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第2章 日常讃歌・相思憎愛
第11話 曇天
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白い雲が浮かぶ青空。
少し霞掛かった春の空よりも、夏の青さと言った方がしっくりくる五月晴れ。
暑い日差しとは裏腹に、一度日差しが雲に遮られれば心地よい風が吹き抜ける季節。
今年も梅雨入り前から暑くなる予報が出ているが、まだ埼玉の夏はこんなものではないと言える気温だ。
そんなよく晴れた5月のある日、加茂は教室の中で絶叫していた。
そしてその様子を、うれしそうに見やる男。
男は軽薄そうな口調で呟く。
「決めた、お兄さんを使うことにしよう。そうすれば、もっと、いい感じになりそうだし」
男は誰に対してでもなく呟くと、右手を前に掲げる。男の手の先に魔法陣の様なものが空中に浮かび上がる。
賀茂は最早言葉にすらなっていない叫び声を上げていた。
自身が何を叫んでいるのか、何に激怒しているのかも分からない。
制御できない感情の激流の中で、薄らと保たれた自我がその光景を認識する。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛(……何が……起きて……) あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛(あいつは……)」
ズドンと窓の外で鈍い轟音が響く。
「ん?何だろうねぇ?」
男が轟音に気を取られ、賀茂から視線が外れる。
「っく、はっ……はっ……はぁ……はぁ……」
突然思考の制御を取り戻した賀茂はすぐさま絶叫を止め、膝を付いて息を整える。
長いこと息を吸うことも儘ならない状況から漸く抜け出し、肺に空気を送り込んで全身と脳へ酸素を送り込む。
立ち上がる事はまだ叶わない。
荒い呼吸を何とか整える事で精一杯な状況だが、賀茂の目線は目の前の男を捉え続けている。
「あぁ、これはうっかり、折角いい所だったのに中断させちゃったねぇ。向こうも何だか面白そうな事になっているみたいで、気になるけど……今はお兄ぃさんの方が気になるなぁ。ここじゃちょっと煩いから一緒に移動しようか」
男は再度右手を身体の前に突き出す。
「私を……何処に……連れて……行くって……」
賀茂がどうにか立ちあがろうとした時、自身の足元がペりぺりと崩れ落ちている事に気が付いた。
今し方まで教室の床だった場所が崩れ落ち、灰色の世界が顔を覗かせている。何もない、曇天のような世界。
「何だ……これは……」
一瞬の思考停止。本来の賀茂であれば素早く立って回避したであろう、或いは立ち上がれずとも転がりながらでも避けたであろう。
しかし、賀茂は動けなかった。見てしまった。見惚れてしまったのだ。
その世界が美しいと。
「気に入ってくれたみたいだねぇ、じゃあ行こうか」
「なっ!待て!」
賀茂の身体スルリと曇天の世界へと落ちていく。賀茂に足掻く暇も与えず、全身を呑み込む。
それを追いかけるように男も自身の足元に曇天の世界への入り口を開き、その中へと沈んでいく。
「楽しみだねぇ」
教室に残されたのは、霊樹と舞い踊る霊子だけだった。
◇◇◇
その空間は不思議な世界だった。
上下左右も無く、体はふわふわと浮いている。
景色はひたすらに灰色だ。
一色の灰色ではない、白に近い灰色から黒に近いものまで、様々な濃淡の灰色が織りなす世界。
(雲の中のような世界だ)
息を整え落ち着きを取り戻した賀茂。
そんな世界に投げ出されながらも意外と不安に思う心はなく、寧ろ心地よさすら感じていた。
(白でも黒でもない世界……灰色が織りなす世界……まるで私が見ていた世界そのもの……これは、私の見ている何時もの世界)
「気に入ってくれたみたいだねぇ、お兄ぃさん」
いつの間にか男が現れ、賀茂に声かける。
「……ここは何処だ?お前は何者だ?」
「ふふっ、怖い怖い。この世界を心地いいと感じて、今の状況でそれだけの怒気を纏えるんだから、やっぱりお兄ぃさんはいいねぇ」
賀茂が男を睨みつけながら語気鋭く詰問する。
男はそんな賀茂の言葉をヘラヘラと受け流し、愉快そうに賀茂を眺めている。
「その“お兄さん”というのはやめてくれ、私はそんな歳ではないし賀茂実道と言う名前もある。君も名前くらい名乗ったらどうだ」
「あぁ失礼、まだ名乗ってなかったね。僕はネイロン、よろしくね実道。ふふっ、それにしてもまずはそこなんだ。まあ僕からしたら君等は皆ん“お兄ぃさん”“お姉ぇさん”なんだけどね」
ネイロンと名乗った男は愉快そうに目を細める。
(……状況が掴めないまま相手を刺激するわけにはいかないな……会話は可能なようだし、まずは相手から情報を引き出す)
賀茂はいきなり名前で呼ばれたことにムッとしながらも、このネイロンと名乗った男が何か現状に繋がる情報を持っているのではないかと睨み、会話を続けることにする。
「それで、貴方は何者なんだ?ここは何処なんだ?」
「僕のこともネイロンって呼んで欲しいなぁ。まぁ僕は頼まれてね、世界を確認して回ってただけだよ。あとここは僕の世界だよ、実道も気に入ったみたいだし、よかったよぉ」
「頼まれたと言うのは、誰にだ?」
「あいつだよぉ……まったく、僕たちのこと嫌ってるくせに、こういう時は人使いが荒いんだ、それにね――」
ネイロンが“あいつ”とやらの不満を次々に口にしていく。
(よく喋る……もう少し突っ込んで聞いてみても大丈夫か?それよりもここから脱出する方向に誘導すべきか……)
「――でさぁ、あいつ「世界を在るべき姿に還す」とか言いって神罰術式を発動させたのはいいんだけど「完璧じゃないから見てこい」とか言い出してねぇ、ほんとめんどくさいよねぇ」
「神罰……術式……あの時の声が言っていた、あれか……」
「おっ、実道も興味ある?あるよねぇ、僕も興味あるよぉ。実道、君何で生きているの?」
ネイロンの雰囲気がすっと変わる。
先程までのヘラヘラとした雰囲気から一転、捕食者の顔に変貌する。
「……こっちが、聞きたいくらい、だな」
「――そっかぁ、そうだよねぇ。まぁその辺はあいつが調べるでしょ。それなりに生き残りもいるみたいだし。それよりもぉ、実道ぃ、この世界について知りたくないかい?君なら理解できると思うんだよねぇ」
ネイロンはその場から動くことができない賀茂にスッと近付き、悪魔のような囁いた。
◇◇◇
一方その頃、耶蘇光も南側校舎で生存者の捜索を行なっていた。
「ここも駄目か……ふぅ……みんな木になっちゃってるか……ほんと、どうなっちゃったんだ……星斗のやつは無事かな……」
ここには居ない親友のことを思い出し、その無事を祈る。
「何とかして伊緒くんと真理ちゃんの無事を知らせないとな……」
偶然とはいえ親友の子供たちの教師をやっている身としては、無事に親元へ返してやりたい。それは光の本心からの願いであった。
「さて、4階は全滅か。次は3階かな……」
光は最上階の4階から捜索を始めたようだ。
順番に次の階へと降りて行こうとした、その時。
巨大な何かが叩きつけられるような重低音が響き、校舎が揺れる。
「何だ!何の音だ!」
ガタガタと音を立て、窓ガラスがビリビリと振動する。
「校庭かっ!!」
光はすぐさま窓際まで霊樹を掻き分けて進む。
その間もズドン、ズドンと何度も轟音が響き、その度に窓ガラスが悲鳴をあげる。
「ちょっ!揺れる!何が起きてるんだ!」
漸く窓際まで辿り着き、霊樹の枝を押し分けて校庭を見と、そこにはありえない光景が広がっていた。
「欅の木が暴れてる!?」
暴風の如く枝を振り回して暴れ回っている欅の木。
その暴風の中で倒れる人影と、その人影に折り重なるように男子生徒が見える。
周囲には複数の生徒、欅の木の方に2人、校舎側に残りの4人。
「倒れてるのは……安倍先生?」
倒れたまま起き上らないスーツ姿の男性が見えた。おそらく安倍教諭だろう。
「真理ちゃんと一緒に居るのが西風舘くんか……手前に居るのが……伊緒くんたちだな、だとすると……工藤くん?」
その工藤が欅の木の枝に横薙ぎされ、吹き飛ばされていく。
「工藤くん!」
校庭をボールが転がる様にゴロゴロと吹き飛ばされ、校庭の端までいって漸く止まる。
光の心配を他所に、直ぐに立ち上がる工藤。
「はぁ……無事か、それにしてもあれで無事なのか?」
光は安堵して息を吐く、そして工藤の異常とその手に光物が握られている事に気が付く。
「あれは……何を持ってるんだ?って!何だあの動き!ありえない速度……ありえない反応……人間業じゃ無い……」
物凄い速度で走り出し、迫り来る欅の木の枝を掻い潜っていく工藤の動きを見て光が驚き呟く。
光も武道を嗜む者として、それなりに身体の動きに心得はある。
今は剣道部の顧問をしているが、仁代家の面々と同じ古武術の師範に師事し、身体の動かし方、先の読み方、心のあり方を叩き込まれてきた身である。
だからこそ言える。
――あの動きはおかしい――
と、武術の構えや動きにはそれ相応の理屈がある。
長い年月や先人たちが理にかなって研ぎ澄ましてきた動きだ。
それは武道として相手に礼を尽くし、己の生きる道に主眼を置くもの。
防衛術として己や守るべき対象が生き残ることに主眼を置いたもの。
逮捕術の様に相手をなるべく無傷で捕縛することに主眼をおいたもの。
そして、殺人術として相手を殺すことに主眼を置くもの。
「動きも、反応もめちゃくちゃだ……それなのに……」
その動きは各々で違うが、それでもある種の予備動作はあり、先読みや経験則で動く。
しかし目の前で高速で動きまわっている工藤の動きに規則性は無い。
恐らく見てから反応しているだけなのだろう。
避けたいから避ける、受けたいから受ける、切りたいから切る。
ある意味で、欲望に忠実な動き。
「心のままに、動いてるだけ……?」
工藤が欅の木の根元まで辿り着き、右手で把持したナイフを欅の木に突き立てる。
これまでの嵐の様な動きが嘘のように収まり、欅の木が大人しくなる。
「何をしたんだ!欅の木が止まった……ナイフを刺しただけで!?」
欅の木からゆっくりとこちらに向かって歩いてくる工藤は何か叫びながら両手を空に掲げる。
右手に紅の光が集まりだし、周囲を漂っている翠色の霊子が集まり出す。そして光が収まり、工藤の右手には1本のナイフが握られていた。
「何だ、紅く光ったと思ったら周りの翠色の粒が集まり出して……ナイフができた?この霊子とか言うやつが集まったのか……」
呆気にとられる光を他所に、工藤は伊緒たちがいる方へと歩き出す。
そして光は未だに動かない安倍教諭を思い出す。
「あのナイフ!まさか工藤くんが安倍先生を……すぐに助けにいかなきゃ……あぁ!賀茂先生にも連絡しないと……流石にあの音は聞こえた筈だけど、北側校舎じゃ何が起きたかは見えないだろうし……ええと、賀茂先生、賀茂先生は……あった!」
焦る気持ちで携帯電話の操作も覚束ず、漸く賀茂の電話番号を見つけ出して電話をかける。
この様な状況だがまだ電話の発信音は聞こえているので、電話回線や電波は生きているのだろう。
短い発信音の後、通常であれば呼び出し音がなる筈だが、電話口から聞こえてきたのは無機質な女性の声だった。
「お掛けになった電話は電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため……」
「ええっ……通じない……もう一度!」
光は何度も掛け直してみるが結果は同じであった。
「このままじゃ皆が危ない!取り合えず戻る!」
賀茂への連絡は諦め、急いで校庭へ戻ることを決断する。
「刃物持ってあの動きをする奴を相手に、1人は心許ない気がするけど……繋がらないものは仕方がないよな……」
光は教室を出て、廊下を走る。
ますます伸びた霊樹の枝葉が行く手を遮り、屈みながらの移動になってしまう。
(まずは倒れてた安倍先生の確認……の前に工藤くんをどうにかしないとか……真理ちゃんたちに手伝ってもらうしかないか……)
校庭へと向かいながら到着した後のことを整理するが、やはり情報が足りない。
人命救助も必要だが、その前に生徒の安全確保をしなければならないのだ、1人では到底手が足りない。
(その前にやっぱ素手で刃物と対峙できないよな?何かないかな……なんか棒でもいいから……)
刃物相手に素手で立ち向かうのはかなり無茶な話だ。
無理とは言わない。
負傷する覚悟が必要なのだ。
映画や漫画の様に刃物を叩き落として無傷で済むなどとは光も思っていない。
(何かないか……得物は何でもいいから、長い物を……)
せめて得意の獲物である、木刀か竹刀、或いはそれに近い長さの棒でもあれば最良なのだが。
廊下を走りながら周りを確認するもそんな手頃なものは落ちていない、探せばモップやホウキ位有るだろうが今は時間がない。
「あっ!」
光の目に飛び込んできたのは、不審者に対応するための刺股だった。
「ちょっと長いけど、刃物相手にはこっちの方がいいか……長物はそんな得意じゃないんだけどな……」
光は廊下の壁に設置された刺股を手に取り、再度走り出す。
「皆んな、今行くから無事でいてくれよ!」
希望の光が駆け抜ける。
少し霞掛かった春の空よりも、夏の青さと言った方がしっくりくる五月晴れ。
暑い日差しとは裏腹に、一度日差しが雲に遮られれば心地よい風が吹き抜ける季節。
今年も梅雨入り前から暑くなる予報が出ているが、まだ埼玉の夏はこんなものではないと言える気温だ。
そんなよく晴れた5月のある日、加茂は教室の中で絶叫していた。
そしてその様子を、うれしそうに見やる男。
男は軽薄そうな口調で呟く。
「決めた、お兄さんを使うことにしよう。そうすれば、もっと、いい感じになりそうだし」
男は誰に対してでもなく呟くと、右手を前に掲げる。男の手の先に魔法陣の様なものが空中に浮かび上がる。
賀茂は最早言葉にすらなっていない叫び声を上げていた。
自身が何を叫んでいるのか、何に激怒しているのかも分からない。
制御できない感情の激流の中で、薄らと保たれた自我がその光景を認識する。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛(……何が……起きて……) あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛(あいつは……)」
ズドンと窓の外で鈍い轟音が響く。
「ん?何だろうねぇ?」
男が轟音に気を取られ、賀茂から視線が外れる。
「っく、はっ……はっ……はぁ……はぁ……」
突然思考の制御を取り戻した賀茂はすぐさま絶叫を止め、膝を付いて息を整える。
長いこと息を吸うことも儘ならない状況から漸く抜け出し、肺に空気を送り込んで全身と脳へ酸素を送り込む。
立ち上がる事はまだ叶わない。
荒い呼吸を何とか整える事で精一杯な状況だが、賀茂の目線は目の前の男を捉え続けている。
「あぁ、これはうっかり、折角いい所だったのに中断させちゃったねぇ。向こうも何だか面白そうな事になっているみたいで、気になるけど……今はお兄ぃさんの方が気になるなぁ。ここじゃちょっと煩いから一緒に移動しようか」
男は再度右手を身体の前に突き出す。
「私を……何処に……連れて……行くって……」
賀茂がどうにか立ちあがろうとした時、自身の足元がペりぺりと崩れ落ちている事に気が付いた。
今し方まで教室の床だった場所が崩れ落ち、灰色の世界が顔を覗かせている。何もない、曇天のような世界。
「何だ……これは……」
一瞬の思考停止。本来の賀茂であれば素早く立って回避したであろう、或いは立ち上がれずとも転がりながらでも避けたであろう。
しかし、賀茂は動けなかった。見てしまった。見惚れてしまったのだ。
その世界が美しいと。
「気に入ってくれたみたいだねぇ、じゃあ行こうか」
「なっ!待て!」
賀茂の身体スルリと曇天の世界へと落ちていく。賀茂に足掻く暇も与えず、全身を呑み込む。
それを追いかけるように男も自身の足元に曇天の世界への入り口を開き、その中へと沈んでいく。
「楽しみだねぇ」
教室に残されたのは、霊樹と舞い踊る霊子だけだった。
◇◇◇
その空間は不思議な世界だった。
上下左右も無く、体はふわふわと浮いている。
景色はひたすらに灰色だ。
一色の灰色ではない、白に近い灰色から黒に近いものまで、様々な濃淡の灰色が織りなす世界。
(雲の中のような世界だ)
息を整え落ち着きを取り戻した賀茂。
そんな世界に投げ出されながらも意外と不安に思う心はなく、寧ろ心地よさすら感じていた。
(白でも黒でもない世界……灰色が織りなす世界……まるで私が見ていた世界そのもの……これは、私の見ている何時もの世界)
「気に入ってくれたみたいだねぇ、お兄ぃさん」
いつの間にか男が現れ、賀茂に声かける。
「……ここは何処だ?お前は何者だ?」
「ふふっ、怖い怖い。この世界を心地いいと感じて、今の状況でそれだけの怒気を纏えるんだから、やっぱりお兄ぃさんはいいねぇ」
賀茂が男を睨みつけながら語気鋭く詰問する。
男はそんな賀茂の言葉をヘラヘラと受け流し、愉快そうに賀茂を眺めている。
「その“お兄さん”というのはやめてくれ、私はそんな歳ではないし賀茂実道と言う名前もある。君も名前くらい名乗ったらどうだ」
「あぁ失礼、まだ名乗ってなかったね。僕はネイロン、よろしくね実道。ふふっ、それにしてもまずはそこなんだ。まあ僕からしたら君等は皆ん“お兄ぃさん”“お姉ぇさん”なんだけどね」
ネイロンと名乗った男は愉快そうに目を細める。
(……状況が掴めないまま相手を刺激するわけにはいかないな……会話は可能なようだし、まずは相手から情報を引き出す)
賀茂はいきなり名前で呼ばれたことにムッとしながらも、このネイロンと名乗った男が何か現状に繋がる情報を持っているのではないかと睨み、会話を続けることにする。
「それで、貴方は何者なんだ?ここは何処なんだ?」
「僕のこともネイロンって呼んで欲しいなぁ。まぁ僕は頼まれてね、世界を確認して回ってただけだよ。あとここは僕の世界だよ、実道も気に入ったみたいだし、よかったよぉ」
「頼まれたと言うのは、誰にだ?」
「あいつだよぉ……まったく、僕たちのこと嫌ってるくせに、こういう時は人使いが荒いんだ、それにね――」
ネイロンが“あいつ”とやらの不満を次々に口にしていく。
(よく喋る……もう少し突っ込んで聞いてみても大丈夫か?それよりもここから脱出する方向に誘導すべきか……)
「――でさぁ、あいつ「世界を在るべき姿に還す」とか言いって神罰術式を発動させたのはいいんだけど「完璧じゃないから見てこい」とか言い出してねぇ、ほんとめんどくさいよねぇ」
「神罰……術式……あの時の声が言っていた、あれか……」
「おっ、実道も興味ある?あるよねぇ、僕も興味あるよぉ。実道、君何で生きているの?」
ネイロンの雰囲気がすっと変わる。
先程までのヘラヘラとした雰囲気から一転、捕食者の顔に変貌する。
「……こっちが、聞きたいくらい、だな」
「――そっかぁ、そうだよねぇ。まぁその辺はあいつが調べるでしょ。それなりに生き残りもいるみたいだし。それよりもぉ、実道ぃ、この世界について知りたくないかい?君なら理解できると思うんだよねぇ」
ネイロンはその場から動くことができない賀茂にスッと近付き、悪魔のような囁いた。
◇◇◇
一方その頃、耶蘇光も南側校舎で生存者の捜索を行なっていた。
「ここも駄目か……ふぅ……みんな木になっちゃってるか……ほんと、どうなっちゃったんだ……星斗のやつは無事かな……」
ここには居ない親友のことを思い出し、その無事を祈る。
「何とかして伊緒くんと真理ちゃんの無事を知らせないとな……」
偶然とはいえ親友の子供たちの教師をやっている身としては、無事に親元へ返してやりたい。それは光の本心からの願いであった。
「さて、4階は全滅か。次は3階かな……」
光は最上階の4階から捜索を始めたようだ。
順番に次の階へと降りて行こうとした、その時。
巨大な何かが叩きつけられるような重低音が響き、校舎が揺れる。
「何だ!何の音だ!」
ガタガタと音を立て、窓ガラスがビリビリと振動する。
「校庭かっ!!」
光はすぐさま窓際まで霊樹を掻き分けて進む。
その間もズドン、ズドンと何度も轟音が響き、その度に窓ガラスが悲鳴をあげる。
「ちょっ!揺れる!何が起きてるんだ!」
漸く窓際まで辿り着き、霊樹の枝を押し分けて校庭を見と、そこにはありえない光景が広がっていた。
「欅の木が暴れてる!?」
暴風の如く枝を振り回して暴れ回っている欅の木。
その暴風の中で倒れる人影と、その人影に折り重なるように男子生徒が見える。
周囲には複数の生徒、欅の木の方に2人、校舎側に残りの4人。
「倒れてるのは……安倍先生?」
倒れたまま起き上らないスーツ姿の男性が見えた。おそらく安倍教諭だろう。
「真理ちゃんと一緒に居るのが西風舘くんか……手前に居るのが……伊緒くんたちだな、だとすると……工藤くん?」
その工藤が欅の木の枝に横薙ぎされ、吹き飛ばされていく。
「工藤くん!」
校庭をボールが転がる様にゴロゴロと吹き飛ばされ、校庭の端までいって漸く止まる。
光の心配を他所に、直ぐに立ち上がる工藤。
「はぁ……無事か、それにしてもあれで無事なのか?」
光は安堵して息を吐く、そして工藤の異常とその手に光物が握られている事に気が付く。
「あれは……何を持ってるんだ?って!何だあの動き!ありえない速度……ありえない反応……人間業じゃ無い……」
物凄い速度で走り出し、迫り来る欅の木の枝を掻い潜っていく工藤の動きを見て光が驚き呟く。
光も武道を嗜む者として、それなりに身体の動きに心得はある。
今は剣道部の顧問をしているが、仁代家の面々と同じ古武術の師範に師事し、身体の動かし方、先の読み方、心のあり方を叩き込まれてきた身である。
だからこそ言える。
――あの動きはおかしい――
と、武術の構えや動きにはそれ相応の理屈がある。
長い年月や先人たちが理にかなって研ぎ澄ましてきた動きだ。
それは武道として相手に礼を尽くし、己の生きる道に主眼を置くもの。
防衛術として己や守るべき対象が生き残ることに主眼を置いたもの。
逮捕術の様に相手をなるべく無傷で捕縛することに主眼をおいたもの。
そして、殺人術として相手を殺すことに主眼を置くもの。
「動きも、反応もめちゃくちゃだ……それなのに……」
その動きは各々で違うが、それでもある種の予備動作はあり、先読みや経験則で動く。
しかし目の前で高速で動きまわっている工藤の動きに規則性は無い。
恐らく見てから反応しているだけなのだろう。
避けたいから避ける、受けたいから受ける、切りたいから切る。
ある意味で、欲望に忠実な動き。
「心のままに、動いてるだけ……?」
工藤が欅の木の根元まで辿り着き、右手で把持したナイフを欅の木に突き立てる。
これまでの嵐の様な動きが嘘のように収まり、欅の木が大人しくなる。
「何をしたんだ!欅の木が止まった……ナイフを刺しただけで!?」
欅の木からゆっくりとこちらに向かって歩いてくる工藤は何か叫びながら両手を空に掲げる。
右手に紅の光が集まりだし、周囲を漂っている翠色の霊子が集まり出す。そして光が収まり、工藤の右手には1本のナイフが握られていた。
「何だ、紅く光ったと思ったら周りの翠色の粒が集まり出して……ナイフができた?この霊子とか言うやつが集まったのか……」
呆気にとられる光を他所に、工藤は伊緒たちがいる方へと歩き出す。
そして光は未だに動かない安倍教諭を思い出す。
「あのナイフ!まさか工藤くんが安倍先生を……すぐに助けにいかなきゃ……あぁ!賀茂先生にも連絡しないと……流石にあの音は聞こえた筈だけど、北側校舎じゃ何が起きたかは見えないだろうし……ええと、賀茂先生、賀茂先生は……あった!」
焦る気持ちで携帯電話の操作も覚束ず、漸く賀茂の電話番号を見つけ出して電話をかける。
この様な状況だがまだ電話の発信音は聞こえているので、電話回線や電波は生きているのだろう。
短い発信音の後、通常であれば呼び出し音がなる筈だが、電話口から聞こえてきたのは無機質な女性の声だった。
「お掛けになった電話は電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため……」
「ええっ……通じない……もう一度!」
光は何度も掛け直してみるが結果は同じであった。
「このままじゃ皆が危ない!取り合えず戻る!」
賀茂への連絡は諦め、急いで校庭へ戻ることを決断する。
「刃物持ってあの動きをする奴を相手に、1人は心許ない気がするけど……繋がらないものは仕方がないよな……」
光は教室を出て、廊下を走る。
ますます伸びた霊樹の枝葉が行く手を遮り、屈みながらの移動になってしまう。
(まずは倒れてた安倍先生の確認……の前に工藤くんをどうにかしないとか……真理ちゃんたちに手伝ってもらうしかないか……)
校庭へと向かいながら到着した後のことを整理するが、やはり情報が足りない。
人命救助も必要だが、その前に生徒の安全確保をしなければならないのだ、1人では到底手が足りない。
(その前にやっぱ素手で刃物と対峙できないよな?何かないかな……なんか棒でもいいから……)
刃物相手に素手で立ち向かうのはかなり無茶な話だ。
無理とは言わない。
負傷する覚悟が必要なのだ。
映画や漫画の様に刃物を叩き落として無傷で済むなどとは光も思っていない。
(何かないか……得物は何でもいいから、長い物を……)
せめて得意の獲物である、木刀か竹刀、或いはそれに近い長さの棒でもあれば最良なのだが。
廊下を走りながら周りを確認するもそんな手頃なものは落ちていない、探せばモップやホウキ位有るだろうが今は時間がない。
「あっ!」
光の目に飛び込んできたのは、不審者に対応するための刺股だった。
「ちょっと長いけど、刃物相手にはこっちの方がいいか……長物はそんな得意じゃないんだけどな……」
光は廊下の壁に設置された刺股を手に取り、再度走り出す。
「皆んな、今行くから無事でいてくれよ!」
希望の光が駆け抜ける。
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