サクササー

勝瀬右近

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第1章 第2話 決戦前夜

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■決戦前夜■





 獣人との戦を明日に控えた宿営地では一日かけて準備を整え、それが終えると決戦に備えて、兵士たちが思い思いの方法で体を休めていました。
 宿営地のテントが並ぶ間を上級士官らしき男が歩いていると、とある一角でワイワイと騒ぐ声に気が付きました。騒ぎの中心はどうやらあの人垣の向こうだと知ると、
 またか。
 そんな顔をした男は人ごみをかき分け、騒ぎの中心に向って進みました。すぐに士官であることに気が付いた人垣が徐々に二つに割れていきます。
「おらおらぁ!どうした!カルロ=ゼン旅団の兵士は揃いも揃って腰抜けかあ?!」
 ゼンが人垣の中央で太い角材を担いで大声を上げている男を見てため息をつきます。
「このナバ様に勝ったらここにある金は全部やろうってんだ!どうしたどうしたあああ!」
 ナバの指し示した樽の上には山盛りの銀貨が積まれていました。
「参加料はたったの20テルス!定食2回分ぐらいの掛け金で・・・おっとこれはギャンブルじゃなかったな・・・定食二回分ぐらいの”参加料”を払って俺に勝ちゃあ・・・えーと、今ドンぐらいだレン」
 ナバが自分より少し背の高い痩せた男に問いかけました。
「500テルスってとこですかね」
「500だ500!500テルスが手に入るぞ!どうだ!誰かやってやろうって奴ぁいねぇのか?!臆病者ども!」
「お・・・俺がやります!!」
 そういって名乗りを上げたのは、まだ少年の面影の残る若い兵士でした。挑戦者の登場に歓声が上がり、場の雰囲気が一気に熱くなります。
「おーっと!!新兵か?!」
「新兵ではありません大尉殿!もう20歳です!」
「おおうおう、三年目ってかい!いいねえっ!名前は!?」
「マーチェス!マーチェス=バッハーマン1等兵であります!!」
 マーチェスはそう叫ぶと上着を脱いで上半身裸になりました。隆々とした筋肉が現れると女の兵士が黄色い声を上げ、男たちが挑発の言葉を叫びます。
「よーし!バッハーマン1等兵!この俺を負かす事が出来たらここにある500テルスは全部お前のもんだ!一応ルールを説明してやれレン!」
 レンはマーチェスの前に出ました。
「参加料は払ったな?」
「はい曹長」
「ルールは簡単だ。あの角材の端と端をもって、お互いが反対に回しあう力比べだ。足元に書いてある円から出たり、角材を手から放したら負けだ。わかったか?」
「はいっ」
 レンはやる気満々のマーチェスの興奮が伝染したようににやっと笑いました。
「がんばれよ。フェイントもありだぞ。ひとつアドバイスだ。コーレル大尉殿は小細工が嫌いなんだ。つーか小細工が出来ん」
「そうなんですか?」
「ああ、だから・・・」
「おいおいおいおいレン!変なアドバイスはやめろよな!」
「あはは!。コーレル大尉ともあろうお方でも、やはりハンデはきついですよね。失礼しました。今のは忘れてくれマーチェス」
 笑って言うレンの言葉をナバは慌てるように遮りました。
「ば!ばっっかやろう!ハンデ上等だ!気になんてするか!だが俺は何事も公平が好きってなだけだ。だから・・・」
「だから?」
「ん・・・お・・・俺にもアドバイスしろ!」
「ええ~?大尉にアドバイスしても絶対言う通りにしたためしがないじゃないじゃないですか」
 レンは肩をすくめます。
「まともなアドバイスなら聞くんだよ!ああもういいやめんどくせぇ!おいマーチェス!準備だそっちを持て!」
 ナバは極太の角材をマーチェスに突き出し、マーチェスはその端を両手でぐっと握りました。二人とも腰を落として踏ん張ります。
「用意!!!・・・はじめ!!」
「ふんぬあああ!!」
 レンの掛け声でナバとマーチェスは渾身の力を振り絞って角材をひねりあげました。
「おおおおおおおおおおお!」
 ナバとマーチェスの気合いの声が食いしばる歯の間から漏れ吹き出し、合わせる視線から火花が散らんばかり。周囲から歓声が上がり、二人の男が踏ん張る足元から砂が舞います。
 相手を浮かせれば一気に勝負をつけられますが、お互いそうはさせじと踏ん張り、フェイントの掛け合いが始まると、「引け!!」「いまだひねっちまえ!」「押せ押せ!」「力出せえええ!」と見物している兵士からヤジが飛び始めます。
 その上級士官がやってきたのは、突然二人の体からほぼ同時に光が発せられ始めたときでした。
 霊牙力が発現したのです。
 通常の力だけで勝てると思っていたナバが、マーチェスの思いがけない強さに本気を出したのですが、マーチェスも負けていません。
 しかし。
「馬鹿が・・・霊牙力《れいがりょく》を使ったら勝負にならんだろうに・・・」
 勝負の行く末を見ていた上級士官がため息をつきました。
 その理由はすぐに判明しました。霊牙力が発現して数秒も経たないうちに二人の間で太い角材がメキメキミシミシと音を立てて捩じ切れてしまったのです。
 見物人たちからは憮然の声が上がり、引き分けであることをうかがわせました。
「プフゥゥゥゥ!」 
 捩じ切れた角材を見ながら息を吐いたナバが笑い出しました。
「ははははは!やるな上等兵!」
「1等兵であります大尉殿!!」
 やる気十分の二人がさらに勝負を続けようとしたところで、上級士官から声がかけられました。
「コーレル大尉!そこまでだ!」
「うわ!・・・なんだよ!見てたのかゼン」
「ああ見てたさ。馬鹿騒ぎに気が付いて来てみれば案の定ってやつだ。・・・ったく、どうしてこうお前と言うやつは賭け事が好きなんだ・・・」
 ナバはにやっと笑って樽の上の銀貨を袋ごとマーチェスに投げて渡しました。
「楽しかったぜ。全部もってけ」
「え?!しかし大尉殿!自分は・・・」
「グダグダ言うな小僧!」ナバは周りに向かって叫びました。「おーいみんなぁ!酒場でマーチェスがオゴるってよ!」
 歓声が上がり、「た!大尉殿!」群がってきた兵士たちにもみくちゃにされながらマーチェスが行ってしまうと、ナバがゼンに言います。
「霊牙力でこの俺と張り合えるとはな。ありゃあいい兵士になる。どこの隊だあいつ」
「イサーニ大佐の旅団だろ。たぶんな」
「重装甲歩兵か。イサーニのおやっさんは果報者だな。奴は強くなるぜ」
 上官をおやっさん呼ばわりするナバを見てゼンはまた鼻を鳴らして息を吐きました。
「明日は獣人どもと戦うんだぞ?自重しろよナバ。少しは体を休めたらどうだ」
「自重?休め?・・・馬鹿言うなよゼン。俺は部下どもがナーバスになってるからこうして景気をつけてたんだぜ?初めて獣人とやり合うやつもいるんだ、上官としちゃあほっとけねぇだろ?」
「それにしてはずいぶん楽しそうだったな」
「はっはっはーー!そういうなってゼン!おねしょを庇いあったなかだろ!」
「ば・・・かやろ!何言いだすんだ!」
「おーっとこれは最高機密だったっけか。わははははは!」
 ナバとゼンは階級は中佐と大尉という差がありますが、幼馴染のうえ同期入隊のため二人だけの時は友人として接していました。
 上着を着ながらナバはゼンを見て親指を立てました。
「飲みに行こうぜ。冷てぇビールでも」
「お前のおごりか?」
「マーチェス」と言ってにやり。
 ふんと言ってゼンが笑います。
 
 マルデリワという港町は貿易港として賑わっている大きな町でした。王国軍が駐屯しているのはそこから5Kmほど離れた場所で、マルデリワから出張してきた民間経営の様々な店が軒を連ねて商店街のようになっていました。
 昼間は食堂、夜は酒場というやり方の店がほとんどで、マーチェスたちがいるのもそんな店のうちの一軒です。
 日は暮れていましたが、発光するクリスタルが軒先や店内にいくつも取り付けてあって、昼間のように明るく、そして大勢の兵士たちで賑わっていました。
 バーテンがカウンターに座った二人を迎えます。
「いらっしゃい大尉。今日は中佐とご一緒ですか。・・・おふたりともビールで?」
「ああ、マーチェスのおごりでな」
「ああ、あの集団ですか?」
 バーテンが店内を顎でしゃくると、マーチェスを取り囲んでワイワイ騒いでいる一団がいました。
「500テルスおいてきましたがね。あれじゃあすぐに足りなくなりそうだ」
「じゃあなくなる前に俺たちに一杯ずつ頼むよ」
「かしこまりました」
 ほどなくして泡も豊かなビールが二人の前に置かれます。
「来た来た!よし、ゼン乾杯しようぜ」
「乾杯だ?何にだよ」
「明日の勝利に」
「勝利を願って・・・か?」
「願ってじゃねぇ。明日は俺らが勝つ。必ずな」
 そう言ったナバが乱暴に自分のジョッキをゼンのジョッキにぶつけてから煽りました。
「くぅ~~~のどごしたまんねぇ!」
 ナバの様子を見ながらゼンは少し重たい感じの面持ちでつぶやきました。
「ま、確かに今回は負けられんな・・・」
「そういえばゼン。行ってきたんだよな作戦会議。教えてくれよ内容」
「重装甲歩兵が前衛だ」
 ゼンがそう言うと、後ろから突然声がしました。
「それは本当ですか中佐殿」
 二人が振り返るとそこに頬を赤くしたマーチェスがグラスを片手に立っていました。
「マーチェス飲んでるかぁ?!」
「はい!」
 二人は彼の様子が不安げだったのを察して間に座らせました。
「まあ座れ」
「自分は獣人と戦うのは初めてなんです」
「だろうな」
「不安か」
「少し・・・いえ。かなり」
「ようし!俺が説明してやる!」
 ナバがジョッキをドカンとカウンターに置くと。
「どうでもいいが獣人ってのは蔑称だ。正式にはダグヌン族。獣人と呼ばれるとあいつらはすぐ怒り狂うから、挑発するときにクソ獣人とでも言ってやれ。頭に血が上った奴ほど無駄な動きが多くなるからぶっ殺しやすくなる」
 マーチェスはうなずきます。
「で、・・・奴らの体躯は俺らの2倍ぐらいあるんだが、そんなにでけえくせに動きは速い。しかも腕っぷしも強ぇ上に、魔法を使うやつもいる」
「魔法ですか」
「ああ。それと奴らの体毛は分厚くて物理攻撃に対する防御力が高ぇし、魔法防御力も多少あるから要注意だぞ」
「はい」
「奴らの攻撃は概ね三つの形だ。突進して頭に生えている短い角でぶっ飛ばす。手の甲から生えている硬い爪を使った突き。そしてそれらに跳躍力を加えた攻撃だ。
 爪の突き攻撃には用心しろ。装甲には魔法による物理防御、つまり魔法印だな。そいつが仕込まれているからある程度ははじき返してくれるが、奴らの爪は半端なく硬ぇんだ。防御魔法印に頼りすぎるな。霊牙力も使って剣や盾で受け流すなりして突きや打撃をいなせ」
「はいっ」
「あとは蹴りの攻撃に注意な。だいたい跳び蹴りしてくっから、奴らが飛び上ったら間合いを取って回避、空中で回避行動できないところに攻撃できりゃあ上等だ」
「はい!」
「それから最後に」
 ナバは真剣な表情で言いました。
「グナス=タイアと弟のドーシュ=タイア、この二匹は獣人の中でもひときわデカイからすぐわかる。こいつらを見かけたら絶対にサシでの戦いはするな。後ろからであってもひとりで攻撃しようなんて思うな。やるときは仲間と霊牙力を合わせて戦うんだ」
「そんなに強いんですか?」
 ナバは
「獣人の中では最強だ。なんたって族長とその弟だからな。だが実はそいつらと同等かそれ以上のバケモンがいる。
三武帝ってのがいるんだが・・・」
 ナバはグラスのビールを飲み干します。
「おやじ!もう一杯!」
 バーテンが応えると話を続けます。
「三武帝の異名の通り三匹いる厄介者だ。名前は忘れちまった。こいつらとも絶対に一人で相手をしようなんて思うなよ。仲間と協力してぶち殺せ」
「わかりました!」
「・・・まあ俺からはこんなもんだな」
「ありがとうございます!・・・しかしどうして獣人は我々を憎んでいるのでしょうか・・・少なくとも私は奴らに恨みはありません」
「誰でもそうさ」
 今度はゼンが話を始めました。
「直接奴ら獣人に恨みを持ってる人間はそれほど多くない。物資を略奪された商人でもないかぎりな」
「ではどうして・・・」
「獣人たちはもともとレアン共和国の南側、つまり現在のフスラン王国西部を勢力圏として棲みついていたんだ。そこをフスラン軍に追い出されて今の場所に移り住んだんだ」
「80年前ですね?」
「知っていたか」
「はい。兵学校で習ったのを覚えています」
 フスラン王国西部に住んでいた時も現在も、ダグヌン族の住処(すみか)は大山岳地帯ですが、それは食糧確保という大きな理由があったからです。
 ダグヌン族は雑食性ですがその体躯に見合わずほぼ草食性で、肉は殆ど口にしません。大山岳地帯の豊富な恵みを糧としていて、酒造の知恵もあるので酒も良く飲みます。生活形態は狩猟民族的でした。
「やつらはこのマルデリワ地方に移り住んできてから10年ほどの間は、なりを潜(ひそ)めていたんだが、グナス=タイアが族長になってから凶悪化した・・・というのも習ったか?」
「はい。でもなぜでしょうか」
「フスラン西部の生息地から追い払われた復讐だろう」
「復讐?大尉殿、奴らを追い出したのはフスラン軍じゃないですか」
「んなこたぁ奴らにはどうでもいいことなんだよ。俺らであろうとフスランの奴らであろうと同じマシュラ族だからな。獣人にとっては同じことなのさ」
 ナバは鶏の骨付きもも肉をかじりながらビールで流し込みました。
「そんなの八つ当たりじゃないですか・・・」
 ゼンはマーチェスの目を見て諭すように答えます。
「その通りだ。その八つ当たりのせいで、この一帯にあった町も村もすべて蹂躙され壊滅した。そして荒廃して荒野と化してしまったんだ。・・・80年前、この辺りはノスユナイア王国の食糧生産を担う豊かな農地だった。それを復活させるために、奴らに個人的な恨みはなくても、王国としては退けなくてはならない敵となった。どんなに理不尽に思っても、どんなに理解しにくくてもな」
「仕事だ仕事《ひごとだひごと》」とナバ。
 しかし戦いは恨みを生み出し、恨みは戦いを誘発します。二種族間の争いの火種に事欠くことはありませんでした。
「・・・」
「獣人は今もたびたび隊商を襲って武具や貴金属類を奪い、それを使うこともあるが、たいていは売り払って戦いのための装備を手に入れている。今回はあろうことかアスミュウムインゴット500キロが奪われた。これは取り返さねばならん。売り払われたら大損害だ」
「売り払う?いったい誰に・・・」
 獣人が売り払う相手とはいったい誰なのか?マーチェスでなくとも浮かぶ疑問です。
「闇商人だ」
「闇商人?噂に過ぎないと思ってましたが・・・」
「いいや事実だ」
 マーチェスは唖然とした感じで言いました。
「それでは我ら人族以外の獣人や竜人が取引相手で、捕まりそうになると自爆する輩がいるというのは本当なのですか?」
 ゼンは笑った。
「自爆するかどうかはわからん。だが闇商人にはマシュラ族が多いといわれている。狡猾な連中で尻尾をつかませない。種族以外の正体がわからない」
「情報局のマリウス長官がいつも悔しがってるってウサワだぜ」
「マリウス大佐が?・・・どうだろうな。あの人が悔しがるってのはないと思うが・・・」
「なんでわかるんだよ」
「マリウス長官には何度か会ったことがあるが、・・・あの人はそういうのを逆に楽しんでる気がするよ」
「楽しむ?アスミュウム500キロ盗まれたこともか?」
「盗んだのは獣人です」
 マーチェスが言いました。
「わーってるよんなこたぁ。俺が知りたいのは、自分のものを盗まれたのにそれを楽しむってのがどういうことなのかってことだよ」
「はぁ。なるほど」
「諜報機関は事件が起こると動くが、それも民間事件ではなく国際事件のほうでな」
「今回の件だって国際事件だろ?」
「いや、国内事件だな」
「ホントかよ」
「獣人の住処は国じゃない」
「そりゃそうだけどよ・・・」
 不服そうな顔をしたナバでしたが、食って掛かるような感じはありません。
「まあ聞けよ。諜報機関にとって犯罪捜査は本業じゃない。動いたのは王国警備隊だ」
「陰気なカフラーのおっちゃんか?」
 カルロ=ゼン中佐はうなずきました。
「あの人の力が最大限に発揮されるのは反国家審問委員会の方だが、まああの人の命令で王国警備隊が動いたのは間違いない。事件の発覚から我々に通達が来るまでが恐ろしく速かったからな」
「反国家的な事件って事かぁ」
「なるほど!」
 ここからノスユナイア王国首都からゼンたちのいるマルデリワまでは直線距離で300kmもあるのに、獣人によるアスミュウム強奪事件発覚からまだ数日しかたっていません。
「同じことを諜報機関がやったらもっと遅い」
「なんで?」
「ナバ。お前が金を盗まれたとするよな」
「は?」
 ナバは何のことだとしかめっ面を浮かべますが、ゼンは構わず話を続けます。
「王国警備隊でも、諜報部でも最初にやることは一緒だ。金の流れとそれに伴う人の流れを追う」
 ナバもマーチェスもうなずきます。
「金と人・・・ですか」
「別の言い方をすれば情報の流れだな」
「なるほど」
「で?」ナバが突っかかるような感じで言いました。「それと、盗まれたことを楽しむのとどう関係するんだよ」
 ナバがジョッキを煽ったのを見ながらゼンは続けます。
「要するにこういう事だ。例えばナバが金を盗まれたとする。カフラー委員長なら犯人を捕まえてしょっぴく・・・が、マリウス長官は違う。部下にこういうのさ」
 ゼンはジョッキを傾けて喉を潤しました。
「犯人がわかっても捕まえるな。脅迫しろ・・・ってな」
 ナバとマーチェスが同時に「脅迫?どういうことだよ?」と言い、マーチェスが苦笑いを浮かべます。
「わからないか?犯人に追い詰められているという事実を突きつけた状態のまま、利用するためさ」
「利用?」
「何に?」
「暗殺とか民間諜報とかなんでもさ。諜報活動は手ごまが多ければ多いほど有利だからな。・・・マリウス長官はそうやってお友達を増やす事を楽しむのが好きってことさ」
「なるほどそういう事ですか・・・」
「はは!お友達ね!えげつねぇっていうか狡猾っていうか、闇商人もスパイとして使うってことか・・・」
「そういうことだ。・・・だがマリウス大佐をしても未だに尻尾も掴ませないというのが闇商人さ。まったくもって驚異的な連中だよ」
「敵ながら天晴(あっぱれ)か?」
 ふざけ交じりにナバが言うと、ゼンは表情を険しくして反論します。
「天晴なものか。・・・素知らぬ顔で人間社会に溶け込んで、怪物たちの物資供給の担い手となっている・・・奴らは裏切り者たちだ」
 裏切り者。
 闇商人。
 ノスユナイア王国の隣国であるレアン共和国の指導者たちは、怪物に取り入ることで得られる利益などない。闇商人などというものは悪の思想から生まれた個人的で極々小規模な組織に違いない。放っておけば自然消滅するだろうと考えていました。
 ところが十数年前にその存在が噂されてから、怪物たちの物資供給が滞ることが無いことを察知したレアン共和国の情報機関がつい最近になって闇商人は実在すると断言したのです。
「デヴォール帝国が闇商人の資金源で、各地の獣人や竜人に手を貸すことで近隣諸国の弱体化を狙っているのは帝国の謀略で、そんなことをする理由は帝国の世界征服計画の機が熟すのを待っているからだ~なんて言ってるやつもいるよな?」
「まあその手の話は殆ど噂や推測だが、帝国が何を企んでいるかは全くわかってないから何でもありそうに思えちまうなあ・・・」
「活動資金の出所がわからないのはそれで説明できるだろ」
「説明はできても証拠としては弱いな」
「そうかなあ。そう思うか?マーチェス」
 ナバが不服そうにしながらビールを飲むのを見ていたマーチェスが言いました。
「闇商人ですか・・・自分には難しい事はわかりません。でも自分はてっきり盗んだアスミュウムを獣人たちが自分の手で加工して武器を作るのだとばかり思っていました」
 ゼンがビールを一口飲むとナッツを口に放り込みました。
「マーチェス。アスミュウムという金属については知っているな?」
「はい。神稀鋼(しんきこう)と呼ばれている金属の事で、世界で一番固い金属です。主に武具に加工され、その加工には高い技術と施設が必要です」
「その通り!よくできました!」
 ナバがからかうような感じで拍手してほめたたえます。
「マーチェス。獣人たちはアスミュウム加工のための高度な技術、そしても施設、このどちらも持っていない。だから売るんだよ」
「闇商人に?・・・」
「そうだ。・・・マーチェス、個人的な恨みはなくても、奴らは王国の敵ということだ。容赦するな。獣人にも、そして闇商人にもな」

 正規軍に入った以上、獣人との戦争や戦闘は避けられないことをマーチェスは重々承知していました。にもかかわらずやはり不安は大きかったのです。だから「どうして全軍でかからないんですか?」という質問が出るのも至極当然でした。
 その疑問にもカルロ=ゼン中佐は明確に答えました。
「マーチェス。一年交代でノスユナイア王国軍の二個師団がレアン共和国に派兵されているのは知っているだろうが、あれが対デヴォール帝国への備えであることも知っているな?」
「もちろんです」
 マーチェスは続けて言いました。
「デヴォール帝国と同盟関係にあるフスラン王国と国境を接するレアン共和国に軍事力を割くことで帝国に対する対抗力顕示を行うためです。同時にレアン共和国と我が国との結びつきを強化する目的もあります」
 教科書通りの答えだとゼンはにやっと笑います。
「その通りだ。・・・デヴォール帝国の皇帝であるハーチェス=ギャベックキッツは非常に危険な人物だ。10年ほど前にフラミア連邦王国とやり合って、国境を100kmも押し広げた。もちろん実践したのは軍で皇帝じゃない。だがそれを指示して実行させる力と、実行した命令をやり遂げられる人材を持っているということは脅威に値する。我々にとってもな」
「おっしゃる通りだと思います」
「だからというわけではないが、あれから10年間、何事もなく平和に過ごせている事に私は不安を感じる」
「考えすぎなんだよゼン。レアン共和国から至って平和だって報告があったんだろ?」
「お前は考えなすぎなんだよ」
 ナバは変な顔をして肩をすくめて酒をすすりました。
「中佐殿はデヴォール帝国がどこかの国に戦争を仕掛けるとお思いなのですか?」
「そんなことは思ってもいない。だがないとは言えない。ないかもしれない。わからないからこそ備えねばならん。レアン共和国との軍事同盟然(しか)り、本国の要所への軍隊駐留然(しか)りだ。仮に獣人相手に全軍を投じて、もしもその隙を突かれたら我々は総崩れとなってしまう。だから現実的に言って獣人討伐に全軍投入はしたくともできないんだよ」
「そうですか・・・。なるほど」
 マーチェスは神妙な顔をして大きくうなずきました。
「今回はアスミュウムインゴットの大量強奪という緊急事態ゆえに王下院も元老院も準備する時間がなかったが、事は急を要するとカフラー委員長は考えたんだろう。だから現場から一番近い王国南岸地方に駐屯していた我々第八師団とボーラ元帥閣下率いる第十師団に出撃を命じたというのが実情だろうな」
「ツいてなかったなマーチェス」
「・・・自分は覚悟出来ているつもりです!」
 マーチェスは臆病者と思われるのが嫌で虚勢を張りました。
「そうか?いいんだぜ無理しないでも。俺だって思ってんだ。運が悪りぃってヨ」
「ナバ・・・」
 ゼンがいさめようとしましたが、ナバは人差し指を立ててゼンを制しました。
「だがなマーチェス。気休めかも知れんがいーことを教えてやるよ」
 にやりとします。
「なんでしょう」
「俺は第八師団が、ノスユナイア王国軍の中で最強だと思ってる」
「全くお前は、いったい何を根拠にそういう・・・」
「おいおいおいおいおい何言ってるゼン!いやさカルロ!根拠ならあるぞ、ぐうの音も出ないほどの大根拠がな!」
 ゼンはまたかと言う顔で答えを知っているようでした。
「言ってみろ。聞いてやる」
「まずお前・・・いや、カルロ=ゼン中佐殿率いる騎兵旅団にこの俺がいるのが第一」
「よく言ったもんだ」
 ゼンは苦笑いします。
「まあ聞けよ。そしてマーチェス」
「は?」
「ビットール=イサーニ大佐率いる重装甲歩兵旅団にお前がいるのが第二だ」
「は・・・ははは。それは買いかぶりすぎです大尉殿」
 マーチェスは照れ笑いを浮かべました。お世辞であったとしても上官からこうした事を言われればうれしいものです。
「そしてこれが一番でかい根拠だ。そのでかさたるや我が祖国よりでかい!!」
 ゼンもマーチェスもじっとナバを見ます。酒場の喧騒をBGMにナバが自信満々に言い放ちました。
「第八師団の司令官がユリアス=ロマ=ガーラリエル少将であることに加えて、その後方支援にラットリア=ツェーデル魔法院長がいるってことでぃ!」
 ゼンは頭をかいてやれやれといった顔をしました。
「どうだ!これ以上の根拠があるかゼン!これで負ける気がするか?マーチェス!」
「いえ!勝てます!」
「だろぉ!」
「まったく・・・。お前のそういう滅茶苦茶で単細胞な理論は相変わらずだな」
「他にどう考えろってんだよ」
 ゼンは数秒考えましたが。
「いや・・・それでいいのかもな。納得は出来んが」
「納得しろって!これ以上の根拠はない!世界中探したってない!俺の財布の中にもない!」
「わーかったわかった!」
 ゼンが立ち上がって酒場中に響き渡る声で叫びました。
「さあお前たちそろそろお開きだ!!十分飲み食いしただろう!風呂に入って体を休めろ!!明日の勝敗はお前たちの活躍にかかってるんだ!軍人としての責務を忘れるな!!」
 騒いでいた兵士たちが潮が引くように店から出ていき始めました。
「眠れるわけねぇだろゼン。なあマーチェス」
「お前もだナバ。特にお前は騎兵の隊長なんだぞ。部下を死なせたくなければ休め。これは命令だ」
「へーいへい」
 しぶしぶといった感じのナバでしたが、マーチェスもナバも上官に言われた通り早々に酒場を引き上げて天幕に戻ったのでした。




■獣人の長 グナス=タイア■

 ダグヌン族の町では戦いの前日に行われる儀式が騒々しく行われていました。
 儀式と言っても各々が手作りの打楽器のようなものを叩きまわして雄叫びを上げてデモンストレーションするといった感じでした。
 巨大な円形ホールのような木造の建物の中央の舞台では細身の女獣人がしなやかに踊り、オスの獣人たちはその周りに配された切り株でできたテーブルに載せられたたくさんのご馳走を巨大な盃を片手に食いながら、仲間と談笑していました。
 そしてそれらを見下ろす場所に設(しつら)えられたテラス状の一段高い場所には、明らかに他の獣人たちよりも抜きんでて巨大な体躯の持ち主が二匹、舞台を見下ろしていました。
 グナスとドーシュ兄弟です。
「兄者。アスミュウムインゴットで本陣を作るってのは何か考えがあるのか?さっさと売っちまおうぜ」
 ドーシュは毛むくじゃらの兇悪な表情をいくらか怪訝に歪ませます。
「ドーシュよ。このインゴットは俺たちの手に余る。我らには売り物でしかないシロモノだが、物は使いようだ」
「というと?」
 グナスは30キロはあろうかというインゴットのひとつを掴んで重さを確かめるように軽々ともてあそびます。
「ドーシュ。こういうのはどうだ。取り返したい物が目の前にあるのに手を出せないってのは?クックック」
 笑うグナスに同じように表情を笑わせたドーシュは頷きました。
「ははは!そういうことか!なるほどな!人間共に負けること以上の屈辱を味わわせるつもりだな?!」
「そうよ・・・。このアスミュウムインゴットを山に積み上げた場所がわが本陣というわけだ」
「だがやつらは一歩も近寄れない、か!カハハハハハ!」
「奴等の悔しがる顔が目に浮かぶわ。ガハハハハハハハ!!」
 グナスもドーシュも酒を飲みながら大声で笑います。
 そして何かに気がついたように視線を移しました。
「そういえば面白いことがあるといっていたな。ヌバール=ボンベ」
「面白い話?なんだそりゃあ」
 ドーシュがそう言って視線を送った先には獣人ではなくマシュラ族が居ました。
 ヌバール=ボンベと呼ばれた男は畏まる様に恭(うやうや)しく頭を下げました。
「はいタイア陛下。我ら闇の商人の情報網に此度(こたび)のノスユナイア王国軍の将の名前が」
「誰であろうと結果は変わらんが・・・誰だ。言ってみろ」
「ヴィッツ=アゴス=ボーラと、・・・ユリアス=ロマ=ガーラリエル」
「ガー・・・ラリエル?・・・」
 グナス=タイアは眉間にしわを作って自身の記憶を辿りました。やがて思い当たったのかドーシュと共に肩を震わせて笑い始めたのです。
「それは本当だろうな!ボンベ!」
「間違いありません。お二人とも既にお気づきとは思いますが、10年前、ドーシュ=タイア閣下御自(おんみずか)ら手を下したキンゼー=ガーラリエルの・・・娘でございます」
「ガハハハハハ!やっぱりか!まいったぜ!これじゃあ勝ちは確実だな兄者よ!!」
「マシュラとはまったく愚かな種族だな。ククク・・・」
「ククク。仇討ちでもする気かもな!馬鹿共が!」
「また負け戦をし!仇も討てず!このアスミュウムを取り戻せもしない!そして娘も死ぬ!それほどまでに恥辱を舐めたいなら舐めさせてやろうではないか!」
 グナスは大きな体をゆすって笑い、大きな器に注がれた酒を一気に飲み干しました。
「兄者!その女は俺が殺る!俺の爪のひと突きで殺してやる!」
 干した杯をドーシュに突きつけてグナスが言います。
「だめだ」
「なんでだよ?!」
「今回は俺が殺る。いいな?」
「おいおいおい兄者・・・」
 グナスはいきり立つ弟に拳を見せ付けて言いました。ドーシュは一瞬ビクリと身を引きます。
「ドーシュ・・・。俺は何十年も続いているこの馬鹿げた戦いに終止符を打ちたいのだ」
「終止符?」
「我々はこれまでにないほど充実している。戦いに勝利するのに不足はない。数、力、そして時期、どれも申し分なしだ。・・・やるなら今以外にはない」
「まさか兄者・・・攻め込もうってのか?」
 ドーシュは顔を笑わせます。
「そうだ!」
 グナスはやおら立ち上がるとホール中に響く大声で言いました。
「兄弟たちよ、そして我が子らよ!聞けええぇぇぇ!!」
 舞台で踊っていた踊り子も、その周りで酒を飲んでいた獣人たちも一斉にグナスのほうを振り返りました。
「ここは俺たちの国だ!!そうだろう?!兄弟たちよ!」
 眼下の獣人たちが同意を示し、拳を振り上げ、杯を上げ、歓声を上げました。
 グナスはぐるりと見回し、声をさらに大きくして叫びました。
「我らの力を思い知らせるにはぁぁぁ!どおおおするぅぅぅ!」
「殺せ!」
「引き裂け!」
「殺せ!」
「奪え!」
「殺せぇ!」
「叩き潰せ!」
「そうだ!殺戮だ!だがそれだけではない!追撃だ!進撃し蹂躙だああああ!」
 ドーシュは異様なまでに覚悟の雰囲気を持った兄グナスの口調に眉間にしわを寄せました。
「今回の戦いはこれまでとは違う!マシュラどもを蹴散らし追撃し!マルデリワに攻め込むのだ!」
 この言葉に獣人たちは一瞬言葉を失いました。そんな中、一人の獣人だけが興奮気味に笑い出したのです。
「ガハハハハハハハ!オヤジよ!いよいよ国盗りかぁぁ?!それなら俺に先陣をくれ!あんたの望むものを全部盗って来てやるぜぇぇぇ!」
「頼もしいなジャドラ!三武帝がひとりよ!」
「おおおー!やってやるぜ!ガハハハハハハハ!」
 ジャドラは持っていた盃をグナスに捧げてから一気に飲み干します。
「マシュラを蹴散らせ!おのれの愚かさをたっぷりと味わわせろ!我らの怒りを買えばどうなるかを!」
 獣人たちの喊声が上がります。
「二度と再び我らの国に来られぬように!!!」
 ドーシュは同じく喊声を上げながら兄の横顔を盗み見ていました。
「今までは見逃してきたが!!今回は一人として生きて返すな!!皆殺しだ!!」
 グナス=タイアは鋭い爪の生えた拳を握り締めるとそれを振り上げ、獣の顔に怒りを充満させます。
「マシュラに死を!タイア王国に栄光を!!」
 
 マシュラに死を!
 タイア王国に栄光を!
 奪え!
 殺せ!
 蹂躙しろ!
 愚かなマシュラに鉄槌を!
 タイア王国に栄光を!

 降るような星がさんざめく大山岳地帯に獣人の怒号がいつまでも響き渡っていきました。


>>>>>>>>>>> 第1章 第3話に続く・・・


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