サクササー

勝瀬右近

文字の大きさ
上 下
27 / 49

第1章 第26話 似たような話

しおりを挟む


 シャアルを振り返ったカルが怪訝な顔をします。
「なんの話だシャアル!いったいどう言う意味だ」
 目だけを動かして左右をいちどずつ見、ゆっくりとカルの方へ歩きながらシャアルは何度か同じことを言いました。
「まずは落ち着けよカル。僕たちははめられかけてるんだぜ?」
「ハメる?誰が」
 カルはシャアルの言葉に冗談めいた響きがない事に気が付きあたりを見回し始めます。
「城壁通路にはいって左。・・・通路に入ってから左へ、か・・・」
 カルはカレラに従ってその方向へと進んだことを思い出します。
「これっておかしいですよね?カレラさん」
 パッと振り返りざまにシャアルがカレラに言うと彼女は鼻から息を吸って、とぼけるように視線をよそへ向けました。
「たしかにこの国の人間じゃない者は右も左もわかりませんけど、僕は右と左ぐらいわかるんです」
 そう言ってニコリとするシャアル。
 カレラとシャアルを除いた3人は頭の上に?マークをいくつか浮かべました。
「やっぱり気がついてないなカル」
「ハッキリ言ってくれないかシャアル。一体何の話だ」
 シャアルは右手をあげ、カルに視線を向けて言いました。
「城壁通路に入って左に向かって行けばミニ達を追うことになる。それは追う側の僕らにとって正しい選択だったけど、逃げているミニたちにとっては間違った選択だったんだ。つまり・・・」思わせぶりに俯いて「これは罠・・・いや何かの策略・・・かな?カレラさん」
 カルはギョッとした眼差しでカレラを見ました。
「策略だって?」
「うん。あの城壁通路に入った時点で左に行けばたしかにミニ達を追うことになる。だけどミニたちにとっては逃げ込む先であるはずの城からは遠ざかる方向になってしまう・・・落ち着いていれば一目瞭然。慌てていたりよほどの方向音痴でなければね」
 シャアルはミニたちに向かって言いました。
「或いは・・・地理に不案内のよそ者が味方を名乗る誰かに左へ行けと言われたら・・・?」
 ミニたちはハッとして自分たちの味方だとおもったあの鍛冶屋の弟子を思い出しました。
 シャアルは続けます。
「ミニたちは追われていたから慌てていて行く道を間違うというのはあり得る。いや、もしかするとミニたちは城へは向かっていなかったのかもしれない。・・・いずれにしても僕らが城壁通路に入った時にはミニたちの姿は見えなかった」
 カルは城壁通路内に入ってミニたちがどっちに行ったのかカレラに尋ねたことを思い出し、ハッとしました。
「だけどカレラさん。あなただって僕たち同様ミニたちの姿は見えなかったはずなのに、迷うことなくミニたちが行った方向を指示しましたよね?」
 カレラは決まりが悪そうにしてシャアルとは視線を合わせずうっすらと笑顔になります。
「僕は、きっとミニなら城内に逃げ込んでこの状況を誤魔化そうとするだろうなと思っていたから、推測としては城の方に逃げた、と考えていた。でもあなたが『こっちです』と言って示したのは城とは反対方向だった」
 シャアルはニコリとしました。
「返答によっては僕も態度を改めなくてはならないけど・・・」シャアルの手のひらにボウっと魔法陣が浮き上がります。
 カレラは視線を上の方へ持って行って、”おぼっちゃまかと思ったけど、そうでもないのね”頭の中でそう思い、小さく嘆息します。
「ポルカとミニ姫があのように戦うことは予定にありませんでしたけど、ね」
「なるほど。鍛冶屋も一枚噛んでいたんですね」シャアルはニコリとしました。「それでいったいこれからどう・・・」
 その時、ミニが壊そうと思っていた扉がゆっくりと開いたのです。これ幸いと扉から中へ行こうとしたミニの前に背の高いセノン族の男が立ちふさがりました。カーヌです。
 カーヌはミニと視線が合うとニコリとし、「危うく吹き飛ばされてしまうところでしたよ姫」
「あ・・・」
 ミニはカーヌの顔を見て言葉を失いました。
「あなた・・・セノン・・・」
「はい。カーヌ=アーと申します。お見知りおきを、姫」
「カーヌ・・・」
 カーヌは頬を赤らめているミニの横をすり抜けると部屋へ進み出、深々とお辞儀をしました。
 シャアルは「あなたは三賢者の・・・」体をそちらへ向けます。
「大変な失礼をどうかお赦し下さい。サンフェラート閣下、カル殿下」
  ノスユナイアの三賢者といえばその能力の高さだけでなく、忠臣として知られています。その彼らがなぜここに?カルもシャアルも戸惑い、よもやお家騒動に巻き込まれるのか、はたまた想像もできない陰謀か、モルドがあっさり外出を認めたのはまさか・・・と思案を巡らせました。
 しかしそんなことはお構いなしに、ミニはなおも逃げようとカーヌの背後に開いた扉にするりと入っていってしまったのです。
「あ!まて!」
 この”待て”にはどちらかといえば妹の身の危険を案ずる兄の思いが込められていました。さっきまでと今では事情が違うと感じたからです。
「殿下。ご安心を」
 手を挙げてカルたちを制止したカーヌの言葉通り、ミニは扉の向こうでため息をついていました。同じような作りの部屋がまたあって、向こうに見える4つの扉はきっと閉まっている。というより開けられない。なぜならその扉のどれもにノスユナイア王国の30人以上の近衛が立ち塞がっていたからです。その中にはモルド大佐もいます。
 さすがに他国の近衛をぶっ飛ばしてまで逃げようとは、ミニも思わなかったようです。
「賢者様・・・。これはいったい・・・」
 カルは何が何だかわかりませんでした。
「本当に申し訳ありません。実はあなたがたにぜひお会いいただきたい方をここへお連れしています。その方はあなた方とお話がしたいとおっしゃいました。その為に私たちは失礼は重々承知の上でこのような方法であなたがたをここへ導いたのです」
 シャアルは少し驚きました。
 誰かとは想像するまでもなく国王だとすぐ察しがつきましたが、どうしてこんな手の込んだことをするのかが判らなかったのです。
「どうかわたくし共のこの願い、聞き入れていただけないでしょうか」
 カルもシャアルと同じ思いでした。我々に会いたい人がいるというなら直接言えばいいではないか。なんでこんな手の込んだことをしてまで、と。

「別室であなた方をお待ちです。お会い頂けますか?」
 カルはシャアルを見て、シャアルもまたカルを見ると手のひらの魔法陣を握りつぶすように消し去り、頷き合いました。
「賢者様。いったい誰と会えと言うのです?」
「私のことはカーヌ=アーとお呼びください。・・・こちらへどうぞ」
 ふむうと息を吐いてカルに同意を求めると、カルは意外とあっさりと言います。
「わかりました。私の持つ疑問を解消するには会うしかないようですね」
「信じるのかいカル」
「シャアル。古今東西セノン族が奸智奸計を以て人をたぶらかしたという話を聞いたことがあるか?」
 カルの言葉を聞いたシャアルが目玉をキョロリと動かして首を傾げました。
「ま・・・ないかな」
 カーヌはカルの褒め言葉に微笑みました。「恐れ入ります殿下」
 二人はカーヌについてミニの逃げた先の扉の向こうへ行き、そこでミニを見つけると。
「ミニ!わかってるな?」
「あらお兄様。偶然ですわね。こんなところで会うなんて」
 サリは呆れた顔でなんてあきらめの悪い人なのだと心で泣きました。
「シラを切っても無駄だ!」
「どうして起こりますの?いやあん怖いカーヌ様ぁ」
 いきなりカーヌの後ろに隠れて弱い女を演じます。
「おい!お前というやつは!アー様に失礼だろ!」
「お兄様が怒る~カーヌ様ぁ」
 サリはハッとしました。
”何この姫の振る舞い。え?・・・まさか甘えてる?”
「まあまてよカル。僕らが会うのはどうやら国王陛下だぞ」
 シャアルがカルにそう耳打ちするとミニへのお仕置きなど吹き飛んでしまいました。
「な?・・・本当か?」
「だから今はこっちに集中しよう。な?」
 カルはドギマギする気持ちを抑えながらミニをひと睨みし、モルドたちに従って別室へと向かいます。それらを見送ったサリは目の前にいたカレラの差し出した手に気がつき、それを取ると立ち上がりました。
「ありがとう・・・。ああ・・・」
 胸に手をあてて目を閉じるサリ。神に感謝を捧げているようです。あまりにも大げさなその振る舞いにカレラはクスリと一笑して言いました。
「どうしたんですグランダ中尉?」
「え、ええ・・・こんなことになってしまって、もうクビだと思って・・・」
「申し訳ありません。誰にも知られてはならないことだったんです」
 そう言われてサリはハッとしました。
「他言無用?」
「ええ。できれば」
「一体どなたが待っているというのですか?」
 耳打ちされて聞いたことにサリは同様と戸惑いを隠しませんでした。「え?・・・え?・・・どうして?」まるで狐につままれたような顔をしています。
「詳しい事情はあちらで」
 カレラに促されてサリは歩き、モルドたちと合流しました。






 カーヌ=アーについていったカルたちは大広間を横切り、正面に四つ並んだ扉のうち一番左の扉を開けて中へと入ってゆきました。
 そこにはツェーデルとローデンが待っていて、カルたちを確認すると立ち上がり、深々とお辞儀し謝罪の言葉を述べると、ツェーデルが手のひらでさらに奥にある扉を示しました。
「あの扉の向こうでお待ちの方は我が国の国王陛下です」
 やはり。
 シャアルはある程度予想していたのかあまり驚かず、それと対象的にカルとミニは少し驚いているようでした。それを見ながらツェーデルは付け加えて話します。
「このような手段であなたがたをここへお連れした理由は、実は国王陛下があなたたちとだけ話をしたいと申されたからなのです」
「我々だけ?」カルはミニとシャアルを一度ずつ見て。「この三人ですか?」
 ツェーデルは瞼で頷き、少し憂いを含んだ顔を上げました。
「陛下になぜ会いたいのがあなた方だけなのかをお尋ねしましたが答えてはいただけませんでした。ただ・・・」
「ただ?」
「私は、トスアレナ教皇国の方々とは会いたくないと言った時の陛下のお顔に嫌悪の色を読み取りました。理由はわかりませんがそのお気持ちは察して差し上げる必要があると判断したのです」
 シャアルはなるほどと思いました。
 国王が弔問に訪れた賓客を差別するのはさすがに具合が良くない。会談ということになれば公平をもって臨まねばならないが、どのような手段を用いてもそのようなことが公になれば口さがない人々の噂の種になる可能性はある。噂で済めばいいが、それを知ったトスアレナ教皇国の弔問客は心穏やかではいられないだろう。だが、誰にも知られなければその心配もない。・・・というわけか。
 シャアルと思いを同じにしたカルはさらにこんなことも思っていました。
 我々と同じようにミンマーという不愉快な男に、この国の国王は嫌悪を感じたのかもしれない、と。
 それでも三賢者が画策して近衛を動員し、様々な人間を使って芝居じみた事をしてまでこんなことをするというのは大袈裟なのではないだろうかとも考えていましたが、その疑問はすぐに解けることになりました。

「皆様ご存知のとおり、国王陛下はこの三ヶ月のあいだにご両親を一度に失われ、そのため心に大きな傷を負ってしまわれました」
 ツェーデルの言葉にカルは表情に痛々しいほどの哀れみを浮かべます。
「ひと月ほど前に王妃様が亡くなられてからというもの陛下は塞ぎ込まれ、誰とも話をしようとしなくなってしまったのです」
 献花式と謁見式の時には台本があったというわけか。シャアルとカルはすぐにそう思い頷きました。
「ですが、つい先日・・・」
 ツェーデルがローデンに視線を送り、それを見たカルたちもローデンを見ます。小さく嘆息してからローデンはツェーデルの話の続きを始めました。
「陛下が誰とも話をしないとツェーデル院長が仰られましたが、いつも傍にいる侍女を通してならやりとりはできていたので、国事にまつわる出来事は全て知っておられるのです。もちろんあなたがたのご来訪のことも」
 侍女。
 この言葉には三人とも怪訝そうな表情を浮かべます。
 ローデンは突っ込みを入れられる前に、さりげなく話を続けました。
「それで、つい先日のことなのですが・・・」
 ローデンはアレスが自分に対して投げかけた質問をそのままカルたちに伝えました。

”自分は何もしていないのに国家運営は滞りがない。国王は必要なのか”

「国王が王国にいるのは当たり前ではありませんの?王国と言うぐらいですもの」
 ミニが至極当然なことを言いましたが、カルはそれを止めました。
「ミニ。お前にはわからない。口出しをするんじゃない」
 ミニは少し肩をすくめただけで口を閉じました。
 カルは心の中で、アレスがどうしてそんな疑問を自分の中に持つようになったのかを考え、すぐに結論しました。
 これは哲学的な帝王学だと。

 14歳で哲学的苦悩に身悶えするなど考えただけでゾッとする。自分が14歳の頃そんなことは考えたこともなかったし、哲学と聞いただけで気持ちがどんよりとした事を思い出しました。
 しかしエミリアの学府で哲学を学んだ今は、アレスの考えていることへの答えが彼の中にはすでに用意されていたのです。
 おそらくここにいる三賢者も同様にその答えを知っているだろうことはすぐにわかりました。だが問題は、この哲学的疑問を持った理由はアレスが心に傷を負い、幼くして国王になってしまったが故、ということなのだ、と。

 シャアルも全く同じ考えでした。
 国王がいなくても国は動かせる。
 この考えが数多の悪意を産み、悲劇を引き起こした要因であることは歴史を紐解くまでもなく、だからこそ国王が国家存続において重要な鍵になるのだという事はシャアルもよく知っていました。

「恥ずかしながら、私にはその答えを陛下に差し上げることはできませんでした。その理由は私が王族ではないからです。実を言えば私はしがない町医者です。平民である私がいくら学問を修(おさ)めても、口から出る言葉は偽物ではないにしても決して本物ではありません」
「我々であっても同じです」
 カーヌが言い添えます。
 カルは内心でそうだろうと思いました。
「どうか・・・陛下に救いの手をいただけないでしょうか」
 深々と頭を下げるローデンを見て、カルもシャアルもこの医者を名乗る後見人が、思った通りの好人物であることを再認識しました。本当に国王の身を案じているが自分ではどうにもできない事に心から苦悩している事を知ったのです。
 ローデンがそう言うと、ツェーデルが言い添えます。
「このような事をあなた方にお願いするのはお門違いでしょうし、迷惑でしょう。ですが敢えてお願いしたいのです」
 カルは何度か小さく頷きました。
「迷惑とは思いません。どのような事情があるにせよ、陛下が会いたいと仰るなら身に余る光栄です」とはいったものの、国王が自分たちとしたい話とはなんだろうと思いました。
 この哲学的疑問に対する答えを欲しているのだろうか。
 とにかく話をしなければ先に進めない。
 停滞が嫌いなカルは考えるより行動が先という人間だったのですぐに扉に向かったのです。

 木製の重厚な扉が音もなく開かれると窓から差し込む陽光が目を眩まし、細めた目がそれに慣れてくると豪奢な調度が設えられた部屋の中央にいる人物を浮かび上がらせました。
 大きな椅子の傍らに立ち姿でいたアレスの表情はカルたちが現れると固く、侍女の陰に一歩入るようなそぶりを見せました。その弱弱しさは150cmに届くかどうかという年齢の割に低い背丈も一役買っているようでした。
「国王陛下」
 カルが思わずそう言い、跪こうと一歩踏み出そうとしたそのとき。
「まあ、なんて可愛らしい!」
 隣にいたミニが笑顔になって口走ります。その直後。パンという小気味の良い音がミニの頭の中に響き、そこにいた全員がそれぞれ驚きの表情になり、そしてミニは一瞬目を白黒させ、頭をカルに叩かれたのだと気づくと涙目になって言いました。
「兄上!?そんなに強く叩いたらバカになってしまいますわ!」
「手遅れだ!この馬鹿者!国王陛下に向かってなんと失礼なことを!」
 カルは2~3歩進み出てアレスの前に片膝をついて平伏し言いました。
「国王陛下。大変失礼しました。愚妹の戯言、平にご容赦ください」
 唖然となっていたアレスもなんと返事をして良いか判らず、口をわずかに開けて喉の奥から「あ、うん」と言葉にならない声を出して頷いただけでした。
 アレスの隣にいたエデリカもアレスと同様でしたが、すぐに気を取り直してアレスに耳打ちしました。
「椅子を勧めなくちゃ・・・」
「あ、そっか・・・」アレスは慌てて言いました。「き・・・来てくれてありがとう。こ、こちらへどうぞ」
 アレスがぎこちない口調で三人を部屋の中の談話スペースに誘(いざな)うと、カルは微笑んでアレスの後に従いました。ミニとシャアルは一度目を合わせてからカルの後ろからついてゆきます。
 到着当初は他国の国王なので踏み込んだ接し方をすることを控えていたカルでしたが、指名されて呼ばれたことを嬉しく思い、どんな話をするのかとこの会談に好意的に臨もうと考えていました。
 政治的に考えれば非常に有意義であり、父や母に対する義理も果たせるという打算も少しありました。
 それに引き換え、深入りするなとカルに釘を刺したシャアルの心の内は、国王との個人的な会見への喜びより、戸惑いが大きかったのです。








■エデリカの奮戦



 エデリカが飲み物を運んでくるまでの間、長椅子にひとりで座ったアレスは一人掛けの椅子にそれぞれ座ったカルたちと向かい合っていましたが、ずっとうつむいたまま。
 三人はローデンやツェーデルが言っていたように心の傷が癒えていないがためと、黙ってその様子を見ながら待っていると、エデリカが手押しの配膳台に飲み物を載せて戻って来ました。
 エデリカが視線のあったアレスに微笑みかけ、アレスも微笑み返し、飲み物がそれぞれの前に置かれてゆきます。
 エデリカがアレスの座ったすぐ横に立ったとき、三人は一瞬不思議に思いました。各国の弔問客と国王が会見する席にマカタチが同席するのはたしかに不自然でしたが、すぐに、ああこのマカタチがあの後見人の言っていた国王と唯一会話ができる・・・、と理解しました。
 カルはこういう席では常に前に一歩出ようという性格だったので、すぐに。
「いただきます」
 と言って飲み物で口を湿らし、そしてカップを置くと。
「先ずは自己紹介を。・・・私はフラミア連邦王国のロネルト=カル=エールです。カル、とお呼びください。以後お見知りおきを」
 続いてミニです。
「わたしはフェルエンヌ=ミニ=エールと申します。趣味は鎧・・・」
「趣味はいい」
「でも兄上・・・」
「お見合いではないのだぞ・・・」
 ふくれ顔を見せたミニでしたが、シャアルがその会話の続きを遮るようにすぐに自己紹介を始めました。
「わたしはニアガ=シャアル=サンフェラートと申します。シャアルとお呼びください。お近づきになれて光栄です国王陛下」
 アレスはそれらを聞き終えて、意を決するような感じで立ち上がると名乗りました。
「ぼ・・・僕は、ルディアン=アレス=テラヌスです」
 立ち上がって自己紹介とはまるで幼年学校のようだと、一瞬目を丸くしたカルとシャアル。ミニはまたカワイイと口走りそうになりましたが、また叩かれては敵わないとハッとして堪えました。
  ちょこんとお辞儀をするアレスにカルたちも浅くお辞儀を返します。
 アレスが座ってから数秒の間があって、「陛下」カルがアレスに言いました。「隣にいる侍女の名前をお聞きしても?」
「あ・・・。あの、この人は・・・エデリカといって僕専従の・・・侍女で・・・」
「陛下」
 カルに喋るのを遮られ、少し驚いた顔をします。
 キョトンとしているアレスにほほ笑みかけ、「当ててみせましょう」カルはいつもの彼らしくなく、少しおどけた感じで人差し指を立ててそう言うと、その指を顎に添えて思案始めました。
 シャアルはその様子をみて微笑みました。
「うん・・・」カルはすべてを見透かしたかのような表情で言いました。「陛下とエデリカさんはご学友だった。どうです?違いましたか?」
 アレスは驚きました。「どうして・・・」わかったのだろうと戸惑いの笑顔を見せます。それを察してカルは言いました。
「簡単な推理です」
「推理・・・?」
「ええ。学友というものはどんな立場になっても同意を求める視線を送り合うものですからね」
 視線を送ってきたカルにシャアルは肩をすくめて微笑みます。
「そうなの・・・?」
「私はそう思っています」間髪いれずに「ええ僕も」シャアルが言うと。
「ありがとうシャアル。君ならそう言ってくれると思ってた」
 苦笑いしてシャアルはアレスに言いました。
「陛下。カルという男はこうやって人を試すんです。王族のくせに狡猾です。いや、王族だからこそかな」
「おいおい」
 シャアルは愉快そうに笑います。
「ほんとの事だろ?」
 このやり取りをアレスは不思議そうな顔をして眺めていました。
 王族であるカルは粗末な服を着ているとは言え、内面からにじみ出る王族の血は隠しようがなく、喋り方や振る舞いなどは誰の目から見ても格の高さが感じられます。
 ミニは黙ってカップに口をつけていましたが、彼女にしてもカル同様に王族の持つ独特の気品は近寄りがたい高貴を思わせます。
 それに対してシャアルはどちらかというと貴族という感じで、明らかに身分が違うのに気軽な感じで王族のカルと会話をしている奇異さがアレスの目には新鮮に映ったのです。
 アレスはシャアルが船乗りであると言うことは知っていました。船乗りだからなのかそれとも何か別の理由があるのか、国主の息子というのがひどく似つかわしくなく思えましたが、自信あふれる表情からは知性をも感じさせ、彼の独特な雰囲気はアレスの興味を大いに引き付けたのです。
「陛下。僕は船乗りでしてね。むくつけき海の荒くれ男たちと付き合うことが多いので、失礼な物言いにはどうかご容赦を」
 アレスにとって年上の青年というのはあまり縁がない存在でした。歳が近いエデリカの他は30歳以上の年長者ばかりで、カルたちと同じような青年は強いてあげればロマや彼女の師団にいるナバやゼン、デルマツィアなどがいましたが彼らの事は知っているだけで懇意に話すことなど全くなかったのです。

 この時アレスの心を固く閉ざしていた扉は大きく開いていました。
 自分の事を知らない人間にならば思いのほか気持ちよく接することが出来るという現象は、例えるなら旅先での感覚と似ています。旅先で自分らしからぬ行動をしてしまったという記憶は誰にでもあることです。
 アレスは旅行に出かけたわけではありませんが、今ある状況は逆に旅先の環境が自分の傍に来たようなものと言えました。この状況が、子供であれば旅先で持って当然の、新しいものや珍しいものに対する好奇心を自然に沸き起こさせたのです。
「あの・・・」
 アレスがおずおずとした感じで口を開きました。この時エデリカは何物にも代えがたいほどに高揚しました。それが隠せなかったのは無理もありません。シャアルもカルもアレスよりエデリカの様子に目を向けてしまったほどです。
「フラミア連邦王国って・・・どんな、ところ?」
「私の国ですか?」
 頷くアレス。少し考えてからカルは手振りを添えて話し始めました。
「フラミア連邦王国はその名のとおり連邦、つまり複数の国の集合体です」
「複数の国?集合・・・」
「ええ。詳しく言うと本国である王国直轄統治領と七つの自治国や属州の共同体です」
 アレスは驚きました。八つの国が混乱も起こさずひとつの国家を形成しているというのは普通に考えても驚嘆に値します。
「すごい・・・」
「そうですね。私もすごいと思います」
「兄上」
 呼ばれてそちらを向いたカルにミニは言いました。
「お話の途中で申し訳ないのですけどわたくし、考えてみたら埃だらけです。しかもちょっと汗の臭いがツンと鼻をつきます。できれば体を拭いて着替えたいのですけど・・・」
 フウっと息を吐くカル。
 あの捕物騒ぎで鍛冶屋の建物にすっ飛ばされたり、裏路地を走ったりすれば埃だらけにもなります。
「このままでは陛下に失礼かと」
「あの」エデリカが察して立ち上がりました。「ちょっと待っててください」
 急いで隣の部屋に通じる扉へ走り、そして誰かに何事かを知らせると間もなくして着替えを持って帰ってきました。
「あの衝立の向こうで着替えられます」
 もしもこの時国王付きの侍従長が傍にいたらきっと頭を抱えていたでしょう。招待した王族に対して着替えを渡すから自分で着替えてくれなどとは侍女なら決して言いません。
 案の定ミニは少しあきれ顔になっていました。ところがシャアルは笑い出したのです。
「いいね!エデリカさん!」
 愉快そうに笑って指を立ててウィンクし、その様子に何ががなんだかわからないといった感じで戸惑うエデリカにシャアルは言いました。
「慣れていないんだね?普通はね、着替えを手伝うものなんだよ。君は侍女なんだから」
 エデリカは言葉もなく顔を真赤にしてうつむいてしまいました。
「エデリカ・・・」
 アレスが立ち上がってエデリカに歩み寄ろうとしました。しかしエデリカはすぐに頭を下げて言ったのです。
「ごめんなさい!あの・・・わたし。手伝いますから・・・」
 ミニはすっと立ち上がって言いました。
「できれば体を拭きたいのだけど?」
「え?は・・・はい!」
 エデリカは慌ててまた隣の部屋へ通じるドアをくぐって消え、ミニは変なマカタチね、という顔をして衝立の向こうへ歩きだしました。

 一方隣の部屋では、ローデンとツェーデル、カーヌ、そしてモルドにカレラ、サリの六人が慌ててあちこちの物入れや棚の扉を開け閉めしているエデリカを目で追っていました。
「エデリカ。誰かに来てもらおうか?」
「そうね。慣れている人の方が・・・」
 ローデンやツェーデルがそう言いましたがエデリカは。
「いいの。いいんです。アレスが頑張っているんだもの。わたしもこれぐらいでへこたれてなんていられないわっ。ええっと・・・体を拭くものは」
 アレスとカルたちを会わせるために選んだ場所は王城とは少し離れた位置にある催事専用の建物で、アレスたちがいる部屋は大広間に隣接する談話室、そしてエデリカが今居るのは調理室に通じる配膳室です。
 そうは言ってもかなり広く、来賓の急な召し換えなどでも困らないようにリネン室も併設され、たいていの物は揃えてありました。
 問題はどこに何があるかをエデリカが全く知らなかったことです。焦りと反省がエデリカの頭の中を駆け巡るました。
「エデリカさん。綿の織布(しょくふ)になさい。肌触りがいいから」とカーヌ。
「はい」
 娘の頑張る姿に大丈夫かなとハラハラ顔のローデン。
「あ!お湯を沸かさないと」
「ちょっとまってね」
 カレラがそう言ってヤカンを持って調理室へ行くと水を汲み、そしてあることに気がついてすこし慌てて戻ってきました。
「調理用の発熱クリスタルは今はないみたい。こまったわ」
「カレラさん」
 ツェーデルはヤカンをカレラから受け取ると胴の部分に手をかざしました。魔法陣が現れ水があっという間にお湯になったのです。
「水も持っていってね」
「はいっ」
 エデリカはツェーデルからヤカンを受け取り、水差しと一緒に車のついた配膳台に載せました。
「すごいですねツェーデル院長。湯沸しがお上手だ」
「先生。褒め言葉になっていませんよ」
「あはは。いや、失礼。でも火属性の魔法が使えるなんて意外でした」
 ローデンはそう言って笑いました。
「使えるといってもこの程度です。あら・・・」エデリカが既にその場から消えていたことに気がついてツェーデルはフッとため息をつきます。
「やっぱり一朝一夕というわけには行きませんね。大佐」
 侍女にしたとはいえ、経験がない者にはなかなか務まるものではありません。しかも王族相手となれば配慮せねばならない決まりごとが山ほどあります。
「なあに。きっとやり遂げますよ。エデリカなら。なぁ、モルド」
「そう信じたい」
「信じろよ。私の娘だぞ?」
 モルドは瞼を重たそうにして何度か頷きます。ツェーデルはモルドの顔を見て微笑みました。
「とにかく今は見守るしかありませんね」
「すみません。姫はとてもその・・・わがままで・・・」
 サリが済まなそうに言うと、カレラが。「グランダ中尉。普段が大変そうですね」
「もう慣れました」弱々しく微笑むサリ。「ご迷惑をおかけしなければいいのですけど・・・」
「気になさらないで中尉」
 サリはツェーデルにそう言われて恐縮の体で身を縮こまらせました。
「でも驚きました。一体何事かと思ったら、まさかこんな事になっているなんて・・・」
「あなたには迷惑をかけてしまったかもしれませんね。グランダ中尉」
「いえ、これも国王陛下を思っての事なんですよね・・・。その為に働けたと思えばなんでもありません。本当におかわいそうに・・・」
 沈痛な面持ちでサリが言うと、ツェーデルが。
「国王陛下のため。それは国家のためでもあるのです。このままでは王国が崩壊しかねません。何としても、どんな手を使っても陛下にはこの苦難を乗り越えて頂かねばならないのです」
 家臣たちの努力が実を結んでくれる事を願い、サリはうんうんと何度も頷きました。
「ところで中尉は今おいくつなんです?」
 ローデンが突然サリに質問しました。他の者たちもなぜそんな質問をするのかと不思議そうな顔をしています。ローデンはただ話題を作ろうとして言ったに過ぎなかったのですが。
「え。私ですか?22歳です」
 ローデンはゆっくりと頷きます。「お若いのに中尉なんてすごいですねぇ」
「まさか先生。私と比べてます?」
 少尉であるカレラがツンとした感じで言うと、ローデンは首を振って笑いました。
「い、い、いや、そうじゃなくて。だって中尉といえば軍隊で言えば中隊長と同等だから、大したものだと思ってね」
 たしかにそれはその通りです。
 ところがサリはその言葉に恥ずかしそうに笑みながら応えました。
「いえ。私はその・・・姫に格上げされたので・・・、おまけみたいなものなんです」
「ミニ姫に?」
 頷くサリ。
「ついふた月ほど前のことなんですけど、姫が自分付きの近衛の隊長が・・・といっても部下なんてまだいないんですけど・・・、階級が伍長ではカッコがつかないって」
「おやおや・・・」
 サリは遠くを見る目になって続けました。
「実は私、軍人になる10年前から姫の世話役として王室に出入りしていて、6歳だった姫はそれはそれは愛らしくていらしたんですけど、どこで身につけてしまったのか、おかしなバランス感覚のまま今日に至ってまして」
「というと?」
 ローデンは興味深そうに先を促しました。
「自分の身の回りのものはすべて自分の考えた通りの組み合わせにしないと気が済まないみたいなんです」
「あなたを伍長から中尉に昇進させたのもそれが?」
「そうなんです。それで・・・辞令が出たその時に姫の無茶苦茶ぶりに思わず身分も弁えず諫言を口走ってしまって・・・」
「なんと?」
「結局押し切られてしまったんですけど、その時は・・・、ワガママもいいかげんにしてください。私は中尉になんてなりたくないです。そんなに中尉が良ければ姫がなればいいじゃありませんか・・・って」
 そこにいた一同が思わず笑いをこらえる表情になりました。
「どこかで聞いたような話だなモルド」
「驚いたわ大佐」
 モルドは渋面を作って言うと、みんなは密やかに笑いました。
「私の場合はきちんとした理由があった」
 サリはいったい何の話かとキョロキョロとみんなを見て言いました。
「あの・・・、貴国でもイヤイヤ昇進した方がいるのですか?」
「ええ、まあ実は・・・」
「ローデン」
「いいじゃないか。もう済んだことだし。今は君の判断は正しかったと誰もが認めていることでもあるんだから」
 厳しい顔をした近衛隊長のモルドを一瞬盗み見て、ミニと同じようにわがままを言うような人には見えないと思い、つい興味をそそられたサリ。
 自分と同じ境遇を味わっている人物に親近感を覚えたようです。
「どなたなんですか?」
「この国の師団長の一人で、今は元帥です」と、ツェーデル。
「師団長?・・・元帥?!」
「現在の階級は少将ですけど、その前は中尉でした」と、ローデン。
「中尉から少将!?どうしてそんなことに・・・お気の毒に・・・」
 サリは二回びっくりしました。自分の声に驚いて思わず両手を口にあててしまった程です。
 自分と同じ五階級昇進でしたが、その人物は嫌々でも就任した後に何らかの手柄を立てたから元帥という称号を手にした。つまり抜擢に応えうる能力を持っていた人物ということです。
 そうであるなら、自分とは大違いだとそんな大人物と自分とを比べたことを恥じ、さらにその人物を推挙したモルドの人を見る目に驚きを禁じ得ませんでした。
 おかしなバランス感覚のミニのわがままとは大違いだと、目の前で渋面を作っている大佐の爪の垢を煎じて飲ませたいと本気で思ったようです。
「結局いろいろあったけど、今は押しも押されぬ司令官のひとりです。我が国になくてはならない存在ですよ」
「ローデン。あまり大袈裟に言うな。階級や称号が全てではない」
「そうだな」ローデンは手を挙げて、すまなかったというふうに頭を浅く下げます。「・・・グランダ中尉。あなただっていずれは手柄を立てて名実共の士官になれますとも」
 そうなれればいい。
 しかしミニのわがままに付き合っていたら、降格という憂き目に合う方が先かもと複雑な気持ちで微笑むことしかできませんでした。




第27話へつづく
しおりを挟む

処理中です...