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森の中で/女性騎士
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あるとき、少女はゆらゆら揺れる焚き火を眺めていました。
街道を少し外れた森の中。棺桶は相変わらず、膝を抱えて座る少女の隣にあります。
少女は一人ではありませんでした。少女の向かいには、木に繋がれた鹿毛の馬と愛馬を撫でる女性騎士がいます。彼女は盗賊を追い払った騎士団の一人でした。
「あまり火に近付くなよ。火傷するぞ」
馬の世話を終えた女性騎士が少女の向かい側にどかりと座ります。女性騎士は手にした干し肉を一口齧り、水筒の水を口に含みました。
少女の前にも、干し肉と少しの野菜を入れたスープがありましたが、少女はまったく手をつけていません。
「食べないのか?」
干し肉を飲み込んで、騎士は尋ねます。少女はスープに目を写し、それからゆるゆると首を振りました。
「歩き通しで疲れているのは分かるが、食べないと明日が辛いぞ?」
女性騎士ははじめ、少女を馬に乗せようとしましたが、少女はそれを拒みました。なので、馬で半日の次の町にも、まだ着いていないのでした。
「平気。あなたが食べて」
少女はまた焚き火に視線を戻して言いました。
「そういう訳にはいかないさ。君を無事に送り届けるのが私の任務なんだ。倒れられでもしたら困る」
言葉通り、女性騎士は困ったように眉を八の字にしています。
「心配しなくても、倒れたりしないわ。私は食べなくても平気だから」
「平気、と言われてもな……」
焚き火に薪を足しながら、女性騎士はさらに眉尻を下げました。
「本当よ」
抱えた膝に頬を乗せて、少女はぽつりと言葉を零しました。
「だって私、人間じゃないんだもの」
ぱちぱち。ぱちぱち。焚き火が爆ぜます。
「……人間じゃない、ね」
突拍子のない少女の言葉に、女性騎士は苦笑いです。
「人間じゃないとすれば……」
女性騎士は空いた手で薪を掴み、焚き火にくべました。
「君は一体なんだというんだ?」
女性騎士は、冗談めかして少女に尋ねます。答えない少女の代わりとばかりに、遠くから狼の遠吠えが聞こえてきました。
「――むかしむかし、あるところに一人の青年がいました」
女性騎士を一瞥した少女は、おもむろに語り出しました。
「とても賢く、好奇心が強い青年でした。興味のあることには寝食を忘れて没頭し、さまざまな知識を身に着けました」
女性騎士は黙って少女の話を聞いています。
「青年は好奇心の趣くままに色々な土地を巡り、ある町で一体のオートマトン(機械人形)を作り上げました。ヒトのように動き、話す、彼の最高傑作です」
少女はじっと焚き火の炎を見つめて語ります。
「青年は彼女に知識を与え、数ヶ月をともに過ごしました」
木に繋がれた鹿毛の馬が、ぶるると鼻を鳴らしました。
「青年が彼の機械人形を連れて家に戻ろうとしたとき、ある病が青年を襲いました。重い病気です。そして、とても珍しい病でもありました」
ほぅほぅ、とどこかでフクロウが鳴いています。
「近くの町にこの病気を治せる医者はなく、薬を作る時間もない。そう悟った青年は、薬で自分を死人のように眠らせ、彼の機械人形にこう言いました」
――君に頼みがある。
――僕を僕の家まで送り届けておくれ。この病気に効く薬が家にある筈だから。
「家に着いたら、眠る僕にそれを飲ませてほしい。どの薬かはすぐに分かるさ。血のように真っ赤な薬だ。頼んだよ。これは君にしか出来ないことだ、と」
少女は静かに語り終えました。
「君は、自分が人形だと言うのか? ……悪いが、にわかには信じられないな」
女性騎士の言葉に、少女は無言で応えます。まるで、信じなくても別にかまわない、と言っているようでした。
会話がぷつりと途切れます。沈黙を埋めるように、草木は風にざわめき、虫たちが控えめに鳴き声を上げていました。
「君は……」
静かに食事を済ませた女性騎士が、穏やかに少女に問いかけます。
「笑ったことはあるか?」
風に巻き上がる火の粉を目で追っていた少女は、ゆったりとした動作で女性騎士に顔を向けました。
「さぁ……。あった、ような気はするけれど、忘れてしまったわ」
曖昧な記憶を少しずつ手繰り、少女はゆっくりと呟きを漏らします。
「そうか。ならば、君は人形ではないな」
それを聞いた女性騎士は、なんでもないことのように言い切りました。
「どうして?」
不思議そうに、声に微かに驚きを覗かせて、少女は尋ねます。女性騎士はちょっと笑ってこう言いました。
「人形は笑わないものだよ。ましてや、笑い方を忘れるなんてこと、人形には出来やしない」
「……そうかしら」
「ああ、少なくとも私はそう思う」
ぱちぱち。ぱちぱち。焚き火が爆ぜます。炭になりかけの薪が、鮮やかな赤色を宿していました。
「笑ってごらんよ。試しにさ」
女性騎士は、俯く少女にそっと話しかけます。顔を上げた少女は、迷うように目を伏せたあと、
「笑い方なんて、もう分からないもの」
ぽつりと零しました。
「こうやるんだ。ほら」
女性騎士はにこりと笑いかけます。少女も女性騎士の真似をしようとしますが、なかなか上手くいきません。
「難しい……」
細い指で頬っぺたをつまみ、少女は呟きました。女性騎士は明るく笑い、悩む少女に優しく言葉をかけます。
「いきなりは無理さ。ゆっくり、ゆっくりやっていこう」
「……うん」
森が眠り、空が白むまで、少女は笑い方の練習をしたのでした。
街道を少し外れた森の中。棺桶は相変わらず、膝を抱えて座る少女の隣にあります。
少女は一人ではありませんでした。少女の向かいには、木に繋がれた鹿毛の馬と愛馬を撫でる女性騎士がいます。彼女は盗賊を追い払った騎士団の一人でした。
「あまり火に近付くなよ。火傷するぞ」
馬の世話を終えた女性騎士が少女の向かい側にどかりと座ります。女性騎士は手にした干し肉を一口齧り、水筒の水を口に含みました。
少女の前にも、干し肉と少しの野菜を入れたスープがありましたが、少女はまったく手をつけていません。
「食べないのか?」
干し肉を飲み込んで、騎士は尋ねます。少女はスープに目を写し、それからゆるゆると首を振りました。
「歩き通しで疲れているのは分かるが、食べないと明日が辛いぞ?」
女性騎士ははじめ、少女を馬に乗せようとしましたが、少女はそれを拒みました。なので、馬で半日の次の町にも、まだ着いていないのでした。
「平気。あなたが食べて」
少女はまた焚き火に視線を戻して言いました。
「そういう訳にはいかないさ。君を無事に送り届けるのが私の任務なんだ。倒れられでもしたら困る」
言葉通り、女性騎士は困ったように眉を八の字にしています。
「心配しなくても、倒れたりしないわ。私は食べなくても平気だから」
「平気、と言われてもな……」
焚き火に薪を足しながら、女性騎士はさらに眉尻を下げました。
「本当よ」
抱えた膝に頬を乗せて、少女はぽつりと言葉を零しました。
「だって私、人間じゃないんだもの」
ぱちぱち。ぱちぱち。焚き火が爆ぜます。
「……人間じゃない、ね」
突拍子のない少女の言葉に、女性騎士は苦笑いです。
「人間じゃないとすれば……」
女性騎士は空いた手で薪を掴み、焚き火にくべました。
「君は一体なんだというんだ?」
女性騎士は、冗談めかして少女に尋ねます。答えない少女の代わりとばかりに、遠くから狼の遠吠えが聞こえてきました。
「――むかしむかし、あるところに一人の青年がいました」
女性騎士を一瞥した少女は、おもむろに語り出しました。
「とても賢く、好奇心が強い青年でした。興味のあることには寝食を忘れて没頭し、さまざまな知識を身に着けました」
女性騎士は黙って少女の話を聞いています。
「青年は好奇心の趣くままに色々な土地を巡り、ある町で一体のオートマトン(機械人形)を作り上げました。ヒトのように動き、話す、彼の最高傑作です」
少女はじっと焚き火の炎を見つめて語ります。
「青年は彼女に知識を与え、数ヶ月をともに過ごしました」
木に繋がれた鹿毛の馬が、ぶるると鼻を鳴らしました。
「青年が彼の機械人形を連れて家に戻ろうとしたとき、ある病が青年を襲いました。重い病気です。そして、とても珍しい病でもありました」
ほぅほぅ、とどこかでフクロウが鳴いています。
「近くの町にこの病気を治せる医者はなく、薬を作る時間もない。そう悟った青年は、薬で自分を死人のように眠らせ、彼の機械人形にこう言いました」
――君に頼みがある。
――僕を僕の家まで送り届けておくれ。この病気に効く薬が家にある筈だから。
「家に着いたら、眠る僕にそれを飲ませてほしい。どの薬かはすぐに分かるさ。血のように真っ赤な薬だ。頼んだよ。これは君にしか出来ないことだ、と」
少女は静かに語り終えました。
「君は、自分が人形だと言うのか? ……悪いが、にわかには信じられないな」
女性騎士の言葉に、少女は無言で応えます。まるで、信じなくても別にかまわない、と言っているようでした。
会話がぷつりと途切れます。沈黙を埋めるように、草木は風にざわめき、虫たちが控えめに鳴き声を上げていました。
「君は……」
静かに食事を済ませた女性騎士が、穏やかに少女に問いかけます。
「笑ったことはあるか?」
風に巻き上がる火の粉を目で追っていた少女は、ゆったりとした動作で女性騎士に顔を向けました。
「さぁ……。あった、ような気はするけれど、忘れてしまったわ」
曖昧な記憶を少しずつ手繰り、少女はゆっくりと呟きを漏らします。
「そうか。ならば、君は人形ではないな」
それを聞いた女性騎士は、なんでもないことのように言い切りました。
「どうして?」
不思議そうに、声に微かに驚きを覗かせて、少女は尋ねます。女性騎士はちょっと笑ってこう言いました。
「人形は笑わないものだよ。ましてや、笑い方を忘れるなんてこと、人形には出来やしない」
「……そうかしら」
「ああ、少なくとも私はそう思う」
ぱちぱち。ぱちぱち。焚き火が爆ぜます。炭になりかけの薪が、鮮やかな赤色を宿していました。
「笑ってごらんよ。試しにさ」
女性騎士は、俯く少女にそっと話しかけます。顔を上げた少女は、迷うように目を伏せたあと、
「笑い方なんて、もう分からないもの」
ぽつりと零しました。
「こうやるんだ。ほら」
女性騎士はにこりと笑いかけます。少女も女性騎士の真似をしようとしますが、なかなか上手くいきません。
「難しい……」
細い指で頬っぺたをつまみ、少女は呟きました。女性騎士は明るく笑い、悩む少女に優しく言葉をかけます。
「いきなりは無理さ。ゆっくり、ゆっくりやっていこう」
「……うん」
森が眠り、空が白むまで、少女は笑い方の練習をしたのでした。
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