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とうとう梅雨入り宣言がされた。それだけでも、心がじめっとしてしまうのは不思議である。
桃音はあの日から、土日になると琉生の家を訪れた。
フルートの練習も兼ねている。
本当に琉生の屋敷は広かった。別棟に防音の整った部屋があるのだ。そこは主に、曲を作るときに使う部屋らしい。
「マルチクリエイターって儲かるんだね……」
フルートを手にしながら、桃音はそう呟いていた。これはもう、無意識の言葉だ。
「っていうか、いつからこの仕事をやってるの? 広告のデザインとか、ホームページ作成とか、そして作曲まで?」
「大学のときだよ。友達がベンチャー企業を立ち上げてね。そこから仕事をもらってるから。地元の中小企業とか、そういったところからの依頼が多いけれど。仕事としては楽しいよ」
「そうなんだ……じゃ、学生のときから働いてたってこと?」
「まあ、そうなるかな」
「それよりも、ルイにそういう才能があるなんて知らなかった」
「そういう大学だったからね。大学には、なんとか通っていたから」
彼が推薦で合格した大学は、工学部だったかもしれない。
「ま、とにかくこの部屋は防音設備がしっかりしてるから。好きに練習して」
好きにと言われても、琉生がこの場にいるだけで何をしたらいいかがわからない。
「わかった。僕は、隣の部屋で仕事してるから」
隣の部屋には、作曲に必要な機材が揃っているようだ。
部屋に一人残された桃音は、短く息を吐いた。
練習用の楽譜は自宅から持ってきた。譜面台は、琉生が準備してくれた。
自宅でできる練習なんて、たかがしれている。大学を卒業してから、こんなふうにして吹くのは初めてだ。
フルートを下唇に当てる。
息が続かない。自嘲気味に笑う。引き受けて、結局このざま。
それでも、フルートを吹き続ける。
音楽はいい。一人で好きに吹くのもいいけれど、仲間たちと一つの音楽を作り上げるあの過程はわくわくと心が躍ったものだ。
そんな過去を思い出しながら、音を奏でる。
物音がして、はっとする。琉生がこちらの様子をのぞいていた。
「休憩。しない?」
「する」
母屋に移動して、縁側に座る。じめっとしているが、汗ばむほどでもない。だけど梅雨が明けると、一気に暑くなる。それが夏。
「モモ。僕の担当を外れたんでしょ?」
「うん」
「モモがよかった」
「うん。だけど、そうなると仕事になっちゃうから。私はルイと友達でいたい」
「そうか……友達、だよね」
「うん、友達」
何か言いたそうに、琉生の唇は震えていた。だけど、そこから言葉が出てくることはない。
「今日は、どこのお菓子?」
「茶まんじゅう。モモが美味しかったって言ってたから」
「うん。こしあんが美味しい。そうそう、ルイからもらった広告ね。茶まんじゅうから湯気が出てた」
「お店に行けば、できたてが食べられるんだ」
「ルイは行ったことがある?」
「あるよ。取材に行った。ホームページのイメージもつかみたかったし」
「そうなんだ」
茶まんじゅうを半分に割って、口に入れる。そして濃いめの緑茶を飲む。
「今度、一緒に行く?」
琉生の言葉に、桃音は手を止めた。
「どこに?」
「そのまんじゅう屋」
「遠いよね?」
「車で、片道三時間」
「遠いじゃん」
沈黙が落ちた。
「……ねえ、モモ。僕、死にたくないんだ。って言ったらどうする?」
「……どうもしない。私には何もできないから」
「困らせてごめん」
「ううん」
だって桃音も、琉生に死んでほしくないと思っている。それを口にしたら、琉生を困らせるだけ。
だから、その言葉は絶対に言わないと決めている。
桃音はあの日から、土日になると琉生の家を訪れた。
フルートの練習も兼ねている。
本当に琉生の屋敷は広かった。別棟に防音の整った部屋があるのだ。そこは主に、曲を作るときに使う部屋らしい。
「マルチクリエイターって儲かるんだね……」
フルートを手にしながら、桃音はそう呟いていた。これはもう、無意識の言葉だ。
「っていうか、いつからこの仕事をやってるの? 広告のデザインとか、ホームページ作成とか、そして作曲まで?」
「大学のときだよ。友達がベンチャー企業を立ち上げてね。そこから仕事をもらってるから。地元の中小企業とか、そういったところからの依頼が多いけれど。仕事としては楽しいよ」
「そうなんだ……じゃ、学生のときから働いてたってこと?」
「まあ、そうなるかな」
「それよりも、ルイにそういう才能があるなんて知らなかった」
「そういう大学だったからね。大学には、なんとか通っていたから」
彼が推薦で合格した大学は、工学部だったかもしれない。
「ま、とにかくこの部屋は防音設備がしっかりしてるから。好きに練習して」
好きにと言われても、琉生がこの場にいるだけで何をしたらいいかがわからない。
「わかった。僕は、隣の部屋で仕事してるから」
隣の部屋には、作曲に必要な機材が揃っているようだ。
部屋に一人残された桃音は、短く息を吐いた。
練習用の楽譜は自宅から持ってきた。譜面台は、琉生が準備してくれた。
自宅でできる練習なんて、たかがしれている。大学を卒業してから、こんなふうにして吹くのは初めてだ。
フルートを下唇に当てる。
息が続かない。自嘲気味に笑う。引き受けて、結局このざま。
それでも、フルートを吹き続ける。
音楽はいい。一人で好きに吹くのもいいけれど、仲間たちと一つの音楽を作り上げるあの過程はわくわくと心が躍ったものだ。
そんな過去を思い出しながら、音を奏でる。
物音がして、はっとする。琉生がこちらの様子をのぞいていた。
「休憩。しない?」
「する」
母屋に移動して、縁側に座る。じめっとしているが、汗ばむほどでもない。だけど梅雨が明けると、一気に暑くなる。それが夏。
「モモ。僕の担当を外れたんでしょ?」
「うん」
「モモがよかった」
「うん。だけど、そうなると仕事になっちゃうから。私はルイと友達でいたい」
「そうか……友達、だよね」
「うん、友達」
何か言いたそうに、琉生の唇は震えていた。だけど、そこから言葉が出てくることはない。
「今日は、どこのお菓子?」
「茶まんじゅう。モモが美味しかったって言ってたから」
「うん。こしあんが美味しい。そうそう、ルイからもらった広告ね。茶まんじゅうから湯気が出てた」
「お店に行けば、できたてが食べられるんだ」
「ルイは行ったことがある?」
「あるよ。取材に行った。ホームページのイメージもつかみたかったし」
「そうなんだ」
茶まんじゅうを半分に割って、口に入れる。そして濃いめの緑茶を飲む。
「今度、一緒に行く?」
琉生の言葉に、桃音は手を止めた。
「どこに?」
「そのまんじゅう屋」
「遠いよね?」
「車で、片道三時間」
「遠いじゃん」
沈黙が落ちた。
「……ねえ、モモ。僕、死にたくないんだ。って言ったらどうする?」
「……どうもしない。私には何もできないから」
「困らせてごめん」
「ううん」
だって桃音も、琉生に死んでほしくないと思っている。それを口にしたら、琉生を困らせるだけ。
だから、その言葉は絶対に言わないと決めている。
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