7 / 7
エピローグ 終(つい)の街・丘の上の家へ
しおりを挟む
少女は門を見上げていました。
町の入り口の、大きくて重そうな鉄の門です。開かれた扉を、様々な格好の人たちが通りすぎていきます。
「本当に、ここまででいいのか?」
少女の隣りで、女性騎士が尋ねます。
「うん。送ってくれて、ありがとう」
少女は頷き、お礼を言って、町の入り口へ足を向けました。
ころころと車輪を転がし、棺桶を後ろに連れ歩く小さな背中を、女性騎士はただ静かに見送ります。
旅の終わり。終着点に、少女はいま辿り着いたのでした。
棺桶を連れて、少女は歩きます。
旅人や町人で溢れる大通りは露店が連なり、賑やかな活気に満ち溢れていました。
「いらっしゃいいらっしゃい! 新鮮な野菜がたくさんあるよ! とれたてだよ!」
「あら、美味しそうなお野菜ね。今夜のシチューに使おうかしら」
「それなら、このタマネギなんかおススメだね。シチューの甘みがぐーんと増すよ」
「やぁ旦那。最近どうだい?」
「はっはっは。まあ、おかげさまでね。すこぶるいいよ」
「へぇ、そりゃすごい! 一体どんな商売をなさったんで?」
「いやそれがね……」
大通りを通り抜けた少女は、キャンディを売ってくれた露店の主のことを思い出しました。
棺桶を連れて、少女は歩きます。
石造りの民家に挟まれた小道には、穏やかな時間が流れていました。上を見上げれば、窓から窓に渡された、たくさんのロープと洗濯物が、そよ風に揺れています。
「なあ、ばあさん。俺のシャツがどっかに飛んでいっちまったよ」
「あらまあ大変! すぐに拾ってきてちょうだいな」
「……俺が行くのかい?」
「当たり前でしょう。干さなきゃいけない服がまだこんなに残っているんだもの」
民家から漏れてくる会話を聞きながら、少女は親切な老夫婦のことを思い出しました。
棺桶を連れて、少女は歩きます。
アコーディオンの音色が響く、緑溢れる広場では、中央に据えられた噴水が瑞々しい空気を生み出していました。
「さあてお立会い! 見事このリンゴを射止められましたらば拍手喝采!」
「アルストラは言いました。『あなたが真の勇者であるならば、何を恐れることがあろうか』と」
「なあ、ちょいと。もっと楽しい気分になる曲はないもんかね?」
「楽しい気分ですか? では、この曲をお聞かせしましょう」
天幕を持たないサーカス団や吟遊詩人、旅の演奏家が雑多な音を奏でる広場を横目に、少女はサーカス団にいた、ナイフ投げの娘のことを思い出していました。
棺桶を連れて、少女は歩きます。
職人たちの工房が立ち並ぶ職人通りは、凛と張り詰めた雰囲気を保っていました。荷車から手際よく積み荷を降ろす男衆。石段に座り込み、一服している職人たち。
店先では、気難しい顔をした職人が、客らしき人物となにやら話し込んでいました。
「なんとか明後日までに仕上げられないかね」
「そらぁ無理ってもんですよお客さん」
「いつもの倍出すといっても、駄目かね?」
「金でどうこうはなりませんて。こっちゃ万年人手不足なんだから」
こーん、こーん、という小気味よい木槌の音を聞くと、少女は車輪を作ってくれた木工屋のことを思い出すのでした。
棺桶を連れて、少女は歩きます。
夜は大賑わいの酒場通り。しかし、日の高い今は閑散としています。道に置かれたテーブルや椅子、立て看板も、どこか寂しそうでした。通りを歩いていて見かけるのは、店の表をせっせと掃除する女性や、安物の鎧を来た傭兵。
「あ~ぁ、暇だねぇ~。なぁ、そこのお姉ちゃん。お相手してくれねえかな」
「お生憎さま。あたしは店の準備で忙しいの。さ、どいたどいた」
「客なんていねえじゃねえか」
「お客さんがいなくても仕事は山ほどあるのよ。あなたと違ってね」
「少しくらいサボったっていいだろ?」
「ちょっと。道塞がないでよ」
「おい、そこ。何を揉めてるんだ」
「あっ、騎士さま! お助けください!」
「おいおい、待ってくれよ。俺は何も悪いことしてないぞ」
そして、見回りの騎士くらいです。
騎士を間に挟み、声高に言い争う二人の脇を通り過ぎた少女は、傭兵に扮した盗賊たちと、心優しい女性騎士のことを思い出していました。
棺桶を連れて少女は歩きます。
町の反対側まで歩いた少女は、小高い丘の麓に立っていました。丘の頂上へ伸びる一本道を登り、辿り着いたのは一軒の民家です。
レンガ塀に囲まれた家の庭に、少女は足を踏み入れました。
荒れた庭の真ん中で立ち止まった少女は、ドレスの首元に手を入れ、服の中に隠れていた首飾りを引っ張り出します。首飾りには、装飾のない、シンプルな造りの鍵が付いていました。
取り外した首飾りをてのひらに乗せ、棺桶をその場に残し、少女は木造りの質素な建物に近づきました。
錆びた金属のドア飾りが付けられた、木製の扉の前に立った少女は、持っていた鍵を鍵穴に差し込みます。
開いた扉をそのままに、少女は家の中へ入っていきました。
やがて、少しの間を置いて、少女は再び顔を出しました。真っ赤な液体の入った小瓶を胸に抱え、小走りで棺桶の元に向かいます。少女は棺桶のそばにぺたりと座り、棺桶の蓋を開きました。
小瓶のコルク栓を抜き、中に入った赤い液体を、眠る青年の口元へ垂らします。
そうしてしばらく待つと、青年がうっすらと目を開きました。
重たそうに頭を持ち上げ、体を起こした青年は、眠そうな瞳を少女に向けて、穏やかな声で言いました。
「……おはよう」
青年の言葉を耳にした少女は、目に溜めた涙を拭い、満面の笑みを返します。
「おはよう、ねぼすけさん」
花が咲いたような笑顔でした。
手を繋ぎ、家の中に入っていく二人の背を、遠くで見送る者がいました。
町の前で少女と別れたはずの、女性騎士でした。
「心配は無用だったな」
傍らに立つ馬の首筋を撫でながら、二人の消えた扉の向こうを見つめて女性騎士は呟きます。しばらくの間、その場に佇んでいた女性騎士は、
「行こうか」
愛馬に柔らかく語りかけ、踵を返しました。
相棒とともに丘を下り始めた女性騎士は、ふと足を止めて振り返り、
「ちゃんと笑えるじゃないか」
少女の花咲く笑顔を目を閉じて思い浮かべ、嬉しそうに口元を緩めたのでした。
丘の上の庭では、役目を終えた棺桶を、穏やかな午後の陽射しが暖めていました。
町の入り口の、大きくて重そうな鉄の門です。開かれた扉を、様々な格好の人たちが通りすぎていきます。
「本当に、ここまででいいのか?」
少女の隣りで、女性騎士が尋ねます。
「うん。送ってくれて、ありがとう」
少女は頷き、お礼を言って、町の入り口へ足を向けました。
ころころと車輪を転がし、棺桶を後ろに連れ歩く小さな背中を、女性騎士はただ静かに見送ります。
旅の終わり。終着点に、少女はいま辿り着いたのでした。
棺桶を連れて、少女は歩きます。
旅人や町人で溢れる大通りは露店が連なり、賑やかな活気に満ち溢れていました。
「いらっしゃいいらっしゃい! 新鮮な野菜がたくさんあるよ! とれたてだよ!」
「あら、美味しそうなお野菜ね。今夜のシチューに使おうかしら」
「それなら、このタマネギなんかおススメだね。シチューの甘みがぐーんと増すよ」
「やぁ旦那。最近どうだい?」
「はっはっは。まあ、おかげさまでね。すこぶるいいよ」
「へぇ、そりゃすごい! 一体どんな商売をなさったんで?」
「いやそれがね……」
大通りを通り抜けた少女は、キャンディを売ってくれた露店の主のことを思い出しました。
棺桶を連れて、少女は歩きます。
石造りの民家に挟まれた小道には、穏やかな時間が流れていました。上を見上げれば、窓から窓に渡された、たくさんのロープと洗濯物が、そよ風に揺れています。
「なあ、ばあさん。俺のシャツがどっかに飛んでいっちまったよ」
「あらまあ大変! すぐに拾ってきてちょうだいな」
「……俺が行くのかい?」
「当たり前でしょう。干さなきゃいけない服がまだこんなに残っているんだもの」
民家から漏れてくる会話を聞きながら、少女は親切な老夫婦のことを思い出しました。
棺桶を連れて、少女は歩きます。
アコーディオンの音色が響く、緑溢れる広場では、中央に据えられた噴水が瑞々しい空気を生み出していました。
「さあてお立会い! 見事このリンゴを射止められましたらば拍手喝采!」
「アルストラは言いました。『あなたが真の勇者であるならば、何を恐れることがあろうか』と」
「なあ、ちょいと。もっと楽しい気分になる曲はないもんかね?」
「楽しい気分ですか? では、この曲をお聞かせしましょう」
天幕を持たないサーカス団や吟遊詩人、旅の演奏家が雑多な音を奏でる広場を横目に、少女はサーカス団にいた、ナイフ投げの娘のことを思い出していました。
棺桶を連れて、少女は歩きます。
職人たちの工房が立ち並ぶ職人通りは、凛と張り詰めた雰囲気を保っていました。荷車から手際よく積み荷を降ろす男衆。石段に座り込み、一服している職人たち。
店先では、気難しい顔をした職人が、客らしき人物となにやら話し込んでいました。
「なんとか明後日までに仕上げられないかね」
「そらぁ無理ってもんですよお客さん」
「いつもの倍出すといっても、駄目かね?」
「金でどうこうはなりませんて。こっちゃ万年人手不足なんだから」
こーん、こーん、という小気味よい木槌の音を聞くと、少女は車輪を作ってくれた木工屋のことを思い出すのでした。
棺桶を連れて、少女は歩きます。
夜は大賑わいの酒場通り。しかし、日の高い今は閑散としています。道に置かれたテーブルや椅子、立て看板も、どこか寂しそうでした。通りを歩いていて見かけるのは、店の表をせっせと掃除する女性や、安物の鎧を来た傭兵。
「あ~ぁ、暇だねぇ~。なぁ、そこのお姉ちゃん。お相手してくれねえかな」
「お生憎さま。あたしは店の準備で忙しいの。さ、どいたどいた」
「客なんていねえじゃねえか」
「お客さんがいなくても仕事は山ほどあるのよ。あなたと違ってね」
「少しくらいサボったっていいだろ?」
「ちょっと。道塞がないでよ」
「おい、そこ。何を揉めてるんだ」
「あっ、騎士さま! お助けください!」
「おいおい、待ってくれよ。俺は何も悪いことしてないぞ」
そして、見回りの騎士くらいです。
騎士を間に挟み、声高に言い争う二人の脇を通り過ぎた少女は、傭兵に扮した盗賊たちと、心優しい女性騎士のことを思い出していました。
棺桶を連れて少女は歩きます。
町の反対側まで歩いた少女は、小高い丘の麓に立っていました。丘の頂上へ伸びる一本道を登り、辿り着いたのは一軒の民家です。
レンガ塀に囲まれた家の庭に、少女は足を踏み入れました。
荒れた庭の真ん中で立ち止まった少女は、ドレスの首元に手を入れ、服の中に隠れていた首飾りを引っ張り出します。首飾りには、装飾のない、シンプルな造りの鍵が付いていました。
取り外した首飾りをてのひらに乗せ、棺桶をその場に残し、少女は木造りの質素な建物に近づきました。
錆びた金属のドア飾りが付けられた、木製の扉の前に立った少女は、持っていた鍵を鍵穴に差し込みます。
開いた扉をそのままに、少女は家の中へ入っていきました。
やがて、少しの間を置いて、少女は再び顔を出しました。真っ赤な液体の入った小瓶を胸に抱え、小走りで棺桶の元に向かいます。少女は棺桶のそばにぺたりと座り、棺桶の蓋を開きました。
小瓶のコルク栓を抜き、中に入った赤い液体を、眠る青年の口元へ垂らします。
そうしてしばらく待つと、青年がうっすらと目を開きました。
重たそうに頭を持ち上げ、体を起こした青年は、眠そうな瞳を少女に向けて、穏やかな声で言いました。
「……おはよう」
青年の言葉を耳にした少女は、目に溜めた涙を拭い、満面の笑みを返します。
「おはよう、ねぼすけさん」
花が咲いたような笑顔でした。
手を繋ぎ、家の中に入っていく二人の背を、遠くで見送る者がいました。
町の前で少女と別れたはずの、女性騎士でした。
「心配は無用だったな」
傍らに立つ馬の首筋を撫でながら、二人の消えた扉の向こうを見つめて女性騎士は呟きます。しばらくの間、その場に佇んでいた女性騎士は、
「行こうか」
愛馬に柔らかく語りかけ、踵を返しました。
相棒とともに丘を下り始めた女性騎士は、ふと足を止めて振り返り、
「ちゃんと笑えるじゃないか」
少女の花咲く笑顔を目を閉じて思い浮かべ、嬉しそうに口元を緩めたのでした。
丘の上の庭では、役目を終えた棺桶を、穏やかな午後の陽射しが暖めていました。
0
お気に入りに追加
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
おいもいちみ
けまけま
児童書・童話
職探し中のおいもさんが門を叩いたのは、
あの悪名高き一味の総本山!親分コワい!
でも奴らを踏み台にして一躍ヒーローさ!!
~ 主な登場人物 ~
お芋さん、ヒロミ、シャテー、ゴロツキ、ワン=コロ、キンコンカン、スリッパ、ズントコショ、スケベ―、モーモー、ポッポポ、レロレロ、マリン、その他
★★★おいもさんシリーズ★★★
1.うらしま おいも(公開中)
2.おいも うらない(公開中)
3.おいも ぐるぐる(公開中)
4.おいも いちみ(本作品)
※1話完結だから、どのお話から読んでも大丈夫。
懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。
梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。
あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。
その時までは。
どうか、幸せになってね。
愛しい人。
さようなら。
新訳 不思議の国のアリス
サイコさん太郎
児童書・童話
1944年、ポーランド南部郊外にある収容所で一人の少女が処分された。その少女は僅かに微笑み、眠る様に生き絶えていた。
死の淵で彼女は何を想い、何を感じたのか。雪の中に小さく佇む、白い兎だけが彼女の死に涙を流す。
灯り売り
風太
児童書・童話
※マッチ売りとは何も関係ありません
朝の訪れない暗い街。そんな暗い街で暮らす人々は心まで暗く閉ざしていました。
童話風の物語です。本編+続編の構成を考えております。あとの続編はこの物語の裏側とその続きを描きます。
台風ヤンマ
関谷俊博
児童書・童話
台風にのって新種のヤンマたちが水びたしの町にやってきた!
ぼくらは旅をつづける。
戦闘集団を見失ってしまった長距離ランナーのように……。
あの日のリンドバーグのように……。
愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。
石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。
ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。
それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。
愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。
この作品は他サイトにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる