DEAREST【完結】

Lucas

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第197話 RISA

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 緑が広がる丘の上。昨日とは打って変わって雲一つない青空の下、わたし達は馬を降りた。振り返ればカラフルな屋根を敷き詰めるアクアマリンの街並みが見渡せる。そんな街から視線を外し前を向き直す。
 丘の中央にはのどかな風景に似つかわしくない竜の姿。わたしの、お母さん。
 お母さん、このベスト覚えてる? もうサイズピッタリだよ。
 暖かい風がわたしの服を揺らす。暖かいけどアクアマリンにしては寒い風。まだまだ海水浴はできないな、なんてどうでもいい事を考える。お母さん、背中の弓が重いよ。
 わたしは、ゆっくりお母さんに近づいていく。後ろのみんなも動こうとした気配を感じで、片手を上げてそれを制する。大丈夫だよ、みんな。わたしは大丈夫。
「お母さん」
 わたしはそう呼びかけた。竜は首を持ち上げてわたしを見下ろす。本当に、これが母なんだろうかと思うようなおぞましい姿。だけど、その瞳は確実に母のもので。
「ただいま、お母さん」
 だからわたしは目を逸らさずに語りかける。
「リサだよ? 分かる?」
 竜は応えない。
「……お母さん、わたしね。お母さんに伝えたい事があって来たんだ」
 海から来る風がこんな所まで潮の香りを運んで来た。
「わたし……ね」
 何から話そうか。言葉に詰まる。いざ母を前にすると、怖くなる。
「…………」
 中々話せずに、ただ俯く。
「あの……」
 その時。
「うん」
 後ろでナギの声がした。振り向くと、ナギはわたしに微笑んで頷いた。 
「ナギ……うん」
 わたしも頷いて、また前を向く。母は変わらずわたしを見下ろしたまま。でも、今度は言葉を待ってくれているように見えた。わたしは大きく息を吸い込む。
「お母さん、ごめんなさい」
 スカートを両手でぎゅっと握りしめ、母に向かって頭を下げる。
「病気だったなんて知らずにごめんなさい。最期を看取ってあげられなくてごめんなさい。あの時、ひどい事言ってごめんなさい。いい子になれなくて、ごめんなさい」
 わたしは懐から金貨の袋を取り出してそれを前に突き出した。
「お母さんの意志を理解できなくてごめんなさい」
 金貨が鳴る音に合わせてわたしの目から涙が零れ落ちた。
「わたし……わたしね、お母さんの事が、嫌いだった。いつも怒ってるお母さんが怖かった。いつも怒られてばっかりの自分が嫌だった。心の中で、悪態ばっかついてる自分が、むなしかった。だけど……」
 はあっと息を吐く。そして続ける。
「本当は、ただ仲良くしたかった」
 聞こえるはずのない波の音が、わたしの耳に届いた気がした。海辺の小さな家で母と暮らすわたし。毎日波の音を聞きながら、夢見てた。いつか、母と仲良くなれる日を。
「叱られてる時も、厳しくされてる時も、 ただ、仲良くできたらって……。普通の話がしたかった。好きな人ができたよとか、この髪型どうかなとか、お母さんに聞いて貰いたかった。ちゃんとしたお母さんになってくれなくても良かった。ちゃんと育ててくれなくても、仲良くしてくれるだけで良かった」
 貧しくても、周りに何を言われても、わたしは構わなかった。
「わたし、お母さんとはそんな関係になりたかった。もっと笑い合いたかった。早くしなさいって、腕を引っ張るんじゃなくて手を引いて欲しかった。どこ行ってたのって、怒る前に抱きしめて貰いたかった。可愛がらなくてもいい。わたしは、決していい子とは言えなかったから」
 一度目を閉じる。涙が頬を伝う感触が鋭くなる。次々と流れる涙を手で拭って、再び目を開けた。
「ひねくれて、嫌って、意地張って、帰りたくないなんて、我儘言って、いざ帰ってきたら、ようやく自分の気持ちに気づいた。間に合わなくてごめんなさい。もう少し時間があれば……わたし達、分かり合えたのかな?」
 ねえ、お母さん。お母さんは、わたしの事を愛してくれていた。そう、思っていいかな。
 死んでしまった人間の本当の気持ちは分からない。お母さんが、教団を襲った理由、アクアマリンを守ってる理由。だから、勝手に信じてていいかな。
「お母さん。愛してくれてありがとう。一緒にいてつらかったけど、仲良くはできなかったけど。命をありがとう。わたしも、愛してる。だから……」
 その先が言えなくて、涙で声が詰まる。すると、微動だにしなかった竜がゆっくり動き始めた。でも、敵意はまったく感じない。竜は頭を下げて、わたしに額を向けると、そのまま瞳を閉じた。
「お母さん……」
 わたしは金貨を仕舞うと、背中の弓に手を伸ばす。
「リサ!」
 駆け寄って来ようとするディーに、わたしは振り返って微笑んだ。
「大丈夫だ、ディー」
 前を見据える。もう逃げない。
「……ごめんなさい」
 弓に矢をつがえる。
「お母さん」
 こんな風に一方的に話すだけじゃなく、少しでいいから会話をしたかったな。
「……ありがとう」
 あんなにも嫌いだったのに、とても怖かったのに。そんな想いさえ甘えに感じた。
「……さよなら」
 わたしは、矢を放った。母は目映い光に包まれて空に消えていく。
「愛してた」
 空を見上げ、目を閉じる。不思議だな。見た事のない母の笑顔が瞼の裏に浮かぶ。お母さん、今笑ってくれてるの?
「リサ!」
 ディーがわたし目掛けて走ってくる。わたしはしゃがんでその体を受け止めた。
「大丈夫?」
「大丈夫っつったろ? 心配しすぎ」
「……やっぱりお母さんに似てる」
 ディーがわたしの頬に手を伸ばす。
「そう?」
「ニコニコしてたよ。リサのお母さん」
「うん、笑ってたな」
 ディーは大きく頷いて微笑む。そんなこいつを、わたしはもう一度抱きしめた。お母さん、子どもの可愛さって中毒になるよ。マジでやばい。お母さんにも感じて欲しかったな。
「はーい、そこまでー。ぼくが妬くのでやめてください」
 みんなもわたし達の周りに集まって来る。
「はいはい」
 わたしはそう言ってカモメにディーを返す。入れ替わるように今度はナギがわたしを抱きしめた。そして、またもやみんなの見てる前でわたしにキスをする。
「ちょ、ナ、ナギ」
「リサ、頑張ったね」
 押しのけようとすると、涙声でそう言いながらまた抱きしめてきた。わたしはナギの胸に顔を埋める。思わず涙が出てきてしまったのを見られたくないのと、フロルがすんごいニヤニヤしてるのが見なくても分かったから。タキはきっとあからさまに照れて目を逸らしてるだろうな。
「ナギ……もう大丈夫」
 わたしが小声でそう言うと、ナギはそっとわたしを離した。わたし以上に泣いてるこいつは、目が合うと嬉しそうに笑う。
「ありがとな」
 背伸びして髪を撫でる。
「うん」
 ナギはわたしの頬に軽くキスをした。だから、みんな見てるんですが。
「終わりました?」
 カモメが呆れたようにそう言った。
「うん」
 ナギが笑って答えると、カモメは抱いていたディーを下に下ろした。
「では、ここからは昨日お話していた通りです」
 カモメはみんなの中心に立ち、格好つけたように話し出した。
「リサちゃんのおかげで、お母さんとの戦いは免れました。しかし」
 カモメが空を指差した。わたし達は目を凝らしてその方向を見つめる。
「この戦いは避けられない。お出ましだ」
 そう。ここからが本当の戦いだ。
「みんな、馬に乗れ!」
 ジオが叫ぶ。みんなは一斉に馬達の元へ駆け出した。
「作戦は覚えてるよね? リサちゃん、ディーくん! 頼んだよ!」
「ああ!」
「うん!」
 わたしとディーは一緒に馬に跨がった。
「ディー、落ちるなよ」
 前に座ったディーに声を掛けて、わたしは手綱を握った。
「行くぞ!」
 わたし達は街へ向かって一直線に駆け出す。みんなは周り込むようにして街へ向かう。
 空からの敵だ。障害物も何もない丘の上で戦うのは危険だ。だから、まずは街へ誘い込む。
「リサ!」
 ディーのマジック。ディーの手から現れた旗が炎を放つ。
 わたしは、予め準備してあった油を塗った矢にその火を灯す。そして、空に向かってその矢を射る。
 竜の目を奪う。
 こっちへ来いと。
「ディー!」
「うん!」
 ディーが指笛を吹く。竜の耳を誘う。戦場へと。
 母が守ろうとしていたあの街へ。ごめん、お母さん。でも、必ず守るから。誰も死なせたりしないから。
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