サクササー

勝瀬右近

文字の大きさ
上 下
20 / 49

第1章 第19話 心三態

しおりを挟む
■心象風景

 創世歴3734年1月11日。
 王妃は死にました。
 一夜明けた城下都市は、深い悲しみに包まれていました。しかしその悲しみは先王の時とは少し違っていました。悲しみと同じぐらいの不安を誰もが感じていたのです。

 謀略ではないのか、誰かが謀反を起そうとしているのではないか、有力な貴族たちが明日にも挙兵して王城に迫ってくるのではないか、城下に駐屯している師団のうちの元帥の誰かが今にも剣を振り上げるのではないか。・・・国中がそう考えて集会場や居酒屋で軍隊にいる息子や娘、夫の事を心配し、各地の有力氏族や領主のもとへ領民が押しかけるという事も一度や二度ではありませんでした。
 しかしそんな騒ぎも心配も日を追うごとに沈静化していきました。それというのも、三賢者を擁する王国評議会が機能していて政治も軍事も完全にコントロール下に置かれていることを元老院議員たちが実際に見て推測を交えた現況を逐一自分の所領や領主に報告していたからです。

 しかし情報を得て状況をわかったからと言って不安というものは易々と姿を消してはくれないものです。それでも平静を保っていたのはこれまで平和を保ち続けてきた先王への敬意の表れだったのかもしれません。
 そして何より即位した幼き国王に何とか国を盛り立ててもらいたいと激励の手紙を誰ともなくしたためはじめ、やがてそれは各地から波が押し寄せるように王城へと届き続けたのです。



■■■■■




 国王の居室にいるという事はアレスにとって辛いものでした。
 窓から見える景色は同じでも、振り向けばついこの間まで、そこには父がいて母がいるという当たり前だと思っていた風景が突然切り取られたかのように無くなっているのです。
 振り向いてもそこにそれはもういない。
 その事実を受け止めるなど、今のアレスにはとてもできないことでした。
 アレスは魂が抜けたように立ち尽くして窓の外を眺め、その後ろ姿をすぐそばでエデリカが見つめていました。優しく肩に手をかけます。
「アレス。座ろう・・・ね?」
 何も言わずエデリカに誘われるままにソファへと向かい、力なくストンと腰を下ろします。柔らかい背もたれに体を沈め、放心したように天井を見つめましたが、彼の眼は天井を見ていながら天井を見ているわけではありませんでした。そんなアレスの隣にエデリカは寄り添って座りました。
 しばらくするとアレスはゆっくりとエデリカに視線を移し、そのままじっと見つめました。エデリカも視線を合わせたまま。こんなに長く見つめ合い続けたことはなかったと思うほど二人は見つめ合いました。
 するとアレスは体を捻ってエデリカの肩に腕を伸ばし、そのまま首の後ろに手のひらをあてがうとグイッと引き寄せます。このときエデリカはやっとアレスに感情が戻ってきたのだと喜びました。アレスに引き寄せられるままに上半身を彼に近づけ、目を閉じ、そして唇が触れ合います。
 これまでなんどもそうであったように、このまま時の流れを感じて、しばらくするとまた離れ、見つめ合い、微笑み合う。それがアレスとの口づけです。ところが今回は唇が触れ合う時間が長く、どうしたんだろうとエデリカが思ったその時。
「!」
 アレスの手のひらが自分の乳房を掴んできたことに気がつき、思わず身を引きました。しかしアレスはそれを許さず、更に腕に力を入れてエデリカを引き寄せ乳房を揉みしだいたのです。
「んん!」
 エデリカが少し力を入れて身を引くと難なく体は引き離され、アレスの顔が目の前に現れました。が、その目は何か冷たく、いつもの彼とは全く違った印象だったのです。エデリカはどうしてか体が震えるのを抑えられませんでした。
「アレス?」
「なんで嫌がんの?」
「・・・えっ?」エデリカは自分が知っているアレスとは思えない冷酷な口調にビクっと体をこわばらせます、
「父上は僕に言ったんだ。三賢者も近衛も、軍団の兵士も全て僕の所有物だって。この国のものは全部僕のものだって!」アレスの口から信じられない言葉が放たれました。「だからエデリカだって僕のものなんだ。逆らうなんて許さない!」
「アレ・・・ス?」
「腕をどけてよ」
 胸の前に合わせた震える腕をアレスがつかんで左右に開き、また乳房に手のひらをあてようと腕を伸ばします。それを見たエデリカは自分の服を鷲掴みにするや、思い切り左右に引き割いたのです。エデリカのふたつの膨らみが露になりふるるんと揺れ動きます。アレスはそれを見てびっくりしたのか目を見開き、伸ばした腕を引っ込めることも忘れてエデリカの顔を見ました。自分のいう事を聞いた事に満足感を抱きかけたところで今度は本当に驚き手を引っ込めようとしたのです。エデリカがアレスの手にぎゅっと握らせたのがキラリと光る短刀でした。
 アレスはそれを見て短く息を吸いこんで慄き、身を引こうとしましたがしかし彼女の力はそれを許しませんでした。アレスの手に握らせた短刀の柄を彼の手ごと自らも握って切先を自分の胸にあてがったのです。
 「エ・・・エデリ・・・」
 エデリカは悲しそうな顔で言いました。 
「国王陛下。私は誰かの所有物なんかじゃありません。自分の意志で生きて死ぬ人間です。心臓はここです。誰かの所有物になるぐらいなら、私は死を選びます」
 ゆっくりと短刀の切先がエデリカの肌に近づき、それが彼女の皮膚に届きそうになったとき、アレスは両手でエデリカの手を振りほどこうと必死になってもがきました。しかしエデリカの握力はアレスの力では全く歯が立たなかったのです。短刀の切先がエデリカの胸に浅く刺さって鮮血が赤い筋を引いて肌に線を描いたとき、戦慄したアレスは叫びました。
「やめて・・・だめだ・・・やめてよ・・・エデリカやめて!!やめてぇ!!!」
 叫ぶアレスの目からは涙がボタボタと溢れています。
「もう言わない!もう言わないから!!!・・・だよ・・・やだよ・・・ぅ、ぅあ!わぁぁぁぁぁー!!」
「アレス・・・」
 エデリカは短刀を床に落とすとアレスを抱き寄せて言いました。
「私も嫌。こんなアレスは嫌・・・」
 ブルブルと震えるアレスはエデリカを見上げてひゅうっと息を吸いこみ「ごめんよ・・・ごめんよ・・・・うううううー」目から涙をあふれさせ泣き叫んだのでした。
 愛する人をギュッと抱きしめてエデリカは言います。
「・・・アレス。ずっと一緒にいるから。私はずっと一緒だから・・・私の知らないアレスにならないで」

 エデリカは勿論、アレスはなぜ自分自身がそんな行動をしたのかなぜこんなことをしたのか全く理解できていませんでした。ただ突如としてそうしたいという気持ちだけがムクムクと頭をもたげて、虚ろだった心の中をあっという間に占領してしまったのです。アレス自身歯止めが効きませんでしたし、止めるつもりなど無かったのです。
 アレスの精神状態は破綻寸前にまで達していたのでしょう。彼の行動、そして言動は、何もかも思い通りにしたいという純粋な邪悪さを持った欲望でした。心の奥底から湧き出てくる邪悪が求める欲望に身を任せてしまったのです。
 何もかも。
 それはおそらく心のどこかにあった、父と母の死さえも思い通りに、つまりなかったことにしたいという欲望が心の深層にあって、思春期の少年の心に燻(くすぶ)る性的な衝動が引き金となったのかもしれません。

 この日以降。アレスはエデリカにしか心を開かなくなってしまいました。誰かが話しかけてもアレスに耳打ちされたエデリカが返事をするということが常態化してしまったのです。
 このことが問題視されなかったのは、両親の死に気を落としているであろう少年に気を遣い、あまり深く関わろうとしなかったことが皮肉にも幸いしてしまったのです。
 しかし、ローデンだけは違いました。





■予期せぬ発言



 レアン共和国の駐屯軍に訃報を届ける為に再び決死のレノア越えの伝令が派遣され、彼の地でロマが身動きできない事に堪えていた頃、国中が不安と悲しみに暮れたノスユナイア王国では王国評議会会議が開かれていました。
 発足を宣言した王妃がおらず、この事態に鑑みて国王アレスは欠席。言ってみれば最主要の人物を欠いた状態で第一回王国評議会会議は開かれたのです。誰もがその不自然さに心穏やかではいられませんでした。
 しかし、それでも評議会を開かねば国政が立ち行きません。厳しい現状はなにもかも先延ばしにすることは許されなかったのです。
 出席者は後見人のローデン=エノレイル、三賢者、国務院長バラム=アガレス、貴族院長デメトニア=エメス、財務大臣レズン=バターレ、兵站管理大臣ネスレ=ジェフト、反国家審問委員長ボロギット=カフラー、外務大臣エル=ベッケン、情報部隊大佐メルク=マリウス、近衛部隊大佐ロフォカッレ=モルド、以上の12人でした。

「王国評議会の構成員は王妃様が仰った通りで発足し、後見人は王妃様が任命されたエノレイル殿で異論なしということでよろしいですかな?」
「異議なし」
「異議ありません」
 ディオモレスの言葉に全員が頷きます。その中で憔悴しきった表情のまま目をしょぼつかせたのはローデンでした。やはりこのままで行くのか、と。
 もしやすれば後見人の再検討ということにでもなりはしないかと淡い期待を抱いていましたが、仮にここで後見人を降りるなどといったら、今ある混乱を更に深刻な状態にさせてしまうことは明らかで、ローデンとしてもそれは望むところでありませんでした。口を噤んだまま評議会の進行に身を任せるしかなかったのです。

 ディオモレス=ドルシェ公爵が立ち上がり、口を開きます。
「王妃様が召されてしまった以上、我々が父となり、そして母となって国王陛下を導き、お守りしなくてはなりません。そこでこれは我々からの提案なのですが、各々方にご賢断を賜りたい」
 三賢者たちからの提案は以下のようなものでした。
 今まで国王主導で行う国家事業に関しては、やることが決まると元老院に通達し、議会から責任者を選出しことに当たらせるようにしていました。またその逆に元老院からの陳情を受けた国王が承認不承認を決定して、承認されれば、それは元老院に任せるということもありました。
 国王が発案するか元老院が発案するかの違いでしたが、大きな違いは元老院の発案には国王の承認が必要で、国王発案の事業には承認は基本的に不要ということです。但し、三賢者の進言によって考え直されることはありました。
 この部分に着目して三賢者たちが考えたのは、現状維持策でした。
 つまり国王発案の事業なり法案なりを現状のまま維持することで、アレスが成人するまで今あるものを修復、保持、調整するにとどまらせれば無駄な混乱を招くこともないであろうということです。
 但し、元老院発の提案、諸問題及び陳情に対しては王国評議会での綿密かつ慎重な討議、調査、そして勿論国王であるアレスの意見も取り入れて最終結論を国王承認不承認という形にして元老院に返す。そうすることで王妃の願いだったであろう国王アレスが真の国王になるための教育が実現できるという思いから出た提案でした。

「しかし公爵閣下。新しいことをしないというのは経済の停滞につながりませんか?」
 そう言って意見を述べ始めたのは王国財務大臣のレズン=バターレです。バターレは停滞は不景気につながることを危惧したのです。「経済とは金が流れ動くことで活性化します。それが鈍くなれば国力の低下、ひいては国威の低下にもつながる恐れがあります」
「我々もその部分には懸念しています。しかし元老院から発案される事柄に関しては最高決定機関である王国評議会の承認を必要とするという関門があるにせよ、何もしてはいけないとは言っておりません」
「ふむ・・・」
「確かに」次に口を開いたのは兵站管理大臣のジェフトです。「陛下の発案による国家事業はここのところ少ないといってよい状態でしたな。それを思えば経済の停滞は些少ともいえるかも・・・」
「しかしジェフト大臣。国王陛下主導による国家事業は規模が桁外れだ。発注数が少なくても動く人間の数も金の額も他とは違う」
 バターレの言葉にジェフトは唸ります。
「・・・だが喪に服す半年は、少なくともその間は元老院とて経済活性など考えもよらんだろう」
 確かにそうだが・・・。レズンは心の中でそうつぶやき、腕組みしました。その時。「公爵閣下」反国家審問委員長ボロギット=カフラーが口を開いたのです。ディオモレスは視線だけ合わせて無言でカフラーの発言を促しました。カフラーは静かに立ち上がります。
「私は三賢者方々の提案には基本的に同意します。これは反国家審問委員会の総意と思っていただいてかまいませんが、私はこういった問題には門外漢ですが、敢えて」
「続けてください」
 応えてカフラーは続けました。「我が国の貴族たちはもとより国民のほとんどが、現在我が国の現状を正しく捉えているのはまず間違いないと私は考えております」
 それを受けてディオモレスが訊きました。
「それはつまり、国王陛下の国家の舵取りについて、国民のほとんどが不安を感じている、ということですかな?」
「恐れながらそれも・・・と申しておきます。私が第一に言いたいのは」カフラーはぐるりと一同を見まわしました。「我々がこうして絶えず話し合いを続けているであろうことを、元老院が聞き耳を立て、見守り、そしてそんな彼らを通じて情報を得た国民が王国の行く手に暗雲が垂れ込めていることを知っているという事です」
 そこにいたほぼ全員がそれぞれに鼻息を吹いたり頷いたり、または無言で肯定の異を表しました。
「元老院議員たちが具体的に何を国民に齎(もたら)しているかは置くとして、不安を感じている国民にとっては国王陛下からの発案、勅令がないことは逆に安心材料ともなりうるのではないかと思います」
 ディオモレスは一瞬いぶかしげに眉(まゆ)を顰(ひそ)めました。
「カフラー委員長。それはどういう意味でしょう?」
「不安を感じているところへ、陛下のご発案と言う名目で何らかの行事なりが発表された場合、更に不安を助長させる可能性があります。そういう事がないという意味です」
「もう少し具体的におっしゃっていただきたいが・・・」
「解りました」カフラーは咳払いしてから息を一度吐き出しました。「つまり表向きは陛下の発案。実際には見たこともない官僚の発案。先ほども申し上げたように、元老院の議員たちは目ざとい。どんなに策を弄しても偽りは見抜かれてしまい、その内実が国民へと漏れ伝わってしまう。そう言う意味です」
 彼の言いたかった事はそこにいた全員がすぐに理解出来ました。
 国王の発案だという言わば嘘を言って大々的な催しを行い、国威発揚を促しても、元老院によって実情を見抜かれてしまっては逆に民の不信を買うことになる、ということです。
 評議会の積極的で邪な要素の無い裏工作は意味がないという事なのでしょう。
「なるほど。それで?」
「これは反国家審問委員会の立場から見た場合ですが・・・これまでも当然のごとく行われていた記念日や祭日といった催事の執行に関して、例えば一時的な課税の緩和などを行えば規模が拡大し、国民の心情も和らげることができ、経済活動活性化の一助になる。と私は考えます。」
 これは困難である現状をごまかす、そして国民を欺くという意味も含まれていました。モルドは内心で、”カフラーらしい”と苦笑いをしましたが彼の意見には一理あるとも考えました。
 ノスユナイア王国に限った話ではなく、催事は貴族の所領単位で見てみると非常に多く、その規模も様々で毎月1~2回は何かしらの催しがあるものです。そのどれもが土着の神を崇めたり、誰それの誕生記念だったりという反国家思想からはおよそ縁遠いものでした。
「ええっと・・・カフラー委員長」
 今まで聞く側に徹していたメルク=マリウスがとぼけた感じで言いました。カフラーは向かいの席に座っているマリウスに視線を向けただけでしたが、マリウスはそれに構わず話し続けました。
「それは各地方のお祭りを全国に宣伝して認知度を上げようってこと?」
「そう取ってもらっても結構」
「なるほどぉ・・・。でもさ委員長。今は国中が喪に服しているわけだし催しなんて向こう1年はみんな自粛するんじゃないかな?」
 マリウスのいう事もまた正しいと一同は思います。
「ああ、すみませんね。水差しちゃったかな?」
 冗談めかしたマリウスの言葉にカフラーは無反応で応えるのを見たローデンは、この反国家審問委員会と情報長官の二人が催し物を題材にして話しているのを不思議な気持ちで聞いていました。彼らの職務と話題の関連性が想像しにくかったのです。
 ですがあながち無関係でもありませんでした。
 催事は人が集まります。それは当たり前のことで、人が集まるということはそこに情報も金も集まります。そしてそういう場所を隠れ蓑にした不穏分子もが集まりやすいというのは古今東西お馴染みのことなのでした。
 そうなれば彼らの出番、という事です。

 隠密裏、あるいは秘密裏に情報を集める、分析する、調査する、というのは諜報部も反国家審問委員会もたいしてやることに変わりはありません。違うのは諜報部は外務部に属する組織なので国内より国外における活動が主で、反国家審問委員会は国内が主な活動の場という事です。
 しかし反国家審問委員会と諜報部が決定的に違うところは、反国家審問委員会は調査した個人や組織の行状が反国家活動に類する、または疑わしいと判断した場合、国王の名のもとに独断で逮捕、査問、審問などを行えるところです。
 なぜ一組織にこのような独断が許されているのか。それは万が一の事態が起こった場合に初動が遅れて被害が大きくなるのを防ぐためで、果断即行が求められるからです。不穏の目は出来得る限り速やかに小さいうちに摘み取る、というのが特権を持たされる理由でした。とはいえ、当然事後にせよ国王におよび今は無き王下院の新編成組織である国王評議会に報告する義務はあります。
 一方諜報部は軍機関の一部として存在していたので、まず国王や王国評議会から調査依頼が下されてから対象の調査を始めるというのが通常の流れです。そのため行動理由が明確で透明性は保たれていました。調査対象に対しても逮捕は出来ても裁くことは出来ません。
 そして情報活動によって得られた情報は裁判や査問などが行われる折に使用するため、機密として保持しておく、というのが諜報機関の主な仕事です。
 誰しも知られたくないことのひとつやふたつはありますが、そういったことも含めて保持することで、裁判を有利に進めたり、調査対象を断罪するまでもないと判断された時に牽制する材料ともなるのです。

 しかし反国家審問委員会はその特権ゆえに得た情報をどこまで開示、あるいは報告しているかが不透明な組織でした。貴族たちの弱みを握って活動の幅を広げたり超法規的な事を国王のあずかり知らぬところで行っているのではないかと時々噂になりました。
 モルドはこの噂を本気にはしていませんでしたが、カフラーが噂(うわさ)に対して何の申し開きもしない点にわだかまりを感じていました。”後ろ暗いところがないのならハッキリと全て吐き出せ”というのがモルドの性格ですから、まさに水と油。ゆえにこの二人はお互いの距離感に常に気を払っています。
 いずれにしてもこう言った事情から情報の集まりやすい催事の監視は彼らの受け持ちの場となっているため、意見が出たというわけなのです。

 カフラーは自分の意見を次の言葉で締めくくりました。
「無論、催事の奨励はしても我々の活動が緩慢になるということはありません。その辺りはご心配なく」
 その言葉は穏やかでありながら、ドキリとさせられるものでした。いつでも見ているぞという脅迫的な言葉でもあったのですから。
「右に同じ」
 再びマリウスのお道化た口調の言葉がでましたが、カフラーは変わらず無反応です。
「カフラー委員長、マリウス長官、ご意見に感謝します。ではとりあえず経済問題に関しては引き続き検討の余地ありということで機会を設けて再度討論したいと思いますが、現状維持策について賛否をはっきりとさせておきたいのですが、反対の方はいらっしゃいますかな?」
「私は条件付きで賛成します」
と、財務大臣のバターレが手を挙げました。
「条件とは?」
「経済顧問としてもしも必要と感じることがあれば、その都度こちらからの提案を差し上げますが、出来れば前向きに検討していただきたい」
 頷くディオモレスを見てバターレ大臣は続けます。
「道路や公共施設の補修など通常行なっている修復や維持の支出項目は数多くありますから、ある程度の経済活動は保つことができるでしょう。ただ私が心配するのは陛下の威厳に影が差すことです」水を一口飲んで更に続けます。「どこの国に於いても国家事業は王族の権威の象徴といってよいでしょう。つまりそれによって国民が陛下の存在を感ずることができるのです。ともすれば陛下の視察、訪問よりその効果は大きいと私は考えています」
 バターレ大臣の言葉は尤(もっと)もでした。
 国王の一声で決まった事が粛々と進められる。それが建築物であっても、些細な法の変化であっても、国王主導で行われたことであればそこに権威と言う名の足跡が現れ、それを見たり触れたりした国民たちが国王に改めて畏怖や恭順の念を抱くという図式は誰もが想像するに容易い。容易いからこそ効果も大きいのです。
「くどいようですが、いずれにしても思い切った判断も時には必要となることをここにいる方々には分かっていただきたい」
 全員がバターレの言葉に頷くと、ディオモレスは。
「よくわかりました。具体的な計画や時期などがはっきりしたらその都度また評議会で検討いたしましょう。その時は陛下も交えて」
 バターレは言い残しに気づいて声のトーンを一つ上げました。
「それと、新貨幣の発行もすぐに」
「解りました。新貨幣の発行については元老院へ通達しておきたいと思います」貨幣とは一般に流通するものなので、造幣とそのデザインはより国民に近い存在である(と公言している)元老院に一任されていました。
「では次に」
 ディオモレスはテーブルに肘を付き手指を組むと一同をさっと見回しました。
「陛下がご成人され、独力でのご公務遂行が可能となる日までに学んでいただかなければならないことが多くあります。それはやはり何を置いても国家運営。すなわち執政についてだと私は考えるのですが、これについてみなさんのお考えをまずはお聞かせ願いたい」
「執政といってもやることは多岐にわたりますし、臨機応変に対処せねばならない事もあります。一口に学ぶといっても些さか困難と思うが・・・」
「外交、内政・・・、難しいでしょうが、我々が手をお貸しすることで徐々に解決するしかないでしょうな」
「まずは軍隊での金の流れが人の流れと密接である事を実体験していただくというのは?」
「いや、まずは座学でしょう。予備知識があれば理解も早い」
「では教育役を選出する必要がありますな」
「人選は慎重に行いましょう」
「僕らは何もできないねぇ。・・・カフラー委員長」
「・・・・・」
 ジェフト兵站大臣、バターレ財務大臣、アガレス国務大臣、ベッケン外務大臣、エメス法務大臣が次々と口を開いて意見を出し始めます。
 そんな彼らをカーヌは少し寂しそうな目で見、その彼を見ていたのはローデンでした。
 ローデンは政治的なことに対して自分ができることは何もないと思っていましたが、カーヌの表情からその心の内がおそらく自分と同じであろう事を読み取ったのです。自分が言うより三賢者が言った方が効力があると思い、カーヌの言葉を少し待ちましたが、ローデンは我慢できなかったのです。思わず挙手してしまいました。
「あ、あの・・・」自分でも驚いたぐらいだったので、表情がおどおどとしていました。さらに評議会の人々が喋るのをやめて意外な表情でローデンを見たので額にじんわりと汗まで吹き出てきました。
 それでも彼を奮い立たせたのは、自分が医者であるという自覚です。
「すみません。みなさんの話し合いに水を差すつもりはないのですが・・・」
「エノレイル先生。ここは話し合いの場。誰が何を言っても水を差すなどとは思いませんよ」
 ツェーデルが言いました。
「は、はあ・・・」
「そうそう。あなたは後見人なんだから。何言っても平気だよ」とは隣に座っていたマリウスです。
「ご意見があればなんなりと仰ってください。遠慮することはない」
 ジェフトに促されてローデンは覚悟を決めます。
「では・・・」
 彼はひとつ咳払いをしてから話始めました。
「執政について学ぶということでしたが、確かに私のような素人でもそれが大事なことはわかります。ですがみなさん、それよりもっと大切なことをひとつお忘れではないでしょうか」
 そう言われた一同は顔を見合わせたり腕組みをするなどして思案の表情を浮かべます。
 ローデンはゆっくりと言葉を選び出しながら話し始めました。
「陛下は、母親を亡くしました。14歳という年齢は父親は勿論、母親の存在もまだまだ必要な年頃です。それなのにひと時に両親を、いえ・・・大切な人をすべて失ったのです」
 その言葉に誰もが何かに気がついたような表情になりました。
「陛下の心情は推すまでもないでしょう。もしも私が陛下と同じ立場だったら、勉強など手につくものではありません。それどころかなにもする気にもならないでしょう。陛下はいま、精神的にも肉体的にも極度に疲弊していらっしゃいます」
 ローデンの断言に、先ほどまで意見を出し合っていた面々は神妙な顔でうなずくことさえ忘れたようでした。
「ですからまず、なによりも精神面を支えて差し上げることが肝要だと、私は思うのです」
 それは医師として患者の治療が実際の傷の治療だけでなく、心の傷の治療もまた大切であるという観点からの意見でした。
「何をするにしても健全な精神状態でなければ、曲がった理解の仕方をしてしまう恐れもあります。そうなれば何もしない方が良かったとさえ言えます。・・・・私は職業柄、傷を負った兵士を数多く診てきました。その誰もが怪我をしたことで弱気になるのをこの目で見てきました。私よりずっと体格のいい屈強な兵士が、まるで小さな少女のように戦いを恐れるのです」
 その言葉に一番に反応を示したのはモルドで、それをローデンは見逃しませんでした。
「体は健康に戻り、力も出るのに、いざとなると体が動かなくなってしまうのです。・・・・程度にもよりますが体の傷は魔法を使っても使わなくても短期間で自然に癒えます。しかし心の傷はそうはいきません。ずっと時間がかかるものなのです」
 そこにいた全員がローデンの言葉に耳を傾けていました。
「14歳という年齢を考えれば、いや考えるまでもなく、陛下のお心は大きな傷を負っています。きっとその傷が治ることさえ想像できないほどに」ひと呼吸間をおいてローデンはまた口を開きます。「私は後見人である前に医者です。ですから医者として言わなければなりません。まずは心の回復。それをしないうちに陛下に何かを課する事には・・・は、反対です。・・・いくらなんでも負担が大きすぎる」
 しばらく場が静まり返り、各々が自分たちの立場や都合からしか物を言っていなかった事を反省していました。
「ありがとうエノレイル殿。王妃殿下があなたを後見人に据え置いたのは間違いではなかった」ディオモレスが感服の眼差しを伴い言うと、他の評議員たちもそれに続きました。
「確かにエノレイル殿の言われる通りですな。まず陛下を悲しみの淵からお救いしなければ」
「エノレイル殿には何か具体策でも?」
「残念ながら心の傷にはつける薬も、効く魔法もありません。いまは待つしかないのかもしれません」
「待つ。というと?」
「先ほども申し上げたように心の傷の回復には時間がかかります。実際の傷口と違って治ったかどうかを目視で確認することはできませんから状況を具(つぶさ)に観察するのは勿論ですが、心の問題なだけに微妙なさじ加減が必要です。・・・兵士を例に取れば、心の回復には同じ境遇の仲間の助力が有効です。仲間からの励ましや、それに応えようとする前向きな意思が回復に力を貸すでしょう。仲間も頑張っているのだから自分も、と思い始めれば自然と目標ができるものです。そうだよなモルド・・・ああ、いやモルド大佐」
 評議会唯一の軍人でもあるモルドは突然視線を向けられ少し驚いた感じでしたが、それでも居住まいを正して返答しました。
「確かに仲間同士の助け合いが失った自信を取り戻すきっかけになることはあります」
「ふむ。なるほど。しかし助け合いといっても、王となられた陛下と対等に接することができる者などおられましょうか?エノレイル殿」
「それは・・・」さすがにローデンにも思い当たりませんでした。
「いらっしゃいますよ。ジェフト大臣」
 答えに窮しているローデンに助け舟を出したのはツェーデルです。
「それは一体どなたです?ツェーデル院長」
「近く弔問にお見えになられる友好国の方々御一行には皇太子殿下や皇太女殿下が同行していらっしゃることをお忘れですか?」
「そうか」ぴしゃりと自分の頭を叩いたジェフトが笑いました。「他国の王族か。それは良い刺激になるやもですな」
「各国の申し出によれば、年齢の近い方々もいらっしゃるようです」
「フラミア連邦王国からもお見えになる予定でしたな。そういえば」
バターレがそう言うとジェフトが身を乗り出します。
「さてさて、こうなってくると経済問題も一時的にだが解決できそうじゃな」
「おおいに。しかし弔問だけにあまり派手にはできん」
「そこはお手並み拝見。なにせわしはおぬしと違って兵站担当・・・」
「貴賓を裸で過ごさせるつもりかねネスレ。警備の手配との連携なくして私にどうしろと?何もかも金で解決すると思って貰われては困る」
「じゃな。すまん」
 また冗談交じりの掛け合いが始まるかと思いきや、ディオモレスがやんわりと横槍を入れました。
「とりあえず国賓のお迎えは綿密に計画を立てなくてはなりません。諡号の儀式も近々に控えています。その時には陛下のお健やかなお姿を期待したいものです」そう言ってからローデンに視線を送ります。「エノレイル殿。ご進言感謝します。これからも頼みますよ」
「・・・」ほほ笑むディオモレス・ドルシェに複雑な気持ちで浅く頭を下げるローデン。
「では本日の評議会はこれにて閉会としましょう」
 会議が終え皆が席を立つ中、ローデンは躊躇いがちにでしたがモルドの傍に寄って来て言いました。
「モルド、来てくれ」隣の部屋を示すと頷いたモルドが席から立ち上がって彼のあとについて行きます。それを見ていたツェーデルは少し心配な表情で様子を見ていました。
 モルドが部屋のドアを閉めると、振り返りざまにローデンは頭を下げました。「ローデン」突然の事に友人の名を呼んで驚き、厳しい表情のままモルドは戸惑いました。
「すまなかった。君を非難したことを詫びたい」
 モルドには王妃が倒れた時に言った一言に対しての謝辞であることはすぐに分かりました。

”もっと人間らしくしたらどうなんだ”

 口をついて出た言葉とはいえ、きっと彼を深く傷つけてしまったであろうことをローデンは後悔していたのです。
「謝るなローデン。俺は自分の責務を全うしようとしただけだ。だがお前の言葉には反省させられた。確かに言うとおりだよ・・・」
 近衛とはどんな時でも平静さを失ってはならない職業である。まさに鋼の精神力をもっていなくてはとても務まらないだろう。それはローデンもわかってはいたのです。しかしそれは言葉の上での事で、実際の現場でそうあろうとすることは彼の想像を絶していました。だから思ったのです。謝っておかねばと。
「お前の言ったとおり、俺の行動は人としては失格だった」
 モルドはそう言って表情を暗くし、それを見たローデンはフッとひとつ息を吐いて気持ちを整えると、近くにあった椅子に腰掛けました。
「いや、事実はそうかもしれないが、私はさっき偉そうに心の傷どうのとのたまっていながら、君の事を傷つけることを言ってしまったことが恥ずかしい。・・・すまなかった」
 モルドは頭を下げかけたローデンの肩をがっしりと掴み、言いました。
「もうよせローデン。私のことなど気にするな。・・・私はお前が思うほどやわじゃない」
「・・・・」
 目を合わせにくそうにしながらローデンは無理に口角を上げて笑顔を作り、軽く握った拳でモルドの胸あたりをドンと叩きます。モルドもローデンと同じく穏やかな顔で応えました。
「ありがとう」
「過ぎてしまったことだ。悔いるのは後回しだ。今は先のことを優先して考えたほうがいい。お前までまいってしまったら誰が陛下をお救いするのだ」
 その言葉に力ない苦笑いを浮かべるローデン。しばらくの沈黙のあと、モルドは僅かに微笑みながら言いました。
「それにしても驚いたよ」
「え?」
「就任前にはあれほど恐々(きょうきょう)としていたお前が、評議会員全員を目の前にしてあれだけの発言をするとは感激の至りだ」
「そんなんじゃないさ。国王陛下といったって子供なんだ。子を想う親心なんてものは得てして単純なものだよ。それに少しばかり医者の知識が入ったっていうだけで大したことを言ったわけじゃない」
「だが皆、目を覚まされたようだった」
 ローデンは首を左右に振りながら応えました。
「私の言ったことなんてひとりの親に立ち返れば誰にだってすぐ思い至ることさ。自分の子を思う気持ちさえ忘れていなければね」
 ローデンはハッとして言いました。
「やっぱり君は結婚したほうがいいな」
「またその話か」
「君だって私の発言で目を覚ました口なんだろう?モルド。もしも私にエデリカという娘がいなかったらきっとああいう思いが心に湧き上がることは無かったと思う。子があったからこその自然の発露さ。君もそうは思わないか?」
「・・・」
 反論できないモルドにローデンは続けました。「先の事を考えろと言ったよな?じゃあ先の事を考えろ。誰も思い当たる人がいないのなら、見合いでもすればいいじゃないか。難しいことじゃないだろ。君はきっといい父親になる」
「そういう意味で先のことを考えろと言ったんじゃない。その話は別だ」
「別なものか」
「いいや別だ」
 ローデンはため息混じりに呆れ声で言いました。
「なんて頑固な奴なんだ君は」
「もういい。とにかく今は陛下のことが最優先だ。あの方なくして結婚だの何だのは話にもならない。それはお前だってわかっているはずだ」
 確かにそのとおり。
 ローデンは場違いな議論に興奮してしまった自分に恥じるように少し黙ってしばらく窓の外を眺め、そして吐露するように言いました。
「なあモルド」
「うん?」
「私はとても不安なんだ」
「俺も同じだよ」
「いやあ、違うんだ」
「違う?」
「うん。・・・王国評議会など無関係な立場だったら、少なくとも今感じている不安とは違う種類の不安を、私は感じていたはずなんだ」
「・・・」
「ところが現実では、祖国がとても困難な状況にあることをこんなに身近に感じている。嫌でも感じてしまう環境にいる。それが不安を何倍にも膨らませるんだよ」
「・・・」
「最近では自問自答ばかりしている。・・・我が国は大丈夫なのか。この国は私が政治など全く気にしないでいられた頃のようにまたなるのだろうか・・・ってね」
「なる。その為に我々は努力している。祖国の為に、陛下の御為に」
 モルドの言葉に含まれるのは根拠も保証もありません。ただ国家を支える自分への絶対的自信から出た言葉です。それを頼もしいと思うか、思わないかはモルドを知っているか否かによります。いわずもがなローデンにとっては頼もしい言葉でした。そしてそう思う者はすぐそばにもう一人。
「祖国あっての我々。あなたの口癖ね大佐」
 その言葉はいつの間にか開かれたドアのところに立っていた人物から発せられたものでした。
「ツェーデル院長」
「立ち聞きとはいい趣味だなツェーデル」
「男の友情に女が割り込むのはどうかと思って遠慮したのよ」
 和やかな雰囲気です。
「モルド大佐?」
 呼びかけに視線で応えるモルド。
「あなたが言った”我々”という言葉には私も入っているのでしょう?」
「もちろんだ」
 ほほえみ返したツェーデルはローデンに視線を移し、「エノレイル先生」ローデンもまた視線を返すことで応えました。
「今日の発言はとても立派でした。議会に於けるあなたの発言がずっと先の事になると言った前言は撤回せねばなりませんね」
「いやそんな・・・。医者として思ったことを言っただけです」
「思ったことを口に出すことはとても勇気のいることです。大切なことですよ」
 なんと答えてよいかわからなかったローデンは黙ってツェーデルの次の言葉を待ちます。
「あなたと同じく我が国の現状に、大小種類は違えど不安を感じている者は多いでしょう。市井の民ならば不安に慄くことは許されます。しかし国家の中枢にいる我々は不安と困難に立ち向かわなくてはならない」
 無言で聴くローデン。
「そのためには助け合いが必要です。助け合わなければこの時局を乗り越えることは出来ません」
「そうですね・・・。私もそう思います」
 きっと助けられることのほうがはるかに多いのだろうが・・・。ローデンのそんな気持ちを察するかのようにツェーデルは表情を穏やかにして応えました。
「どうか弱気にならないでくださいなエノレイル先生。あなたにとって近衛隊長も三賢者も、いえ王国評議会の全員が志を同じくする仲間ということをお忘れにならないで下さい。・・・あなたが私たちを必要としているように私たちもあなたの助けが必要なのです。たとえ一時期にせよ、この出会いはきっと多くの何かをあなたに、そして私たちに学ばせてくれるはずです」
 天資英邁は三賢者足る所以か、それとも逆か。いずれにしても説き伏せられるとはかくありき、とローデンは同年の女に対して感慨し、口元に微笑を漂わせ目を伏せました。
「ローデン」
「ん?」
「覚悟を決めろ。もう後戻りはできない」
 ローデンはガシガシと頭を手のひらで掻き、ツェーデルとは対象的なモルドの強引な物言いに苦笑いしました。
 ここにいる三人は同じ年齢なのにこうまでも違う。人間とは不思議なものだ。そんな思いが心に去来し、それがなぜだか嬉しく感じられたのです。
「覚悟はしたつもりなんだ。これでも。でも私はモルドや院長とは違う世界で生きてきたから・・・不安の種はきっと尽きないよ。その種が芽を出す度に面倒をかけるかもしれない・・・それでも陛下のために尽力することが許されるなら自分の出来ることをしようと思う」
「結構」ツェーデルが瞼を伏せながら頷き、モルドは表情を緩ませ、ローデンはハアッと息を吐きだします。
「今日は帰って休め。慣れないことをして疲れているだろうしな」
「すまん。すみません院長」
「医者の不養生にはお気をつけあそばして」
「ふふふ。ええ」
 医者とは、ともすれば孤独な戦いを強いられる職業でもあります。それに慣れていたせいか、一人で考え行動することが常で、それが半ば人生観となっていたローデンにとって、仲間という言葉が今日ほど身にしみたことはありませんでした。
 そこへ。
「すみません!ここに父が・・・あ・・・」
 声の方を三人が振り返ると、そこには息を切らせたエデリカがいました。ローデンは何事かと驚いて彼女に近づきます。
「エデリカ。どうしたんだ?」
 エデリカはモルドとツェーデルに浅く頭を下げてから近寄ってきた父親にヒソヒソと話しかけます。
「待ってても出てこないからどうしたのかと思って・・・」
「待つって・・・迎えなんて頼んでないじゃないか」
「一人でウロウロしたら危ないでしょ?」
 その物言いはまるで母親です。
「危ないって・・・なにが?」
 まるで自覚がないと言わんばかりの表情でエデリカは呆れ口調で言いました。
「お父さん後見人なのよ?重要人物じゃない」
「じゅ・・・」
 ローデンはエデリカが自分を守ると言ったことを思い出しました。重要人物であるかどうかはさておき、王国評議会のある重要区域にまでやってくる彼女の行動力にそこにいた三人ともが驚かされたのです。
「エノレイル先生」
 振り返るとツェーデルが微笑んでいます。
「頼もしい護衛ですね。また明日お会いしましょう。ごきげんよう」
「は・・・それじゃ・・・」
 ツェーデルにそう言ってモルドには挨拶替わりに手を挙げます。
「剣はおいてきたのかい?」
「議会場には武器は持って入っちゃいけないんだって」
「そうか。そりゃそうだな・・・」
 去りゆく二人を見送りながらツェーデルはにこやかに言いました。
「良いものね。親子というのは・・・」
「ツェーデル」
「?」
「俺はローデンの見立てを疑っているわけではないんだが・・・」
 表情を突然厳しくしたモルドの様子にツェーデルの表情も自然と引き締まります。
「死因について?」
 頷くモルド。「おそらくローデン自身もだと思うがどうしても納得がいかない」
 フッと息を吐いてからツェーデルは言いました。
「それは私も同感です」
 確かにあの時の状態は病死を示唆してはいましたが、年齢からしても、倒れ方からしても、ツェーデルもモルドも納得し兼ねていたのです。
「でも現実を受け入れなくてはね。・・・きっとロマも、今頃は思い悩んでいるでしょうけど・・・」
 小さく何度か頷くモルドにツェーデルは声を潜めて言いました。
「大佐。・・・王妃殿下の死因と関係があるかどうかは定かではないのですけど、ひとつ気になる情報があります」
「なにか?」
 頭を前に傾けて小さな声で「・・・反国家審問委員会が動いています」言いました。
 モルドはハッとしました。
「カフラーが?」
「確かに王妃殿下の亡くなられ様は私も気になります。でもエノレイル先生の検死では病死であることがほぼ確定しているのに・・・。今日のカフラー委員長は何も言いませんでしたけど、『何か』をしているらしいのです。おそらく私たち同様に彼もきっと王妃様の死に疑問を抱いている・・・」
「反国家的事件・・・。謀殺か」
 モルドは短く唸ると視線を動かして思案顔を作りました。
「情報の出処は?」
「情報部」
「マリウスか・・・だが相手がカフラーだとすると信憑性は・・・」
「どの程度かはわかりません」目を伏せるツェーデル。「ただ、反国家審問委員会名義で国務院に接触があったようです。それに、カフラー委員長の配下がエノレイル先生の周辺はもちろん元老院議員の何人かと接触したらしいということなのですけど、接触された側の議員たちも口が重くて」
 あらぬ噂を立てられたくない。反国家審問委員会から何かを質問されたというだけで派閥組の議員であれば敵対派閥から何を言われるかわからないとなれば口が重くなるのも無理からぬ話だとモルドは納得しました。
「カフラーの職務であればこれは調査に値する出来事だろうが・・・」息を吐きます。「わかった。覚えておく。何か動きがあったらまた報せてくれ」
「ええ。本来はカフラー委員長とも協力し合うべきなのでしょうけど・・・」
「何も応えてはくれんだろうな。そういう男だ。まあ仕方ない。・・・ところでひとつ相談があるんだが」
 不意に話題を変えられたツェーデルが眉を上げました。
「あら。珍しい」
 モルドは少し言いにくそうにします。
「ああ、・・・実はエデリカのことなんだ」
「エデリカさん?」
「ツェーデルの部屋で話せないか?ここは落ち着かん」
 二人は部屋を出て、魔法院の執務室へと向かいました。そこでモルドから聞かされた言葉にツェーデルは驚いたのです。





第20話へつづく
しおりを挟む

処理中です...