DEAREST【完結】

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第37話 語り部

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 宿屋のご主人はすぐにお医者さんを連れて来てくれました。その場で応急処置をしてタキはその後診療所へ運ばれました。今はベッドで穏やかに寝息を立てています。
「額をね、結構深く切ってしまってたみたいだね。だから、たくさん血が出たんだよ」
 そう説明をしてくれたお医者さん。フロルは診察室の椅子に座ってその話をぼんやりと聞いています。
「頭も打ってるから今日は念のため入院してもらうけど、目が覚めたらすぐに帰れるよ」
「ありがとうございます。良かったわね、フロルちゃん」
 おかみさんは涙を拭いながらフロルの頭を撫でました。
「…………」
「今日は宿の方はいいから。タキくんについててあげなさい」
 優しいおかみさんにも何も答えず、フロルは小さく頷いただけでフラフラとタキのいる病室へ歩いて行きました。
 病室についたフロルはベッドの横に椅子を置いてタキの顔を覗き込みました。額から瞼にかけて大きく切ってしまった為目の部分も包帯に覆われています。それは以前のタキと同じ姿でした。
「タキ……」
 フロルはタキの手を両手できつく握りしめました。
「良かった……本当に良かった。タキがいなくなったら、フロル生きていけないよ……絶対、一人にしないでよ。寂しくて死んじゃうよ」
 とうとうこらえ切れずに泣き出してしまったフロル。ずっと、ずっとタキの為に頑張って来たフロルは、緊張の糸が切れたのか一晩中泣き続けました。


 それから、数日が過ぎました。
 次の日もその次の日もタキは目を覚ましません。
 それでもフロルは毎日毎日病室へ通いました。宿屋で働きながらタキの元へと通い続けます。おかみさんは仕事はもういいからずっとついていてあげなさいと言ってくれました。ですがフロルは働き続けました。
 日に日に笑顔が消えていくフロルを見ておかみさんもご主人もひどく心を痛めました。今日もフロルは宿屋で働きます。一生懸命ただひたすら仕事をしました。
「怪我はもうほとんど治ってるんだ。傷痕は残ってしまうだろうけど……後はこの子次第だ」
 お医者さんはフロルにそう言いました。
「毎日たくさん話しかけてあげなさい。いっぱい呼びかけてあげなさい」
 フロルは頷きました。
「タキ」
 お医者さんに言われた通り、タキに呼びかけます。優しく髪を撫でます。
「タキ、今日ね……リサとナギとディーとセナさんに会えたよ! みんな変わってなくて、すっごく元気! ナギがね、フロルのアップルパイがどーしても食べたいって言ってね。タキが起きるまで我慢してねって言ったの。そしたら、ディーまで食べたいーって言い出しちゃって! だからね、仕方ないなーって作ったの! 今度はセナさんもちゃんと食べてくれたよ。タキ、早く起きないからぜーんぶ食べちゃったよ。起きたらもう一回作ってあげるね。タキのは特別に甘さ倍増で!」
 フロルはタキの手を握りました。
「そうそう。リサ、怒ってなかったよ? タキ、気にしてたでしょ? ナギなんか忘れちゃってたよ?」
 タキに変化はありません。微かに胸が上下してるだけでフロルが強く手を握っても指先さえ動きません。
「リサとナギね、すごく仲良くなってたよ。ラブラブなの。フロルとタキみたいだね! ディーはよく喋るようになったよ? 可愛いよー!」
 それでもそれでもフロルは話しかけ続けました。
 ずっと、嘘をつき続けました。
 その翌日、仕事が終わったフロルはいつものように診療所への道を歩いていました。今日はとても忙しかった為、空にはすでに月が登っています。とぼとぼと歩くフロルが小さくため息をついた時。
「ハロー、悲しい顔したお嬢さん。どうしたのー?」
 突然聞こえて来た軽快な声にフロルは慌てて振り向きました。しかし、そこには誰もいません。
「こっちこっちー」
「え?」
 フロルが顔を上げると街灯の上に誰かが立っているのが見えました。 
「人間一番必要なのは笑顔さー。笑って笑って」
 ひょい、と街灯から飛び降りたのは一人の少年。フロルは不思議そうにその少年を見つめます。
「誰?」
「…………」
 そう尋ねるフロルの顔を少年はじーっと見つめます。
「可愛い!」
 そして、何も持っていなかったはずの手からポンッと一輪の花を出しました。
「ぼくと結婚してください!」
 いきなりそう叫んで深々と頭を下げる少年。フロルは眉一つ動かさずその少年を見下ろしています。
「ぼくと君の出逢いはきっと運命! 君はまるで花の中に住む妖精!」  
 それでもフロルは冷ややかな視線を投げかけ、うんともすんとも言いません。少年は差し出した花をフロルの髪に挿しました。
「ぼくと一緒に人々に夢と希望を与えよう!」
 その瞬間風を切る音がしました。何とフロルが隠し持っていた果物ナイフを切りつけたのです。しかし、少年はくるりと宙返りをして軽々とそれを避けました。
「触らないで。そんな風にフロルに触っていいのはタキだけ」
 フロルは冷たく言い放ちナイフを真っ直ぐと少年に向けました。少年は臆する事もなくニコニコと笑ったまま拍手をしました。
「お嬢さん、格好いいねー! スカウトしたいくらいだ!」
「スカウト?」
「ああ、でもごめんね。ぼくの一存ではお嬢さんを仲間にする事はできません!」
 少年の意味不明な話にフロルは首を傾げます。
「残念、今日のところは帰ります! リーダーが待ってるしこれ以上遅くなると門が封鎖されちゃうし」
「首都の外にお家があるの?」
 少年が街の入り口へと目をやるのでフロルは思わずそう聞きました。少年は笑顔のまま軽く頷きます。
「魔物がいるのに?」
「だーいじょーぶ! ぼく『達』は強いから! 今はとある魔物を追ってるんだ」
 フロルが興味を示したのが嬉しかったのか少年はまたペラペラと話し出しました。
「その魔物は『見えない魔物』。 なのに、気配だけはバッチリある。ぼく達を追って来てる。でも、また忽然と消えてしまう。不思議な魔物。ぼく達はその魔物を探し」
 突然、少年の言葉がピタリと止みました。その視線を追ってフロルは後ろを振り返ります。
「いたぞ! あのガキだ!」
 道の向こうから数人の大人達が走って来ました。
「やば。じゃあね、お嬢さん! また会う日まで!」
「え?」
 フロルがもう一度少年の方を見るとそこにはもう誰もいませんでした。
「くっそ! どこ行きやがった、あのこそ泥め!」
「まだ近くにいるはずだ! 探せ!」
 大人達はフロルには目もくれずバタバタと走って行ってしまいました。
「変なの」
 フロルは髪に挿さったままの花をそっと抜きました。
「これ……造花だ」
 フロルはその花をじっと見つめた後もう一度自分の髪へと飾ります。そしていつもより少し明るい表情で診療所へと向かいました。
「タキへのお見舞いにしよーっと」
 枯れない花ならタキがいつ目を覚ましても大丈夫。
 フロルはそう思ったのです。
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