DEAREST【完結】

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第30話 RISA

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「ただいま!」
「あ、ナギ。お帰り」
 その時、嬉しそうな顔をしたナギが帰ってきた。
「ミサ、ただいまー。ディーは?」
「二階」
「ヤナさんは?」
 ナギはそわそわと落ち着かない様子だったが、ヤナさんの帰りがまだだと伝えるとわたしの手を取ってせきをきったように喋りだした。
「あのね! 今日帰って来た捜索隊の人がね、港まで行ってくれたんだって!」
「港って、首都に行く船が出てる?」
 ナギは大きく頷く。
「港の人にタキとフロルの事を聞いてくれたんだ! そしたらね、見たって! 男の子と女の子!」
「それがタキとフロル? あいつら、船に乗ったのか?」
「うん! 乗せたって言ってたって! ただ……」
 ナギの眉が下がる。コロコロとよく表情の変わる奴だな。
「ただ?」
「男の子の方は目に包帯をしていなかったって。だから、確実に二人だって分かった訳ではないんだけど……」
「そっか。でも、この時期に子ども二人でウロウロしてるなんて他じゃ考えられないだろ。多分、それタキとフロルだよ」
「だよね?」
 ナギの顔がパァッと明るくなった。
「僕、勘違いしてた。フロルなら、まず安全な場所へ行くって」
 わたしは視線だけで相槌を打つ。
「でも、フロルはタキをお医者さんに診せたがってた。それならきっと」
「首都に行くだろうな」
「うん!」
 そうか、あいつら生きてるのか。
「ナギ、それでお前はどうしたいんだ?」
 わたしの問い掛けにナギは表情を引き締めた。
「リサ。僕、首都に行きたい」
「うん」
「もちろん今すぐじゃないよ? 僕、自警団で訓練して、剣も大分扱えるようになってきたんだ」
 わたしは頷く。
「もっと強くなる。それで、リサとディーは僕が守るから」
「ナギ、でもわたしは」
 わたしは『救世主』だから。言いかけてやめたわたしをナギは抱きしめた。
「大丈夫。今みたいに、バレないようにしていたら、きっとまたみんなで暮らしていけるよ」
「だけどさ」
「教団の人達からは絶対守るよ。タキとフロルと合流したら、首都から離れよう?」
 こんなにも自分の意見をはっきりと言うナギは初めてだ。どうしても二人に会いたいんだろうな。二人はともかくわたしはナギと離れたくない。だったら道は一つだ。
「分かった、ナギ。首都に行こう」
 わたしがそう言うとナギは何度も何度もありがとうと言いながらさらにわたしを強く抱きしめた。その時。
「ほーんとに仲がいいねぇ。あんた達は」
 突然聞こえて来た威勢のいい声にわたし達は慌てて離れた。いつの間にか帰って来ていたヤナさん。わたしとナギに緊張が走る。
「どうしたんだい? 変な顔して」
 ヤナさんがわたし達を見て首を傾げた。
「ミサちゃん、今日は貝がたくさん採れたろ? 分けて貰って来たんだ。さ、手伝った手伝った」
 ヤナさんはいつも通りの態度で、わたしとナギは胸を撫で下ろす。危なかった。いくらヤナさんがいい人でもわたしが『救世主』だって知ったら。
「ミサちゃん、ほら砂抜きして」
「あ、はい」
 わたしはヤナさんから貝の入った袋を受け取る。ていうかこの人の前ではわたしとナギは兄妹でいなければいけないのに。話を聞かれていなくても十分まずい場面を見られた気がする。
「あ、じゃあ僕はディーを見てくるね」
「うん」
 ナギが二階へ行くとヤナさんがススーッとこっちへ寄ってきた。
「ね、ね! あんたら本当に兄妹?」
「…………」
 やっぱり。よからぬ想像をされているようです。わたしはニーッコリと笑ってから言った。
「兄妹ですよ。頼りない兄で困ってますが」


 わたしとナギとディーの部屋は二階。同じ部屋で寝るなんて。とか、今はもうそんな事言ってられないし。ナギはディーと同じベッドに入り寝かしつけてから灯台の見張りを交代しに行く。以前のセナのように。
 ナギが出掛けて大分経った頃、ディーがうなされ始めた。
「ディー?」
「……お父さん」
 その言葉を聞いて胸が締めつけられた。
 思い出したくないのにわたしの頭の中にあの光景が浮かび上がる。
 わたしは慌てて起き上がると自分の両手を見た。
 わたしの手は、セナの血で真っ赤だった。
「……う、ん」
 ディーがゴソゴソと動く音がする。ハッとしてもう一度目を凝らすとわたしの手は元通りで血なんてどこにもなかった。
「ふえぇぇん」
 小さな声でディーがぐずつきだした。
「あ……ディー。起きちまったのか?」
 わたしはベッドから下りてディーに近づく。ぐずつくディーの頭をそっと撫でてやると涙をたくさん溜めた目でディーがわたしを見上げた。
「や……」
 怯えるようにディーが身を引く。軽くむっとしたけど泣かれると面倒なので手を引っ込めた。
「悪かったな、わたしで。ナギならもうすぐ帰ってくるから」
 早く寝ろと言いかけた時、ありえないくらいでかい声でディーが泣き出した。
「うわあぁぁぁぁああん!」
「なっ……馬鹿! 静かにしろよ! ヤナさんが起きちまうだろ!」
 ディーの腕を掴むとさらに大声で泣いて暴れ出した。
「ディー!」
 押さえつけたディーの泣き声が一瞬止む。今度はしっかりと目が合う。
 真っ直ぐと同じ青い色が重なった時、ディーの唇が動いた。
「……リサのせい」
 息が止まった。
 ディーの目が、わたしに言葉の続きを伝える。
 お父さんが死んだのはリサのせい。
 その瞬間、わたしは思いきり手を振り上げていた。
「リサ!」
 だけどその手は大きな手に止められた。ゆっくりと顔をそちらに向ける。
「ナギ……」
 眉をひそめてわたしの手を掴んだナギがそこに立っていた。後ろには扉の近くでわたし達を心配そうに見ているヤナさんがいた。
「ナギくん……」
「大丈夫です。後は僕に任せて下さい。起こしちゃってごめんなさい」
 少しも慌てた様子のないナギがそう言うと、ヤナさんは何かを察したのか黙って一階へ降りて行った。
「ディー、起きちゃったんだね。よしよし、泣かなくていいよ」
 ナギはディーを抱き上げた。わたしはただ呆然と床を見つめていた。自分の母親と、フロルの母親。その二人を思い出しながら。
 わたしはディーに背を向けて自分のベッドに座っていた。ようやくディーを寝かしつけたナギがわたしの隣に座る。それでも、わたしは顔を上げなかった。
「ディーと喧嘩しちゃった?」
 ナギがわたしの髪を撫でる。優しい手。優しい声。でも、わたしはさっきのナギの表情を思い出していた。絶対に軽蔑された。子どもに手をあげるなんて最低な女だって。自分は絶対にしたくない事だったのに。わたしも母と同じだ。
「リサ、何かあったの?」
 ナギは心配そうにわたしの肩を抱き寄せた。もう片方の手はわたしの手に重ねられて安心させるようにぎゅっと握る。
「ナギ、わたしやっぱり無理だよ。ディーをちゃんと育てる自信ない」
 少し横を向くと額がナギの頬に当たった。微かに海の香りがした。
「ちゃんと育てなくてもいいよ。愛情持って育てればいいんだよ」
「それができない。わたしには」
「どうして?」
「わたしは愛情を注いで貰った事ないから。そんな親に育てられたわたしには無理だ」
 ナギは少し考え込むように黙ってしまった。きっとナギだってわたしには無理だって思ってる。わたしはナギから顔をそらしてまた視線を床に向けた。すると。
「……え?」
 本当に突然、一瞬の事だったけどナギの唇がわたしの頬に触れた。思わずそっちを見るといつもの笑顔のナギと目が合った。
「愛情注いでみた」
「ば、馬鹿じゃねーの? お前……」
「うん。僕もね、小さい時にお父さんとお母さんが死んじゃったから、愛情をあんまり覚えてないんだ」
「え?」
「だから、今のは僕なりの愛情表現。リサも、リサの思う愛情表現でいいんじゃないかな?」
 わたしはそっと自分の頬に触れた。ナギなりの愛情表現、か。
「……足りない」
「ん?」
「愛情。もっと欲しい」
 じっとナギの目を見つめた。微笑みを絶やさないナギ。ナギは目を細めて今度はわたしの額に唇を落とした。そこじゃない。そんな鈍感なナギにちょっとだけ腹が立って意地悪がしたくなった。
「ナギはさ、もし自分が『救世主』だったらどうしてた?」
 全然関係のない、しかも答えにくい質問だ。だけど『救世主』だという焦りから、悲しみから、今わたしはこんな状況になったんだって思わせたかったのかも。自分の苛立ちからディーに当たろうとしたんじゃないって。すごくずるい話のすり替えだ。
「僕が救世主だったら?」
「うん」
 ナギは視線を上げてうーんと唸って考え出す。迷わず世界救出すると答えるか、わたしに気を使って自分も逃げていたと答えるか。どちらかだと思っていたので真剣に考え込むナギが少し意外だった。
「うーん……僕が救世主だったら、リサに会えてたかな?」
「は?」
「リサが救世主だったから、クロッカスに来て僕はリサに会えたでしょ?」
「ああ。それが?」
「僕が救世主だったら、リサはアクアマリンにいたままだから、会えないよね?」
「まあ、そうだな。救世主じゃなかったら、わたしは街を出る気なんてなかったし」
 ふと、自分が救世主じゃなかったらどうしてたんだろうと考えた。でも、わたしが思いつく前にナギが続きを話し出す。
「そうだよね。僕が救世主で、リサに会えてなかったら、何もできなかった。でも、僕が救世主で、それでもリサに会えてたら、生きたいから逃げてた」
「え?」
「リサと一緒に生きたいから逃げてたよ」
 ナギはわたしを引き寄せて抱きしめた。
「僕が救世主でも、リサが救世主でも、僕の気持ちだけは変わらないよ」
 腕の中からそっと顔をあげてナギの表情を窺う。優しさだけがとめどなく溢れているような、そんな眼差し。
 ナギの生きてきた環境は恵まれていたわけじゃない。それなのに、何でこんなにも優しい人間に育ったんだろう。こんなにも嬉しい言葉を、愛情を、幸せをくれる。わたしもなれるかな。ナギみたいに。
「リサ?」
 わたしはナギの耳たぶにそっとキスをした。ナギは、わたしにとって救世主だ。
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