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34話 蜃気楼①
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「ねぇパパこれなら飼ってもいいでしょ」
「今度はなんだ」
今日も元気に瑞葉と白玉が帰って来た。瑞葉はなにやら上を切ったペットボトルの器を持っている。
「これ、蓮君が田舎で取って来たんだって」
「なんだ、タニシか……?」
うごうごと蠢いている巻き貝を衛はつまんだ。
「うん、きれいな水に入れて煮干しをあげるんだって」
「そうか、ちゃんと面倒みろよ」
「やったー!」
衛が心良く許可を出すと瑞葉は両手を挙げてよろこんだ。
『煮干しを食べるんですか、このちいさいのが』
白玉はなんだか微妙な顔をしている。そんな白玉に衛は猫用の減塩煮干しをあげた。
『ありがとう。うんおいしい。瑞葉ちゃんもいかがですか』
「えー、瑞葉はいいや」
そんな訳で氷川家にペットが増えた。水槽を買ってきて、中に砂と水草をいれてやればなんとなく愛着も湧く物である。
「名前は決めたのか?」
「うん、タニさん」
「そっかタニさん、よろしくな」
新しい家族に挨拶をして、二人は床についた。もう秋だというのに寝苦しい日々が続いている。くうくう寝息をたてる瑞葉を横に、衛は図書館から借りた本を広げていた。
『……衛さん……瑞葉……』
その時、どこからか声がした。衛はあわててキョロキョロと辺りを見渡したが当然誰も居ない。
「穂乃香の声がした気がした……」
もう長いこと穂乃香には出会えていない。また幻聴が聞こえたのかと衛はタオルケットを被った。
「昨日、ママの夢をみたの」
「そっか、俺も見た気がするよ」
その日の朝、衛と瑞葉は歯を磨きながらそんな話をした。その時はそれで終わる話だと二人とも思ったのだが……。その翌日の朝。
「またママが呼んでた……」
「瑞葉……」
瑞葉は浮かない顔だ。衛も二日も続けて穂乃香の声を聞くなんて普通じゃないと思い始めていた。
「どうしたんだい、シケた顔して」
「ああ、ミユキさん」
衛はミユキに事情を話した。すると、ミユキはスタスタと衛と瑞葉の部屋に入った。
「ふーん、ここ二日で物を増やしたかい?」
「いえ、このタニシくらいで……」
「これか……ちょっと預かるけどいいかい」
「ええ」
衛はミユキにタニシの水槽を預けた。
「タニさん、どっかおかしいのかな?」
「どうだろう、とにかく学校に行っておいで」
「あっ、いっけない! 遅刻する!」
『瑞葉ちゃん走りましょう!』
家から駆けだして行く、瑞葉と白玉を見届けて衛はコロッケを揚げはじめた。
「今日はバタバタしてましたね」
「ああ、藍。ちょっと変な事があってな」
「へぇ?」
「穂乃香の……妻の声が聞こえるんだ。夜中に」
衛は藍に経緯を説明した。その目の前にいる藍こそ『変な事』そのものであるのだが。
「声ですか……うーん、私たちが始めに自由になったのは声でしたね」
「声か……」
「そうです、それから手足を動かせるようになって、最後には人間の姿になれるようになりました。だから、奥さんも最初は声から帰って来ているのかもしれません」
「ほー……」
藍の話に、衛は聞き入った。そういう理屈ならば穂乃香の帰還もそう遠くはないのだろうか。
「ただいまーっ! ミユキさん何か分かった!?」
「こらっ、まず手を洗いなさい」
瑞葉は学校から帰ってくるなり二階にあがる。その後ろを衛は慌てて追いかけた。
「そうだねぇ……その声が聞こえたっていう夜になってみないと分からないんだが、もしかしたら蜃気楼の一種だと思うんだよね」
「蜃気楼ってあの気温の変化で見えるってやつですか」
「昔の人はでかいハマグリが見せているって考えたんだよ」
「でも、これタニシですよ?」
衛がそういうと、ミユキもそうなんだよねと首を傾げた。とにかく夜になるまで様子を見ようという事で三人は夕食を済ませた。そして固唾を飲んでタニシを見守る。
『衛さん……瑞葉……』
「ママの声だ! タニさんからママの声がする!」
瑞葉が驚きの声を上げた。確かに瑞葉の言う通り、タニシから微かに穂乃香の声が聞こえている。
『その声は、瑞葉?』
「そうだよママ!!」
瑞葉は涙ぐみながら水槽にすがりついた。ちゃぷんとしぶきをあげる水槽を抑えながら衛は瑞葉を止めた。
「瑞葉、ママはタニシじゃないぞ」
『ふふ、やっと声が聞けたわ衛さん。確かに私はタニシじゃないわ。これはちょっと借りているだけ』
「やっぱり蜃気楼の一種か」
『お母さん……そう、丁度良い貝が無かったから姿を見せるのは無理なの』
「なるほどね」
ミユキと穂乃香のやりとりはあっさりとしたものだった。家を出ていった娘と母親のやりとりなんてこんなものなのかもしれないが。
「穂乃香、聞きたい事があるんだ……」
一方の衛は穂乃香の声を聞けた嬉しさと現実的な問題に板挟みになっていた。そのモヤモヤとした感情を極力見せないように気をつけながら衛は言葉を続けた。
「俺達の前から姿を消したのはどうしてだ? 今、どこにいる」
『衛さん……』
穂乃香が息を飲むのが、微かな声の中でも分かる。衛は穂乃香を愛する一人の男としては怒鳴りつけてでも戻ってこいと言いたかったが、娘を守る父としての立場を思ってあくまで冷静を装った。
「瑞葉がお前を待ってる」
『……私がどこにいるかは、ごめんなさいまだ言えないの。たとえ知ってもたどり着くのは難しいと思うわ』
「穂乃香……」
『私、今回は警告に来たの……』
息を飲む三人の前に穂乃香から告げられたのは、衝撃の言葉だった。
『お願い逃げて』
「今度はなんだ」
今日も元気に瑞葉と白玉が帰って来た。瑞葉はなにやら上を切ったペットボトルの器を持っている。
「これ、蓮君が田舎で取って来たんだって」
「なんだ、タニシか……?」
うごうごと蠢いている巻き貝を衛はつまんだ。
「うん、きれいな水に入れて煮干しをあげるんだって」
「そうか、ちゃんと面倒みろよ」
「やったー!」
衛が心良く許可を出すと瑞葉は両手を挙げてよろこんだ。
『煮干しを食べるんですか、このちいさいのが』
白玉はなんだか微妙な顔をしている。そんな白玉に衛は猫用の減塩煮干しをあげた。
『ありがとう。うんおいしい。瑞葉ちゃんもいかがですか』
「えー、瑞葉はいいや」
そんな訳で氷川家にペットが増えた。水槽を買ってきて、中に砂と水草をいれてやればなんとなく愛着も湧く物である。
「名前は決めたのか?」
「うん、タニさん」
「そっかタニさん、よろしくな」
新しい家族に挨拶をして、二人は床についた。もう秋だというのに寝苦しい日々が続いている。くうくう寝息をたてる瑞葉を横に、衛は図書館から借りた本を広げていた。
『……衛さん……瑞葉……』
その時、どこからか声がした。衛はあわててキョロキョロと辺りを見渡したが当然誰も居ない。
「穂乃香の声がした気がした……」
もう長いこと穂乃香には出会えていない。また幻聴が聞こえたのかと衛はタオルケットを被った。
「昨日、ママの夢をみたの」
「そっか、俺も見た気がするよ」
その日の朝、衛と瑞葉は歯を磨きながらそんな話をした。その時はそれで終わる話だと二人とも思ったのだが……。その翌日の朝。
「またママが呼んでた……」
「瑞葉……」
瑞葉は浮かない顔だ。衛も二日も続けて穂乃香の声を聞くなんて普通じゃないと思い始めていた。
「どうしたんだい、シケた顔して」
「ああ、ミユキさん」
衛はミユキに事情を話した。すると、ミユキはスタスタと衛と瑞葉の部屋に入った。
「ふーん、ここ二日で物を増やしたかい?」
「いえ、このタニシくらいで……」
「これか……ちょっと預かるけどいいかい」
「ええ」
衛はミユキにタニシの水槽を預けた。
「タニさん、どっかおかしいのかな?」
「どうだろう、とにかく学校に行っておいで」
「あっ、いっけない! 遅刻する!」
『瑞葉ちゃん走りましょう!』
家から駆けだして行く、瑞葉と白玉を見届けて衛はコロッケを揚げはじめた。
「今日はバタバタしてましたね」
「ああ、藍。ちょっと変な事があってな」
「へぇ?」
「穂乃香の……妻の声が聞こえるんだ。夜中に」
衛は藍に経緯を説明した。その目の前にいる藍こそ『変な事』そのものであるのだが。
「声ですか……うーん、私たちが始めに自由になったのは声でしたね」
「声か……」
「そうです、それから手足を動かせるようになって、最後には人間の姿になれるようになりました。だから、奥さんも最初は声から帰って来ているのかもしれません」
「ほー……」
藍の話に、衛は聞き入った。そういう理屈ならば穂乃香の帰還もそう遠くはないのだろうか。
「ただいまーっ! ミユキさん何か分かった!?」
「こらっ、まず手を洗いなさい」
瑞葉は学校から帰ってくるなり二階にあがる。その後ろを衛は慌てて追いかけた。
「そうだねぇ……その声が聞こえたっていう夜になってみないと分からないんだが、もしかしたら蜃気楼の一種だと思うんだよね」
「蜃気楼ってあの気温の変化で見えるってやつですか」
「昔の人はでかいハマグリが見せているって考えたんだよ」
「でも、これタニシですよ?」
衛がそういうと、ミユキもそうなんだよねと首を傾げた。とにかく夜になるまで様子を見ようという事で三人は夕食を済ませた。そして固唾を飲んでタニシを見守る。
『衛さん……瑞葉……』
「ママの声だ! タニさんからママの声がする!」
瑞葉が驚きの声を上げた。確かに瑞葉の言う通り、タニシから微かに穂乃香の声が聞こえている。
『その声は、瑞葉?』
「そうだよママ!!」
瑞葉は涙ぐみながら水槽にすがりついた。ちゃぷんとしぶきをあげる水槽を抑えながら衛は瑞葉を止めた。
「瑞葉、ママはタニシじゃないぞ」
『ふふ、やっと声が聞けたわ衛さん。確かに私はタニシじゃないわ。これはちょっと借りているだけ』
「やっぱり蜃気楼の一種か」
『お母さん……そう、丁度良い貝が無かったから姿を見せるのは無理なの』
「なるほどね」
ミユキと穂乃香のやりとりはあっさりとしたものだった。家を出ていった娘と母親のやりとりなんてこんなものなのかもしれないが。
「穂乃香、聞きたい事があるんだ……」
一方の衛は穂乃香の声を聞けた嬉しさと現実的な問題に板挟みになっていた。そのモヤモヤとした感情を極力見せないように気をつけながら衛は言葉を続けた。
「俺達の前から姿を消したのはどうしてだ? 今、どこにいる」
『衛さん……』
穂乃香が息を飲むのが、微かな声の中でも分かる。衛は穂乃香を愛する一人の男としては怒鳴りつけてでも戻ってこいと言いたかったが、娘を守る父としての立場を思ってあくまで冷静を装った。
「瑞葉がお前を待ってる」
『……私がどこにいるかは、ごめんなさいまだ言えないの。たとえ知ってもたどり着くのは難しいと思うわ』
「穂乃香……」
『私、今回は警告に来たの……』
息を飲む三人の前に穂乃香から告げられたのは、衝撃の言葉だった。
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