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第2章 日常讃歌・相思憎愛
第10話 遠雷
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校舎に向かって歩く耶蘇光と賀茂実道。
「光さん!気を付けて!」
「危なくなったら直ぐに引き返してください」
「加茂先生、光さんを頼みます」
仁代真理、躬羽玲、仁代伊緒のそれぞれの声が2人に届く。
「伊緒くん……何でそうなるかな……」
「耶蘇先生、行きますよ」
「あ、はい」
伊緒の声に反応しかけた光。賀茂は「早く行くぞ」とばかりに声をかける。
「耶蘇先生、まずは職員室から119通報を入れましょう。それから校内の検索です」
「そうですね。ではまず、職員室に向かいましょうか」
2人は正面の昇降口から校舎内へと入り、まずは2階の職員室を目指す。
第一優先でやらなければならないのは外部との接触。
110番通報なり119通報なりして外部に救助要請をすること。
「連絡さえついたらあとは校内の捜索です」
「ええ、まずは何とかして外部と連絡をとりましょう」
まずは救助要請と自身の携帯電話機の確保を目指す。
そして校内を検索し、他に生き残っている者がいるかどうかの確認。
目標を確認した2人は翠色の霊子が溢れる廊下を駆け抜け、校舎の端に位置する職員室を目指す。
教室の出入り口や窓からは霊樹の枝葉が廊下へと伸び、翠色の霊子を吐き出している。
「なんか、さっきより伸びてないですか?」
「ええ、成長してますね……」
「何が何だか……この翠色の光も……」
「恐らく、あの声が言っていた“霊子”とかいうものなんでしょう。そしてこの木が霊樹。霊子と霊樹が何だかは分かりませんが……」
光の疑問は賀茂も感じていたらしく、あの時意識が途切れそうになりながら聞いた謎の声を思い出しながら答える。
賀茂とて何が起きたかは分からないが、あの時の謎の声が言っていた情報から推察できることはある。
(恐らく、人間を変化させたものなんだろうが……全員ではない。まだ生き残りがいる可能性はある。チッ、禄でもないことを……)
加茂は日常が壊され、こんな謎の世界に放り出されたことを声を出さずに毒づく。表情は険しく、眉間に皺を寄せている。
その後ろを光が追従していく。光もまた改めて見るこの惨状に押し黙り、子供2人を預かっている親友のことを心配していた。
(他のみんなは無事だろうか……こんなことが起きたのはここだけなのか、それとも……星斗のやつは無事かな……)
各々思考を巡らせながら職員室の前まで辿り着く。
加茂は職員室の扉の窓から室内を確認する。
「……」
辺り一面は霊子の翠色の光で溢れており、授業がなく残っていた教師が座っていた場所から霊樹が生えているのが見て取れた。
「これは……厳しそうですね。耶蘇先生、行きますよ」
「ええ、お願いします」
加茂が扉の取手に指をかけ、そっと扉を引いて2人は中の様子を伺うが何かが動く気配も、息遣いも感じられない。
「中に入ってみましょう。私は119番通報をしてみますので、耶蘇先生は生存者の確認をお願いします」
「了解です。行きましょう」
2人は職員室の中へと足を踏み入れる。
加茂は近くの電話の受話器を上げ、119番通報をかける。
その後ろを光が通り過ぎながら職員室へと張り込み。
残っていた同僚を確認していく。
「荒木先生に宮下先生……教頭先生も……」
授業中であったこともあり、そこまで残っている教師は多くない。光は霊樹の枝を掻き分けながら生存者が居ないか確認していく。
「誰も居ないのか……」
誰も生存者が居ない事に焦りを覚えながら、光は自身の席に辿り着く。
「そうだ……携帯は回収しておかないと……」
そう呟き、スマートフォンを充電していた机の上に手を伸ばそうとして、光の手が止まる。
「鈴木先生……」
光の仕事机は、半分以上隣の席の鈴木教諭と思われる霊樹がもたれ掛かる様に乗っており、光のスマートフォンはその霊樹に押しつぶされ、埋もれていた。
「っく!これは、取れないな……」
スマートフォンは半分以上埋もれており、思い切り引っ張ってみたがびくともしない。
まだ電波は受信しているようだが、これでは光のスマートフォンからは連絡を取ることができなくなってしまった。
「仕方がない、取り合えず加茂先生の携帯だけ回収して職員室の生存確認をしてしまうか」
光は自身のスマートフォンによる外部への連絡を諦め、隣の加茂の机の上に置かれたスマートフォンを回収し、生存確認を急ぐことにする。
一方その頃、加茂は一向に繋がらない電話の呼び出し音に苛立ちを募らせていた。
(119番通報も、110番通報もコールはするものの繋がらない!くそっ!どうなってるんだ!)
加茂はコール音だけが響く受話器を持ったまま声を上げる。
「耶蘇先生!119番も110番も繋がらない!誰か生きてる人はいますか!?」
「ダメです!今のところ誰もいません!校長先生もダメでした!」
「ッチ!一旦集まりましょう!この後の方針を決めたい!」
「了解です!今行きます!」
お互いの姿が見えないため大声で叫びながら会話する2人。
ガサガサと枝を掻き分けて光は賀茂の所まで戻ってくる。
「加茂先生、職員室には誰も生き残っていませんね。電話は繋がりませんか?」
「ええ、残念ながら何処にも繋がりません。携帯電話は回収できましたか?」
「僕の携帯は鈴木先生に取り込まれてしまって回収できませんでした。加茂先生の携帯は回収できましたので……どうぞ」
光はポケットから加茂のスマートフォンを取り出して手渡す。
加茂はお礼を言いながらスマートフォンを受け取り、電波状況を確認する。
「電波はあるようですね……」
そう言いながら着信とメッセージの受信を確かめるが、1件もないようだ。
ニュースを扱うアプリを立ち上げ、最新のニュースを更新するも、現状を知らせるようなものは何もない。
「ッチ……何も分からない、と言うことだけが把握できただけですね」
一瞬覗いた加茂の苛立ちも、次の瞬間には取り繕われていた。そのまま加茂は話を続ける。
「仕方がありません、このまま各教室の確認をしていきましょう。私は北側校舎を確認しに行きます、耶蘇先生はここ、南側校舎をお願いします」
「あ、はい、分かりました」
光も加茂の普段見せない表情と態度に驚きを隠せず、返事が遅れてしまう。
(1人になってもいいのかな……いやでも……そんなこと言ってる暇もないか……)
本来であればこのような非常事態、更には何が起こっているか分からない状況で単独行動をするのは危険行為だ。だが、動揺した光はそのことに気が回る前に了承してしまう。
「では行きましょうか……と、連絡が取れないのも不便ですね……」
そう言うと、加茂は教頭が座っていた机に近付いていく。
そこには1本の霊樹が生えており周囲にスーツの残骸や眼鏡が転がっており、賀茂は机の上や周囲を何やら探し始める。
「あぁ、ありました」
賀茂は教頭だった霊樹の根本にしゃがみ込み、転がっていた1台の携帯電話機を拾い上げる。
古い2つ折りの携帯電話機を開き、壊れていない事を確認する。
「それは……教頭先生の公用携帯ですか」
「えぇ、これなら連絡を取ることができるでしょう。渡しておきます」
賀茂はネックストラップが千切れ、使い古された携帯電話機を光へと渡す。
「教員みんなの連絡先は入っているはずです、一応確認してみてください。電話が使えるうちはこれで連絡をとりましょう」
「分かりました……あ、賀茂先生の連絡先もちゃんと入ってますね」
「では二手に分かれて生存者の確認を行いましょう」
「ええ、何かありましたら連絡しますので」
◇◇◇
職員室を出た賀茂は連絡通路を通り、北側校舎を目指して歩き始める。
(とりあえず1階から見ていくか……本当になんなんだこれは……)
未だその疑問に答えられるものは居らず、考えるだけ無駄だとは分かっている。
それでも疑問は浮かんでは消え、消えては浮かび上がる。
「ここは……2年1組か……」
加茂が今確認しているは、2年生の教室がある北側校舎の1階。
「相川がいるはずのクラスか……」
2年1組には加茂が受け持っている空手部に所属している生徒がいるはずだった。
教室の扉を開け、中を確認する。教室内は霊樹と霊子で埋め尽くされており、見渡すことができない。
ゆっくりと教室内に入り、加茂はあるものを目にする。
「梅田先生……」
霊樹と化して教壇に根差している同僚を見て、改めてこの世界に何かが起きている実感する。
しかし今はやらねばならない職務があることを思い出し、加茂は廊下側から1人1人ずつ生徒を確認していく。
そしてある霊樹の前で加茂の足が止まる。
「チッ……」
普段であれば漏れることない苛立ちが、舌打ちとなって現れる。職場ではいつも冷静沈着で、何者にも動じない教師を維持しているが、内情はそうはいかない。
湧き上がる負の感情を押し留め、漏れ出ないようにしているだけである。
それが今、決壊し始めていた。
「相川さん……」
「必勝祈願」と書かれたお守りが付いた、見覚えのあるカバンが机にかけられていた。
空手部でも数人しかいない女子部員のうちの1人であり、部を明るくしてくれる生徒の変わり果てた姿がそこにあった。
「何なんだよ!」
度重なる異常事態。
何より変わらぬ日常を愛する加茂にとって、これ以上に無い程の非日常に塗りつぶされた世界。
「クソ!クソ!クソッ!!」
加茂の苛立ちが募っていく。本人も気付かぬうちに、ジワリジワリと滲み出た澱が溜まっていくように。
それでもまだ、教師としての職務を全うしようとする想いが滲み出る感情を押し留めている。
その想いだけで教室を1つずつ確認していく。
「クソが……みんな木になってやがる……」
1階の教室を確認し終えた時点で、生存者を発見することはできなかった。
皆一様に霊樹と化してしまい、翠色の霊子の粒を吐き出しているだけであった。
「……」
すり減らされていく心。
積もる澱。
「……ちっ!」
普段ならば、何とか折り合いをつけていた感情が賀茂の制御を離れていく。
感情を溢しながら2階の教室を確認していく加茂。苛立ちを多分に含んだ足音が誰も居ない廊下に響き渡る。
ガラリと乱暴に教室の扉を開け、教室内を見て回る。散乱する教科書やノート、奇妙に制服を着た霊樹、立ち昇る霊子。
世界が壊れたと示す証左。
ピシリと加茂の心にヒビが入る。
――壊れた――
苛立ちを目に宿し、それでも職務を全うしていく。
――世界が壊された――
身体は無意識に動き、霊樹を掻き分け、生存者が居ないか探し回る。
――日常が……つまらない、くだらない、必死に世界に合わせやっていた俺の日常が――
霊樹を掻き分ける手が生徒だった枝を握り、メキメキと握りつぶす。
そんな己の変化に気付く余裕は無く、何かに突き動かされるように次の教室へと足を速める。
ダンッと勢いよく開けられた教室の扉が、打ち付けられて軋む。
目の前に広がるのは、ここまで何度も見てきた光景。
「――!根岸ッ!」
教壇にもたれる様に生えている霊樹が1本。
今日はまだ5月なのに気温も上がり、朝から暑いはずなのにスーツの上着を脱がないで教壇に立っていた男性教諭。
「何で……お前まで……」
生真面目なその教諭は、まだ新任で配属されてから3年目の根岸であった。
根岸と加茂は隣の席であり、加茂は新任の頃から根岸の指導を行っていた。
手のかからない優秀な後輩であり、よく加茂を頼ってくれていた。
そんな後輩を加茂も掛け値なしに可愛がっており、私生活でまともに人付き合いをしない賀茂にしては珍しく仲の良かった後輩である。
賀茂の口から溢れるのは悲壮か、絶望か。
「何で!お前が!!」
否、それは怒り。
根岸が霊樹に変わってしまったことに対するものなのか、己だけが生き残ったことにに対するものなのか、或いはそうさせた世界に向けてなのか。
加茂自身も区別はついていないだろう。だが漏れ出ていた怒りは、今や堰を切って濁流となり、流れ出す。
澄んでいた水が濁る様に、澄み渡った青空に雷雲が立ち込める様に。
沸騰するかの如く、身体の奥底から絶え間なく湧き上がってくる感情。
「クソがッ!」
右手を強く握り込んで振り上げる。
加茂が怒りに身を任せようとした、その時。
「おにぃさん、いい”怒り”持ってるねぇ」
今まで誰も居なかった教室内に、突如として声が響いた。
加茂はすぐさまに身を翻し、教室の出入り口付近まで後退する。
そして左拳を前に突き出し、右手はやや引き気味に構えて臨戦態勢をとる。
「……」
そして軽薄そうな声の主を確かめる。
そこには金髪の長い髪をなびかせた痩身の男が霊樹に腰掛けていた。
黒いコートのような服、よく見ると翠色の紋様が浮かんでいる。
軽薄な笑みを湛える瞳は翠色。まるでこの世界の惨状を写し取ったかのような色をしている。
そして感じる圧倒的な存在感。軽薄な見た目とは裏腹に、賀茂は構えを解くことも、近付くこともできない。
「……何者だ、いつからここに入ってきた」
賀茂は先程までの怒りは二の次にして、目の前の不審者に集中するように頭を切り替える。
まだ、それだけの理性はある。むしろこの男が引き戻してくれたと言っても過言ではない。
「さっきから居たよ?お兄さんが気が付いてなかっただけでしょ。それよりもぉ、さっきの心地いい怒りはもうお終いかい?折っ角これから楽しくなる所だったのになぁ」
「何が……楽しいだと?」
一挙手一投足が加茂の神経を逆撫でしてくる。軽薄で、薄ら笑いながら、こちらを見下してくる。
まるで虫でも見るかのような目。見え透いた挑発であることは加茂も気が付いている。
それでも、抗い難く、切り替えて抑え込んだ筈の感情が沸き上がる。
「ふふっ、いいねぇそれが欲しいんだよ。やっぱりお兄さんいいねぇ」
「俺の……何が欲しいって?いい加減俺の質問にも答えてもらいたいだが?」
「そう焦らないでよぉ。折角世界が在るべき姿に成ったのに、ただ観察するだけじゃつまんないって思ってた所なんだ。これ位の役得があってもいいよね?そうだ、お兄さんも一緒に楽しもうよ!」
加茂の言葉を聞く気も、答えるつもりもないらしい。
ただただ、この状況を楽しめと嘯く。
「ふざけんな!!この状況を、この世界の何を楽しめってんだ!!こんな終わった世界!!こんなくそったれな世界!!消えちまえ!!!ああっむかつく!!!ああっ憎い!!!!」
加茂の叫びが木霊する。押し留められた感情は止めどなく流れ、発露される。
「ほらね、思ったとおりだ」
軽薄さが消え、邪悪な笑みと共に言葉が呟かれる。
5月の青く晴れた空の向こうから、季節外れの遠雷が聞こえた気がした。
「光さん!気を付けて!」
「危なくなったら直ぐに引き返してください」
「加茂先生、光さんを頼みます」
仁代真理、躬羽玲、仁代伊緒のそれぞれの声が2人に届く。
「伊緒くん……何でそうなるかな……」
「耶蘇先生、行きますよ」
「あ、はい」
伊緒の声に反応しかけた光。賀茂は「早く行くぞ」とばかりに声をかける。
「耶蘇先生、まずは職員室から119通報を入れましょう。それから校内の検索です」
「そうですね。ではまず、職員室に向かいましょうか」
2人は正面の昇降口から校舎内へと入り、まずは2階の職員室を目指す。
第一優先でやらなければならないのは外部との接触。
110番通報なり119通報なりして外部に救助要請をすること。
「連絡さえついたらあとは校内の捜索です」
「ええ、まずは何とかして外部と連絡をとりましょう」
まずは救助要請と自身の携帯電話機の確保を目指す。
そして校内を検索し、他に生き残っている者がいるかどうかの確認。
目標を確認した2人は翠色の霊子が溢れる廊下を駆け抜け、校舎の端に位置する職員室を目指す。
教室の出入り口や窓からは霊樹の枝葉が廊下へと伸び、翠色の霊子を吐き出している。
「なんか、さっきより伸びてないですか?」
「ええ、成長してますね……」
「何が何だか……この翠色の光も……」
「恐らく、あの声が言っていた“霊子”とかいうものなんでしょう。そしてこの木が霊樹。霊子と霊樹が何だかは分かりませんが……」
光の疑問は賀茂も感じていたらしく、あの時意識が途切れそうになりながら聞いた謎の声を思い出しながら答える。
賀茂とて何が起きたかは分からないが、あの時の謎の声が言っていた情報から推察できることはある。
(恐らく、人間を変化させたものなんだろうが……全員ではない。まだ生き残りがいる可能性はある。チッ、禄でもないことを……)
加茂は日常が壊され、こんな謎の世界に放り出されたことを声を出さずに毒づく。表情は険しく、眉間に皺を寄せている。
その後ろを光が追従していく。光もまた改めて見るこの惨状に押し黙り、子供2人を預かっている親友のことを心配していた。
(他のみんなは無事だろうか……こんなことが起きたのはここだけなのか、それとも……星斗のやつは無事かな……)
各々思考を巡らせながら職員室の前まで辿り着く。
加茂は職員室の扉の窓から室内を確認する。
「……」
辺り一面は霊子の翠色の光で溢れており、授業がなく残っていた教師が座っていた場所から霊樹が生えているのが見て取れた。
「これは……厳しそうですね。耶蘇先生、行きますよ」
「ええ、お願いします」
加茂が扉の取手に指をかけ、そっと扉を引いて2人は中の様子を伺うが何かが動く気配も、息遣いも感じられない。
「中に入ってみましょう。私は119番通報をしてみますので、耶蘇先生は生存者の確認をお願いします」
「了解です。行きましょう」
2人は職員室の中へと足を踏み入れる。
加茂は近くの電話の受話器を上げ、119番通報をかける。
その後ろを光が通り過ぎながら職員室へと張り込み。
残っていた同僚を確認していく。
「荒木先生に宮下先生……教頭先生も……」
授業中であったこともあり、そこまで残っている教師は多くない。光は霊樹の枝を掻き分けながら生存者が居ないか確認していく。
「誰も居ないのか……」
誰も生存者が居ない事に焦りを覚えながら、光は自身の席に辿り着く。
「そうだ……携帯は回収しておかないと……」
そう呟き、スマートフォンを充電していた机の上に手を伸ばそうとして、光の手が止まる。
「鈴木先生……」
光の仕事机は、半分以上隣の席の鈴木教諭と思われる霊樹がもたれ掛かる様に乗っており、光のスマートフォンはその霊樹に押しつぶされ、埋もれていた。
「っく!これは、取れないな……」
スマートフォンは半分以上埋もれており、思い切り引っ張ってみたがびくともしない。
まだ電波は受信しているようだが、これでは光のスマートフォンからは連絡を取ることができなくなってしまった。
「仕方がない、取り合えず加茂先生の携帯だけ回収して職員室の生存確認をしてしまうか」
光は自身のスマートフォンによる外部への連絡を諦め、隣の加茂の机の上に置かれたスマートフォンを回収し、生存確認を急ぐことにする。
一方その頃、加茂は一向に繋がらない電話の呼び出し音に苛立ちを募らせていた。
(119番通報も、110番通報もコールはするものの繋がらない!くそっ!どうなってるんだ!)
加茂はコール音だけが響く受話器を持ったまま声を上げる。
「耶蘇先生!119番も110番も繋がらない!誰か生きてる人はいますか!?」
「ダメです!今のところ誰もいません!校長先生もダメでした!」
「ッチ!一旦集まりましょう!この後の方針を決めたい!」
「了解です!今行きます!」
お互いの姿が見えないため大声で叫びながら会話する2人。
ガサガサと枝を掻き分けて光は賀茂の所まで戻ってくる。
「加茂先生、職員室には誰も生き残っていませんね。電話は繋がりませんか?」
「ええ、残念ながら何処にも繋がりません。携帯電話は回収できましたか?」
「僕の携帯は鈴木先生に取り込まれてしまって回収できませんでした。加茂先生の携帯は回収できましたので……どうぞ」
光はポケットから加茂のスマートフォンを取り出して手渡す。
加茂はお礼を言いながらスマートフォンを受け取り、電波状況を確認する。
「電波はあるようですね……」
そう言いながら着信とメッセージの受信を確かめるが、1件もないようだ。
ニュースを扱うアプリを立ち上げ、最新のニュースを更新するも、現状を知らせるようなものは何もない。
「ッチ……何も分からない、と言うことだけが把握できただけですね」
一瞬覗いた加茂の苛立ちも、次の瞬間には取り繕われていた。そのまま加茂は話を続ける。
「仕方がありません、このまま各教室の確認をしていきましょう。私は北側校舎を確認しに行きます、耶蘇先生はここ、南側校舎をお願いします」
「あ、はい、分かりました」
光も加茂の普段見せない表情と態度に驚きを隠せず、返事が遅れてしまう。
(1人になってもいいのかな……いやでも……そんなこと言ってる暇もないか……)
本来であればこのような非常事態、更には何が起こっているか分からない状況で単独行動をするのは危険行為だ。だが、動揺した光はそのことに気が回る前に了承してしまう。
「では行きましょうか……と、連絡が取れないのも不便ですね……」
そう言うと、加茂は教頭が座っていた机に近付いていく。
そこには1本の霊樹が生えており周囲にスーツの残骸や眼鏡が転がっており、賀茂は机の上や周囲を何やら探し始める。
「あぁ、ありました」
賀茂は教頭だった霊樹の根本にしゃがみ込み、転がっていた1台の携帯電話機を拾い上げる。
古い2つ折りの携帯電話機を開き、壊れていない事を確認する。
「それは……教頭先生の公用携帯ですか」
「えぇ、これなら連絡を取ることができるでしょう。渡しておきます」
賀茂はネックストラップが千切れ、使い古された携帯電話機を光へと渡す。
「教員みんなの連絡先は入っているはずです、一応確認してみてください。電話が使えるうちはこれで連絡をとりましょう」
「分かりました……あ、賀茂先生の連絡先もちゃんと入ってますね」
「では二手に分かれて生存者の確認を行いましょう」
「ええ、何かありましたら連絡しますので」
◇◇◇
職員室を出た賀茂は連絡通路を通り、北側校舎を目指して歩き始める。
(とりあえず1階から見ていくか……本当になんなんだこれは……)
未だその疑問に答えられるものは居らず、考えるだけ無駄だとは分かっている。
それでも疑問は浮かんでは消え、消えては浮かび上がる。
「ここは……2年1組か……」
加茂が今確認しているは、2年生の教室がある北側校舎の1階。
「相川がいるはずのクラスか……」
2年1組には加茂が受け持っている空手部に所属している生徒がいるはずだった。
教室の扉を開け、中を確認する。教室内は霊樹と霊子で埋め尽くされており、見渡すことができない。
ゆっくりと教室内に入り、加茂はあるものを目にする。
「梅田先生……」
霊樹と化して教壇に根差している同僚を見て、改めてこの世界に何かが起きている実感する。
しかし今はやらねばならない職務があることを思い出し、加茂は廊下側から1人1人ずつ生徒を確認していく。
そしてある霊樹の前で加茂の足が止まる。
「チッ……」
普段であれば漏れることない苛立ちが、舌打ちとなって現れる。職場ではいつも冷静沈着で、何者にも動じない教師を維持しているが、内情はそうはいかない。
湧き上がる負の感情を押し留め、漏れ出ないようにしているだけである。
それが今、決壊し始めていた。
「相川さん……」
「必勝祈願」と書かれたお守りが付いた、見覚えのあるカバンが机にかけられていた。
空手部でも数人しかいない女子部員のうちの1人であり、部を明るくしてくれる生徒の変わり果てた姿がそこにあった。
「何なんだよ!」
度重なる異常事態。
何より変わらぬ日常を愛する加茂にとって、これ以上に無い程の非日常に塗りつぶされた世界。
「クソ!クソ!クソッ!!」
加茂の苛立ちが募っていく。本人も気付かぬうちに、ジワリジワリと滲み出た澱が溜まっていくように。
それでもまだ、教師としての職務を全うしようとする想いが滲み出る感情を押し留めている。
その想いだけで教室を1つずつ確認していく。
「クソが……みんな木になってやがる……」
1階の教室を確認し終えた時点で、生存者を発見することはできなかった。
皆一様に霊樹と化してしまい、翠色の霊子の粒を吐き出しているだけであった。
「……」
すり減らされていく心。
積もる澱。
「……ちっ!」
普段ならば、何とか折り合いをつけていた感情が賀茂の制御を離れていく。
感情を溢しながら2階の教室を確認していく加茂。苛立ちを多分に含んだ足音が誰も居ない廊下に響き渡る。
ガラリと乱暴に教室の扉を開け、教室内を見て回る。散乱する教科書やノート、奇妙に制服を着た霊樹、立ち昇る霊子。
世界が壊れたと示す証左。
ピシリと加茂の心にヒビが入る。
――壊れた――
苛立ちを目に宿し、それでも職務を全うしていく。
――世界が壊された――
身体は無意識に動き、霊樹を掻き分け、生存者が居ないか探し回る。
――日常が……つまらない、くだらない、必死に世界に合わせやっていた俺の日常が――
霊樹を掻き分ける手が生徒だった枝を握り、メキメキと握りつぶす。
そんな己の変化に気付く余裕は無く、何かに突き動かされるように次の教室へと足を速める。
ダンッと勢いよく開けられた教室の扉が、打ち付けられて軋む。
目の前に広がるのは、ここまで何度も見てきた光景。
「――!根岸ッ!」
教壇にもたれる様に生えている霊樹が1本。
今日はまだ5月なのに気温も上がり、朝から暑いはずなのにスーツの上着を脱がないで教壇に立っていた男性教諭。
「何で……お前まで……」
生真面目なその教諭は、まだ新任で配属されてから3年目の根岸であった。
根岸と加茂は隣の席であり、加茂は新任の頃から根岸の指導を行っていた。
手のかからない優秀な後輩であり、よく加茂を頼ってくれていた。
そんな後輩を加茂も掛け値なしに可愛がっており、私生活でまともに人付き合いをしない賀茂にしては珍しく仲の良かった後輩である。
賀茂の口から溢れるのは悲壮か、絶望か。
「何で!お前が!!」
否、それは怒り。
根岸が霊樹に変わってしまったことに対するものなのか、己だけが生き残ったことにに対するものなのか、或いはそうさせた世界に向けてなのか。
加茂自身も区別はついていないだろう。だが漏れ出ていた怒りは、今や堰を切って濁流となり、流れ出す。
澄んでいた水が濁る様に、澄み渡った青空に雷雲が立ち込める様に。
沸騰するかの如く、身体の奥底から絶え間なく湧き上がってくる感情。
「クソがッ!」
右手を強く握り込んで振り上げる。
加茂が怒りに身を任せようとした、その時。
「おにぃさん、いい”怒り”持ってるねぇ」
今まで誰も居なかった教室内に、突如として声が響いた。
加茂はすぐさまに身を翻し、教室の出入り口付近まで後退する。
そして左拳を前に突き出し、右手はやや引き気味に構えて臨戦態勢をとる。
「……」
そして軽薄そうな声の主を確かめる。
そこには金髪の長い髪をなびかせた痩身の男が霊樹に腰掛けていた。
黒いコートのような服、よく見ると翠色の紋様が浮かんでいる。
軽薄な笑みを湛える瞳は翠色。まるでこの世界の惨状を写し取ったかのような色をしている。
そして感じる圧倒的な存在感。軽薄な見た目とは裏腹に、賀茂は構えを解くことも、近付くこともできない。
「……何者だ、いつからここに入ってきた」
賀茂は先程までの怒りは二の次にして、目の前の不審者に集中するように頭を切り替える。
まだ、それだけの理性はある。むしろこの男が引き戻してくれたと言っても過言ではない。
「さっきから居たよ?お兄さんが気が付いてなかっただけでしょ。それよりもぉ、さっきの心地いい怒りはもうお終いかい?折っ角これから楽しくなる所だったのになぁ」
「何が……楽しいだと?」
一挙手一投足が加茂の神経を逆撫でしてくる。軽薄で、薄ら笑いながら、こちらを見下してくる。
まるで虫でも見るかのような目。見え透いた挑発であることは加茂も気が付いている。
それでも、抗い難く、切り替えて抑え込んだ筈の感情が沸き上がる。
「ふふっ、いいねぇそれが欲しいんだよ。やっぱりお兄さんいいねぇ」
「俺の……何が欲しいって?いい加減俺の質問にも答えてもらいたいだが?」
「そう焦らないでよぉ。折角世界が在るべき姿に成ったのに、ただ観察するだけじゃつまんないって思ってた所なんだ。これ位の役得があってもいいよね?そうだ、お兄さんも一緒に楽しもうよ!」
加茂の言葉を聞く気も、答えるつもりもないらしい。
ただただ、この状況を楽しめと嘯く。
「ふざけんな!!この状況を、この世界の何を楽しめってんだ!!こんな終わった世界!!こんなくそったれな世界!!消えちまえ!!!ああっむかつく!!!ああっ憎い!!!!」
加茂の叫びが木霊する。押し留められた感情は止めどなく流れ、発露される。
「ほらね、思ったとおりだ」
軽薄さが消え、邪悪な笑みと共に言葉が呟かれる。
5月の青く晴れた空の向こうから、季節外れの遠雷が聞こえた気がした。
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