【R18】ゴーレムの王子は光の妖精の夢を見る

無憂

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第五章 〈真実〉か、〈死〉か

正気に戻す(ロベルト視点)

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 エルスペス嬢に去られて、酒浸りになってしまった殿下。俺たち側近は、なんとか周囲を誤魔化して駆けずり回った。

 まず、俺は喪服を山ほど抱えて、マクガーニ中将の邸に向かった。

 黒いワンピースだけじゃない。帽子、外套、手袋、靴、日傘まで黒一色で過ごすために、姉貴は付き合いのある高級メゾンから、サイズの合う高級既製服プレタポルテをかき集めてくれた。

 初め、エルスペス嬢は遠慮して受け取ろうとしなかった。もう、自分はではないから、と。

 殿下自身は本気で愛して結婚するつもりでも、客観的に彼女の置かれた立場は愛人だった。そう、彼女に思わせてしまう殿下のやりように問題はあったけれど、実際、喪服は必要なので、俺は必死に説得した。ジェニファー夫人も山と積まれた帽子やドレスの箱に圧倒されて、エルスペス嬢にとりなしてくれた。

「必要なものだわ。もらっておいたら」
「でも……」

 喪服の箱をエルスペス嬢に押し付け、俺はちょうど王宮から戻ってきたマクガーニ中将を捕まえ、彼女のいないところで一つ提案した。

「エルスペス嬢なんですけどね。早晩、彼女の正体もバレちゃうんじゃないかって思うんです」
「……そうだな。派手に二人で出掛けていたし……祖母上の葬儀も出さないといけない。葬儀はリンドホルムで行うつもりのようだが……」

 マクガーニ中将が眉を顰めるのに、俺は小声で言う。

「実は、殿下はこうなることを半ば見越していたっぽくて、ハンプトンからの豪華客船を二人分、予約してるんです。……新大陸に駆け落ちする予定で」
「駆け落ちだと!」
「シーッ! これはエルスペス嬢も知らないことで……俺の姉貴に長期旅行用の準備を命じて、バーナード・ハドソンにその他の手配を頼んでいました」

 マクガーニ中将は呆然と俺を見る。

「……リーン大尉はそれを知って……?」
「いや、俺も知らされてなかったっす。チケットは二人分でしたから。……俺も従僕もなしで、どうやって生きていくつもりかって、バーナードが俺のところに問い合わせて発覚したんです! 俺は悪くありません」
「すぐにキャンセルを……」
「それで、せっかくチケットあるんですから、エルスペス嬢を国外に逃した方がいいと思うんです」
 
 王都の新聞社は早晩、エルスペス嬢の存在を嗅ぎつけるだろう。下手をすると、マクガーニ家に新聞記者が殺到する。

「……ううむ」

 マクガーニ中将は考え込む。

「駆け落ちするほど本気だったとは……」
「本気も本気、今、殿下はエルスペス嬢に振られたショックで酒浸りですよ!」
「……記者は殺到するだろうか?」 
「するでしょうね。……殿下が愛人に夢中だったのは、有名な話。でも、結局、レコンフィールド公爵令嬢との婚約が決まった。愛人はどうするのか、王都の噂雀たちの、恰好のネタですよ」

 俺が言えば、マクガーニ中将は言う。

「……エルスペス嬢はもとはマックス・アシュバートンの娘で、伯爵令嬢だ。レコンフィールド公爵令嬢には劣るが、けして卑しい生まれではない。第三王子の妃にふさわしくないわけではないのだ。……それが、納得できないまま相続を却下されて身分を失った。殿下が本気で彼女を愛しているなら、わしは尊重したい部分もある。……レコンフィールド公爵のやり口は強引過ぎる」

 マクガーニ中将が言うには、ステファニー嬢との婚約が白紙に戻り、公爵クラスの貴族が後見すれば、エルスペス嬢を第三王子妃に推すことも可能だった。

「……マールバラ公爵が王都にいれば、議会の暴走を押さえてくれただろうが、閣下は今は講和会議でビルツホルンにいる……」

 それからマクガーニ中将が思いついたように手を打った。

「そうだ! 殿下がビルツホルンに行けばよい!」
「ビルツホルンに、殿下が?」

 俺がぎょっとして聞き返せば、閣下が頷いた。

「そうだ。ちょうど、講和会議に付随する軍縮会議がビルツホルンで開かれていて、わしも調印式には向かう予定だった。……何でも、会議が難航していて、次官レベルではらちが明かないと。それで全権大使を派遣してくれと言われて、わしが行くしかないかと思っていたが、殿下も陸軍の司令だ。殿下が向かっても問題はない。王族の派遣は、むしろ歓迎されるだろう」

 俺はアッと思う。

「そこにエルスペス嬢を随行させるんですね!」
「そうだ、一応、秘書官だからな。これならエルスペス嬢も外国に出せるし、殿下も頭が冷えるだろう。向こうでマールバラ公爵に協力を要請すれば、活路が開けるかもしれん」 

 さすが、軍人のマクガーニ中将は行動が早く、その日のうちに国王に謁見し、半ば脅すようにして殿下の外遊を勝ち取った。後は俺とジェラルド、ジョナサンが大車輪で動きまわり、ビルツホルン行の王族専用列車の予約を取り、殿下の外遊の準備を整える。
 
 ただし、一番の大仕事が残っていた。
 腑抜けになって酒浸りになっている、殿下の正気を覚まさないといけない。

「……まったく、若いとはいえ、どうしようもないな。……わしとエルスペス嬢は葬儀のためにリンドホルムに向かわねばならないのに」

 マクガーニ中将はため息をつき、殿下のアパートメントに馬車で乗り付けた。 




 昇降機エレベータを俺とマクガーニ中将が下りると、やや疲れた表情のジュリアンが出迎える。

「その……我々側仕えの者としても、不甲斐ないのですが、どうにも……」

 マクガーニ中将がフンッと肩を竦め、俺たちはアパートメントの玄関を入る。閣下は周囲を見回して、眉を顰めた。

を囲うには、豪勢ではないかね?」
「……殿下は本気でご結婚するつもりでしたので」
「……まったく」

 閣下はトップハットとステッキをジュリアンに渡し、ずかずかと廊下を進む。

「殿下はこちらの……その、エルスペス嬢の寝室に籠っておられて……」

 俺たちはエルスペス嬢の居間を通り抜け、寝室のドアを開ける。ぷん、と酒精の臭いが漂ってくる。……どんだけ飲んでるんだよ。
 相変わらず、殿下は暖炉マントルピースの前に座り込み、周囲に酒瓶が林立する中、明らかに女物の藤色のキモノを肩に羽織り、壁の絵を眺めながら酒を呷っている。シャツのボタンは半ばはだけ、髪も撫でつけずに乱れたまま。頬には無精ひげすら生えている。
 ――この姿をエルスペス嬢に見せたら、もう再起不能だな。百年の恋も冷める。

 俺がなんとなく諦めた時、マクガーニ中将はガツガツと大股で殿下に近づくと、いきなりその首根っこをひっつかみ、藤色のキモノを引きはがして大きな体を持ち上げた。

「うわっ! 何?!」
「みっともない! 王子が云々というより、紳士として! いやランデルの栄誉ある軍人として許しがたい醜態だ! 目を覚まさんか、ボケが!」

 そうして、俺とジュリアンが呆然とする前で、殿下の大きな体を引きずるようにして浴室に連れ込む。慌てて後を追えば、そこは女性用の非常に繊細な装飾の浴室だった。

 白い大理石の大きな洗面台に、洗面ボールは青花模様の陶器。金の蛇口には、やはり青花模様の陶器の飾りがついている。大きな楕円形の鏡が壁づけされ、金色の蔓薔薇の縁どりがあり、周囲に小さな電灯が埋め込まれて内部を照らす。洗面台の上には高級化粧品が並び、清潔なリネンがきれいに折り畳んで積んである。
 白いタイルにも青花模様がうるさくない程度に散らされ、白い猫脚のバスタブと、金色のスタンドのあるシャワー。

 あー、ここでもヤったんだろうなーと俺が下世話な想像をする間もなく、マクガーニ中将は殿下の頭をバスタブに突っ込むと、いきなり蛇口をひねって冷水シャワーを浴びせかけた。

「うわ、冷たい! わ、やめて! 何?」
「いい加減に正気に戻りたまえ! そんな根性だから、女にも振られるのだ! この惰弱者が!」

 俺とジュリアンは、あわあわと眺めることしかできない。ひとしきりシャーシャーと冷水を浴びせられ、マクガーニ中将が手を離せば、殿下は黒髪をびっしょりと濡らして滴を垂らし、白いシャツを肌に張り付かせた状態で、初めて俺たちに気づいたように瞬きした。

「……は、な、……ま、マクガーニ? 何? なんでここに?」
「わしとエルスペス嬢は、今夜の夜行でリンドホルムに発つ。レディ・アシュバートンの葬儀のために」
「あ――」

 ポタポタと滴を垂らしている殿下に、ジュリアンがそっと、白いタオルを差し出す。
 
「今、ここで腹を決めたまえ。エルスペス嬢の幸せのために身を引くか、あるいは、すべてを犠牲にしても縋り付くか。――愛しているのだろう、彼女を」 
「も、もちろん……でも……マクガーニが一緒に住んではダメって……エルシーも、……もう終わりって……」
「それで引き下がる程度の気持ちなら、大人しくレコンフィールド公爵令嬢と結婚し、エルスペス嬢には莫大な手切れ金でも支払って、金輪際、忘れることだ」
「そんなの無理だ!」

 殿下が悲鳴をあげる。

「エルシーだけだ! 王子の身分なんていらない! 一緒に新大陸に逃げるつもりが――」
「本当にバカだな! その頭蓋骨の中には粘土でもつまっているのかね?」
「いや、俺はどうせゴーレムだけど!」
「ゴーレムだかゴリラだか知らんが、バカで世間知らずが新大陸でやっていけるとでも? ……彼女とやり直す気があるなら、ビルツホルンに向かいたまえ」
「ビルツホルン?」

 殿下が呆然とマクガーニ中将を見上げる。

「ビルツホルンで、マールバラ公爵に会い、協力を取り付けなさい。マールバラ公爵はマックス・アシュバートンの元・上司だ。アシュバートン家の代襲相続が却下された鍵は、彼が握っているはずだ。圧倒的不利ををひっくり返すには、それしかない」
 
 殿下の、酒で濁っていた瞳に、金色の光が戻ってきた。 


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