決めたのが時間が思ったよりかかった原因よ。当番じゃなかった3人はその間する事がないからイライラしたりドキドキしたり、とにかく落ち着かなくてついついその気持ちを紛らわすためにしゃべっちゃったってわけ」
「じゃあその時間がなければ・・・」
「うまく言ってたかもね。でも魔法圧錠を探る時に見つかってたら結局警戒されていただろうし、そもそも”平等”っていうアホな考えを持ったことも・・・まあ何にしても失敗の原因は至る所にあったのよ」
「ククク・・・」
 後で考えれば失敗の原因となることがボロボロと出てくることはよくある事です。
「あんた笑ってるけどさ。いい?私が言いたかったのは、王妃様が亡くなられてもう1ヶ月以上たってるってのに、不穏な噂ひとつ無いって事は、陰謀は考えにくいってことよ」
「でもそんな女子学生のワルダクミと同列には考えられんよ」
「そう?じゃあ聞くけど」
 グッと覗き込むように自分を見てくるロデルに一瞬ドキッとするレン。
「国家転覆を画策して実行するのに必要な人数ってどれぐらい?ひとり?ふたり?10人ぐらいかしら?」
「バカな!いくらなんだって・・・・」
 レンはハッとしました。
「例えるならあたしがしたワルダクミもあたしひとりだったら成功率はぐんと上がってたって確信を持てる。4人だって予想外の事をしでかすんだから、謀反みたいな大規模なワルダクミに何百人もかかわっていたら情報が洩れる確率なんて言うまでもないでしょ?」


 どのくらい記憶を辿っていたのか、レンが我に返ったのはずいぶん経ってからのようです。
「レン。・・・・スール曹長!」
「わ!・・・あ、出たのか」
「なによボウっとして。また祖国存亡論に酔ってたの?」
「いや・・・」
 とりあえず風呂に入って体も気持ちもすっきりさせよう。そう考えたレンは風呂へを向かいました。
「背中流したげようか?」
「けっこうびゃす」
 噛んだ。ロデルの女らしからぬ笑い声が誰もいない廊下に響き渡りました。





◆◇◆◇◆ 味方 ◆◇◆◇◆


「なんだと?!」
「カ、カフラー委員長が、と、突然いらっしゃって、エノレイル殿を・・・」
「黙って行かせたのか!」
「も・・・申し訳ありません!あまりにも・・・」
「馬鹿者!貴様何のための近衛だ!」
 モルドの一喝に兵士は亀のように首を縮めました。
 とにかく詳しい話を聞こうとモルドは国王執務室へと向かうと、既にそこにはライジェンから話を聞いているカーヌ=アーとエデリカの姿がありました。ローデンを迎えに来て事態を知ったのです。
「モルド大佐・・・お父さんが・・・」
 不安そうな表情のエデリカを一度見たモルドはすぐにライジェンに近寄り言いました。
「侯爵様。何があったのかお聞かせ願いますか」
 ライジェンから話を聞いたモルドは激昂しました。
「王妃様殺害の容疑?!カフラーめ!いい加減なことを!」
「後見人殿は自らの意思でカフラー委員長の同行に応じたのだ。前陛下と王妃様を救えなかったことを悔いておられた。そしてその死因をハッキリさせたいとも言っておった・・・だが全く腑に落ちん」
「お父さんが王妃様を殺すなんて嘘よ!なんなの・・・ねぇカーヌ!なんなのよ反国家審問委員会って!」
 カーヌはエデリカの肩に手を置きました。「エデリカさん落ち着いて。あなたのお父上は医者としての矜持を全うしようとしているのです。まずはそれをわかってあげましょう。ですが、いささか軽率ではありましたね・・・」思案顔で口に手を置きます。
 医師としてあることを自分にも周囲にも常に意識していた父の事であれば、ライジェンから聞いたこともカーヌの言うことは尤もだとエデリカも納得はできました。しかし心の中は不安でいっぱいです。
「反国家審問委員会というのは反国家的思想、またはそれを疑われる集会や組織の発生を早期に発見、壊滅を目的として設立されたんですが、その性質上あらゆる機関を監視していて、問題ありと判断すれば国王陛下信任の下に独自に断を下すことの出来る特務機関です。しかし・・・・」
 カーヌの説明を聞いてエデリカは驚きました。
「国王陛下信任って・・・・じゃあアレスが命令したって言うの?!」
 カーヌは首を振ると直後にモルドが言い放ちました。
「そうじゃない。既得権だから陛下に許可を求めたり報告するのは後でも構わないという事だ。陛下がローデンを逮捕しろなどと言うはずがない。・・・やつめ、何を根拠にローデンを疑っているのか・・・」
「その通りです。これはどう考えても濡れ衣でしょう」
 モルドに同意したカーヌの表情が思案するふうだったのをモルドは見逃しませんでした。
「アー様。何か心当たりがあるのですか?」
 考えるように顎に軽く握った拳をあてたカーヌは鼻から息を吐きだしながら短く唸りました。
「実は以前ツェーデル院長が、国家審問委員会が陛下の死について独自に動いている・・・という話を耳にしたといっていたのです」
 モルドは以前ツェーデルがそのようなことを言っていたのを思い出しました。
「そういえば・・・」
「しかしこれまで何の動きもなかったので、ただの噂だと思っていたのですが・・・。でもどうして今頃になって・・・」
「アー殿」
「なんでしょう公爵閣下」
「その情報の出処はお分かりかな?」
「ツェーデル院長からは聞いていませんが、おそらく諜報部からだと」
「マリウス長官か。わかった。私はこれからマリウス殿に話を聞いてくる」
「待ってください侯爵様。ここで大騒ぎしては・・・」
 老人のわりに足が軽いライジェンをカーヌは少し慌てて引き止めました。しかしライジェンは頑とした口調です。
「私が忠誠を誓ったのは国王陛下にであってカフラーなどにではない。こんな暴挙は決して許されんということを思い知らせなければならん。失礼する」
「閣下!」
 カーヌの制止も聞かずライジェンはノシノシと部屋を出ていってしまいました。
「アー様。私はこれから反国家審問委員に行って面会を申し入れてみます」
 今度はモルドが険しい顔つきです。
「大佐・・・。しかしあのカフラー様が易易(やすやす)と面会を許可するとは思えませんが・・・」
「やってみなければわかりません。ローデンは後見人です。そして私には近衛としてローデンを守る義務があります。それを放棄することは決してないことをまずはカフラーにわからせなければなりません」
「私も行く!」
「エデリカさん・・・」
 この勢いを止められない。カーヌはそう考え、近くにいた近衛にツェーデルに知らせるようにと命じ、モルドの後に続きます。



 王城の階層は10階層ありますが、その6階層の半分ほどを使って反国家審問委員会が設置されていました。3階層目にある国王執務室からモルドを含めた数人が各々様々な思いを胸に階段をあがってゆきます。
 反国家審問委員会と書かれた看板のようなものが扉の上の方に掲げられ、あけ放たれた扉の両脇には門番のように委員会の構成員が二人立っていました。その二人がまるで凶暴な牡牛が突進でもしてくるのを見るかのように顔を引きつらせました。
 事実肩を怒らせた大きな体を通路一杯に腕を広げるようにやってくるモルドの姿はまさに猛牛です。
「こ、困りますモルド大佐!ここは許可なしでお通しするわけには・・・」
「カフラー委員長に用があるのだ。貴様では話にならん。どけ」
 引き止める男をモルドは顔で威圧します。
「モルド大佐どうかここは・・・」
「どけと言っているのが聞こえんのか!!」
 あまりの大きな怒号にふたりの男はおびえるように後ずさりします。カーヌが宥(なだ)めようとするとそこへカフラーがやってきました。モルドについてきたエデリカたちもハッとしてカフラーを凝視します。
「何の騒ぎかと来てみれば。モルド大佐。規律を重んじるあなたらしくも無いな」
 モルドは険しい表情のままカフラーに射抜くような視線を向けました。
「貴殿に会いに来た。主義を曲げてきたことを知っているなら、何用で来たかもお分かりのはずだな?」
 カフラーは表情を変えずに静かにひとつ息を吐きました。
「面会させろというのだろう?・・・あなたはエノレイル殿とは懇意な仲だ・・・」
「それがどうした」
「この行動はあなたの経歴に傷をつける事になると思うが?鋼鉄のモルドの名が泣くぞ?」
「・・・貴殿にも考えがあるのだろうから、それを尊重した上で言わせてもらう」
 モルドは呼吸を整えるようにハッと息を吐きだしました。
「王妃殿下に任命された言わば王権代行者、即ち後見人は我々近衛の護衛下にある。面会させないというのなら、私の権限で王城にいる全近衛兵で後見人を保護の目的で奪取させてもらう。それが不服ならまずは後見人と面会をさせろ」
 暫く二人のにらみ合いが続き、衛兵達がハラハラとした顔で彼らを交互に見ています。最初に口を開いたのはカフラーでした。
「まあいいだろう。あなたの押しの強さは昔からかわっていないな。大佐」
「どうとでも言うがいい。私は私の信念の元に動くだけのことだ」
 果たしてモルドのゴリ押しで面会を許された面々は衛兵に案内されてローデンの軟禁されている部屋へと入ってゆきました。


「お父さん!」
「エデリカ!?モルド、アー様まで・・・」
 ローデンは椅子から立ち上がりながら驚いた表情をします。
「何かされた?!」
 近づき父親の腕を取ったエデリカは心配そうにローデンの顔を見上げました。
「何もされちゃいないさ。ご覧のとおり待遇は悪くないよ」
 部屋には簡素ではあるもののソファにベッド、小さな台所などもあって普通に過ごすには何不自由なさそうです。近くの棚には酒まで並んでいました。
「ただ妙なんだよ」
「妙って?」
「王妃様殺害の疑いをかけられたのだから。すわ取り調べが始まるかと思ったら暫くゆっくりしてろと言われてね」
「カフラーにか?」
 モルドが聞くと。
「ああ」
「でもどうしてこんな事に・・・」
「心配することはないさエデリカ。カフラー委員長も自分の責務を果たしているだけだ。私の身の潔白が証明されれば解放される。そうだろモルド」
 どことなく気楽そうにしているローデンにモルドは呆れたように言いました。
「ローデン。なぜ同行する前に俺に知らせない!軽率すぎるぞ」
「だからこそだよモルド。誰かに知らせたりしたらそれこそ疑いを深くしてしまう。わたしは潔白だ。・・・しかしここへきてからしまったと思ったよ。その潔白を証明する手立てがない」
「ほんとに朴訥(ぼくとつ)な医者だなお前というやつは・・・ったく。自分の立場をまったくわかってない。お前は後見人なんだぞ?」
「そう言うなよ。わたしだって困ってるんだから・・・」ローデンはおどけた感じで肩をすくめました。「さて。どうしたもんかな・・・」
「お前は何もしなくていい。とにかくこうなってしまった以上遅からずお前は反国家審問委員会から尋問されることになるだろう」
「わかってるさ」
「問題はそのあとだ。お前が容疑を全否定すれば裁判が行われる。いつになるかはまだわからんが・・・」
「裁判・・・まいったね・・・」
 手のひらで首の後ろをさすりながらローデンは椅子に腰掛けました。
「ツェーデルも今頃はこの事を聞いているはずだ。とにかくこの馬鹿馬鹿しい嫌疑を晴らすために証拠集めをしなきゃならん。しばらく外に出られんからそのつもりでいろ」
「ほんとかい?まいったなあ」
「まいってるのはこっちだ。これじゃあ王国評議会にも出席できない。大事(おおごと)だぞ」
 頭をかくローデンにカーヌは微笑みます。
「エノレイル先生。何か必要なものがあればお持ちしますよ」
「そうですか?すみません。それじゃあ医学書を何冊か・・・。それと地図が欲しいですね」
「地図?」
「ええ。ライジェン公爵の授業で貴族の所領と生産物品のことを習いましてね。我が国の貴族の所領が載っている詳細図なんてあるとありがたいです。名鑑もあれば・・・」
「あれはお前のための講義じゃないんだぞ?」
「暇つぶしだよ。これでも後見人として恥ずかしくない程度の知識をつけようって気になってるのさ」
 カーヌはわかりましたと言って微笑みます。
「全くのんきなやつだ。・・・ガーラリエル元帥がいてくれると良かったんだが居ない以上仕方ないな」
「ガーラリエル元帥?彼女がどうか?」
「ガーラリエル元帥とお前が懇意にしている事を知れば元老院議員の貴族派連中がこぞってカフラー糾弾に動いてくれるかもしれんからな」
「例の喧嘩千人か」
「喧嘩千人?」
「エデリカも聞いたことぐらいあるだろ?5年前にロマさんが第八師団司令官に任命された時に、女の司令官になどには従えないという一部の兵士たちと喧嘩した事件さ」
 5年前といえばエデリカはまだ11歳でした。
「あ、あの話・・・」
「その時ロマさんが『そんなにわたしが嫌ならお前が司令官になれ!』と怒鳴って一人目を投げ飛ばしたのが喧嘩の始まりだった」
 ローデンは愉しそうにクスクスと笑います。
「そしてあろうことか屈強な兵士千人をやっつけてしまったんだな。それ以来元老院議員の殆どが彼女の勇壮さに惚れ込んでしまったらしくてね。ロマさんのシンパになったらしいよ」
「へええ」
「確かに彼女がここにいてくれたら百人力・・・いや千人力だな」
「ローデン。お前、今の自分の立場をわかってるのか?そんな昔話に花を咲かせている場合じゃないだろう」
 調子に乗りすぎたかとローデンはすまなそうに肩をすくめます。
「いや、すまなかった。そうだったな・・・」
「・・・それにしても、・・・う~ん」
「どうされました?」
「いえ・・・こういった重要人物の裁判ともなると、三人の裁判官は王国評議会の評議員から選出されますから仮に先生が何らかの罪を負っていたとしても・・・」
「カーヌ!お父さんは罪人じゃないわ!」
「エデリカ、落ち着きなさい」
「だって・・・」
「アー様も驚いてるじゃないか。私に罪がないことはここに居る皆が知ってるよ」
 父になだめられてエデリカは落ち着きを取り戻したようにうつむきました。「ごめんカーヌ」非日常の出来事に見舞われ気持ちが乱れているからやむを得ない事だとカーヌも十分わかっていました。
「いいんですよ。あくまでも仮の話です。もし仮に先生に何らかの負い目があったとしても、評議会はもとより陛下だって先生を擁護することは明白です。元老院も先ほどのライジェン公爵様の様子からすれば大勢の議員が先生の擁護派になると考えられます。ましてや冤罪は明白ですから・・・根拠も薄弱で勝ち目のない戦いをカフラー委員長がするとは考えにくいとは思いませんか?」
 カーヌの言葉は誰もが納得のいく内容でした。それだけに皆言いようのない不安に襲われます。
「アー様。なにか裏があるとでも?」
「裏、とは言いませんが・・・なにか引っかかりますね」
 モルドも同感でした。しかしここでそれを議論しているより実際に行動すれば自ずと情報は得られるはずだと思ったのでした。
「明日から各方面に働きかけることになりますから、その時に貴族たちからも話を聞いてゆけばカフラーの真意がわかるかもしれません。カフラー本人に聞いても何も話してくれないでしょうしね」
「私もできる限り協力しますよ大佐」
「助かります。とりあえず私は陛下にこの事を伝えに行ってきます」
「私も行く」
 エデリカがそう言うとモルドは首を振って彼女の同行を拒否しました。「お前はダメだ。ここにいろ」
「どうして?!」
「陛下は既にこのことをご存じだろう。カフラーの部下に知らされてな。だとしたらカフラーの部下は今も陛下のそばを離れていないはずだ。陛下に容疑者の娘を接近させる事はないだろう」
「とすると、エデリカさんがそばにいることは・・・」
「カフラーの部下が承知しない」
「私は陛下付きの侍女よ!」
 その反論にモルドは厳しい目でエデリカを睨んで応えました。
「そうだ。だがそれと同時に容疑者の娘でもある。無茶をすれば裁判の時にローデンに対する元老院議員の心象が悪くなる可能性もある」
「そんな・・・」
「何事にも万全を期す。カフラー委員長の口癖でしたね・・・」とカーヌ。
「ええ。あの男は些細なことでも異様に執着します」
「さっきまで陛下と一緒だったのに・・・なんで?」
 カーヌは小さく何度か頷き、食い下がろうとするエデリカを見ました。
「エデリカさん。歯がゆいでしょうがこれはとても繊細な問題です。一時の感情に流されることなくまずは大佐にお任せしましょう」
 念を押すようにモルドが付け加えて言います。
「それと、あちこち動き回るな。下手に動くと審問委員会(カフラー)にいらぬ口実を与えかねんからな」
「私には何もするなっていうの?!」
「そうだ。おとなしくしていろ」
「そんなのいやよ!わたしはお父さんと約束した!何があってもお父さんを守るって!陛下の事はともかくとしても、何もせずに部屋でじっとなんて絶対にいや!」
「エデリカ・・・」
 自分の娘の剣幕にローデンは思わず情けない表情になります。そしてモルドは冷徹でした。
「ダメだ。父親を救いたければじっとしていろ。足手まといだ」
 悔しそうにうつむき口を引き結んだ顔で握った手を震わせました。目は涙が滲んで潤んでいます。
 その姿を見てカーヌはモルドに言いました。
「大佐。提案ですが・・・カレラさんと一緒ならどうですか?エデリカさんも被害者といっていいのですから、何もするなというのはあまりにも酷ですよ」
 腕組みをして喉を唸らせたモルドはしばらく考えていましたが、「わかりました」渋面のままの顔を上げると。
「カレラには俺から伝えておく。お前はカレラと行動を共にしろ」
 エデリカはパッと表情を明るくしました。
「うん!ありがとう大佐!」
「勘違いするなエデリカ。勝手に動き回られるよりそのほうがいいと判断したからだ。それにいくつか約束してもらうぞ」
「え?」
「わたしはまだお前の上官ではないが上官には敬語を使え。近衛と言っても軍であることには変わりない。部下である近衛兵と行動を共にするなら軍の規律を規範としろ。そしてカレラを上官と思って服従するんだ。反論は許さん。いいな」
 その言葉にカーヌはそっと息を吐き、エデリカは上目遣いでモルドをちらっと見てから顔を伏せて言いました。
「わ・・・わかりました大佐」
 神妙な表情のエデリカをみるローデンの耳に訊きなれた少し高い声が部屋に響き渡りました。
「エノレイル殿!」
「あ。アガレス院長」
 国務院長のバラム=アガレスです。
 アガレスは太った体を揺すりながら顔は終始にこやかにしてどすどすと足音を響かせて部屋を奥へと進みローデンと握手を交わしました。
「皆さんお揃いですな。いやいやいや、まったく大変なことになってしまわれましたな」
 アガレスは小さなハンカチで汗を拭きながら全員をぐるっと見回し、哀れみを籠めた声色でローデンに言いました。
「申し訳ありません国務院長。私が軽率なばっかりに・・・」
「まったくだ」
「いやいやモルド大佐そう仰られますな。これはなにかの間違いでしょう。しかしあの方も何もこんな時期に・・・・」
 アガレスは根拠があって言っているのか、ただ楽観的なのか判然としませんでしたがのんびりとした風体と相まってその言いように僅かながらも勇気づけられる思いでした。
「エノレイル先生。私はいったん戻ります」
「あ、アー様。すみません無理をお願いして」
「大丈夫。とにかく出来る事をしましょう」
「はい」
「アガレス院長。ごゆっくり」
「あ、お気遣いかたじけない」
 カーヌは微笑んで軽く頭を下げてから部屋から去ります。身の上の哀れに囚われてうっかりアガレスを立たせたままでいる事に気づいたローデンは少し慌てたようにソファを勧めました。
「あ・・・とにかくお座りください。なにかお飲み物でも用意しますよ」
「さようですか。すみませんな。ではお言葉に甘えて」
 大きな体をソファに文字通り沈めるとフウっと大きく息を吐きだしてハンカチを取り出し汗を吹き始めます。
「私やるから」
「すまないな頼むよ」
 エデリカに飲み物の用意を頼みローデンはアガレスとの話を始めます。
「実はわたしも困惑しておりましてな。ライジェン侯爵が私のところへ来て明日にでも元老院議会を招集し・・・」顔を近づけて入口の衛兵を伺いつつ声を潜めます。「カフラー殿の横暴を食い止めるようにと私に依頼をされましてな。・・・ご存知のようにライジェン侯爵は現在はもう元老院議員ではないので私に依頼されたのです。断るにも・・・・いやエノレイル殿信じていただきたい。私はあなたの味方です。だがしかし法的にカフラー殿と渡り合うとなれば非常にこちらは分が悪い。だがライジェン侯爵のその勢いたるやなんともいやはや・・・」
「どうぞ」
「おお、すみませんなお嬢さん」
 飲み物を出されると太った手で小さなカップをつまんで一口飲み、やっとひと心地付いたかのように幸せそうに微笑みました。
 ローデンはついさっきカフラーに煮え湯を飲まされたライジェンの口惜しそうな顔を思い出しました。
「そうですか・・・。しかし私は無実です。明日からモルド大佐たちが私のために証拠集めに各機関を回ると言っていたので、・・・ライジェン様にもあまり無茶をされないよう伝えてもらえますか?国務院長」
 ローデンはライジェンに攻撃的な行動を取られればかえってモルドたちの邪魔にはなるまいかと懸念を抱いたのです。その彼の言葉にうんうんと大きく頷くアガレスはまたハンカチで額の汗をぬぐいました。
「さようですな。あの気性の激しいご老体は、いや失礼」アガレスは一度咳払いをしてまた話し始めます。「ライジェン侯爵様は元老院議会でも発言力が非常に強う御座いましてな。なにせ元は王族ですから取り巻きが、つまり王弟派の議員の影響力が大きいのです。・・・とは言え、エノレイル殿。あなたの評判は元老院議会では悪くはないのです。それどころか今は着実に良い方に向かっております」
 それを聞いたローデンは自分の評判が良くなる理由はわからないものの、かなり気持ちが楽になりました。
「ですから、言うまでもありませんがあなたの擁護に回る議員がほとんどだと私は思っているのです。もちろん私も含めて!・・・・ですからここは静観したほうが良いと私も考えておるのですが・・・」アガレスはう~んと唸ってすぐに顔を上げます。「・・・なんとか我々でライジェン様を説得してみましょう」
「ありがとうございます」
 アガレスはニッコリと笑ってカップに口をつけました。
「それにしてもわかりませんなあ。どうしてあなたにこのような嫌疑がかけられたのか・・・」
「先程もモルド大佐に話したのですが、さっぱりです。カフラー様にもなにかお考えがあってと思うのですが、推測することすらできません・・・」
「ふむふむ・・・」
「ところでこうしてお越しになられたのはなにか?」
 アガレスは大げさにハッとして顔を上げました。
「いや。実のところを確認しに参ったのです。国務院は王国評議会の窓口になっておりましてな。元老院にこういったことを報告する義務があるのですよ。なにせ此度の件はあちこちで大騒ぎしておりましてな・・・・・ご迷惑でしたかな?」
「とんでもない。ご心配していただいて嬉しく思います」
 国務院長はまたニッコリとしてソファに沈めたカラダをどっこいしょと引き起こし立ち上がりました。
「とにかくご安心くださいエノレイル殿。私も公私ともに惜しみない協力をお約束しますよ。では皆さん、私はこれにて」
「ありがとうございます国務院長」
 すると頭を下げるローデンの向こう側に見えたベッドを見てアガレスがおやっという顔をしてそこへ歩いてゆきました。そしてひとしきりベッドの状態を見てから困惑の顔で言ったのです。
「これはひどい」
 ベッドの上の寝具を手で叩きながらアガレスは顔を顰(しか)めました。皆が
「は?どうかされましたか?」
「このような寝具ではゆっくりお休みにもなれんでしょう」
 確かに見てみるとあまり上等とは言えない寝具がベッドに乗っかっています。しかしもともと高貴な出ではないローデンには眠ることさえできればどうでも良いことでした。
「私から言ってもう少し良いものを届けさせましょう」
「いやそんな・・・寒く無ければわたしは・・・」
「いやいや。こんなことになって精神的にもまいっていらっしゃるでしょうに、せめて睡眠ぐらいは心地よく過ごさなければ体に障りますぞ。なぁに大丈夫。いくらカフラー様とてそこまで鬼では・・・っと」
 しまったという感じで口に手を当てたアガレスは入口に立っている衛兵を横目でチラッと見てから額の汗を拭うと首を縮こめておどけた笑いを浮かべました。
「あなたは後見人。それを助けるのも我々の務めです。どうかご遠慮なさらず・・・もし何かご入り用のものがあるのならこのアガレスに遠慮なさらずなんでもおっしゃってください」
「お気遣い感謝します国務院長」
「では失礼」
 丁寧に頭を下げるとアガレスは部屋から出てゆきました。
「忙しいだろうに、まめな人だ」
「でも聞いたかモルド。元老院で僕の評判がよくなってるって」
「あまり本気にするな。確かに国務院は元老院の窓口だが、入ってくる情報がいい者だけとは限らん。話半分に受け止めた方がいい」
「厳しいな大佐殿は」
 まさか国務院長が勇気づけてくれるとは思わなかった、とローデンは意外な訪問者にくすぐったいような感覚におそわれ背中がむず痒くなりました。そして元老院までもが自分に味方してくれるならきっと早いうちに釈放されるだろうと楽観的に思い始めたのです。
「いずれにしても私は虜の身か・・・」
「身から出た錆だ。お前がノコノコとカフラーについていかなければこんな面倒なことにはならなかったんだからな」
「わかった、わかったよ。勘弁してくれ。よろしく頼むよ大佐殿」
 突き殺されるかと思うほどに指さされたローデンは両手を盾のようにモルドに向けるとやれやれと肩をすくめて見せました。





◆◇◆◇◆ セルファ兄妹 ◆◇◆◇◆


 カーヌ=アーは彼の仕事場でもある白亜の塔に戻ってローデンに頼まれた書籍などを探して室内の書棚の群れの中を左右にそして上下にと歩き回っていました。
 壁沿いの階段を上がって最上階の書棚の階層にたどり着いたカーヌは目的の書籍があるだろう場所を目指しながら乱れた本の並びがある場所を見つけて独り言をつぶやきます。
「こんなところまで探しに・・・」
 誰かが書籍を探しに来たのか、整頓済みの一角が乱れているのを見てカーヌはため息をつきます。
 白亜の塔は円筒形の建物なので部屋の壁面に沿ってぐるりと書棚が並んでいますが、それが同心円を描く形で三層となっています。書棚から多数の本が抜き去られた場所を困惑の表情で通り過ぎようとしたその時、人の気配を感じてカーヌはハッとして振り返りました。
 果たしてそこにはカーヌが想像もしなかった人物が立っていたのです。
 その人物は、こちらを見てなぜか悲しげな笑顔を浮かべていました。
「マーヤ・・・セルファ・・・」
 カーヌがマーヤと呼んだ人物は耳が長く肌の白い女でした。青い目、しなやかで青みがかった金髪、それはそのままカーヌの特徴でした。セノン族です。
 スラリとした体型に長い髪、終始見せる穏やかな笑顔は誰しもを癒すことができそうなほどでした。
「久しぶりですね。カーヌ=アー」
 驚きに瞬きも口を開くことも出来なかったカーヌは、我に返るように何度か目を瞬き、懐かしさを含ませた口調でもう一度目の前の同族の名前を呼びました。
「マーヤ・・・君は・・・・」そして直ぐに穏やかだった視線を引き締めて「・・・どうやってここへ?」
 マーヤはその口調に少し戸惑いながら応えました。
「不法に入国したことは謝ります。でもどうしてもあなたに会う必要があったの・・・」
 カーヌはそっと息を吐き、二階層目の一番外周の書棚の列の書籍を整頓するためにテーブルが置いてある空間をを示して言いました。
「人に見られると都合が悪いでしょう。さあこちらへ」
 広く取られたその空間は10畳ほどの広さです。その薄暗い空間に入ると同時にカーヌは胸の前で小さな動作で手を左右に振るとすべての発光クリスタルに瞬時に魔力が注ぎこまれます。パッと明るくなった室内には所狭しと積み上げられた本の山がそこらじゅうにありました。
「あなたが好みそうな場所ね。とっても・・・」
「お座りなさい。今何か用意しますから」
 促されたマヤは勧められた椅子に腰をかけて、笑顔のままで頷きそしていとおしむように部屋の中を見回しました。
 しばらくしてカーヌがお盆に載せたカップを持って戻ってきました。ひとつをテーブルに置きます。
「寒かったでしょう。お飲みなさい。今暖炉に火を入れました」
「ありがとう」
 カーヌは自分のカップを持って立ったままそれに口をつけました。マーヤも同じように飲み物を口にします。
「ふふ・・・」
 笑をこぼしたマーヤにカーヌはふと顔を上げて視線を送りました。
「あなたがまだ里にいた頃、いつもそうやって本に囲まれながらお茶を飲んでいたわね・・・その時と同じ味がするわ」
 そのことを思い出したかのようにカーヌは表情を緩ませます。
「よく話をしたわね。里の蔵書室で」
「そうですね。君は室内にこもりがちな私を高原によく連れ出しに来た・・・」
「あれから150年以上経つけれど・・・。でも昨日のことのように思い出せるわ」
 150年。
 マシュラ族では気の遠くなるような月日でもセノン族にとってはそれほど長い時間ではありません。カーヌも記憶の糸を手繰るまでもなく、ついこの前の事を思い出すように目を動かしてから言いました。
「外に出て、触れて感じる事の方が大切な時もある・・・、君の口癖でしたね。そしてそれが本当にそうだと感じることができたのは君のおかげでした」
 二人はしばらく黙ったまま視線を交わし続けました。
 その視線は失ってしまった時を取り戻したいと心から願うような懐かしさやもどかしさ、お互いを慈しみ合う暖かさに溢れていました。それはかつて愛し合った者どうしだけが分かち合う事の出来る沈黙だったのです。
 お互いの脳裏に懐かしい日々が流れ、その流れが終焉を迎えた時に、まるで示し合わせたかのように二人の表情に陰りが見え、マーヤがポツリと言いました。
「私はあなたが里を出ていくと決めた時、どうしていいのかわからなくなった。でもあなたは言ったわ。私たちのためにはこうするしかないって・・・。そしてあなたは私を置いてマシュラ族のもとへ行ってしまった・・・。私はまだその意味がわからないでいる」
「マーヤ・・・」
 マーヤは悲しみを湛えた目をカーヌに向けて静かに言いました。
「私はラコッテ議長の命令でここにきました。でもそんな事どうでもよかった。先年ディエル様が亡くなられた時も私を避けるように帰ってしまったあなたにどうしても・・・会いたかった・・・」
 カーヌは辛そうに目を伏せます。
「カーヌ=アー」
 弾かれたように椅子から立ち上がったマヤはカーヌの胸にすがりつきました。その衝動的行動にカーヌは少し驚きます。
「どうして・・・。なぜ出て行ったの?私たちが子供を作れないとわかったから?」
「マーヤ・・・」
 カーヌはそっと彼女の肩に手を置きます。
「それとも異種族の父祖になりたかったの?ディオモレス=ドルシェのように」
 ドルシェの名を言う時のマーヤの口調には異種族の父祖を蔑む色が見えました。それを言われた時にカーヌはマーヤの肩に置いた手に力を込め、「違う!」珍しく感情的に口調を強めたのです。
 顔をあげたマーヤは目の前のカーヌを驚いたように見つめました。彼の視線は既に自分にはありません。
「カー・・・ヌ?」
 カーヌはマーヤをそっと押しやって自分の体から彼女を離すと、視線を合わさないまま言いました。
「それは違います・・・断じて」
 カーヌ=アーを傷つけることを言ってしまったのかという罪悪感に襲われたマーヤ。胸の前で手で手を包むように持ったまま身じろぎできずにいました。
 カーヌは意を決したような感じで振り返ると言いました。
「里へ帰りなさい。マーヤ。今の私は150年前の私ではありません」
 マーヤは青い瞳を潤ませ、それでもこれ以上はきっとカーヌは何も話してくれないだろうとセノン族らしく諦め、鼻から息を吸い込みながら背筋を伸ばしました。
 その時です。
「!?」
 カーヌが気づくのとほぼ同時にパチンという静電気が弾けるような音がしました。
「フン。やはり油断しないやつだなお前は。アミノーで警戒か、まあ褒めてやる」
 そう言って現れたのはセノン族の男でした。
「だから言っただろうマーヤ」
 カーヌは驚いて突然現れた男とマーヤとを交互に見て、そして。
「フイール=セルファ?」
「この男に会ったとしてもなにも得るものなどない、傷つくだけだと」
「あなたまでどうして・・・」
 カーヌがフイールと呼んだその男は冷ややかな視線をカーヌに向けたまま保管室の中に入ってきました。
「意外か?カーヌ・アー」
 カーヌはそう言われてようやく気が付きました。議会からの使者であるなら、そしてそれが隠密行動を伴うならばマーヤは適任とは言えなかったからです。マーヤは使者が兄と知って一緒ついていきたいと申し出たのだ。カーヌはフイールの敵意にも似た視線を受け止めながらそう考えました。
「ごめんなさいカーヌ。だますつもりはなかったのよ」
「お前が謝る必要などない。この男はお前を捨てて、里をも捨てた男だ」
 フイールはカーヌに鋭く視線を送ると言いました。
「カーヌ・アー。ラコッテ様は、いや、セノン族議長はお前がディエル様から何を聞いたのかを知りたがっている。大長老の今際の言葉を聞いたのはお前だけだからな」
 大長老ホルサ=ディエル。カーヌの脳裏に敬愛する恩師の顔が浮かびます。
 カーヌは無表情のまま手に持っていたカップを近くに置きました。
「個人的な思い出話です。それを聞いてどうしようと・・・」
「嘘をつくなカーヌ=アー。お前は150年前にディエル様の反対を押し切って出て行ったのだ。そのお前が10年前、ディエル様のお亡くなりになる数日前に帰ってきたのが偶然だなどと言っても誰が信じるものか」
「ええ、偶然ではありませんよ。ただ、どうしても会いたいという旨の手紙を出したディエル様があれほど衰弱されていたことには驚きましたが・・・」
 カーヌの表情は冷静でした。
 何もかも見通しているかのような顔でフイールはカーヌに一歩近づきます。
「フン・・・どうかな。・・・お前が里を出て行った理由を誰も知らん。だがディエル様には話した。そして得られた結果をディエル様に伝える為に偶然を装って里に帰ってきた。それともディエル様だけが知っている重要な事を伝える為に、出入りのジェミン族を使ってお前に連絡した・・・」
「ふふ・・・」
「何がおかしい!」
 フイールは拳を握り締めます。
「本気でそう思っているのですかフイール」
「・・・」
「私はねフイール=セルファ。種が滅びに瀕しているというのに里にしがみつくことが嫌になったんですよ。マーヤ。あなたは150年前のあの時、ついてくるかと問いかけた私に無言で拒否の気持ちを表した。それをどうこう言う気はありません。ただそれこそが私とあなたたちを分かつ理由なんです」
「カーヌ・・・」
 悲し気な表情のマーヤ。
「私が里を出た理由は我々の先達たちがしていたのと同じ理由ですよ。あらゆることに対する探求心を満足させるためです。特別な事ではありませんし、特別な理由があったわけでもありません。そしてディエル様と最後のひと時を過ごせたのは精霊の導きだったんでしょう」
 フイールの表情はカーヌを全く信じていないという色で満ちていました。自分を落ち着かせるように静かに一息つくと話始めます。
「お前は生まれた時からディエル様から寵愛を受けて育ってきた。本を好きになったものディエル様の影響だ。違うか?」
「それは認めます。それがなんだというのです?」
「ディエル様はな、お前が出て行ってから150年、事あるごとにお前の名前を言っては連絡があったか、帰ってきたかと誰となく訊いていたんだ」
 知らなかった。カーヌは口を強く結んで視線を下げます。
「ふん。さすがのお前も顔色が変わったな。良心が痛むか?だがもっと変わるぞ。私はなカーヌ。お前とディエル様がアノワを使って会話しているのを近くで見ていたんだ」
 まさか。カーヌはその時のことを瞬時に思い出しアミノーを張って備えていたことを確信しました。
「顔色を変えるだけじゃなく冷や汗でもかくか?・・・なぜアノワを使った?たしかに唇が読めるほどの接近は出来なかったがお前の体の動きは良く見えたよ。あれはとてもじゃないが思い出話に花を咲かせている風ではなかったな」
「・・・・」
「アノワを使った理由は他者に聞かれてはまずい事をお前に伝えたかったからだ」
「アノワには周囲の音を遮断する役割もあります。ご高齢のディエル様に声が届き易くするためにした事です。他意はありませんよ」
 ふうっとフイールは息を吐きだしました。
「何とでも言えるさ。・・・まあいい。本題だ。ラコッテ議長が俺をここへ寄越した理由を教えてやる」
「・・・」
「ディエル様はお亡くなりになる数か月前からなぜか日記を書き始めた」
「日記?」
 カーヌの目に狼狽が窺えました。
「それをラコッテ議長は検閲し精査した」
「そんな個人的なものを・・・」
 プライバシーの侵害にカーヌは心穏やかではいられませんでした。
「誰しも人に言えない秘密があるのです。あなた方はそれをすべて暴露しろというのですか?それはあまりにも横暴です。死者には秘密を守る権利すらないと?」
「お前は勘違いしているぞカーヌ=アー」
「え?」
「日記はな、生前のディエル様本人からラコッテ議長に託されたんだ」
 フイールの思いがけない言葉にカーヌは混乱します。
「日記の受け渡しも大勢がいる前でされた事だから証人も大勢いる。ま、たとえそうでなかったとしても議長権限で検閲する事は出来るのだから、いずれにしてもラコッテ議長は中身を知ることが出来た」
 カーヌはすぐにピンときました。
「ラコッテ様があなたたちをここへ送った理由はその・・・」
「そうだ。だが、日記と言っても過去の記録をしたためた備忘録のようなものだった。日付はその当時の日付でな」
「・・・」
「ラコッテ議長はその備忘録の内容を読み、そしてそこに書かれていた内容に危機感を感じて我々をお前の所へ派遣したということだ」
 しかしすぐ疑問が浮かび上がります。もしもフイールの言っている事が本当ならば、どうしてディエルから日記を受け取って10年もたった今になって使者を派遣したのか、と。この事実をフイールもマーヤも知らないのか、とも。
「危機感?」
「ああ。内容を聞かされて俺も議長と同じ気持ちになったよ」
 カーヌは驚きました。
「あなたは日記の中身を?」
「読んじゃいない。知っているのは議長から聞かされたことだけだ」
 カーヌはハッとしてマーヤを見ます。するとマーヤも頷いて自分も聞いたのだと言いました。
 フイールが話始めた内容にカーヌは驚きを禁じえませんでした。なぜなら、恩師が誰にも話すなと言って聞かせたあの遺言ともいえる今際の言葉がフイールの口からつらつらと流れ出てきたからです。
「簡潔に教えてやろう」
 フイールは事務的な口調でしゃべり始めます。

「ゾム=ゾーナの魔手からスヴェイン王国を守るためにディエル様が魔剣を製造した。その魔剣によってゾムは打ち滅ぼせはしたがスヴェインの王子が死んだ。戦闘終結後にマシュラ族の少年の手によって魔剣は封印されスヴェイン王国に渡った。その後その少年はディエル様と暫く一緒に暮らしていたがディエル様のもとを飛び出して海賊となって死んだ」
 全てを聞き終えたカーヌは愕然とした表情で立ち尽くし、一言もしゃべれませんでした。
「この中で議長が気にしておられるのは魔剣の行方と、少年の死についてだ」
「魔剣の行方・・・。少年の死・・・。そんなことは・・・」
 カーヌはディエルに他言しないでほしいと乞われ、それを受け入れました。当然のことです。敬愛する恩師との約束はカーヌとって決して破る事のない己に課した鉄鎖の誓いだったのですから。
 なのに、話したことのすべてが日記に書かれラコッテに知られるばかりかセルファ兄妹にも、おそらく他の仲間たちにも知られている。ではいったいあの約束は何だったのか。カーヌは記憶を目まぐるしく探し回りましたが見つかったのは、自分はディエルから軽んじられていたのかという絶望に近い感情でした。
 さすがにショックの色を察知したフイールもマーヤもカーヌの様子に気が付きます。
「カーヌ・・・どうしたの?大丈夫?」
 心配そうな顔でカーヌに近づこうとすると、彼らしくない強い口調で「近づかないでください」言ったのです。マーヤはビクッとして立ち止まります。
 フイールはそれを見て少し皮肉な笑顔を見せてから言いました。
「どうしたカーヌ=アー。いや、そうか、そうだな。俺が代わりに答えてやろう」
「兄さん」
 止めようとするマーヤを手で制し、彼の話が始まります。
「アノワを使ったくらいだ。きっとディエル様から話の内容を誰にも言うなとでも言われたんだろう?だからお前はさっき話した内容は思い出話などといってごまかそうとしたんだ。だがその約束は言った時点で既に破られていた。ふふふ・・・確かにショックだよな。どうだ?」
 カーヌは何も答えられません。なぜならフイールの言うとおりなのですから。
「さあ、もういいだろう。言うんだカーヌ=アー。ディエル様から聞いた事を。日記では魔剣の行方はスヴェイン王国で終えているがお前はそれ以上のことを聞いたのだろう?」
 カーヌは片方の肩を壁により掛けると何度か首を振りました。
「嘘を言うな!そして少年の生死だ。名前はジート。確かに調べたら史実では海賊となって最後に海賊らしく処刑されている。少年の生い立ちについて詳しい話を聞いているのだろう?!」
 カーヌはハアッと息を吐きだしながら首を振りました。
「貴様・・・」
 フイールはカーヌの胸ぐらをつかんで責め立てようとしましたが言葉が詰まります。
 目を閉じたカーヌの目から伸びる長いまつ毛を辿って涙が流れ落ちたからです。
「ディエル様・・・私は信頼に値しませんか?・・・」
「兄さんやめて!」
 二人の間にマーヤが割って入ります。
 毒気を抜かれたフイールは手を放して、喉で笑い、そして。
「驚いたな・・・。ほんとに今俺が話したことがすべてか・・・。ははは・・・同情すべきなんだろうなカーヌ。裏切られたものの気持ちがわかったか?」
「もうやめて兄さん!・・・・カーヌ、あなたが泣くなんて・・・」
 カーヌは指先で自分の涙を拭うマーヤの手を取って囁くように嘆きました。
「ディエル様は私を信頼していたのではなかった・・・記録の複製を期したに過ぎなかった・・・」
 自嘲を浮かべながらカーヌは肩を震わせます。
 事実として長命種族であるセノン族は記録を書物にして残すだけでなく、信頼できる人物に記憶させることがよくありました。
「・・・ええ、フイール=セルファ。私は聞いてませんよ・・・魔剣の行方についても、少年についてもあなたが言った以上のことはね。・・・しかし」
 言葉を継ごうとしたカーヌは静かに深呼吸してから姿勢を正します。
「私から訊きたいものですね。・・・魔剣の事はともかくとして、ラコッテ様はなぜマシュラ族の少年の、処刑されて果てた海賊を気にするのです。しかも危機感などと言って」
 フイールは少しためらいましたが、落胆するカーヌを気の毒に思い、話しました。
「ワネイスセノンだ」
「ワネイス?」
「議長はワネイスセノンと言う忌まわしき種族について研究しておいでだ。もちろん議長になってからな」
「何千年も前に滅びた種族の事を?どうして・・・」
 フイールはふんと言うと。
「議長は滅びたとは思っておられない。だから世界で起きた様々な魔法による犯罪や事件の情報を常に確認している。そしてディエル様の日記をを読んだとき思われたのさ。もしも魔剣を封じた少年の力が真実であるなら、ゾム=ゾーナが葬られた要因は一緒に戦っていた少年の父親の助力があったればこそだ。議長はそう言っておられた」
 ハミュ=ラコッテはディエルの魔法力を冷徹に推測したのでした。魔剣の力をじゅうぶんに活用するにはどうしても援護力が必要になります。しかし彼だけではゾム=ゾーナを抑えるほどの援護力を発揮することは不可能と判じたのです。カーヌはそう考えて閉じていた眼を開きます。
「少年の父親がワネイスと?・・・確かにワネイスセノンなら、四元素変換能力で無限に魔法力を魔法使いに供給し続ける事が出来ます・・・しかしマシュラ族でも我々に匹敵する力を持つ者は稀ですが存在します。・・・ましてや100年戦争の頃にあれだけ恐れられていたゾム=ゾーナと互角に戦っていた魔法使いは10人どころではない数が存在したのですよ?ラコッテ様は研究に固執するあまりに見誤っているのではないですか?」
 カーヌは言葉をいったん切ってから更に続けます。
「ワネイスセノンは古文書の上でしか見いだせない種族ですが実在していたのでしょう。だから虐殺が起こった」
 いったん言葉を切って話始めたカーヌの口調に非難の色が立ちます。
「忌まわしい種族?あなたも知らないわけではないでしょうフイール。ワネイスセノンの特殊な能力を奪い合う凄惨な争いが太古の昔にあったことを。あの魔法大戦を・・・。あの争いでワネイスセノンは絶滅した。いやさせられた」カーヌは一瞬躊躇います。「敵に奪われるぐらいならワネイスを殺せ。そんな事が当たり前のように起こり、隠れていたワネイスたちを探し出して最後の一人に至るまで殺したのは我々セノン族とシャイ・・・」
「わかっている!」
 フイールはたまらずカーヌの言葉を止めて言いました。
「今更お前に言われるまでもない。だが事はもっと現実的なのだ。ラコッテ議長はディエル様の日記を見ておそらく少年の父にワネイスセノンを彷彿(ほうふつ)されたのだ。それが事実ならお前だって思うだろうが。危険な存在だと」
 危険なのはむしろ我々の方だという言葉を飲み込んでカーヌは応えました。
「・・・仮に彼らがそうであったにしても900年前の話です。その親子はもうこの世にいません。父親はゾムの魔法から我が子を庇って殺され、少年は海賊となった。海賊は捕まれば一族郎党すべて処刑された時代です・・・だれも生きてはいないでしょう」
「ああ、こちらでもそれは綿密に調べた。確かにお前の言う通りだった。だが100%の確証はない」
 そう言われてカーヌはほんの少し間を置いてから言いました。
「フイール。もしも彼らの子孫が現代まで生き残っていたらどうするのですか?」
「・・・・どうするかは議長がお決めになる事だ」
 カーヌは感情を抑えながら更に訊きました。
「では議長が絶滅せよと命じたら、あなたは従うのですか?」
「!それは・・・」
「900年前から現代に至るまでの間、ワネイスセノンの存在を匂わせる出来事や事件は、私が知る限りありません。その事実こそが、彼らがもうこの世界に存在しない証明、という事でいいじゃないですか。ワネイスの事はこれまでの掟通りにセノンの里で朽ちるまで漏らさなければいい。ワネイスも、ゾム=ゾーナも、あなたが恐れる事などこの世界のどこにもありはしない。そう議長に伝えてもらえませんか」
 フイールは腕を組み、目をカーヌにあわさず暫く黙っていました。そして険しい顔でパッと視線を上げると。
「魔剣についてはどうだカーヌ。魔剣アンフェスバエナの在処は・・・本当に日記以上の事は知らないのか」
「誓って」
 沈痛な表情でカーヌは小さく項垂れるようにうなずきました。
「カーヌ」
 マーヤの呼びかけにカーヌは視線を送ります。
「帰ってきたら?」
「マーヤ!」
 フイールの制止の声の後カーヌは遮るように答えます。
「だってそうでしょう兄さん。カーヌが帰ってくればいろいろな疑問が解けるかもしれない・・・議長様だって・・・」
「いいえ。それは出来ません」
「カーヌ・・・」
「今ノスユナイア王国はとても大切な時です。しかし・・・ディエル様の日記を閲覧できるのなら・・・一度ラコッテ様にお目通りを願うかもしれません」
「本当に?!」
 マーヤの声が明るくなります。カーヌはうっすらと口元を微笑ませて答えました。
「ええ。いつになるか約束はできませんが・・・」
「100年だって待つわ」
 喜びの声で話すマーヤの腕をつかんだフイールは。
「帰るぞマーヤ」
「え?」
「用は済んだ。これ以上の情報をカーヌが持っていないというなら、これ以上の滞在は無意味だ」
 マーヤはカーヌを見、そして兄を見て残念そうな顔で兄に歩み寄りました。
「ふん。まだやっているのか」
 何のことかと顔を上げたカーヌにフイールはテーブルに置いてあった一冊の本を取り上げて一瞥した後にポンとテーブルに投げます。
「失われた種族の言葉の解読か・・・お前は200年前から全く変わってない。答えの出ない学問など空しいだけだとなぜ理解しない」
 カーヌは凛とした目になってきっぱりと言い返しました。
「答えは出ます。私がきっと」
「言霊か・・・・まあ好きにすればいい。俺たちはこれで引き上げる。ラコッテ様にもお前の言葉を伝えてもやろう。だが俺はお前がマーヤにした仕打ちを許す気はない。それだけは覚えておけ」
「フイール=セルファ。あなたも昔から変わっていない。マーヤのことになるとセノン族とは思えないほど感情が露になる」
「なん・・・だと」
「もうやめて!カーヌ、兄さん・・・」
 フイールは妹の制止も聞かずに続けました。
「お前はセノンの歴史には不要な男だ」
「セノン族の歴史?」
 カーヌは悲し気な笑顔で首を振ります。
「今の我々に歴史が何を与えてくれるというのです。歴史とは生きている人間にこそ・・・未来ある人間にこそ必要なものです。滅び行く我々には、なんの価値もないただの文字の羅列に過ぎない」
 フイールが皮肉な笑顔を浮かべます。
「・・・あれほど本が好きで歴史に心奪われていたディエル様の愛弟子(まなでし)の言葉とは思えんなカーヌ・アー」
「真実です」
「だからマシュラの社会に身を投じたというのか?未来の無いセノン族を捨てて」
 カーヌは何も答えません。
「お前はセノン族の恥さらしだ。ディオモレス=ドルシェと何も違いはしない!」
「兄さん!・・・カーヌ!」
 フイールはマーヤの腕をつかんだまま詠唱し、カーヌの目の前からフッと消え去ってしまいました。
 残されたカーヌはゆっくりと立ち上がると、椅子にドサりと腰掛け虚空に視線をさまよわせながら言いました。
「未来の無い者に歴史は無意味だ・・・。未来がなければ・・・だが未来があれば・・・」







 この日の夜。
 食事を一人で摂ったエデリカは居間のソファに体を沈めてアレスのことを考えてきました。
 いつもならば今頃はアレスと話でもしながら過ごしているのに、モルドに止められて自分は一人で悶々としている。
 いまアレスのところへ行けば会えるかもしれない。いつものように過ごせるかもしれない。
 立ち上がりかけたその時、部屋の扉が軽い感じで何度か叩かれました。
「エデリカ。私よ。いる?」
 聞きなれたその声にエデリカはハッとして立ち上がり、待ちかねた客を迎えるような笑顔で扉を開けました。
「カレラさん!」
「大丈夫?大変なことになったわね。大佐に言われてきたの」
 落ち着いた口調のカレラはエデリカにはとても頼もしく思えました。
 大きめの旅行鞄のような荷物を持ったカレラを部屋に招き入れるとエデリカは座りもせず彼女のことを目で追いました。
「カレラさん私・・・」
「今夜は一緒にいろって。・・・いろいろ持ってきたわ。はいこれ」
 カレラは鞄からひと揃いの服を取り出すとエデリカに渡しました。
「これって・・・」
「近衛予備隊の制服。新兵が着用するものなの。私も入隊当時に着てたのよ」カレラはニッコリと微笑みます。「あなたは入隊したわけじゃないから体面的な事だけど、侍女の服装でウロウロするわけにもいかないから私と出かけるときはこれを着てね。寸法はあっているはずだけど合わなそうだったら変えてあげる」
 予備隊の制服を受け取ったエデリカはそれを抱きしめながら言いました。
「大佐はアレスに会ったの?」
「それを報せに来たの」
「会ったのね?」
「うん。大佐が国王陛下の居室に行ったら既にカフラー様の部下のエルウェース次官がいたそうよ。それで次官が言うには・・・先生の娘だからという理由でエデリカは陛下のそばに置けないって」
 少し悲しげな表情でカレラが言うとエデリカは奈落の底に突き落とされたような気持ちになってしまいました。
「陛下もそんなことがあるわけないって、自分が先生を無罪にするって興奮してしまってね。でも大佐がきちんと話したら落ち着かれたそうよ」
 カレラはその時交わされたモルドとアレスの会話を話して聞かせました。


□■□■□■□

「大佐。僕が先生は無実だって言うよ!僕は国王なんだ。僕が言えばカフラー委員長だってわかってくれるでしょう?!」
「それはそうかもしれませんが、エノレイルが後見人であることを良しとしない者は今でも少なからず存在します。だから容疑者であるエノレイルを庇護する陛下の発言は陛下の母上様の死に新たな疑惑を生みかねません」
 だれしも万人から好かれることはない。カルの言葉が浮かびました。それでもアレスは悄悄としていうのです
「そんな・・・」
「お辛いでしょうがそれが現実です。そしてそれらの者たちの行動によっては陛下や王国評議会そのものが立場を悪くする恐れがあります。ですから個人的感情ではなく誰もが納得しうる証拠を集めて疑いを晴らす必要があるのです」
 モルドの危惧していることは、長年にわたる王国統治の実績も確かで国民はもとより貴族たちからの信頼も厚かった前国王であれば、気に入りの軍人や家臣を依怙贔屓したとてそれほど不満が噴出することはなかったのですが、即位したばかりでなんの実績もない幼い国王であるアレスが同じ事をしたとなるとそれはアレス本人ではなくローデンに近しい人物がアレスを誘導して罪を握りつぶそうとしていると疑念を抱かれかねないという事です。
 正当な王位継承者はアレスですから王位は揺ぎありません。しかしだからといって誤解が生まれてしまうような事をしてしまえば、これから始まるであろうアレスの王国統治に与える影響は少なくないのです。


 ノスユナイア王国は絶対君主制です。しかし王国評議会と言う機関が国家の意思を決定する仕組みになっているので絶対王政でありながら議会主義の一面も持ち合わせる政体となっています。国王はこの王国評議会を構成する各機関の長を通じて情報を受け送りし、国家運営を実施しています。
 司法立法行政は国王が頂点である王国評議会によって支配されています。その下部組織に民間の声を拾い上げる為の元老院があります。これは所領を持っている貴族達や市民からの要望などを掬い上げる窓口の他に、国王へ助言をする機関という役割もありました。元老院を構成する議員は貴族と平民が半々ほどで、いくつかの派閥に分かれています。 
 貴族たちは各地方に有する所領を持っていて、自治を義務付けられています。といっても司法組織と警察組織の運営が主なもので治安維持は貴族によって支えられています。
 このように絶対君主制ですが、地方にも権力をある程度分散させて統治しているので、国王の振る舞いは常に貴族たちの注目の的で、それであるからこそ迂闊な事は、王と言えどもなるべく控えた方が賢明なのです。


「陛下がおっしゃるようにエノレイルは無実です。そして私もツェーデル魔法院長もアー様も同じく無実であることを信じています。当然エデリカもそうでしょう。ですがカフラー委員長にはあなたのお父上から与えられた権限が有り、それは未だ有効です。それをあなたの手で取り上げることもできますが、それをしてしまうとエノレイルが陛下にそうさせるように仕向けたと思われかねません」
 人の悪意にほとんど免疫がなかったアレスはどうしてそうなってしまうのかが理解できませんでした。それを察してモルドは言いました。
「失礼ながら政治上のこと故、陛下にはわからないことも多いでしょう。しかしなればこそ私たちを信じて欲しいのです」
「うん」
「まず、エノレイルがどうして疑いをかけられたのか、それを調べることが先決です。陛下にはしばらく不自由をさせて申し訳ありませんが、ここは私たちにお任せ下さい。きっと良い結果を得られる事をお約束します」
「わかった。でも何があったかは報せて欲しい」
「もちろんです。細大漏らさずお伝えします」
 不安をぬぐい去ることはできず、かと言って国王としての権力も使えず。アレスはわかったと口では言ったものの自分の王としての幼さや無力さを痛感せざるを得ませんでした。しかしカルの『自分にできないことは出来るものに任せるのが良い』という言葉を思い出し、モルドの言うようにしようと思ったのです。

□■□■□■□




 話を聞き終えたエデリカは悲しくなり、そして国王であるアレスを差し置いて有りもしない罪で父親を捕縛したカフラー委員長の理不尽さに怒りさえ覚えました。
「どうして・・・どうしてこんなことするの?お父さんが王妃様をどうかするなんてあるわけないのに・・・どうして今頃になって突然こんな・・・」
 涙をにじませるエデリカの憤りはカレラもにも伝わったのかしばらく沈黙が二人の間を漂います。そして沈黙の後にカレラが言った言葉はエデリカの気持ちにさらなる追い討ちをかけました。
「ツェーデル様もあまりのことに驚いてカフラー様に説明を求めに行ったんだけど・・・ちょっと面倒なことになってるの」
「え?」
「サンフェラート公爵様が王城内で黒魔法使用した件で、彼に対する処置を公表せず内々に済ませたでしょう?」
「うん。それが?」
「政治的取引、って言うわけではないんだろうけど・・・、あの時、他国人の国法違反者処置に対してカフラー様が口を出さない事を約束したらしいのだけど、院長があなたのお父さんの件で話を聞きにいったらそれとなくその事を匂わせるようなことを言われて、・・・つまり」
 エデリカはすぐに理解しました。
「あの時黙っていたのだから口を出すなって事なのね?」
 カレラは表情を曇らせただけでした。
「でもそれとこれとは・・・」
「違うけど、ツェーデル院長はここで事を荒立てたらまずいと判断して一旦引き下がったみたい」
「そんな!」
 いきり立つエデリカをなだめるようにカレラは彼女の肩に手を置きました。
「落ち着いて。とにかく座りましょ」
 促されたエデリカは今にも泣きそうな顔になって椅子に腰掛けました。カレラは台所へ行って温かい飲み物を用意し、エデリカに手渡します。
 一口飲むと温かい液体の効能か、気持ちがすうっと落ち着いてゆきました。
「カーヌは冤罪だって言ってたけど、それはわかるの。でもどうしたらそれを証明できるかわからない」
 一体どうしたら良いのか。カップを両手で包み込んで背中を丸めたエデリカの肩を抱いてカレラは言いました。
「ライジェン侯爵様もカフラー様に腹を立てて息巻いていたけど、感情的になっても何も解決しないわ。とにかくこの馬鹿げた濡れ衣を取り払うには正しい情報を集める事よ」
 こくんと頷くエデリカ。
「大佐がもしかするとエノレイル先生は誰かに陥れられたのかもしれないって言ってたわ」
 陥れる。
 背筋に寒いものを感じながらもその悪意がどこから湧くのかはエデリカにも想像できました。
 実際に後見人というものは国王に次いで権力を振るうことができる立場でその権限は絶大で、それを欲しがる人間がいないというのはありえないことです。それがいったい誰でカフラーとどうつながっているのか。これから探らなければならないのはそこでした。
 もちろんそのことはモルドもツェーデルもじゅうぶんわかっていたのです。
「明日は情報部に行って情報集めに行くつもりよ」
 情報部といえばあのマリウスという男が部長を務めているとエデリカは思い出しました。正直に言えばマリウスの喋り方はエデリカにとって馴染めないものでした。語尾に嘲笑を思わせる笑顔を時折浮かべるのが癇に触ったのです。
 しかし自分の気持ちなど後回しです。今は父親のために万難を排してことに当たらなければなりません。そこは我慢しようと心を決めたのです。



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