DEAREST【完結】

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第95話 語り部

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 広い広いお城の中。押し寄せる賊達に迎え撃つ兵士達。お城のあらゆる場所で戦いが繰り広げられていました。
 そして、リサの部屋があった最上階の廊下。その一番端の方でしゃがみ込む一人の少女。
 腕を押さえて、肩で息をしています。美しい柄の袖に赤い染みが広がっていました。
「しくったわ……。ディーまで見失うし……上手く逃げててくれたらいいんやけど」
 その少女、ユズは壁からそっと顔を覗かせて廊下の様子を見ます。
「……どうしよかな?」
 その時です。後ろからやって来た何者かがユズの背中にのしかかりました。
 そのままぎゅっとユズを抱きしめて、クスクス笑いながら耳元で囁きます。
「ユズちゃん、見ーっけ。ひどいなぁ、フロル達を置いてっちゃうなんて……」
「フロル! 何でここに……うっ」
 フロルは前に回した手に力を込めます。
「フロルはお薬効きにくいのかなぁ? 早く目が覚めちゃった! リーダー起こすの大変だったんだよぉ?」
 いつもの明るい口調で、締め上げる手の力をまったく緩めないフロル。苦悶の表情を浮かべるユズにさらに楽しそうに話し続けます。
「船に何とか間に合ってよかったぁ。タキが途中で転んじゃってね。今もみんなで別々に探してるから、転んでないか心配だなぁ」
 怖いくらいにいつもと変わらないフロル。
 ニコニコと笑って、あのリュックを背負って。
「と、ここでユズちゃんに質問です! 救世主さまの命を狙った賊がお城に乗り込んでいるそうですが、何故ユズちゃんもここにいるのでしょうか?」
 フロルはユズを離して立ち上がりました。ユズが咳き込みます。 
「そして」
 床に手をついたままのユズの目の前にフロルはリュックを投げます。その中からはあの薄桃色のベストが出てきました。
「何で、ユズちゃんがリサの服を持っているのでしょうか? さあ、答えて頂きましょう!」
 そう言ってスカートの中からナイフを取り出してユズに向けるフロル。
「あんた、やっぱり救世主の知り合いやったんか?」
「あれ? 今質問してるのはフロルなんですが? さあ、張り切って答えて頂きましょう!」
 フロルはかがんでユズの目の前にナイフを突きつけます。
「…………」
「どしたの? 答えたくないの? 答えられない事なの?」
「…………」
「んー、はいはーい。じゃあ、フロルが当ててみるね!」
 元気よく手を上げたフロルの顔から笑みがスッと消えます。
「前にも一度賊が侵入した事あったよね? 教団本部に。ユズちゃんその夜お留守番だったね? タキ達が帰ったの朝だったしフロルとカモメも魔物退治行ってたもんね? じゃあユズちゃんはそれまで一人だったんだねお出かけしても分かんないね誰も。何か代わりに賊に間違えて処刑されちゃった人がいるんですが。知ってる? 知ってるよね? ディーの親代わりだった人だよ?」
 ここでようやく一息つくフロル。抑揚のない話し方に、ユズはゾッとしました。いつものフロルからは考えられないほど冷たい声で、再びユズに問いかけます。
「救世主さまが首都に来てから外の人間と接触したのって、どう考えてもこの日だけなんだよね」
 突きつけたナイフは微動だにせずにユズを捉えています。
「ねー、ユズちゃん。この日侵入した賊って、ユズちゃん?」
 ユズはやはり何も答えません。しかし、その目の力は揺らぎません。それはフロルもです。フロルの質問が再開されます。
「ユズちゃん、アクアマリンに行くのも嫌がってたもんね? 救世主さまを恨んでるから?」
 廊下の反対側から聞こえていた人の声も徐々に遠ざかり、下の階から聞こえていた喚声さえだんだんと消え、この階にはもう人は残っていなのではないかという程に静かでした。
 だから、余計にフロルの声はユズに響くのです。
「んー、答えてくれないと困るなぁ。あ、でもほとんど確定? だって」
 フロルは足元のベストに視線を落としました。
「これがあるもんね? 動かぬ証拠ってやつですか!」
 声を立てて笑うフロル。ユズは言い訳をしません。誤魔化しきれないからではなく、誤魔化す気がないから。そしてまたニコニコと笑ったまま、フロルはナイフを持ちかえました。右手がそっとユズの首筋に伸ばされます。
「ねえ、ユズちゃん。何で? 何でリサを恨んでるの? 何で命まで狙うの?」
 ほんの少しだけ温度を取り戻したその声に、ようやくユズの唇が動きました。
「あいつのせいで、関係のない人が死んでるからに決まってるやん」
「関係のない人?」
「わたしのお父さん」
「関係のない人?」
「そう、なのにあいつはまだ平然と生きてる。使命から逃げて! こうなっても当然やろ!」
 ユズがそう言い終わった瞬間。
 フロルは首筋に当てていた手を振り上げて、ユズの頬を思い切り叩きました。
「ユズちゃんのせいで関係のないナギが死んじゃってんだよ! 分かってる? 死んだんだよ! もう戻って来ないんだよ!」
 フロルは立ち上がってユズを見下ろします。
「お父さんが死んじゃったんだ? かわいそうだね。ユズちゃんはかわいそうな子だから何しても許されるのかな?」
 ユズは壁に手をついてよろよろと立ち上がりました。そして、フロルの頬を叩き返したのです。
「あんたに何が分かるんよ! わたしのお父さんが、どんな人やったかも知らん癖に!」
 フロルは頬に手を当ててユズを睨み返しました。
「お父さんは、男手一つでわたしを育ててくれた。朝から晩まで休みなく働いて、病気やったわたしの治療費を稼いでくれて。それがどんなに大変な事やったか分かる? 片親って事がどんなに苦労するのか、他の土地で店やんのがどんなに難しいか。やのに、お父さんはわたしの為に……最期までわたしの為に。お父さんはあんなとこで死んでいい人間じゃなかった」
「フロル、分かんなーい」
 そう答えたフロルにユズはまたもや手を振り上げて頬を叩きました。フロルは眉一つ動かさずにユズの方へ向き直ります。
「ユズちゃんのお父さんはいい人だったんだね。でも、ナギもいい人だったよ? リサもだよ? 死んでいい人間と、そうじゃない人間っているの? その基準って苦労してるかどうかなの? どれだけかわいそうな想いをしたかって事なの?」
 一歩近づくフロル。フロルの方が背が高く、ユズを上から見下ろします。
「……あんたなんかには言っても分からん! 何の苦労も知らんあんたには!」
 両拳をグッと握りしめ、涙をこらえてユズは叫びます。すると、フロルが笑いだしました。楽しそうに声高らかに。
「な、何がおかしい……」
 言い終わる前にフロルのビンタがまたユズに飛びました。ユズは床に倒れ込みます。倒れたユズを押さえつけて馬乗りになると喉にナイフをあてがうフロル。そのままユズの顔を覗きこんで、嬉しそうに笑いました。
「そうだよ! フロルは何の苦労も知らないの。優しい優しい両親に育てられたから! お父さんも……お母さんもいてフロルを愛してくれてたの! お父さんは夜には帰って来てお休みの日はたくさん遊んでくれたの! ほら、フロル元気で病気なんかした事ないし! お母さんもいたから、フロルには優しいお母さんがいたから。フロルの事が大好きで毎日おいしいご飯を作ってくれるお母さんがいたから!」
 怒りを、憎しみを、悲しみを込めた目で自分を見上げるユズを見て、フロルはさらに楽しげに笑います。
「あれ? 怒った? 腹立った? ムカついた? ねぇ? でも仕方ないよー。だって……フロルは、嘘つきだから……さぁ」
 ニコニコと笑うフロル。その瞳から零れ落ちた涙がユズの頬を伝いました。
「フロル……」
 ユズが名前を呼んだ瞬間、フロルがユズの視界から消えました。
「え?」
「ユズ! 大丈夫か?」
 誰かに抱き起こされます。そこにいたのはジュジュでした。ジュジュの放った蹴りが、フロルを反対側へと吹き飛ばしたのです。
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