暁の世界、願いの果て

蒼烏

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第1章 沈む世界

第2話 世界が哭く日

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 その美しい声は、無機質に世界の終わりを告げる。

 ――キキキキギギギィィイ"イ"イ"イ"イ"エ"エ"エ"エ"ァァァァァァァァァァァァァ――
 
 美しい声とは打って変わって、何者ともとれぬ悲鳴の様な声が世界に木霊する。
 まるでこの世界がているようであった。
 
 瞬間、翠の光が世界に溢れた。

(何だ何だ何だ!!今の声は何だ!!頭の中に直接響いたぞ!!)

 混乱する星斗。
 
『――術式発動を確認――人類へアクセスを開始――』

 再度鳴り響く謎の声。
 
「――ガッ!!」

 体の内側を殴られるような衝撃が星斗を襲う。思わず拳銃を構えた腕を下ろしてしまう。

 耐え切れず片膝をつき、痛みと不快感に耐える星斗。倒れ込んでしまいたい衝動を、何とか堪え、先程まで見ていた被疑者の姿を確認する。しかし翠色の光の渦で周囲を見る事ができない。

『――術式深度50%、進行度50%――対象の変換を開始――』

「――ぐふっ!――」
(――何だ――これは――全身が――痛い――脳みそ――心臓が――弄くり回さ――れて――いる――よう――な気持ち――悪さ――は――)

 今にも叫び出したい衝動に襲われるが、何故が声を上げることができない。
 渾身の力を振り絞り星斗が叫ぶ。
 
「――森岡!!」

 隣に居るはずの森岡に声をかけるが返事がない。
 被疑者から目を離すのははばかられるが、横目で森岡を確認しようとする。

『――術式深度80%進行度80%――肉体の変換を開始――』

「――ッ!!――」

 体が焼けるように熱くなる。思わず拳銃を落とし、地面に両手を着く。
 何とか横目で森岡を確認する。そこには異様な光景が広がっていた。

 右足を後ろに引き、腰撃ちの姿勢のまま拳銃だけがぶら下がっている。拳銃を持っていたはずのその腕の指先から、
 その子葉の双葉から、瞬く間に茎が伸び、本葉が茂っていく。
 この世の物とは思えない光景に絶句するが、慌てて森岡の顔を確認する。
 天を仰いで白眼を剥いている森岡。その顔がに硬質化していく。

「――っなん――だ――何が――」

 森岡の顔がみるみる樹皮に覆われていく。やがて体から枝が生え、緑の葉が生い茂る樹木へと成長していく。

『――術式深度90%――魂の変換を開始――」

 ――ドクン――

 星斗の体が、いや魂が跳ね上がる。

「――っぐがっ――」

 再び顔も上げられず、地面に這いつくばる星斗。
 身体の中の何か大事なもの握られた様な感覚、自身の魂があがなのを感じる。否、解る。
 どれくらいの時間だろうか、実際はあっという間にだったのだろうが、あまりにも長く感じられた。
 次第に不快感が引いていき、握りつぶされそうな圧力から解放される。

「――っすぅ――っはっぁ――ゲホッゲホッ!」

 空っぽになった肺に空気を取り込み、思いっきり吐き出す。咳き込みながらも落ち着きを取り戻し、改めて森岡を見る。

『――術式深度100%進行度99.9999%――霊樹れいじゅ霊子れいしの生産を開始します――』

 先程までの翠の光の放流が引いていく。
 全貌が見えなかった森岡の、の姿があらわになる。
 そこには「樹」が生えていた。
 いや先程の謎の声からすると「霊樹れいじゅ」になるのだろう。

 アスファルトにどっしりと根を下ろし、胴回りは一抱え程、丁度。拳銃を「腰構え」にしていたであろう形がわかる。拳銃は手から落ちたのだろう、拳銃吊り紐と繋がってアスファルトの上に転がっている。制服や装備品は、霊樹になった際に破れたりしたのだろうか、破れて幹には引っ掛かったり、地面に落ちている。
 高さは3メートル程、青々とした葉が茂り、薄らと緑色に発光している様に見える。
 
 幹には人間の顔き見える所があり、森岡の面影がある。

「……森岡……」

 そう呟くが、どこからも返事は返ってこない。
 
 段々と葉の光が強くなり、霊樹の周りに濃い緑色、まるで翡翠の様な翠色の大小様々な光の粒が舞い始める。
 光は葉から生まれ、空気中に舞い上がり、やがて溶ける様に消えてゆく。
 その光景は怪しくも美しいくあった。

「何がどうなってるんだ……」

 呆然と立ち尽くす星斗。
 はたと拳銃強盗の事を思い出して、慌てて被疑者の方を見る。

「――っ!――」

 そこには森岡と同じ様に霊樹と化した被疑者だったものが根付いてた。傍には足を撃たれた被害者が倒れていた筈だが、そこには横倒しになった霊樹がL字に屈曲し、まるで山岳地帯の崖に生えた松の木のように、空を目指して伸び上がっていた。
 そう、それはだった。

「至急至急!!深山305から埼玉本部!!」
『…………』
「至急至急!!!!深山305から埼玉本部!!!!」
『………………』
「至急至急!!!!!!深山305から深山!!!!!!」
『……………………』
「何なんだよクソッ!!何が起こってるんだよ!!」

 一向に返答のない無線に向かって悪態をつく。
 やり場のない不安と焦燥が星斗の心を掻き乱す。
 しかし、そんな事を言ってられる状況ではないことは分かっている、無理矢理深呼吸し心を落ち着かせる。

「――すぅぅぅ――はぁぁぁ――――うっし!!とりあえず状況確認するしかないか……」

 まずは被疑者の確認をする為、慎重に被疑者であったはずの霊樹に近付く。念のため拳銃は構えたままだ。
 被疑者の拳銃は右手だったであろう場所に引っかかっていた。被疑者の霊樹が動かないことを確認し、自身の拳銃をホルスターに収める。
 そして被疑者の霊樹から拳銃を取り上げ、安全を確保する。
 銃把じゅうはには見覚えのある「星」のマークが見えた。

「よし。取り合えず拳銃は押収だな。逮捕してないけど逮捕現場の押収でいいよな……」

 一瞬、手錠でもかけて現逮げんたいした方がいいのかと逡巡するも、目の前の霊樹と化した被疑者を見て思いとどまる。
 この樹の中で被疑者は生きているのだろうか。あるいは……。
 星斗は意を決して被疑者の手首に触れ、脈拍を確かめてみる。

「……まんま樹の皮の感触だ……脈もない……」

 そのまま体、幹の部分に触れてみる。

「……体温は感じない……何だ……この奥の方にある暖かいようなものは……」

 何故かと感じてしまうそれは、水面が揺れるように、揺ら揺らと漂っているように感じられた。

「動く気配はないな。被害者の方はどうだ」
 
 拳銃で撃たれたはずの霊樹は、血溜りの中に根を張っていた。
 樹にも1cm程の穴が空き、確かに撃たれた跡がある。
 被疑者、被害者を確認し、現状成すすべがないことから、銀行内を覗いて見ることにする。

「深山警察です、怪我をされた方は――」

 それ以上言葉を続けることができず、ただ立ち尽くす。
 銀行の中には森が広がっていた。複数の銀行員や客が居たであろうフロアは、いくつもの霊樹で埋め尽くされ、天井一杯に枝葉が広がっていた。
 放心状態のまま、きびすを返す星斗。
 森岡のところまで戻ってきた星斗は、森岡に手をかけて動揺する心を落ち着かせようとする。
 
「110番だ……」

 自ら110番通報しようと、PIIIぴーとりぷるあい端末を取り出し、飛び越え110番通報をかける。
 
 ――プルルルル、プルルルル――

 呼び出し音だけが鳴り続け、一向に繋がらない。それではと、深山署へ架電するが、こちらも同様に呼び出し音だけが鳴り続けるだけだった。
 電話や無線が全く通じず、無線指令も一切入らなくなっている。
 そこで否応なく気付かされる。
 それはこの場所だけではなく、警察署・県警本部を含めた広範囲で、尋常ではない事態が発生しているのだと。

「……戻ろう……署に戻って確認しないと……」

 どうにか体を動かし、愛車のカブに辿り着く。荷箱に押収した拳銃を入れ、覚束おぼつかない手つきでヘルメットを取り出して被る。カブに跨り一息入れてエンジンをかけ、警察署へと向かう。
 
 走り出してようやく街の様子が見えてきた。普段はそれなりに人通りがある駅前通り、歩道にはいつもなら歩行者がいるはずだ。
 しかしそこにはいくつもの霊樹が生えており、怪しく翠色に光っている。
 車通りもそれなりのはずだが、走っている車はない。むしろ至る所で交通事故が発生し、煙を上げている。その車の中から霊樹が空に向かって枝葉を伸ばしている。
 星斗はそのまま空を見上げる。数少ない高層マンションと病院の窓から無数の霊樹が生え、巨大な樹のオブジェと化して翠色の光、霊子をまき散らしていた。

「……ははっ……何が何やら……これは夢か?」

 あまりの光景に夢を疑う星斗。頬でも抓ってみたくなるが、そんな暇もない。
 頬を撫でる風はぬるく、火災でも起きているのか焦げ臭いにおいが鼻を衝く。
 否応なく、これは現実だと世界が突き付けてくる。

「急ごう――」
 
 平素であれば、対応しなければならない事態が其処彼処で発生しているのだが、あまりの事態に星斗の思考は麻痺してしまっていた。
 道路上の事故車両や、投げ出されたであろう人だったものを避けつつ、星斗は警察署へ急いだ。
 樹々は今も成長しているようで、その枝葉をさらに広げている。
 誰もいない街の中を抜けて警察署を目指す。
 国道の交差点に差し掛かると信号に引っかかる。

「信号は動いてるのか……てことは電気は生きてる?」

 災害時に自動的に自家発電に切り替わる信号機も存在するが、まだそれ程普及しているわけではない。
 車の往来もないのに律儀に信号を守ってしまう星斗。
 交差点は玉突き事故となっており、霊樹が煌々と霊子を放出している。
 その奥に目をやると市役所が見える。人が多く集まっていたからだろうか、一際大きな霊樹が生えている。
 それは何人もの人々が融合した様に、霊樹同士が絡み合い、巨大な一本の樹になっていた。

「駐在所管内もこんな状態なのか…………」

 そう呟きながら警察署を目指してカブを走らせる。
 途中、強盗の現場へ急行していたであろうPCが路肩に乗り上げていた。車内には2本の霊樹。PCの屋根には「深1」の文字。深山署のPC1号車だ。

「斉藤係長……五十嵐さん……」

 恐らく乗車していたであろう2人の顔を思い浮かべ、確認すべきか逡巡し、急いで戻るべきとその場を振り切る。

 警察署に到着するが、そこは他の建物と同じような状態になっていた。
 樹々が生い茂り、窓を突き破って青々とした枝葉を伸ばしている。
 急いで署内へ駆け込むが、そこは銀行内と同様、森と化していた。それでも樹木を掻き分け、先程までいた地域課の部屋まで辿り着く。

「山田課長!!横山係長!!――」

 返事をするものは誰もおらず、ただパソコンの起動音が聞こえるのみ。普段ならひっきりなしになっている筈の無線司令や警電けいでんもピタリと鳴り止んでいる。

「係長!失礼します!」

 樹を掻き分け、無線司令用の端末の前に立つ。

「至急至急!!深山から埼玉本部!!」
『………………』

 やはり返信はない。それではと、警電から110番通報を試みる。

 ――プルルルルル――

 コール音が鳴り響くのみである。

 一般回線と違い専用回線の警電が通じないのは、いよいよもっておかしい。
 半ば絶望の中、無線のチャンネルを変更し、お隣の群馬県警に合わせてみる

『……………………』

「くそっ!……どうするか……署内だけでも確認するか……」

 フラフラとよろめきながら、1階の地域課、交通課、警務課と見て回る。

「……誰も居ないのかよ……これは他の課も……」

 階段を登り2階、3階と確認するが、誰とも出会う事はできなかった。
 1階に戻った星斗はロビーのベンチに座り、呆けたように天井の樹々を見上げながら現状の整理をする。

「――今の所生存者はなし――無線も電話も応答なし――今、やるべきは……」

 星斗の頭の片隅には子供たちの安否を心配する気持ちはある。しかし、今自分が成さねばならないことを考える。

「――高校にはひかるがいる――4人が無事であれば任せられる――まずは駐在所管内を確認すること――」

 今すぐ駆け付けたい衝動を抑え、子供たちの無事を祈る。そして親友に託すことで自分の心を誤魔化す。
 災害時、警察官とて家族の救助を妨げるものはない。しかし、今起こっている原因不明の大災害のなか、動けるのは自分1人。助けを待つ人がいるかもしれない状況で、警察官としての使命を投げ捨てる訳にはいかない。投げ出したい本心を抑え、初任科時代のあの魔法の言葉を思い出す。
 あの日、警察学校で教官が事あるごとに言い聞かせた言葉。

「俺がやらねば、誰がやる」

 若き日の、その言葉を呟く。

ヤバい状況だが、やるっきゃないな」

 自身に魔法をかけるように言い聞かせ、本心に蓋をする。

「誇りと使命感を持って、国家と国民に奉仕すること!」

 気合の一言。職務倫理の基本を1人唱和する。
 滅私奉公の精神などそんなに持ち合わせてはいない。いや、きっと警察学校に入ったばかりの、初任科生の頃はちゃんと持っていたかもしれない。「警察官」を志した頃なら……何時しか「警察官」というただの仕事になってしまってからは、で過ごしてきた。

 【俺がやらねば、

 そんな考えに、いつの間になっていたのだろう。むしろ熱い志を燃やし続けた正義感溢れる同期達は、何時しかそんな考えの同僚や先輩たちに失望し、退職していったのだ。
 
「やるべきは、今だよな牧田……」

 かつての同期に語り掛け、星斗は立ち上がる。
 再びカブに乗り込み、七元駐在所を目指す。
 片田舎にある駐在所のため、道路には車はあるが歩行者は殆どいない。そのため街中よりも日常通りに見える。
 駐在所管内に入る為の川を渡る。小高くなった橋の上から、ふと振り返り市内の方を眺める。
 鳥が舞い、雲が流れるいつもの空。

 その空の下には、翠の光の海に沈む世界が広がっている。

「霊子とかってのが広がってるのか……これ吸ったり触れたりして大丈夫なのか?」

 今まで散々吸い込んでしまった未知の光に、今更ながら不安を覚える。少しは冷静になったのだろうか。
 田舎道をひた走り、ようやく自身の受持ち管内に戻ってきた。見慣れた光景の中に、時折見える畑の中の霊樹。

「――まずは皆が避難してきそうな小学校と公民館の確認だ――」

 生存者がいる事を信じて、避難場所になる場所から確認を始めることにする。
 公民館の駐車場にカブを駐め、館内を確認するが誰もいない。

「館長……」

 職員たちだった霊樹を確認し、次は小学校に行こうとした時。
 大小様々な霊子の舞う中に一際大きい光の玉が、まるで流れ星が落ちてくるかの様に、星斗に向かって降り注ぐ。
 空には一羽の鳥が舞っていた。その鳥は光の玉が星斗の所まで辿り着いたのを見届けると、一声「カー」と鳴き、彼方へと飛び去っていく。
 他の霊子は霊樹から生まれ、空へ舞い上がっていくのに対し、その光の玉は空から現れた。
 そして星斗の前に揺ら揺らと舞い降りた光の玉は、目の前で止まり、何やらフルフルと震え始める。

「また何か来たぞ……」
 
 暫く震えていた光の玉は、やがてクルクルと跳ねるように飛び回り始め、星斗にくっ付いて回る。
 何か意思でもあるような動きに、星斗は呆気に取られるも、何故か懐かしい気持ちになる。

「お前、何か楽しそうだな」

 ふと、そんな思いが浮かんで口にする。星斗の顔に笑みが浮かぶ。
 朝から警察官人生で一度遭遇するかどうかの場面に出くわし、更に訳も分からぬまま動き続け、緊張で凝り固まった心が、ほんの少し解きほぐされた気がした。
 星斗の言葉が通じたのか、光の玉はより激しく跳ねまわり、星斗の顔にすり寄ってくる。

「――♪――」
 
【嬉しい】そんな想いが伝わってくるような気がした。

「これから仕事をしなきゃならないんだが、一緒に来るか?」
 
 世界に異変が起きてから、初めて出会う意思疎通ができた存在。
 置いていくという選択肢は存在せず、掌に乗るように右手を差し出してみる。

「――♪♪――」

 掌に勢いよく乗る光の玉。そのまま星斗の肩の上まで移動し、肩の上で飛び跳ねる。

【ありがとう】そう言っているようだった。

「……覚悟決めて、行ってみるか」

 星斗はカブに跨り、小学校を目指して走り出す。
 
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