大罪の後継者

灯乃

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旅立ち

モナクスィア

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 その説明に、将軍が蒼白になって妻を見る。

「そ……そんなに、辛かったのか……? イングリット」
「あ! ええとえっと、大丈夫ですよ、旦那さま! そのあとは、ちゃんとものすごく気持ちよかったです!」

 わたわたと慌てる将軍の妻は、懸命に夫をなだめているが――とりあえず、女性にとってはじめての性交渉というのが、内臓をぶち抜かれる衝撃と、死を覚悟するほどの苦痛を伴うものだというのは理解した。

 アリーシャが、感心したように言う。

「はじめての奥さんを、ちゃんと気持ちよくさせられるなんて……。将軍さまは、テクニシャンなんだねえ」

 びしっと固まった将軍の腕の中で、その妻が嬉しそうに笑った。

「うん! あたしも、そう思う!」

 将軍が、首まで真っ赤になって深くうつむく。それでも、防御シールドを維持している彼の根性はすごいな、とリヒトは思った。さすがは、テクニシャンである。

 と、スバルトゥルの隣に、険しい表情のイシュケルが現れた。鋭い視線で、灰色の髪の青年を見ながら低く問う。

「森の王。なんだ、コイツは」

 その声に滲むのは、とても強い困惑と警戒。
 さてな、とスバルトゥルも敵から目を離さないまま応じる。

「人間じゃない。精霊でもない。なのに、人間の肉体と精霊の気配を持っている。……おまえは、いったい何者だ?」

 リヒトにはわからなかった、精霊独特の気配。それを持つという青年は、長い髪を揺らしながらクスクスと笑う。

「なんで初対面の相手に、そんなことを教えてやらなきゃならないの? ……まあ、いいや。そこのお姉さんの魔力修復能力が、旦那さん限定だっていうなら問題ないしね。今日のところは、見逃してあげる」

 そう言って、不可思議な青年はリヒトを見た。軽く目をすがめて、彼は言う。

「……ふぅん。帝国に自由を奪われていたはずの高位精霊が、二体も覚醒していると思ったら、そういうこと? 面白いね」

 再び捉えどころのない笑みを浮かべ、青年は続ける。

「ボクの名前は、モナクスィア。キミは、いずれ知るだろう。人間が、どれほど愚かで醜い生き物なのか。精霊が、どれほど無垢で残酷な存在なのか。――また、会いにくるよ。キミの心が壊れる瞬間を見るのは、とても楽しそうだから」

 勝手なことを言うなり、灰色の髪の青年――モナクスィアは、なんの前触れもなく姿を消した。
 その途端、スバルトゥルがリヒトの前に現れたかと思うと、落ち着きなく頬や肩に触れてくる。

「無事か!? リヒト。どこも、なんともないな!?」
「ああ。アンタたちに魔力を食われまくってヘロヘロな点以外は、至ってどこもなんともない」

 スバルトゥルが、大きく息を吐く。

「そうか。……ああ、この辺りに集まっていたキメラタイプは、俺たちで始末したぶん以外は逃げていったぞ。ふたりとも、よくやったな」

 どうやら、キメラタイプの蟲たちをこの砦に引き寄せていたのは、将軍の歪められていた魔力で間違いなかったようだ。よいせ、と立ち上がったアリーシャが、肩を竦めて苦笑する。

「がんばったのは、将軍の奥さんだよ。それにしても、今の長髪お化けはなんだったんだろうねえ。五年前のことを知っていたみたいだし、リヒトにはいやなことを言っていたし……。なんだか、気持ちが悪いよ」

 顔をしかめた彼女の言葉に、スバルトゥルとイシュケルもぐっと眉根を寄せる。五年前、彼らを禁呪によって本来の契約者から奪い、その自由意志を封じて支配したのは、帝室の人間だ。それは、間違いない。しかし、あのモナクスィアと名乗った青年は、帝国の上層部でも極秘中の極秘事項だったはずのその事実を知っていた。

 人間でも精霊でもなく、そして人間でも精霊でもあるもの。そんな存在のことを、リヒトは今まで見たことも聞いたこともなかった。

 とはいえ、今ここでその件について論じたところで、答えが出るはずもない。何より、二体の高位召喚獣の戦闘モードに魔力を食われまくったリヒトは、いい加減疲労困憊だった。戦闘中に感じていた激しい目眩と頭痛、それに吐き気こそ収まっているものの、許されるなら今すぐ床に寝転がって目を閉じてしまいたいところである。

 けれど、まだ終われない。
 ぐっと奥歯を噛んでその強烈な欲求を堪えたリヒトは、妻を腕の中に閉じ込めたまま、息を詰めてイシュケルを凝視している将軍を見た。

「将軍。おれたちは、もう行く。その前に、ひとつだけ聞きたい。――アンタは、誰の命令で水の王を支配していたんだ?」

 ずっと、気になっていたのだ。
 たしかに、最高位の召喚獣を従える召喚士という称号は、魅力的なものかもしれない。

 しかし、まっとうな知識を持つ魔術師ならば、すでに契約者を持つ召喚獣をおぞましい禁呪によって支配することのリスクを、必ず認識しているはずだ。何より、イシュケルは人間の姿をしているときに本来の契約者から奪われ、以来ずっとその姿のままだった。

 実際、イシュケルはこの砦において、将軍以外の者からは、少々規格外な戦闘能力を持つだけの人間だと認識されていたのである。ならば、将軍にとって、禁呪を用いてまでイシュケルを支配するメリットは、せいぜい彼の力を利用して国境を守るのが容易になったことくらいだろう。

 そして、先ほどモナクスィアと対峙したときの反応からして、将軍は相当にレベルの高い戦闘スキルを持つ魔術師だ。精霊の魔力侵蝕から回復した直後に、あれほどの速さと正確さで防御シールドを展開できる彼が、東の国境線を維持するのに、わざわざイシュケルの力に頼る必要はない。

 なのに、命を危うくするほどの魔障を受けるとわかった上で、イシュケルを支配するよう命じたのは誰なのか――そんな疑問を向けたリヒトに、将軍はきつく唇を引き結んだあと、ずっと抱きしめていた妻を解放してから、低く掠れた声で口を開いた。

「このアンビシオン帝国の皇太子、オスカー・フォルテス・アンビシオン殿下。あの方は、精霊たちを自然の力そのものの具現ではなく、ただ強大な威力を持つ便利な兵器だと考えている。この帝国をより強い力で守り導き、他国の脅威を排するためには、より強い力を持つ精霊を帝室が所持していることが肝要なのだと」

 リヒトは、思わず顔をしかめる。

「あ? なんだそりゃ。アタマ悪すぎだろ。いくら帝室が高位精霊を不当に確保したって、その挙げ句に帝国内が蟲だらけになってりゃ、本末転倒だ」

 呆れかえったリヒトに、将軍は苦渋に満ちた表情で言う。

「あの方は……皇太子殿下は、魔力を一切お持ちではないのだ」
「………………へ?」

 そのとき、唖然としたのはリヒトだけではなかったようだ。見れば、アリーシャや将軍の妻だけでなく、スバルトゥルとイシュケルも揃って目を丸くしている。

 皇族といえば、この帝国で最高峰の魔力を持つ一族のはずだ。そのトップの継承者が、魔力を一切持っていないなど、想定外にもほどがある。

 将軍が、ひどく言いにくそうにしながら続けた。

「皇太子殿下は、この世界に満ちる魔力の流れも、精神体として存在している精霊の姿も、何一つ感知することができない。どれだけ書物から知識を得ようと、ご自分が体感できないものを真の意味で理解するのは難しいのだろう。彼なりに、より効率的に確実にこの帝国を守ることを考えられたのかもしれない」

 一度言葉を切った彼の声が、低くなる。

「しかし、帝国に忠誠を誓った我々も、殿下にとってはいくらでも換えの効く道具に過ぎないのだろう。帝室からの命令ゆえ、武人として謹んで拝命したが……」

 そう言って、静かな目でイシュケルを見た将軍は、そのまま深く頭を下げた。

「偉大なる水の王。これまで長きに渡りあなたを不当に支配し、使役した罪は、この命ひとつで贖いきれるものではありますまい。しかし、恥を承知で切にお願い申し上げる。我が妻と部下たちの命だけは、どうか許していただくわけには参りませんでしょうか」
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