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12、銀龍のつがい
遠隔会議
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寝室を出たジュルチを、廊下でメイローズが出迎える。
「わざわざありがとうございます。これから、転移魔法陣にて帝国の賢親王殿下に事情の報告を行うのですが、導師にもご同席いただきたいと、賢親王殿下がお待ちでございます」
「了解した」
ジュルチが導かれたのは、総督府の〈中奥〉と言われる、総督と副総督の執務室のある棟であった。もっとも、恭親王はこちらの執務室はほとんど使用していない。
転移魔法陣のある部屋には、正副の傅役であるゲルとゾーイ、副総督のエンロン、侍従官のゾラとトルフィン、そして総督府付きの騎士であるユーエルがいた。
その部屋には軽食や書類なども持ち込まれており、ジュルチを待つ間、暇を見て彼らが食事などを摂っていたらしい。
「先ほど、ジュルチ僧正がご到着になった旨、皇宮には知らせてございますゆえ、賢親王殿下もすでに待機なさっているかと思います。すぐに魔法陣を繋ぎますので……」
メイローズが待機していた術者に命じると、魔法陣が動き始め、青白い光を放つ。空間が白くぽっかりと開いて、賢親王が黒檀の肘掛椅子に座り、横には数名の宦官と官吏が控えていた。奥に、御簾が見える。――どうやら、皇帝は愛子の怪我の報に、居ても立ってもいられないらしい。
奥の御簾の存在に気づいたのはジュルチだけのようで、その場の者たちはただ、賢親王に対して立ち上がり、袖を払って一斉に礼を取る。ジュルチもメイローズも、聖職者としての礼を取った。
賢親王エリンは皇帝の第三皇子、恭親王の異母兄である。異母兄とはいっても、賢親王の生母は現皇后の叔母、つまり皇后と賢親王は従兄妹で、それゆえに賢親王にとって恭親王は同母弟に限りなく近い――もっとも、歳は親子ほども離れてはいるのだが。
賢親王は恭親王によく似た、凛々しい眉に頬骨の高い端麗な顔に、しかし表情は厳しい。
「楽にせよ。……ユエリンの容態はどうだ」
「は。さきほど、ジュルチ僧正により治療を受けまして、魔力の循環も回復し、命の危険は脱したとの報告を受けました」
ジュルチが賢親王に向かい、目礼する。
「それは、よかった。――導師には、感謝の言葉もない」
「事故がありましてから、マニ僧都とアデライード姫が懸命に〈気〉を注入していたのが、功を奏したのです。功績はあちらに帰すべきでございましょう」
「二人には、事が落ち着いてより、陛下よりお沙汰があろう」
それで、と賢親王が一同を見回す。
「……まず、前回の報告にあった、サウラの妊娠が偽装であったことについてだが、後宮付きの医師に確認したところ、八月半ばの段階では、間違いなく懐妊していたという証言を得た。サウラは皇后陛下の客人として避暑離宮に滞在し、九月初めに帝都のハーバー=ホストフル家に帰り、安定期まで療養の上、ソリスティアに向かう、という手筈であったそうだ」
その話に、ゾラとトルフィンが驚く。
「つまり、妊娠は本当だったっつーことっすか?」
「うむ。ただ、まだ〈王気〉が視認できる状態ではなかったという。魔力の釣り合わぬ妊娠は継続が難しい。魔力の強い子であれば、五か月頃から〈王気〉を発するが、子の魔力に母親の胎が耐えられなくなるのもその時期で、安定期に入ってからの流産が多いのだ。おそらくサウラの子も……」
賢親王が壮年に入ってもなお、精悍さを醸す凛々しい眉を曇らせる。弟というよりも、半ば息子のように可愛がっている恭親王の子を、実は賢親王も待ち望んでいたのだ。
「……だが、サウラは妊娠の継続を装った。腹に詰め物までして……愚かなことだ」
待ち望んでいた子であったが故に、妊娠の継続を偽ったサウラに、賢親王は憤りを感じていた。
早逝したとはいえ、子を生したことのあるサウラは、妊婦の生理を熟知していた。ごく一部の側仕えの侍女や、産婆を除いて、サウラの妊娠が偽装だということに気づかなかったという。
「だがそもそも、存在もしない子を身ごもっていると言い張り、ソリスティアに押しかけたとて、子など産まれぬ。どうするつもりだったのだ」
賢親王の疑問は、その場の全員が感じていることであったが、まだその答えは得られていなかった。ゲルが答える。
「そのあたりのサウラの心情については、まだ尋問が及んでおりません。我々としては、サウラがそもそも妊娠していなかった事実に、まず、愕然としている状態でございまして」
「では、今回の事故について、もう一度最初から話せ」
「はい。殿下がサウラの妊娠と、離縁の凍結を知らされたのは年明けでございました。殿下としては、離縁状に不備はなく、もはやサウラは側室ではないとして、ソリスティアの城下に屋敷を用意し、総督府内に入れてはならないと厳命なさいました」
恭親王はサウラのソリスティア到着後もサウラを総督府内に入れず、その屋敷へも訪問せず、ただ出産への手助けはする、子に対する責任はとるが、男児を産もうがサウラを再び側室には直さないと明言していた。
事件は今日の午後。恭親王は正副傅役、文武の侍従官を率いて軍艦の視察に出かけて総督府を留守にし、アデライード姫は居間にソアレス家のフエルと、トルフィンの妻ミハル、そして伯父であるマニ僧都を招いて、フエルの持ち込んだ古今の尺牘を鑑賞をしていた。そこへ、フエルの手引きにより、サウラとその侍女が姫君との面会を求めて総督府の〈奥〉に押しかけたのだ。
ソアレス家のフエル、という聞きなれぬ名に、賢親王が首を傾げる。メイローズが立ち上がって言った。
「フエルはかつての正傅、デュクト殿の長男です。わが主……いえ、殿下はデュクトとの確執もあって、フエルをあまり寄せ付けませんで、まだ幼いフエルとしてはいろいろと不満がたまっていて……その、サウラに同情のあまり、アデライード姫とサウラを対面させ、サウラの腹の子をアデライード様が認めれば、サウラに対する殿下の態度も軟化するのではないかと、考えたようなのです。……ですが、そこなる総督府付きのユーエルがサウラの侵入を阻みました。騒ぎを聞きつけて私が様子を見に出て、それで、サウラの腹に〈王気〉が視えぬことに気づいたのでございます」
その時、メイローズの考えた可能性は二つ。一つは、そもそも妊娠が偽装であること。もう一つは、妊娠はしているが、腹の子が恭親王の種ではないこと。
「殿下はサウラが到着してすぐに医師を派遣しましたのに、サウラは診察を拒否いたしました。そのことを思い出して、私は第一の可能性が高いと感じたのですが、確証はありません。いずれにせよ、これだけ妊娠が進んでも〈王気〉が視えないということは、とにかく皇族のお種である可能性はない。前者であればそもそも子は生まれませんし、後者であっても生まれればすぐに望気者のチェックを受けて、皇族の血筋でないことが明らかになります。そんな、いずれ嘘のバレてしまうドンづまりの詐術を用いたサウラが不気味で、そのまま野放しにするべきでないと感じ、ひとまずサロンにサウラを足止めして、ユーエルを走らせて殿下にお戻りいただくよう、願ったのです」
ユーエルもやや青ざめた顔を伏せ、頷いた。
「その後、アデライード姫とマニ僧都、護衛であるゾーイ夫人のアリナらと協議いたしました。その時、アデライード姫がそもそも生むつもりがないのか、とお尋ねになられて、ひらめいたのでございます。――サウラの目的は、誣告ではないかと」
「わざわざありがとうございます。これから、転移魔法陣にて帝国の賢親王殿下に事情の報告を行うのですが、導師にもご同席いただきたいと、賢親王殿下がお待ちでございます」
「了解した」
ジュルチが導かれたのは、総督府の〈中奥〉と言われる、総督と副総督の執務室のある棟であった。もっとも、恭親王はこちらの執務室はほとんど使用していない。
転移魔法陣のある部屋には、正副の傅役であるゲルとゾーイ、副総督のエンロン、侍従官のゾラとトルフィン、そして総督府付きの騎士であるユーエルがいた。
その部屋には軽食や書類なども持ち込まれており、ジュルチを待つ間、暇を見て彼らが食事などを摂っていたらしい。
「先ほど、ジュルチ僧正がご到着になった旨、皇宮には知らせてございますゆえ、賢親王殿下もすでに待機なさっているかと思います。すぐに魔法陣を繋ぎますので……」
メイローズが待機していた術者に命じると、魔法陣が動き始め、青白い光を放つ。空間が白くぽっかりと開いて、賢親王が黒檀の肘掛椅子に座り、横には数名の宦官と官吏が控えていた。奥に、御簾が見える。――どうやら、皇帝は愛子の怪我の報に、居ても立ってもいられないらしい。
奥の御簾の存在に気づいたのはジュルチだけのようで、その場の者たちはただ、賢親王に対して立ち上がり、袖を払って一斉に礼を取る。ジュルチもメイローズも、聖職者としての礼を取った。
賢親王エリンは皇帝の第三皇子、恭親王の異母兄である。異母兄とはいっても、賢親王の生母は現皇后の叔母、つまり皇后と賢親王は従兄妹で、それゆえに賢親王にとって恭親王は同母弟に限りなく近い――もっとも、歳は親子ほども離れてはいるのだが。
賢親王は恭親王によく似た、凛々しい眉に頬骨の高い端麗な顔に、しかし表情は厳しい。
「楽にせよ。……ユエリンの容態はどうだ」
「は。さきほど、ジュルチ僧正により治療を受けまして、魔力の循環も回復し、命の危険は脱したとの報告を受けました」
ジュルチが賢親王に向かい、目礼する。
「それは、よかった。――導師には、感謝の言葉もない」
「事故がありましてから、マニ僧都とアデライード姫が懸命に〈気〉を注入していたのが、功を奏したのです。功績はあちらに帰すべきでございましょう」
「二人には、事が落ち着いてより、陛下よりお沙汰があろう」
それで、と賢親王が一同を見回す。
「……まず、前回の報告にあった、サウラの妊娠が偽装であったことについてだが、後宮付きの医師に確認したところ、八月半ばの段階では、間違いなく懐妊していたという証言を得た。サウラは皇后陛下の客人として避暑離宮に滞在し、九月初めに帝都のハーバー=ホストフル家に帰り、安定期まで療養の上、ソリスティアに向かう、という手筈であったそうだ」
その話に、ゾラとトルフィンが驚く。
「つまり、妊娠は本当だったっつーことっすか?」
「うむ。ただ、まだ〈王気〉が視認できる状態ではなかったという。魔力の釣り合わぬ妊娠は継続が難しい。魔力の強い子であれば、五か月頃から〈王気〉を発するが、子の魔力に母親の胎が耐えられなくなるのもその時期で、安定期に入ってからの流産が多いのだ。おそらくサウラの子も……」
賢親王が壮年に入ってもなお、精悍さを醸す凛々しい眉を曇らせる。弟というよりも、半ば息子のように可愛がっている恭親王の子を、実は賢親王も待ち望んでいたのだ。
「……だが、サウラは妊娠の継続を装った。腹に詰め物までして……愚かなことだ」
待ち望んでいた子であったが故に、妊娠の継続を偽ったサウラに、賢親王は憤りを感じていた。
早逝したとはいえ、子を生したことのあるサウラは、妊婦の生理を熟知していた。ごく一部の側仕えの侍女や、産婆を除いて、サウラの妊娠が偽装だということに気づかなかったという。
「だがそもそも、存在もしない子を身ごもっていると言い張り、ソリスティアに押しかけたとて、子など産まれぬ。どうするつもりだったのだ」
賢親王の疑問は、その場の全員が感じていることであったが、まだその答えは得られていなかった。ゲルが答える。
「そのあたりのサウラの心情については、まだ尋問が及んでおりません。我々としては、サウラがそもそも妊娠していなかった事実に、まず、愕然としている状態でございまして」
「では、今回の事故について、もう一度最初から話せ」
「はい。殿下がサウラの妊娠と、離縁の凍結を知らされたのは年明けでございました。殿下としては、離縁状に不備はなく、もはやサウラは側室ではないとして、ソリスティアの城下に屋敷を用意し、総督府内に入れてはならないと厳命なさいました」
恭親王はサウラのソリスティア到着後もサウラを総督府内に入れず、その屋敷へも訪問せず、ただ出産への手助けはする、子に対する責任はとるが、男児を産もうがサウラを再び側室には直さないと明言していた。
事件は今日の午後。恭親王は正副傅役、文武の侍従官を率いて軍艦の視察に出かけて総督府を留守にし、アデライード姫は居間にソアレス家のフエルと、トルフィンの妻ミハル、そして伯父であるマニ僧都を招いて、フエルの持ち込んだ古今の尺牘を鑑賞をしていた。そこへ、フエルの手引きにより、サウラとその侍女が姫君との面会を求めて総督府の〈奥〉に押しかけたのだ。
ソアレス家のフエル、という聞きなれぬ名に、賢親王が首を傾げる。メイローズが立ち上がって言った。
「フエルはかつての正傅、デュクト殿の長男です。わが主……いえ、殿下はデュクトとの確執もあって、フエルをあまり寄せ付けませんで、まだ幼いフエルとしてはいろいろと不満がたまっていて……その、サウラに同情のあまり、アデライード姫とサウラを対面させ、サウラの腹の子をアデライード様が認めれば、サウラに対する殿下の態度も軟化するのではないかと、考えたようなのです。……ですが、そこなる総督府付きのユーエルがサウラの侵入を阻みました。騒ぎを聞きつけて私が様子を見に出て、それで、サウラの腹に〈王気〉が視えぬことに気づいたのでございます」
その時、メイローズの考えた可能性は二つ。一つは、そもそも妊娠が偽装であること。もう一つは、妊娠はしているが、腹の子が恭親王の種ではないこと。
「殿下はサウラが到着してすぐに医師を派遣しましたのに、サウラは診察を拒否いたしました。そのことを思い出して、私は第一の可能性が高いと感じたのですが、確証はありません。いずれにせよ、これだけ妊娠が進んでも〈王気〉が視えないということは、とにかく皇族のお種である可能性はない。前者であればそもそも子は生まれませんし、後者であっても生まれればすぐに望気者のチェックを受けて、皇族の血筋でないことが明らかになります。そんな、いずれ嘘のバレてしまうドンづまりの詐術を用いたサウラが不気味で、そのまま野放しにするべきでないと感じ、ひとまずサロンにサウラを足止めして、ユーエルを走らせて殿下にお戻りいただくよう、願ったのです」
ユーエルもやや青ざめた顔を伏せ、頷いた。
「その後、アデライード姫とマニ僧都、護衛であるゾーイ夫人のアリナらと協議いたしました。その時、アデライード姫がそもそも生むつもりがないのか、とお尋ねになられて、ひらめいたのでございます。――サウラの目的は、誣告ではないかと」
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