DEAREST【完結】

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第31話 RISA

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「おはよう、リサ」
 驚いた。思わず手に持っていた櫛を落としそうになる。ベッドの上で寝惚け眼をこするディー。いつもと変わらない高い声の挨拶。
「お、おはよう」
 昨晩の事もあるから絶対に挨拶なんかして来ないと思った。ナギはそんなディーの隣でまだ寝息を立てている。謝るなら今だな。
「あ、あのさ、ディー。昨日は、その……」
「……昨日?」
「うん。昨日の夜」
 ディーは首を傾げたまんまだ。寝癖のついた髪がフヨフヨと揺れている。
「覚えてねーの?」
「……おはよう、ナギ」
 ディーは興味なさげにわたしから目を逸らしナギの頬をペチペチと叩く。もしかして寝惚けていただけなのか。
「んー……おはよー」
 ナギが目を覚ましたので、わたしは話を切り上げる事にした。
 覚えていないならそれでもいい。
 でも、寝惚けていたとしてもディーははっきりと口走ったんだ。
 『リサのせい』って。
 そう思わせたのはわたしだし実際その通りだ。
 いつかディーとちゃんと話をしたいな。櫛を机に置いてわたしは鏡を見つめた。青い瞳と目が合った時、昨日のうなされていたディーを思い出した。
 いや、いつかじゃダメだ。あいつも苦しんでるんだ。今日ちゃんと話をしよう。
「ディー、今日さ、砂遊び一緒にしようか?」
「……リサと?」
「うん。わたし海の近くに住んでたから、慣れてるし」
「……する」
 ディーはそう言ってちょっとだけ笑った気がした。ベッドに座って伸びをしていたナギはそんなわたし達を見て目を細めた。
「ミサちゃん、ちょっといいかい?」
「あ、はい。ディー、先に海岸行ってろ」
「うん」
 お、ちゃんと返事した。いつもは頷くだけなのに。ディーはパタパタと走って家を出ていく。心なしかはしゃいでるようにも見えた。
「そこ、座って」
 ヤナさんはそう言って自分も椅子に座った。わたしはヤナさんの向かい側に座る。まあ、何の話かは予想がついた。
「ヤナさん、わたし……」
「あんた、『救世主』だったんだね」
「……はい。黙っていて、すみません」
 そりゃ気づかれるよな。昨日あれだけ騒いでたし、『リサ』って呼ばれたところも聞かれている。
「そっかあ。やっぱりそうだったんだねぇ」
 ヤナさんはそう言ってため息をついた。でも、怒っている様子も呆れている様子もない。
「まあ、ディーくんがいつもあんたの事を『リサ』って呼ぶのはね、まだ発音が難しいのかなぁって流してたのよ」
 ヤナさんはいつもと同じように快活な口調で話し出した。
「でも、ナギくんまでたまーに呼び間違えてるし。もしかして……って思ってたの! ね、ね! じゃあやっぱり兄妹ってのも嘘なのかい? あんたら恋人?」
 そう言って身を乗り出すヤナさん。もっと問いつめられると思っていたので、井戸端会議と変わらないノリにわたしは呆気にとられていた。
「違うのかい?」
 わたしが何も答えないのでヤナさんが少しがっかりした表情をした。
「え? い、いえ。違わない……です」
 恋人という響きがかなり照れくさくてわたしは小声で答えた。途端にヤナさんの顔にまた花が咲く。
「やっぱり! そうだよねぇ、あの抱きしめ方は妹にするような感じじゃなかったもの。何か、本当に大切そうに抱き寄せてるもんだからさぁ」
 ヤナさんがそう言って自分の体を抱きしめて再現するものだからわたしもつい顔が綻んでしまう。
「そっかそっか。なるほどねぇ。あんた達も大変だねえ」
 うんうん、と納得したように首を振るヤナさん。そして、真面目な顔をしてわたしを見た。
「で、これからどうするんだい?」 
「ナギ達と、首都に行こうと思います」
 これは想定していた質問だ。だからわたしははっきりとそう答えた。もう何も隠すつもりはないから。
「以前から捜索隊の方々に捜して頂いていた仲間が、港から首都へ行く船に乗っていたそうなんです」
「なるほど。タキくんとフロルちゃんだっけ? まだ子どもだって言ってたものねぇ」
 ヤナさんは「心配よねぇ」と付け足して、頬杖をついた。
「寂しくなるけど仕方ないわね」
「ヤナさん、怒らないんですか? わたし、ヤナさんの事を騙してたのに」
「そうねぇ、まあ若干ショックではあるけど。ていうか、二人が恋人同士だって早く言ってくれてたら、もっと気を使ってあげてたのにー」
 ヤナさんは向かい側から身を乗り出してわたしの肩を叩く。
「そ、そうじゃなくて……」
「救世主だったって事?」
 わたしは頷いた。
「わたし、逃げてます。救世主の使命から。これからも……逃げます」
「怒る事なのかな。私は、リサちゃんを知ってしまったから怒れないね」
「それは、どういう……」
 ヤナさんの曖昧な答えに首を傾げる。
「何も知らずにただ救世主が逃げてるって知ったら、怒ってたのかも知れない。でもね、こんなにもいい子で、一生懸命で、誠実な子が救世主だって分かって、私には使命を果たせだなんてもう言えないわ」
 胸がつまる。わたしが『いい子』? どこが? 
「わたしは……ヤナさんの思っているような人間じゃありません」
「そーお? だって、あんた今全部話してくれたじゃない。話さなくていい事まで」
「え?」
「使命から逃げてるだなんて、言わなきゃ分からない。なに食わぬ顔をして、救世主だって胸はってりゃそれなりにいい扱いを受ける事だって出来たでしょ?」
「……それは」
 そうなのかな。いい扱い? ヤナさんの言いたい事は分かるけど……ちやほやされたって、最終的には『死んでください』に行きつくだろ?
「でも、あんたは今正直に話してくれた。自分の気持ちを」
「ヤナさん……」
「リサちゃん、首都に行くの待ってくれないかい? あと半月ほど」
「え?」
「旦那が帰って来るんだ。あの人の船で港まで送ってあげるよ」
「え、でも」
「さすがにうちのボロ船じゃあ首都までは送れないけどさ、陸路よりかはいくらかマシだよ」
 海の上は魔物に会わない。これはかなり助かる……ただ。
「いいんですか? あと半月もお世話になって……」
 すると、ヤナさんは人差し指を口に当てて声を潜めた。
「救世主だって事は村の連中には内緒だよ?」
「あの、でも」
「この村の警備中々すごいだろ?」
 わたしは頷く。
「ルーアはね、一度魔物に襲われてるんだ」
 ごくりと息を呑む。ヤナさんは話を続ける。
「みんなあの日の惨劇が胸に焼きついてる。だから、救世主を良く思っていない連中も多い」
「…………」
「分かってる。責任転嫁だ。お門違いだ。だけど、何かのせいにしなきゃ、誰かを恨まなきゃやっていられない。そんな状況だったんだ」
 わたしの目を覗きこむヤナさん。みんなの気持ちを汲んでやってくれ。そんな目をして。
「……ごめんなさい」
「あんたが謝る事じゃない。言ったろ? 責任転嫁だ。こっちこそ、嫌な話聞かせちまって悪いね」
 うん、責任転嫁だ。だから、今のはあんたに謝ったんだよ。ヤナさん。ごめんなさい。わたしは心の中で繰り返す。
「さーてと! 話はおしまい! さあさ、ディーくんが待ってるから行ってやりな」
「はい。行ってきます」
 わたしがそう言って立ち上がった時。
「リサ!」
 勢いよく開かれた扉からディーが飛び込んで来た。急いで来たのか息を切らしてフードも脱げている。
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